入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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盧溝橋事件66 竜王廟の夜襲3

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/18 15:54 投稿番号: [572 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
229〜230p

《 このころ第一線の南中隊は、果敢な白兵戦を中国兵と挑み合っていた。
銃声はバッタリ止んで、手榴弾の爆声ばかりがかなたからもこなたからも

盛んに聞えて来る。それと交錯して起る喊声!   怒号!
埋防の脚を洗って流れる永定河の水勢は滔々として物凄く、

時々、ザブーン!   ザブーン!   聞えて来るのは、
どうやら中国兵が河中に跳び込んで行く水音らしい。



さしも激しかった爆声が、やがて次第に衰えてくると、あとは連絡兵や伝令達が、
中隊長を呼ぶ声、大隊本部を捜し求める声で一しきり。

それに混じて第三中隊の方向からは、「中隊長殿!   山崎上等兵、もう駄目であります」
「アイヨー!」 という中国兵のうめき声も、闇の中、そこここに起って、

凄壮の感がひとしお深い。

敵は我が強襲に致命的の打撃をこうむったらしく、鳴りをひそめ、
抵抗しようとする者もない。

大隊長はとりあえず命令を下して隊伍の集結、人員の点検、
そして死傷者、鹵獲品等に対する戦場掃除を開始させた。

味方の損害は、戦死、兵六、負傷、将校二、下士官兵八、
そしてその大部分が手榴弾による破片創と、銃剣による刺創ばかりだった。

敵側の推定損害は少なくとも百五十を下らず。
永定河の濁流にとび込んだ者が、随分沢山あったようである。



世良小隊を併せ、大隊が盧溝橋駅に引揚げて来たのは、午前の二時に近かった。
連隊長は木原大隊長を迎えて、「ヤア、ご苦労だった。随分猛烈な白兵戦だったなあ。

僕はここからズーッとあの戦況を眺めていたが、爆声のたびごとに胸が痛んだよ。
でも二十九軍も今日という今日こそ、日本軍の真価をイヤというほど思い知っただろう。

膺懲の効果を十二分に挙げ得た事を、君及び君の部下に感謝する。
僕のこの気持を全員に洩れなく伝えておいてくれ給え」

この時、河野副官が言葉をさしはさんだ。
「連隊長殿!さきほど旅団長閣下が……」

「オオそうだ。旅団長閣下がいま、戦闘司令所を西五里店まで進めて来ておられる。

さきほどから夜襲の成果について大変心配しておられたから、
すぐ行って君から詳細報告してくれ給え」



木原大隊長は護衛の一ヶ分隊を伴って、暗い夜道を西五里店に向った。
河辺旅団長は午前二時半、茅屋 (ぼうおく) で寝もやらず、

カンテラの光に地図を按じていたが、木原大隊長の姿を見かけるなり、サッと
椅子から起ち上って、二歩三歩大隊長の方に歩み寄り、その手を堅く握りしめた。

「ヤア木原君!   ご苦労でした。連隊長の意図通り、実に立派な夜襲が出来て、
君の戦闘指揮に満腔 (まんこう) の敬意を表します。

犠牲者が出た事は何とも残念だが、負傷者は至急豊台に送って、
十分の手当をしてやってくれ給え。

他の兵は皆元気だろうな。これまた十分労 (いた) わってやってくれ給え」


懇篤な犒 (ねぎ) らいの言葉に、大隊長が感激と部下を失った悲しみもひとしお深く、
戦闘司令所の外にでた時、叢 (くさむら) にはもう、朝露がシットリと置かれていた。》


つづく

盧溝橋事件66 竜王廟の夜襲2

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/17 18:30 投稿番号: [571 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
227〜229p

《 大隊はいままで、八宝山方向に対して警戒配備についていたが、その隊形をそのまま、
右より渋江第一、乃美第三の両中隊を第一線、古川第二中隊を第二線とし、

本部はその中央に位置し、日没と共に竜王廟に向って発進を起した。
出発に当って大隊長は、本部書記の松浦軍曹を伝令として世良小隊に出し

「大隊主力は、今夜竜王廟正面の敵に対して夜襲を決行する。
貴小隊は現在地に停止、そして絶対同志射ちの混乱をひき起さないよう注意せよ。

夜襲成功後は貴小隊の正面に引揚げて行く予定、
特に大隊主力に対して連絡を緊密にせよ」 と伝達させた。

大隊は原ッパの真ん中、一本柳付近から、
大きく斜め左に方向を変換して堤防に正対し、

大隊左翼の目標を竜王廟にとり、これより上流、堤防上の敵を攻撃するよう
夜間戦闘を準備した。堤防までの距離はタップリ千メートルはある。



視界がだんだん薄暗くなってきた。前方百メートルくらい見透せるのが精々である。
それが刻々暗さを加えてきて、大隊が濃密散兵の隊形で一本柳を出発した時は、

もう足元だけしかわからぬような真ッ暗闇になっていた。
時々、堤防上からパーン!パーンと緩徐な銃声が起って来る。

中国軍が索敵の目的をもってブッ放している射撃らしい。
第一線両中隊はグングン突き進んで行った。

大隊本部との隔たりが、大分開いたようである。
本部としてもまた、第一線両中隊の現在地がハッキリとは掴めていない。

大隊長のまわりには、大隊副官代理の因幡中尉、それに伝令、書記、
連絡兵等合せて十二、三人がいた。

大隊長は因幡副官をふり返って 「オイ!   因幡!どうも拙 (まず) い夜襲に
なってしまいそうだなあ!」 とつぶやいた。



午後九時近くである。鼻をつままれてもわからぬ闇の中で、
敵の射撃が俄然激しさを加えて来た。

敵弾はビュッ!   ビュッ!みんな頭の上を飛び越して行く。
銃声や敵火の閃光から判断すると、

正面の敵兵力が二、三百ある事はまず動かぬところである。
パンパンいう音がまるで豆でも炒っているみたいだ。

因幡副官が大隊長の耳元にささやいた。
「大隊長殿!銃声がにわかに激しくなってきました。

第一線はもう突っ込んだんじゃないでしょうかー」
「ウム、でもまだ百五十メートルくらいあるだろうぜ。

歩度を伸ばしてもう少し前進してみよう」
それから三十メートルばかり進んだころ、敵火はいよいよ狂気のように激しくなってきた。



− 第一線、いよいよ突っ込んで行ったな。− そう直感した大隊長は、
軍刀頭上に撮りかぶりざま、大隊本部に「突っ込めッ!」と命令した。

長身の大隊長が最先頭を走った。ところが走っても走っても、一向堤防に到着しない。
これは後に調べてみてわかった事であるが、突撃発起の地点から敵線までの距離が、

何と二百五十メートルもあったのだから、敵と格闘するより先に、
まず息切れの方で参ってしまう。

それともう一つ、陣地間近く迫ったところ、いつの間に掘ったか、
幅約三メートルという一連の外壕が埋防の手前に横わっていて、

昨日の雨水がそれに溜り一大障害を形造っている。
大隊長以下、それら障害を意に介せず一気に埋防上に駆け上って行った。

勢い込んだ木原少佐は、当面の中国兵に袈裟がけの一刀を浴せかけた。
剣道五段、腕には十分の自信があったが、

この初太刀あいにく敵の弾帯に斬りつけたため、カチンと音がしてハネ返されてしまった。
大隊長はやにわに軍刀の柄を両手で握りしめ、新たな敵に向って斬り込んで行った。》


つづく

盧溝橋事件66 竜王廟の夜襲1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/16 18:28 投稿番号: [570 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
226〜227p

《 七月十日午後四時、張允栄と盧南生とが特務機関にやって来て、
停戦協定の下相談を済ませた後、正式協定の締結にはまだ相当手間取るだろうが、

取りあえず今晩のところ、両軍に射ち合いさせない事が先決問題だというので、
その席でこれに対する双方の申し合せを行なった。

この内容は

   申し合せ事項

一、十日夜における両軍の行動

  イ、日本軍は西五里店付近に兵力を集結し、本夜前方に向って行動する事なし。

    ただし背後における連絡行動を妨げず。

  ロ、中国軍は絶対永定河を越えて東進することなし。

    ただし該河以西において後退行動をとるを妨げず。

二、現地に派遣する日華調停員

   日本側   中島顧問   笠井顧問

   中国側   周参謀   王団付   王県長

ちょうどそのころ、桜井顧問は単身車をとばせ、航空署街に秦徳純を訪ね、
これまた同趣旨の問題を交渉した。



ところが午後五時四十分、豊台の小野口副官から私のところに、
あわただしい電話がかかって来た。

「第一線の情況が急変しました。午後五時十分、約百名の中国軍が衙門口に現われ、
迫撃砲の射撃を交えつつ、いま、竜王廟に向って前進中です。

牟田口連隊は出動を準備中だとのことです」 続いて十五分の後
「永定河右岸からも新たに迫撃砲を射ち始めました。

旅団長はいま、牟田口連隊長に、竜王廟に出してある将校斥候は、
日没後直ちに一文字山に撤退させてしまうこと、

並に、八宝山方面の偵察には、一切斥候を用いる事なく、
土民の諜報だけでやるよう厳命されました」



これより先、この情況の急変を真ッ先に知った牟田口連隊長は、
一文字山の台上で仁王立ちに立ち上り大声で木原第一大隊長を呼んだ。

「木原少佐!   第一大隊は直ちに小銃機関銃各一ケ小隊を竜王廟に出せッ!
そして第二大隊の山下将校斥候を救援しろ!   早く早くッ!」

木原少佐はとりあえず手近にあった世良少尉の機関銃小隊に、田淵准尉の
小銃小隊をつけ、意図を含めて一文字山から真っ直ぐ、竜王廟に向って出発させた。

命ぜられた処置を終った大隊長が盧溝橋駅の大隊本部の方に戻って行く途中、
小岩井中尉が息せき切って迫かけて来た。

大きな声で 「第一大隊長殿!   連隊命令でありますッ!」 とどなっている。
木原少佐はふり返った。


すると 「命令をお伝えしますッ!   木原大隊は、協定に違反して竜王廟付近に
進出して来た当面の敵を、全力をあげて撃滅すべし。

目的達成後は、また速かに兵を引き、現在地に復帰して現任務を統行すべし。
特に、衙門口方面に深入りせざる事肝要なり。命令終りッ!」

通州から炎暑を冒し、盧溝橋の戦場に駆けつけて以来、
また一度も戦争らしい戦争もせず、

手ぐすね引いて攻撃命令を待ちうけていた木原大隊である。
将兵の士気は勃然として奮い起った。》


つづく

*   日本軍に   「軍を動かさないように」   と持ちかけておいて、
   相手が油断している所を襲撃する。   これぞ中国的やり方。

   だから、日本軍は自分から一方的に戦争をやめる事ができなかった。
   話し合ってさえ、こうなのだから。

盧溝橋事件65 襲撃を予告する電報

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/15 18:24 投稿番号: [569 / 2250]
田中正明著 『東京裁判とは何か』 Ohtemachi Books   日本工業新聞社発行
179〜180p

《 埼玉県大和田にあった軍令部直属の海軍受信所 (各国の無線電信傍受を任務と
していた)の初代所長和智恒蔵海軍大佐 (当時少佐) の宣誓口供書。


昭和十二年七月七日、盧溝橋で日支両軍の衝突があり、軍令部からの命令で、
この事件に関する米、英、蘇、中の傍受配備を厳重にせよというので、

和智所長以下職員はほとんど不眠不休で厳戒に当っていた。
そこへ飛び込んできたのが、

北京のアメリカ海軍武官から、米本国海軍作戦司令部にあてた暗号電報であった。
七月十一日 (土) 午後二時過ぎのことである。

米海軍が常用している単一換字暗号電報であるが、解読してみると次のような内容であった。



『信頼スベキ情報ニヨレバ、 第二十九軍、 宋哲元麾 (き) 下ノ一部将兵ハ   現地協定ニ

アキタラズ、今夜七時ヲ期シ、日本軍ニ対シ   攻撃ヲ開始スルコト   アルベシ』


和智少佐は、この電報は重要と考え、直ちに軍令部に電話したが、
土曜日午後のため在室者が不在だったので、

かねて懇意の海軍省副官柳沢蔵之助中佐に電話して、
電報の内容を伝え、処理方を依頼した。



後日判明したところによれば、海軍側はこれを直ちに陸軍側に伝えたが、
陸軍側はこの日すでに現地において停戦協定が円満裡に成立した直後のことでもあり、

信用しなかった。陸軍省の副官は、「それは何かの間違いか、デマではありませんか」
といって相手にしなかったということである。従って現地軍にはこの情報は伝えられなかった。

しかし、果たせるかな、この夜中国側が現地協定をやぶって、攻撃を開始してきたのである。
・・・



和智氏は昭和二十二年十月に出所したのを幸いに、米海軍武官ストーン大佐を訪ね、
該暗号電報が米本国作戦部に実在しているかどうかを確かめてもらった。

たしかにその暗号は、米海軍省に保管されていた。
和智氏はその証言の裏付けを得て証言台に立った。

さすがにこの確証の前に、検察側は和智大佐に対し、一言の反対訊問もなかった。
ウエッブ裁判長は、中国代表の倪 (ニー) 検事に視線を向けて、

「検察側、反対訊問はありませんか」   と促すようにいった。
倪検事はニガ虫を噛んだような不機嫌な渋面で、

「その意思はありません」   と答えた。》



注   ここで傍受した   日にち   が十一日となっているが、これは十日の間違い。
   実際には、この事件は十日に起きている。

   寺平氏の 『盧溝橋事件』 でもこの電文は引用されているが、十日と書いてある。
   寺平氏の本の引用は多すぎるので、他の本で引用できる分は他の本にした。

盧溝橋事件64 国民政府の動き

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/14 18:30 投稿番号: [568 / 2250]
『蒋介石秘録下』   サンケイ新聞社刊
200〜201p


《 十日、国民政府は日本大使館にたいし

「日本軍の行為は計画された挑発であり、不法のきわみである」

と文書で抗議した。同時に全軍事機関の活動を

「戦時体制」 にきりかえるため、つぎのような緊急措置がとられた。


一、抗議のための軍隊として第一線百個師、予備軍約八十個師を編成し、

   七月末までに大本営、各級司令部を秘密裏に組織する。

二、現有の六カ月分の弾薬は長江 (揚子江) 以北に三分の二、

   長江以南に三分の一を配置する。

   弾薬工場が爆撃される場合を考え、フランス、ベルギーから購入することを交渉し、

   香港、ベトナム経由の輸送ルートを確保する。

三、兵員百万人、軍馬十万頭の六カ月分の食糧を準備する。



現地では、この間、日中両軍がにらみ合ったまま、交渉が続けられていた。

九日、日本の支那駐屯軍参謀長・橋本群が天津から北平入りし、

   駐北平武官・今井武夫らと協議を重ねたすえ、

十日、第二十九軍責任者の謝罪、中国軍の撤兵などを内容とする要求を、

   秦徳純に提出した。》

盧溝橋事件63 参謀本部の情勢判断2

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/13 18:35 投稿番号: [567 / 2250]
戦史叢書 『支那事変   陸軍作戦1』
161〜162p

《 不拡大方針をとりながら作戦指導の処置として増兵ことに内地師団の動員まで
考えた理由について   不拡大主義でゆくなら動員をやめるべきでないかと

一般に考えるが、第一線では紛糾があり、しかも派兵には数週間かかるので、
不拡大を希望しても形勢逼迫すれば万一の準備として動員を必要とすることになる。

輸送力があれば相当の兵力を国境近くに置いて対処することもできたであろう。
元来不拡大方針は政治的希望であるが、

一方現地においては戦闘行動が行われているので、
常に動員の必要が起こることを考慮していた。



と、石原部長は述べている。
石原部長は、動員は事態拡大の要素を含んでいるので、

できることなら内地師団を動員することなく現地解決にもっていくことを強く希望して
いたが、一方では居留民保護や僅 (きん) 少な兵力の支那駐屯軍の安全のためには、

動員による増兵の処置を認めざるを得ないという、
すなわち不拡大方針の堅持と増兵の処置による拡大への不安という矛盾に、

大きな悩みを抱いていたのである。

当時、中国駐在武官及びその他から次のような諸情報が伝えられ、
石原部長の心象に相当の影響を与えたものと思われる。



一   九日、中国側でも事件不払大の方針を確立したと伝えられはしたが、
   実際には隴海線沿線に中央軍集結が命ぜられ、

   また、旧東北軍の抗日軍隊に対して戦時体制の内命が発せられた。

二   十日十一時、南京駐在日高参事官は、外交部長王寵恵を訪ねて、
   今次事変におけるいっさいの非は中国側にあり、

   いっさいの損害賠償と合理的要求を留保する旨を通告した。王外交部長は
   これに反駁し、妥結させようとする誠意は認められないという。

   二十三時、陸軍省に入った公電によれば「蒋介石は四コ師を石家荘付近に北上すべく
   命令し、同時に中央飛行隊に対し出動命令を下したるもののごとし」   と。


   同盟漢口電によれば、蒋介石は廬山会議の結果、徐州付近に駐屯しある
   中央軍四コ師に対し、十一日払暁を期し河南省境に集中進撃の準備を命じた。

   上海特電   「十日、何應欽は軍事会議を開き津浦線、隴海線一帯の軍隊に対し
   動員待機令を下し、とくに津浦線方面の写真任者第一軍長胡宗南に重大指令を発した。

   また河南の中央軍は山西に入る態勢にある」   と。


三   支那駐屯軍からの報告によれば 「平漢線方面の支那軍は漸次北上を開始し、
   第五三軍長萬福麟の部隊は保定よりタク県琉璃河方面に、

   商震部隊は彰徳、順徳方面より石家荘、保定間に、更に中央軍の劉峙部隊は
   開封、鄭州方面より衛輝、順徳に向かいそれぞれ移動中なり」   と。》

盧溝橋事件63 参謀本部の情勢判断1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/12 16:34 投稿番号: [566 / 2250]
戦史叢書 『支那事変   陸軍作戦1』
160〜161p

《 一方、参謀本部では、石原作戦部長が衆論を倒して事件不払大の方針を確定し、
その実現に努力していたが、一般にはしだいに強硬論が盛んとなってきた。


十日午前、参謀本部第三課と第二部は次のような情勢判断を行った。

一   諸情報ヲ綜合スルニ   冀察 (きさつ) 当局及 南京政府ハ   国民ノ抗日意識ヲ

   煽揚スルト共ニ   対日武力戦争ヲ 準備シツツアリテ   我カ 支那駐屯軍ノ

   和平解決ノ努力ハ   支那側ノ暴戻ナル   挑戦的態度ニ依リ   酬 (むく) ヒラレス

   事態ハ   逐次悪化拡大スルノ虞 (おそれ) 大ナリ


二   大規模ナル 対支出兵ハ   帝国ノ固 (もと) ヨリ 好ム所ニアラサルモ

   状況斯 (か) クノ如クニシテ 機ヲ失センカ   支那駐屯軍ノ自衛行動ハ

   優勢ナル支那軍ノ重囲ニ陥リ   遂ニ 救フヘカラサルニ至ル   斯クテハ

   帝国ノ威信ハ地ニ墜チ   支那ヲシテ益々増長セシメ   在留帝国臣民ノ生命財産ハ

   暴虐ナル毒手ニ委 (まか) スルニ至ルヘシ   故ニ速 (すみや) カニ

   之ヲ救援スルト共ニ   事態ノ根元ヲ一掃スル為   必要ナル兵力ヲ

   先ツ   北支方面ニ派達スルヲ要ス


三   事態更ニ   他方面ニ拡大スルハ   之ヲ欲セサル所ナルモ   支那全般ノ 抗日情勢ニ鑑ミ

   他方面ニ於ケル   日支尖鋭化ヲ来ス   虞ナキニアラス   之カ為   在支居留民ノ

   保護ニ関シテハ   遺憾ナキヲ期ス

四   以上ノ処置ヲ取ル   場合ニ於テモ   現下ノ国際情勢ハ   欧米   就中 (なかんずく)

   蘇聯邦 (ソレンぽう) ノ参戦ヲ   誘発スルノ   虞ナシト判断セラル


右判断により支那駐屯軍に増派する兵力を次のように考えられた。


一   関東軍の一部 (独立混成第一・第十一旅団、

   関東軍飛行集団から偵察・戦闘・重爆各二中隊、その他)

二   朝鮮軍の一部 (応急動員した第二十師団、飛行中隊三−戦闘二、軽爆一)

三   内地から師団三、飛行中隊一八 (偵察六、戦闘五、軽爆四、重爆三) 其の他


  この兵力は盧溝橋解決のためには、右の一、二、の兵力で十分であるが、
京漢線に沿って逐次中国中央軍が北上する場合を予想して、

内地師団の派遣が考えられた。これだけあれば平津地方における処理は
もとより内蒙、察哈爾の処理も可能と判断された。

これは平津、内蒙を満州国の緩衝地帯にしようとする武藤第三課長の
当初からの企図に基づくものであった。



この積極構想に対して参謀本部作戦課部員の中にも反対意見があり、
参謀本部第二課は大体において反対、

作戦部長石原少将も不本意であるがやむなく承服という態度であったが、ともかく
十日午後、兵力の派遣及び作戦行動の準拠に関する大命案が陸軍省軍事課に送付された。

陸軍省においては、陸軍次官梅津美治郎中将 (15期) が

「その趣旨にはあえて不同意ではないが、今すぐ三コ師団を動員派遣することは
国際関係を悪化する誘因となるし、なお北支の情勢もまだ判明しないのだから、

まず関東軍から二コ旅団を急派するほか、朝鮮軍から一コ師団を臨時編成で出し、
しばらく情勢を見るべきではないか」 との意見であった。

しかし結局参謀本部の要求を了とし、内地師団の動員も原則的に認め、とりあえず
関東軍の二コ旅団と在鮮第二十師団を応急動員して派兵することに落ち着いた。》


つづく

盧溝橋事件62 停戦協定条文の審議

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/11 15:07 投稿番号: [565 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
218〜219p


《 午前九時半から機関の小応接室で、引き続き、さきほどの会議が開かれた。
会議は紆余曲折したが、せんじ詰めたところ、次のような交渉案がまとまった。

    条   文

一、第二十九軍代表は日本軍に対し、遺憾の意を表し、かつ責任者を処分し、

   将来責任をもって再びかくのごとき事件の惹起を防止する事を声明す。

二、中国軍は、豊台駐屯日本軍と接近し過ぎ、事件を惹起し易きをもって、

   盧溝橋付近永定河東岸には軍を駐屯せしめず、保安隊をもってその治安を維持す。

三、本事件は、いわゆる藍衣社、共産党、その他抗日系各種団体の指導に

   胚胎すること多きに鑑み、将来これが対策をなし、かつ取締りを徹底す。

                            以   上



私は早速二十九軍側に電話した。
そして事件調停の衝に当り得る、重要人物を特務機関まで派遣するよう要請した。

すると先方から、張自忠と張允栄とを差向けたいのだが、張自忠は今、病臥中のため、
取急ぎ張允栄だけを機関に出頭させるという回答があった。

斡旋の主は冀察の元老格、元陸軍上将斉燮元 (さいしょうげん) 将軍である。
張允栄は午後四時、随員の盧南生を帯同して、特務機関を訪れて来た。

橋本参謀長を含めず、さきほどの会議の面々、それに私を加えた六人は、
機関の大応接室で二十九軍代表張允栄と対坐した。

盧南生は張の横にシャチコ張って坐っていた。
張自忠、張允栄、この二人は従来から親日系をもって目せられ、

つい最近の日本内地視察旅行以来、日本の現状に対しても、
一番深い認識を持った知日派である。



松井機関長は条文内容について説明した。
張允栄は黙黙、頭を垂れて傾聴し、その要所要所を自らメモしていた。

やがて全部の説明が終った時、彼は
「本件は、両国、明日以後の親善提携を卜 (ぼく) すべき、

重要ポイントとしての役割を帯びております。
従って双方の意向に、いささかの無理もわだかまりもない事が大切です。

このため、これから二十九軍首脳部とも、打ち合せしたいと思いますので、
暫 (しばら) くの間、ご猶予いただきとうございます」 と申し立てた。

「よろしゅうございます。どうぞお持ち帰りの上、十分検討なさって下さい」 と
松井機関長がいった。

会談は二十分ばかりで終ってしまい張允栄は間もなく機関を辞去して行った。
この夜、二十九軍司令部からは、細目交渉のため、

何回となく特務機関に電話がかかってきたし、張允栄ばかりでなく、
斉燮元 (さいしょうげん) までが頻繁に機関の門を出たり入ったりした。


つづく

盧溝橋事件61 関東軍から至急官報

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/10 18:35 投稿番号: [564 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
216〜218p


《 いままで武官室で勤務していた武藤正美機関員が、
紙片一枚握ってアタフタ補佐官室へ駆け込んで来た。

「補佐官殿!   参謀長閣下あて、関東軍から至急官報が参りました。これがそうです」
「何?   関東軍から至急官報だって?   どんな電報だ」 私はジーッと暗号の訳文に目を通した。


   天津軍参謀長   宛

一、関東軍奈良歩兵連隊及び入江砲兵連隊は、昨九日、山海関に集結を完了す。

二、関東軍飛行隊 (一部欠) は、錦州、山海関に集結す。

三、在承徳鈴木混成旅団の主力は、承徳、古北口間に在って、すでに出動準備を完了しあり。

                           関東軍参謀長   発


「ホホウ!   こりゃあ、また関東軍エライ気の早い事をやってるなあ!
しかしこれは今日の会議に非常に大きな波紋を巻き起すぞ。

天津軍は和平交渉の手を差し伸べようとしているのに、関東軍はまるで、
やれやれッ!   といわんばかりに、戦争をケシかけているみたいじゃないか。

ヨシッ!   この電報は早速扶桑館の方に届けてやろう」



午前八時、扶桑館では、盧溝橋事件調停に関する会議が始められた。

列席者は、橋本参謀長、塚田中佐、大木参謀、松井機関長、
和知参謀、今井武官の六名である。

参謀長はまず、和平処理に関する軍の根本方針を説明し、
その後で今度は現地当事者から、事件処理に関するさまざまの意見を聴取した。

ちょうどこの時、さきほどの関東軍参謀長からの至急官報が届けられた。



参謀長は電文内容を一同に披露した後
「こういう電報が発せられてくるにつけても、

今や現地の停戦は一刻の遅滞を許さない切迫した情況にあります。
これはまた、中国側においても、ほぼ同様の状態にある事が想像されます。

したがってこの問題は、巧遅よりも拙速、この方針でいかなければなりません。
いまからその具体的研究に移りたいと思いますが……」



その時、今井武官が発言した。

「お話中ですが、停戦問題の取り決めをするには、
これから中国側ともいろいろ折衝しなければなりません。

また刻々移り変る第一線方面の戦況とも、睨み合せなければなりません。
その上こういった電報連絡の事を考えますと、扶桑館では万事につけて不便を感じます。

会議場所を、一つ特務機関の方へお移しになったらいかがですか」
全員これに賛同して、会議は一応解散、一同車を連ねて特務機関に移動した。

この移動の最中、午前九時五分、豊台から無電による連絡があった。
「第一線の情況悪化す。第一大隊は北京帰還を見合せ、目下出動を準備中」》


つづく

盧溝橋事件60 日本本土の見方

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/09 18:26 投稿番号: [563 / 2250]
戦史叢書 『支那事変   陸軍作戦1』
158〜159p

《 九日夕、石原第一部長は 「事件解決のためには兵力を使わぬ方がよい。
あれをもみ消すのは陸軍省のやることだ」 と意見を述べて帰宅された。

しかし、この事件をこじらせることのないよう、中国側に対する極めて簡単な
善後条件で一応解決する必要があると考え起案した。

これを柴山軍務課長が陸軍省内で説いて回り   「次官、大臣も異存がない。
ただ次長名で打電するを至当とする」   との意見であった。

そこで次長の決裁を受けて打電し、部長から事後承諾を得たが、
手続き上若干の問題があった。



この抽象的な四条件は、現地交渉に当たり現地軍の自主的活動に任す考えであるが、
陸軍中央部ではその具体的交渉内容について硬軟両派の意見が対立し

到底統一した見解が打ち出せない実情であった、たとえば将来の保障についても、
将来気をつけるという一札を入れる程度の者もあれば、

兵営の明け渡しを要求する者もあり、責任者処罰問題でも、
単に大隊長程度でよいという者から、宋哲元罷免を要求する者もあった。

当時の支那駐屯軍は、よく中央の方針、指示に従って実行していたが、
具体的事項になると、中央の意見がまとまっていないので、交渉に手間どっていた。



北支では、九日早朝に松井・秦徳純停戦協議が成立して以来、
現地の河邉旅団が中国側の履行状況を監視していた。

ところが中国側内部の連絡が悪く、撤退時刻の五時になっても撤退せず、
かえって旅団に射撃を加えてきたので、旅団も盧溝橋城内に砲撃を加えた。

また城内の中国軍と交代するため北平から南下してきた保安隊約二〇〇名と、
日本軍第一線部隊の間でも、相互誤解から一時戦闘が起こった。

しかし中国側委員と旅団の折衝により、城内の中国部隊は十二時二十分、
一小隊を残して永定河右岸に撤退し、保安隊が城内に入った。



よって旅団は、監視任務のため一部を現地に残し、主力は原駐地に帰還するよう部署した。
牟田口聯隊は一部をもって一文字山を占領し主力は豊台に集結した。

九日夜、橋本参謀長は善後措置のため北平に到着し、
まず第一線の状況を視察し、その労をねぎらったのち城内に入った。

当時、北平城門及び城内は中国側により厳重に警戒されていた。

この日(九日)、関東軍参謀辻政信大尉が天津に来て、
関東軍の意見として時局対処の強硬論を述べた。》

盧溝橋事件59 橋本参謀長を出迎え3

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/08 18:32 投稿番号: [562 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊

(このあと参謀長は戦死者の慰霊や、負傷者の見舞いをするが、その箇所省略)

213〜215p
《 やがて車は守備隊の正門を出発した。参謀長一行は停戦協定を結ぶため
北京へ向う途中、盧溝橋付近の戦場を視察することになったのである。

(途中省略)

河辺旅団長、牟田口連隊長、一木大隊長等はその時皆、ホームのところに
集って、参謀長の到着を待ち受けていた。

「ヤア!」「ヤア!」
参謀長と河辺将軍、言葉は簡単ながら感慨深げな挨拶を交した。



「とうとう余儀ない情況の下に、衝突を起してしまいましてなあ。
大変ご心配をおかけ致しました」

「イヤイヤ、どう致しまして、非常なご奮闘で本当にお疲れでございました。
ことに犠牲者を出されました事について、衷心ご同情申し上げます」

「有難う。牟田口君や、それから一木大隊長が実によくやってくれました。
中国側に対しては、これで十分精神的打撃を与え得たことと思います。

ただ、多数の犠牲者を出した事が非常に残念です。

今日はもう、戦場も大分鎮静に赴いたようですから、一部をあの一文字山付近に残し、
主力は一応豊台に引き揚げるよう命令しました」

「じゃあいまから、直接、戦闘を指揮した牟田口連隊長と一木大隊長から、
戦況の概要を聞いていただきましょう」



そこで牟田口大佐と一木少佐とは、代る代る鞭を振り振り、事件発端の経緯から
戦闘経過を、現地についてつぶさに説明した。二人の説明はかれこれ三十分ばかりかかった。

その一言一句には、今日はまた格別力が籠っていて、当時の戦況が彷彿 (ほうふつ)
として私達の眼前に描き出されて来るのだった。

最後に一木大隊長 「私の戦闘指揮が当を得ませんでしたため、
多数の死傷者を生じました事は、誠におわびの申し様がございません……」

そこまで語り来った大隊長は、そのままバッタリ言葉が途切れてしまった。
隊長の脳裏には、この時、昨日来の情景がマザマザと映じて来て、

かれを思いこれを想い、うたた断腸の念にたえなかったに違いない。
参謀長も、旅団長も、そしてなみいる将校一同も、ことごとく暗然として涙をのんだ。



夕靄立ちこめる盧溝橋の原、これが昨日の激戦の跡とは思われないばかりに、
あたりはシーンと静まり返っている。

遥か埋防の方には、竜王廟の赤褐色の塀がボンヤリと霧雨の中に煙っている。

「じゃ、私は今からまだ仕事がありますから、これで失礼いたします
諸官のご健闘を祈っております」

参謀長は一同に挨拶した。そして旅団長等に見送られながら、自動車の方へ歩を運んだ。
その時、宛平城の空を、鴉 (からす) の群が北へ北へと飛んでいった。

車は北京街道を東へ走った。
参謀長の車が北京市内の宿舎に入ったのは午後八時三十分であった。》


続く

盧溝橋事件59 橋本参謀長を出迎え2

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/07 18:35 投稿番号: [561 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
210〜212p

《 入口のすぐ左側に通信所があった。私は雨宿りのつもりでツカツカとその中に
入って行くと声をかけられた。それは旅団の次級副官小野口大尉だった。

「いつの間にこんなところに来られたんです?」 私はろくろく挨拶もしないで、尋ねた。

「昨日ですよ。牟田口連隊長と一緒にこちらにやって来ました。
しかし戦争というものは、こういう後方勤務は一向有難くないですな。

河辺閣下はもう今朝程から、第一線に立って指揮をとっておられます。
それで君はまた、どういう要件でこちらに来られたんですか?」

「アア私ですか。私は参謀長閣下のお出迎えです。
何だか豊台から北には汽車を出さないような噂を聞いたもんですから」



すると副官は 「さきほど、河辺閣下から電話がありましてね。参謀長閣下が来られたら、
ちょっとでもいいから盧溝橋の戦場を回って、見ていただきたいっていわれるんです。

閣下としちゃあ、すでにこの戦場で部下を殺しておられるんですからねえ。
そういったお気持が多分にあるんでしょう。

だから僕は、どうしても参謀長閣下を、ここで汽車から引きずり降さなきゃならない
立場にあるのです。オヤッ!   もうボツボツ列車が着く時刻です。駅の方に参りましょう」

二人は一緒に自動車に乗った。そして雨の中を素ッ飛ばして
ホームのオーバーブリッジの脇に車を横付けにした。



ガランガラーン!   ガランガラーン!   信号所の方で合図の鐘が鳴る。
やがて北京行き急行列車がすさまじい勢いでホームに滑り込んで来た。

「一号車はもう少し後の方に停車いたします」
豊台憲兵の三橋実上等兵が私達二人に注意してくれた。

車輌の胴体に赤色のライン、そしてその下に 「頭等臥車」 としるされた車が、
静かに私達の前に停った。二人は車の中に乗り込んでドアーをあけると、

出会い頭にブツかったのが大木良枝少佐参謀だった。



「お迎えに上りました。実は豊台の駅長が作戦関係の日本軍人は一人も
北京にやらんと頑張っていますし、

またこの次の永定門駅では、ワカラズヤの二十九軍が抜身のダンビラを突き付けて、
乗客をしらみつぶしに調べるんです。

それやこれやでいっそのこと、自動車で北京まで素ッ飛ばされた方が
早手回しと考えまして、ここまでお迎えに上りました」

「それはどうもご苦労様でした。じゃあちょっと待ってくれ給え。
その事を閣下に申し上げてくるから……」



参謀長は 「外は雨が降っているようだな」 と言いながらマントを羽織り、
やがて列車から降りて来た。

一行三台の自動車は、参謀長の車を先頭にして、守備隊の中に入って行った。
雨は次第に本降りになって来た。

ゴッタ返しの本部事務室で、一杯の渋茶に喉を潤している参謀長に小野口副官が

「当兵舎には、昨日の戦闘で名誉の戦死をとげました鹿内准尉以下十名の遺骸が
安置してございます。

それから野地少尉以下、二十数名の負傷者を、医務室の方に収容しております。
ただいまからその方をご案内申し上げます」 と報告に来た。》


つづく

盧溝橋事件59 橋本参謀長を出迎え1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/06 18:25 投稿番号: [560 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
209〜210p

《 笠井顧問や愛沢通訳生達が、保安隊誘導のため出ていってしまった後も、
中国側の要人達は、依然、次から次へと特務機関を訪れて来て、機関の中は

相変らず上を下へのゴッタ返しを続けていた。

応接室と事務室の間を、あわただしく駆けずり回っている私をつかまえて、
吉富機関員が話しかけた。

「アア補佐官殿!   先程豊台からお電話がありました。
関東軍の連絡将校、辻政信とかいう大尉の方が、今豊台に来ておられるそうです。

それで今晩北京に泊ろうと思って、汽車に乗ろうとされたところ、豊台の駅長が、
作戦上の目的で北京に行く者は、絶対、汽車に乗せる事まかりならんといって、

もう三時間ばかりも汽車を動かさないんだそうであります」



「フーム、それで北寧鉄路局の方へ、交渉でもしてくれといってきているのか?」

「イヤ、北京行きは中止されたそうであります。
ただ、そういう事があった事だけ、お知らせしておいてくれとの事でございました」

「そうか。辻大尉がやって来ているんだな。
この辻大尉というのは、この前、上海事変の時、金沢の連隊の小隊長として出征し、

勇敢に戦ったが、戦後はもう一人、辻権作という大佐と一緒に、
あちこち講演して歩いたので、ますます有名になったんだ。

幼年学校、陸士、陸大の恩賜組で、口も八丁、手も八丁、なかなかの遣り手だそうだ。

関東軍、いよいよジッとしておれなくなったもんだから、
天津軍をケシかける意味で辻大尉なんかをよこしたんだな」



話し合っているところに天津の軍司令部から、電話がかかってきた。

「軍参謀長の橋本少将と塚田参謀それから大木参謀の三名が、停戦協定締結のため、
今日牛後三時四十五分、天津発、列車で北京に向われました。

出迎えの準備と宿の支度を、どうぞよろしくお願い致します」 というのだ。

「こりゃあいかん!   早速今の問題を解決してしまわんと、
今度は参謀長一行まで、豊台の駅で河止めみたいな事になってしまう」

私はトントンと階段を駆け上って機関長室に入って行った。

「そうか。宿の方は扶桑館に交渉したらそれでよかろうが、
列車の一件は、こいつちょっとうるさい問題だなあ!

それに時間ももう余りない事だしするから、北寧鉄路局に連絡をとる一方、
どちらに転んでも大丈夫なように、ご苦労だが補佐官一つ、

自動車を二台ばかり用意して豊台駅まで迎えに行って来てくれ。
汽車が順調に出るようだったら補佐官もそれに乗って、一緒に帰って来るがいい」



私は早速吉富機関員に命じ、北寧側との交渉を開始させた。「あとは頼んだぞ!」
私は一声を残して北機第一号車と、軍事顧問用の車一台とで特務機関を出発した。

車が豊台の駅についたのは、六時にはまだ大分間のある時間だった。
霧のような雨がまたモヤモヤと降り始めてきた。

私は駅のすぐ前にある、豊台守備隊を訪れて行った。
軍装物々しい、そしてズブ濡れになった兵隊が、あわただし気に営内を行き来している。

彼等は何れも七日の夜以来、盧溝橋の戦場で善戦健闘したつわもの連なのだ。
私なんかと一緒に死生の巷にさらされてきた戦友なのだ。

なんともいえぬ親しさ、懐かしさがこみ上げてくる。》


つづく

盧溝橋事件58 バケモノ保安隊3

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/05 15:24 投稿番号: [559 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
207〜208p

《 やがて間もなく本物保安隊が西五里店に到着した。
今日のネグラがどこなるかも知らぬ顔の保安隊の兵隊達は、

饅頭を頬張ったり、隣のやつの頬ッペタを引っぱたいたりして、
雨のひとときをこの西五里店の部落でゴッタ返していた。



その時、私は特務機関で、盧溝橋駅からの電話にかかっていた。
話の相手は今朝程喧嘩したばかりの威勢のいい参謀である。

「こんな事件を引き起した以上、旅団としては保安隊を宛平城内に入れる事は
絶対不賛成だ。早速止めさせてくれい。

今朝方の事件なんか全く寝耳に水で、旅団は一生懸命、
盧溝橋と八宝山とを警戒していたら、

突然背後の北京街道から、灰色の大部隊が散開隊形でこちらに向って
前進して来るじゃないか。

大塚通訳生を遣ってこれを食い止めさせようとしたところ、かえって射撃で対応する
という始末、結局正当防衛としてもこちらは戦わなければならなくなったんだ」



「いま、笠井顧問からも電話で、その一件一件が報告されてきたところだよ。
だが保安隊入城の件は、昨夜来交渉の結果、中国軍の宛平県城撤退に伴う

交換条件として、こちらがすでに承認を与えた問題なんだ。
不拡大の目的達成のためには大事の前の小事というわけさ。

保安隊の入城を拒否する、その事は極めて易々たる問題だが、その反動として、
せっかく撤退した二十九軍がまたまた宛平城内に舞い戻って来たらどうする。

ことにこの間題は、軍司令部でもすでに協定通りやらせろという意向なんだぜ。
今朝だけの問題で、根本までひっくり返すような愚をなさぬよう、

その点はよくよく考えてくれい」



「だが最初の協定というやつがなあ!   余りにも軟弱過ぎたんだ。
まあ一応閣下に申し上げてみよう」

電話は暫くの間放置されて、受話器がジージー音を立てていた。

「今、閣下の意向を伺って見たんだ。軍の方針がそうと決まったら仕方がない、
入城の点では譲歩しよう。

しかしいったん日本軍に対して銃口を向けたような保安隊は、断じて城内に入れる
わけにはいかない。即刻、他の保安隊と取り換えて欲しいというご意見なんだ」

「その点はご心配無用!   すでに別の一隊を派遣してあるからその方を入城させる」



笠井顧問と中島顧問とは協議の上、これ等保安隊の編制装備について再検討を
加える事になった。そして松井機関長からの指示に基いて、入城保安隊には、

重火器に類するものは一切、即ち軽機関統といえども携行させない事にして、
弾薬の数も一人十発に制限し、特に人員の点では厳に百五十名に限定した。

こうして整理された保安隊百五十名は、笠井顧問及び愛沢、広瀬両機関員に
引率されて宛平県城へ、

また残余の五十名、及びバケモノ保安隊は、
中島顧問に引率されて北京指して引き揚げて行った。》


つづく

盧溝橋事件58 バケモノ保安隊2

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/04 13:09 投稿番号: [558 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
205〜207p


《 車の動揺が激しくなってきて、水溜りのトバッチリが遠慮会釈もなく、
両側の人家や道を通る苦力達にはねとんで行った。

やがて煙雨の中に、永定河右岸、青く霞んだ大行山脈の姿が見え始めて来た。
こんもりとした大瓦ヨウの森、一文字山の緑が日に映ずる。

この先はもうすぐ西五里店の部落だ。



「顧問殿!   ありやあいったい何ですか?
二十九軍らしいものが前の方に一杯かたまってるじゃありませんか」

「ウム、こりやおかしいぞ。日本軍の背後にこんな中国軍がいるはずはないのだが!
とにかくまああそこまで行ってみよう」

車は一散に西五里店の部落に突っ込んで行った。
そしてその中国軍の真ん中で顧問達は車から降りた。

兵は皆、家の軒下に入り込んで雨宿りをしている。
道路脇には血に染まった中国兵が三人、仰向けになって死んでいる。

腕を手拭で首から吊った兵が、雨の中をうろついている。
無言の中に何か知ら、殺気立った空気が感ぜられるのだった。



顧問は兵の一人をつかまえて聞いてみた。
「お前達はいったいどこの部隊なんだ?」「北京から来た保安隊です」

「北京から来た保安隊?   すると何か。これから宛平県城へでも入ろうというのか?」
「そうです。そして二十九軍と交代するんです」

「ハーテ、これはいよいよもっておかしいぞ。保安隊が二つも出来ちゃった。
そしてこの死んでる兵や、怪我をしている兵は一体全体どうしたんだ」

「今朝方、私達がここまで来ると、日本軍があの盧溝橋の原ッパから射って来たんです。
それで私達もすぐこの原に散開して応戦したんです。

その時、こいつ達とうとう死んじゃったんです」


「愛沢君!   保安隊といえば僕等が誘導して来た保安隊一つに決まっているのに、
どうしてまたこんなバケモノ保安隊が、朝早くからこういうところにとび出して

来たんだろうなあ!まるで狐につままれたみたいだ。
いずれは中国側が、また例のでたらめの命令を出したんだろうと思うが、

日本側に一言の挨拶もなく、突然こんなところにとび出して来たんじゃ、
そりやあ日本軍に射たれるのが当り前だよ」



「そうですねえ。これから河辺旅団と、それから特務機関の方に
一応電話で連絡をとってみましょう」

ちょうどその時、家の中からヒョッコリとび出して来たのが中島顧問である。
それに続いて周参謀も出て来た。

「やあどうも   −。ところでここにいるこの保安隊ですがねえ。
こりゃあいったいだれから派遣されて来た保安隊ですか?」



「イヤ、それがどうも実にけしからんのだよ。
だんだん聞いてみると、命令が二つ出ているらしいんだ。

君の連れて来ているやつは、正式に冀北辺区保安隊の石友三を経由した命令だし、
ここに集っているやつは従来通り河北省保安隊独自の命令でやって来たらしいんだ。

石友三からの命令なんか、全然知らないといってるんだもの……」
「ハハア、なるほど」

「それにこいつらの指揮官ときたら、情況も任務もまるっきりわかってやしない。
服だけはどうやら保安隊らしくカーキ色の制服を着けているが、外套ったらどうだい。

二十九軍の借り物だか何だか知らんが、全員灰色のを着てるだろう。
これじゃあいくら何だって、日本軍が敵と判断するのが当り前だよ」

「イヤ、だから今も愛沢君や広瀬君と、
こいつらの事をバケモノ保安隊だっていってたところですよ」

「まったくその通りだ。バケモノ保安隊とはよかったなあ。アハハハ……」


つづく

盧溝橋事件58 バケモノ保安隊1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/03 18:34 投稿番号: [557 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
204〜205p

《 七月九日午前九時、私は風順胡同 (フォンシュンホートン) の自邸にある、
冀 (キ) 北辺区保安隊総司令石友三将軍と電話で話をしていた。

「石さん!   僕、寺平です。わかりますか?」
「オオ!   寺平補佐官!   久しぶりです」



「ご家族の皆さん、相変らずお元気でしょうな。忙しい忙しい。
昨日から例の事件でとっても忙しいんです。

昨日は宛平県城で弾の下を潜ってきました。とても得難い経験をしました。
時にお尋ねするんですがねえ。

今日張允栄さんからお話があって、保安隊を宛平城内に入れる事になったんですなあ!
ところがその保安隊は石さんの冀北辺区保安隊だっていうじゃありませんか。

石さんの部下なら、私、一人残らず知っているから非常に好都合です。
隊長はいったいだれが行く事になるんです?   馮寿彰?   それとも羅東初?」



石友三はいつもながらの、少しかすれたような声で答えた。

「ところがそうじゃあないのです。今日宛平城に行くのは先農壇に駐屯している、
河北省保安隊です。隊長は賈と云う営長ですがね。

実は昨日、戒厳令が布かれると同時に、河北省保安隊、
つまり省長馮治安の隷下部隊も、私の指揮下に入れられちゃったんです。

だから私にとってはホンの一時的の部下なんです。
いずれはまた、私の手から離れ去ってしまうべき性質のものなんです」

「ナーンだ。じやあまるで臨時傭 (やと) いみたいな保安隊ですね」
「そうです。全くの臨時傭いです。私はまだ顔も見た事がないんですよ。アハハハ……

もっとも命令だけはシッカリ聴かせなきやいけませんから、
私の司令部から参謀の黄雅山、ホラ!   ご存知でしょう。

この前、酒を飲んで、武家披 (ウーチャーボー) の歌を唱った、
あれを付けてやる事にしました」



雨は依然、降り続いていた。その日の午後一時半ごろだった。

カーキ色の軍服をまとった二百余の保安隊が、北京城の広安門を後にして、
北京街道を西へ、盧溝橋の方へと前進していった。

チャルメラに似て一抹の哀愁味を帯びた喇叭 (ラッパ) の音、
それに歩を合せて進む保安隊の兵隊達。

笠井軍事顧問と広瀬秘書、それに特務機関の愛沢通訳生が、
この一隊の誘導係兼監督役として、部隊と行動を共にしていた。



笠井顧問は自動車の窓から、時々外の雨雲を見上げながら
「この保安隊が城内に入ってしまったら、事件はこれでもうスッカリ片付いてしまう。

張家口に行ってたばかりに、活躍の好機をとり逃がして、僕は実に残念だ!」
とつぶやいた。「まったく惜しかったですねえ!」 と愛沢通訳生が相槌を打った。


「河辺旅団と連絡のために、俺達はここいらから先行しようじゃないか」

「そうしましょう。オイ!   運転手!   部隊を追い抜いて、
それからグッとスピードを出せ。盧溝橋まで先行するんだ 」》


つづく

盧溝橋事件57 日本と蒋介石の対応

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/02 18:27 投稿番号: [556 / 2250]
日本側

戦史叢書 『支那事変   陸軍作戦1』 157〜158p

《 政府においては、九日八時五十分から十時まで臨時閣議が行われた。
この席上、杉山陸相は

「交渉は継続するが、当面中国軍の真意が明らかでなくかつ事件発生以来
不法射撃の絶えぬ不信不遜の態度、

とくに第二九軍の兵力と抗日態度からみて、むしろこの際速やかに適当な兵力
すなわち内地三コ師団をも現地に派遣する必要がある」 と提案した。

これに対し 「内地からの派兵の時機でない」 というのが閣僚一般の意見であった。

たまたま現地では九日早朝に停戦交渉の成立したことが報ぜられたので、
この提案は見送りになった。


次いで十一時から四相会議が開かれ、次の要旨の申し合わせを行った。

(一)   今次事件の原因は中国側の不法行為にある

(二)   われは不拡大方針を堅持する

    中国側の反省によって事態収拾の速やかならんことを希望する

(三)   中国側が無反省にして事態の危機を見るにおいては、

    わが方は適宜迅速に機宜の措置を構ずる

(四)   各閣僚は、いつでも臨時閣議の招集に応ずることのできるよう待機する

(五)   帝国政府の解決方針は、中国軍の撤退、責任者の処罰、中国側の謝罪

    と今後の保障である》



中国・蒋介石の対応

『蒋介石秘録下』   サンケイ新聞社刊   200p

《 九日、四川にいる何応欽 (かおうきん) にたいし、
ただちに南京へ行き、全面抗戦にそなえて、軍の再編に着手するよう命令、

さらに廬山にきていた第二十六路軍総指揮・孫連仲 (そんれんちゅう) にたいしては、
中央軍二個師をひきい、平漢鉄路で、保定あるいは石家荘まで北上するよう指示した。

また、山西省の太原、運城方面の軍を河北省石家荘に集結させるよう指示した。
同時に、軍事関係の各機関には、総動員の準備、各地の警戒体制の強化を命じ、

河北の治安をあずかる宋哲元には、次のような電報を打ち、決意と警戒を促した。

『国土防衛には、死をかけた決戦の決意と、積極的に準備する精神をもって
のぞむべきである。

談判については、日本がしばしば用いる奸計を防ぎ、
わずかでも主権を喪失することのないのを原則とされたい 』》



*   宋哲元に打電とあるが、宋哲元はまだ田舎の楽陵にいて北京に戻っていない。
   戻ろうともしていない。

   日本は、軍を派遣すべきかどうか、検討しているが、中国はすでに軍を動かしている。

つづく

盧溝橋事件56 桜井顧問の救出

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/01 18:24 投稿番号: [555 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
202〜203p

《 桜井顧問は昨夜以来、宛平城の中で
  −   今晩こそ日本軍が、この城に夜襲をしかけて来るに違いない。

夜襲しないとしたら、明払暁には必ず攻撃して来る事が判断出来る。
しょせん俺の命はあと数時間限り。−

と考えて、悲壮な決意の下に、いままでの交渉経過や中国軍の動静など、詳細
手帳に書き認 (した) ため、これをポケットに突っ込んで死後の報告書として準備した。



八時を少し過ぎたころである。部屋の外が急に騒々しくなってた。
荒々しい中国語で、何か盛んにどなっている声が聞えてくる。

顧問は耳をそばだてた。どうも聞きなれた中島顧問の声によく似ている。

「これはいったいなんのための歩哨だ!   着剣なんかして。
やはり桜井顧問はこの中に監視されてるじゃないかッ!」

「イヤ決して!」
「弁解はいらぬ。退れッ!   そして脱 (と) れ剣!   無礼者めがッ!」

そういってドヤドヤ入り込んで来たのは中島顧問、周参謀、林耕宇の一行だった。



「ヤァ!」「ヤァ!」   互いに顔見合せて双方とも、言葉がちっとも出て来ない。
「よう城内に入って来られましたなあ!」

「イヤ、入るよりもなによりも、僕はもう十中八九、君は殺されているものと判断した。
どうか僕の任務が、君の死体引き取りという事にならなければいいがと、

そればかり心配しとったんだよ」



こうして両顧問は、昨夜来からの撤退協定について語り合った。

「   −   そこでタッタ今、僕は独断をもって十時半までまけてやったところさ。
いまからこの事を河辺閣下のところまで連絡に行かなきゃならん」

と中島顧問がいう。「そうですか。じやあ私もそこまで一緒に行きましょう。
何よりもまず、両軍の射撃を止めさせなきゃあいかん。

昨日この方、私も旗振りの要領が大分上手になってきましたタイ!」

両軍事顧問、それに周参謀は、並んで軒端に突っ立った。雨垂れが.バシャバシャ
落ちてくる。一行はそれぞれの自動車に分乗して宛平城を出発した。



そのころ、戦闘は雨の中でなお依然として続けられていた。
日本軍は京漢鉄路の路盤によって、また中国軍は宛平城の城壁によって、

相対峠している。顧問一行は両軍の間を、白旗振り振り射撃中止を勧告して歩いた。

桜井顧問は長豊支線の線路上から城壁上の中国兵を振り返って射撃を制止し、
さらにこんどは日本軍に向って大声で射撃中止を勧告した。

その正面はちょうど一木大隊の第一線だったが、大隊は大隊長の命令一下、
ピタリと射撃を中止し一方、中島顧問は一文字山の方に回って、

これまた木原大隊の射撃を中止させ、そこから逐次盧溝橋の駅舎にある
旅団長河辺少将のもとにおもむいたのだった。



今朝ほどまで騒々しかった戦線は、次第次第に鎮静に返って、
いまではもう銃声一発聞えてこない。

雨も次第に小降りになってきた。
あたかも戦闘の小康を物語っているかのようである。》


つづく

盧溝橋事件55 中島顧問現地に向う3

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/31 18:37 投稿番号: [554 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
201〜202p


《 中島顧問はまず真ッ先に 「団長!   桜井顧問は今どこにいますか?」 と鋭く尋ねた。
吉団長は落ち着いた態度で 「アア桜井顧問ですか。顧問はあちらの方で休んでおられます」

「何?休んでいる?   あなたがたは軍事顧問を監禁なんかしてやしないでしょうな」

「監禁なんてとんでもない。決してそんな事はしてはいません。
十分気をつけて保護しております。何ならすぐそちらの方にご案内致しましょう」

「じゃぁそうして下さい。その前にもう一つ団長にお話する事がある。日華両軍、
停戦協定が成立したんです。周さん!   これはあんたの口から、詳細に説明して下さい」



周参謀は持前の茶目気分で、協定成立の経緯から撤退の手段方法に至るまでを、
身振り手振り沢山に、詳細かつ早口に説明した。

吉星文は腕の時計を眺めながらいった。

「九時撤退といえば、あともう五十分しかありません。
雨も大分降っておりますし、荷物の運び出し、その他に相当時間がかかります。

ギリギリのところ、あともう一時間半ばかり延ばしていただきたいもんですなあ。
実際問題として九時までというのは、すこぶるむつかしい問題なんですが」

すると周参謀 「でも九時という時間は、北京ですでに協定済みの時間なんだから、
いまさら変更という事になると、もう一遍日本軍の方に行って掛け合って

こなければならないんです。そんな事してたらますます時間が間に合わなく
なってしまいますよ」 と一人で気をもんでいる。



  中島中佐は小首を傾けて、しきりに仁丹髭を捻っていたが
「そういえばもう八時過ぎだなあ!   よろしい。僕が責任を負って承認する事にしよう。

一時間半だね。十時半になってからまたまた延期だなんていったって、今度は僕が
承知しないぞ。一時間半だけ、僕が独断で日本側に何とか連絡をつけて上げよう」

「それだけやって頂けたら結構です」「しかしそれはそれだ。中国軍としてはそんな事を
当てにする事なく、出来得る限り迅速に、いまから早速撤退準備に取りかかんなさい」



林耕宇がそれを吉星文や金振中に通訳している間に、中島顧問はもう起ち上っていた。
「サア、話が決まったらこんどは桜井顧問だ。だれか桜井の居る所を案内してくれ!」》


つづく

盧溝橋事件55 中島顧問現地に向う2

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/30 18:26 投稿番号: [553 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
200〜201p


《 中島顧問は、林耕宇と周参謀を伴って、秦徳純邸の応接室を出た。
その出会頭に鼻突き合せたのが問題の三十七師師長馮治安中将である。

「ヤア!   これは馮師長!   実に都合のいいところで出会った。
僕等はいまから盧溝橋に停戦指導に出かけるところです。

日本側は河辺旅団長も行っているんだから、馮さん、あなたも是非私と一緒に現地に
出かけなさい。あなたが現地で命令一つ下しさえしたら、今度の問題なんか一遍に解決だ。

こりゃいい人に出会った。アア!一緒に自動車に乗ろう。来なさい来なさい」
中島顧問は馮治安の袖をとらえて、懸命に車の方へと引張った。

しかし馮治安はニコリともせず
「私、今非常に忙しいのです。放して下さい。放して下さい」

ほとんど振り切らんばかりにして中島顧問から離れると、
歩度を速めて一散に応接室の方へ逃げ込んで行ってしまった。



中島顧問と周参謀、それに林耕宇ともう一人、三十七師の上校参謀を乗せた
二台の自動車は、まっしぐらに宛平県城さして走って行った。

西五里店の原に出たころ、戦線の方からはポコーン!   ポコーン!
次第に銃声が聞え始めてきた。

宛平城の東門は、鉄扉が堅く鎖されていたので、一行は迂回して城壁の北側伝いに、
西門の方へと進んで行った。鉄橋の方向で突然激しい銃声が始まった。

「ストーップ!」 一行は車からドヤドヤと跳び降りた。
「まだ射撃してやがる。白旗を出せ!   白旗を!」 そうどなったのは中島顧問である。

林耕宇が眉に皺を寄せながら 「どうも困りますねえ。あれはみんな日本軍の射撃ですよ……」
言いも終らず中島顧問 「何ッ?   日本軍か二十九軍か、この高いところに上ってよく見ろ!

無責任な出まかせをしゃべると、この俺が承知しないぞッ!」
顧問の一喝!   林耕宇は青くなって縮み上った。



周参謀は勇敢に長豊支線の線路上に駆け上って、白旗振り振り大声にどなった。
「射っちゃいかぬ。射っちゃいかぬ。師長の命令だ。射っちゃいかぬ。射っちゃいかぬ」

打ち振る度に白旗がハタハタと、心地よい音を立てる。

「もういいでしょ。早く宛平城に入りましょうよ」 林耕宇と上校参謀とは、
早く城内に入ろうとそればかりを焦っていた。



ようやくにして射撃は鎮静におもむいた。一行は宛平県城の西門を入って、
まず営本部に吉星文団長を訪ねて行った。

本部では金営長やその他の幹部連も集まって、しきりに会議の最中らしかったが、
一行が入って行くと、まず吉団長がスックと起ち上った。

周参謀の説明によって一行が和解調停の任務をもってやって来た事を知ると、
団長は領きながらにこやかにこれを迎え、手を差し伸べて握手を交した。》



つづく

盧溝橋事件55 中島顧問現地に向う1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/29 16:03 投稿番号: [552 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
198〜200p

《 日支両軍撤退の円滑を図るため、双方二名ずつの代表を現地に派遣し、
実地指導と行動の監視をすることになり、

日本側からは事件発生当時張家口におり、急遽北京への途を急いでいた二十九軍
軍事顧問中島弟四郎中佐とこれと同行していた二十九軍の周思靖参謀とは、

北京西直門駅でそれぞれ連絡をうけ、同駅から秦徳純市長からの迎えの自動車によって、
まだほの暗い九日の朝方、西直門をくぐってまず秦市長邸に入った。


ここも昨夜以来一睡もしていないらしい。机の上は一杯取り散らかされ、
地図は広げられたまま放りっぱなしにされていた。

部屋の中はムッとするくらい、煙草の煙がもうもうとしている。
中島顧問が入って行くと、秦市長はニコニコしながらもあわてて地図を裏返しにし、

「お帰り早々大変ご苦労様です。いまからもう盧溝橋にお出かけなんですか。
とにかく、早く事件が解決するよう、何分ご尽力をお願い致します」

中島顧問は、性格極めて明朗闊達、一見大久保彦左衛門を偲ばせるような、
直情径行の人柄である。



「大丈夫ですよ。お互いが誠意をもって交渉しさえすれば、決して拡大する
ことなんかありません。安心して一切を私達にお委せなさい。

だがまず第一に秦さん!   顧問に対して地図を匿すなんて何事です。
そんな事していたら事件はますます拡大しますぞ。

お見せなさいお見せなさい。いかにして二十九軍をよくしようかと、
そればかり考えて努力している我々に対し、匿し立ては一切ご無用!」

顧問はそういって地図を表側にひっくり返した。

「ハハア、なるほど、この青鉛筆が二十九軍ですな。
八宝山には三十七師の主力が出ていますね。

三十八師は南苑から、まさに豊台の虚を衝こうという態勢をとって
いるじゃありませんか。この矢印は確かそうなんでしょう。

いかんいかん!   こんな図を描いているようじゃ、いつまでたったって
事件の解決は出来ませんぞ。いやしくも不拡大な標榜する以上…‥」



「いえ、決してそういう意味じゃないのです。もし日本軍から攻勢に出られた場合、
二十九軍はいかなる態勢をもってこれを防ごうかという研究をしていたのです」

「イヤ、そういう釈明は信ぜられません。考えてもご覧なさい。
いま、華北に日本軍がいったいどれだけいると思いますか。

虫眼鏡で見なければわからないほど僅かな日本軍に対して、
あなたの方がこういう大袈裟な騒ぎ方をするもんだから、

日本軍はますます戦備を整えなければならなくなるんです。

ともかく、私はいまから現地に行って問題を解決してきますから、
その間に決して別の部隊を動かすような事をしてはいけませんよ。いいですか」

子供に教え諭すようにして念を押した中島顧問は、
林耕宇と周参謀を伴って、秦徳純邸の応接室を出た。》


つづく

盧溝橋事件54 参謀本部処理案を作成

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/28 15:02 投稿番号: [551 / 2250]
戦史叢書 『支那事変   陸軍作戦1』
156〜157p


作戦班の大部の者は、八日夜、第一部長の指示により参謀本部に泊り込んで、
事件に緊急対処できる態勢で待機していたが、

九日早朝に次のような第三課案 「北支時局処理要領」 を作成した。

     方   針

  事件ヲ努メテ 平津地方ニ限定シ 速 (すみやか) ニ同地方ヲ 確保シ 之カ 安定ヲ企図ス

     要   領

一   事件不拡大ノ方針ヲ以テ進ムモ   支那側ニシテ我軍ニ対シ   挑戦的態度ニ出ツルニ

   於テハ   支那駐屯軍ニ 所要ノ兵力ヲ増加シ   我ニ敵対スル支那軍ヲ

   平津方面ヨリ駆逐シ   北支那ノ安定ヲ企図ス


    外交交渉亦此ノ方針ニ準拠ス

二   若シ抗日実力行為カ   中南支ニ波及スルコトアルモ   陸軍ノ出兵ヲ行ハサルヲ

   主義トス   但シ所要ニ応シ   山東方面ニ出兵シ   居留民ヲ保護シ我権益ヲ確保ス


  これは八日の 「時局処理要綱」 案とほとんど同文で、若干の字句を修正した
ものである。しかし所要兵力量は異なる。作戦班は

「北支ニ在ル   第二九軍 並 (ならび) ニ中央軍ノ北上スル場合   之ニ対応スル兵力トス

後方ハアマリ推進セス   概ネ永定河、白河ノ線ヨリ遠ク   前進セサル場合ヲ   基礎トス」

として検討した。


  八日の案では、関東軍から独立混成旅団二、飛行中隊四、鉄道大隊、自動車中隊等を、
朝鮮軍から歩兵四大隊基幹の混成部隊、内地から飛行中隊一六、野戦重砲兵旅団、

山砲兵聯隊、戦車大隊等の腹案であった。しかし、第三課としては、
事件の早期現地解決に疑問を抱いていたことや武藤課長が武力行使も

やむをえないのではないかとの積極的意図を有していたので、
一夜の検討により所要兵力量は増大した。

すなわち、前記関東軍の部隊は変わらず、朝鮮軍からは一コ師団、
内地から三コ師団をもって平津地方の中国軍を駆逐、

状況により山東方面に二コ師団を充当する腹案であり、
中・南支には派兵しないという強い考えであった。

航空兵力については、作戦班長寺田済一中佐(28期)の強い意見により、なるべく
強大な兵力をもって一挙に敵航空の撃滅を図るという考えで兵力量が算定された。

この 「北支時局処理要領」 に連帯を求められた第二課は、兵力の派遣に強く
反対していたので相当の問題があったが、ついにこれに同意した。



第三課はまた陸軍省軍務、軍事両課とも検討し同意を得た。しかし文面はともかく
として、そのねらいや解釈については硬軟柔剛が対立し甲論乙駁の論争があった。

この討議の際、田中軍事課長は 「この際徹底的に禍根を芟除 (さんじょ) するため、
梅津・何応欽協定を第二九軍に適用するか、または永定河を去る二〇支里の地区に

支那軍を退ける」という意見、つまり満州国に隣接して緩衝地帯を作ることを主張した。
武藤作戦課長も同様の希望を有していた。

これに対し柴山軍務課長は、極めて局限した小範囲の条件を主張し 「この際領土的
もしくは満州国の拡張というような意見は持つべきでない」 と主張している。》



注   「平津地方」 とは北京・天津地方の事。

   当時、中国の首都は南京だったので、北京は北平とされていた。
   そこで北平・天津地方   略して   平津地方   となる。

   芟除 (さんじょ)   :   刈り取り   除く   こと

盧溝橋事件53 林耕宇に連絡

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/27 18:36 投稿番号: [550 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
197〜198p

《 私はすぐ、林耕宇の所に電話をかけた。
「いま盧溝橋の情況はどうなっているのか?」 と突っ込んで訊ね

「タッタいま、日本軍第一線からの報告によれば、
日本軍は午前五時、正々堂々撤退を開始したにもかかわらず、

中国側はこの撤退を退却とでも誤認したのか、
かえって猛烈な射撃を浴せかけて来た。

日本軍はやむを得ず反転して中国軍に対し、
反撃を加えなければならない状態に立ち至ってしまったのだ。


いったいどうして君達は、こんなでたらめな事ばかり仕出かすんだ?
今朝ほどの協定、あれは決して単なる一片の空手形じゃないんだぜ。

第一線の日本軍は、あの協定を評してインチキ協定だと猛烈に憤慨しとるんだ!」
とどなりつけた。

すると彼は 「おかしいですなあ!   そんな事は絶対ないはずなんですが、
一応連絡をとって調べてみましょう」 と電話を切った。



それから二十分ばかりたって電話がかかってきた。林耕宇からだ。
「誠に申し訳ありません。実はすみやかにあの協定を宛平城の金振中に伝えようと思って、

いろいろ工夫したんですが、軍用電話は切断されて役に立たんので、
鉄道電話を使って豊台駅を呼び出し、豊台から駅員をやって宛平城内に伝達させたのです。

ところが雨が降ったため道は悪いし、ことに宛平城付近は両軍交戦の真っ唯中なので、
連絡の者がどうしても城内に入る事が出来ず、

そのため一文字山の手前から再び豊台に引き返して来て、
タッタ今、豊台駅から電話がかかり、

今朝ほどの命令は宛平城内には伝達出来ませんでした、といって謝まって参りました」



「だからいわぬ事じゃない。いくら日本側が真剣になって円満解決に骨を折っても、
中国側がそんな無責任なやりっ放し主義じゃ、事件はますます拡大して行く一方じゃないか。

両軍首脳部が不眠不休でこしらえ上げた、重要協定を、
名もない一匹の男に持たせてやるという、

その事自体がそもそも大局を誤ってしまう根本なんだ。全責任は当然君達の方にある。
しかしいまどきそんな事をぐずぐずいってたって仕方がない。

即刻、第二段の処置を講じ給え。
日本軍は十五分もあれば、第一線の敵兵にまでも命令の徹底が出来るのだ。

いくら雨が降ったからといったって、
もう少しテキパキやってくれなくちゃ困るじゃないか」



私は取りあえず事のおもむきを松井機関長に報告し、
改めて電話連絡で中国側と、協定の建て直しを交渉した。

そして中国側の申し出でに従って、撤退時間を午前九時という事に決定した。》


つづく

盧溝橋事件52 機関は二十九軍の親戚かッ!

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/26 18:31 投稿番号: [549 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
196〜197p

《 私はその時、北京の特務機関でちょうど顔を洗っている最中だった。
給仕の杉沢がやって来た。

「補佐官殿!   お電話でございます。豊台の旅団司令部から参謀の方らしゅうございます」
「よしきた。すぐ行く」

  私は電話口に立った。ガンガン破 (わ) れ鐘のような声が受話器に響いて来る。



「午前五時を期して日華両軍、永定河の両岸に一斉に撤退を開始するなんて、
あんなインチキ協定は、いったいだれが結んだんだ。

現在日本軍は協定通り、立派に撤退を開始しているんだ。
それなのに中国軍は退るどころか、かえって猛烈な射撃を浴せてきやがった。

いったい貴公ら特務機関のする事なんか、
もうスッカリ二十九軍になめられ切っているじゃないか。

やれ不拡大だ、やれ和平交渉だ、偉そうな事ばかり言いやがって、
事毎に軍の作戦行動を妨害している。

もう戦争が始まってしまった今日、特務機関なんか必要はないんだ。
貴公等も第一線に出て来て戦争をやれよ。

北京特務機関なんてもともと二十九軍の親戚じゃあないのか!
こういう言語道断な不信行為をあえてした以上、

旅団は断乎、今から宛平城を攻撃するッ!   今後は一切、貴公等のご厄介にはならぬ。
軍の行動には絶対嘴 (くちばし) を容れてくれるな!」 電話は荒々しく切られてしまった。



相手は私と士官学校の同期生鈴木京大尉である。
いかにお互いの気易さからとはいえ、これはまた何という暴言だろう。

もうこうなってしまったら仕方がない。
中国側がそういう瞞 (だま) し射ち的態度に出るのなら、我々も匙 (さじ) を投げた。

後は自然の成り行きに委せるより他はない。
私がなかば捨て鉢的気分になって起ち上ったところに、

また、別の電話がかかって来た。天津軍司令部の鈴木嘉一少佐からだ。



「いよいよ撤退の時間になりましたね。
いまごろ現地ではもう、両軍それぞれ新しい配置に向って行動を起している事でしょう。

唯、先程もお話したように、協定の実行を監視するということが、この際何より大切です。

旅団の方に対しては、別に私からも要求しますが、二十九軍側に対しては君の方から一つ、
万々間違いのないよう資任ある指導を要求して下さい。

とにかく、いま中央も、それから軍も、打って一丸となって不拡大に邁進している
一番大切な時ですからね。中国側もあくまでこの方針に同調させなくちゃいかん。

くれぐれも一つ、この点お頼み致しますよ」



私はこの一語によって、心境に翻然、一大変化を来した。

そうだ。我々は今、国家の重大危局に直面しているのだ。
さすがに軍司令部は常に大局に着眼し、

国家全面的の立場から物事を考えているから、このように冷静なのだ。
第一線の将兵は、身をドンドンパチパチの渦中に投じているから、

自然猪突盲進に陥り易い。我々までがそうした心理で二十九軍に突っ掛って行ったんでは、
国策だろうがなんだろうが、一遍でブチ壊しになってしまう。

そうだ。俺は依然不拡大主義で一貫しよう。
あくまで不拡大工作の奴隷になって折衝を継続するんだ!》


つづく

盧溝橋事件51 中国軍の停戦不履行

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/25 18:44 投稿番号: [548 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
194〜196p


《 雨がシトシトと降っていた。
一木大隊も木原大隊も命令に基いて、それぞれ兵力の集結にとりかかった。

堆土の脇から、線路のほとりから、兵隊がチョロチョロと現われて、
いずれも後方へ後方へと下り始めた。


突如、ドカーン!   すぐ目の前に、物凄い火柱が立った。
敵の迫撃砲弾が、一文字山陣地の一角に落下したのだ。

これを切ッ掛けとして、小銃弾、砲弾、ゴッチャ混ぜにした篠 (しの) つくような
猛射撃が、宛平城の敵から浴せられて来た。

殷々轟々、戦線がにわかに活気を呈し始めた。


「オイ!   これはいったい、どうした事なんだ?」
「やつら、日本軍が退却し始めたくらいに勘違いしているんじゃなかろうか?」

とたんに 「集合待てッ   各小隊は元の位置に戻って敵情を監視せよ!」 中隊長からの
命令が敵兵線に逓伝 (ていでん) されて来た。兵は駈歩で再び元居た場所に戻って行った。

「完全に中国側から瞞 (だま) し射ちを食ったな」
「全くだ。今度という今度こそ、連隊長殿もきっと怒っておられるに違いないぞ」

敵弾は依然、頭の上をビューン!   ビューン!   飛んで行く。


「オーイ!   衛生兵!   衛生兵はいないか!   松井少尉殿が負傷された!」
「何?   小隊長殿が?」 兵の憤激はいよいよ昂 (たか) ぶって来た。

「小隊長殿!   分隊は射撃を開始しますッ!」
「待てッ!   射っちゃいかぬ。俺が命令するまでは一発も射っちゃいかん!」

身は傷つきながらも乱弾の下、闘志にはやる部下を制し、
一発の応射さえもあえてさせない松井元之助小隊長の苦衷、

実に不拡大に徹した軍紀厳正な部隊といわなければならぬ。



本部通信所では、その時盛んに電話のベルが鳴らされていた。
牟田口連隊長自らが受話器をとっているのだ。

「旅団長閣下でございますか。私は牟田口でございます。
ただいまの戦況をご報告申し上げます。

連隊は協定の趣旨に基きまして、午前五時、盧溝橋駅に終結を始めました。

ところが中国軍は撤退を肯 (がえ) んじないばかりか、宛平城の城壁から、
逆にこちらに対して猛烈な火力を浴せかけて参りました。

まだ、相変らず射ち続けております。そのため味方には戦死一名、
負傷はいままでに報告があっただけでもう三名も出ております。


中国軍としては、こういう事は常套手段かも知れませんが、
実に言語道断、横暴極まる遣り方です。

理屈は抜きと致しまして、敵を沈黙させるため、歩兵砲の全力をもって
制圧射撃を加えたいと思いますがいかがでございましょうか?」



「城内にはまだ住民がいるんじゃないか?   それから桜井顧問あたりも……」

「ハアおります。そこで主として城壁に対する威嚇射撃を行なって、
城内には射ち込まぬよう努めたいと思いますが……」

「よろしい。その点だけわかっていてくれたら一切は君の裁量にお委せする。
十分注意してやってくれ給え」


つづく

盧溝橋事件50 攻撃停止命令来る

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/24 18:25 投稿番号: [547 / 2250]
一木大隊は永定河を渡って東岸に引揚げ、連隊長と会った。
連隊長は翌朝の宛平城攻撃を指示した。

これは補佐官が話をつける前の事だが、長くなるので、その部分省略。
続きは、「兵の引き離しの話がついた」 との 連絡が来たところから。


寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
193〜194p

《 その時である。河辺旅団司令部から牟田口連隊の本部に対し、作戦命令甲第六号が、
筆記電話をもって伝達されてきた。

「旅団命令であります」 河野又四郎副官の一語に、牟田口連隊長、
森田中佐の面はサッと緊張した。

「命令を読みます。旅団命令   七月九日午前三時   豊台において」

折り柄の風にカンテラの火が軽くまばたく。副官は持ち前の訥々 (とつとつ) と
した言葉で、一語は一語より力強く朗読を続けた。



一、二十九軍首脳部は軍の要求を容れ、午前五時を期してその部隊を、
   宛平城内より永定河右岸に撤退せしむる事を確約せり。

二、旅団は盧溝橋駅付近に兵力を集結し、中国軍協定履行の確否を監視せんとす……


「また命令の変更だ!   払暁攻撃の計画は中止せにゃいかん!」
牟田口連隊長が疳 (かん)走った声で叫んだ。

森田中佐も残念そうに 「そうですなあ! 準備は全部整ってしまったのに、
この命令じゃ またまた中止しなければなりません」

連隊長は、まだ読みも終らぬその命令を、副官の手から奪うように取り上げると、
眉の間に皺 (しわ) を寄せ 「政策とからみ合った戦争はいつでもこれだ。

純作戦上の要求が事毎に政策のために抂 (ま) げられてしまう。
しかしまあ、不拡大という方針からいえば、これもまたやむを得まい。

ことに相手が無条件で引き退るという事だったら、
大局上からは大いに喜ぶべき現象だからなあ!」



全くその通りである。
折衝機関としては、この協定の締結は、なるほど成功と言い得るかも知れない。

しかし戦闘を本然の任務とする第一線部隊にとっては、こうした情勢の急変、
命令の変転は、実に迷惑千万であって、それがいかに忍び難い苦痛であるかは、

およそ当事者以外には、到底窺 (き) 知し得ない心境であろう。
旅団命令には、さらに次のような内容が示されてあった。



三、歩兵第一連隊は、午前五時、「射ち方止め」 の喇叭吹奏と同時に、
   一部を一文字山東側に留め、主力は盧溝橋駅付近に集結すべし。

四、中国軍の撤退に際し、これに敵対行動をとり、
   また宛平城内に兵を進むることは厳にこれを禁止す
    云々。



第一線の将兵が、手ぐすねひいて待ち構えた攻撃前進の命令は、こうして遂に
下されることなく、それに代って部隊集結のための命令が下されてしまった。

「ナーンだ。攻撃じゃなくて回れ右か!」   「敵はまだ相変らずポコンポコン射ってる
じゃないか。中国軍が約束通り撤退するなんて、そんな事があり得るもんか。何が確約だい!」

夜はほのぼのと明けはなれてきて、いよいよ九日の午前五時になった。
協定による両軍一斉撤退の時刻である。》


つづく

盧溝橋事件49 特務機関での交渉2

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/23 18:22 投稿番号: [546 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
188〜189p

《「ヤア寺平君ご苦労様です。そこで停戦交渉の件ですがねえ。
軍司令部から天津市長張自忠を介して秦徳純と交渉した結果、

盧溝橋の二十九軍は今日、午前四時を期して撤退させる事に意見がまとまったんです。

これに伴って北京特務機関には、また実地指導の細部をやっていただかなければ
ならなくなりますから、取りあえずお知らせしときます。

タッタいま、張自忠のところから電話がかかって来たばかりなんです」

「そうですか。その事について実はいま、秦徳純の代表として、張允栄が特務機関に来て、
いろいろ相談しているところです。ついでにお尋ねしますが、

撤退の付帯条件として中国側は何とかいっていませんでしたか?
たとえば一部の兵力を城内に残置するとか、

あるいは交代に保安隊を導入するとか、そういったような事は?」
「いいえ。細目なんか何もありませんよ。ただ、午前四時撤退という事をいって来ただけ」



私の傍に立った機関長は 「そうか、無条件で撤退を承認したという事は結構だが、
しかし待てよ。 この交渉は張允栄と張自忠と二筋道からやっている関係か、

一向歩調が合っていないようだな。どうれ。俺が一つ参謀長に直接掛け合ってみよう」
機関長は自ら電話口に立った。そして軍参謀長橋本群少将と通話し始めた。

「……ハア、そうなんです。
張允栄はそれを秦徳純の意図として熱心に申し出ているんです。

それは問題ありませんが、保安隊の方ですねえ。いますぐというわけでもないようです。
ハアそうです。張允栄の面子もありますからなあ。じゃあそういう事にして〜」



その時また軍から電話がかかって来た。航空参謀塚田理喜智中佐からだ。
「さきほど鈴木嘉一少佐から連絡した二十九軍撤退の件ですなあ。

あれが少々変更されましたからお知らせ致します。

その第一項は馮治安の希望によって、午前四時の撤退は実行困難だから、
午前五時に改めてくれというのです。

これは参謀長もその通り認可されましたから訂正しておいて下さい。

第二項は、竜王廟の北方地区に出て来た三十七師の一部ですなあ。
これはその北方、衙門口 (ヤーメンコ一) に撤退させる事になりました。

第三項は、これは日本側としての実行条件ですが、
我が軍は、中国側がこの誓約を確実に実行したならば、

天津方面から盧溝橋に向ってする軍隊の移動、
並びに弾薬類の輸送は、即時これを中止するという事です」



張允栄はそれから間もなく帰って行った。
特務機関と豊台との間では、電話連絡が引ッ切りなしに行なわれた。

電話は軍用線に中継されて、盧溝橋の停車場とも連絡が出来るようになっていた。

今、もう七月九日の午前二時半、いつのころから降り始めたか、
外には雨がシトシトと落ちていた。》



*   一応、これで、「兵の引き離し」 の話はついたようであるが、
   複数の方面から行われた交渉で事態がややこしくなる。

   日本本土は、これを停戦成立・和平成立と言っているが、
   本当の成立は、これからの交渉以後。


つづく

盧溝橋事件49 特務機関での交渉1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/22 15:17 投稿番号: [545 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
187〜188p

《 事件勃発直後、北京特務機関増援のため、
天津軍司令部から急遽派遣を命ぜられてとんで来た、軍参謀和知鷹二中佐は、

その夜特務機関の二階の一室に泊り込んでいた。秦徳純公館から帰った私と
あれこれ話していると外交顧問部の松尾隆男秘書がやって来た。



「補佐官殿!   ただいま玄関に張允栄 (ちょういんえい) が参っております。
機関長殿と補佐官殿に、至急お会いしたいって申しますので、

取りあえず大応接室の方に案内しておきました……」
私は反射的に腕時計を見た。 まだ一時を十分過ぎたばかりだ。

−   午前三時という約束が、これはまたえらい早くやって来たじゃないか。
私は応接室の扉をグンと押し開けた。

卵色に輝く電燈が、部屋一杯に和やかな光芒を投げかけている。
「ヤア!   張さん!   ご苦労様でした」 機関長と和知参謀、

それに私は張允栄を囲んで腰を下した。
張允栄は日ごろの重い口調で訥々 (とつとつ)と して話し始めた。



「先程補佐官からお申し出のありました件について、
秦市長の代理としてご連絡にお伺い致しました。

結局、秦市長としてもこういう情勢になった以上、如何とも致し方あるまいから、
とにかく撤退はさせようという事に話が決まったわけですが、その実施の方法について、

なお、一、二機関の方のご了解を願わなければならない点がありますので、
一応機関長のご意向をお伺い致したいと存じます。

その一つは、部隊撤退に際して一ケ小隊だけ残置する事を認めていただきたい。
これは決して戦闘の用にあてたり警戒に任じさせたりする意味合いでなく、

城内には相当多数の死傷者がありますので、それを整理したり手当てしたりするために、
どうしてもこれだけの兵力を残置する事が必要と考えられます」



機関長は暫く考え込んでおったが、やがておもむろに反問した。
「いったいその死傷者の数はどのくらいです?」

「サァー・ハッキリした事はよくわかりませんが、
何でも七、八十から百くらいはあるという話でした」

すると和知参謀がいった。
「そんな事いって残さしたら限りがないですよ。

どうしても残すというんなら、五十人なら五十人と、キッパリした数を限定して、
しかもそれらはスッカリ丸腰にして残させるんですなあ!

死傷者を整理するのに剣や鉄砲はかえって邪魔になるでしょうから!
そして半日もかかったら立派に整理が出来ちゃいますよ」

「マア今、和知君のいわれた程度だったら承認しましょう」
松井機関長はジーッと張允栄の顔をのぞき込んだ。



「概略、それだけご承認頂けたら、秦市長も別に異存はなかろうと思います。

つぎに第二の問題は、部隊が撤退してしまうとその後、
宛平城内の治安を維持する者がなくなってしまいます。

そこで部隊と入れ替りに、北京から約五百名の保安隊を入城させたいと思うんです。
もちろんその保安隊の素質だとか装備だとかは、十分吟味して派遣するつもりですが」

それは多すぎる、百名程度だったら承認しようと、議論しているところに
天津の軍参謀部、鈴木嘉一少佐から電話がかかって来た。》


つづく

盧溝橋事件48 秦徳純との会談5

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/21 14:47 投稿番号: [544 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
185〜186p

《 二、三十分たつと秦徳純が戻って来た。
腰を下すと左手に煙草、右手でマッチをすりながら、

「いま、会議にかけてきたところなんですが……」
そういって煙草の煙を輪にして吹き上げた。

−   すぐに二の句が続かないところを見ると、
どうも結果はあまり香ばしくなかったな。   −

一座水を打ったように静まり返った。重苦しい沈黙が続く。
彼は再び言葉を続けた。



「あなたのお言葉には少しの無理もありません。私個人としてはもう全然異存なし。
ただ、二十九軍としてこれをお受けするのに、いま少し時間がかかるというわけです。

どんな事があっても、第二案には決してしないつもりです。いまもう零時半ですね。
これからもう一度、最後の会議を開きます。

そしてなんとかして、ただいまの第一案を採択する事に努力致します。
ご返事は、遅くも三時までには差し上げられると思います。

どうぞそれまでお待ちを願います」 彼の態度は極めて友好的でありまた協調的だった。
我々も唯、何とは知らず、目先がボーッと明るくなってきたような感じに包まれた。

「よろしい。一か八かだ。戦争になるか妥協が出来るか、
とにかく和戦何れかのふたが午前三時にはあけられるのですね。

あとは一切を挙げて秦市長にお委せいたします。
特務機関に帰って、楽しんで吉報をお待ちいたしましょう」

「どうぞそうして下さい。三時までには、きっと、
張允栄を私の代表として機関の方に差し向けます」



庭には臨時増設の電燈が煌々と輝いていた。 その下をこの真夜中、
二十九軍の将校が軍装厳 (いか) めしく、あわただしそうに往き来していた。

秦徳純は歩きながらも終始ニコニコして、「本当によろしくお願い致します。
お互いはいつまでも堅く手をつなぎ合って行きましょう」

といって私の手をとった。彼はわざわざ、一番表の門口まで、私達を見送って来た。
そしていった。「夜分遠いところを、ご足労煩わしまして本当に済みませんでした」

私と西田顧問とは、再び市長用第三号単に乗り込んだ。
車は静かに動きはじめた。「挙 (チュイー) 槍 (チャン)!」(捧げ銃!)

来た時とはまるで違った気持で、私達は航空署街を後にした。振り返ってみると、
秦徳純は門燈の下に突っ立ったまま、私達の方に対してまだ手を高くあげて振り絞けていた。



内地ではそのころ、外務省発表の公報として、
「寺平、秦徳純交渉は決裂に瀕し、前線は再び交戦状態に入った」 とか、

「寺平、秦徳純交渉は、未だ一縷の望みは存する。
ただし前線では、依然交戦状態が続けられている模様」

といったニュースが、ラジオや新聞を通じて、巷に流されていた。》


つづく

盧溝橋事件48 林耕宇 新聞に嘘を書く

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/20 18:30 投稿番号: [543 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
185p

《 秦徳純は座を起って、会議室の方へ消えて行った。

林耕宇が突然、横合いからその主宰する新聞、亜州日報を私の前に差し出した。
そしていった。「寺平さん!もう今日の記事と写真が印刷出来ましたよ。早いでしょう」

「ホホウ!   これが私の宛平城乗り越えの写真か!
まるで蜘蛛が城壁からブラ下っているみたいだなあ!」

「しかし城外で三人一緒に撮ったこの方は、なかなかよく出来ているじゃありませんか」


「何だって?   至今晨四時許   到達宛平県署   寺平仍堅持日軍須入城捜査

我方未允   正交渉間   忽聞東門外   槍砲声大作   我軍未予還撃鎮静如故

継因日軍砲火更烈   我軍為正当防衛   万不得己   始加抵抗   ・・・


林さん!   これで見るとまるで日本軍が、ひとりで戦争始めたみたいな
書きっ振りじゃないか。これが君の筆だとすると、私の方にも文句があるぞ

ことに私がいつ城内の捜査なんかを要求したんだ?
この内容は全部君の勝手な創作なんだな!」

「イヤ、これはみんな、実情を知らない記者が書いたんですよ。
私だったらこんな嘘は書かないんですが……」

とにわかに狼狽し始めた。


「宛平城内の情況を知ってる記者は、林さん以外にあるはずはないじゃないか。
ことに林さんはこの新聞社の社長さんだ。さっき外交委員会でペン走らせていた。

あれがそのまま、この活字に変ったんじゃないか!」
「ト、とんでもない!   唯、私が要旨を話したのを、記者がまとめたに過ぎないのです。

まとめ方がまずかったもんだから、勝手な枝葉をつけて、こんな誤解を
起しちゃいましてなんとも申しわけありません」 と困った顔だった。

二、三十分たつと秦徳純が戻って来た。》


つづく

*   よく中国側の言い分として、

   “日本軍が 「行方不明の兵を捜索させろ」 と言って、城内に押し入り戦闘になった”

   というのが、ありますが、その原点は、この新聞記事です。

   「行方不明の兵」 は、林耕宇が特務機関にいた時、既に、戻って来たと
   いう報告が入っていますので、議題に成りようがありません。

   実際に議題になっていないのですが、中国側が嘘を訂正しないものですから、
   真実であるかのように思わされる者も出て来るわけです。

盧溝橋事件48 秦徳純との会談4

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/19 18:34 投稿番号: [542 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
184〜185p


《 私はこの話を聞きながら、人情という字、面子という字を指先で卓の上に
書いてみた。!いやしくも交渉内容に人情だとか面子だとか、

こんな問題を持ち込んでくるようになったらもうおしまいだ。
秦徳純が話し終るや否や、私は直ちに反撃に転じた。

「いま、あなたは最後の理由と前提されて、人情論面子論を持ち出してこられました。
しかし今、金振中一個の問題にこだわって、この不拡大交渉が停頓したら、

貴国側は今後、長辛店、保定、石家荘、鄭州、あるいはもっと南の方から京漢線を通じ、
大兵団を続々この戦場に送ってくる事になるでしょう。


また一方、日本軍もこれは放っておけぬと、天津軍の全兵力がこの戦場に
注ぎ込まれる事はもちろん、さらに続いて関東軍が長城線を突破してとび込んで来る。

やがて朝鮮軍や内地師団あたりが続々これに増加して来て戦線を拡大し始めたら、
それこそ東部戦場、西部戦場というような事になり、

つまりは日華両国の全面的衝突という、最も悲しむべき事態にまで、
進展しないとだれが保証出来ますか?



最後に一言、申し上げますが、現地指揮官たる金振中営長は、
この第一案には絶対賛成の意を表しているんです。

すぐにでも実行に移したいが上司の命令がない限りそれが出来ない。
馮師長から実行命令が下りさえすれば、喜んで宛平城を開放し、

率先して和平解決の動機を作り出したいといっているのです。

いわばこの第一案は、日本側一方的の案じゃ決してない。
現地における日華両軍合同作製の案といっても何等差し支えないのです。

残された問題は、この現地案をブチ毀すおつもりなのか、護り立てるおつもりなのか、
唯この一点だけです。   どうかよくよくご考慮になって頂きたい」



秦徳純はとうとう、本当に腕を阻んで考え込んでしまった。
しばらくするとようやく口を開いて、

「ただいまのお話、あなたの条理をつくしたご説明によって、
事件の本質というものが非常によく了解出来ました。

ただ、事は極めて重大ですから、私一個の考えだけでも決定致し兼ねます。
どうかもう暫くお待ち下さい。

いま、別室で、綏靖公署の連中と、二十九軍首脳者とが、会議を開いている最中ですから、
あなたのご意見を、一応みんなと相談してみることに致します」

秦徳純は座を起って、会議室の方へ消えて行った。》


つづく

盧溝橋事件48 秦徳純との会談3

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/18 18:26 投稿番号: [541 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
182〜183p

《 なおついでに、これは第三案というんじゃなくて、
目下の情況に即応するための緊急措置として、

二十九軍から首脳者、とくに三十七師の師長か旅長を、
一刻もすみやかに盧溝橋の現地に派遣していただきたいのです。

その目的は中国軍第一線部隊の無統制な射撃を中止させるためです。
日本軍の方は高級指揮官が現地に至って、すでによく統制を保っていますが、

二十九軍の方は吉団長と金営長が、ともすれば部下に引きずられ気味で、
いまのままではいつまでたっても射撃が止まないばかりか、

ますます拡大して行く一方です。
どうかすみやかにこの措置を講ずるようにしていただきたいのです」



「よくわかりました。そこでもう一遍第一案に関して私の意見を申し述べますが、
宛平城内の二十九軍を撤退させるとして、全部を同時に撤退させる事なく、

一部を城内に残置するという事はいかがですか?   日本側として認めていただけますか?」
「一部〜一部って、いったいどのくらいの兵力ですか?」

「まあ一ケ連ばかり」
「じゃあ申し上げますがねえ。

宛平城内には平時から営本部と歩兵一ケ連、それだけしかおらなかったんですよ。
今日事件が始まってから後、中の島の方からさらに歩兵が一ケ連と、

迫撃砲連が増加して来たのを目撃しました。だから一ケ連残置したら、
それは何も撤退した事にはならないじゃありませんか!」

「じゃあ一ケ小隊」

「一ケ小隊であれ一ケ分隊であれ、城内に残しておく自体がいけないんであって、
これが端緒となって今後どんな不測の事態が引き起されるかわからないんです」



「不拡大という事に対する私の方の考えは、
さきほど寺平さんのおっしゃった日本側のお考えと、完全に一致しているんです。

ただ、立場を異にする私として、
最後に一、二、あなたに聞いていただきたい事柄があるんです」

「承りましよう」
「それは先程林委員からの報告にもあり、

また今日あなたが盧溝橋でまのあたりご覧になった事とも思いますが、
宛平城警備の営長金振中、

あれが非常に立派な態度をとって事件の不拡大という事に関し、
終始誠意をもってあなたがたと歩調を合せてきたという事です」

「その点は確かにこれを認めます。金営長が事件発端当面の責任者たる事は免れませんが、
個人的に非常によく出来た人物である事は、私も賞讃を惜しみません」



「そうでしょう。その金営長に対して上官たる我々が、今まで住み馴れた兵舎を
捨ててしまえ。そして河の西の何もない原ッパへ行ってしまえという事は、

人情上、どうしても命令が出せないのです。
もう一つは彼の面子の問題です。

いま、にわかに後にさがれという事は、金振中が何か悪いことでもしたかのように思われて、
同僚や部下に対し、彼は面子を失墜してしまう事になりましょう。

人情と面子、この二つの点から考えても、これに撤退を命ずるという事は、
我々としてすこぶる心苦しい事なのです。

あなたも軍人です。私のこの気持は、−番よくわかっていただけると思います」》


つづく

盧溝橋事件48 秦徳純との会談2

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/17 18:32 投稿番号: [540 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
181〜182p


《「ではおたずねします。現に金振中営長や桜井顧問が今朝程来、
声を枯らして射撃中止を叫んでいるんですが、

ヤレ日本軍の斥候が出て来ただの、ヤレ中国軍の一部が出撃して来ただのいって、
この地区での射ち合いはいつまでたっても止もうとしないのです。

この点は現地の情況を一度ご覧になったら一番よくわかると思います。
したがって、ただいまおっしゃった西五里店案は、現地の実情に即しない、

姑息な、そしてまた非常に効果不徹底な案なのです」
「そうなりますかなあ!   それで?」


「私のお話する案というのは、決して一方だけに偏しない、即ち中国側だけに
撤退を要求しておいて、日本側はノホホンとしているような案じゃない。

私の方も多数犠牲者を出し、またズブ濡れにまでなってようやく進出した西岸陣地、
これを捨てて東岸に下るというんです。第一線としてはなかなかツライ仕事ですよ。

それというのも不拡大に徹底したい。即ち二十九軍はあくまで友軍であって敵ではない
という信念から、忍び難いところもこの際あえて忍ぼうという考えからなんです」



「しかしそういわれれば、盧溝橋にいる二十九軍だって、
これは昨年九月まで豊台におった部隊なんですよ。

それが豊台事件の時に、前の特務機関長松室少将や天津軍方面の強硬なご意見で、
今の盧溝橋宛平城まで撤退したわけなんです。

それをさらにまた永定河の西まで引き下れといわれるのですか?
河の西は原ッパばかりで、兵の寝泊まりする家なんか一軒だってありはしない」

「家がないって、それは日本軍だって同じことです。宛平城北側の原ッパで
野ざらしになっているんですからお互い様です。

それに私が今述べている撤退案は、永久駐屯とか何とか、
そんな事を意味しているんじゃ決してない。

今日の事件だけを丸く納めるための一時的対策、臨機の措置便法なんです。
この点、よくよくお考えになっていただきたい」



「第二案というのは、いよいよあなたの方で第一案受諾し難しという場合に
起ってくる問題なんです。第一案、いよいよ放棄に決定されますか?」

「ハハハ……まあのちほど、また改めて研究は致しますが、
ともかく第二案の方も一つ伺っておきましょう」

「じゃあお話します。中国軍がどうしても宛平城から撤退しないという事になる。
この際日本軍指揮官としての決心、もちろん宛平城を攻撃するという事になるでしょう。

つまり武力によって中国軍と永定河の西に移動させるというわけですね。
そうなると今日、現に私がこの目で見て来た情況なんですが、

宛平城内にはまだ非常に沢山の住民が住んでいます。お爺さんお婆さん女子供、
王冷斉県長に聞いてみたら優に二千人はいるだろうという事です。



あの罪とがもない一般民衆か砲撃の目標にさらす事は、日本軍としてどうしたって
出来ません。そこであの住民をどこか城外の適当な場所に避難させていただきたいんです」

「それは何時までにですか?」
「あなたの方で第一案を放棄と決定されたら即刻」

「その避難が完了したら直ちに、日本軍は宛平県城の攻撃を開始する、
というわけですな」

「そうです。その攻撃開始の時期がすぐになるかもう少し延びるか、
その点は私にはわかりません。

第一線部隊長がしかるべく決定する事になるでしょうから。」》


つづく

盧溝橋事件48 秦徳純との会談1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/16 18:17 投稿番号: [539 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
179〜181p


《 私は 「今日の突発事件、市長もさぞかしご心痛のことでしょうなあ!」
と挨拶のいとぐちを切った。

「いやいや、補佐官こそ本当に、朝は早くから槍林弾雨の中を縦横に活躍され、
夜は夜で、またこんなに遅くまで、こうした重大な和平交渉に奔走して下さる。
あなたの献身的なご努力には、私達全く頭の下る思いがします」

社交にたけた彼の一言一句と、極めて洗練されたそのゼスチュアとは、
我々の到底太刀打ち出来る相手ではなかった。

しかし私は、こうした言葉の機微の中に、彼が今こちらの感情を
極力緩和しようとたくらんでいる事だけは観破出来た。

私はまず、中国側の情勢に対する認識程度如何が、
あらゆる交渉に先行する要素であると見てとって


「あなたの方には林さんが報告された情況以外、
その後何か耳新しい情報は入っていませんか?」 と打診してみた。

「イヤ、盧溝橋方面の情況については、電信も電話もみんな不通になって
しまったものですから、あれ以来何にも新しい情報は聞いていません」



私はおどろいた。   いやしくも二十九軍最高幹部ともあろう者が、
まるでツンボ桟敷に置かれたみたい。

朝の情報を聞いただけで、それで対策を練っているなんて、
これではとんでもない食い違いを生じてしまう。

「じゃあ軍事にかけては林さんよりも私の方が専門家ですから、
一番新しい現地の情況をお話しましょう」

私はポケットから、盧溝橋付近一万分の一の図を取り出して、
それに両軍午後四時の態勢を色鉛筆で書き込んだ。

秦徳純、林耕宇、喩煕傑、皆が一斉にこの図のまわりに額を集めた。


「ここが宛平城、これが中の島、そしてこれが西岸堤防、
ここに二十九軍が赤鉛筆の通り、陣地を占領しております……」

秦徳純、頭をさすって笑いながら 「ハハア!私の方が赤鉛筆ですか!」
戦術作業では通常、敵を赤、味方は青で現わすことになっている。

私は図上の隊標を指差しながら、現在の戦況についてルル説明を続けた。
そして最後に 「で、情況はおおむねこんなふうなんですが、日本側としては、

冀察との親善関係には絶対ヒビを入れたくない。そこでいま、
その対策について最大の関心をもって細心の考案をめぐらしているところです。

あなたの方も、もちろんご同様の事と思います。そこでこの問題解決のため、
取りあえずの措置として、先程私が外交委員会からあなたにお電話した現地案、

あれを即時実行に移す事が、絶対必要になってきているのです」



「先程電話でお話のありました二つの案ですね。
あの内容についてもう一度、詳細なご説明をお願い致しましょう」

「では申し上げます。
  第一案は日華両軍を永定河の東西両岸に引き下げてしまって、
まず交戦態勢から離脱せしめる。

その上で両国折衝機関が徐ろに和解調停を進めていこうという行き方なんです。
永定河という川は、地形上から見れば大した障害じゃないかも知れません。

しかしそれでも、今日私が見てきたところでは、濁流は胸を没して流れています。
両軍お互い手を出させないという見地からは、
どうしてもこうしたハッキリした境界線が、絶対必要になってくるのです」


「お話途中ですが、私の方が皆宛平城内に入ってしまう。
即ち竜王廟やその他城外には、一切配兵しない。

そして日本軍は戦闘開始以前の態勢、即ちこの西五里店付近の部落に集結、
という事にして、それから今の和解交渉を進めるようにしたらどんなもんですか。

つまり衝突前の態勢に戻すんですね。そうすればやッぱり……」


つづく

盧溝橋事件47 補佐官 秦徳純と会う

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/15 15:48 投稿番号: [537 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
175〜176p


《 いらだたしい気持に駆られた私は、気を鎮めるため機関の裏庭に出て、
テニスコートのあたりをまるで熊のように行ったり来たり歩き回った。

・・・そのとき、機関のタイピストが
「ただいま秦徳純さんのところからお電話がございまして   −   」

とメモを差し出した。私は事務室の窓洩る光で、そのメモを拾い読みした。



「補佐官殿へ   秦市長より (電話) 先程は電話を頂きましたが、
いそがしくて要件を達せず失礼。

遅くなりましたが、さきほどのお話をもう一度お聞きしたいから、ご来駕をこう。
場所は航空署街、秦市長公館。(午後九時四十分受   檜垣)

−   そうか、秦徳純、今ごろ漸く西苑の会議から戻って来たのか!   −。
私は直ちに秦徳純に電話をかけた。そしていった。


「秦市長ですか。私、補佐官の寺平です。 今電話をいただいたので
早速あなたのところへ出かけようと思って、交民巷の出口まで行ったんです。

ところが交民巷は二十九軍でもうスッカリ囲まれてしまって、
私の自動車なんか絶対通してくれません。実に厳重に警戒をしたものですねえ。

仕方がありませんから、あなたの方からどうぞこちらに出かけて来て下さい。
そうすれば松井機関長もおられる事だし、いろいろご相談するにはかえって好都合ですから」

「そうですか。それはどうも失礼しました。じゃあこうして頂きましょう。
実は私の方会議の最中でして、ちょっとも身体が外せないんです。

で私の方からお迎えの自動車を差上げますからそれに乗って、
お出かけ下さいますように」



間もなく北京市長秦徳純の乗用車、プレートナンバー北京第三号、
シボレーの新型が機関の玄関に横付けにされた。

卵色の背広を着た私と、鼠色の服を着た西田顧問とが乗り込む。
車が伊太利兵営の北、交民巷の出口まで差しかかったところ、案の定

「停まれッ!」「だれかッ!」 成る程、これでは蟻のはい出るすき間もない厳重さだ。
七、八名の兵がバラバラッと走って来て車の周囲をとり囲んだ。

運転手がとっさに 「秦市長乗用車!」 と叫んで、窓から外に葉書大の証明書を突き出した。
これを聞いただけで兵達はろくろく証明書を調べようともせず、

彼等はシャチコ張って、車中の我々に捧げ銃をした。
テッキリ私達を北京市長と思い込んだのだろう。


第一の関門を通過した車は、長安街の大通りを西へ西へと疾駆した。
要所要所には、一ケ分隊から一ケ小隊くらいの二十九軍が、

銃剣を閃めかして突っ立っていた。何度も何度も停められて調べられるのが、
うるさいと同時に薄気味悪くもあった。

とうとう一ケ分隊くらいの時には、運転手は車窓に証明書を靡 (なび) かせながら、
「公用車!」 とどなって車をスッ飛ばせた。

・・・

客庁には林耕宇と喩煕傑とが待ち構えていて、
今朝以来もうこれで何回目かの握手を交わした。

私と西田顧問とは入って左側、一番奥のソファーに並んで腰を下した。
そしてボーイの持って来た茉莉花の香り高いお茶に、先ず喉をうるおした。

その時、秦徳純が例の愛嬌タップリの顔付きで、私達のすぐ横の扉をあけて入って来た。
歩きっ振りまでいつもに以合わずいそがしそうでソワソワしている。》


つづく

盧溝橋事件46 参謀本部不拡大の指示

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/14 11:01 投稿番号: [536 / 2250]
戦史叢書 『支那事変   陸軍作戦1』 155〜156p

《 参謀本部は、事態必ずしも軽視すべきでないと見て、八日十八時四十二分、
支那駐屯軍司令官あて、臨命第四〇〇号をもって次の指示を発した。

    指   示

事件ノ拡大ヲ   防止スル為   更ニ進ンテ   兵力ヲ行使スルコトヲ   避クヘシ


不拡大方針決定の考えについて石原少将 (のち中将) は次のように回想している。
不拡大の決心をするため重大な関係をもつものは対ソ戦の見通しであった。

すなわち対支戦争が長期戦となりソ連が対日参戦するようになれば、
目下の日本はこれに対する戦争準備ができていない。

しかるに責任者の中には満州事変のように今度の事変もあっさり片付け得る
という通念をもつ者があったが、これは支那の国民性をわきまえないものである。

近時殊に綏遠事件によって支那側を増長させているので、
事を構えれば全面戦争になると確信していた。



事変が始まると間もなく傍受電により孔祥煕が数千万円の武器注文を
どしどしやるので、支那の抵抗決意はなみなみでないことを察知した。

この際戦争になれば行く所まで行くと判断したので、極力戦争を避けたいと思っていた。
また当時軍務課長であった柴山兼四郎大佐 (のち中将) は次のように述べている。


不拡大方針には陸軍部内にも相当の反対があり、
この方針の完遂には相当の困難が予見された。

しかし当時軍は着々軍の内容を充実し、殊に空軍兵カの増強を企図し、
北満に一二五中隊を設置する案を立て、当時の国家財政から見れば、

膨大な予算を見込まれる三十数億の軍事費を政府に要求する案を
審議しつつあったのである。

従ってこの軍の充実を待ってすべての問題を解決するも遅くはない。
それにかくすることにより対支問題は武力に訴えなくとも解決する道はなくない。

一方、今まさに建設途上にある満州国の建設は武力行使により頓挫 (とんざ) する
ことになり、これが将来の国力培養に影響するところ極めて大なるものがある。


第三に、もし本事件を拡大するときは、蒋介石はどこまでも抵抗を続ける
であろうことは想像に難くない。

こうなると、まるでどろ田に脚をつっこんだと同じで、
結局抜き差しならなくなるおそれがたぶんにある。

この間、日本の疲弊するのを待ち受けソ連の対日宣戦ということも
考えておかねばならぬ。

それだけでなく事件の進展に伴い、あるいはついに英、米の対日戦参加という
ことにならぬとも限らぬ。もしこのような事になっては一大事である。

以上のような理由で、なんとしてもこれを本格的日支戦争にならぬよう
努力することとなった。



八日深更、陸軍大臣(杉山元大将−12期)は、京都以西の各師団に対し、
七月十日定例除隊すべき歩兵聯隊二年兵の除隊延期を命じた。

これにより在営者四万の増加を期待できることになった。

海軍中央部は、八日、中国側の不穏な動静及び事件に対する陸軍の態度にかんがみ、
事件拡大の場合を考慮し、軍令部の方針に基づき、とりあえず、

(一)   台湾方面で演習中の第三艦隊の復帰、

(二)   事件の拡大に備える警備の強化、刺激的行動の禁止、

(三)   対支応急派兵待機兵力の準備などに着手した。》

盧溝橋事件45 食い違う二つの提案

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/13 18:43 投稿番号: [535 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
173〜175p


《 七月八日午後の特務機関には、中国側からの連絡者を始め、大使館の人達や
居留民団の関係者、新聞記者等が出たり入ったりして、混雑を呈していた。

午後四時十分、秦徳純の代表として、市政府参事祝惺元 (しゅくせいげん) が訪れて来た。

松井機関長と私、それに今朝ほど天津からやって来た和知鷹二 (わちようじ) 参謀の
三人は、大応接室で車座になって祝惺元を囲んだ。


祝惺元は白頭、鶴のような痩躯 (そうく) にいつもながらの謙譲さを見せて、
「今日のお昼すぎ、貴軍の橋本参謀長から天津市長張自忠を通じ、

秦市長の所に連絡がございました。
内容は盧溝橋事件の処理問題についてでございます。

橋本参謀長のご意見によりますと、日本軍は竜王廟へ、
それから中国軍は宛平県城内に即時撤退を開始する事を条件として、

事態を円満に解決したいとのお申し出でございました。研究しました結果、
馮治安師長も、これなら賛成してよかろうとの意志表示をされた訳でございます。



ところがその後、寺平補佐官から別のご注文がございまして、中国軍は永定河の西岸に、
日本軍はその東岸に、即ち河をはさむようにして態勢を整理したらどうか

とのお話でございました。これには馮師長絶対反対なんでございます。

元来宛平県城は、二百十九団が平時から駐屯している土地なのでございますから、
この点だけはどうあっても一つ日本側に譲歩していただかなければ、と申すのでございます」

「ハハア、それは馮師長の意見なんですね。秦市長の態度はいったいどうなんです?」

「私には詳しい事はわかりませんが、どうやら二人とも同じ意見だと思います。
特にこの事は秦市長から機関側にお願いしてくるように申されたくらいですから」



和知参謀は葉巻をくわえながら席を起った。そして小声で
「松井さんちょっと。寺平君も一緒にあちらの部屋に来てくれ給え」

そこで祝惺元一人をそこに残して三人は部屋を出た。我々は補佐官室接続の
秘密応接室に入って行った。機関長はいった。

「和知君、どうも天津とこっちとは、少し歩調が食い違っているな」

「それなんですよ。どうせ電話連絡のことだから、張自忠や馮治安が
故意に撤退地区を誤魔化してスリ替えるという手もあり得るかも知れん。


しかしまあ九分通りは参謀長がいったというのが事実でしょうなあ。
もっとも軍の方は朝ごろの情況で判断した事でしょうが、

こっちは寺平君が一番現地最近の情況を知っているんだ。
こいつは是が非でもこっちの現地案で押しつけなきゃいけませんな」

「私は現地を見て来たのですが、竜王廟と宛平城とはその距離一キロあるかなしかです。
こんな目と鼻の先に両軍を相待峠させておいて、何が不拡大交渉が出来るもんですか。

軍は図上判断で決めたのか知らんですが、現地ではまったく
石を投げたら届きそうな感じがします」



「ウム、こいつだけはどうしてもこちらの現地案で押さんけりゃいかん。
竜王廟と宛平城とに引き分けるくらいなら、
現在の態勢がすでに大体そうなっているじゃないですか。

今更何も改めて取り決めなんかしなくたっていい。
むしろ西岸に進出した日本軍を、東岸に引き下げるだけこちらが分が悪い。

もっともこちらの案は今日、補佐官が帰って来たあと、私がおひる過ぎ天津に
電話で報告したんだから、参謀長の意見というのは、

ことによったら行き違いになったのかもわからんですなあ」

「きっとそんなところですよ。それにしても天津軍が張自忠を通じて、
そういう交渉を始めたのなら、一言その事を我々の方に知らせてくるのが

至当じゃないですか。それをせんもんだからこういう重要なポイントで、
とんでもない食い違いが起ってしまう」

「よしッ!   じゃあ決心に変化なしだ。現地案で押して行こう」
「畏まりました」》


つづく

盧溝橋事件44 宛平城砲撃開始

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/12 18:26 投稿番号: [534 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
170〜172p

《 金振中と吉星文とは、言い合せたように腕の時計を眺めた。
「いまもう五時だ。あとタッタ一時間しかない。これでは何にも出来るはずがない」

「こんな要求を実行しろというのが第一無茶だ。だれがやるものかッ!」
彼等の面には見る見るうちに、激昂と反抗の決意がみなぎった。

その時、桜井顧問がスッグと起ち上った。そして憤然として言い放った。
「それ見なさい!   だからさっきから私がいわん事じゃない。

あの通りサッサと処置しておきさえしたら、いまごろこんなにあわてなくたって
立派に済んだのだ。私はもう何もいわん。貴方達だけで勝手に処置しなさい!」



吉団長も金営長も、桜井顧問の剛胆さには、
今朝ほどからもうスッカリ気をのまれていたのだから、

この一語に対しても一言半句、反駁の言葉は持ち合せていなかった。
彼等は何か、ヒソヒソと話し合いを始めた。

いつもろくろく発言もしない王冷斉が、この時ばかりは身振り手振り沢山に、
一人で何かしきりにしゃべり続けた。

結局彼等は日本軍に対して、一通の回答文をデッチ上げた。「お申し越しの件に
ついては、当方種々、準備の都合もある事なれば、更にあと二時間の猶予を与えられたい」

しかし彼等の本心としては、かりに二時間の余裕が与えられたところで、
撤退を断行しようという肚など全然なかった。

いなむしろ彼等はこの時から、直ちに城壁上の工事の増強に取りかかった。



県政府は布告を発して、直ちに民衆の避難準備に着手した。
もっとも民衆を城外に避難させたら、宛平城は一たまりもなく日本軍に粉砕されるので、

かえって城外に脱出する事を厳禁し、
日本軍の砲撃目標となり易い顕著な建造物のかたわらだけを避け、

城内の一角、比較的安全だと思われる場所を選んで集結を命じたに過ぎない。

気負い立った中国兵と、家財道具を背負い込んだ避難民とは、
狭い宛平城内でゴッタ返しを始めた。

赤ン坊は荷物と一緒にひっ抱えられて、火のつくように泣き喚いている。
足元も危っかしいヨボヨボの老頭児 (ラオトル) が、

持ち得る限りの荷物を担いで、心ばかりが避難所へ避難所へと焦っている
ありさまは、戦争のみじめさを深刻に描き出していた。



牟田口連隊長は再度使を遣わして、桜井顧問や王冷斉、それから金振中に対して出城を求め、
これとの会見を希望したが、この申し出は中国側によって一蹴されてしまった。

「サア、もうボツボツ六時になるぞ。俺達どこか別の所へ場所を変えよう」
桜井顧問、周永業、王冷斉、斉藤秘書等はそろって県政府の応接室を出た。

そして道路を隔った筋向い、かって日本軍の憲兵隊が一時借り上げた
事のある一軒の民家に移動した。

この時である。突如、一行の背後でドカーン!ドカドカーン!地軸も砕けんばかり、
一大爆声が轟いた。とたん、県政府の中から十数名の中国兵が、

ワーツと喚声をあげてとび出して来た。
日本軍大隊砲の榴弾が、宛平県政府正庁に落下したのだ。



県政府を狙った砲弾はタッタ三発だったが、それは三の字形の三棟の正庁を、
一棟一発宛、実に見事に撃ち抜いて、

日本軍砲撃の命中精度がいかに正確無類であるかを示したものであった。
城壁上にあると城内にあるとを問わず、中国兵がこの砲撃によって度肝を抜かれ、

戦意を喪失した事は確かだった。この日、両軍軍使の会見室となった客庁の中は、
椅子といわず八仙卓といわず、調度品の一切は完膚ないまでに爆砕されてしまった。》


つづく

盧溝橋事件43 牟田口大佐の通告

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/11 18:31 投稿番号: [533 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
169〜170p

《 西岸の敵陣地から、ダダダダッ!   とチェッコ製軽機関銃声が不気味に聞えて来る。
ブルルーン!   という跳弾が駅舎の屋根をかすめて飛んだ。

やがて迫撃砲弾が付近の鉄道線路上に落下し始めた。
連隊長は駅のホームに起ち上って眉をしかめ、宛平城の方を眺めていたが、

やがて眼鏡片手に
「二十九軍もなかなかやるなあ。 どうもあの城の中にいるやつがこの戦場の癌だ。

あいつさえたたき出してしまったら、河向うの敵なんかあえて問題とするには
足らんのだが……」

と森田中佐の方をふり返った。
「そうであります。寺平補佐官が行ってから四時間もたちますから、

もうかれこれ中国軍を撤退さすとかさせないとか、
北京から何とか返事がありそうなものです。どうも遅うございますなあ」


二人の間に重苦しい沈黙が続いた。
豆をいるような銃声が、まるで内地の機動演習を彷彿たらしめている。

連隊長は再びおもむろに口を開いた。

「大勢上、あの宛平県城はどうしても早く攻略せにゃいかん。
住民を撤退させる事については、何か城内の方に連絡はとってあるのか?」

「イヤ、それもいま北京で寺平君が交渉中なんでありますが、城内にはまだ
なんとも通じてありません」

「これをなんとか城内に連絡する方法はないものか」
「それはここにいる鉄路巡警を使えば出来ない事はありません。

さっきも一回、連絡にやったのですが、その時には確実に伝達をして戻って来ました」
「そうか、じゃあもう一遍それをやる事にしよう」


やがて一片の通告書が、牟田口大佐の手で書きしるされた。
二名の巡警はその通告書を大切そうにポケットに収めると、

一文字山の窪地を縫って一散に宛平城の東門の方へ駆け出して行った。
宛平城内県政府では、団長吉星文を初めとして営長金振中、

その他王冷斉県長や桜井顧問らが、例の客庁で依然、善後策に頭を悩ましていた。
そこへ中国兵が、牟田口大佐の封書を持って駆け込んで来た。

「報告!   ただいま東門の外に路警が二人来まして、
この書面を営長に渡してくれといって、持って参りました」

金振中は吸いさしの煙草を卓の端に置いてその封を切った。内容は


     宛平県々長王冷斉殿
     二十九軍営長金振中殿

不幸なる事態を局地的に解決し、また、宛平城内無辜の民衆を兵火の惨害から

救わんがため、本官は茲 (ここ) に   貴官等に対し、左記二項目を要求する。

   一、宛平城内住民を本日午後六時までに、完全に城外に避難せしめる事

   二、二十九軍も亦同時刻までに全員、永定河西岸地区に撤退を完了する事

もし右の要求が所定時刻までに完了しない場合、爾後発生するいかなる事態に

対しても、我が方としては一切その責任は負担し得ない。右通告する。

            大日本軍指揮官牟田口大佐   》


つづく

盧溝橋事件42 桜井顧問から機関に電話

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/10 18:32 投稿番号: [532 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
168〜169p


《 盧溝橋付近で切断された電線は、その後森田中佐の方で応急修理をしたとみえ、
宛平城内に缶詰にされている桜井顧問から、午後一時五十分、

ようやく電話が特務機関にかかってきた。
ちょうど私が馮治安邸を訪れていたころの時間である。顧問は

「城内の中国軍に対しては、極力発砲を抑制しています。しかし日本軍の斥候や
伝令がとび出して来る度に、それに引きずられてまたポンポン射つ。

とにかく寺平君が持って行った撤退案が成立するまでは、日本軍の軍事行動は
一切ストップするよう、森田中佐にやかましくいって下さい」

と現地の現況を伝えてきた。



また通州の守備隊長藤尾心一中尉からは、午後二時十五分

「天津を出発した機械化部隊は、いまから三十分後には通州に到着し得る距離に
あります。至急、朝陽門通過の件を中国側に交渉して下さい」 と申し出て来た。

これに対して機関からは

「北京の空気は決してそんな生やさしいものではない。だから木原大隊が通ったように、
北京南方地区から、豊台に向うようにせられたい」 と回答した。



さらに憲兵隊の重松博治少尉は午後二時二十分
「ただいま桜井顧問から言い付けがございました。

現地には二十九軍の首脳部がだれもいないので、時局の収拾が出来ないそうです。
至急、責任ある高級幹部を現地に派遣するよう、

交渉していただきたいとの事でございます」 等々、
次から次へと錯綜し続ける電話である。



中国側では現地派遣どころか、秦徳純と馮治安とがそのころ西苑兵営に集って、
しきりに密議の真ッ最中だった。

もちろん日本側から提示した二つの案には真っ向から反対を唱え、
馮治安はすこぶる興奮して

「今日の事件は日本側が勝手に引き起した問題なんだ。 撤退すべき理由は
日本側にこそあれ中国側には断じてない」 といきまいていた。

不拡大なら不拡大らしく、また攻撃するなら攻撃するらしく、いずれにもせよ
早くその方向が決まってしまわない事には、盧溝橋における日本軍のこの時の態勢は、

河の両岸に分断されていて、実に危険極まる状態にあったのだ。
夜に入れば入るほど我々の危惧する危険性が増大してくる。



北京から午後三時、盧溝橋駅に到着した牟田口連隊長は、
自ら永定河堤防の線まで足を運んで、全般の情勢を観察した。

そして態勢上の危険を痛感したので駅の連隊本部に引き返すとすぐ、
次の要旨の命令を下した。

「連隊は木原大隊の戦場到着を待って、宛平県城を攻撃する企図を有す。
一木大隊はこの攻撃を準備するため、本日、日没後直ちに行動を起し、

西岸の陣地を撤去し、竜王廟北側付近において永定河を渡り、
部隊を大瓦ヨウ付近に集結すべし」

自主的に全兵力を永定河東岸に集結してしまおうというのである。命令受領者が
駅舎に集って、通信紙に鉛筆を走らせ始めた時、第一線の空気は再び緊張の度を加えて来た。

西岸の敵陣地から、ダダダダッ!   とチェッコ製軽機関銃声が不気味に聞えて来る。》


つづく
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