入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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盧溝橋事件60 日本本土の見方

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/09 18:26 投稿番号: [563 / 2250]
戦史叢書 『支那事変   陸軍作戦1』
158〜159p

《 九日夕、石原第一部長は 「事件解決のためには兵力を使わぬ方がよい。
あれをもみ消すのは陸軍省のやることだ」 と意見を述べて帰宅された。

しかし、この事件をこじらせることのないよう、中国側に対する極めて簡単な
善後条件で一応解決する必要があると考え起案した。

これを柴山軍務課長が陸軍省内で説いて回り   「次官、大臣も異存がない。
ただ次長名で打電するを至当とする」   との意見であった。

そこで次長の決裁を受けて打電し、部長から事後承諾を得たが、
手続き上若干の問題があった。



この抽象的な四条件は、現地交渉に当たり現地軍の自主的活動に任す考えであるが、
陸軍中央部ではその具体的交渉内容について硬軟両派の意見が対立し

到底統一した見解が打ち出せない実情であった、たとえば将来の保障についても、
将来気をつけるという一札を入れる程度の者もあれば、

兵営の明け渡しを要求する者もあり、責任者処罰問題でも、
単に大隊長程度でよいという者から、宋哲元罷免を要求する者もあった。

当時の支那駐屯軍は、よく中央の方針、指示に従って実行していたが、
具体的事項になると、中央の意見がまとまっていないので、交渉に手間どっていた。



北支では、九日早朝に松井・秦徳純停戦協議が成立して以来、
現地の河邉旅団が中国側の履行状況を監視していた。

ところが中国側内部の連絡が悪く、撤退時刻の五時になっても撤退せず、
かえって旅団に射撃を加えてきたので、旅団も盧溝橋城内に砲撃を加えた。

また城内の中国軍と交代するため北平から南下してきた保安隊約二〇〇名と、
日本軍第一線部隊の間でも、相互誤解から一時戦闘が起こった。

しかし中国側委員と旅団の折衝により、城内の中国部隊は十二時二十分、
一小隊を残して永定河右岸に撤退し、保安隊が城内に入った。



よって旅団は、監視任務のため一部を現地に残し、主力は原駐地に帰還するよう部署した。
牟田口聯隊は一部をもって一文字山を占領し主力は豊台に集結した。

九日夜、橋本参謀長は善後措置のため北平に到着し、
まず第一線の状況を視察し、その労をねぎらったのち城内に入った。

当時、北平城門及び城内は中国側により厳重に警戒されていた。

この日(九日)、関東軍参謀辻政信大尉が天津に来て、
関東軍の意見として時局対処の強硬論を述べた。》
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