【孫文の志 未だ成らず】辛亥革命100年
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/15 00:47 投稿番号: [311 / 735]
【孫文の志
未だ成らず
辛亥革命100年】
(1)中国で売られる「三民主義」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110718/chn11071817080001-n1.htm
(2)戦場特派員「姿三四郎」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110725/chn11072508000001-n1.htm
(3)辛亥革命100年 台湾の国父像
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835412&tid=bbgmdb2vdbffcbeh&sid=1835412&mid=267
【孫文の志 未だ成らず 辛亥革命100年】
(4)中台最前線・金門島
2011.8.14 15:35 (1/3ページ) 産経ニュース
辛亥革命に資金提供した王敬祥氏(後列右から3人目)ら支援者が神戸で
孫文(前列中央)と撮った写真(撮影日不詳、金門民俗文化村提供)
正真正銘の「中華民国」
「いわばこの島こそが正真正銘の中華民国だよ」
中国福建省アモイ市からフェリーで30分。
台湾支配下の金門島で出会った黄振良氏(62)はこう言った。
中国大陸と台湾が最短距離で2キロほどに近接し、東西冷戦時代には
1958年から79年にかけて一時、砲撃戦が繰り広げられるなど
軍事的緊張が20年以上も続いた地だ。この島が台湾の支配下にあった
からこそ、台湾海峡の制海権と制空権が中国の手に落ちずにすんだ。
だが、東西ドイツを隔てたベルリンの壁や、朝鮮半島の板門店と並んで
分断の象徴とされたその島が、なぜ「正真正銘の中華民国」なのか。
11年の辛亥革命成功で12年1月1日に孫文を臨時大総統とする
中華民国が中国大陸に成立し、金門島も版図に含まれた。
しかし、現在、「中華民国」と称する台湾はこのとき、日清戦争
(1894〜95年)の結果、日本に割譲されていた。
つまり台湾は、1945年の日本敗戦後、蒋介石率いる国民政府が
大陸から逃れて来るまでは、中華民国とは縁がなかったのだ。
一方で、中国大陸では中国国民党との内戦に勝利した、毛沢東率いる
中国共産党が49年10月に中華人民共和国を成立させ、大陸から
中華民国は消え去ることに。しかし金門島は、軍事上の要衝として
国民政府側が米国などの支援を得て冷戦時代を通じて死守し、
「中華民国」領の地位を保った。
「辛亥革命からこの100年間、一度も国の名前が変わっていない土地、
という意味ですよ」と金門生まれ金門育ちの黄氏は笑顔をみせた。
確かに中国大陸側も台湾も為政者が変わったが、
黄氏ら金門人は祖父母の代からずっと一つの国名だ。
金門島と同じように台湾支配下の軍事要塞として戦後も「中華民国」領
であり続けた離島に、金門県の管轄下にある烏●嶼(うきゅうしょ)と、
福建省福州市に近い馬祖列島がある。それでも、いわば100年続いた
「中華民国」領の面積は合わせても183平方キロ。
伊豆大島(91平方キロ)2つ分で、実際に暮らす人口は5万人ほどだ。
□ □
つづく
(1)中国で売られる「三民主義」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110718/chn11071817080001-n1.htm
(2)戦場特派員「姿三四郎」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110725/chn11072508000001-n1.htm
(3)辛亥革命100年 台湾の国父像
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835412&tid=bbgmdb2vdbffcbeh&sid=1835412&mid=267
【孫文の志 未だ成らず 辛亥革命100年】
(4)中台最前線・金門島
2011.8.14 15:35 (1/3ページ) 産経ニュース
辛亥革命に資金提供した王敬祥氏(後列右から3人目)ら支援者が神戸で
孫文(前列中央)と撮った写真(撮影日不詳、金門民俗文化村提供)
正真正銘の「中華民国」
「いわばこの島こそが正真正銘の中華民国だよ」
中国福建省アモイ市からフェリーで30分。
台湾支配下の金門島で出会った黄振良氏(62)はこう言った。
中国大陸と台湾が最短距離で2キロほどに近接し、東西冷戦時代には
1958年から79年にかけて一時、砲撃戦が繰り広げられるなど
軍事的緊張が20年以上も続いた地だ。この島が台湾の支配下にあった
からこそ、台湾海峡の制海権と制空権が中国の手に落ちずにすんだ。
だが、東西ドイツを隔てたベルリンの壁や、朝鮮半島の板門店と並んで
分断の象徴とされたその島が、なぜ「正真正銘の中華民国」なのか。
11年の辛亥革命成功で12年1月1日に孫文を臨時大総統とする
中華民国が中国大陸に成立し、金門島も版図に含まれた。
しかし、現在、「中華民国」と称する台湾はこのとき、日清戦争
(1894〜95年)の結果、日本に割譲されていた。
つまり台湾は、1945年の日本敗戦後、蒋介石率いる国民政府が
大陸から逃れて来るまでは、中華民国とは縁がなかったのだ。
一方で、中国大陸では中国国民党との内戦に勝利した、毛沢東率いる
中国共産党が49年10月に中華人民共和国を成立させ、大陸から
中華民国は消え去ることに。しかし金門島は、軍事上の要衝として
国民政府側が米国などの支援を得て冷戦時代を通じて死守し、
「中華民国」領の地位を保った。
「辛亥革命からこの100年間、一度も国の名前が変わっていない土地、
という意味ですよ」と金門生まれ金門育ちの黄氏は笑顔をみせた。
確かに中国大陸側も台湾も為政者が変わったが、
黄氏ら金門人は祖父母の代からずっと一つの国名だ。
金門島と同じように台湾支配下の軍事要塞として戦後も「中華民国」領
であり続けた離島に、金門県の管轄下にある烏●嶼(うきゅうしょ)と、
福建省福州市に近い馬祖列島がある。それでも、いわば100年続いた
「中華民国」領の面積は合わせても183平方キロ。
伊豆大島(91平方キロ)2つ分で、実際に暮らす人口は5万人ほどだ。
□ □
つづく
これは メッセージ 267 (ajisai110701 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/bbgmdb2vdbffcbeh_1/311.html