Re: 【孫文の志 未だ成らず】辛亥革命100
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/15 00:47 投稿番号: [312 / 735]
金門島の北東部に、伝統的な様式の18棟の住居を保存した
「金門民俗文化村」がある。
金門島から神戸に渡って貿易商として成功した華僑、王敬祥氏
(1872〜1923年)が故郷に錦を飾るために建てた住居だ。
この王敬祥という人物について金門県の李沃士(よくし)県長(51)は
「辛亥革命100年の今年、改めて深く感動し光栄に思っている」と
目を輝かせた。孫文の革命に大きく貢献した「地元の名士」だからだという。
李県長の説明によれば、王氏は神戸を拠点にした貿易で財を成し、
辛亥革命以前から孫文を資金面で支援してきた。
孫文が神戸を訪れる際は必ず彼の家に宿泊したという。
中華民国成立後、総統の座を譲った袁世凱に追われて
日本に亡命したときにも、孫文は彼を頼った。
金門島の海岸からは海を隔てて中国福建省アモイ市や泉州市の建物まで
肉眼で見える。李県長によれば「親類や知人も多い一つの生活圏」だが、
この地は華僑の故郷でもある。数百年も前から大海に乗り出していった漢
民族にとって、良好な港湾があり、船舶が多数寄港したこの地が出発点の
一つになった。この地域の方言である★南(びんなん)語がいまも、インド
ネシアなど東南アジアの華僑や台湾本島でも話されていることがその証拠だ。
華僑のネットワークが資金のみならず、武器調達や情報収集、
日米欧などとの交渉でも孫文らを支えたことはよく知られる。
「華僑の故郷」を自任する金門人にとっても辛亥革命と孫文は、満州人が
支配した清朝を倒した漢民族としての誇りの象徴なのだろう。
□ □
その金門島が台湾の「辺境」から、両岸(中台)を結ぶ交通の要衝と
して変わり始めたのは2001年1月のことだ。
中台当局間の合意に基づき、金門島とアモイ間を結ぶフェリーが解禁された。
それまで中台間を行き来するには香港かマカオ、あるいは日本など
第三国を経由する必要があったが、経済交流の拡大で台湾側は大陸との
直接の人的往来を認めざるを得ない情勢に追い込まれていた。
金門県によれば、このフェリーを使った出入境者数は01年の
2万1377人から、昨年は137万9604人まで激増。
台湾のビジネスマンが金門島経由で中国に渡るケースが急増している。
7月29日には、中国福建省の住民に対し、金門島への個人旅行が解禁され、
「今後は大陸から数十万人の観光客が金門に来る」(李県長)とソロバンをはじいている。
それだけではない。金門県ではいま、中台が対峙(たいじ)した時代の
軍事施設跡を世界遺産として国連教育科学文化機関(ユネスコ)に
申請する計画を練っている。
李県長は「かつて敵対したアモイ市や泉州市とともに中台共同で登録を
めざすよう働きかけており、実現すれば意義が大きい」と明かした。
台湾がユネスコに加盟していないという事情もあるが、中台がそこまで
「統一行動」をとりうる時代に入ったことをも意味する。
中国人民解放軍が金門島への砲撃を始めた1958年8月23日にちなみ、
金門県では今月23日に、「中華民国建国100年記念」として「平和の鐘」
を設置するイベントを開く。「軍事対立の最前線から中台和平の最前線になる」
と李県長は意気込んだ。「同じ祖先をもつ住民同士。中国との統一を恐れない」
と話す金門人も増えているという。
100年にわたり「中華民国」であり続けた小さな島が、辛亥革命100年
を経て、中台の将来を変える次なる“革命”を生みだす舞台になるかもしれない。
(金門島 河崎真澄)
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「金門民俗文化村」がある。
金門島から神戸に渡って貿易商として成功した華僑、王敬祥氏
(1872〜1923年)が故郷に錦を飾るために建てた住居だ。
この王敬祥という人物について金門県の李沃士(よくし)県長(51)は
「辛亥革命100年の今年、改めて深く感動し光栄に思っている」と
目を輝かせた。孫文の革命に大きく貢献した「地元の名士」だからだという。
李県長の説明によれば、王氏は神戸を拠点にした貿易で財を成し、
辛亥革命以前から孫文を資金面で支援してきた。
孫文が神戸を訪れる際は必ず彼の家に宿泊したという。
中華民国成立後、総統の座を譲った袁世凱に追われて
日本に亡命したときにも、孫文は彼を頼った。
金門島の海岸からは海を隔てて中国福建省アモイ市や泉州市の建物まで
肉眼で見える。李県長によれば「親類や知人も多い一つの生活圏」だが、
この地は華僑の故郷でもある。数百年も前から大海に乗り出していった漢
民族にとって、良好な港湾があり、船舶が多数寄港したこの地が出発点の
一つになった。この地域の方言である★南(びんなん)語がいまも、インド
ネシアなど東南アジアの華僑や台湾本島でも話されていることがその証拠だ。
華僑のネットワークが資金のみならず、武器調達や情報収集、
日米欧などとの交渉でも孫文らを支えたことはよく知られる。
「華僑の故郷」を自任する金門人にとっても辛亥革命と孫文は、満州人が
支配した清朝を倒した漢民族としての誇りの象徴なのだろう。
□ □
その金門島が台湾の「辺境」から、両岸(中台)を結ぶ交通の要衝と
して変わり始めたのは2001年1月のことだ。
中台当局間の合意に基づき、金門島とアモイ間を結ぶフェリーが解禁された。
それまで中台間を行き来するには香港かマカオ、あるいは日本など
第三国を経由する必要があったが、経済交流の拡大で台湾側は大陸との
直接の人的往来を認めざるを得ない情勢に追い込まれていた。
金門県によれば、このフェリーを使った出入境者数は01年の
2万1377人から、昨年は137万9604人まで激増。
台湾のビジネスマンが金門島経由で中国に渡るケースが急増している。
7月29日には、中国福建省の住民に対し、金門島への個人旅行が解禁され、
「今後は大陸から数十万人の観光客が金門に来る」(李県長)とソロバンをはじいている。
それだけではない。金門県ではいま、中台が対峙(たいじ)した時代の
軍事施設跡を世界遺産として国連教育科学文化機関(ユネスコ)に
申請する計画を練っている。
李県長は「かつて敵対したアモイ市や泉州市とともに中台共同で登録を
めざすよう働きかけており、実現すれば意義が大きい」と明かした。
台湾がユネスコに加盟していないという事情もあるが、中台がそこまで
「統一行動」をとりうる時代に入ったことをも意味する。
中国人民解放軍が金門島への砲撃を始めた1958年8月23日にちなみ、
金門県では今月23日に、「中華民国建国100年記念」として「平和の鐘」
を設置するイベントを開く。「軍事対立の最前線から中台和平の最前線になる」
と李県長は意気込んだ。「同じ祖先をもつ住民同士。中国との統一を恐れない」
と話す金門人も増えているという。
100年にわたり「中華民国」であり続けた小さな島が、辛亥革命100年
を経て、中台の将来を変える次なる“革命”を生みだす舞台になるかもしれない。
(金門島 河崎真澄)
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これは メッセージ 311 (ajisai110701 さん)への返信です.
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