紫陽花亭日乗

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Re: 佛説阿彌陀經

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/15 15:45 投稿番号: [322 / 735]
★次からはリフレインです。
音楽でもリフレインは心地いい。
お経も一種の音楽といってさしつかえないかもしれません。

東西南北、下方、上方について同じことを言っています。

全世界は、八方(東・西・南・北・北東・北西・南東・南西)と
上下の十方ですが、この場合、四隅は省略してあるものの、
やはり全世界についてカバーしていると解釈します。

猶、中国では、方角は東・南・西・北というふうに時計回りの順でいいます。
麻雀やる方はご存知ですね。日本では東西南北の順ですから、
たとえば「西南戦争」のように、南より西が先にきます。


舎利弗、如我今者讃歎阿彌陀佛不可思議功紱、東方亦有阿&#38310;<革卑>佛、
須彌相佛、大須彌佛、須彌光佛、妙音佛、如是等恒河沙數諸佛、各於其國、
出廣長舌相、&#24487;覆三千大千世界説誠實言、汝等衆生、
當信是稱讃不可思議功紱一切諸佛所護念經。


舎利弗よ、
我れ今者(いま) 阿彌陀佛の不可思議の功紱(くどく)を讃歎する如く、
東方にも亦た阿&#38310;<革卑>佛(あしゅくびぶつ)、須彌相佛(しゅみそうぶつ)、
大須彌佛、須彌光佛、妙音佛、是(かく)の如き等(とう)の恒河(ごうが)の
沙(すな)の數の諸佛有りて、各々其の國に於いて、廣長(こうじょう)の
舌相(ぜっそう)を出(いだ)し、&#24487;(あまね)く三千大千世界を覆いて、
誠實(じょうじつ)の言を説きたもう、汝等(ら)衆生よ、當に是の不可思議の
功紱を稱讃する、一切の諸佛に護念せらるる所の經を信ずべしと。


舎利弗よ、
わたしが今、阿彌陀佛の極楽浄土のすばらしさについてお話したことと
同じように、東方にもまたた阿&#38310;<革卑>佛(あしゅくびぶつ)、
須彌相佛(しゅみそうぶつ)、大須彌佛、須彌光佛、妙音佛はじめこれらの
ガンジス河の砂の数ほどの無数の諸佛がいまして、各々其の國に於いて、
廣長舌(こうじょうぜつ)の相(すがた)になられ、東方のあまねく
三千大千世界(すべての世界)を覆(おお)いつくして、誠の言を説きたもう。

だからわたしの話は虚構ではなく真実である。

おまえたち衆生よ、
さあ、阿弥陀さまの不可思議な功徳(すばらしさ・立派さ)を褒め称えよ。
ありとあらゆる諸佛に護り念ぜられているのがこの阿弥陀経であり、
この阿弥陀經を信じなさい。


舎利弗、南方世界、有日月燈佛、名聞光佛、大焔肩佛、須彌燈佛、
無量精進佛、如是等恒河沙數諸佛、各於其國、出廣長舌相、
&#24487;覆三千大千世界、
説誠實言、汝等衆生、當信是稱讃、不可思議功紱一切諸佛所護念經。


舎利弗よ、
南方世界に、日月燈佛(にちがつとうぶつ)、名聞光佛(みょうもんこうぶつ)、
大焔肩佛(だいえんけんぶつ)、須彌燈佛、無量精進佛、是(かく)の如き
等(とう)の恒河(ごうが)の沙(すな)の數の諸佛有りて、各々其の國に
於いて、廣長(こうじょう)の舌相(ぜっそう)を出(いだ)し、&#24487;
(あまね)く三千大千世界を覆(おお)いて、誠實(じょうじつ)の言を説きたもう、
汝等(ら)衆生よ、當に是の不可思議の功紱を稱讃する、
一切の諸佛に護念せらるる所の經を信ずべしと。


〔訳〕は「東方世界」に準ずる


つづく

2127

Re: 佛説阿彌陀經

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/15 15:38 投稿番号: [321 / 735]
舎利弗、若有善男子善女人、聞説阿彌陀佛、執持名號、若一日、若二日、
若三日、若四日、若五日、若六日、若七日、一心不亂、其人臨命終時、
阿彌陀佛、與諸聖衆、現在其前。是人終時、心不顛倒。
即得往生阿彌陀佛極楽國土。


舎利弗よ、
若(も)し善男子、善女人有りて、阿彌陀佛を説くことを聞き、
名號(みょうごう)を執持(しゅうじ)するに、若しくは一日(いちじつ)、
若しくは二日(にじつ)、若しくは三日、若しくは四日、若しくは五日、
若しくは六日、若しくは七日、一心不亂ならば、其の人命終(めいじゅう)の
時に臨んで、阿彌陀佛は、諸々の聖衆(しょうじゅ)と與(とも)に、
其の前に現に在(ま)します。是の人終る時、心顛倒(てんどう)せず。
即ち阿彌陀佛の極楽國土に往生(おうじょう)することを得ん。


舎利弗よ、
もしも仏教の約束事をきちんと守る男子・女子がいて、わたしが説いた
極楽と阿彌陀佛の話をちゃんと聞いたうえで、阿弥陀仏の名まえをじっと
大事に持っている、もしくは一日でもいい、二日でもいい、三日でもいい、
四日でもいい、五日でもいい、六日でもいい、もしくは七日でもいい、
一心不乱に阿弥陀さまのお名まえを大事に持っていれば、
その人(あなた)の命の終るときにあたって、阿彌陀佛は、諸々の聖らかな
お仲間と一緒になって、あなたの前に来てくださる。

この人の命が終る時、心は安らかである。
まちがいなく阿彌陀さまの極楽國土に出かけて生まれることができるのである。


★どうでしょう、
一週間(七日ひとまわり)の考え方がもう、
この時代のインドにあったんですね。


舎利弗、我見是利。故説此言、若有衆生聞是説者。應當發願生彼國土。


舎利弗よ、
我れ是の利を見る。故に此の言を説く、若し衆生有りて是の説を聞かば、
應當(まさ)に彼の國土に生まれんと發願すべし。


舎利弗よ、
わたしは今極楽の良い点を見てきた。
だからこのお経を説いている。

もしわたしの説くこの経を聞いたならば、その衆生は、
どうしてもその極楽に生まれ変わりたいと願うことだろう。


つづく

2126

Re: 佛説阿彌陀經

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/15 15:36 投稿番号: [320 / 735]
又舎利弗、極楽國土、衆生生者、皆是阿毘跋致、其中多有一生補處。
其數甚多。非是算數所能知之。但可以無量無邊阿僧祗劫説。


又舎利弗よ、
極楽國土には、衆生の生まれし者、皆是れ阿毘跋致(あびばっち)にして、
其の中に多く、一生補處(いっしょうふしょ)有り。其の數甚だ多し。
是れ算數(さんじゅ)の能くこれを知る所に非ず。但(ただ)無量無邊、
阿僧祗劫を以て説くべし。


また舎利弗よ、
阿彌陀佛の極楽国土には、一般の人でそこに生まれた者は、
皆不退転であって、もう二度と六道輪廻に戻ることはなく、
この極楽には多く、今この一代だけは仏になっていないが、
次に生まれ変わるときは間違いなく仏の場所を自分が補う、
仏の座にすわることが約束されている人たちがいる。
その数は非常に多い。

数えきれないほどたくさんいる。
言うならば、きりがない、かぎりがない。
永遠の数としか言えない無数であるのだ。



舎利弗、衆生聞者、應當發願願生彼國。所以者何。得與如是諸上善人倶會一處。
舎利弗、   不可以少善根福紱因縁得生彼國。


舎利弗よ、
衆生にして聞く者あらば、應當(まさ)に發願して彼の國に生まれんと願うべし。
所以(ゆえ)は何(いか)に。是(かく)の如きの諸々の上善人と倶(とも)に、
一處(いっしょ)に會うを得(う)ればなり。
舎利弗よ、少なる善根、福紱の因縁を以て彼の國に生まるるを得可からず。


舎利弗よ、
今わたしの説教を聞いている一般の人たちは、
どうか自分も極楽に行ってみたいと願いをおこすに違いない。
どうしてそう思うのか。

次に仏になることが決まっている立派な人たちと一緒に暮らしたいと
願うからである。

舎利弗よ、
今おまえたちが娑婆にいるのは、良いところへ生まれかわれるような
善根が積んでない、福紱が積んでない、善根と福徳に欠けているから、
極楽に生まれ変わることができないでいるのだ。


つづく

2125

Re: 佛説阿彌陀經

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/15 15:32 投稿番号: [319 / 735]
★「阿彌陀」は、梵語の音を漢字にうつしたもの。
無量壽佛、無量光佛ともいいます。

★ウィキより
梵名の「アミターバ」は「無限の光をもつもの」、
「アミターユス」は「無限の寿命をもつもの」の意味で、
これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう。
無明の現世をあまねく照らす光の仏にして、空間と時間の制約を受けない
仏であることをしめす。
西方にある極楽という仏国土(極楽浄土)を持つ(東方は薬師如来)。


~~~~~~~~~~~~~~~~~

舎利弗、於汝意云何。彼佛何故號阿彌陀。舎利弗、彼佛光明無量、
照十方國、無所障礙。   是故號爲阿彌陀。又舎利弗、彼佛壽命及其人民、
無量無邊阿僧祗劫。故名阿彌陀。


舎利弗よ、
汝の意(こころ)に於いて云何(いかに)。
彼の佛を何が故に阿彌陀と號すや。
舎利弗よ、
彼の佛の光明は無量にして、十方の國を照らすに、障礙(しょうげ)する所無し。
この故に號して阿彌陀と爲(な)す。
又舎利弗よ、
彼の佛の壽命及び其の人民も、無量無邊にして阿僧祗劫(あそうぎこう)なり。
故に阿彌陀と名づく。


舎利弗よ、
汝はこのことをどのように思うのか。
かの佛を何が故に阿彌陀と呼称するのであろうか。

舎利弗よ、
かの佛の光明ははかりしれず、世界の隅々まで照らして、
何者であってもその光明を妨げることはできない。
だから阿彌陀と申し上げるのである。

又舎利弗よ、
かの佛の寿命及び極楽に暮らす人々の寿命もともに、限りがなく、
はかりしれないほど長い。だから阿彌陀とお呼び申し上げるのである。



舎利弗、阿彌陀佛、成佛已來、於今十劫。又舎利弗、彼佛有無量無邊声聲聞弟子。
皆阿羅漢、非是算數之所能知。諸菩薩衆、亦復如是。
舎利弗、彼佛国土、成就如是功徳荘厳。


舎利弗よ、
阿彌陀佛は、佛と成りてより已來(このかた)、今に十劫(じっこう)なり。
又舎利弗よ、彼の佛に無量無邊の聲聞(しょうもん)の弟子有り。
皆阿羅漢にして、これ算數(さんじゅ)の能く知る所に非ず。
諸々(もろもろ)の菩薩衆(ぼさつしゅ)も、亦た復た是(かく)の如し。
舎利弗よ、彼の佛国土には、是(かく)の如きの功徳荘厳(しょうごん)を成就せり。


舎利弗よ、
この極楽にいらっしゃる阿弥陀様という方は、阿彌陀佛という仏さまに
なられて以来、今においてどのくらい長い時間が経っているかわからない。

又舎利弗よ、
その阿弥陀さまには、数かぎりない阿弥陀さまの教えを聞くお弟子がいる。

その弟子たちはみな最高の境地まで達した阿羅漢であって、その阿羅漢に
までなられた方の数がどれほどのものであるか、算えきれない。

また阿羅漢ばかりではなくもろもろの菩薩の方々も、
また同じように数えきれない。

舎利弗よ、
この極楽世界では、このようにたいへん優れた功紱が成就されているのだ。


つづく

2124

Re: 佛説阿彌陀經

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/15 15:18 投稿番号: [318 / 735]
★鳥は輪廻では畜生ではあるが、
極楽にいる鳥も悪い因果で畜生に生まれたのか、という疑問に答えます。



舎利弗、汝勿謂此鳥實是罪報所生。所以者何。彼佛國土、無三惡趣。
舎利弗、其佛國土、尚無三惡道之名。何況有實。
是諸衆鳥、皆是阿彌陀佛、欲令法音宣流變化所作。


舎利弗よ、

汝この鳥は實にこれ、罪報の所生(しょしょう)なりと謂うこと勿(なか)れ。
所以(ゆえ)は何(いか)に。
彼の佛國土には、三惡趣(さんまくしゅ)無ければなり。
舎利弗よ、
其の佛國土には、尚(なお)三惡道(さんまくどう)の名無し。
何(いか)に況(いわ)んや實有らんや。
この諸衆(もろもろ)の鳥は、皆是れ阿彌陀佛の、法音を宣流(せんる)
せしめんと欲したもう變化(へんげ)の所作なり。


舎利弗よ、
おまえは、極楽まで行っても畜生に生まれ変わった鳥が鳴いているのか、
とそんなふうに思うなよ。
實にこれは、前世の罪の報いが生みだしたものと考えてはいけない。

なぜそういえるのか。それは、
もともと極楽には、餓鬼、地獄、畜生の三つの悪い世界が無いからだ。

舎利弗よ、
其の極楽には、尚(なお)三悪道の概念、言葉がないからだ。
そういう言い方さえないのだから、実態のあろうはずがない。

すなわち、
いったん極楽に行けば餓鬼、地獄、畜生界に行くことは絶対にない。
これらの極楽のさまざまな鳥は、みな、阿彌陀佛が、仏法の教えを
広めたいと思う、それが変化(へんげ)して鳥の声になっているのだ。


舎利弗、彼佛國土、微風吹動、諸寶行樹及寶羅網、出微妙音。
譬如百千種樂、同時倶作。   聞是音者、皆自然生念佛念法念僧之心。
舎利弗、其佛國土、成就如是功徳莊嚴。


舎利弗よ、
彼の佛國土には、微風(みふう)吹動(すいどう)し、
諸々(もろもろ)の寶行樹(ほうごうじゅ)及び寶羅網(ほうらもう)は、
微妙(みみょう)の音(こえ)を出す。
譬えば百千種の樂を、同時に倶に作すが如し。
この音(こえ)を聞く者は、皆自然(じねん)に念佛・念法・念僧の心を生ず。
舎利弗よ、其の佛國土には、是(かく)の如きの功徳の莊嚴(しょうごん)を
成就せり。


舎利弗よ、

あの極楽には、微(かす)かな風がそよそよと吹き、すべての宝物のような
並木樹及び宝物のような天上にかかった網。

樹木は風にさやさやとそよぎ、網の鈴がチリチリと鳴って
えもいわれぬ美しい音をたてる。

たとえてみれば、百種類・千種類のありとあらゆる音楽を
同時に演奏したかのようである。

この極楽で聞こえる美しい音楽のような自然の音、
これを聞くものはみな自然に、仏のことを念(おも)い、
仏法を念(おも)い、仲間と仲良くするその心が生ずる。

舎利弗よ、

この極樂は、このようにたいへん優れた功紱に満ち溢れているのだ。


つづく

2123

Re: 佛説阿彌陀經

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/15 14:39 投稿番号: [317 / 735]
「共命鳥(ぐみょうちょう)」


  極楽浄土に共命鳥(ぐみょうちょう)という名前の烏がいます。

  どんな鳥かといえば、身体は一つで、頭が二つに分かれている烏で、
まさに命を共有する鳥です。

  この鳥は、一説によりますと、極楽浄土に生まれる前、
すなわち前世では大変、仲が悪かったと言われています。

  片方の烏が「右へ行きたい」と言えば、
もう一方の烏は、「いや私は左へいきたい」と言い、
片方の烏が「もっと遊びたい」と言えば、
もう一方の鳥は「いや、もう遊ぶのは飽きた、休みたい」
というように、事あるごとに意見が衝突していました。

  身体が別々であれば、さして問題にならないのですが、
身体が一つですから、当然そこで大喧嘩が起こります。

  こうして毎日毎日、言い争いをしていたのですが、
ある日、とうとうその喧嘩が昂じて、片方の鳥が相手の鳥の喉首を
噛み切ってしまったのです。

  噛まれた方はそれが致命傷になり命を落としてしまいました。

  ところが身体が一つですから、
噛んだ方もしばらくして、命を落としてしまう羽目になったのです。

  その命を落とす寸前に、その鳥が仏教で言う悟りを開いたのです。

「これまで私はわがままを言いながらも、何とか元気でこられたのは、
あなたがいてくれたればこそだったんだなー」

ということに気付いたのです。

「この私の命はあなたの命の上に出来上がっていたんだな−」
ということに目覚めたのです。

  これを、「自他一如の縁起の道理」と言います。

  この道理は仏教の教えの中核をなすもので、
「あらゆるものは相依り相関わっており、
私の命は多くのご縁をいただいて、生かされている命である。
だから自分と他人は切っても切り離せない一つ如しなのだ」
というものです。

  こうして、この世の真理を悟った鳥は、
めでたく極楽浄土に生まれ出でることが出来たと言うのです。


★以上、ネット法話より転載。
「共命鳥」で検索して、続きもご覧ください。

Re: 佛説阿彌陀經

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/15 14:30 投稿番号: [316 / 735]
又舎利弗、彼佛國土、常作天樂、黄金爲地。晝夜六時、而雨曼陀羅華。
其國衆生、常以清旦、各以衣&#35027;、盛衆&#29573;華、供養他方十萬億佛、
即以食時、還到本國、飯食經行。舎利弗、   極樂國土、成就如是功紱莊嚴。


又舎利弗よ、
彼の佛國土は、常に天樂を作(な)し、黄金を地と爲す。
晝夜六時に、曼陀羅華を雨ふらす。其の國の衆生、常に清旦(しょうたん)を
以て、各々の衣&#35027;(えこく)を以(もち)いて、衆(もろもろ)の&#29573;
華(みょうげ)を盛り、他方の十萬億の佛を供養し、即ち食時(じきじ)を
以て、本國に還到(げんとう)して、飯食(ばんじき)し經行(きんひん)す。
舎利弗よ、
極樂國土には、是(かく)の如き功紱の莊嚴(しょうごん)を成就せり。


また舎利弗よ。

彼の佛國土(極楽)は、いつも天から音楽が聞こえ、
しかも地面には黄金が敷き詰められている。

昼夜 24 時間、曼陀羅華という花びらがひらひらと舞い落ちて来る。

極楽の衆生は、常に清らかな朝早い夜明けに、一人一人が花器にたくさんの
花を盛って、世界中のとてつもなく沢山の佛にそれぞれ花を捧げ、
朝一番に佛に花を供養したあと食事の時間に自分の家に帰って食事をする。

読経や座禅中をしその合間に散歩する。
舎利弗よ、極樂は、このようにたいへん優れた功紱に満ち溢れているのだ。


復次、舎利弗、彼國常有種種奇&#29573;雜色之鳥。白鵠、孔雀、鸚鵡、
舎利、迦陵頻伽、共命之鳥。是諸衆鳥、晝夜六時、出和雅音。
其音演暢五根五力七菩提分八聖道分如是等法。
其土衆生、聞是音己、皆悉念佛念法念僧。


復た次に、舎利弗よ、

彼の國には常に種種の奇&#29573;なる雜色(ざつしき)の鳥有り。
白鵠(びゃつこう)、孔雀、鸚鵡、舎利、迦陵頻伽(かりょうびんが)、
共命(ぐみょう)の鳥なり。
この諸衆(もろもろ)の鳥、晝夜六時に、和雅(わげ)の音(こえ)を出す。
其の音(こえ)は、五根(ごこん)五力(ごりき)七菩提分(しちぼだいぶん)
八聖道分(はっしょうどうぶん)、是(かく)の如き等(ら)の法を
演暢(えんちょう)す。
其の土(ど)の衆生は、是の音(こえ)を聞き己(おわ)りて、
皆悉(ことごと)く佛を念じ、法を念じ、僧を念ず。


また次に、舎利弗よ。

極楽にはいつでも何種類かの珍しく美しいさまざまな何種類かの鳥がいる。

その鳥の名はたとえば、白鵠(びゃつこう)、孔雀、鸚鵡、舎利、
迦陵頻伽(かりょうびんが)、共命(ぐみょう)鳥などである。

これらのもろもろの鳥は、二十四時間中、穏やかで雅やかな鳴き声を
聞かせてくれる。
その声は、五根(ごこん)五力(ごりき)七菩提分(しちぼだいぶん)
八聖道分(はっしょうどうぶん)と鳴き、仏の法を絶えず演説している。

この極楽の衆生は、この鳥の声を聞くと、皆悉(ことごと)く佛と、
佛の教えと、僧を敬う心が自然と湧いて出てくる。


つづく

2122

Re: 佛説阿彌陀經

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/15 14:25 投稿番号: [315 / 735]
又舍利弗、極楽國土、有七寶池。八功紱水、充滿其中。池底純以金沙布地。
四邊階道、金銀瑠璃玻&#29896;合成。上有樓閣。
亦以金銀瑠璃玻&#29896;&#30824;&#30962;赤珠碼碯、
而嚴飾之。池中蓮華大如車輪。逭色逭光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光、
微妙香潔。舎利弗、極樂國土、成就如是   功紱莊嚴。


又舍利弗よ、極楽國土に七寶(しっぽう)の池有り。
八功紱の水、其の中に充滿す。
池の底には純(もっぱ)ら金沙(こんしゃ)を以て地に布(し)けり。
四邊の階道は、金(こん)銀(ごん)瑠璃(るり)玻&#29896;(はり)して
合成(ごうじょう)す。
上に樓閣有り。亦た金・銀・瑠璃・玻&#29896;・&#30824;&#30962;(しゃこ)
赤珠(しゃくしゅ)碼碯(めのう)を以て、これを嚴飾(ごんじき)す。
池中の蓮華、大なること車輪の如し。
逭色には逭光、黄色には黄光、赤色には赤光、白色には白光ありて、
微妙(みみょう)香潔なり。
舎利弗よ、極樂國土には、是(かく)の如きの功紱(くどく)の
莊嚴(しょうごん)を成就(じょうじゅ)せり。


また舍利弗よ。

極楽には七つのピカピカした宝物でできた池がある。

その中にさまざまな功紱をもった水、すなわち清らかで美しい、
そのままがぶがぶ飲むことができる、体を清潔にできる、
そのような澄みきった綺麗な水をまんまんと湛えた池がある。

しかもその池の底にはもっぱら砂金が張ってある。
池に下りてくる、池のまわりの東西南北の四方の階段は、
金・銀・瑠璃・玻&#29896;(はり)といった美しい宝石、金属で造られている。

しかもその階段のさらに上には楼閣(たかどの)がある。
その楼閣もまた金・銀・瑠璃・玻&#29896;・&#30824;&#30962;(しゃこ)・
赤真珠・碼碯(めのう)できれいに飾られている。

池の中には蓮華の花が咲いている。
その蓮華の花は車輪ほどの大きさがある。

逭い色をした蓮の花には逭い光、黄色い蓮の花には黄色い光、
赤い色の蓮の花には赤い光、白い色をした蓮の花には白光が、
それぞれ射していて非常に感じよく、清潔感漂う香り高い花が咲いている。

舎利弗よ。

極樂國土は、このような立派な功紱のある美しさを成し遂げているのだ。


★清らかな水をたたえ求める心は、日本人の比ではないでしょう。


つづく

2121


★宇治平等院、金閣、銀閣などは、極楽の建築物を模したものです。

Re: 佛説阿彌陀經

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/15 14:16 投稿番号: [314 / 735]
爾時、佛告長老舎利弗、從是西方、過十萬億佛土、有世界、名曰極樂。
其土有佛、號阿彌陀。今現在説法。舎利弗、彼土何故名爲極樂。
其國衆生、無有衆苦、但受諸樂。故名極樂。


爾時(そのとき)、佛(ぶつ)、長老舎利弗に告げたもう、是れ從り西方、
十萬億の佛土を過ぎて、世界有り、名づけて極樂と曰う。
其の土(ど)に佛有りて阿彌陀と號す。今、現に説法するに在り。
舎利弗よ、彼の土を何が故に名づけて極樂と爲すや。
其の國の衆生、衆々(もろもろ)の苦しみ有ることなく、
但(ただ)諸々(もろもろ)の樂しみを受く。故に極樂と名づく。


そのとき、お釈迦さまは長老舎利弗に向かってこのように告げられた。

「ここから西の彼方に次々と続いて十萬億の佛土がある。
そこを過ぎると、また世界が有る。
名づけて極樂(きわめて楽しい所)という。
その土地にはひとりの佛がおられてその名を阿彌陀と申され、
今、現に説法をしておられる。

舎利弗よ、かの西方浄土をどういうわけで極楽と名づけたのか、
その國に生きている一般の人々は、ありとあらゆる苦しみが何もなく、
ただただ楽しみだけを受けて生きている。
だから楽しみをきわめた世界だというのだ。


★説法は、しばしば特定の個人に語りかけられる方法をとります。



又舎利弗、極樂國土、七重欄循、七重羅網、七重行樹、
皆是四寶周&#24064;囲繞。是故、彼國名曰極樂。


又、舎利弗よ、極樂國土には、七重の欄循(らんじゅん)、
七重の羅網(らもう)、七重の行樹(ごうじゅ)ありて、皆是れ四寶をもって
周&#24064;(しゅうそう)囲繞(いにょう)せり。
是(こ)の故に、彼の國を名づけて極樂と曰う。


また、舎利弗よ。

極樂國土には、七重の欄循(らんじゅん)、七重の羅網(らもう)、並木が
七重に植えてあって、それらの建築物はすべて、金・銀・青鋼玉、
玻璃等の四寶でまわりを取り囲まれている。

だから、かの國を名づけて極樂というのである。


つづく

2120

佛説阿彌陀經

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/15 14:12 投稿番号: [313 / 735]
★佛説阿彌陀經は、極楽とはどういうところかを紹介して、
極楽に往生するための称名念仏を勧めているお経です。



佛説阿彌陀經

姚秦三藏法師鳩摩羅什奉詔譯
如是我聞。一時佛在舎衛國祇樹給孤獨園、與大比丘衆千二百五十人倶。
皆是大阿羅漢、衆所知識。長老舎利弗、摩訶目<牛建>連、摩訶迦葉、
摩訶迦旃延、摩訶倶<糸希>羅、離婆多、   周利槃陀伽、難陀、阿難陀、
羅<目候>羅、<&#24516;喬>梵波提、賓頭盧頗羅堕、迦留陀夷、摩訶劫賓那、
薄拘羅、阿<少免>楼駄、如是等諸大弟子、并諸菩薩摩訶薩、
文殊師利法王子、阿逸多菩薩、乾陀訶提菩薩、常精進菩薩、
與如是等諸大菩薩、及釈提桓因等無量諸天大衆倶。


是(かく)の如く我聞く。
一時、佛、舎衛國祇樹給孤獨園に在て、大比丘衆千二百五十人と倶なり。
皆是れ大阿羅漢にして衆に知識せらる。長老、舎利弗、摩訶目<牛建>連、
摩訶迦葉、摩訶迦旃延、摩訶倶<糸希>羅、離婆多、周利槃陀伽、難陀、
阿難陀、羅<目候>羅、<&#24516;喬>梵波提、賓頭盧頗羅堕、迦留陀夷、
摩訶劫賓那、薄拘羅、阿<少免>楼駄、是(かく)の如き等の諸々(もろもろ)の
大弟子、并に諸菩薩摩訶薩、文殊師利法王子、阿逸多菩薩、乾陀訶提菩薩、
常精進菩薩、是の如き等諸大菩薩と、及び釈提桓因(しゃくだいかんいん)等
無量の諸天・大衆(だいじゅ)と倶なりき。


このように私は聞きました。

あるときお釈迦様が舎衛國の祇樹給孤獨園(祇園精舎)という所においでに
なられたたとき、優れた出家修行者たち一千二百五十人とご一緒でした。

その修行者たちはすべて大阿羅漢であり、人々に知られた人物ばかりでした。

その人たちは、お釈迦様の弟子たちの中でも知恵第一といわれた長老の
舎利弗、摩訶目<牛建>連(まかもくけんれん)、摩訶迦葉(かしょう)、
摩訶迦旃延(かせんねん)、外道だった摩訶倶<糸希>羅(くちら)、
離婆多(りはた)、周利槃陀伽(しゅりはんだか)、難陀、阿難陀、
羅<目候>羅(らごら)、<&#24516;喬>梵波提(きょうぼんはだい)、
賓頭盧頗羅堕(びんずるはらだ)尊者、迦留陀夷(かるだい)、
摩訶劫賓那(まかこうひんな)、薄拘羅(はつくら)、阿<少免>楼駄(あぬるだ)、
このような諸々(もろもろ)の大弟子、ならびに諸々の菩薩、
摩訶薩(まかさつ)、文殊師利法王子、阿逸多(あいった)菩薩、
乾陀訶提(けんだかだい)菩薩、常精進(じょうしょうじん)のような
諸大菩薩と、及び釈提桓因等の数え切れないほどの諸天と
多くの大衆とともにお集まりになられました。


★語句や人名の説明は省略します。
やりだすときりがないので。もし疑問がありましたら、
レスをいただければ、わかる範囲でお答えします。

★UP されない漢字もそのままにしておきます。
不明な字は検索しておたしかめください。


つづく

2119

Re: 【孫文の志 未だ成らず】辛亥革命100

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/15 00:47 投稿番号: [312 / 735]
  金門島の北東部に、伝統的な様式の18棟の住居を保存した
「金門民俗文化村」がある。

  金門島から神戸に渡って貿易商として成功した華僑、王敬祥氏
(1872〜1923年)が故郷に錦を飾るために建てた住居だ。
この王敬祥という人物について金門県の李沃士(よくし)県長(51)は
「辛亥革命100年の今年、改めて深く感動し光栄に思っている」と
目を輝かせた。孫文の革命に大きく貢献した「地元の名士」だからだという。

  李県長の説明によれば、王氏は神戸を拠点にした貿易で財を成し、
辛亥革命以前から孫文を資金面で支援してきた。
孫文が神戸を訪れる際は必ず彼の家に宿泊したという。
中華民国成立後、総統の座を譲った袁世凱に追われて
日本に亡命したときにも、孫文は彼を頼った。

  金門島の海岸からは海を隔てて中国福建省アモイ市や泉州市の建物まで
肉眼で見える。李県長によれば「親類や知人も多い一つの生活圏」だが、
この地は華僑の故郷でもある。数百年も前から大海に乗り出していった漢
民族にとって、良好な港湾があり、船舶が多数寄港したこの地が出発点の
一つになった。この地域の方言である★南(びんなん)語がいまも、インド
ネシアなど東南アジアの華僑や台湾本島でも話されていることがその証拠だ。

  華僑のネットワークが資金のみならず、武器調達や情報収集、
日米欧などとの交渉でも孫文らを支えたことはよく知られる。
「華僑の故郷」を自任する金門人にとっても辛亥革命と孫文は、満州人が
支配した清朝を倒した漢民族としての誇りの象徴なのだろう。

□   □

  その金門島が台湾の「辺境」から、両岸(中台)を結ぶ交通の要衝と
して変わり始めたのは2001年1月のことだ。
中台当局間の合意に基づき、金門島とアモイ間を結ぶフェリーが解禁された。
それまで中台間を行き来するには香港かマカオ、あるいは日本など
第三国を経由する必要があったが、経済交流の拡大で台湾側は大陸との
直接の人的往来を認めざるを得ない情勢に追い込まれていた。

  金門県によれば、このフェリーを使った出入境者数は01年の
2万1377人から、昨年は137万9604人まで激増。
台湾のビジネスマンが金門島経由で中国に渡るケースが急増している。
7月29日には、中国福建省の住民に対し、金門島への個人旅行が解禁され、
「今後は大陸から数十万人の観光客が金門に来る」(李県長)とソロバンをはじいている。

  それだけではない。金門県ではいま、中台が対峙(たいじ)した時代の
軍事施設跡を世界遺産として国連教育科学文化機関(ユネスコ)に
申請する計画を練っている。
李県長は「かつて敵対したアモイ市や泉州市とともに中台共同で登録を
めざすよう働きかけており、実現すれば意義が大きい」と明かした。
台湾がユネスコに加盟していないという事情もあるが、中台がそこまで
「統一行動」をとりうる時代に入ったことをも意味する。

  中国人民解放軍が金門島への砲撃を始めた1958年8月23日にちなみ、
金門県では今月23日に、「中華民国建国100年記念」として「平和の鐘」
を設置するイベントを開く。「軍事対立の最前線から中台和平の最前線になる」
と李県長は意気込んだ。「同じ祖先をもつ住民同士。中国との統一を恐れない」
と話す金門人も増えているという。

  100年にわたり「中華民国」であり続けた小さな島が、辛亥革命100年
を経て、中台の将来を変える次なる“革命”を生みだす舞台になるかもしれない。
  (金門島   河崎真澄)


.

【孫文の志 未だ成らず】辛亥革命100年

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/15 00:47 投稿番号: [311 / 735]
【孫文の志   未だ成らず   辛亥革命100年】

(1)中国で売られる「三民主義」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110718/chn11071817080001-n1.htm
(2)戦場特派員「姿三四郎」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110725/chn11072508000001-n1.htm
(3)辛亥革命100年   台湾の国父像
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835412&tid=bbgmdb2vdbffcbeh&sid=1835412&mid=267

【孫文の志   未だ成らず   辛亥革命100年】
(4)中台最前線・金門島
2011.8.14 15:35 (1/3ページ)     産経ニュース

辛亥革命に資金提供した王敬祥氏(後列右から3人目)ら支援者が神戸で
孫文(前列中央)と撮った写真(撮影日不詳、金門民俗文化村提供)

正真正銘の「中華民国」

  「いわばこの島こそが正真正銘の中華民国だよ」

  中国福建省アモイ市からフェリーで30分。
台湾支配下の金門島で出会った黄振良氏(62)はこう言った。

  中国大陸と台湾が最短距離で2キロほどに近接し、東西冷戦時代には
1958年から79年にかけて一時、砲撃戦が繰り広げられるなど
軍事的緊張が20年以上も続いた地だ。この島が台湾の支配下にあった
からこそ、台湾海峡の制海権と制空権が中国の手に落ちずにすんだ。

  だが、東西ドイツを隔てたベルリンの壁や、朝鮮半島の板門店と並んで
分断の象徴とされたその島が、なぜ「正真正銘の中華民国」なのか。

  11年の辛亥革命成功で12年1月1日に孫文を臨時大総統とする
中華民国が中国大陸に成立し、金門島も版図に含まれた。
しかし、現在、「中華民国」と称する台湾はこのとき、日清戦争
(1894〜95年)の結果、日本に割譲されていた。
つまり台湾は、1945年の日本敗戦後、蒋介石率いる国民政府が
大陸から逃れて来るまでは、中華民国とは縁がなかったのだ。

  一方で、中国大陸では中国国民党との内戦に勝利した、毛沢東率いる
中国共産党が49年10月に中華人民共和国を成立させ、大陸から
中華民国は消え去ることに。しかし金門島は、軍事上の要衝として
国民政府側が米国などの支援を得て冷戦時代を通じて死守し、
「中華民国」領の地位を保った。

「辛亥革命からこの100年間、一度も国の名前が変わっていない土地、
という意味ですよ」と金門生まれ金門育ちの黄氏は笑顔をみせた。
確かに中国大陸側も台湾も為政者が変わったが、
黄氏ら金門人は祖父母の代からずっと一つの国名だ。

  金門島と同じように台湾支配下の軍事要塞として戦後も「中華民国」領
であり続けた離島に、金門県の管轄下にある烏●嶼(うきゅうしょ)と、
福建省福州市に近い馬祖列島がある。それでも、いわば100年続いた
「中華民国」領の面積は合わせても183平方キロ。
伊豆大島(91平方キロ)2つ分で、実際に暮らす人口は5万人ほどだ。

□   □

つづく

讀秦紀     陳恭尹

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/15 00:28 投稿番号: [310 / 735]
讀秦紀             陳恭尹(清・1631〜1700)

謗声易弭怨難除       謗声   弭(や)ましむるは易く   怨み除くは難し
秦法雖厳亦甚疎       秦法   厳なりと雖も亦甚だ疎なり
夜半橋辺呼孺子       夜半の橋辺   孺子を呼ぶ
人間猶有未焼書       人間(じんかん)   猶お未だ焼かざる書有り


批判の声を圧殺することはできても恨みをなくすことはできぬ
秦の暴政もそこまでは力及ばない
夜中、橋のほとりで、老人は張良に「孺子」と呼びかけて
『太公望兵法』を授けた
いかに厳しくとりしまろうとも、世の中に焼かれぬ書物は残っているのだ


★「秦始皇本紀」を読んだ感想の形を借りて、
清朝の支配に屈せぬ心意気をうたった詩


★張良
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%89%AF

下&#37043;時代の逸話 [編集]
ある日、張良が橋の袂を通りかかると、汚い服を着た老人が自分の靴を
橋の下に放り投げ、張良に向かって「小僧、取って来い」と言いつけた。

張良は頭に来て殴りつけようかと思ったが、相手が老人なので我慢して
靴を取って来た。すると老人は足を突き出して「履かせろ」と言う。張良は
「この爺さんに最後まで付き合おう」と考え、跪いて老人に靴を履かせた。

老人は笑って去って行ったが、その後で戻ってきて
「お前に教えることがある。5日後の朝にここに来い」と言った。

5日後の朝、日が出てから張良が約束の場所に行くと、既に老人が来ていた。
老人は「目上の人間と約束して遅れてくるとは何事だ」と言い
「また5日後に来い」と言い残して去った。

5日後、張良は日の出の前に家を出たが、既に老人は来ていた。
老人は再び「5日後に来い」と言い残して去って行った。

次の5日後、張良は夜中から約束の場所で待った。
しばらくして老人がやって来た。
老人は満足気に「おう、わしより先に来たのう。こうでなくてはならん。
その謙虚さこそが大切なのだ」と言い、張良に太公望の兵法書を渡して
「これを読めば王者の師となれる。
13年後にお前は山の麓で黄色い石を見るだろう。それがわしである」
と言い残して消え去ったという。

後年、張良はこの予言通り黄石に出会い、これを持ち帰って家宝とし、
張良の死後には一緒に墓に入れられたという。

この「黄石公」との話は伝説であろうが、張良が誰か師匠に就いて兵法を
学んだということは考えられる。
また、太公望の兵法書というものを『六韜』だと考える向きもあるが、
現存する『六韜』の成立年代は魏晋代と考えられているので、少なくとも
張良が読んだ書物は、現存する『六韜』ではないと見られる。


.

結客少年場行     李白

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/14 01:34 投稿番号: [309 / 735]
結客少年場行     李白(盛唐・701〜762)
客(かく)を少年場(しょうねんじょう)に結ぶ行(うた)


紫燕黄金瞳       紫燕   黄金の瞳(とう)
啾啾揺緑●       啾啾(しゅうしゅう)として緑●(りょくそう)を揺(うご)かす
平明相馳逐       平明   相馳逐(ちちく)し
結客洛門東       結客(けつかく)す洛門の東

●「たてがみ」という字です。

若者が乗ったる紫燕の駒は黄金の瞳で
ちりんちりんと鈴を鳴らし、緑の鬣を揺(うご)かしつつ
朝早くから馳せて往ったり来たり
洛門の東で侠客と仲間を組んで遊び廻る

少年學劔術       少年は劔術を學び
凌轢白猿公       凌轢(りょうれき)す白猿公
珠袍曳錦帶       珠袍(しゅほう)錦帶を曳き
匕首挿呉鴻       匕首(ひしゅ)呉鴻を挿しはさむ

若者は劔術を學び
白猿公を凌ぐ腕前
珠を飾った上着に錦の帯を長く垂れ
呉鴻の匕首(あいくち)を挿(はさ)んでいる

由来萬夫勇       由来萬夫の勇
挟此英雄風       此の英雄の風(ふう)を挟(さしはさ)む
託交從劇孟       交(まじわり)を託して劇孟(げきもう)に從い
買醉入新豐       醉(よい)を買うて新豐に入る
笑盡一杯酒       笑って盡くす一杯の酒
殺人都市中       人を殺す都市の中(うち)

もともと萬夫に當る勇気が有るところに
此の英雄の風采で押出して
劇孟の如き名高い侠客に交りを求め
新豐に入って美酒を買い
笑いつつ一杯ひっかけて
市中(まちなか)で相手を殺す

羞道易水寒       道(い)うを羞づ   易水寒きを
從令日貫虹       日をして虹に貫かしむるに從(まか)す
燕丹事不立       燕丹の事   立たず
虚没秦帝宮       虚しく秦帝の宮に没す
武陽死灰人       武陽は死灰の人
安可與成功       安(いず)くんぞ與(とも)に功を成す可けんや

「易水寒し」の歌を口にするを羞じる
日をして勝手に虹に貫かれしめよ
燕太子丹の計画は成立しないで
刺客荊軻は虚しく秦の始皇帝の宮殿で没した
同行者の秦武陽は顔色を死灰の如く變えた臆病者
どうして一緒に功を成せるものか

★この青年は、秦王暗殺に失敗した荊軻を羞ずべきものとし、
臆病者の秦舞陽みたいなやつとはつきあえない、と軽蔑しています。

★詩中、意味不明な言葉があると思いますが省略。
ご質問があればできるかぎりの範囲内でお答えいたします。

★青木正兒『李白』集英社, 漢詩大系 8

============================ =

以上をもちまして「荊軻伝」を終了いたします。
拙文をロムしてくださった方に感謝いたします。有難うございました。

790

刺客列傳 第五話 「荊軻」 結の段 5 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/14 01:31 投稿番号: [308 / 735]
太史公曰。世言荊軻、其稱太子丹之命、、天雨粟、馬生角也。太過。
又言荊軻傷秦王。皆非也。始公孫季功董生夏無且游、具知其事。
爲余道之如是。自曹沫至荊軻五人、此其義或成、或不成。
然其立意較然、不欺其志。名垂後世、豈妄也哉。

太史公曰く、
世に荊軻を言うは、それ太子丹の命と稱し、天、粟を雨(ふ)らし、
馬に角を生うなり。
太(はなはだ)過(あやま)てり。
また言う荊軻、秦王に傷すと。皆非(あら)ざるなり。
始め公孫季功・董生、夏無且と游び、具(つぶさ)にその事を知れり。
余のためにこれを道(い)うことかくの如し。
曹沫より荊軻に至る五人、これ、その義あるいは成り、あるいは成らず。
然してその意を立つるは較然、その志を欺かず。
名、後世に垂るは、豈に妄(ぼう)なりや。


太史公(作者・司馬遷)の論賛である。

「世間では荊軻の話として伝わっている中に、太子丹の運命と称して、
天が(彼を哀れんで)穀物を降らし、馬に角を生やしたというようなことを
言っている。がこれは大間違いである。

また、荊軻が秦王に傷を負わせたとも言っているが、
この話もありえないことである。

かつて公孫季功と董生は、夏無且と交遊があって
(夏無且から詳細に聴いて)、この話をよく知っていた。
そしてわたしに如上のように話してくれた。

曹沫より荊軻に至る刺客五人の、その義をかかげての暗殺は、
あるいは成就し、あるいは成就しなかった。
しかしながら刺客としての意義ははっきりと立てることができ、
その志を欺かなかった。
刺客として彼らの名が後世に伝わったことは、まさしく道理のあることである」


★太子丹の求めてきた徐夫人の匕首は、いとすじほどの血が滲む傷でも、
たちどころに死にました。
このことからも荊軻が秦王に傷を負わせたという話は真実ではないといえます。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835412&tid=bbgmdb2vdbffcbeh&sid=1835412&mid=283#under-deli

★太子丹が秦から逃げ帰ったときの逸話です。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835412&tid=bbgmdb2vdbffcbeh&sid=1835412&mid=255


787

Re: 刺客列傳 第五話 「荊軻」 結の段 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/14 01:15 投稿番号: [307 / 735]
参考

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835412&tid=bbgmdb2vdbffcbeh&sid=1835412&action=m&mid=251

それから荊軻は邯鄲(かんたん)に旅行して、
そこで魯句踐とバクチをしたときにそのやり方について口論となった。
魯句踐は怒って荊軻をどなりつけた。


★ところで、上記URLで、魯句踐のほかにもう一人
葢聶という人が出てきています。
嘗て荊軻は燕を出発する前に、
自分と一緒に秦に行き秦王暗殺に手をかしてくれる人を待っていました。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835412&tid=bbgmdb2vdbffcbeh&sid=1835412&action=m&mid=283

荊軻は、人を待っていた。
その人とともに秦に行きたいと考えていたのである。
その人物は遠方に居てまだ到着しないうちに旅の準備が整ってしまった。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835412&tid=bbgmdb2vdbffcbeh&sid=1835412&mid=284#under-deli


★さて、荊軻は自分に同行してくれる人を待っていたわけですが、
それは一体誰だったのでしょうか。
司馬遷は最後までその人が誰か明かしていません。
ただ推測することはできます。その推測ですが、

①司馬遷は荊軻の待ち人が誰だったか知っていて敢えて書かなかった。
(いたずら心かなんかで)
②司馬遷も知らなかった。
③見当はついているのだが、確定的ではないので書かずにおいた。

どうでしょうか。よかったら一度考えてみてください。
ちなみに、わたしは①或いは③です。

★司馬遷は、その人の名を知ってか知らずか。知っていて敢えて書かず、
いたずら心で含みを残しておいたのか、永遠の謎ではあります。

が、その人というのが、この葢聶であるという可能性は大だと思います。
ひとつには、荊軻は、自分とのかつてのいきさつから、
葢聶が肝の据わった命知らずの遊侠の徒であることを知っていたということ。
もうひとつには、魯句踐は最後に登場して彼についてはきれいに結着が
ついているのに、この葢聶については最初に登場したまま、
ついに宙に浮いたままで終ってしまっているから、です。

で、ロムのみなさまはどのようにお考えになられますでしょうか。


http://homepage3.nifty.com/alacarte/quiz-sub-q2.htm
http://homepage3.nifty.com/alacarte/quiz-sub-a2.htm
http://www.ume.sakura.ne.jp/~edo/cgi-bin/petit1/15.html

[327へのレス] 投稿者:坂本竜馬 投稿日:2003/03/09(Sun) 15:41:58
荊可(かの字は車へんに可なのだがパソコンでは出なかったのでご容赦)が誰を待っていたかについては史記・刺客列伝にも載っていない為わかりません、いあだこの件にかんしては色々な小説家の想像力を刺激してきたようで、たとえば陳舜臣先生の短編集中国任侠伝の中の一編「荊可、一片の心」の中では荊可の旧友で飛び道具の名人の辛朔(むろん陳先生の創作の人物で実在の人物ではない)という事になっています。


つづく

781

刺客列傳 第五話 「荊軻」 結の段 4 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/14 00:58 投稿番号: [306 / 735]
魯句踐已聞荊軻之刺秦王、私曰。
嗟乎、惜哉。其不講於刺劔之術也。
甚矣。吾不知人也。曩者吾叱之。彼乃以我爲非人也。


魯句踐すでに荊軻の秦王を刺すを聞き、私(ひそか)に曰く、
「嗟乎(ああ)、惜しいかな。刺劔の術を講ぜざりしや。
甚しいかな。吾れ人を知らざるなり。曩者(むかし)吾れこれを叱す。
彼すなわち我を以て人に非ずと爲さん」と。


魯句踐は、荊軻が秦王を刺殺しようとしたことを聞いて、ひそかに言った。

「やれやれ、惜しいことをしたなあ。
あいつは刺剣の術(人を刺殺するための剣術)を学んだことが
なかったのだろうか。
ひどいもんだ、俺には人を見る目がなかったのだ。
むかし、俺は荊軻をどやしつけたことがあったなあ。
あいつはおそらく、俺のことを人非人だと思ったことだろうな」と。


つづく

780

刺客列傳 第五話 「荊軻」 結の段 3 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/14 00:50 投稿番号: [305 / 735]
聞於秦始皇。秦始皇召見。人有識者、乃曰。高漸離也。秦皇帝惜其善撃筑。
重赦之。乃<目霍>其目、使撃筑。未嘗不稱善。稍﨟近之。高漸離乃以鉛置筑中。
復進得近、舉筑朴秦皇帝。不中。於是遂誅高漸離、終身不復近諸侯之人。


秦始皇に聞こゆ。秦始皇召して見る。人、識る者有り。
すなわち曰く、「高漸離なり」
秦皇帝その善く筑を撃つを惜しむ。これを赦(ゆる)すこと重(かた)し。
すなわちその目を<目霍>(つぶ)し、筑を撃たしむ。
未だ嘗て善しと稱えざるなし。
稍(やや)﨟(ますます)これに近づく。高漸離すなわち鉛を以て筑中に置く。
また進みて近づくを得て、筑を舉げて秦皇帝を朴す。中(あた)らず。
ここにおいて遂に高漸離を誅し、終に身また諸侯の人を近づけず。


高漸離の噂が秦の始皇帝の耳に入った。
始皇帝は高漸離を召して引見した。
高漸離を知っている者がいて、「これは高漸離です」と言った。

秦皇帝は高漸離の筑の上手を愛惜した。
そこで高漸離を赦(ゆる)し厚遇した。

ただ、その目をつぶしておいて筑を撃たせた。
高漸離が筑を撃てば、始皇帝が「うまい」と褒めないことはなかった。

そのうちだんだんに始皇帝の身辺に近づくことができた。
すると高漸離は筑の中に鉛をしかけておいた。
次に御前に進んで詩皇帝に近づくことができたとき、
筑をふりあげて秦皇帝に殴りかかったが、あたらなかった。

ことここに及んで遂に始皇帝は高漸離を誅殺し、以後は自分の身辺に
諸侯の人(もとの、秦以外の国から来た人)を近づけなかった。


つづく

774

Re: 刺客列傳 第五話 「荊軻」 結の段 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/14 00:45 投稿番号: [304 / 735]
★「彼庸乃知音」の「知音」
①音楽を知る
②(①から転じて)自分の心をよく理解してくれる真の友人

己の価値を知る、認知のひとつのバリエーション。

主人、一坐の客、宋子の人々・・・高漸離を認知


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★知音の友・・・、『列子 湯問篇十二話

伯牙(はくが)は琴の琴の名人、
鍾子期(しょうしき)はよい聞き手だった。

伯牙が高い山にのぼる気持を琴にのせれば、
鍾子期は「ああすばらしい。そびえたつ泰山(たいざん)のようだ」という。

流れる水を琴に託すと、
「ああすばらしい。洋々たる大河のようだ」という。

伯牙の思っていることを、鍾子期はかならずいいあてた。


  ある日、二人は泰山の北に旅行した。
突然、暴風雨にあって岩かげに腰をおろした。
伯牙は悲しい気持を琴によせた。
はじめ「霖雨の曲」、つづいて「崩山の曲」をひいた。
一曲ごとに鐘子期はぴたりその気持をいいあてた。
伯牙は琴から手をはなし感嘆していった。

「ああ、よくきいてくれた。
あなたの胸にうかぶことは、わたしの心とすっかり同じだ。
琴をひいたら、わたしの気持はかくせない」


★弦を断つ
『呂氏春秋』には鐘子期が死んでから、伯牙はもうきいてくれる人が
いないと、弦を断ったとある。


★奥平卓+大村益夫訳『老子・列子』徳間書店



この話から「知音(ちいん)」の語が出た。

自分の音楽を知ってくれる人=親友、の意に用いる。
「知己(ちき)(己(おのれ)を知ってくれる人)」に近い語である。

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刺客列傳 第五話 「荊軻」 結の段 2 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/14 00:24 投稿番号: [303 / 735]
其明年、秦并天下、立號爲皇帝。於是秦逐太子丹荊軻之客。皆亡。
高漸離變名姓、爲人庸保、匿作於宋子。久之作苦。
聞其家堂上客撃筑、傍●不能去。
毎出言曰。彼有善有不善。從者以告其主曰。彼庸乃知音、竊言是非。
家丈人召使前撃筑。一坐稱善賜酒。而高漸離念久隠、畏約無窮時。
乃退出其装匣中筑、與其善衣、更容貌而前。
舉坐客皆驚、下與抗禮、以爲上客、使撃筑而歌。客無不流涕而去者。
宋子傳客之。

●「ニンベン」+「皇」     コウ

その明年、秦、天下を并せ、立ちて號して皇帝となす。
ここにおいて秦、太子丹・荊軻の客を逐(お)う。皆亡(に)ぐる。
高漸離、名姓を變え、人の庸保となり、匿(ひそ)みて宋子(河北)に作す。
これを久しうして作苦たり。その家の堂上に客の筑を撃つを聞き、
傍●(ぼうこう)して去るあたわず。毎(つね)に言を出だして曰く、
「彼、善有るも不善有り」
從者、以て其の主に告げて曰く、
「彼の庸、すなわち音を知る、竊(ひそ)かに是非を言う」
家の丈人、召して前(すす)みて筑を撃たせしむ。
一坐、善しと稱え酒を賜う。
而して高漸離、久しく隠れ、約を畏れ窮なる時の無からんを念(おも)う。
すなわち退出しその匣中(こうちゅう)の筑とその善衣とを装い、
容貌を更(あらた)めて前(すす)む。
坐を舉げて客皆驚き、下りて與に禮を抗し、以て上客となし、
筑を撃ちて歌わしむ。
客、流涕せざりて去る者なし。宋子傳えこれを客とす。


その翌年、秦は天下を併合し、秦王は天下の王となり皇帝と号した。
そしてまだ秦は、太子丹と荊軻の客を追っていた。客は皆逃げ去った。

高漸離は名も姓も変え、人の雇い人となり、こっそりと宋子(河北)で
働いた。しばらく働いていたが労働が苦痛になりだした。

そのころ、その家の奥座敷で客が筑を撃っているのを聞き、
行きつ戻りつしてその場から立ち去ることができなかった。そしてずっと
「あの人は、上手なところもあるが下手なところがある」などと批評した。

その家の召使いが、そのことを主人に告げて言った。
「あの雇い人は、どうやら音楽がわかるようです。
こっそりと筑の批評をしています」

それでその家の主人が高漸離を前に呼んで筑を撃たせた。
その場に居合わせた客たちはみな「うまい ! 」
と褒めて高漸離に酒をふるまった。

それで高漸離は、これまで姿を隠し取締りを畏(おそ)れていたが、
このままではいつまで経っても貧窮から抜け出せないということを思った。

そこでその場を退出し、その行李の中にしまってあった筑と、筑を撃つとき
の衣裳を出し身につけて、容貌(かたち)をあらためて再び一座に出て行った。

一坐の客たちは舉げて皆驚嘆し、自分の席から下ってお互いに同等の礼を
かわし、高漸離を上客として筑を撃たせて歌わせた。
客は皆涙を流してその場から立ち去る者はいなかった。

宋子のまちの人々は次々とその評判を伝え高漸離を客として招いた。


つづく

771,772

刺客列傳 第五話 「荊軻」 結の段 1 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/14 00:17 投稿番号: [302 / 735]
於是秦王大怒、﨟發兵詣趙、詔王翦軍以伐燕。十月而抜薊城。
燕王喜太子丹等、盡率其精兵、東保於遼東。秦將李信追撃燕王急。
代王嘉乃遣燕王喜書曰。秦所以尤追燕急者、以太子丹故也。
今王誠殺丹獻之秦王、秦王必解、而社稷幸得血食。其後李信追丹。
丹匿衍水中。燕王乃使使斬太子丹欲獻之秦。秦復進兵攻之。
後五年秦卒滅燕、虜燕王喜。

是に於て秦王大いに怒り、﨟々兵を發して趙に詣(いた)り、
王翦の軍に詔して以て燕を伐たしむ。
十月にして薊城を抜く。燕王喜・太子丹等、盡く其の精兵を率いて、
東のかた遼東を保つ(orまもる)。秦將・李信追撃し燕王急なり。
代王嘉乃ち燕王喜に書を遣りて曰く、
「秦の燕を尤(とが)め追うに急なることの所以(ゆえん)は、
以て太子丹の故(ゆえ)なり。今王誠(も)し丹を殺しこれを秦王に獻ずれば、
秦王必ず解(ゆる)し、而して社稷幸いに血食を得。
其の後李信、丹を追う。丹、衍水の中(うち)に匿る。
燕王乃ち使いをして太子丹を斬らしめ、これを秦に獻ぜんと欲す。
秦復た兵を進めこれを攻む。
後五年、秦卒(つい)に燕を滅し、燕王喜を虜にす。


この荊軻の事件で、秦王は大変に怒り、続々と軍隊を送り出し趙まで
行かせ、王翦の軍に詔(みことのり)して燕を攻撃させた。
王翦の軍は十ケ月で燕の都・薊城(河北省)を木っ端微塵に撃ち破った。

燕王喜や太子丹等は燕の精兵を率い全軍をあげて、
東方面の遼東にたてこもった。

秦將の李信が燕軍を追撃し、燕王は危急存亡のときに直面した。

そのとき代王嘉が燕王喜に手紙をおくってこう云った。

「秦が燕を咎め急追するその理由は、太子丹にある。
今、王がもし丹を殺し、丹の首を秦王に献上すれば、秦王は必ず追っ手の
軍を解き、燕の社稷(国家)は幸いにも血食を得ることができるでしょう」
と。

その後、秦將・李信は丹を追った。
そのころ丹は衍水(えんすい)の中洲にかくれていた。

代王嘉の手紙を見た燕王は使者を派遣して太子丹を斬らせ、
丹の首を秦に献上しようとしていた。

しかし秦はまた進軍し燕を攻撃した。
五年経って後、秦はついに燕を滅ぼし、燕王喜を捕虜にした。


★社稷(しゃしょく)
「社」は「土地神」、「稷」は「穀物神」。
国家はこの二神を必ず祀ることから、転じて国家の意味となります。


★血食
先祖のみたまやに生贄を捧げ祀ることから、先祖の霊が血の滴る生贄を
食べること。転じて祖先が子孫の祀りを受けること。
すなわち、ここでは国家の存続をいっています。


つづく

769

鬼太郎や大阪萌え大使も台北漫画博覧会

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/13 02:13 投稿番号: [301 / 735]
日本から鬼太郎や大阪萌え大使も   台北で「漫画博覧会」
2011.8.12 13:50     産経ニュース

漫画博覧会場で人気を集めた鬼太郎と大阪萌え大使ら
=11日、台北市内(吉村剛史撮影)
  【台北=吉村剛史】

漫画やアニメなどのポップカルチャーを発信する出版社などが一堂に
会するコミック博覧会「第12回漫画博覧会」が11日、台北市の
世界貿易センターで始まり、初日は9万人以上のファンらでにぎわった。
16日まで開催される。

  今年は「動漫(アニメ)大冒険」をテーマに、台湾国際角川書店など8
社が共催。ブースごとに舞台イベントなどで盛り上がり、
日本の人気漫画やアニメ作品などに長い行列ができた。

  会場には、大阪・日本橋のポップカルチャーをPRする3代目
“大阪萌え大使”のYUAさん、YUIさんをはじめ、漫画家、
水木しげる氏の代表作「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターも登場し、
台湾のアニメファンらの記念撮影に応じていた。

  日本の漫画やアニメファンが多い台湾では、日本を代表する漫画家の
故手塚治虫氏の人気も高く、台北市内では特別展「手塚治虫の世界」
も開催されている。

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靖国騒擾 台湾人高金素梅 書類送検

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/12 01:52 投稿番号: [300 / 735]
靖国でデモ・神職けが、台湾の立法委員書類送検


.   靖国神社(東京都千代田区)で元日本兵の台湾人が合祀(ごうし)されている
ことに対する抗議活動を行った際、制止した神職らにけがを負わせたなどと
して、警視庁公安部は11日、台湾の高金素梅(こうきんそばい)・立法委員
(国会議員に相当)(45)を威力業務妨害や礼拝所不敬、傷害などの容疑で
東京地検に書類送検した。

  発表によると、高金委員は2009年8月11日、靖国神社で約50人と
抗議デモを行った際、境内に入るのを制止しようとした神職ら計6人を
突き飛ばすなどし、うち1人の右手に軽傷を負わせるなどした疑い。

  旧日本軍人らが昨年5月、同庁に刑事告発していた。
高金委員は海外在住のため刑事責任を問うのは難しいとみられる。

  高金委員は台湾の女性タレント出身で、01年に立法委員に初当選。
02年以降、5回にわたって、靖国神社を訪れ、
台湾人の合祀に反対する抗議活動をしていた。

(2011年8月11日11時46分 読売新聞)


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★親日の国台湾では、めずらしいタイプのかたです。

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「死友」の故事

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/12 01:47 投稿番号: [299 / 735]
こういう物語もあります。


列士傳。羊角哀、左伯桃相與爲死友。欲仕於楚。遇雨雪不得行。饑寒無計。
度不倶生。乃并衣糧與角哀。伯桃入樹中而死。
楚平王愛角哀之賢。嘉伯桃之義。以公卿禮葬之。

列士傳。羊角哀、左伯桃、相與に死友となる。楚に仕えんと欲す。
雨雪に遇いて行くを得ず。饑寒するに計るなし。
度(はか)るに倶(とも)に生きず。
すなわち衣糧をあわせ角哀に與(あた)う。
伯桃、樹中に手入りて死せり。
楚の平王、角哀の賢を愛す。
伯桃の義を嘉(よみ)す。公卿の禮を以てこれを葬す。


羊角哀、左伯桃のふたりは戦国時代末期の燕の人。
ふたりは楚王が賢君であると聞き、
仕官したいと思い、連れだって楚へ行く。

途中雨雪に遭遇。このままでは共倒れになることは必定。
左伯桃は自分より学才があるとして羊角哀に自分の服を与え、
みずから樹林の中に姿を消して死んだ。

羊角哀は九死に一生を得、楚王に仕えることができた。
楚王は羊角哀の賢を愛し、羊角哀は栄達した。
楚王は羊角哀のために、左伯桃を公卿の礼をもって手厚く葬った。

これが「死友」の故事である。


★『関中流寓志』に後日譚がある。


あるとき、羊角哀が左伯桃の夢枕に立って云う。
自分の墓は荊軻の墓の近くにある。
だから、なんとか燕の亡国の恨みをはらしたいけれど、
荊軻には高漸離という仲間がいてかなわぬ、と。

その夢を見た羊角哀は自害した。
その夜、激しい雷鳴をともなった嵐となった。
明け方になって見ると、荊軻の墓があばかれて白骨が散乱していた。


★燕の亡国の恨み
荊軻が秦始皇帝暗殺にドジを踏んだために、燕の亡国が早まった、
という恨みです。


768

宮崎市定『史記を語る』

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/12 01:26 投稿番号: [298 / 735]
宮崎市定『史記を語る』

荊軻が秦王を追いかける段も、いかにも迫真のように見えて、
実は演劇の立ち廻りに近い。

匕首の白刃を背に感じながら、長剣を肩ごしに引き抜くなどは、
真剣勝負の実況とは思われない。

さればといってこれらの場面は、演出の見せ所であるから、
総て取り去ってしまっては興行価値がなくなってしまう。


『史記』の原文には、荊軻が秦王を追いかける叙述の中に、
時惶急、卒惶急、卒惶急、という三句が挿まれている。

私の考えではこれは、がんばれーというような合いの手であって、
観衆の方が唱和して叫んだ掛け声に違いないと思う。

.

Re: 刺客列傳 第五話 「荊軻」 転の段 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/12 01:23 投稿番号: [297 / 735]
★「軻被八創」「軻、八創を被(こうむ)る」
全身に八箇所の傷を負った、ということですが、
「八」を「たくさん」と解して「全身傷だらけ」でもいいと思います。

それにしても、役立たずの秦舞陽は何をしていたのでしょうか。
殺されたことは間違いないでしょうが、
いつ、どのようにして殺されたのでしょうか。


★「倚柱而笑」「柱に倚りて笑い」
荊軻のこの「笑」はどんな笑いでしょうか。
さぞかし複雑な感情のこもった笑いであったろうと思います。
滑稽、侮蔑、憐憫、冷笑、嘲笑、微苦笑・・・・・。

不思議なことに、
このような必死の場面がときとして滑稽に思われることもあります。


★田光先生の笑い

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835412&tid=bbgmdb2vdbffcbeh&sid=1835412&mid=263


★No.293 にもありました。「荊軻顧笑舞陽」「荊軻顧みて舞陽を笑い」の
「笑」は、どんな笑いなのでしょうか。
荊軻の心理状態を忖度してみてください。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835412&tid=bbgmdb2vdbffcbeh&sid=1835412&mid=293#under-deli


★「當坐」・・・罪に触れる。罰にあたる。
「坐」は「罪する」「罰する」。「連座」という言葉もあります。


★荊軻の秦王暗殺の失敗のひとつの要因を自身に語らせています。
考えが甘かったのです。
或いは、自身、生きて帰りたいという気持ちが心の奥底にあったのでしょうか。
この回をちょっとふりかえってみてください。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835412&tid=bbgmdb2vdbffcbeh&sid=1835412&mid=285#under-deli

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835412&tid=bbgmdb2vdbffcbeh&sid=1835412&mid=286#under-deli


③行って使命を果たして戻ってこないようなのは、小僧っ子のやることだ。

「事の成らざる所以(ゆえん)は、以て生きながらこれを劫(おびやか)し、
必ず約契を得て、以て太子に報ぜんと欲したればなり」


つづく

762

刺客列傳 第五話 「荊軻」 転の段 4

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/12 01:07 投稿番号: [296 / 735]
是時侍醫夏無且、以其所奉藥嚢提荊軻也。秦王方環柱走。
卒惶急、不知所爲。左右乃曰。王負劔。負劔、遂抜以撃荊軻、斷其左股。
荊軻廢。乃引其匕首、以●秦王。不中。中桐柱。秦王復撃軻。軻被八創。
軻自知事不就、倚柱而笑、箕踞以罵曰。事所以不成者、以欲生劫之、
必得約契、以報太子也。於是左右既前殺軻。秦王不怡者良久。
已而論功賞羣臣、及當坐者各有差。而賜夏無且黄金二百溢。
曰。無且愛我、乃以藥嚢提荊軻也。

●「テヘン」+「適」

是の時、侍醫・夏無且(かむしょorかぶしょ)、其の奉ずる所の
藥嚢(やくのう)を以て荊軻に提(なげう)つ。
秦王、方に柱を環(めぐ)りて走る。卒(にわか)に惶急し、爲す所を知らず。
左右乃ち曰く、「王、劔を負え」。
劔を負い、遂に抜きて以て荊軻を撃ち、其の左股を斷つ。
荊軻廢(たお)る。乃ち其の匕首を引き、以て秦王に●(なげう)つ。
中(あた)らず。
桐柱に中(あた)る。秦王復た軻を撃つ。軻、八創を被(こうむ)る。
軻自ら事の就(な)らざるを知り、柱に倚りて笑い、
箕踞(ききょ)して以て罵しりて曰く、
「事の成らざる所以(ゆえん)は、以て生きながらこれを劫(おびやか)し、
必ず約契を得て、以て太子に報ぜんと欲したればなり」
是に於て左右既に前(すす)みて軻を殺す。秦王怡(よろこ)ばざること
良(やや)久し。
已にして功を論じ羣臣を賞し、及び坐に當れる者各々差有り。
而して夏無且に黄金二百溢を賜ふ。
曰く、「無且、我を愛し、乃ち藥嚢(やくのう)を以て荊軻に提(なげう)てり」


この時、秦王の侍医をしている夏無且(かむしょorかぶしょ)が、
捧げ持っていた藥嚢(やくのう)を荊軻めがけて投げつけた。

秦王は銅柱のまわりをかけ廻って逃げているところだ。
まさしくこの危急存亡のときにうろたえ慌てて、
どうしたらいいかわからなかった。

やっとのことで左右の侍臣が声をかける。「王、剣を背負いたまえ」

剣を背中に負い、やっとのことで剣をひき抜き荊軻に斬りかかる。
荊軻の左股を斬り落とす。荊軻くずれおちる。
そこで例の匕首を引き寄せ、秦王めがけて投げつける。
あたらない。桐柱にあたる。

秦王はまた荊軻に斬りつける。荊軻は身に刀傷八創を受けた。

荊軻は謀(はかりごと)の失敗を悟り、柱によりかかって笑い、
尻を床につけ足を投げ出して罵って言った。

「事が成就しなかった所以(ゆえん)は、秦王を生かしたまま脅迫し、
必ず約束を取りつけ、それを持って太子丹に報告したいと思ったからだ」

ここにきてやっと左右の侍臣が進み出て荊軻を殺した。

秦王はしばらく不機嫌であった。それから論功行賞があり、
群臣を賞し、罪に当たる者を罰した。それぞれに差が有った。

夏無且には黄金二百溢(いつ)が下賜された。

「無且は、わたしを大切に思い、そこで藥嚢(やくのう)を
荊軻に投げつけたのだ」ということだった。


つづく

761

Re: 刺客列傳 第五話 「荊軻」 転の段 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/11 00:58 投稿番号: [295 / 735]
秦王が荊軻に言った。「舞陽が持っている地図をこれへもて」

荊軻はそこで地図を手に取って献じた。秦王が地図をひらいた。
地図が最後までひらかれると匕首が出てきた。

荊軻はすかさず左手に秦王の袖を掴み、
そして右手に匕首を持って秦王を刺した。
だが身体に届かない。秦王は驚き、身を引いて起ち上がった。
袖がちぎれた。
剣を抜こうとした。剣が長くて抜けない。剣の鞘(さや)を弄した。
この時秦王はうろたえ慌てていた。
剣はしっかりと鞘におさまっていてすぐには抜けない。

荊軻が秦王を追いかける。秦王は柱のまわりを廻って逃げる。

居並ぶ家来は皆驚いた。
突然の不慮の事態の勃発に、ことごとく冷静さを失っていた。

そして秦の法律では、群臣で殿上に侍する者は、
寸鉄を帯びることも許されていなかった。

宮中の警護官はみな武器を持って、殿下に並んでいたが、
お召しの詔(みことのり)がなければ殿中に上がることはできない。

事態は緊急の相を呈しており、下に居並ぶ警護の兵を呼んでいるひまがない。

その故に荊軻はずっと秦王を追い続ける。事態は緊急を要している。
殿上にいる臣は荊軻を攻撃する武器を持っていない。
そこで素手でみなで荊軻に殴りかかった。


★後半のクライマックスの場面です。
ここは是非是非、原文を眺め、書き下し文も読んでみてください。

主語が省略されており、言葉の繰り返しがあり、そのひとつひとつの言葉が
短い、まさに実況中継講談調ではありませんか。

是非、原文を読む醍醐味を味わってください。


つづく

757

刺客列傳 第五話 「荊軻」 転の段 3 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/11 00:55 投稿番号: [294 / 735]
秦王謂軻曰。取舞陽所持地圖。軻既取圖奏之。秦王發圖。圖窮而匕首見。
因左手把秦王之袖、而右手持匕首●之。未至身。秦王驚、自引而起。袖絶。
抜劔。劔長。操其室。時惶急。劔堅。故不可立抜。荊軻逐秦王。秦王環柱而走。
羣臣皆愕。卒起不意、盡失其度。而秦法、羣臣侍殿上者、不得持尺寸之兵。
裵郎中執兵、皆陳殿下、非有詔召不得上。方急時、不及召下兵。
以故荊軻乃逐秦王。而卒惶急、無以撃軻、而以手共搏之。

●「テヘン」+「甚」    つきさす    チン


秦王、軻に謂いて曰く、「舞陽が持つ所の地圖を取れ」と。

軻既に圖を取りてこれを奏す。

秦王、圖を發(ひら)く。圖窮(きわ)まりて匕首(ひしゅ)見(あら)わる。
因って左手に秦王の袖を把り、而して右手に匕首を持してこれを●(つきさ)す。
未だ身に至らず。秦王驚き、自ら引きて起(た)つ。袖絶つ。劔を抜く。劔長し。
其の室(さや)を操る。時に惶急(こうきゅう)す。劔堅し。
故に立(ただち)に抜く可からず。
荊軻秦王を逐(お)う。秦王、柱を環(めぐ)りて走(に)ぐ。
羣臣皆愕(おどろ)く。卒(にはか)に意(おも)わざること起こりしに、
盡く其の度を失う。

而して秦の法、羣臣の殿上に侍する者は、尺寸(せきすん)の兵を持するを得ず。
裵(もろもろ)の郎中、兵を執り、皆殿下に陳(なら)ぶも、
詔召有るに非ざれば上るを得ず。

急なる時に方(あた)りて、下兵を召すに及ばず。
故を以て荊軻乃ち秦王を逐(お)う。

而して卒(にはか)に惶急して、以て軻を撃つ無し、
而して手を以て共にこれを搏(う)つ。


つづく

756

刺客列傳 第五話 「荊軻」 転の段 2 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/11 00:50 投稿番号: [293 / 735]
秦王聞之、大喜、乃朝服設九賓、見燕使者咸陽宮。
荊軻奉樊於期頭函、而秦舞陽奉地圖匣。以次進至陛。秦舞陽色變振恐。
羣臣怪之。荊軻顧笑舞陽、前謝曰。
北蕃蠻夷之鄙人、未嘗見天子。故振慴。願大王少假借之、使得畢使於前。

秦王これを聞き大いに喜び、乃ち朝服して九賓を設け、
燕の使者を咸陽宮に見る。
荊軻、樊於期の頭函を奉じ、而して秦舞陽、地圖の匣(はこ)を奉じ、
次を以て進み陛に至る。
秦舞陽、色變じて振恐す。羣臣これを怪しむ。
荊軻顧みて舞陽を笑い、前(すす)みて謝して曰く、
「北蕃蠻夷の鄙人なり、未だ嘗て天子を見ず。故に振慴(しんしょう)す。
願はくは大王少しくこれを假借して、使いを前に畢(お)うるを得しめよ」と。



秦王はこれを聞いてたいへん喜び、そういうことであればと礼装して
九賓の接客の礼の席を設け、燕の使者を咸陽宮に於いて接見した。

荊軻は樊於期の頭函を捧げ持ち、
そして秦舞陽は地圖の匣(はこ)を捧げ持ち、
順番に進んで宮殿の陛(きざはし)までやってきた。

すると秦舞陽は、顔色が変わって恐れおののいた。
居並ぶ群臣がこれを怪しむと、荊軻は顧みて舞陽を笑って、
前に進み謝罪して言った。

「北方の野蛮な田舎者です。
未だ嘗て天子のような最高位の方と接見したことなどありません。
その故に震え畏れおののいているのです。
どうか大王におかれましては、少しばかり寛容におなりいただいて、
使者を御前に出だし、使者としての使命を果させてください」


★九賓・・・天子が賓客としてもてなす九種の人々。
①公・侯・伯・子・男・孤・卿・大夫・士
②九卿(九人の大臣)に同じ。
一説に「九人の接待役」という。


★「荊軻顧笑舞陽」「荊軻顧みて舞陽を笑い」の「笑」は、
どんな笑いなのでしょうか。
荊軻の心理状態を忖度してみてください。


つづく

754

刺客列傳 第五話 「荊軻」 転の段 1 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/11 00:47 投稿番号: [292 / 735]
遂至秦、持千金之資幣物、厚遺秦王寵臣中庶子蒙嘉。嘉爲先言於秦王曰。
燕王誠振怖大王之威、不敢擧兵以逆軍吏、願舉國爲内臣、比諸侯之列、
給貢職如郡縣、而得奉守先王之宗廟。恐懼不敢自陳。謹斬樊於期之頭、
及獻燕督亢之地圖、函封。燕王拝送于庭、使使以聞大王。唯大王命之。

遂に秦に至り、千金の資幣物を持して、厚く秦王の寵臣、
中庶子・蒙嘉に遺(おく)る。
嘉、爲(ため)に先ず秦王に言いて曰く、「燕王、誠に大王の威に振怖し、
敢えて兵を擧げ以て軍吏に逆せず。
國を舉げて内臣となりて、諸侯の列に比し、貢職を給すること郡縣の如くに
して、先王の宗廟を奉守するを得んことを願へども、恐懼して敢て自ら陳せず。
謹んで樊於期の頭を斬り、及び燕の督亢の地圖の函封したるを獻ず。
燕王、庭に拝送し、使ひをして以て大王に聞かしむ。
唯(ただ)大王これを命ぜよ」


荊軻はいよいよ秦に到着した。
千金の価値のある品々を持参して、厚く秦王の寵臣である中庶子の蒙嘉に
贈った。蒙嘉は、そのために、先ず秦王にこのように言った。

「燕王は誠に大王の威に恐れ慄き、軍を起こしてわが秦の軍吏に逆らおうと
する勇気はありません。
国を舉げて大王の内臣となって、諸侯の列に並び、我が秦国の郡県のように
貢物を献上したいとし、燕の先祖の王の宗廟を奉守し続けることができる
よう願っておりますが、恐懼して敢えてみずから陳べることができません。
そこで謹んで樊於期の首を斬り、それに加えて燕の督亢(とくこう)の地図を
函(はこ)に入れて封印したものを献上してきております。
燕王が王宮の庭にて拝送し、使者を派遣して大王に言上したいとの
ことでございます。
ただ大王の命をお待ち申し上げております」


★中庶子・・・官職名。皇室、諸官吏の戸籍係。

★結果として、荊軻は秦王暗殺に失敗するわけですが、すると
この蒙嘉という人はどうなるのでしょう。まあ、命はないのでしょうね。


つづく

752

易水送別     駱賓王

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/11 00:42 投稿番号: [291 / 735]
易水送別        駱賓王(初唐・640?〜684)


此地別燕丹       此の地   燕丹に別る
壯士髪衝冠       壯士   髪   冠を衝く
昔時人已没       昔時(せきじ)   人   已に没し
今日水猶寒       今日   水   猶(なお)寒し

この地こそはその昔、荊軻が燕の太子丹と別れたところ
壮士の髪は逆立って冠を突き上げんばかりであった
そうした昔の人は姿を消してもういないが
易水の水は何百年後の今日なおさむざむと流れている


★松枝茂夫『中国名詩選』中, 岩波文庫


★「易水に   ねぷか流るる   寒さかな」     与謝蕪村(l716〜1783)

★易水送別は前半のクライマックスの場面でした。
次回からは転の段になります。

荊軻、秦王暗殺の名場面、
息づまる展開を司馬遷の名文でお楽しみいただけます。

.

Re: 刺客列傳 第五話 「荊軻」 承の段 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/11 00:25 投稿番号: [290 / 735]
◆そして「川を渡る」という意味について考察してみたいと思います。

★矢切りの渡し

「つれて逃げてよ・・・」
「ついておいでよ・・・」
夕ぐれの雨が降る 矢切りの渡し
親のこころに そむいてまでも
恋に生きたい 二人です

「見すてないでね・・・」
「捨てはしないよ・・・」
北風が泣いて吹く 矢切りの渡し
噂かなしい 柴又すてて
舟にまかせる さだめです

「どこへ行くのよ・・・」
「知らぬ土地だよ・・・」
揺れながら 艪が咽ぶ 矢切りの渡し
息を殺して 身を寄せながら
明日へ漕ぎだす 別れです

★伊藤左千夫の佳品「野菊の墓」も、
たしかこの矢切りの渡しが出てきましたね。
政夫は舟で異なる土地の学校へ、民子は舟で泣く泣く嫁入りします。

★そして「スタンド・バイ・ミー」の鉄橋

★三途の川

★『史記』「伍子胥列伝第六」

父と兄を殺され、自らは逃れて長江を渡り呉に亡命、
怨毒に生き怨毒に死んだ楚の人・伍子胥。

忠義を尽くした呉王に死を命ぜられ自刎して死んだ。

その死骸は、川を渡って故郷へ帰ることかなわず、
牛(一説に馬)の革で作った袋に入れられ、川に棄てられました。


つづく

575


http://www.youtube.com/watch?v=1oiVRN8-KfE

http://www.youtube.com/watch?v=Fbrn7NduT6w&playnext=1&list=PLD78399EC1939FDFF

http://www.youtube.com/watch?v=sscwUYI_upM

.

Re: 刺客列傳 第五話 「荊軻」 承の段 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/11 00:17 投稿番号: [289 / 735]
>★「川の流れ」は戻って来ない。自分も十中八九戻れない。
この場面は不可逆的時間の象徴でもあります。<

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★「子在河上曰逝者如斯夫不舎晝夜」『論語』「子罕第九」

子、河の上(ほとり)に在(あ)りて曰く、逝く者は斯くの如きか。
晝夜(ちゅうや)を舎(お)かず。

水の流れに、
いっときの休みもなく過去から現在、未来へと移ろう時の流れ、
人生の無常をみた感慨のようにとれます。


★鴨長明『方丈記』

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」


★水(川)には不思議な力があります。
漢詩の世界では、高所(たとえば楼)に登れば、どんなにドンチャン騒ぎを
して飲んだくれていても、詩作はしみじみとした望郷の思いをうたうこと。

同じように、水(川)の流れを見たときの詩は、時の流れと人生に
懐(おもい)を馳せた詩をつくることが、多くお約束ごとでした。
(もちろん、そうでない場合もありますが)


★「川の流れのように」秋元康作詞・見岳章作曲

知らず知らず   歩いてきた
細く長い   この道
振り返れば   遥か遠く
故郷(ふるさと)が見える
でこぼこ道や   曲がりくねった道
地図さえない   それもまた人生
ああ   川の流れのように   ゆるやかに
いくつも   時代は過ぎて
ああ   川の流れのように   とめどなく
空が黄昏(たそがれ)に   染まるだけ

生きることは   旅すること
終わりのない   この道
愛する人   そばに連れて
夢   探しながら
雨に降られて   ぬかるんだ道でも
いつかは   また   晴れる日が来るから
ああ   川の流れのように   おだやかに
この身を   まかせていたい
ああ   川の流れのように   移り行く
季節   雪どけを待ちながら

ああ   川の流れのように   おだやかに
この身を   まかせていたい
ああ   川の流れのように   いつまでも
青いせせらぎを   聞きながら


つづく

574

Re: 刺客列傳 第五話 「荊軻」 承の段 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/10 00:41 投稿番号: [288 / 735]
★壮士・・・意気さかんな勇士


★「變徴」「羽」・・・中国の音楽の音階。
「變徴」は「ファ」の音、「羽」は「ラ」の音。
「易水の歌」を高い調子でうたって哀切感を盛り上げたということのようです。


★「川の流れ」は戻って来ない。自分も十中八九戻れない。
この場面は不可逆的時間の象徴でもあります。


★この「易水の歌」は楚歌です。楚歌の特徴として
「兮」の字の挿入、メロディーのもの悲しさがあげられます。

なぜ北の燕の国にいる荊軻が南方の楚歌を歌ったのか。
歴史的な事実として荊軻が歌ったのではなく、物語を形成していく過程で
肝心なところで歌を歌わせるということです。

易水の場面は、前半最後のクライマックスの場面です。
物語の形式として決まっているわけではないが、その場にマッチした
哀切を極めた歌であれば、楚歌であっていっこうにかまわないのです。

この「哀切」は荊軻の暗殺失敗が前提になっており、
物語を支える要素になっています。すなわち、
ここは歴史的事実ではなく、講談であるとみなす根拠になります。

====================================== =

宮崎市定『史記を語る』

★ところで、そんなら司馬遷の書いた荊軻伝は悉く確実な拠り所があって、
総てを実録と信じてよいか、という段になると話は違う。

私はやはり全体が一種の語り物、それも身ぶり、手ぶりを雜(まじ)えた
演出の筋書に外ならぬと考える。

易水の別離において、太子以下が白装束であっては、
匿そうとしても大いに目立つではないか。
そこらに秦のスパイがうろうろしているに違いないから、
すぐに情報が飛んで大事を誤るのは必定である。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★たとえば、こういう場面から、『史記』は語られた文章の再構成では
ないか、という可能性が出てくるわけです。

このことは後半のクライマックス、
秦王暗殺の場面の臨場感、リズムなどからも推察されます。

「説書・せっしょ」という講談語りの存在は宋代には確認されていますが、
もっと遡って漢代にもいたかもしれない、司馬遷が『史記』を書くに
あたって材料とした素材の中に説書があった可能性もうかがえます。


つづく

745, 746

刺客列傳 第五話 「荊軻」 承の段 8 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/10 00:30 投稿番号: [287 / 735]
太子及賓客知其事者、皆白衣冠以送之、至易水之上。既祖取道。
高漸離撃筑、荊軻和而歌、爲變徴之聲。涕泣。又前而爲歌曰。
風蕭蕭兮易水寒。壯士一去兮不復還。復爲羽聲●慨。皆瞋目、髪盡上指冠。
於是荊軻就車而去,。終已不顧。

●「リッシンベン」+「亢」     コウ

太子及び賓客、其の事を知る者、皆白衣冠して以てこれを送り、
易水の上(ほとり)に至る。
既に祖して道を取る。高漸離筑を撃ち、荊軻和して歌ひ、變徴の聲を爲す。
涕泣す。又前(すす)みて歌を爲(つく)りて曰く、


風蕭蕭兮易水寒        風は蕭蕭として易水寒し
壯士一去兮不復還       壯士一たび去って復た還らず


また羽聲●慨をなす。
皆、目を瞋(いか)らし、髪、盡く上(のぼ)りて冠を指(つ)く。
ここにおいて荊軻、車に就(つ)きて去る。終(つい)に已に顧りみず。


太子や賓客、そしてこの事を知る者は、皆白衣(喪服)に身を固め、
荊軻を見送りに易水のほとりまできた。
そして道祖神に祈願してから道についた。
高漸離が筑を撃ち、荊軻はその筑に和して歌い、變徴(へんち)の音階で歌った。
皆涙を流して泣いた。それから前にすすみ歌を作って歌った。


風蕭蕭兮易水寒        風は蕭蕭として易水寒し

壯士一去兮不復還       壯士一たび去って復た還らず


今度は羽調で歌い悲憤●慨した。皆、目を瞋(いか)らし、
髪はことごとく逆立って冠を突き上げるほどだった。

かくして荊軻は車に乗って去った。
最後までうしろを振り返ることをしなかった。


つづく

744

Re: 刺客列傳 第五話 「荊軻」 承の段 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/10 00:25 投稿番号: [286 / 735]
★ここの場面は、実はとてもむつかしいところです。


★「何太子之遣」「何ぞ太子、これを遣る」
「何」について、<Who> <Why> のふたつの意味が考えられます。

<Who>であれば、
「太子は誰を使いにやるのか、あんなやつを行かせれば・・・」

<Why>であれば、「どうして太子はこんな派遣のしかたをなさるのか」

となります。
しかし、謂わんとしていることは、「秦舞陽なんか行かせてもだめだ」
ということで共通していますから、まあ、どちらでも問題はないでしょう。


★ところが次の
「往而不返者豎子也」「往きて返らざらん者は豎子(じゅし)なり」
はやっかいです。

まず、「豎子・じゅし」(小僧っ子の意味)は誰を指すのか。

①秦武陽       ②荊軻自身       ③子供のふるまい

①行ったきりで使命を成し遂げて帰ることができないのは秦舞陽。
②ひとたび秦に行けば、帰らぬのは拙者(荊軻自身)でござるぞ。
③行って使命を果たして戻ってこないようなのは、小僧っ子のやることだ。

ここでは、『史記注譯』注に従い、③にしました。
すると、荊軻は、即秦王暗殺ではなく、第一話「曹沫」のように、できれば
秦王を脅迫して要求を呑ませたいと考えていることになります。

①なら、秦舞陽では使命をはたせず必ず失敗する。
②なら、即秦王暗殺、自分も必ず死ぬ決死の覚悟。

ということになります。個人的には、②を押しますが。

ちなみに『史記會注考證』には、この大切なところで注釈がありません。


★ここは「未發」で始まり、「遂發」で終わっています。
そしてまた「疑」の字が出ています。
こういう箇所にもご注目ください。原文を読む醍醐味です。


★ここで荊軻は、秦舞陽を「不認知」だということがわかりました。


つづく

737

刺客列傳 第五話 「荊軻」 承の段 7 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/10 00:20 投稿番号: [285 / 735]
頃之未發。太子遲之、疑其改悔。乃復請曰。日已盡矣。荊卿豈有意哉。
丹請得先遣秦舞陽。荊軻怒叱太子曰。何太子之遣。往而不返者豎子也。
且提一匕首、入不測之彊秦。僕所以留者、待吾客與倶。
今太子遲之請辭決矣。遂發。

これを頃(しばらく)するも未だ發せず。
太子これを遲しとし、その改悔を疑ふ。
乃ち復た請ひて曰く、日已に盡きたり。荊卿、豈に意有らんや。
丹請ふ先ず秦舞陽を遣るを得ん、と。
荊軻怒り太子を叱して曰く、
何ぞ太子、これを遣る。往きて返らざらん者は豎子(じゅし)なり。
且つ一匕首を提(ひっさ)げて、不測の彊秦に入る。
僕の留まる所以は、吾が客を待ちて與に倶にせんとすればなり。
今太子これを遲しとする。請ふ辭決せん。遂に發す。


このことがあってしばらく経ったが荊軻はまだ出発しようとしなかった。

太子丹は、荊軻の出発が遅いので、荊軻が変心したのではないかと疑った。
そこでまた荊軻に請うて言った。

「日はもう限界です。荊卿、何かお考えがあるのでしょうか。
わたしは、先に秦舞陽を遣ってはどうかと思うのですが」と。

それを聞いて荊軻は怒り、太子をどなりつけてこう言った。

「太子はあんな奴を使いに遣ると云われるのか。
ひとたび行って使命を果し戻ってくることを思わないようなのは、
小僧っ子のやることですぞ。
それに一匕首を提(ひっさ)げて、心も知れぬ、何があるかわからない
強暴の秦国に入るのだ。
わたしが留まってまだ出立しないわけは、わたしの客を待って、
その者と同行したいと思っているからこそなのです。
今、太子は、わたしの出発を遅いと云われる。
それではこれでおいとまいたしましょう」

こうしてついに荊軻は出立した。


つづく

736

Re: 刺客列傳 第五話 「荊軻」 承の段 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/10 00:15 投稿番号: [284 / 735]
★匕首(ひしゅ)・・・短剣。
「匕」は食物をすくう杓子で、剣の柄頭(つかがしら)が
これに似ているので「匕首」というそうです。


★「乃遂盛樊於期首函封之」
「乃ち遂に樊於期の首を盛り函にこれを封ず」
または「函に盛りこれを封ず」

すなわち、箱の形によります。
ケーキを入れるようなフタのほうが深い箱なら前者になります。
「盛」は、ちょっとサロメを想起させます。
誰が樊於期の首を納めたか、書いてありませんね。


★<火卒>(にら)ぐ
やいた刀剣の刃を水に入れて質を硬くします。
俗に、ヤキを入れる、といいます。
と同時に毒薬を染めつけたわけです。


★忤視(ごし)
逆らって見返すことができず、目を伏せる。正面から見ない。
ガンつける、なんてとんでもないわけです。


★治行(ちこう)・・・旅行の支度。準備。


★ここにきて、秦始皇帝暗殺成功のための二つの要因が揃いました。
すなわち、督亢(とくこう)の地図と、樊於期の首と。


★ところが、ここでまた一つ、秦舞陽という阻害要因が出てきました。
太子丹には人を見る目がない。無理もないことではありますが。


★さて、荊軻は自分に同行してくれる人を待っていたわけですが、
それは一体誰だったのでしょうか。
司馬遷は最後までその人が誰か明かしていません。
ただ推測することはできます。
その推測ですが、

①司馬遷は荊軻の待ち人が誰だったか知っていて敢えて書かなかった。
(いたずら心かなんかで)
②司馬遷も知らなかった。
③見当はついているのだが、確定的ではないので書かずにおいた。

どうでしょうか。よかったら一度考えてみてください。

ちなみに、わたしは①或いは③です。


つづく

734

刺客列傳 第五話 「荊軻」 承の段 6 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/09 02:26 投稿番号: [283 / 735]
太子聞之、馳往伏屍而哭、極哀。既已不可奈何。乃遂盛樊於期首函封之。
於是太子豫求天下利匕首、得趙人徐夫人匕首。
取之百金、使工以藥<火卒>之、以試人、血濡縷、人無不立死者。
乃装爲荊卿。燕國有勇士秦舞陽。年十三殺人。人不敢忤視。
乃令秦舞陽爲副。荊軻有所待、欲與倶。其人居遠未來。而爲治行。


太子これを聞き、馳せ往きて屍に伏して哭す。哀を極む。
既に已にいかんともすべからざれば、乃ち遂に樊於期の首を盛り
函にこれを封ず。(or函に盛りこれを封ず)
是に於て太子、豫(あらかじ)め天下の利匕首(りひしゅ)を求め、
趙の人、徐夫人の匕首を得たり。
これを百金にて取り、工をして藥を以てこれに<火卒>(や)かしめ、
以て人に試みるに、血濡るること縷(いとすじ)にして、
人立ちどころにして死せざる者なし。
乃ち装を爲(おさ)めて荊卿を遣る。
燕國に勇士秦舞陽有り。年十三にして人を殺す。
人、敢えて忤視(ごし)せず。乃ち秦舞陽をして副たらしむ。
荊軻、待つ所有り。與(とも)に倶(とも)にせんと欲す。
其の人、遠くに居りて未だ來たらず。而るに治行(ちこう)爲(な)れり。


太子は樊於期の自刎したことを聞いて、
急遽駆けつけ屍に伏して声をあげて泣いた。
その泣き方は哀切きわまりないものであった。

ここにいたっては最早いかんともしがたいことであり、
やむなく樊於期の首を函(はこ)に納めて封をした。

このとき太子は、あらかじめ天下の鋭利な匕首(りひしゅ)を捜し求め、
趙の人である徐夫人(男性)の匕首を見つけていた。
これを百金で買い取り、刀工に、毒薬をこの匕首に<火卒>(にら)がせ、
それを人に試してみると、血がひとすじ滲んだくらいで、
即死しない者はいなかった。

そして旅支度を整えて荊卿を出立させようとした。

燕の国に勇士・秦舞陽(しんぶよう)という者がいた。
十三歳のときにもう人を殺した。
世間の人で、逆らって正面から秦舞陽を見ることのできる人はいなかった。

そこでこの秦舞陽を介添役として遣(や)ることにした。

荊軻は、人を待っていた。
その人とともに秦に行きたいと考えていたのである。

その人物は遠方に居てまだ到着しないうちに旅の準備が整ってしまった。


つづく

733
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