紫陽花亭日乗
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
Re: 凶悪犯罪者集団・中国残留孤児『怒羅権
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/07 23:45 投稿番号: [41 / 735]
【産経抄】7月2日
気前よくもてなすことを、「椀飯(おうばん)振る舞い」という。
江戸時代には、正月などに親類縁者を招いて開く宴(うたげ)を意味した。
5月から6月にかけて来日したばかりの中国人32人に、
大阪市が「生活保護」と呼ばれる「椀飯」を振る舞っていたことがわかった。
▼中国人らは、市内に住む中国残留孤児の姉妹の親族と称し、
介護名目で来日した。姉妹は2年前に帰国して、日本国籍を取得している。
入国後すぐに生活保護の受給を申請した48人のうち、市は26人について、
6月分から受給を認め、さらに今月分から6人を追加した。
▼もともと生活保護受給世帯が全国でもっとも多い大阪市では、保険料を長年
支払ってきた年金受給者より、生活保護受給者の方が受け取る額がはるかに
多い矛盾が指摘されてきた。
今年に入って、外国人の受給者が1万人を超えたこともわかった。
▼それにしても来日直後の大量申請は、あまりにも不自然だ。
中国人らは、福建省出身だという。
第二次世界大戦末期のソ連軍の侵攻によって、中国東北部に取り残された
人たちの親族が、どうしてそんな南の地方に住んでいたのだろう。
▼元警視庁通訳捜査官の坂東忠信さんは、新著『日本が中国の「自治区」
になる』(産経新聞出版) のなかで、「日本に滞在する残留孤児関係者の
ほぼ九割が偽物」という。
坂東さんによると、他人の戸籍を買ったり、役場に根回しして虚偽の公正証書
を発行させたり、正規の旅券を入手するさまざまな手口がある。
▼つまり、今回のケースは、氷山の一角かもしれない。
折しもきのうから、中国人の個人観光ビザが 大幅に緩和された。
ショッピングや日本見物を楽しみにしている人たちには、
「椀飯振る舞い」 したい気持ちは十分あるのだが。
★「産経抄」のURL 省略★
>それにしても来日直後の大量申請は、あまりにも不自然だ。
中国人らは、福建省出身だという。
第二次世界大戦末期のソ連軍の侵攻によって、中国東北部に取り残された
人たちの親族が、どうしてそんな南の地方に住んでいたのだろう。
この指摘は重要であり、見過ごすことは出来ません。
残留孤児ということで我々は快く受け入れて来たわけです。
(日本人の血を引くなら当然ですが)
しかし、その実態はかなり違ったものであったようです。
もし、本当に日本人なら2世・3世になれば日本社会に同化していくはずです。
それを拒絶して自分達だけの犯罪者集団を形成するという点で、
彼らは日本人ではないと考えるべきでしょう。
DNA検査で日本人の血が入っていなかった場合は、
シナに強制送還すべきです。
そうしないとこのような凶悪な集団が日本社会にドンドン蔓延して、最後には
手がつけられないようになってしまうのでないかと危惧する次第です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★この支那人たちは残留孤児でもなんでもありません。
母親は支那人と結婚して支那に渡り人生の大半を支那人として暮らしてきました。
第一、福建省に中国残留孤児がいるわけがありません。
つづく
これは メッセージ 40 (ajisai110701 さん)への返信です.
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凶悪犯罪者集団・中国残留孤児『怒羅権』
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/07 23:45 投稿番号: [40 / 735]
凶悪犯罪者集団・中国残留孤児2世『怒羅権』
徹底した壊滅作戦で解散に、そして強制送還せよ!
★せと弘幸ブログより
中国残留孤児2世らのDQN団「怒羅権」メンバー、
「目が合った」とヤクザに因縁つけ暴行して耳をそぎ落とす…東京
★「怒羅権」メンバー逮捕へ
警視庁
傷害容疑
男性に因縁、耳切断
路上でトラブルになった男性の耳をそぎ落として重傷を負わせたなどとして、
警視庁 組織犯罪対策2課が傷害などの疑いで、中国残留孤児の2世らを
中心としたグループ 「怒羅権(ドラゴン)」のメンバーの男の逮捕状を
とったことが5日、捜査関係者への 取材で分かった。近く逮捕する方針。
犯行には、ほかのメンバーが関与している疑いもあることなどから、
組対2課は男を逮捕し次第、グループの拠点で、
中心メンバーが関係するとみられる東京・錦糸町の中華料理店など
関係先を家宅捜索し、事件の経緯を詳しく調べる。
捜査関係者によると、メンバーの男は先月14日、都内で男性に因縁をつけ、
殴る蹴るの暴行を加えたうえ、耳を刃物で切断するなどして、
重傷を負わせたなどの疑いが持たれている。
男は近くを通りかかった男性に「視線があった」などと言いがかりをつけ、
激しく暴行を加えたという。被害者の男性は、暴力団関係者だった。
事件当時、男は、ほかのグループのメンバーらと一緒に行動していた
ため、同課は、ほかのメンバーらも関与した疑いがあるとみて捜査する。
男が所属している怒羅権は、首都圏を拠点にしている中国残留孤児
2世、3世を中心にしたグループ。暴力団などと関係を持ち、
一部メンバーらが強盗や詐欺に関与した疑惑も浮上している。
★以上、産経新聞記事★
シナ(中国)残留孤児ということで日本は受け入れを決めてしまったが、
それが失敗であったことをこの不良グループの存在が示しています。
日本人の血を受け継いでいてもシナ人の血が混ざるとこのような
凶悪な犯罪も平気で犯すような人間となってしまうのでしょうか?
それとも本当は日本人の血など受け継いでいない純粋なシナ人なのでしょうか。
>殴る蹴るの暴行を加えたうえ、耳を刃物で切断するなどして
このような耳を刃物で切断するなどという事件は余り日本にはない犯罪です。
このような残酷な仕打ちがシナ大陸に古来から伝わる風習なのかも知れませんね。
目が合っただけで耳を削ぎ落とされたのでは堪ったものではありません。
さて、今回提案するのはこの残留孤児に関して。
日本人の血を受け継ぐ人を受け入れたわけですが、実際にその辺りの調査は
厳密に行なわれたのでしょうか?
現在何万人いるか分かりませんが、全員に対してDNA検査を実施すべきではないか。
そして日本人に成りすまして入国したシナ・中国人は強制送還するか、
一時的に収容施設に入れることを提案します。
批判は覚悟の上での提案です。
残留孤児の2世・3世に関しては、しっかりとした教育をすべきです。
このような危険な連中がこの日本社会に野放しにされていることに
強い危機感を覚えます。
警視庁の集中取締りで、現在のところは何とか勢力拡大を抑え込んでいますが、
このような凶悪犯罪者集団が大組織に膨れ上がったらそれこそ、
大変な事態になると予想されます。
在留孤児の多くが実は日本人の血を受け継いでいない人間であるとは
前々から指摘されてきました。
中国人大量生活保護申請
「残留孤児関係者のほぼ九割が偽物」
と元警視庁通訳捜査官
つづく
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台湾海峡 波高し 7月6日(水)
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/07 23:43 投稿番号: [39 / 735]
台湾海峡
波高し
7月6日(水)
★ブログ「中韓を知りすぎた男」より
妻と娘と親戚、その他6名の女性ばかりで台湾旅行を計画しています。
日曜日の夕食時にその話がでました。
話題は中華料理のことばかりで私も意見を求められました。
ところが台湾は10数回も言っているが食事の記憶が全くない。
美味しかったのか、不味かったのか、まるで思い浮かばない。そこで
口に出たのは料理とはまるで関係の無い「台湾海峡波高し」でした。
妻と娘は呆れたように私を見てそれ以降私に意見を求めることはありま
せんでした。台湾には友人が数名おり、台湾のすばらしさも、嘆きも、
苦しみも分かっているつもりですが、妻と娘が知りたがっている台湾
とは、まるで関係がありません。
きょうは彼女たちが興味を示さない台湾について述べてみたいと思いま
す。彼女たちが台湾に対してどれくらい知識があるのか分かりませんが、
日本人が持っている一般的な台湾のイメージを少しでも払拭出来れば
彼女たちの台湾観光旅行も意義あるものになります。
まず「台湾独立」という言葉が日本では一人歩きしています。独立と
言う言葉には台湾は元々中国の領土であったという意味に捉えられます
が、台湾は過去一度も中国の領土であったことはありません。
1683年清朝は台湾を制圧して鄭氏政権を滅ぼすことに成功した。清朝は
鄭氏政権を滅ぼす為に台湾島を攻撃・制圧したのであり、台湾島を領有
するつもりはなかった。
清朝は、台湾住民については「化外(けがい)の民」(「皇帝の支配す
る民ではない」、「中華文明に属さない民」の意)として放置し続けて
きました。
1894年日清戦争が勃発、日本が台湾を支配しました。日本の統治時代に
は、どんな田舎に行っても電気があり、水道もありました。それに台湾
全土に学校を建、そこには日本から優秀な先生がきていました。
台湾の歴史はこれくらいにして台湾人の心情について述べてみます。
日本人は「台湾が中国から独立できなくてもがいている」とかってに
解釈していますが、台湾の立場から見れば台湾はれっきとした国なので
いまさら独立する必要がありません。
あえて独立というならそれは中国から逃げて台湾を支配した蒋介石が
北京語と捏造歴史教育という手段で台湾世代を分断し中華思想に染め
上げて、中国人にしてしまったことからの独立です。
台湾人は中国人ではない。台湾人は台湾人です。台湾は李登輝氏の
お陰で台湾の真実の歴史を知り、アイデンティティが変わり誇りを
持つことができたのです。
私の知っている台湾ビジネスマンの100%は中国を嫌っています。彼ら
は商売上は中国を利用していますが、もし中国に吸収されるくらいなら
無一文になっても外国に逃げたいと本気で思っています。
台湾ビジネスマンとビールを飲めば「過去中国の台湾いじめは数え上げ
ればきりがない、下品で詐欺師で、恫喝で人を動かし、賄賂をあからさ
まに要求する。中国人というのは果たしてクレディビリティー(信頼)
があるのかどうか、日本人はもっと知る必要がある」と口角泡を飛ばし
て興奮してしゃべります。
「もし万が一台湾が中国の口に入ってしまったら、台湾の命運はつきる。
二度と修正はできない」と台湾ビジネスマンは言っています。
しかし台湾人はこのような本音をあからさまに言えない。彼らは中国の
ミサイルが200発以上台湾に向かって建っていることを知っています。
そのうえ中国に敵対するような言動をすれば、中国大陸に投資した工場
が取られてしまう。だから中国に対して曖昧模糊な主張しかできないの
です。
もし中国が台湾に攻撃をかければアメリカと日本は協力して中国を
叩くべきです。中国を壊滅させたとき始めて日本も台湾も真の独立が
できます。
同じ価値観を持つ日米台が中国という邪悪な国を滅ぼすことは、人類の
ためであり、地球のためです。
それにしても
「日台は運命共同体」「台湾は日本の生命線」であると理解している
日本人は一体どれくらいいるのでしょうか?
.
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台湾大地震の「恩返し」 児童が義援金
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/07 23:42 投稿番号: [38 / 735]
★ブログ「博士の独り言」より
台湾大地震の「恩返し」
台湾大地震の「恩返し」
校舎再建の小学校、児童が小遣いを義援金
東日本大震災の被災者支援のため台湾から日本に送られた義援金は、
世界最大級の約173億円(6月15日現在、台湾外交部調べ)に上った。
大半は民間からの善意。
1999年の台湾大地震で校舎が倒壊し、日本の義援金で校舎を再建した台中市
の小学校では、子供たちが自分たちの小遣いなどから約190万円を送った。
「隣国の友人に恩返しを」。
親日的な台湾に熱い支援の輪が広がっている。
産経新聞(Web) 7月6日付記事より参照のため抜粋引用
/写真は産経新聞の同記事より資料として参照のため引用
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真の意味で大切にすべきは、いずこの国なのか
思い起こせば、台湾に大規模な震災が発生(1999年9月21日)
との速報に個人的に触れたのは海外でのことでした。
ご縁のあった学生諸氏やご家族、シニア世代の方々の安否が気がかりでならず、
当時のネットを通じて、相次ぐ速報に見入った記憶があります。
同国では、20世紀内で最大規模と指摘された大きな震災でしたが、
速やかな復興を果たされ、国家の機能を回復されたことに、
未だ敬意の念は絶えません。
表題は、同震災の後に、「日本の義援金で校舎を再建した台中市の小学校では、
子供たちが自分たちの小遣いなどから約190万円を送った。
「隣国の友人に恩返しを」。
親日的な台湾に熱い支援の輪が広がっている」と伝えるニュースですが、
本来、義を重んじる同国の人々の心を感じ、涙を禁じ得ません。
真の意味で大切にすべき国はいずこの国なのか。
この問いかけを今後も重ねたく思う次第です。
同国良識の方々が、日本の国思う良識とともに、中華コミンテルンの侵略を
粛々と見抜き、断固として撥ね退けられ、日台の新たな絆が育まれて
行くことを願って止みません。
産経新聞(Web) 7月6日付記事(つづき)より
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再び世界を歩く時は
各国への身の行脚はしばらくご無沙汰になってしまいましたが、
中華コミンテルンや朝鮮人民主党、その小間使いのカルトらが衰滅し、
再び世界を歩く時が来れば、真っ先に台湾を訪問したい。
この思いでおります。
またご挨拶できる時まで、シニア世代のみなさまにおかれても、
どうかお元気で。ご健勝をお祈りいたしております。
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■ 主な関連記事:
・友国・台湾に感謝
2011/03/23
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■ 国思う参考資料
□ 平成22年12月18日
中国共産党「対日解放工作」への対峙
□ 平成22年11月21日
訪問勉強会
特亜および露西亜の真実
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★★★
日本は毅然とあれ!
★★★
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「古詩十九首」其の十 無名氏
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/07 21:25 投稿番号: [37 / 735]
>★片思いの織女を詠う「古詩十九首」其の十を下敷きにしている。<
「古詩十九首」其の十
迢迢牽牛星
迢迢たり
牽牛星
皎皎河漢女
皎皎たり
河漢の女
纖纖擢素手
纖纖
素手を擢(ぬき)んで
札札弄機杼
札札
機杼を弄す
終日不成章
終日
章を成さず
泣涕零如雨
泣涕
零(お)ちて雨の如し
河漢清且淺
河漢
清く且つ淺し
相去復幾許
相去る
復た幾許(いくばく)ぞ
盈盈一水輭
盈盈たる
一水の輭
脈脈不得語
脈脈
語るを得ず
はるかかなたの空に牽牛の星
さやかに輝く天の河の娘星
ほっそりとした白い手のぞかせ
さっさっと機(はた)の梭あやつる
ひがな一日模様は成らず
はらはらと涙は雨と
天の河は澄みきって浅い
河のはばも広いといえぬ
この一水の隔たりを前に
見つめあうだけ 言葉も交わせぬ
★七夕の星、牽牛と織女に託して、隔てられたふたりの悲しみをうたっています。
★訳詩は『漢・魏・六朝詩集』中国古典文学大系 16, 平凡社
.
これは メッセージ 22 (ajisai110701 さん)への返信です.
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七夕 白楽天
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/07 21:20 投稿番号: [36 / 735]
七夕
白楽天(中唐・772〜846)
煙霄微月澹長空
煙霄(えんしょう)
微月
長空に澹(あわ)く
銀漢秋期萬古同
銀漢
秋期
万古に同じ
幾許歡情與離恨
幾許(いくばく)ぞ
歡情と離恨(りこん)と
年年并在此宵中
年年
并(あわ)せて此の宵中に在り
広い空
淡い雲
細い月
秋色の夜空
銀色の大河
太古の色
出遭いの歓び
離別の悲しみ
尽きせぬ想い
一年に一度
一夜限りの
★目加田誠『漢詩日暦』時事通信社
.
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盧溝暁月 乾隆帝
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/07 21:04 投稿番号: [35 / 735]
盧溝暁月
乾隆帝(清・1711〜1799)
茆店寒鶏①②鳴
茆店(ボウテン)の寒鶏
①②(イアク)と鳴き
曙光斜漢欲参横
曙光
斜漢
参(シン)横たはらんと欲す
半鉤留照三秋澹
半鉤(ハンコウ)留照して三秋澹(あは)く
一③分波夾鏡明
一③(イットウ)波を分かち鏡を夾(はさ)んで明らかなり
入定衲僧心共印
定(ジョウ)に入る衲僧(ノウソウ)心(こころ)共に印し
憶程客子影猶驚
程を憶(おも)ふ客子(カクシ) 影 猶 驚く
邇来毎踏溝西道
邇来(ジライ)溝西(コウセイ)の道を踏む毎に
触景那忘黯爾情
景に触れて那(なん)ぞ忘れん黯爾(アンジ)たるの情
①「ロ尹」
イ
②「ロ屋」
アク
③「虫東」
トウ
茅葺の旅籠の一番鶏が鳴く
明けの空には傾いた天の川、オリオンの三ツ星が横たわり
落ちかけた半月が秋の気配を漂わせるなかに
光る川面の波を分け、虹の形に架かる橋
修行に励む禅僧は月と心を通わせる
行く手を想う旅人は、影さえ不安に揺れ動く
橋の西へと旅する人は、この橋を踏むたびに
景色に触れては切ない想いにとらわれる
★この詩の出処は、たぶん
NHK教育テレビ「漢詩」からメモしたものだと思います。
.
これは メッセージ 34 (ajisai110701 さん)への返信です.
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台湾は国家ではない」 震災補助金を拒否
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/07 20:44 投稿番号: [33 / 735]
「台湾は国家ではない」
台湾人留学生への震災補助金を拒否
サーチナ 7月6日(水)14時2分配信
台湾のNOWnewsによると、
日本に留学している台湾人学生が、日本政府が外国人留学生に対して
支給している東日本大震災の補助金を受け取ろうとしたところ、
学校側から拒否されていたことがわかった。
3人の学生が説明を求めると、学校側は
「台湾は国家ではないため、台湾からの留学生は補助金を受け取る資格がない」
と回答したという。
中国メディアの環球時報(電子版)が報じた。
日本に留学している台湾人女性によると、女性が通う学校には震災後の
補助金制度があるが、台湾からの留学生だけは受け取ることができなかった。
栃木県宇都宮市の学校に通う台湾人女性はFacebook(フェイスブック)で
「各国の留学生は12万円の補助金を支給されている。
台湾は震災後に多額の義援金を贈ったのに、こんな目に遭うなんて」
と不満をあらわにしている。
報道によると、台湾外交部は現在、台湾人留学生への補助金支給を拒
否した学校と日本交流協会に連絡を取っているという。
(編集担当:及川源十郎)
【関連記事】
巨額の寄付金に台湾総統「恩に報いた」、日本の国会議員が謝意
韓国アイドルが日本で着物の着用を拒否、ネットユーザーが称賛
韓服の客を立ち入り拒否で、韓国のホテルに非難の嵐
金総書記の戦闘機おねだり中国が拒否、首脳会談気まずいムード
台湾人はなぜ日本が好きか?
中国と台湾の対日態度が違うのは
.最終更新:7月6日(水)15時42分
==============================================
=
★日本の恥さらし。
栃木県宇都宮市の学校だって !?
さては民主党の息のかかった学校か ?
中共におもねるために、台湾をコケにしたとか ?
ほんとうに、申し訳なくて台湾のかたに顔向けできません。
こんなバカのいるおかげで。
「外国人留学生への支援」なんでしょう。
台湾人は外国人でしょう、それともいまだに日本人なのですか。
中国は台湾を「台湾省」だといっている。
台湾独立派は、台湾国だといっています。
どちらにしても、外国人留学生にはかわりがない。
李登輝友の会にたれこめば !
「台湾正名運動」で、台湾人の外国人登録証は「中国」ではなく
「台湾」と表記されるようになりました。
だから、台湾国でいいではないですか。
.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/bbgmdb2vdbffcbeh_1/33.html
Re: 牛郎織女
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/07 20:41 投稿番号: [32 / 735]
こんばんわ、ようこそ紫陽花亭に。
いいですねえ、ほんとうに。
心が洗われるようです。
しみじみ日本人であることのしあわせを思います。
これは行事の歌なので、幼稚園や小学校ではまだ歌わせると思いますが、
今の子どもたちが童謡を歌わなくなって久しくなりました。
少し前、台湾の友人に何か日本のものでほしいものがありますかと
お伺いしましたところ、童謡のCDがほしいとおっしゃったので
早速購入してお送りしました。
台湾人と日本人は、心が通い合いますね。
ありがとうございました。
.
これは メッセージ 31 (sennin_0630 さん)への返信です.
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Re: 牛郎織女
投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/07/07 10:42 投稿番号: [31 / 735]
これは メッセージ 26 (ajisai110701 さん)への返信です.
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小野田寛郎さん、台湾歌壇メンバーと交歓
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/07 00:40 投稿番号: [30 / 735]
29年間フィリピン潜伏の小野田さん、台湾歌壇メンバーと交歓
2011.7.3 23:18
産経新聞
唱歌で交歓した小野田さん夫妻と蔡代表(中)=3日、台北市内
◇…戦争が続いていると信じ、戦後29年間、情報将校として
フィリピン・ルバング島に潜伏し続けた小野田寛郎さん(89)
=財団法人小野田自然塾理事長=が妻で日本女性の会会長の町枝さん(73)
らと台湾を訪れ3日、和歌を詠む台湾歌壇のメンバーらと交歓した。
◇…日本統治時代の教育を受けた高齢者らが出迎え、
小野田さんは「親日的で感動しました。何より皆さんの東日本大震災に
対する巨額の義援金に感謝します」とあいさつした。
◇…歌壇代表で、司馬遼太郎の「台湾紀行」にも「老台北」として
登場する蔡焜燦さん(84)は、自らの作品が入った歌壇の震災支援特集
冊子を贈り、唱歌などを合唱しあった。(台北
吉村剛史)
.
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Re: 牛郎織女
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/06 23:36 投稿番号: [29 / 735]
ある日のこと、牛郎が牛の世話をしていると、老牛がまた言いました。
老牛の両つの眼は、涙が溢れんばかりでした。
「わたしはもうおまえの手伝いをすることができなくなった。
別れのときが来た。
わたしが死んだら、おまえはわたしの皮を剥ぎ手元に置いて、
何か緊急事態が発生したならわたしの皮をはおりなさい・・・・」
老牛は言い終わらないうちに死んでしまいました。
夫婦は、ひとしきり声をあげて泣き、それから老牛の遺言どおり皮を剥ぎ
手元に残すと、その亡骸を草屋の裏山の麓に葬りました。
仙女たちが人界に来ていたことが、ついに王母娘娘の知るところとなりました。
王母娘娘は仙女たちを真っ暗な部屋に閉じ込めてしまいました。
王母娘娘は、人界に留まり戻って来ない織女に
とりわけ激しい怒りを抱いておりました。
しばらく探しているうちに
とうとう織女が牛郎と夫婦になっていることを知りました。
怒り心頭に発した王母娘娘はみずから牛郎の家に乗り込んできました。
このとき牛郎は仕事に出ていて留守でした。
王母娘娘は織女をわしづかみにし外に走り出ました。
子供が走ってきてお母さんの着物を掴みます。
王母娘娘は憎々しげに子供を突きとばし子供は倒れます。
王母娘娘は織女を連れたまま一緒に天空に飛び立ちました。
織女の心は悲しみでいっぱいでした。
ふたりの可愛い我が子を眺め、大声でただ一言、
「はやくお父さんを呼んできて! 」
牛郎は男の子について家に駆け戻りました。
女の子が家の前に座り込んで哭いていました。
牛郎は大急ぎで織女を救いだしに天上へ行こうとしました。
しかし、どうすれば天上に行くことができるのでしょうか。
忽然と、今は亡き老牛がいまわの際に語った言葉が想い浮かびました。
緊急事態とはまさにこのことを言ったのではないだろうか。
牛郎は大慌てで牛の皮をまとい、籠をふたつ取り出し、
籠の中に子供を一人ずつ入れ、天秤棒で担ぎあげると外に走り出ました。
そのとたんにもう飛び立っていたのです。
しばらく飛んでいると、遠くに妻が見えました。
牛郎は大声で叫びました。
「助けに来たぞ! 」
王母娘娘が突然その手で背後に向かって一線を画しました。
すると、すぐさま牛郎の目の前にひとすじの河が出現しました。
河幅は広く、波は逆巻き、牛郎はどうしても飛び越すことができません。
このことがあってからというもの、夜になるとこの河が見えるようになり、
人々はこの河を銀河と呼ぶようになりました。
銀河の両岸にはふたつのひときわ明るい星がまたたいています。
これが牽牛星と織女星です。
牽牛星の両脇にあるふたつの小さな星が、
牛郎と織女との間に生まれたふたりの子どもです。
伝説によりますと、王母娘娘は、牛郎と織女が一年に一度だけ、
七月七日に逢うことを許しました。
七月七日の夜になると、たくさんの鳥が群れ飛んできて銀河をまたいで
橋をかけ、牛郎と織女をその橋の上で逢わせます。
この神話物語には、古代の民衆の封建的圧制に対する反抗と
幸福な生活の追求の願望が反映されています。
実際には、牽牛星と織女星は永遠に邂逅することはありません。
天文学者は我々に教えてくれます。
このふたつの星は太陽と同じ恒星なのだと。
織女星の明るさは太陽の五十倍、牽牛星の明るさは太陽の九倍餘です。
このふたつの星は地球からはたいへん遠く、
それゆえ見たところふたつの大きな星にしかすぎないということです。
おわり
かささぎの渡せる橋におく霜の
白きを見れば夜ぞふけにける
中納言家持
.
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Re: 牛郎織女
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/06 23:27 投稿番号: [28 / 735]
老牛は牛郎に言いました。
「明日、お日さまが沈みそうになったら、
おまえは右手のあの高い山に登りなさい。
山のあの辺りに林があって、林の前に湖がある。
その湖で仙女が水浴びをしている。
仙女たちの着物はみな草の上に老いてある。
そのうちの桃色の薄衣を持ち去り林の中で待っているのだ。
おまえの跡を追って着物を取り返しに来た仙女がおまえの妻だ」
翌日、牛郎は老牛に教えられた高山に登り、林を抜けると、果たして
湖のほとりの草地の上に色とりどりの着物が置いてあるのを目にしました。
その一枚一枚のどれもが非常に美しいものでした。
牛郎はその中から桃色の薄衣を探し当てると
それを持って林の中に駆け込みました。
しばらくすると仙女たちが草地のほうへやって来るのが見えました。
ひとりの仙女が言いました。
「もうすぐ日が暮れるわ。いそいで戻りましょう」
また、ひとりの仙女が言いました。
「あら! わたしの着物がないわ」
牛郎は林の中から大声をあげて言いました。
「娘さん、あわてないで、あなたの着物はここにあるよ」
なんとその娘は王母娘娘(ワンムーニャンニャン = 西王母)
の外孫娘だったのです。
名まえを織女といいました。娘は、速く上手に機織りをしました。
母娘娘は昼も夜も織女に機織りをさせ少しの間も休むことを許しませんでした。
この日、王母娘娘は酒席の招待をうけ留守にしていましたので、
織女は他の仙女たちと連れ立って人界に降りて来たのでした。
仙女たちは、この清らかな湖水をとても気にいり、沐浴にやってきたのでした。
娘は牛郎に、どうしてここにやって来たのかと尋ねました。
牛郎は、兄夫婦の家を出てきたいきさつや、
老牛と一緒に暮らしたあれこれを娘に語りました。
織女はそれを聞いて同情もし、また喜んで、
織女もまた置かれている今の自分の身の上を牛郎に語りました。
織女は最後にこのように言いました。
「人はみな天上はすばらしいって言うけど、ほんとうは天上なんて
全然いいところでも何でもないのですよ。
わたしには何の自由もなく監獄に閉じ込められているのと同じです。
わたしはいつも、自由な暮らしをしたいと心の中で願っていました。
たとえ一日でも半日でもいいから」
織女の話を聞き終わると、牛郎は言いました。
「天上がいやなのなら、帰ることはありません。
あなたは機織り上手だし、わたしは働き者です。
わたしたちは夫婦となり、この人界で一生を伴にしようではありませんか」
織女も笑って頷き同意しました。
ふたりは林を通り抜け、山を降り草屋に戻りました。
牛郎が織女に牛を指さして見せると、織女は老牛の首を軽くたたきました。
老牛は嬉しそうに笑顔で織女を見、まるでこう言っているようでした。
「まさしくご新造さんだ」
それからというもの、牛郎は畑を耕し、織女は糸を紡ぎ機を織り、
ときにはまた牛郎のささやかな耕作の手伝いもしました。
ふたりは勤勉にしてつつましやで労働を厭わず、とても幸福に暮らしていました。
二三年が経ち、ふたりは男児と女児をひとりずつもうけました。
子供が口をきけるようになると織女はいつも夜空の星々を指して、
子供たちに天上の物語を語って聞かせるのでした。
ときに織女は愁いに沈むことがありました。
いったい何を憂えているのでしょうか。
織女は牛郎には告げませんでしたが、心ひそかに、王母娘娘が織女がここに
いることを知りきっと連れ戻しに来るであろうことを恐れていたのです。
つづく
これは メッセージ 27 (ajisai110701 さん)への返信です.
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Re: 牛郎織女
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/06 23:21 投稿番号: [27 / 735]
このようにして、一年また一年と過ぎ、牛郎はだんだんと成長してきました。
兄夫婦は牛郎にもっと辛くあたるようになりました。
牛郎を追い出してしまいたいと考えていたのです。
ある日のこと、兄が牛郎を呼び、さも親切そうに言いました。
「おまえももう大きくなった。
自分の力で一人でやっていかなければならない。
お父さんが残してくれた物を分けようじゃないか。
おまえにはあの牛をやる。
それからあの車だ。あとの物は全部俺の物だ」
兄嫁もそばにいて冷ややかに言いました。
「わたしたち、一番役に立つ物をあんたにあげたのよ。わかったの?
明るいうちに急いでここを出て行きなさい」
牛郎は兄夫婦のいいつけをきいて、ちょっと考え、そして言いました。
「わかりました。それではわたしは出て行くことにしましょう」
牛郎は思ったのです。
あの年老いた牛さえもらえれば、家にいようといまいとどうだってかまわない。
牛郎は牛を連れ、振り返りもせず、ひたすら歩いて行きました。
村を出て、林を抜け、ある山の麓までやってきました。
それからというもの、牛郎は昼間は山で柴を刈り車に満載し、
老牛に牽かせて町まで行き食料と交換しました。
夜は車のそばに老牛を休ませ、自分は車の上で寝みました。
しばらくの後、牛郎は山の麓に一軒の草屋を建てました。
それから、その草屋のそばに土地を開墾し少しばかりの作物を植えつけました。
ある夜のこと、牛郎が草屋に入ると突然声が聞こえました。
「牛郎! 」
いったい誰がわたしを呼んだのだろうか。
ふりかえって見れば、なんとそれはあの老牛ではありませんか。
口をパクパクさせ、まさに丁度話をしているところだったのです。
つづく
これは メッセージ 26 (ajisai110701 さん)への返信です.
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牛郎織女
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/06 23:02 投稿番号: [26 / 735]
牛郎織女
北京語言学院『新中国語』「牛郎織女」の翻訳です。
これは中国四大伝説のひとつです。
他の三つは、「孟姜女伝説」「白蛇伝」「梁山伯と祝英台」です。
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牛郎織女
初秋のことでした。夜の九時ころ、わたしたちは頭上にひとつの
とても明るい星を見つけました。その星は織女星です。
その星の東方、南から北にかけて白くぼやけた一筋の白雲のようなものが
ありますが、これが銀河で、天の川(原文「天河」)ともいいます。
天の川をよぎり東南を見ると、一直線に三つの星が並んでいるのが見えます。
真ん中の星は両側の星よりひときわ明るく輝いています。
この星が彦星(原文「牛郎星」)で、「牽牛星」ともいいます。
牽牛星と織女星について、一つの美しくも感動的な物語が今に伝わっています。
昔、一人の男の子がおりました。両親ともにすでに亡く、兄と兄嫁に養われておりました。
兄夫婦はこの弟に辛くあたりました。残り物を食べさせ、破れた衣服を着せ、
昼間は牛飼いをさせ、夜は牛とともに寝起きをさせました。
兄夫婦の弟に対する態度にはまったく道理(人の道)などというものはありませんでした。
その年老いた牛は、この男の子が大好きで、いつも暖かなまなざしでこの男の子を見守っていました。
どちらがいいかといえば、男の子もまたやはり牛と一緒のほうがよかったのです。
この男の子には名まえがありませんでした。皆はこの男の子が一日中牛飼いをしているのを見て、
男の子を牛郎と呼びました。牛郎はとてもよく牛の世話をしました。
牛に親しみを感じていただけでなく、牛は勤勉で誠実に仕事をするのにいい加減な扱いをしたら、
どうして牛に顔向けができるだろうかと思っていたからなのです。
牛郎はいつも牛のために一番良い草地を選び、牛によく育ったやわらかな草を食べさせました。
牛がのどが渇いたとみるや、すぐさま小さな河のほとりに連れていき、きれいな水を飲ませました。
猛暑の夏には牛を木陰で休ませ、寒い冬には牛を山の斜面まで連れていき日向ぼっこをさせました。
牛小屋もいつも清潔に掃除がされていました。
牛郎は歌を歌います。誰も聞いていません。
けれど牛は耳を動かし目を閉じて、とても楽しそうに聞いているのです。
牛郎は心の中の想いを口には出しません。聞いてくれる人もいません。
けれど、牛は口を開き、嬉しそうに笑い、まるで牛郎の心がわかるかのようです。
牛郎はいつも自分の見たこと聞いたことを牛に話して聞かせます。
ときには牛に相談事をもちかけたりもしました。牛は言葉を話すことは
できませんが、見たところなんでもわかっているようでした。
ときに牛郎はこんなことを考えました。
もしも牛が言葉を話すことができたなら、どんなにすばらしいことか、と。
つづく
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錢塘蘇小小歌一首
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/06 22:56 投稿番号: [25 / 735]
錢塘蘇小小歌一首
妾乘油壁車
妾(しょう)は乘る
油壁の車
郎騎青●馬
郎は騎(の)る
青●(せいそう)の馬
何處結同心
何(いづ)れの處(ところ)にか同心を結ぶ
西陵松柏下
西陵
松柏の下(もと)
●
馬部十一画
ソウ
あしげ
青白混毛の馬
わたしは漆ぬりのてかてかした車にのり
あなたは青の馬(白馬)にまたがっている
さてどこで同心結びのように仲よしになりましょうか
それは西陵の松柏の木の下がよろしうござんしょ
★李賀の詩は、この詩を下敷きにしたもの。
★鈴木虎雄『玉台新詠集』下, 岩波文庫
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これは メッセージ 24 (ajisai110701 さん)への返信です.
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Re: 蘇小小墓 李賀
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/06 22:45 投稿番号: [24 / 735]
幽蘭に置く露は
啼ける眼に宿る涙か
契りを結ぶ人の無ければ
春がすみ裁つによしなし
草を茵(しとね)とし
松を蓋(かさ)となす
風は裳(もすそ)と乱れ
水は珮玉(はいぎょく)と鳴る
油壁の車(くるま)して
日の暮れに人を待つ
青白き鬼火の提灯(あかり)
ゆらゆらと侘しく燃ゆる
西陵のほとり
雨風のともども黒し
★黒川洋一『李賀詩選』岩波文庫
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これは メッセージ 23 (ajisai110701 さん)への返信です.
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蘇小小墓 李賀
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/06 22:42 投稿番号: [23 / 735]
蘇小小墓
李賀(中唐・791〜817)
幽蘭露
幽蘭の露
如啼眼
啼眼の如し
無物結同心
物の同心を結ぶ無し
煙花不堪剪
煙花は剪るに堪えず
露を宿してしのびやかに咲く蘭
まるで涙を溜めた蘇小小の眼のようだ
愛し合うふたりを結ぶものとてなく
夕靄に包まれる花は切っておくるにしのびない
草如茵
草は茵(しとね)の如く
松如蓋
松は蓋(かさ)の如し
風為裳
風は裳(しょう)と為し
水為珮
水は珮(はい)と為す
草はしきもの
松は幌
風の音はきぬずれ
水の音は帶玉の触れあうひびき
油壁車
油壁の車(くるま)
夕相待
夕べに相待つ
「夕」は或いは「久」
冷翆燭
翆燭
冷やかに
労光彩
光彩を労(ろう)す
西陵下
西陵の下
風吹雨
風
雨を吹く
華麗な車は
たそがれに待つ
冷ややかな緑の灯火(ともしび)は
ただ、いたずらにかがやく
西陵橋のほとり
空は暗く
雨に風
★西湖・・・浙江省杭州
★5世紀末の歌妓・蘇小小の墓は西湖湖畔にある。
来ぬ恋人を待ち焦がれ死にした蘇小小の死後、志ある人によって
西冷橋(せいりょうきょう)の下、慕才亭が建てられた。
★蘇小小の死後、300年の歳月を経て、李賀によってこの詩が詠まれた。
墓のほとりで、恋人の訪れを300年ものあいだ待ちつづける
蘇小小の亡霊を、想像によって詠んだ詩。
★李賀の詩は、多彩で変化に富み奇抜です。
近代詩のような感じで型破りです。
★李賀は、27歳の若さで死んだ天才詩人です。
★結同心・・・紐の結び方に同心結びというのがある。
輪をつくり、二筋の紐を中へさしこむようにする。
固くてほどけない結び方。
男女が約束を交わすこと。
★石川忠久『夏の詩100選』NHK 出版
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これは メッセージ 22 (ajisai110701 さん)への返信です.
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七夕(しちせき) 李賀
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/06 22:33 投稿番号: [22 / 735]
七夕
李賀(中唐・791〜817)
別浦今朝暗
別浦(べっぽ)
今朝より暗し
羅帷午夜愁
羅帷(らい)に午夜愁う
鵲辭穿線月
鵲(かささぎ)は辭す
線を穿(うが)つ月を
花入曝衣樓
花は入る
衣を曝(さら)す樓に
天上分金鏡
天上に金鏡分かる
人間望玉鉤
人間(じんかん)玉鉤(ぎょくこう)を望む
錢塘蘇小小
錢塘の蘇小小(そしょうしょう)
更値一年秋
更に値(あ)う
一年の秋に
七夕の日、あなたと別れた水べは朝から薄暗い
夜もふけて、帳の中で、訪ね来ぬあなたを思って悲しみにくれる
針穴に五色の糸を通すのを照らしていた月に、
鵲たちは別れを告げて帰ってゆく
昼間、衣服を日に曝した高楼(たかどの)の中へ、花びらが飛んでゆく
天の上では、黄金の鏡を真っ二つに割り
それを地上の者たちは、玉でできた鉤のようだと眺めている
わたくし錢塘の蘇小小は
あれからまた一年たった七夕を迎えました
★片思いの織女を詠う「古詩十九首」其の十を下敷きにしている。
織女でさえ、年に一度の逢瀬を許され、愛しき人と逢える。
それなのにこのわたしは、あの日あの水べで、あの人と別れてからという
もの、ずっと一人っきり、今宵もあの人はわたしのもとには帰ってこない。
★穿線・・・七夕の晩に庭先に出て、女性が七本の針に糸を通し、
手先が器用になるよう祈る風習
★石川忠久『夏の詩100選』NHK 出版
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台湾有情 緊急連絡先までも
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/05 20:35 投稿番号: [21 / 735]
台湾有情
緊急連絡先までも
2011.7.5 03:15
産経新聞
「緊急時には、読みにくいんじゃないかな?」
中国からの個人旅行解禁に先立つ台湾当局の記者会見場で、
地元記者が名刺のような紙片を手に、首をひねっていた。
見せてもらうと、中国人旅行者に配るため、
交通部(国交省に相当)観光局が作成したカードで、
警察や救急、その他緊急時に必要な電話番号などが列記されている。
だが、表記は中国で使用されている漢字・簡体字ではなく、
台湾の繁体字(正体字)だった。
2008年の馬英九政権誕生以来、台湾と中国の関係は緊密化し、
台湾を訪れる中国人旅行者は急増。
昨年には長年1位だった日本人旅行者数を軽々と突破している。
この中国マネーを狙って、台湾では簡体字で看板やメニューを出す店も
増えたのだが、「繁体字こそ中華文化の精髄」とする馬総統が、
記者会見の前に、政府機関に対し、公文書での簡体字使用を禁じる
指示を出していたのを思い出した。
尋ねてみると案の定、観光局幹部は「総統の指示があったので…」
と説明してくれた。
同局はホームページの簡体字版も早々に削除している。
中国との関係改善を推進しつつも、同化を極度に警戒する台湾当局のこの姿勢は、
バランス感覚なのか、焦燥なのか…。(吉村剛史)
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170億円超支援の台湾に感謝
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/05 20:33 投稿番号: [20 / 735]
170億円超支援の台湾に感謝
日本の高校生ら世界吹奏楽大会で熱演
2011.7.4 08:32
産経新聞
世界吹奏楽大会の前夜祭で熱演する玉川学園高等部の生徒ら
=2日夜、台湾・嘉義市立スタジアム(西見由章撮影)
【嘉義市(台湾)=西見由章】
優秀なプロ・アマチュアの楽団が集う「世界吹奏楽大会」が台湾で開幕し、
日本から参加した高校生が、東日本大震災の被災者支援のために作られた
曲を披露した。170億円を超す世界最大級の義援金など手厚い支援を
日本に寄せている台湾。日本の若者による感謝と復興への思いを込めた
熱演に約千人の聴衆から共感の拍手が送られた。
「陽はまた昇る」
この曲は、日本でも人気の英国人作曲家、フィリップ・スパーク氏が
震災直後の3月下旬に発表した「陽はまた昇る」。楽譜の売り上げや印税を
すべて寄付する取り組みで、国内の楽団が各地で演奏している。
玉川学園高等部(東京)の吹奏楽部約40人が1日、台湾・嘉義市の
音楽ホールで開かれた世界吹奏楽大会のプレイベントに出演。
演奏前には、台湾の支援に対する感謝のメッセージが中国語で読み上げられた。
心の奥底を揺さぶる、ゆったりとした旋律。
スパーク氏は、日本で「陽はまた昇る」の演奏に取り組む大阪市音楽団に
あてたメッセージで、テーマを「災害の後の勝利」と表現した。
演奏後、会場は心のこもった深く温かい拍手に包まれた。
主将の赤廣萌(あこう・はじめ)さん(18)は
「日本人の代表として希望を持って頑張っていることを伝えたい一心だった」
と振り返った。
大会は、吹奏楽の研究成果の発表に世界吹奏楽協会が2年に1回開催。
日本からは今回、同学園のほか、東京佼成ウインドオーケストラと、
大阪音楽大学などが出演している。
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【ジョークは語る】
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/05 20:28 投稿番号: [19 / 735]
◆鄭成功の母親
ひとりの学生がいた。
勉強は怠けるくせに、こざかしい。
ある日のこと、歴史の授業で先生がその学生に質問した。
「鄭成功というのはどんな人かね?」
学生は内心、思った。
「あちゃー、昨日の授業でいねむりしとって答えることができへんが。
どえらい恥ずかしいがや」
そこでとっさに機転をきかせて言った。
「鄭成功いうんがどんな人物かいうたら、わてはすぐには思い出せまへん。
そやけど、彼の母親の名まえは知っとります」
先生は驚いてたずねた。
「母親の名まえはなんというんだ?」
「失敗といいます」
先生もクラスメートも皆わけがわからずぽかんとしていた。
その学生、真面目くさって言うには、
"失敗乃成功之母嘛"=「失敗は成功の母でしょ」
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これは メッセージ 18 (ajisai110701 さん)への返信です.
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【ジョークは語る】 先見の明
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/05 20:26 投稿番号: [18 / 735]
◆先見の明
訒小平が1980年代アメリカを訪問したときのこと。
米国の記者が、英語が通じるかどうか試してみた。
「米国の初代大統領をご存知ですか」
訒小平は英語がわからなかったが、もちまえのカンのよさで推量した。
きっとワシの名前をきいているんだ。
「我姓訒。Wo xing Deng. ウォシンドン」
記者は通じたと思った。
「次の台湾の総統は?」
「イ尓等会。Ni deng hui.ニードンホイ。ちょっと待って」
と言いながら訒小平は通訳をさがしたのだが・・・
さらに記者が質問した。
「李登輝ですか。その次の総統は?」(李登輝
Li Deng hui リードンホイ)
訒小平は面倒くさくなって、
「随便! Sui bian. スイビィエン! 勝手にしろ!」
「えっ? 陳水扁 Chen Shuibian チェンシュイビィエン?」
さらに記者は追いすがる。
「将来、米中摩擦の原因は?」
「他媽的! Ta ma de! タ
マーダ! うるせえぞ」
「T M D 」と聞こえた記者は首をかしげた。いったい何のことだ?
その後、1990年代に入って、アメリカは
戦域ミサイル防衛(T M D)計画を打ち出し、それに中国は異を唱えた。
台湾では
「陳水扁
Chen Shuibian チェンシュイビィエン」氏が総統になった。
そこで記者はやっと訒小平の「先見の明」に感心することしきり、
だったとさ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★少し古いですが、ジョークついでに。
次頁にもうひとつ。
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これは メッセージ 17 (ajisai110701 さん)への返信です.
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【ジョークは語る】この島は中国のものだ!
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/05 20:19 投稿番号: [17 / 735]
【ジョークは語る】
この島は中国のものだ!
2011.7.3 18:00
産経新聞
中国のインターナショナルスクールで、教師が生徒に問題を投げかけた。
「外国の食糧不足に関してあなた自身の見方を述べよ」
だが生徒らは問題の真意がつかめず、教師は質問ぜめに。
米国から来た生徒は「食糧が不足するってどんな意味ですか?」。
アフリカからの生徒は「食糧って何ですか?」と首をひねる。
だが中国人の生徒だけは「あなた自身の見方ってどういう意味ですか」
と聞いた。
中国のインターネット上で流行しているジョークだが、中国人は、
米国人の豊かさが気に入らない一方、アフリカを見下している。
ただ、中国人自身「自分の考え方」を養う教育を受けてない
との皮肉も込められている。
やや自虐的なジョークもある。
韓国人が携帯電話を手に「われわれにはサムソンだって、LGだってある」
とブランドを誇示すると、中国人は「オレには不動産がある」とポツリ。
日本人が「ソニーも松下も日本のものです」とメガネの奥を光らせると、
中国人は「オレには不動産がある」。
米国人が「アップルだってマイクロソフトだってアメリカのさ」というと、
中国人はまたもや「オレには不動産がある」。
バブルが続く不動産しか自慢のタネがないのか。
ブランドや先進技術の欠如に対する悔しさがにじむ。
無人島を舞台にしたジョークもある。
海図にない島に故障した船が漂着した。
ドイツ人は故障をどう直すか研究を始め、
フランス人とイタリア人は島に女性が潜んでいないか、
うきうきしながら探しに行った。
日本人は漂着後にどうすべきか日本の本社に問い合わせる通信手段を探し始めた。
だが、中国人はこの島の領有権を主張し始めた。
中国人が作ったジョークかどうかは定かでない。(上海
河崎真澄)
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台湾教授協会が李登輝元総統を支援
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/04 22:33 投稿番号: [16 / 735]
台湾教授協会が起訴された李登輝元総統を支援
2011.7.3 18:33
産経新聞
台湾の李登輝・元総統
外交機密費を不正流用したとして、検察当局に公有財産横領の罪で起訴された
台湾の李登輝元総統について、台湾教授協会(張炎憲会長)は3日、
来年1月に総統選を控えた時期の起訴には政治的意図を感じるとの疑念
などを示し、「声援李登輝」と題して、李元総統を支援する声明を発表した。
また、加盟各団体の代表の署名を集めて、検察当局への文書による抗議を
行うことも発表。
同協会は民主化の推進を提唱してきた大学教授らで結成。
総統選で政権奪回を目指す野党・民主進歩党寄りの団体で構成されている。
(台北
吉村剛史)
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これは メッセージ 2 (ajisai110701 さん)への返信です.
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早發白帝城 李白
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/04 22:16 投稿番号: [15 / 735]
早發白帝城
李白(盛唐・701〜762)
早(つと)に白帝城を發す
朝辭白帝彩雲間
朝(あした)に辭す白帝彩雲の間
千里江陵一日還
千里の江陵一日にして還る
兩岸猿声啼不住
両岸の猿声啼いて住(や)まざるに
輕舟已過萬重山
輕舟已(すで)に過ぐ萬重の山
朝焼けに美しい雲がたなびく白帝城に別れを告げて長江を下る
遠く離れた江陵までわずか一日の河の流れ
両岸で啼く猿の声が悲しくこだまする
ふと気がつくと私の乗った小船は、幾重にも重なった山々を通り抜けていた
★彩雲は、あさやけぐもです。
★白帝城は、四川省当節県にあり、山峡の上部、瞿唐峡に臨む城です。
前漢の末、公孫述がここに拠って自ら白帝と称したので、この名がつきました。
http://www.carlos.or.tv/2002jf/gallery-j4.html山峡ダムの建設で、今どうなっているでしょうか。
★江陵は、一名荊州、湖北省江陵県。千里とは概略をいったもので、
白帝城から江陵までは約300キロ。
★李白25歳の時の作。
青雲の志を抱き、故郷四川から都長安をめざし長江を下ったときの作。
あるいは、晩年に夜郎へ流される途中、許されて帰るときの作。
と二説あります。
★「猿声」は古来悲しいものとされていました。
猿の鳴き声に後ろ髪を引かれる思いである、
という旅する李白の開放感と悲しみを表現しています。
★この「猿声」と、舟のスピードとの関係にまた諸説あります。
代表的なものは、猿が一声キャッと啼いて絶えぬ間に、
自分の乗った舟は、万里の山を過ぎてしまったほどである、と。
しかし、「千里の際、両岸皆山、猿声断えず、惨愴の想、知る可し」
というのが穏当なようです。
★の解説は『唐詩選』下,集英社, 漢詩大系7を参考にしました。
.
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吹笛(すいてき) 杜甫
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/04 22:12 投稿番号: [14 / 735]
吹笛(すいてき)
杜甫(盛唐・712〜770)
吹笛秋山風月芿
吹を笛く
秋山
風月の芿きに
誰家巧作斷腸聲
誰家(たれ)か巧みに作す
斷腸の聲
風瓢律呂相和切
風は律呂を瓢(ひるがえ)して相和すること切に
月傍關山幾處明
月は關山に傍(そ)うて幾處(いくしょ)か明らかなる
胡騎中宵堪北走
胡騎
中宵
北走するに堪えたり
武陵一曲想南征
武陵の一曲
南征を想う
故園楊柳今揺落
故園の楊柳
今揺落す
何得愁中却盡生
何得(なんぞ)愁中に却(かえ)って盡く生ぜん
★「却」は、原文は、「去」の部分が「谷」
秋の山の麓、風も月も清らかなこの夜、風に乗って笛の音が聞こえてくる
いったい誰があのように上手に笛を吹いているのだろうか
その悲しい音色にはらわたもちぎれそうだ
風は笛の音律を四方八方に運び、笛の音の律と呂(りょ)、
風の音とがみごとな調和をなしている
月は今、あの国境(くにざかい)の山の近くに出ているが
どれくらいの範囲があの月明かりに照らされているだろうか
わたしの故郷も同じように照らしているだろうか
あの勇敢な異民族の騎馬武者たちでさえも、
真夜中にこの笛のしらべを聞いたなら、
故郷を想い、悲しみのあまり、北方へ逃げ出して行くのも当然なのだ
わたしもまたこの洞庭湖のあたりでこの笛の音を聞いている
そしてしみじみと遥か南にさすらいやってきていることを想う
故郷の柳は、今ごろ葉を落としているだろうが
どうしてわたしの悲しい心の中には、
柳の葉がことごとく生じてているように思えるのか
わたしの心の中は、折楊柳の曲の想いでいっぱいになってしまった
>誰家巧作斷腸聲
誰家(たれ)か巧みに作す
斷腸の聲<
★死の少し前、洞庭湖北西の揚子江沿いのキ州という所にしばらく
滞在していたときの詩。キ州は今の湖南省常徳県。
揚子江沿い、洞庭湖の近くにあるまち。
★詩作にあたって、唐代の笛の音は悲しく聞こえる、ということが前提。
★律呂・・・東洋音楽の音律。音階。
「律」と「呂」と二種類あり、それがまたそれぞれに音階を持つ。
★關山
①関所のある山
→
国境の山
②故郷を離れている者にとっての故郷の山
★胡・・・漢民族以外の異民族の象徴。
モンゴル・トルコ・チベット等、乗馬が得意な民族。
反乱を起こしたい勢力がひきこんだり、
あるいは侵入してきたりして漢民族の居住地域に入り込んだ。
★中宵・・・真夜中
★武陵・・・桃源郷の村。常徳のあたり。平仄その他の関係で厳密に地名を
入れることができない場合、近くの他の地名を使うことがある。
★故園・・・ふるさと
★揺落・・・草木の葉が枯れ、落ちること。
★楊柳・・・別離には柳の枝を折りとり、旅立つ人に贈るならわしがあった。
柳は、茎を水に漬けておくだけで根がでるほど生命力が強いといわれる。
悲笛に「折楊柳」の曲を連想する。
★「折楊柳」・・・旅行く人を見送る曲。
★何得愁中却盡生
何得(なんぞ)愁中に却(かえ)って盡く生ぜん
何得・・・二字で「なんぞ・どうして」。
「得」は、二字にするためにつけてあるだけ。
何得(なんぞ)愁中に却(かえ)って盡く生ずるを得し
と読むこともできるが、意味は同じ。
★書き下し・解釈ともにあじさいです。
.
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断腸の思い
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/04 21:54 投稿番号: [13 / 735]
『断腸亭日乗』の「断腸亭」とは、永井荷風の書斎の名称。
荷風は、おなかがわるかったようです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
断腸の思い
★「猿声」は古来悲しいものとされていました。
「断腸の思い」の故事です。
吹笛
>誰家巧作斷腸聲
誰家(たれ)か巧みに作す
斷腸の聲<
早発白帝城
>両岸猿声啼不住
両岸の猿声啼いて住(や)まざるに<
桓公入蜀至三峡中。部伍中有得猿子者。其母縁岸哀號行百餘里不去。
遂跳上船至便既絶。破視其腹中腸皆寸寸斷。公聞之怒命黜其人。
桓公、蜀に入りて三峡中に至る。部伍中、猿子を得たる者有り。
其の母、岸に縁りて哀號し、行くこと百餘里にして去らず。
遂に跳びて船に上り、至りて便ち既に絶つ。
破りて其の腹中を視るに腸皆寸寸斷つ。
公これを聞きて怒り、命じて其の人を黜(しりぞ)ける。
★「猿」の字、原文は「ケモノヘン」+「爰」
桓公が蜀に入って三峡の中に至ったとき、
部隊のうちに猿の子を捕えた者がいた。
その子の母猿と思われる猿が、岸に沿って哀しそうに啼きながら、
百餘里もついてきて離れなかった。
そしてとう船の中に跳びおりたが、そのときにはもう死んでいた。
母猿の腹を割いて中を見ると腸が皆ずたずたに裂けていた。
桓公はそのことを聞いて怒り、子猿を捕えた者を追放するよう命令した。
★書き下し、現代語訳ともに あじさい です。
★『世説新語』黜免第二十八, 大修館書店
.
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Re: 贈別二首之一 杜牧
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/04 21:44 投稿番号: [11 / 735]
こんばんは。はじめまして。
「紫陽花亭日乗」にようこそ。
nipponndaisuki003 さんがはじめてのお客さまでいらっしゃいます。
自分で楽しんでやっているトピですが、ロムしてくださっているという
手ごたえがあるのはたいそう嬉しいことです。
末ながくよろしくお願いいたします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『詩経』鹿鳴(小雅)
●●鹿鳴
食野之萍
ゆうゆうたる鹿鳴
野の萍を食む
我有嘉賓
鼓瑟吹笙
我に嘉賓有り
瑟を鼓し笙を吹かん
吹笙鼓簧
承筐是將
笙を吹き簧を鼓し
筐をささげて是をおくる
人之好我
示我周行
人の我をよみする
我に周行を示さん
●
ロ幼
ユウユウと鹿は鳴きつつ
野のヨモギを食む
我にまれびとあり
琴と笛のよき音色もてなぐさめん
笙と簧の美しき楽の音
かごに盛るはくさぐさの礼物
まれびとよ
我が心をめで
よき教えを授けたまえ
★明治初期の鹿鳴館の名はここからとられました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★「鹿鳴」はお客さま大歓迎の詩ですが、
以下のようなへそまがりもおられます。
大田蜀山人
世の中に人の来るこそうるさけれ
とはいふものの お前ではなし
内田百輭
世の中に人の来るこそうれしけれ
とはいふものの お前ではなし
「世のなかはすむとにごるの違いにて」は人口に膾炙されていますが、
こちらは「るさ」と「れし」、たった二文字の違いです。
内田百輭先生のほうが、キツイ印象かもしれません。
どちらも人徳がないと言えない言葉です。
.
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Re: 贈別二首之一 杜牧
投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2011/07/03 22:04 投稿番号: [10 / 735]
このトピ、忠実にロムしております。〔その一人ですが〕
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贈別二首之二 杜牧
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/03 19:42 投稿番号: [9 / 735]
ついでということで・・・
贈別二首之二
杜牧(晩唐・803〜852)
多情却似總無情
多情は却って似たり
總べて無情なるに
唯覺樽前笑不成
唯だ覺ゆ
樽前
笑ひの成らざるを
蝋燭有心還惜別
蝋燭
心有りて
還(かへ)つて別れを惜しみ
替人垂涙到天明
人に替はりて涙を垂れ
天明に到る
(あまりに)感じ易く傷つき易い心(というもの)は、
かえって(感受性のにぶい)まったくの薄情な心に似てしまうものだ
(わたしは今、別宴の)酒だるの前で(あなたへの深い思いを示そうとして)
笑顔を作ろうにも作り得ない(自分である)ことを感ずるばかり
(二人を照らす)ろうそく(だけ)が、感情を持っていて、
かえって別離を惜しんで(いるかのように)
わたしに代わって、(しきりに)涙(のような、ろうのしずく)を、
夜明けまでしたたらせているのだ
★田部井文雄『唐詩三百首詳解』下, 大修館書店
つづく
これは メッセージ 8 (ajisai110701 さん)への返信です.
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贈別二首之一 杜牧
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/03 19:39 投稿番号: [8 / 735]
永井荷風の「墨上春遊」
>★十里珠廉・・・晩唐・杜牧の詩「贈別其一」の句に基づく。
艶冶な気分を醸しだしている。
春風十里揚州路
捲上珠廉總不如<
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
贈別二首之一
杜牧(晩唐・803〜852)
娉娉嫋嫋十三餘
娉娉(ほうほう)嫋嫋(じょうじょう)たり十三餘
豆●梢頭二月初
豆●(とうこう)梢頭(しょうとう)
二月の初め
春風十里揚州路
春風十里
揚州の路
捲上珠簾總不如
珠簾を捲き上ぐるも
総べて如かず
●・・・クサカンムリ
+
寇
コウ
(容貌は)あくまでも美しく、(姿態も)しなやかな十三歳餘りの乙女は
(陰暦)二月初旬の「ずく」のこずえのよう(に、つぼみのままで、
まだ咲ききってはいない)
(その二月の)春風の、(吹きわたる)揚州十里の街路で
巻き上げた玉のすだれ(の中にいる美女たち)も、
すべて(この乙女に)及ぶものはいない
★豆コウ・・・
「ずく」の類の植物の名。
晩春から初夏にかけて、美しい淡黄色の花を開く。
二月の初めには、まだほころばぬつぼみであるため、
ここでは、十三・四歳の美しい乙女にたとえたもの。
「豆●年華」という言葉はこの詩の句に由来。
★詩は、歌妓である美少女を、桃や杏とその妍を競うべき
「豆コウ」の花のつぼみに擬して、春風珠簾の美人麗人たちにも
それに比肩する者は存在しないと断定している。
★田部井文雄『唐詩三百首詳解』下, 大修館書店
つづく
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墨上春遊 永井荷風
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/03 19:28 投稿番号: [7 / 735]
墨上春遊
永井荷風(1879〜1959)
黄昏転覚薄寒加
黄昏
転(うたた)覚ゆ
薄寒の加わるを
戴酒又過江上家
酒を戴せて又過ぐ
江上の家
十里珠廉二分月
十里の珠廉
二分(にぶん)の月
一湾春水満堤花
一湾の春水
満堤の花
たそがれどき、なんとなくうすら寒さが増したように感じつつ
酒をたずさえて舟をこぎ出し、また隅田川に沿った家に立ち寄る
川のほとり十里に立ち並ぶ青楼、空にはみごとな満月
湾に満ちる春の水と、堤いっぱいの桜の花
★十里珠廉・・・晩唐・杜牧の詩「贈別其一」の句に基づく。
艶冶な気分を醸しだしている。
春風十里揚州路
捲上珠廉總不如
★二分月・・・中唐の徐凝の詩「憶揚州」の句に基づく。
天下三分明月夜
二分無頼是揚州
「天下の明月の夜を三つに分けたとすると、そのうちの二つは
無法にも揚州が占めてしまう」ということ。
★石川忠久『春の詩100選』NHKライブラリー
================
★永井荷風の母親は尾張藩漢学者・鷲津毅堂の次女。
鷲津毅堂は鷲津なつえ(童謡歌手・小鳩くるみ)の先祖。
彼女は今、マザーグースの歌の研究者として有名です。
父親の永井禾原と第七代名古屋市長・阪本詝之助(蘋園)とは兄弟で
鷲津毅堂の弟子。
阪本蘋園が視察先で手を出した女中にできた子が高見順。
すなわち荷風と高見順はいとこ同士。
高見順は一生涯、自分の出生に負い目に感じていました。
つづく
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永井荷風 『雨蕭蕭』
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/02 21:00 投稿番号: [6 / 735]
永井荷風
『雨瀟瀟』より
久しく御消息に接せず御近況如何に候哉。本年は残暑の後意外の冷気に加え
て昨今の秋霖御健康如何やと懸念に堪へず候。この分にてもう二、三日晴れ
やらずば諸河汎濫鉄道不通米価いよいよ騰貴致すべしと存候。さて突然なが
らかのお半事このほどいささか気に入らぬ仕儀有之彩牋堂より元の古巣へ引
き取らせ申候。古人既に閑花只合閑中看。一折帰来便不鮮。とか申候間とや
かく評議致すはかへつて野暮の骨頂なるべくまた人に聞かれては当方の耻に
も相なり申べき次第。と申せば大通の貴兄大抵は早や御推察の事かと存候。
拙者とて芸者に役者はつきものなり大概の事なれば見て見ぬ度量は十分有之
候。いはんや外の芸事とはちがひ心中物ばかりの園八節けいこ致させ惚ねば
ならぬ殿ぶりに宵の口説をあしたまで持越し髪のつやぬけてなど申すところ
はとりわけ情をもたせて語るやう日頃註文致をり候事とて「口舌八景」の口
舌ならねど色里の諸わけ知らぬ無粋なこなさんとは言はれぬつもりに候へど
も相手が誰あらう活動の弁士と知れ候ては我慢なりがたく御払箱に致申候。
同じいやなものにても壮士役者か曾我の家位ならまだまだどうにか我慢も出
来申べく候へども自動車の運転手や活動弁士にてはいかに色事を浄瑠璃模様
に見立てたき心はありても到底色と意気とを立てぬいて八丈縞のかくし裏な
ぞといふやうな心持にはなり兼申候。この辺の心事は貴下平素の審美論にも
一致致すべき次第一層御同情に値する事かと愚考罷在候。
お半二度左褄取る気やらまた晴れて活弁と世帯でも持つかその後の事はさつ
ぱり承知致さず。折角の彩牋堂今は主なく去年尊邸より頂戴致候秋海棠坂地
にて水はけよきため本年は威勢よく西瓜の色に咲乱れをり候折から実の処銭
三百落したよりは今少し惜しいやうな心持一貫三百位と思召被下べく候。
まづは御笑草まで委細如件。
~~~~~~~~~~~~~
★あるお金持ちの文人旦那が、絶滅危惧種である園八節をなんとか後世に残して
いきたいと、見込んだ芸者お半をひかせてかこい、園八節のけいこをさせます。
しかし、女は人形でも犬でもないから、そうそう飼い主の思う通りにはならない。
ついに大金を出して手に入れた娘ほどの年の飼い犬に手を咬まれ、
その間の事情をぐだぐだと友人に宛てて手紙を書きました。
未練たらたらです。
★永井荷風の『雨瀟瀟』はいい。漢詩がたくさん出てきます。
つづく
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Re: 永井荷風 『断腸亭日乗』
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/02 20:57 投稿番号: [5 / 735]
★このトピのタイトル「紫陽花亭日乗」は、『断腸亭日乗』をまねしたものです。
この場合の「乗」とは「記録」のことで「日乗」は「日々の記録」すなわち
「日記」、ネットでいえばブログにあたります。
なんと、「紫陽花亭日乗」のトピをたちあげたところへ、この「産経抄」の
記事でした。
『断腸亭日乗』は、大正6年39歳のときから昭和34年81歳4月29日の
死の前日にいたるまでの日記です。
もとは単なる日記のつもりだったでしょうが、荷風がこの『断腸亭日乗』は
作品になると気づいたのは、書きはじめて17年目の昭和8年のことらしい。
――『あめりか物語』も『腕くらべ』も、あるいはほろびるであろう。
しかしこの日記は、永遠の生命を保つわが最高の作にすることができる。
そのかわり、死ぬまでかかる息の長いしごとだ。
完結の姿を自分が見ることはかなわない。
以後荷風は『断腸亭日乗』と題する作品の主人公となるが、
一方でそれをかたわらより観察、描写するもうひとりの自分がいることになる。
死の年昭和34年にはいると、体力の衰えとともに記事内容は極端に少なくなり、
ほとんど日づけと天気の羅列になる。
荷風の体力の衰えを知ることのできる記述は、外食する食堂の遠近である。
昭和34年の記述をみてみると、荷風は千葉県市川に住んでいたが、
体力が残存しているときには連日浅草まで昼食をとりに行く。
それが3月にはいると市川駅前の飯屋にかわる。
そして4月には、上述のとおり、日づけと天気の記述の羅列のみ、
すでに外出する体力はなくなり、あとは病臥して死を待つのみ。
手伝いにきていたおばさんが、4月30日朝、死んでいる荷風を発見した。
死因は心臓麻痺だったらしい。
『断腸亭日乗』はひとつの作品であるが、主人公の身の上に起こることを
作者が左右することはできない。
『断腸亭日乗』のクライマックスは、昭和20年敗戦の年の記録である。
3月9日夜半の空襲
5月25日東京大空襲
8月15日玉音放送は移動の車中にあって知らず、夜はじめて知る。
荷風の身に生じた最も俗な事件は、昭和27年の文化勲章受賞である。
荷風このときすでに74歳、年甲斐もなくいきがって拒絶してみせ大向こうの
受け狙いととられるよりは、苦笑しつつ世俗の栄誉を温順に受け入れるほうを
選択したと思われる。
★以上、永井荷風『断腸亭日乗』については、
高島俊男『お言葉ですが・・・』第⑪巻, 連合出版「断腸亭日乗」を参考に
しました。他に同じ本に「声の荷風」という項目もあります。
内容について「産経抄」と少し異同があります。
つづく
これは メッセージ 4 (ajisai110701 さん)への返信です.
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永井荷風 『断腸亭日乗』
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/02 20:56 投稿番号: [4 / 735]
【産経抄】
7月1日
2011.7.1 03:07
『●東綺譚(ぼくとうきだん)』などの作品で知られる永井荷風は、
昭和34(1959)年4月30日の朝、自宅で血を吐いて絶命している
ところを見つかった。享年79。前日の昼には行きつけの小料理屋で、
お新香(しんこ)をさかなに日本酒1本を飲み、カツ丼を平らげていた。
▼三島由紀夫の自決事件が起きた11年後、ある雑誌が作家を対象に、
「誰の死にざまに共感するか」というアンケートを行った。
トップは、荷風だったという。
死にざまではなくその生き方に、ここ数年関心が高まっている。
▼総務省が発表した平成22年の国勢調査の「1%抽出速報」によれば、
1人暮らしが3割を突破し、夫婦と子供の世帯を初めて上回った。
「奇人」と呼ばれ続けた荷風が、2度の離婚を経験してから、
いかに1人暮らしを楽しんだのか、学ぼうというのだ。
▼37歳から42年間書き続けた日記『断腸亭日乗』は、
今なら毎日ブログを更新するようなものだ。
それを読めば、散歩や庭仕事を好んだことがよくわかる。
▼朝食は、ココアとクロワッサンですませ、夕食はレストランに出かけたが、
料理もお手の物だった。
トマトにオリーブ油をからめながら、若き日を過ごしたフランスに思いをはせる。
終戦後の食糧難の時代には、ニンジンや大根などの野菜を炊き込んだまぜご飯を作った。
▼「これができれば、結婚をする必要はあるかしら、と。
荷風のメニューの中にはそういう意味で、
新しい時代の先駆的シンプル・ライフのレッスンが示されているとも思う」。
日本文学研究者の持田叙子(のぶこ)さんが『朝寝の荷風』のなかで書く。
平成の独身女性が、自分の暮らしをモデルにしていると知ったら、
泉下の荷風も苦笑いするしかないだろう。
●=さんずいの右に黒の異体字の下に土
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★「死にざま」という言葉が使用してありますが、
荷風の人生のありかたにふさわしいと思ったのかもしれませんが、
これは決して感じの良い言葉ではありません。
「死にざま」「生きざま」とは、対象を憎悪・嫌悪・侮蔑しているときに
用いる言葉ではないでしょうか。
つづく
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Re: 李登輝元総統、公金横領罪で起訴
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/01 23:00 投稿番号: [3 / 735]
■「日本李登輝友の会」HPより
2011年6月30日 (木)
【台湾の検察特捜部が李登輝元総統を起訴
不可解な起訴内容】
黄昭堂主席「台湾と日本の司法は根本的に違う。心配する必要はない」
【会見終了後、メディアに囲まれる顧立雄・弁護士】
台湾の特捜部にあたる最高法院検察署特別偵察組(特偵組)は、
6月30日午前10時30分から会見を開き、李登輝元総統と
「台湾総合研究院」創設者で初代院長の劉泰英氏が国家機密費約780万ドル
(約6億3千万円)を横領し、「台湾総合研究院」の設立費用に充てた
として、公有財物横領の罪で起訴したと発表した。
これを受け、午後2時30分から李登輝元総統の弁護士・顧立雄氏が、
李登輝事務所の王燕軍主任とともに台大校友会館で会見を開き
「起訴内容は事実と全く異なる」と反論。
「総統は予算分配に同意するが、その後の執行には関与しない」など、
起訴内容と法律要件が符合していない、と指摘した。
一連の会見を受け、本会台北事務所は李登輝元総統と親しい
黄昭堂・台湾独立建国連盟主席を訪問、この件に関しての印象を聞いた。
問「起訴の一報を聞いたときの印象は?」
黄主席「時には政敵を潰すために司法を利用するのが中国人のやり方。
李登輝元総統は”棄馬保台(馬英九氏を放棄して、台湾を守ろう)”を
スローガンに馬政権を批判してきた。
来年の選挙戦が近づいてきたので、国民党が口封じをしようとしたのだろう」
問「台湾国内への影響はあるか?」
黄主席「大きな影響はない。台湾人は国民党のやり方を熟知している。
法に基づかないやり方は彼らの常道」
問「日本人も大きな関心を寄せているが?」
黄主席「台湾と日本の司法というものは全く違う。
日本の方は冷静に見ていて欲しい。
国民党が司法を利用して仕掛けてきているだけなので心配する必要はない」
なお、この件に関し、台北地検は2003年に国家安全局の元会計長を
起訴していたが、裁判では1、2審ともに無罪が確定しており、
なぜ今になっての起訴なのか不可解さは否めない。
李登輝元総統は昨年6月に行われたデモで「棄馬保台」を明言。
来年1月の総統選挙に向け蔡英文・民進党主席を支持するのは確実で、
国民党側が李元総統の批判を封じようと機先を制した、という見方が有力だ。
7月1日夜、李登輝元総統は台北市内で開かれる台湾団結聯盟のパーティに
出席する予定で、民進党の蔡英文主席とともにスピーチすることになっている。
李元総統の弁護を担当する顧立雄氏は台湾大学法律系卒業後、
ニューヨーク大学で修士号。現在は台湾最大規模の萬国法律事務所に所属
する辣腕のパートナー弁護士。陳水扁前総統一家の弁護を務めたことで
一躍その名が知られた。
両親ともに上海出身の外省人だが、台大在学中に受けた法学教育を
通じて政治思想に大きな影響を受けた。
さらに、黄信介・元民進党主席の講演を聞いたのをきっかけに、
台湾の前途に貢献しようとの考えを固めたという。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★馬英九のアメリカ留学の卒論は「尖閣は中国の領土」という内容でした。
昔から頑強にそのように信じていた外省人です。
翻って李登輝さんは、尖閣は間違いなく日本の領土である、という見解。
「ねえちゃんきれいでも自分の妻ではない」という有名な発言があります。
「台湾を近代化したのは後藤新平。台湾を民主化したのは李登輝だ」
とも常々発言されておられます。
台湾国民に絶大な人気のあるカリスマ李登輝さんは、
馬にとって目の上のたんこぶでしょうね。
ただ数年前に、台湾の民進党支持者の一般庶民から、
「李登輝さんにも金の問題がある」という意味のことを聞いたことはあります。
当時、陳水扁さんと奥さんのカネの問題がとりざたされていたときでした。
この人は
「陳水扁さんの奥さんは身体障害者で、カネの問題などありえない」
と言っていました。
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これは メッセージ 2 (ajisai110701 さん)への返信です.
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李登輝元総統、公金横領罪で起訴
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/01 22:58 投稿番号: [2 / 735]
李登輝元総統、公金横領罪で起訴…台湾最高検
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【台北=源一秀】台湾の最高検察署(最高検)は30日、
総統在任中に公金を横領していたとして、李登輝元総統(88)と
元側近(75)を公金横領罪などで在宅のまま起訴した。
台湾での総統経験者の起訴は、陳前総統に次いで2人目。
最高検の発表によると、李氏は、自身が名誉理事長を務める調査研究機関
「台湾総合研究院」創立にあたり、創立者となった元側近と共謀し、
公金約780万米ドル(6億3000万円)を横領し、その資金に充てた。
横領したとされる公金は、情報機関、国家安全局が1994年、
対南アフリカ工作のために外交部(外務省に相当)に貸与した資金
約1050万米ドル(8億5000万円)の一部。
李氏側は「罪状は事実無根」として全面的に争う構えを見せている。
有罪となった場合、李氏は、10年以上の懲役または無期懲役に加え、
1億台湾ドル(約2億8000万円)以下の罰金刑となる可能性がある。
(2011年7月1日00時54分 読売新聞)
つづく
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紫陽花亭日乗
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/01 22:56 投稿番号: [1 / 735]
中国のカテが大盛況でトピの作成ができません。
台湾カテは余裕があるのでこちらにきました。
シノロジー全般についてやっていきたいと思います。
別ハンで文学カテにひとつトピを持っていますが、レス数が伸びて
どこに何があるのやら、わからなくなってしまいました。
そこでこちらに新たにトピを立てて、すっきりときれいに整理を
してみたいと思います。
ある程度できたら、文学のほうは落とそうと思っています。
よろしくお願いいたします。
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