入って中国人に南京事件真相議論しましょう
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盧溝橋事件59 橋本参謀長を出迎え2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/07 18:35 投稿番号: [561 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
210〜212p
《 入口のすぐ左側に通信所があった。私は雨宿りのつもりでツカツカとその中に
入って行くと声をかけられた。それは旅団の次級副官小野口大尉だった。
「いつの間にこんなところに来られたんです?」 私はろくろく挨拶もしないで、尋ねた。
「昨日ですよ。牟田口連隊長と一緒にこちらにやって来ました。
しかし戦争というものは、こういう後方勤務は一向有難くないですな。
河辺閣下はもう今朝程から、第一線に立って指揮をとっておられます。
それで君はまた、どういう要件でこちらに来られたんですか?」
「アア私ですか。私は参謀長閣下のお出迎えです。
何だか豊台から北には汽車を出さないような噂を聞いたもんですから」
すると副官は 「さきほど、河辺閣下から電話がありましてね。参謀長閣下が来られたら、
ちょっとでもいいから盧溝橋の戦場を回って、見ていただきたいっていわれるんです。
閣下としちゃあ、すでにこの戦場で部下を殺しておられるんですからねえ。
そういったお気持が多分にあるんでしょう。
だから僕は、どうしても参謀長閣下を、ここで汽車から引きずり降さなきゃならない
立場にあるのです。オヤッ!
もうボツボツ列車が着く時刻です。駅の方に参りましょう」
二人は一緒に自動車に乗った。そして雨の中を素ッ飛ばして
ホームのオーバーブリッジの脇に車を横付けにした。
ガランガラーン!
ガランガラーン!
信号所の方で合図の鐘が鳴る。
やがて北京行き急行列車がすさまじい勢いでホームに滑り込んで来た。
「一号車はもう少し後の方に停車いたします」
豊台憲兵の三橋実上等兵が私達二人に注意してくれた。
車輌の胴体に赤色のライン、そしてその下に 「頭等臥車」 としるされた車が、
静かに私達の前に停った。二人は車の中に乗り込んでドアーをあけると、
出会い頭にブツかったのが大木良枝少佐参謀だった。
「お迎えに上りました。実は豊台の駅長が作戦関係の日本軍人は一人も
北京にやらんと頑張っていますし、
またこの次の永定門駅では、ワカラズヤの二十九軍が抜身のダンビラを突き付けて、
乗客をしらみつぶしに調べるんです。
それやこれやでいっそのこと、自動車で北京まで素ッ飛ばされた方が
早手回しと考えまして、ここまでお迎えに上りました」
「それはどうもご苦労様でした。じゃあちょっと待ってくれ給え。
その事を閣下に申し上げてくるから……」
参謀長は 「外は雨が降っているようだな」 と言いながらマントを羽織り、
やがて列車から降りて来た。
一行三台の自動車は、参謀長の車を先頭にして、守備隊の中に入って行った。
雨は次第に本降りになって来た。
ゴッタ返しの本部事務室で、一杯の渋茶に喉を潤している参謀長に小野口副官が
「当兵舎には、昨日の戦闘で名誉の戦死をとげました鹿内准尉以下十名の遺骸が
安置してございます。
それから野地少尉以下、二十数名の負傷者を、医務室の方に収容しております。
ただいまからその方をご案内申し上げます」 と報告に来た。》
つづく
これは メッセージ 560 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件59 橋本参謀長を出迎え1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/06 18:25 投稿番号: [560 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
209〜210p
《 笠井顧問や愛沢通訳生達が、保安隊誘導のため出ていってしまった後も、
中国側の要人達は、依然、次から次へと特務機関を訪れて来て、機関の中は
相変らず上を下へのゴッタ返しを続けていた。
応接室と事務室の間を、あわただしく駆けずり回っている私をつかまえて、
吉富機関員が話しかけた。
「アア補佐官殿!
先程豊台からお電話がありました。
関東軍の連絡将校、辻政信とかいう大尉の方が、今豊台に来ておられるそうです。
それで今晩北京に泊ろうと思って、汽車に乗ろうとされたところ、豊台の駅長が、
作戦上の目的で北京に行く者は、絶対、汽車に乗せる事まかりならんといって、
もう三時間ばかりも汽車を動かさないんだそうであります」
「フーム、それで北寧鉄路局の方へ、交渉でもしてくれといってきているのか?」
「イヤ、北京行きは中止されたそうであります。
ただ、そういう事があった事だけ、お知らせしておいてくれとの事でございました」
「そうか。辻大尉がやって来ているんだな。
この辻大尉というのは、この前、上海事変の時、金沢の連隊の小隊長として出征し、
勇敢に戦ったが、戦後はもう一人、辻権作という大佐と一緒に、
あちこち講演して歩いたので、ますます有名になったんだ。
幼年学校、陸士、陸大の恩賜組で、口も八丁、手も八丁、なかなかの遣り手だそうだ。
関東軍、いよいよジッとしておれなくなったもんだから、
天津軍をケシかける意味で辻大尉なんかをよこしたんだな」
話し合っているところに天津の軍司令部から、電話がかかってきた。
「軍参謀長の橋本少将と塚田参謀それから大木参謀の三名が、停戦協定締結のため、
今日牛後三時四十五分、天津発、列車で北京に向われました。
出迎えの準備と宿の支度を、どうぞよろしくお願い致します」 というのだ。
「こりゃあいかん!
早速今の問題を解決してしまわんと、
今度は参謀長一行まで、豊台の駅で河止めみたいな事になってしまう」
私はトントンと階段を駆け上って機関長室に入って行った。
「そうか。宿の方は扶桑館に交渉したらそれでよかろうが、
列車の一件は、こいつちょっとうるさい問題だなあ!
それに時間ももう余りない事だしするから、北寧鉄路局に連絡をとる一方、
どちらに転んでも大丈夫なように、ご苦労だが補佐官一つ、
自動車を二台ばかり用意して豊台駅まで迎えに行って来てくれ。
汽車が順調に出るようだったら補佐官もそれに乗って、一緒に帰って来るがいい」
私は早速吉富機関員に命じ、北寧側との交渉を開始させた。「あとは頼んだぞ!」
私は一声を残して北機第一号車と、軍事顧問用の車一台とで特務機関を出発した。
車が豊台の駅についたのは、六時にはまだ大分間のある時間だった。
霧のような雨がまたモヤモヤと降り始めてきた。
私は駅のすぐ前にある、豊台守備隊を訪れて行った。
軍装物々しい、そしてズブ濡れになった兵隊が、あわただし気に営内を行き来している。
彼等は何れも七日の夜以来、盧溝橋の戦場で善戦健闘したつわもの連なのだ。
私なんかと一緒に死生の巷にさらされてきた戦友なのだ。
なんともいえぬ親しさ、懐かしさがこみ上げてくる。》
つづく
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盧溝橋事件58 バケモノ保安隊3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/05 15:24 投稿番号: [559 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
207〜208p
《 やがて間もなく本物保安隊が西五里店に到着した。
今日のネグラがどこなるかも知らぬ顔の保安隊の兵隊達は、
饅頭を頬張ったり、隣のやつの頬ッペタを引っぱたいたりして、
雨のひとときをこの西五里店の部落でゴッタ返していた。
その時、私は特務機関で、盧溝橋駅からの電話にかかっていた。
話の相手は今朝程喧嘩したばかりの威勢のいい参謀である。
「こんな事件を引き起した以上、旅団としては保安隊を宛平城内に入れる事は
絶対不賛成だ。早速止めさせてくれい。
今朝方の事件なんか全く寝耳に水で、旅団は一生懸命、
盧溝橋と八宝山とを警戒していたら、
突然背後の北京街道から、灰色の大部隊が散開隊形でこちらに向って
前進して来るじゃないか。
大塚通訳生を遣ってこれを食い止めさせようとしたところ、かえって射撃で対応する
という始末、結局正当防衛としてもこちらは戦わなければならなくなったんだ」
「いま、笠井顧問からも電話で、その一件一件が報告されてきたところだよ。
だが保安隊入城の件は、昨夜来交渉の結果、中国軍の宛平県城撤退に伴う
交換条件として、こちらがすでに承認を与えた問題なんだ。
不拡大の目的達成のためには大事の前の小事というわけさ。
保安隊の入城を拒否する、その事は極めて易々たる問題だが、その反動として、
せっかく撤退した二十九軍がまたまた宛平城内に舞い戻って来たらどうする。
ことにこの間題は、軍司令部でもすでに協定通りやらせろという意向なんだぜ。
今朝だけの問題で、根本までひっくり返すような愚をなさぬよう、
その点はよくよく考えてくれい」
「だが最初の協定というやつがなあ!
余りにも軟弱過ぎたんだ。
まあ一応閣下に申し上げてみよう」
電話は暫くの間放置されて、受話器がジージー音を立てていた。
「今、閣下の意向を伺って見たんだ。軍の方針がそうと決まったら仕方がない、
入城の点では譲歩しよう。
しかしいったん日本軍に対して銃口を向けたような保安隊は、断じて城内に入れる
わけにはいかない。即刻、他の保安隊と取り換えて欲しいというご意見なんだ」
「その点はご心配無用!
すでに別の一隊を派遣してあるからその方を入城させる」
笠井顧問と中島顧問とは協議の上、これ等保安隊の編制装備について再検討を
加える事になった。そして松井機関長からの指示に基いて、入城保安隊には、
重火器に類するものは一切、即ち軽機関統といえども携行させない事にして、
弾薬の数も一人十発に制限し、特に人員の点では厳に百五十名に限定した。
こうして整理された保安隊百五十名は、笠井顧問及び愛沢、広瀬両機関員に
引率されて宛平県城へ、
また残余の五十名、及びバケモノ保安隊は、
中島顧問に引率されて北京指して引き揚げて行った。》
つづく
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盧溝橋事件58 バケモノ保安隊2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/04 13:09 投稿番号: [558 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
205〜207p
《 車の動揺が激しくなってきて、水溜りのトバッチリが遠慮会釈もなく、
両側の人家や道を通る苦力達にはねとんで行った。
やがて煙雨の中に、永定河右岸、青く霞んだ大行山脈の姿が見え始めて来た。
こんもりとした大瓦ヨウの森、一文字山の緑が日に映ずる。
この先はもうすぐ西五里店の部落だ。
「顧問殿!
ありやあいったい何ですか?
二十九軍らしいものが前の方に一杯かたまってるじゃありませんか」
「ウム、こりやおかしいぞ。日本軍の背後にこんな中国軍がいるはずはないのだが!
とにかくまああそこまで行ってみよう」
車は一散に西五里店の部落に突っ込んで行った。
そしてその中国軍の真ん中で顧問達は車から降りた。
兵は皆、家の軒下に入り込んで雨宿りをしている。
道路脇には血に染まった中国兵が三人、仰向けになって死んでいる。
腕を手拭で首から吊った兵が、雨の中をうろついている。
無言の中に何か知ら、殺気立った空気が感ぜられるのだった。
顧問は兵の一人をつかまえて聞いてみた。
「お前達はいったいどこの部隊なんだ?」「北京から来た保安隊です」
「北京から来た保安隊?
すると何か。これから宛平県城へでも入ろうというのか?」
「そうです。そして二十九軍と交代するんです」
「ハーテ、これはいよいよもっておかしいぞ。保安隊が二つも出来ちゃった。
そしてこの死んでる兵や、怪我をしている兵は一体全体どうしたんだ」
「今朝方、私達がここまで来ると、日本軍があの盧溝橋の原ッパから射って来たんです。
それで私達もすぐこの原に散開して応戦したんです。
その時、こいつ達とうとう死んじゃったんです」
「愛沢君!
保安隊といえば僕等が誘導して来た保安隊一つに決まっているのに、
どうしてまたこんなバケモノ保安隊が、朝早くからこういうところにとび出して
来たんだろうなあ!まるで狐につままれたみたいだ。
いずれは中国側が、また例のでたらめの命令を出したんだろうと思うが、
日本側に一言の挨拶もなく、突然こんなところにとび出して来たんじゃ、
そりやあ日本軍に射たれるのが当り前だよ」
「そうですねえ。これから河辺旅団と、それから特務機関の方に
一応電話で連絡をとってみましょう」
ちょうどその時、家の中からヒョッコリとび出して来たのが中島顧問である。
それに続いて周参謀も出て来た。
「やあどうも
−。ところでここにいるこの保安隊ですがねえ。
こりゃあいったいだれから派遣されて来た保安隊ですか?」
「イヤ、それがどうも実にけしからんのだよ。
だんだん聞いてみると、命令が二つ出ているらしいんだ。
君の連れて来ているやつは、正式に冀北辺区保安隊の石友三を経由した命令だし、
ここに集っているやつは従来通り河北省保安隊独自の命令でやって来たらしいんだ。
石友三からの命令なんか、全然知らないといってるんだもの……」
「ハハア、なるほど」
「それにこいつらの指揮官ときたら、情況も任務もまるっきりわかってやしない。
服だけはどうやら保安隊らしくカーキ色の制服を着けているが、外套ったらどうだい。
二十九軍の借り物だか何だか知らんが、全員灰色のを着てるだろう。
これじゃあいくら何だって、日本軍が敵と判断するのが当り前だよ」
「イヤ、だから今も愛沢君や広瀬君と、
こいつらの事をバケモノ保安隊だっていってたところですよ」
「まったくその通りだ。バケモノ保安隊とはよかったなあ。アハハハ……」
つづく
これは メッセージ 557 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件58 バケモノ保安隊1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/03 18:34 投稿番号: [557 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
204〜205p
《 七月九日午前九時、私は風順胡同 (フォンシュンホートン) の自邸にある、
冀 (キ) 北辺区保安隊総司令石友三将軍と電話で話をしていた。
「石さん!
僕、寺平です。わかりますか?」
「オオ!
寺平補佐官!
久しぶりです」
「ご家族の皆さん、相変らずお元気でしょうな。忙しい忙しい。
昨日から例の事件でとっても忙しいんです。
昨日は宛平県城で弾の下を潜ってきました。とても得難い経験をしました。
時にお尋ねするんですがねえ。
今日張允栄さんからお話があって、保安隊を宛平城内に入れる事になったんですなあ!
ところがその保安隊は石さんの冀北辺区保安隊だっていうじゃありませんか。
石さんの部下なら、私、一人残らず知っているから非常に好都合です。
隊長はいったいだれが行く事になるんです?
馮寿彰?
それとも羅東初?」
石友三はいつもながらの、少しかすれたような声で答えた。
「ところがそうじゃあないのです。今日宛平城に行くのは先農壇に駐屯している、
河北省保安隊です。隊長は賈と云う営長ですがね。
実は昨日、戒厳令が布かれると同時に、河北省保安隊、
つまり省長馮治安の隷下部隊も、私の指揮下に入れられちゃったんです。
だから私にとってはホンの一時的の部下なんです。
いずれはまた、私の手から離れ去ってしまうべき性質のものなんです」
「ナーンだ。じやあまるで臨時傭 (やと) いみたいな保安隊ですね」
「そうです。全くの臨時傭いです。私はまだ顔も見た事がないんですよ。アハハハ……
もっとも命令だけはシッカリ聴かせなきやいけませんから、
私の司令部から参謀の黄雅山、ホラ!
ご存知でしょう。
この前、酒を飲んで、武家披 (ウーチャーボー) の歌を唱った、
あれを付けてやる事にしました」
雨は依然、降り続いていた。その日の午後一時半ごろだった。
カーキ色の軍服をまとった二百余の保安隊が、北京城の広安門を後にして、
北京街道を西へ、盧溝橋の方へと前進していった。
チャルメラに似て一抹の哀愁味を帯びた喇叭 (ラッパ) の音、
それに歩を合せて進む保安隊の兵隊達。
笠井軍事顧問と広瀬秘書、それに特務機関の愛沢通訳生が、
この一隊の誘導係兼監督役として、部隊と行動を共にしていた。
笠井顧問は自動車の窓から、時々外の雨雲を見上げながら
「この保安隊が城内に入ってしまったら、事件はこれでもうスッカリ片付いてしまう。
張家口に行ってたばかりに、活躍の好機をとり逃がして、僕は実に残念だ!」
とつぶやいた。「まったく惜しかったですねえ!」 と愛沢通訳生が相槌を打った。
「河辺旅団と連絡のために、俺達はここいらから先行しようじゃないか」
「そうしましょう。オイ!
運転手!
部隊を追い抜いて、
それからグッとスピードを出せ。盧溝橋まで先行するんだ 」》
つづく
これは メッセージ 555 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件57 日本と蒋介石の対応
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/02 18:27 投稿番号: [556 / 2250]
日本側
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』 157〜158p
《 政府においては、九日八時五十分から十時まで臨時閣議が行われた。
この席上、杉山陸相は
「交渉は継続するが、当面中国軍の真意が明らかでなくかつ事件発生以来
不法射撃の絶えぬ不信不遜の態度、
とくに第二九軍の兵力と抗日態度からみて、むしろこの際速やかに適当な兵力
すなわち内地三コ師団をも現地に派遣する必要がある」 と提案した。
これに対し 「内地からの派兵の時機でない」 というのが閣僚一般の意見であった。
たまたま現地では九日早朝に停戦交渉の成立したことが報ぜられたので、
この提案は見送りになった。
次いで十一時から四相会議が開かれ、次の要旨の申し合わせを行った。
(一)
今次事件の原因は中国側の不法行為にある
(二)
われは不拡大方針を堅持する
中国側の反省によって事態収拾の速やかならんことを希望する
(三)
中国側が無反省にして事態の危機を見るにおいては、
わが方は適宜迅速に機宜の措置を構ずる
(四)
各閣僚は、いつでも臨時閣議の招集に応ずることのできるよう待機する
(五)
帝国政府の解決方針は、中国軍の撤退、責任者の処罰、中国側の謝罪
と今後の保障である》
中国・蒋介石の対応
『蒋介石秘録下』
サンケイ新聞社刊
200p
《 九日、四川にいる何応欽 (かおうきん) にたいし、
ただちに南京へ行き、全面抗戦にそなえて、軍の再編に着手するよう命令、
さらに廬山にきていた第二十六路軍総指揮・孫連仲 (そんれんちゅう) にたいしては、
中央軍二個師をひきい、平漢鉄路で、保定あるいは石家荘まで北上するよう指示した。
また、山西省の太原、運城方面の軍を河北省石家荘に集結させるよう指示した。
同時に、軍事関係の各機関には、総動員の準備、各地の警戒体制の強化を命じ、
河北の治安をあずかる宋哲元には、次のような電報を打ち、決意と警戒を促した。
『国土防衛には、死をかけた決戦の決意と、積極的に準備する精神をもって
のぞむべきである。
談判については、日本がしばしば用いる奸計を防ぎ、
わずかでも主権を喪失することのないのを原則とされたい 』》
*
宋哲元に打電とあるが、宋哲元はまだ田舎の楽陵にいて北京に戻っていない。
戻ろうともしていない。
日本は、軍を派遣すべきかどうか、検討しているが、中国はすでに軍を動かしている。
つづく
これは メッセージ 551 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件56 桜井顧問の救出
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/01 18:24 投稿番号: [555 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
202〜203p
《 桜井顧問は昨夜以来、宛平城の中で
−
今晩こそ日本軍が、この城に夜襲をしかけて来るに違いない。
夜襲しないとしたら、明払暁には必ず攻撃して来る事が判断出来る。
しょせん俺の命はあと数時間限り。−
と考えて、悲壮な決意の下に、いままでの交渉経過や中国軍の動静など、詳細
手帳に書き認 (した) ため、これをポケットに突っ込んで死後の報告書として準備した。
八時を少し過ぎたころである。部屋の外が急に騒々しくなってた。
荒々しい中国語で、何か盛んにどなっている声が聞えてくる。
顧問は耳をそばだてた。どうも聞きなれた中島顧問の声によく似ている。
「これはいったいなんのための歩哨だ!
着剣なんかして。
やはり桜井顧問はこの中に監視されてるじゃないかッ!」
「イヤ決して!」
「弁解はいらぬ。退れッ!
そして脱 (と) れ剣!
無礼者めがッ!」
そういってドヤドヤ入り込んで来たのは中島顧問、周参謀、林耕宇の一行だった。
「ヤァ!」「ヤァ!」
互いに顔見合せて双方とも、言葉がちっとも出て来ない。
「よう城内に入って来られましたなあ!」
「イヤ、入るよりもなによりも、僕はもう十中八九、君は殺されているものと判断した。
どうか僕の任務が、君の死体引き取りという事にならなければいいがと、
そればかり心配しとったんだよ」
こうして両顧問は、昨夜来からの撤退協定について語り合った。
「
−
そこでタッタ今、僕は独断をもって十時半までまけてやったところさ。
いまからこの事を河辺閣下のところまで連絡に行かなきゃならん」
と中島顧問がいう。「そうですか。じやあ私もそこまで一緒に行きましょう。
何よりもまず、両軍の射撃を止めさせなきゃあいかん。
昨日この方、私も旗振りの要領が大分上手になってきましたタイ!」
両軍事顧問、それに周参謀は、並んで軒端に突っ立った。雨垂れが.バシャバシャ
落ちてくる。一行はそれぞれの自動車に分乗して宛平城を出発した。
そのころ、戦闘は雨の中でなお依然として続けられていた。
日本軍は京漢鉄路の路盤によって、また中国軍は宛平城の城壁によって、
相対峠している。顧問一行は両軍の間を、白旗振り振り射撃中止を勧告して歩いた。
桜井顧問は長豊支線の線路上から城壁上の中国兵を振り返って射撃を制止し、
さらにこんどは日本軍に向って大声で射撃中止を勧告した。
その正面はちょうど一木大隊の第一線だったが、大隊は大隊長の命令一下、
ピタリと射撃を中止し一方、中島顧問は一文字山の方に回って、
これまた木原大隊の射撃を中止させ、そこから逐次盧溝橋の駅舎にある
旅団長河辺少将のもとにおもむいたのだった。
今朝ほどまで騒々しかった戦線は、次第次第に鎮静に返って、
いまではもう銃声一発聞えてこない。
雨も次第に小降りになってきた。
あたかも戦闘の小康を物語っているかのようである。》
つづく
これは メッセージ 554 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件55 中島顧問現地に向う3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/31 18:37 投稿番号: [554 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
201〜202p
《 中島顧問はまず真ッ先に 「団長!
桜井顧問は今どこにいますか?」 と鋭く尋ねた。
吉団長は落ち着いた態度で 「アア桜井顧問ですか。顧問はあちらの方で休んでおられます」
「何?休んでいる?
あなたがたは軍事顧問を監禁なんかしてやしないでしょうな」
「監禁なんてとんでもない。決してそんな事はしてはいません。
十分気をつけて保護しております。何ならすぐそちらの方にご案内致しましょう」
「じゃぁそうして下さい。その前にもう一つ団長にお話する事がある。日華両軍、
停戦協定が成立したんです。周さん!
これはあんたの口から、詳細に説明して下さい」
周参謀は持前の茶目気分で、協定成立の経緯から撤退の手段方法に至るまでを、
身振り手振り沢山に、詳細かつ早口に説明した。
吉星文は腕の時計を眺めながらいった。
「九時撤退といえば、あともう五十分しかありません。
雨も大分降っておりますし、荷物の運び出し、その他に相当時間がかかります。
ギリギリのところ、あともう一時間半ばかり延ばしていただきたいもんですなあ。
実際問題として九時までというのは、すこぶるむつかしい問題なんですが」
すると周参謀 「でも九時という時間は、北京ですでに協定済みの時間なんだから、
いまさら変更という事になると、もう一遍日本軍の方に行って掛け合って
こなければならないんです。そんな事してたらますます時間が間に合わなく
なってしまいますよ」 と一人で気をもんでいる。
中島中佐は小首を傾けて、しきりに仁丹髭を捻っていたが
「そういえばもう八時過ぎだなあ!
よろしい。僕が責任を負って承認する事にしよう。
一時間半だね。十時半になってからまたまた延期だなんていったって、今度は僕が
承知しないぞ。一時間半だけ、僕が独断で日本側に何とか連絡をつけて上げよう」
「それだけやって頂けたら結構です」「しかしそれはそれだ。中国軍としてはそんな事を
当てにする事なく、出来得る限り迅速に、いまから早速撤退準備に取りかかんなさい」
林耕宇がそれを吉星文や金振中に通訳している間に、中島顧問はもう起ち上っていた。
「サア、話が決まったらこんどは桜井顧問だ。だれか桜井の居る所を案内してくれ!」》
つづく
これは メッセージ 553 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件55 中島顧問現地に向う2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/30 18:26 投稿番号: [553 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
200〜201p
《 中島顧問は、林耕宇と周参謀を伴って、秦徳純邸の応接室を出た。
その出会頭に鼻突き合せたのが問題の三十七師師長馮治安中将である。
「ヤア!
これは馮師長!
実に都合のいいところで出会った。
僕等はいまから盧溝橋に停戦指導に出かけるところです。
日本側は河辺旅団長も行っているんだから、馮さん、あなたも是非私と一緒に現地に
出かけなさい。あなたが現地で命令一つ下しさえしたら、今度の問題なんか一遍に解決だ。
こりゃいい人に出会った。アア!一緒に自動車に乗ろう。来なさい来なさい」
中島顧問は馮治安の袖をとらえて、懸命に車の方へと引張った。
しかし馮治安はニコリともせず
「私、今非常に忙しいのです。放して下さい。放して下さい」
ほとんど振り切らんばかりにして中島顧問から離れると、
歩度を速めて一散に応接室の方へ逃げ込んで行ってしまった。
中島顧問と周参謀、それに林耕宇ともう一人、三十七師の上校参謀を乗せた
二台の自動車は、まっしぐらに宛平県城さして走って行った。
西五里店の原に出たころ、戦線の方からはポコーン!
ポコーン!
次第に銃声が聞え始めてきた。
宛平城の東門は、鉄扉が堅く鎖されていたので、一行は迂回して城壁の北側伝いに、
西門の方へと進んで行った。鉄橋の方向で突然激しい銃声が始まった。
「ストーップ!」 一行は車からドヤドヤと跳び降りた。
「まだ射撃してやがる。白旗を出せ!
白旗を!」 そうどなったのは中島顧問である。
林耕宇が眉に皺を寄せながら 「どうも困りますねえ。あれはみんな日本軍の射撃ですよ……」
言いも終らず中島顧問 「何ッ?
日本軍か二十九軍か、この高いところに上ってよく見ろ!
無責任な出まかせをしゃべると、この俺が承知しないぞッ!」
顧問の一喝!
林耕宇は青くなって縮み上った。
周参謀は勇敢に長豊支線の線路上に駆け上って、白旗振り振り大声にどなった。
「射っちゃいかぬ。射っちゃいかぬ。師長の命令だ。射っちゃいかぬ。射っちゃいかぬ」
打ち振る度に白旗がハタハタと、心地よい音を立てる。
「もういいでしょ。早く宛平城に入りましょうよ」 林耕宇と上校参謀とは、
早く城内に入ろうとそればかりを焦っていた。
ようやくにして射撃は鎮静におもむいた。一行は宛平県城の西門を入って、
まず営本部に吉星文団長を訪ねて行った。
本部では金営長やその他の幹部連も集まって、しきりに会議の最中らしかったが、
一行が入って行くと、まず吉団長がスックと起ち上った。
周参謀の説明によって一行が和解調停の任務をもってやって来た事を知ると、
団長は領きながらにこやかにこれを迎え、手を差し伸べて握手を交した。》
つづく
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盧溝橋事件55 中島顧問現地に向う1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/29 16:03 投稿番号: [552 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
198〜200p
《 日支両軍撤退の円滑を図るため、双方二名ずつの代表を現地に派遣し、
実地指導と行動の監視をすることになり、
日本側からは事件発生当時張家口におり、急遽北京への途を急いでいた二十九軍
軍事顧問中島弟四郎中佐とこれと同行していた二十九軍の周思靖参謀とは、
北京西直門駅でそれぞれ連絡をうけ、同駅から秦徳純市長からの迎えの自動車によって、
まだほの暗い九日の朝方、西直門をくぐってまず秦市長邸に入った。
ここも昨夜以来一睡もしていないらしい。机の上は一杯取り散らかされ、
地図は広げられたまま放りっぱなしにされていた。
部屋の中はムッとするくらい、煙草の煙がもうもうとしている。
中島顧問が入って行くと、秦市長はニコニコしながらもあわてて地図を裏返しにし、
「お帰り早々大変ご苦労様です。いまからもう盧溝橋にお出かけなんですか。
とにかく、早く事件が解決するよう、何分ご尽力をお願い致します」
中島顧問は、性格極めて明朗闊達、一見大久保彦左衛門を偲ばせるような、
直情径行の人柄である。
「大丈夫ですよ。お互いが誠意をもって交渉しさえすれば、決して拡大する
ことなんかありません。安心して一切を私達にお委せなさい。
だがまず第一に秦さん!
顧問に対して地図を匿すなんて何事です。
そんな事していたら事件はますます拡大しますぞ。
お見せなさいお見せなさい。いかにして二十九軍をよくしようかと、
そればかり考えて努力している我々に対し、匿し立ては一切ご無用!」
顧問はそういって地図を表側にひっくり返した。
「ハハア、なるほど、この青鉛筆が二十九軍ですな。
八宝山には三十七師の主力が出ていますね。
三十八師は南苑から、まさに豊台の虚を衝こうという態勢をとって
いるじゃありませんか。この矢印は確かそうなんでしょう。
いかんいかん!
こんな図を描いているようじゃ、いつまでたったって
事件の解決は出来ませんぞ。いやしくも不拡大な標榜する以上…‥」
「いえ、決してそういう意味じゃないのです。もし日本軍から攻勢に出られた場合、
二十九軍はいかなる態勢をもってこれを防ごうかという研究をしていたのです」
「イヤ、そういう釈明は信ぜられません。考えてもご覧なさい。
いま、華北に日本軍がいったいどれだけいると思いますか。
虫眼鏡で見なければわからないほど僅かな日本軍に対して、
あなたの方がこういう大袈裟な騒ぎ方をするもんだから、
日本軍はますます戦備を整えなければならなくなるんです。
ともかく、私はいまから現地に行って問題を解決してきますから、
その間に決して別の部隊を動かすような事をしてはいけませんよ。いいですか」
子供に教え諭すようにして念を押した中島顧問は、
林耕宇と周参謀を伴って、秦徳純邸の応接室を出た。》
つづく
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盧溝橋事件54 参謀本部処理案を作成
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/28 15:02 投稿番号: [551 / 2250]
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』
156〜157p
作戦班の大部の者は、八日夜、第一部長の指示により参謀本部に泊り込んで、
事件に緊急対処できる態勢で待機していたが、
九日早朝に次のような第三課案 「北支時局処理要領」 を作成した。
方
針
事件ヲ努メテ 平津地方ニ限定シ 速 (すみやか) ニ同地方ヲ 確保シ 之カ 安定ヲ企図ス
要
領
一
事件不拡大ノ方針ヲ以テ進ムモ
支那側ニシテ我軍ニ対シ
挑戦的態度ニ出ツルニ
於テハ
支那駐屯軍ニ 所要ノ兵力ヲ増加シ
我ニ敵対スル支那軍ヲ
平津方面ヨリ駆逐シ
北支那ノ安定ヲ企図ス
外交交渉亦此ノ方針ニ準拠ス
二
若シ抗日実力行為カ
中南支ニ波及スルコトアルモ
陸軍ノ出兵ヲ行ハサルヲ
主義トス
但シ所要ニ応シ
山東方面ニ出兵シ
居留民ヲ保護シ我権益ヲ確保ス
これは八日の 「時局処理要綱」 案とほとんど同文で、若干の字句を修正した
ものである。しかし所要兵力量は異なる。作戦班は
「北支ニ在ル
第二九軍 並 (ならび) ニ中央軍ノ北上スル場合
之ニ対応スル兵力トス
後方ハアマリ推進セス
概ネ永定河、白河ノ線ヨリ遠ク
前進セサル場合ヲ
基礎トス」
として検討した。
八日の案では、関東軍から独立混成旅団二、飛行中隊四、鉄道大隊、自動車中隊等を、
朝鮮軍から歩兵四大隊基幹の混成部隊、内地から飛行中隊一六、野戦重砲兵旅団、
山砲兵聯隊、戦車大隊等の腹案であった。しかし、第三課としては、
事件の早期現地解決に疑問を抱いていたことや武藤課長が武力行使も
やむをえないのではないかとの積極的意図を有していたので、
一夜の検討により所要兵力量は増大した。
すなわち、前記関東軍の部隊は変わらず、朝鮮軍からは一コ師団、
内地から三コ師団をもって平津地方の中国軍を駆逐、
状況により山東方面に二コ師団を充当する腹案であり、
中・南支には派兵しないという強い考えであった。
航空兵力については、作戦班長寺田済一中佐(28期)の強い意見により、なるべく
強大な兵力をもって一挙に敵航空の撃滅を図るという考えで兵力量が算定された。
この 「北支時局処理要領」 に連帯を求められた第二課は、兵力の派遣に強く
反対していたので相当の問題があったが、ついにこれに同意した。
第三課はまた陸軍省軍務、軍事両課とも検討し同意を得た。しかし文面はともかく
として、そのねらいや解釈については硬軟柔剛が対立し甲論乙駁の論争があった。
この討議の際、田中軍事課長は 「この際徹底的に禍根を芟除 (さんじょ) するため、
梅津・何応欽協定を第二九軍に適用するか、または永定河を去る二〇支里の地区に
支那軍を退ける」という意見、つまり満州国に隣接して緩衝地帯を作ることを主張した。
武藤作戦課長も同様の希望を有していた。
これに対し柴山軍務課長は、極めて局限した小範囲の条件を主張し 「この際領土的
もしくは満州国の拡張というような意見は持つべきでない」 と主張している。》
注
「平津地方」 とは北京・天津地方の事。
当時、中国の首都は南京だったので、北京は北平とされていた。
そこで北平・天津地方
略して
平津地方
となる。
芟除 (さんじょ)
:
刈り取り
除く
こと
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盧溝橋事件53 林耕宇に連絡
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/27 18:36 投稿番号: [550 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
197〜198p
《 私はすぐ、林耕宇の所に電話をかけた。
「いま盧溝橋の情況はどうなっているのか?」 と突っ込んで訊ね
「タッタいま、日本軍第一線からの報告によれば、
日本軍は午前五時、正々堂々撤退を開始したにもかかわらず、
中国側はこの撤退を退却とでも誤認したのか、
かえって猛烈な射撃を浴せかけて来た。
日本軍はやむを得ず反転して中国軍に対し、
反撃を加えなければならない状態に立ち至ってしまったのだ。
いったいどうして君達は、こんなでたらめな事ばかり仕出かすんだ?
今朝ほどの協定、あれは決して単なる一片の空手形じゃないんだぜ。
第一線の日本軍は、あの協定を評してインチキ協定だと猛烈に憤慨しとるんだ!」
とどなりつけた。
すると彼は 「おかしいですなあ!
そんな事は絶対ないはずなんですが、
一応連絡をとって調べてみましょう」 と電話を切った。
それから二十分ばかりたって電話がかかってきた。林耕宇からだ。
「誠に申し訳ありません。実はすみやかにあの協定を宛平城の金振中に伝えようと思って、
いろいろ工夫したんですが、軍用電話は切断されて役に立たんので、
鉄道電話を使って豊台駅を呼び出し、豊台から駅員をやって宛平城内に伝達させたのです。
ところが雨が降ったため道は悪いし、ことに宛平城付近は両軍交戦の真っ唯中なので、
連絡の者がどうしても城内に入る事が出来ず、
そのため一文字山の手前から再び豊台に引き返して来て、
タッタ今、豊台駅から電話がかかり、
今朝ほどの命令は宛平城内には伝達出来ませんでした、といって謝まって参りました」
「だからいわぬ事じゃない。いくら日本側が真剣になって円満解決に骨を折っても、
中国側がそんな無責任なやりっ放し主義じゃ、事件はますます拡大して行く一方じゃないか。
両軍首脳部が不眠不休でこしらえ上げた、重要協定を、
名もない一匹の男に持たせてやるという、
その事自体がそもそも大局を誤ってしまう根本なんだ。全責任は当然君達の方にある。
しかしいまどきそんな事をぐずぐずいってたって仕方がない。
即刻、第二段の処置を講じ給え。
日本軍は十五分もあれば、第一線の敵兵にまでも命令の徹底が出来るのだ。
いくら雨が降ったからといったって、
もう少しテキパキやってくれなくちゃ困るじゃないか」
私は取りあえず事のおもむきを松井機関長に報告し、
改めて電話連絡で中国側と、協定の建て直しを交渉した。
そして中国側の申し出でに従って、撤退時間を午前九時という事に決定した。》
つづく
これは メッセージ 549 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件52 機関は二十九軍の親戚かッ!
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/26 18:31 投稿番号: [549 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
196〜197p
《 私はその時、北京の特務機関でちょうど顔を洗っている最中だった。
給仕の杉沢がやって来た。
「補佐官殿!
お電話でございます。豊台の旅団司令部から参謀の方らしゅうございます」
「よしきた。すぐ行く」
私は電話口に立った。ガンガン破 (わ) れ鐘のような声が受話器に響いて来る。
「午前五時を期して日華両軍、永定河の両岸に一斉に撤退を開始するなんて、
あんなインチキ協定は、いったいだれが結んだんだ。
現在日本軍は協定通り、立派に撤退を開始しているんだ。
それなのに中国軍は退るどころか、かえって猛烈な射撃を浴せてきやがった。
いったい貴公ら特務機関のする事なんか、
もうスッカリ二十九軍になめられ切っているじゃないか。
やれ不拡大だ、やれ和平交渉だ、偉そうな事ばかり言いやがって、
事毎に軍の作戦行動を妨害している。
もう戦争が始まってしまった今日、特務機関なんか必要はないんだ。
貴公等も第一線に出て来て戦争をやれよ。
北京特務機関なんてもともと二十九軍の親戚じゃあないのか!
こういう言語道断な不信行為をあえてした以上、
旅団は断乎、今から宛平城を攻撃するッ!
今後は一切、貴公等のご厄介にはならぬ。
軍の行動には絶対嘴 (くちばし) を容れてくれるな!」 電話は荒々しく切られてしまった。
相手は私と士官学校の同期生鈴木京大尉である。
いかにお互いの気易さからとはいえ、これはまた何という暴言だろう。
もうこうなってしまったら仕方がない。
中国側がそういう瞞 (だま) し射ち的態度に出るのなら、我々も匙 (さじ) を投げた。
後は自然の成り行きに委せるより他はない。
私がなかば捨て鉢的気分になって起ち上ったところに、
また、別の電話がかかって来た。天津軍司令部の鈴木嘉一少佐からだ。
「いよいよ撤退の時間になりましたね。
いまごろ現地ではもう、両軍それぞれ新しい配置に向って行動を起している事でしょう。
唯、先程もお話したように、協定の実行を監視するということが、この際何より大切です。
旅団の方に対しては、別に私からも要求しますが、二十九軍側に対しては君の方から一つ、
万々間違いのないよう資任ある指導を要求して下さい。
とにかく、いま中央も、それから軍も、打って一丸となって不拡大に邁進している
一番大切な時ですからね。中国側もあくまでこの方針に同調させなくちゃいかん。
くれぐれも一つ、この点お頼み致しますよ」
私はこの一語によって、心境に翻然、一大変化を来した。
そうだ。我々は今、国家の重大危局に直面しているのだ。
さすがに軍司令部は常に大局に着眼し、
国家全面的の立場から物事を考えているから、このように冷静なのだ。
第一線の将兵は、身をドンドンパチパチの渦中に投じているから、
自然猪突盲進に陥り易い。我々までがそうした心理で二十九軍に突っ掛って行ったんでは、
国策だろうがなんだろうが、一遍でブチ壊しになってしまう。
そうだ。俺は依然不拡大主義で一貫しよう。
あくまで不拡大工作の奴隷になって折衝を継続するんだ!》
つづく
これは メッセージ 548 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件51 中国軍の停戦不履行
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/25 18:44 投稿番号: [548 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
194〜196p
《 雨がシトシトと降っていた。
一木大隊も木原大隊も命令に基いて、それぞれ兵力の集結にとりかかった。
堆土の脇から、線路のほとりから、兵隊がチョロチョロと現われて、
いずれも後方へ後方へと下り始めた。
突如、ドカーン!
すぐ目の前に、物凄い火柱が立った。
敵の迫撃砲弾が、一文字山陣地の一角に落下したのだ。
これを切ッ掛けとして、小銃弾、砲弾、ゴッチャ混ぜにした篠 (しの) つくような
猛射撃が、宛平城の敵から浴せられて来た。
殷々轟々、戦線がにわかに活気を呈し始めた。
「オイ!
これはいったい、どうした事なんだ?」
「やつら、日本軍が退却し始めたくらいに勘違いしているんじゃなかろうか?」
とたんに 「集合待てッ
各小隊は元の位置に戻って敵情を監視せよ!」 中隊長からの
命令が敵兵線に逓伝 (ていでん) されて来た。兵は駈歩で再び元居た場所に戻って行った。
「完全に中国側から瞞 (だま) し射ちを食ったな」
「全くだ。今度という今度こそ、連隊長殿もきっと怒っておられるに違いないぞ」
敵弾は依然、頭の上をビューン!
ビューン!
飛んで行く。
「オーイ!
衛生兵!
衛生兵はいないか!
松井少尉殿が負傷された!」
「何?
小隊長殿が?」 兵の憤激はいよいよ昂 (たか) ぶって来た。
「小隊長殿!
分隊は射撃を開始しますッ!」
「待てッ!
射っちゃいかぬ。俺が命令するまでは一発も射っちゃいかん!」
身は傷つきながらも乱弾の下、闘志にはやる部下を制し、
一発の応射さえもあえてさせない松井元之助小隊長の苦衷、
実に不拡大に徹した軍紀厳正な部隊といわなければならぬ。
本部通信所では、その時盛んに電話のベルが鳴らされていた。
牟田口連隊長自らが受話器をとっているのだ。
「旅団長閣下でございますか。私は牟田口でございます。
ただいまの戦況をご報告申し上げます。
連隊は協定の趣旨に基きまして、午前五時、盧溝橋駅に終結を始めました。
ところが中国軍は撤退を肯 (がえ) んじないばかりか、宛平城の城壁から、
逆にこちらに対して猛烈な火力を浴せかけて参りました。
まだ、相変らず射ち続けております。そのため味方には戦死一名、
負傷はいままでに報告があっただけでもう三名も出ております。
中国軍としては、こういう事は常套手段かも知れませんが、
実に言語道断、横暴極まる遣り方です。
理屈は抜きと致しまして、敵を沈黙させるため、歩兵砲の全力をもって
制圧射撃を加えたいと思いますがいかがでございましょうか?」
「城内にはまだ住民がいるんじゃないか?
それから桜井顧問あたりも……」
「ハアおります。そこで主として城壁に対する威嚇射撃を行なって、
城内には射ち込まぬよう努めたいと思いますが……」
「よろしい。その点だけわかっていてくれたら一切は君の裁量にお委せする。
十分注意してやってくれ給え」
つづく
これは メッセージ 547 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件50 攻撃停止命令来る
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/24 18:25 投稿番号: [547 / 2250]
一木大隊は永定河を渡って東岸に引揚げ、連隊長と会った。
連隊長は翌朝の宛平城攻撃を指示した。
これは補佐官が話をつける前の事だが、長くなるので、その部分省略。
続きは、「兵の引き離しの話がついた」 との 連絡が来たところから。
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
193〜194p
《 その時である。河辺旅団司令部から牟田口連隊の本部に対し、作戦命令甲第六号が、
筆記電話をもって伝達されてきた。
「旅団命令であります」 河野又四郎副官の一語に、牟田口連隊長、
森田中佐の面はサッと緊張した。
「命令を読みます。旅団命令
七月九日午前三時
豊台において」
折り柄の風にカンテラの火が軽くまばたく。副官は持ち前の訥々 (とつとつ) と
した言葉で、一語は一語より力強く朗読を続けた。
一、二十九軍首脳部は軍の要求を容れ、午前五時を期してその部隊を、
宛平城内より永定河右岸に撤退せしむる事を確約せり。
二、旅団は盧溝橋駅付近に兵力を集結し、中国軍協定履行の確否を監視せんとす……
「また命令の変更だ!
払暁攻撃の計画は中止せにゃいかん!」
牟田口連隊長が疳 (かん)走った声で叫んだ。
森田中佐も残念そうに 「そうですなあ! 準備は全部整ってしまったのに、
この命令じゃ またまた中止しなければなりません」
連隊長は、まだ読みも終らぬその命令を、副官の手から奪うように取り上げると、
眉の間に皺 (しわ) を寄せ 「政策とからみ合った戦争はいつでもこれだ。
純作戦上の要求が事毎に政策のために抂 (ま) げられてしまう。
しかしまあ、不拡大という方針からいえば、これもまたやむを得まい。
ことに相手が無条件で引き退るという事だったら、
大局上からは大いに喜ぶべき現象だからなあ!」
全くその通りである。
折衝機関としては、この協定の締結は、なるほど成功と言い得るかも知れない。
しかし戦闘を本然の任務とする第一線部隊にとっては、こうした情勢の急変、
命令の変転は、実に迷惑千万であって、それがいかに忍び難い苦痛であるかは、
およそ当事者以外には、到底窺 (き) 知し得ない心境であろう。
旅団命令には、さらに次のような内容が示されてあった。
三、歩兵第一連隊は、午前五時、「射ち方止め」 の喇叭吹奏と同時に、
一部を一文字山東側に留め、主力は盧溝橋駅付近に集結すべし。
四、中国軍の撤退に際し、これに敵対行動をとり、
また宛平城内に兵を進むることは厳にこれを禁止す
云々。
第一線の将兵が、手ぐすねひいて待ち構えた攻撃前進の命令は、こうして遂に
下されることなく、それに代って部隊集結のための命令が下されてしまった。
「ナーンだ。攻撃じゃなくて回れ右か!」
「敵はまだ相変らずポコンポコン射ってる
じゃないか。中国軍が約束通り撤退するなんて、そんな事があり得るもんか。何が確約だい!」
夜はほのぼのと明けはなれてきて、いよいよ九日の午前五時になった。
協定による両軍一斉撤退の時刻である。》
つづく
これは メッセージ 546 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件49 特務機関での交渉2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/23 18:22 投稿番号: [546 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
188〜189p
《「ヤア寺平君ご苦労様です。そこで停戦交渉の件ですがねえ。
軍司令部から天津市長張自忠を介して秦徳純と交渉した結果、
盧溝橋の二十九軍は今日、午前四時を期して撤退させる事に意見がまとまったんです。
これに伴って北京特務機関には、また実地指導の細部をやっていただかなければ
ならなくなりますから、取りあえずお知らせしときます。
タッタいま、張自忠のところから電話がかかって来たばかりなんです」
「そうですか。その事について実はいま、秦徳純の代表として、張允栄が特務機関に来て、
いろいろ相談しているところです。ついでにお尋ねしますが、
撤退の付帯条件として中国側は何とかいっていませんでしたか?
たとえば一部の兵力を城内に残置するとか、
あるいは交代に保安隊を導入するとか、そういったような事は?」
「いいえ。細目なんか何もありませんよ。ただ、午前四時撤退という事をいって来ただけ」
私の傍に立った機関長は 「そうか、無条件で撤退を承認したという事は結構だが、
しかし待てよ。 この交渉は張允栄と張自忠と二筋道からやっている関係か、
一向歩調が合っていないようだな。どうれ。俺が一つ参謀長に直接掛け合ってみよう」
機関長は自ら電話口に立った。そして軍参謀長橋本群少将と通話し始めた。
「……ハア、そうなんです。
張允栄はそれを秦徳純の意図として熱心に申し出ているんです。
それは問題ありませんが、保安隊の方ですねえ。いますぐというわけでもないようです。
ハアそうです。張允栄の面子もありますからなあ。じゃあそういう事にして〜」
その時また軍から電話がかかって来た。航空参謀塚田理喜智中佐からだ。
「さきほど鈴木嘉一少佐から連絡した二十九軍撤退の件ですなあ。
あれが少々変更されましたからお知らせ致します。
その第一項は馮治安の希望によって、午前四時の撤退は実行困難だから、
午前五時に改めてくれというのです。
これは参謀長もその通り認可されましたから訂正しておいて下さい。
第二項は、竜王廟の北方地区に出て来た三十七師の一部ですなあ。
これはその北方、衙門口 (ヤーメンコ一) に撤退させる事になりました。
第三項は、これは日本側としての実行条件ですが、
我が軍は、中国側がこの誓約を確実に実行したならば、
天津方面から盧溝橋に向ってする軍隊の移動、
並びに弾薬類の輸送は、即時これを中止するという事です」
張允栄はそれから間もなく帰って行った。
特務機関と豊台との間では、電話連絡が引ッ切りなしに行なわれた。
電話は軍用線に中継されて、盧溝橋の停車場とも連絡が出来るようになっていた。
今、もう七月九日の午前二時半、いつのころから降り始めたか、
外には雨がシトシトと落ちていた。》
*
一応、これで、「兵の引き離し」 の話はついたようであるが、
複数の方面から行われた交渉で事態がややこしくなる。
日本本土は、これを停戦成立・和平成立と言っているが、
本当の成立は、これからの交渉以後。
つづく
これは メッセージ 545 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件49 特務機関での交渉1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/22 15:17 投稿番号: [545 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
187〜188p
《 事件勃発直後、北京特務機関増援のため、
天津軍司令部から急遽派遣を命ぜられてとんで来た、軍参謀和知鷹二中佐は、
その夜特務機関の二階の一室に泊り込んでいた。秦徳純公館から帰った私と
あれこれ話していると外交顧問部の松尾隆男秘書がやって来た。
「補佐官殿!
ただいま玄関に張允栄 (ちょういんえい) が参っております。
機関長殿と補佐官殿に、至急お会いしたいって申しますので、
取りあえず大応接室の方に案内しておきました……」
私は反射的に腕時計を見た。 まだ一時を十分過ぎたばかりだ。
−
午前三時という約束が、これはまたえらい早くやって来たじゃないか。
私は応接室の扉をグンと押し開けた。
卵色に輝く電燈が、部屋一杯に和やかな光芒を投げかけている。
「ヤア!
張さん!
ご苦労様でした」 機関長と和知参謀、
それに私は張允栄を囲んで腰を下した。
張允栄は日ごろの重い口調で訥々 (とつとつ)と して話し始めた。
「先程補佐官からお申し出のありました件について、
秦市長の代理としてご連絡にお伺い致しました。
結局、秦市長としてもこういう情勢になった以上、如何とも致し方あるまいから、
とにかく撤退はさせようという事に話が決まったわけですが、その実施の方法について、
なお、一、二機関の方のご了解を願わなければならない点がありますので、
一応機関長のご意向をお伺い致したいと存じます。
その一つは、部隊撤退に際して一ケ小隊だけ残置する事を認めていただきたい。
これは決して戦闘の用にあてたり警戒に任じさせたりする意味合いでなく、
城内には相当多数の死傷者がありますので、それを整理したり手当てしたりするために、
どうしてもこれだけの兵力を残置する事が必要と考えられます」
機関長は暫く考え込んでおったが、やがておもむろに反問した。
「いったいその死傷者の数はどのくらいです?」
「サァー・ハッキリした事はよくわかりませんが、
何でも七、八十から百くらいはあるという話でした」
すると和知参謀がいった。
「そんな事いって残さしたら限りがないですよ。
どうしても残すというんなら、五十人なら五十人と、キッパリした数を限定して、
しかもそれらはスッカリ丸腰にして残させるんですなあ!
死傷者を整理するのに剣や鉄砲はかえって邪魔になるでしょうから!
そして半日もかかったら立派に整理が出来ちゃいますよ」
「マア今、和知君のいわれた程度だったら承認しましょう」
松井機関長はジーッと張允栄の顔をのぞき込んだ。
「概略、それだけご承認頂けたら、秦市長も別に異存はなかろうと思います。
つぎに第二の問題は、部隊が撤退してしまうとその後、
宛平城内の治安を維持する者がなくなってしまいます。
そこで部隊と入れ替りに、北京から約五百名の保安隊を入城させたいと思うんです。
もちろんその保安隊の素質だとか装備だとかは、十分吟味して派遣するつもりですが」
それは多すぎる、百名程度だったら承認しようと、議論しているところに
天津の軍参謀部、鈴木嘉一少佐から電話がかかって来た。》
つづく
これは メッセージ 544 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件48 秦徳純との会談5
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/21 14:47 投稿番号: [544 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
185〜186p
《 二、三十分たつと秦徳純が戻って来た。
腰を下すと左手に煙草、右手でマッチをすりながら、
「いま、会議にかけてきたところなんですが……」
そういって煙草の煙を輪にして吹き上げた。
−
すぐに二の句が続かないところを見ると、
どうも結果はあまり香ばしくなかったな。
−
一座水を打ったように静まり返った。重苦しい沈黙が続く。
彼は再び言葉を続けた。
「あなたのお言葉には少しの無理もありません。私個人としてはもう全然異存なし。
ただ、二十九軍としてこれをお受けするのに、いま少し時間がかかるというわけです。
どんな事があっても、第二案には決してしないつもりです。いまもう零時半ですね。
これからもう一度、最後の会議を開きます。
そしてなんとかして、ただいまの第一案を採択する事に努力致します。
ご返事は、遅くも三時までには差し上げられると思います。
どうぞそれまでお待ちを願います」 彼の態度は極めて友好的でありまた協調的だった。
我々も唯、何とは知らず、目先がボーッと明るくなってきたような感じに包まれた。
「よろしい。一か八かだ。戦争になるか妥協が出来るか、
とにかく和戦何れかのふたが午前三時にはあけられるのですね。
あとは一切を挙げて秦市長にお委せいたします。
特務機関に帰って、楽しんで吉報をお待ちいたしましょう」
「どうぞそうして下さい。三時までには、きっと、
張允栄を私の代表として機関の方に差し向けます」
庭には臨時増設の電燈が煌々と輝いていた。 その下をこの真夜中、
二十九軍の将校が軍装厳 (いか) めしく、あわただしそうに往き来していた。
秦徳純は歩きながらも終始ニコニコして、「本当によろしくお願い致します。
お互いはいつまでも堅く手をつなぎ合って行きましょう」
といって私の手をとった。彼はわざわざ、一番表の門口まで、私達を見送って来た。
そしていった。「夜分遠いところを、ご足労煩わしまして本当に済みませんでした」
私と西田顧問とは、再び市長用第三号単に乗り込んだ。
車は静かに動きはじめた。「挙 (チュイー) 槍 (チャン)!」(捧げ銃!)
来た時とはまるで違った気持で、私達は航空署街を後にした。振り返ってみると、
秦徳純は門燈の下に突っ立ったまま、私達の方に対してまだ手を高くあげて振り絞けていた。
内地ではそのころ、外務省発表の公報として、
「寺平、秦徳純交渉は決裂に瀕し、前線は再び交戦状態に入った」 とか、
「寺平、秦徳純交渉は、未だ一縷の望みは存する。
ただし前線では、依然交戦状態が続けられている模様」
といったニュースが、ラジオや新聞を通じて、巷に流されていた。》
つづく
これは メッセージ 543 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件48 林耕宇 新聞に嘘を書く
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/20 18:30 投稿番号: [543 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
185p
《 秦徳純は座を起って、会議室の方へ消えて行った。
林耕宇が突然、横合いからその主宰する新聞、亜州日報を私の前に差し出した。
そしていった。「寺平さん!もう今日の記事と写真が印刷出来ましたよ。早いでしょう」
「ホホウ!
これが私の宛平城乗り越えの写真か!
まるで蜘蛛が城壁からブラ下っているみたいだなあ!」
「しかし城外で三人一緒に撮ったこの方は、なかなかよく出来ているじゃありませんか」
「何だって?
至今晨四時許
到達宛平県署
寺平仍堅持日軍須入城捜査
我方未允
正交渉間
忽聞東門外
槍砲声大作
我軍未予還撃鎮静如故
継因日軍砲火更烈
我軍為正当防衛
万不得己
始加抵抗
・・・
林さん!
これで見るとまるで日本軍が、ひとりで戦争始めたみたいな
書きっ振りじゃないか。これが君の筆だとすると、私の方にも文句があるぞ
ことに私がいつ城内の捜査なんかを要求したんだ?
この内容は全部君の勝手な創作なんだな!」
「イヤ、これはみんな、実情を知らない記者が書いたんですよ。
私だったらこんな嘘は書かないんですが……」
とにわかに狼狽し始めた。
「宛平城内の情況を知ってる記者は、林さん以外にあるはずはないじゃないか。
ことに林さんはこの新聞社の社長さんだ。さっき外交委員会でペン走らせていた。
あれがそのまま、この活字に変ったんじゃないか!」
「ト、とんでもない!
唯、私が要旨を話したのを、記者がまとめたに過ぎないのです。
まとめ方がまずかったもんだから、勝手な枝葉をつけて、こんな誤解を
起しちゃいましてなんとも申しわけありません」 と困った顔だった。
二、三十分たつと秦徳純が戻って来た。》
つづく
*
よく中国側の言い分として、
“日本軍が 「行方不明の兵を捜索させろ」 と言って、城内に押し入り戦闘になった”
というのが、ありますが、その原点は、この新聞記事です。
「行方不明の兵」 は、林耕宇が特務機関にいた時、既に、戻って来たと
いう報告が入っていますので、議題に成りようがありません。
実際に議題になっていないのですが、中国側が嘘を訂正しないものですから、
真実であるかのように思わされる者も出て来るわけです。
これは メッセージ 542 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件48 秦徳純との会談4
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/19 18:34 投稿番号: [542 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
184〜185p
《 私はこの話を聞きながら、人情という字、面子という字を指先で卓の上に
書いてみた。!いやしくも交渉内容に人情だとか面子だとか、
こんな問題を持ち込んでくるようになったらもうおしまいだ。
秦徳純が話し終るや否や、私は直ちに反撃に転じた。
「いま、あなたは最後の理由と前提されて、人情論面子論を持ち出してこられました。
しかし今、金振中一個の問題にこだわって、この不拡大交渉が停頓したら、
貴国側は今後、長辛店、保定、石家荘、鄭州、あるいはもっと南の方から京漢線を通じ、
大兵団を続々この戦場に送ってくる事になるでしょう。
また一方、日本軍もこれは放っておけぬと、天津軍の全兵力がこの戦場に
注ぎ込まれる事はもちろん、さらに続いて関東軍が長城線を突破してとび込んで来る。
やがて朝鮮軍や内地師団あたりが続々これに増加して来て戦線を拡大し始めたら、
それこそ東部戦場、西部戦場というような事になり、
つまりは日華両国の全面的衝突という、最も悲しむべき事態にまで、
進展しないとだれが保証出来ますか?
最後に一言、申し上げますが、現地指揮官たる金振中営長は、
この第一案には絶対賛成の意を表しているんです。
すぐにでも実行に移したいが上司の命令がない限りそれが出来ない。
馮師長から実行命令が下りさえすれば、喜んで宛平城を開放し、
率先して和平解決の動機を作り出したいといっているのです。
いわばこの第一案は、日本側一方的の案じゃ決してない。
現地における日華両軍合同作製の案といっても何等差し支えないのです。
残された問題は、この現地案をブチ毀すおつもりなのか、護り立てるおつもりなのか、
唯この一点だけです。
どうかよくよくご考慮になって頂きたい」
秦徳純はとうとう、本当に腕を阻んで考え込んでしまった。
しばらくするとようやく口を開いて、
「ただいまのお話、あなたの条理をつくしたご説明によって、
事件の本質というものが非常によく了解出来ました。
ただ、事は極めて重大ですから、私一個の考えだけでも決定致し兼ねます。
どうかもう暫くお待ち下さい。
いま、別室で、綏靖公署の連中と、二十九軍首脳者とが、会議を開いている最中ですから、
あなたのご意見を、一応みんなと相談してみることに致します」
秦徳純は座を起って、会議室の方へ消えて行った。》
つづく
これは メッセージ 541 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件48 秦徳純との会談3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/18 18:26 投稿番号: [541 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
182〜183p
《 なおついでに、これは第三案というんじゃなくて、
目下の情況に即応するための緊急措置として、
二十九軍から首脳者、とくに三十七師の師長か旅長を、
一刻もすみやかに盧溝橋の現地に派遣していただきたいのです。
その目的は中国軍第一線部隊の無統制な射撃を中止させるためです。
日本軍の方は高級指揮官が現地に至って、すでによく統制を保っていますが、
二十九軍の方は吉団長と金営長が、ともすれば部下に引きずられ気味で、
いまのままではいつまでたっても射撃が止まないばかりか、
ますます拡大して行く一方です。
どうかすみやかにこの措置を講ずるようにしていただきたいのです」
「よくわかりました。そこでもう一遍第一案に関して私の意見を申し述べますが、
宛平城内の二十九軍を撤退させるとして、全部を同時に撤退させる事なく、
一部を城内に残置するという事はいかがですか?
日本側として認めていただけますか?」
「一部〜一部って、いったいどのくらいの兵力ですか?」
「まあ一ケ連ばかり」
「じゃあ申し上げますがねえ。
宛平城内には平時から営本部と歩兵一ケ連、それだけしかおらなかったんですよ。
今日事件が始まってから後、中の島の方からさらに歩兵が一ケ連と、
迫撃砲連が増加して来たのを目撃しました。だから一ケ連残置したら、
それは何も撤退した事にはならないじゃありませんか!」
「じゃあ一ケ小隊」
「一ケ小隊であれ一ケ分隊であれ、城内に残しておく自体がいけないんであって、
これが端緒となって今後どんな不測の事態が引き起されるかわからないんです」
「不拡大という事に対する私の方の考えは、
さきほど寺平さんのおっしゃった日本側のお考えと、完全に一致しているんです。
ただ、立場を異にする私として、
最後に一、二、あなたに聞いていただきたい事柄があるんです」
「承りましよう」
「それは先程林委員からの報告にもあり、
また今日あなたが盧溝橋でまのあたりご覧になった事とも思いますが、
宛平城警備の営長金振中、
あれが非常に立派な態度をとって事件の不拡大という事に関し、
終始誠意をもってあなたがたと歩調を合せてきたという事です」
「その点は確かにこれを認めます。金営長が事件発端当面の責任者たる事は免れませんが、
個人的に非常によく出来た人物である事は、私も賞讃を惜しみません」
「そうでしょう。その金営長に対して上官たる我々が、今まで住み馴れた兵舎を
捨ててしまえ。そして河の西の何もない原ッパへ行ってしまえという事は、
人情上、どうしても命令が出せないのです。
もう一つは彼の面子の問題です。
いま、にわかに後にさがれという事は、金振中が何か悪いことでもしたかのように思われて、
同僚や部下に対し、彼は面子を失墜してしまう事になりましょう。
人情と面子、この二つの点から考えても、これに撤退を命ずるという事は、
我々としてすこぶる心苦しい事なのです。
あなたも軍人です。私のこの気持は、−番よくわかっていただけると思います」》
つづく
これは メッセージ 540 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件48 秦徳純との会談2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/17 18:32 投稿番号: [540 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
181〜182p
《「ではおたずねします。現に金振中営長や桜井顧問が今朝程来、
声を枯らして射撃中止を叫んでいるんですが、
ヤレ日本軍の斥候が出て来ただの、ヤレ中国軍の一部が出撃して来ただのいって、
この地区での射ち合いはいつまでたっても止もうとしないのです。
この点は現地の情況を一度ご覧になったら一番よくわかると思います。
したがって、ただいまおっしゃった西五里店案は、現地の実情に即しない、
姑息な、そしてまた非常に効果不徹底な案なのです」
「そうなりますかなあ!
それで?」
「私のお話する案というのは、決して一方だけに偏しない、即ち中国側だけに
撤退を要求しておいて、日本側はノホホンとしているような案じゃない。
私の方も多数犠牲者を出し、またズブ濡れにまでなってようやく進出した西岸陣地、
これを捨てて東岸に下るというんです。第一線としてはなかなかツライ仕事ですよ。
それというのも不拡大に徹底したい。即ち二十九軍はあくまで友軍であって敵ではない
という信念から、忍び難いところもこの際あえて忍ぼうという考えからなんです」
「しかしそういわれれば、盧溝橋にいる二十九軍だって、
これは昨年九月まで豊台におった部隊なんですよ。
それが豊台事件の時に、前の特務機関長松室少将や天津軍方面の強硬なご意見で、
今の盧溝橋宛平城まで撤退したわけなんです。
それをさらにまた永定河の西まで引き下れといわれるのですか?
河の西は原ッパばかりで、兵の寝泊まりする家なんか一軒だってありはしない」
「家がないって、それは日本軍だって同じことです。宛平城北側の原ッパで
野ざらしになっているんですからお互い様です。
それに私が今述べている撤退案は、永久駐屯とか何とか、
そんな事を意味しているんじゃ決してない。
今日の事件だけを丸く納めるための一時的対策、臨機の措置便法なんです。
この点、よくよくお考えになっていただきたい」
「第二案というのは、いよいよあなたの方で第一案受諾し難しという場合に
起ってくる問題なんです。第一案、いよいよ放棄に決定されますか?」
「ハハハ……まあのちほど、また改めて研究は致しますが、
ともかく第二案の方も一つ伺っておきましょう」
「じゃあお話します。中国軍がどうしても宛平城から撤退しないという事になる。
この際日本軍指揮官としての決心、もちろん宛平城を攻撃するという事になるでしょう。
つまり武力によって中国軍と永定河の西に移動させるというわけですね。
そうなると今日、現に私がこの目で見て来た情況なんですが、
宛平城内にはまだ非常に沢山の住民が住んでいます。お爺さんお婆さん女子供、
王冷斉県長に聞いてみたら優に二千人はいるだろうという事です。
あの罪とがもない一般民衆か砲撃の目標にさらす事は、日本軍としてどうしたって
出来ません。そこであの住民をどこか城外の適当な場所に避難させていただきたいんです」
「それは何時までにですか?」
「あなたの方で第一案を放棄と決定されたら即刻」
「その避難が完了したら直ちに、日本軍は宛平県城の攻撃を開始する、
というわけですな」
「そうです。その攻撃開始の時期がすぐになるかもう少し延びるか、
その点は私にはわかりません。
第一線部隊長がしかるべく決定する事になるでしょうから。」》
つづく
これは メッセージ 539 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件48 秦徳純との会談1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/16 18:17 投稿番号: [539 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
179〜181p
《 私は 「今日の突発事件、市長もさぞかしご心痛のことでしょうなあ!」
と挨拶のいとぐちを切った。
「いやいや、補佐官こそ本当に、朝は早くから槍林弾雨の中を縦横に活躍され、
夜は夜で、またこんなに遅くまで、こうした重大な和平交渉に奔走して下さる。
あなたの献身的なご努力には、私達全く頭の下る思いがします」
社交にたけた彼の一言一句と、極めて洗練されたそのゼスチュアとは、
我々の到底太刀打ち出来る相手ではなかった。
しかし私は、こうした言葉の機微の中に、彼が今こちらの感情を
極力緩和しようとたくらんでいる事だけは観破出来た。
私はまず、中国側の情勢に対する認識程度如何が、
あらゆる交渉に先行する要素であると見てとって
「あなたの方には林さんが報告された情況以外、
その後何か耳新しい情報は入っていませんか?」 と打診してみた。
「イヤ、盧溝橋方面の情況については、電信も電話もみんな不通になって
しまったものですから、あれ以来何にも新しい情報は聞いていません」
私はおどろいた。
いやしくも二十九軍最高幹部ともあろう者が、
まるでツンボ桟敷に置かれたみたい。
朝の情報を聞いただけで、それで対策を練っているなんて、
これではとんでもない食い違いを生じてしまう。
「じゃあ軍事にかけては林さんよりも私の方が専門家ですから、
一番新しい現地の情況をお話しましょう」
私はポケットから、盧溝橋付近一万分の一の図を取り出して、
それに両軍午後四時の態勢を色鉛筆で書き込んだ。
秦徳純、林耕宇、喩煕傑、皆が一斉にこの図のまわりに額を集めた。
「ここが宛平城、これが中の島、そしてこれが西岸堤防、
ここに二十九軍が赤鉛筆の通り、陣地を占領しております……」
秦徳純、頭をさすって笑いながら 「ハハア!私の方が赤鉛筆ですか!」
戦術作業では通常、敵を赤、味方は青で現わすことになっている。
私は図上の隊標を指差しながら、現在の戦況についてルル説明を続けた。
そして最後に 「で、情況はおおむねこんなふうなんですが、日本側としては、
冀察との親善関係には絶対ヒビを入れたくない。そこでいま、
その対策について最大の関心をもって細心の考案をめぐらしているところです。
あなたの方も、もちろんご同様の事と思います。そこでこの問題解決のため、
取りあえずの措置として、先程私が外交委員会からあなたにお電話した現地案、
あれを即時実行に移す事が、絶対必要になってきているのです」
「先程電話でお話のありました二つの案ですね。
あの内容についてもう一度、詳細なご説明をお願い致しましょう」
「では申し上げます。
第一案は日華両軍を永定河の東西両岸に引き下げてしまって、
まず交戦態勢から離脱せしめる。
その上で両国折衝機関が徐ろに和解調停を進めていこうという行き方なんです。
永定河という川は、地形上から見れば大した障害じゃないかも知れません。
しかしそれでも、今日私が見てきたところでは、濁流は胸を没して流れています。
両軍お互い手を出させないという見地からは、
どうしてもこうしたハッキリした境界線が、絶対必要になってくるのです」
「お話途中ですが、私の方が皆宛平城内に入ってしまう。
即ち竜王廟やその他城外には、一切配兵しない。
そして日本軍は戦闘開始以前の態勢、即ちこの西五里店付近の部落に集結、
という事にして、それから今の和解交渉を進めるようにしたらどんなもんですか。
つまり衝突前の態勢に戻すんですね。そうすればやッぱり……」
つづく
これは メッセージ 537 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件47 補佐官 秦徳純と会う
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/15 15:48 投稿番号: [537 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
175〜176p
《 いらだたしい気持に駆られた私は、気を鎮めるため機関の裏庭に出て、
テニスコートのあたりをまるで熊のように行ったり来たり歩き回った。
・・・そのとき、機関のタイピストが
「ただいま秦徳純さんのところからお電話がございまして
−
」
とメモを差し出した。私は事務室の窓洩る光で、そのメモを拾い読みした。
「補佐官殿へ
秦市長より (電話) 先程は電話を頂きましたが、
いそがしくて要件を達せず失礼。
遅くなりましたが、さきほどのお話をもう一度お聞きしたいから、ご来駕をこう。
場所は航空署街、秦市長公館。(午後九時四十分受
檜垣)
−
そうか、秦徳純、今ごろ漸く西苑の会議から戻って来たのか!
−。
私は直ちに秦徳純に電話をかけた。そしていった。
「秦市長ですか。私、補佐官の寺平です。 今電話をいただいたので
早速あなたのところへ出かけようと思って、交民巷の出口まで行ったんです。
ところが交民巷は二十九軍でもうスッカリ囲まれてしまって、
私の自動車なんか絶対通してくれません。実に厳重に警戒をしたものですねえ。
仕方がありませんから、あなたの方からどうぞこちらに出かけて来て下さい。
そうすれば松井機関長もおられる事だし、いろいろご相談するにはかえって好都合ですから」
「そうですか。それはどうも失礼しました。じゃあこうして頂きましょう。
実は私の方会議の最中でして、ちょっとも身体が外せないんです。
で私の方からお迎えの自動車を差上げますからそれに乗って、
お出かけ下さいますように」
間もなく北京市長秦徳純の乗用車、プレートナンバー北京第三号、
シボレーの新型が機関の玄関に横付けにされた。
卵色の背広を着た私と、鼠色の服を着た西田顧問とが乗り込む。
車が伊太利兵営の北、交民巷の出口まで差しかかったところ、案の定
「停まれッ!」「だれかッ!」 成る程、これでは蟻のはい出るすき間もない厳重さだ。
七、八名の兵がバラバラッと走って来て車の周囲をとり囲んだ。
運転手がとっさに 「秦市長乗用車!」 と叫んで、窓から外に葉書大の証明書を突き出した。
これを聞いただけで兵達はろくろく証明書を調べようともせず、
彼等はシャチコ張って、車中の我々に捧げ銃をした。
テッキリ私達を北京市長と思い込んだのだろう。
第一の関門を通過した車は、長安街の大通りを西へ西へと疾駆した。
要所要所には、一ケ分隊から一ケ小隊くらいの二十九軍が、
銃剣を閃めかして突っ立っていた。何度も何度も停められて調べられるのが、
うるさいと同時に薄気味悪くもあった。
とうとう一ケ分隊くらいの時には、運転手は車窓に証明書を靡 (なび) かせながら、
「公用車!」 とどなって車をスッ飛ばせた。
・・・
客庁には林耕宇と喩煕傑とが待ち構えていて、
今朝以来もうこれで何回目かの握手を交わした。
私と西田顧問とは入って左側、一番奥のソファーに並んで腰を下した。
そしてボーイの持って来た茉莉花の香り高いお茶に、先ず喉をうるおした。
その時、秦徳純が例の愛嬌タップリの顔付きで、私達のすぐ横の扉をあけて入って来た。
歩きっ振りまでいつもに以合わずいそがしそうでソワソワしている。》
つづく
これは メッセージ 535 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/537.html
盧溝橋事件46 参謀本部不拡大の指示
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/14 11:01 投稿番号: [536 / 2250]
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』 155〜156p
《 参謀本部は、事態必ずしも軽視すべきでないと見て、八日十八時四十二分、
支那駐屯軍司令官あて、臨命第四〇〇号をもって次の指示を発した。
指
示
事件ノ拡大ヲ
防止スル為
更ニ進ンテ
兵力ヲ行使スルコトヲ
避クヘシ
不拡大方針決定の考えについて石原少将 (のち中将) は次のように回想している。
不拡大の決心をするため重大な関係をもつものは対ソ戦の見通しであった。
すなわち対支戦争が長期戦となりソ連が対日参戦するようになれば、
目下の日本はこれに対する戦争準備ができていない。
しかるに責任者の中には満州事変のように今度の事変もあっさり片付け得る
という通念をもつ者があったが、これは支那の国民性をわきまえないものである。
近時殊に綏遠事件によって支那側を増長させているので、
事を構えれば全面戦争になると確信していた。
事変が始まると間もなく傍受電により孔祥煕が数千万円の武器注文を
どしどしやるので、支那の抵抗決意はなみなみでないことを察知した。
この際戦争になれば行く所まで行くと判断したので、極力戦争を避けたいと思っていた。
また当時軍務課長であった柴山兼四郎大佐 (のち中将) は次のように述べている。
不拡大方針には陸軍部内にも相当の反対があり、
この方針の完遂には相当の困難が予見された。
しかし当時軍は着々軍の内容を充実し、殊に空軍兵カの増強を企図し、
北満に一二五中隊を設置する案を立て、当時の国家財政から見れば、
膨大な予算を見込まれる三十数億の軍事費を政府に要求する案を
審議しつつあったのである。
従ってこの軍の充実を待ってすべての問題を解決するも遅くはない。
それにかくすることにより対支問題は武力に訴えなくとも解決する道はなくない。
一方、今まさに建設途上にある満州国の建設は武力行使により頓挫 (とんざ) する
ことになり、これが将来の国力培養に影響するところ極めて大なるものがある。
第三に、もし本事件を拡大するときは、蒋介石はどこまでも抵抗を続ける
であろうことは想像に難くない。
こうなると、まるでどろ田に脚をつっこんだと同じで、
結局抜き差しならなくなるおそれがたぶんにある。
この間、日本の疲弊するのを待ち受けソ連の対日宣戦ということも
考えておかねばならぬ。
それだけでなく事件の進展に伴い、あるいはついに英、米の対日戦参加という
ことにならぬとも限らぬ。もしこのような事になっては一大事である。
以上のような理由で、なんとしてもこれを本格的日支戦争にならぬよう
努力することとなった。
八日深更、陸軍大臣(杉山元大将−12期)は、京都以西の各師団に対し、
七月十日定例除隊すべき歩兵聯隊二年兵の除隊延期を命じた。
これにより在営者四万の増加を期待できることになった。
海軍中央部は、八日、中国側の不穏な動静及び事件に対する陸軍の態度にかんがみ、
事件拡大の場合を考慮し、軍令部の方針に基づき、とりあえず、
(一)
台湾方面で演習中の第三艦隊の復帰、
(二)
事件の拡大に備える警備の強化、刺激的行動の禁止、
(三)
対支応急派兵待機兵力の準備などに着手した。》
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盧溝橋事件45 食い違う二つの提案
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/13 18:43 投稿番号: [535 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
173〜175p
《 七月八日午後の特務機関には、中国側からの連絡者を始め、大使館の人達や
居留民団の関係者、新聞記者等が出たり入ったりして、混雑を呈していた。
午後四時十分、秦徳純の代表として、市政府参事祝惺元 (しゅくせいげん) が訪れて来た。
松井機関長と私、それに今朝ほど天津からやって来た和知鷹二 (わちようじ) 参謀の
三人は、大応接室で車座になって祝惺元を囲んだ。
祝惺元は白頭、鶴のような痩躯 (そうく) にいつもながらの謙譲さを見せて、
「今日のお昼すぎ、貴軍の橋本参謀長から天津市長張自忠を通じ、
秦市長の所に連絡がございました。
内容は盧溝橋事件の処理問題についてでございます。
橋本参謀長のご意見によりますと、日本軍は竜王廟へ、
それから中国軍は宛平県城内に即時撤退を開始する事を条件として、
事態を円満に解決したいとのお申し出でございました。研究しました結果、
馮治安師長も、これなら賛成してよかろうとの意志表示をされた訳でございます。
ところがその後、寺平補佐官から別のご注文がございまして、中国軍は永定河の西岸に、
日本軍はその東岸に、即ち河をはさむようにして態勢を整理したらどうか
とのお話でございました。これには馮師長絶対反対なんでございます。
元来宛平県城は、二百十九団が平時から駐屯している土地なのでございますから、
この点だけはどうあっても一つ日本側に譲歩していただかなければ、と申すのでございます」
「ハハア、それは馮師長の意見なんですね。秦市長の態度はいったいどうなんです?」
「私には詳しい事はわかりませんが、どうやら二人とも同じ意見だと思います。
特にこの事は秦市長から機関側にお願いしてくるように申されたくらいですから」
和知参謀は葉巻をくわえながら席を起った。そして小声で
「松井さんちょっと。寺平君も一緒にあちらの部屋に来てくれ給え」
そこで祝惺元一人をそこに残して三人は部屋を出た。我々は補佐官室接続の
秘密応接室に入って行った。機関長はいった。
「和知君、どうも天津とこっちとは、少し歩調が食い違っているな」
「それなんですよ。どうせ電話連絡のことだから、張自忠や馮治安が
故意に撤退地区を誤魔化してスリ替えるという手もあり得るかも知れん。
しかしまあ九分通りは参謀長がいったというのが事実でしょうなあ。
もっとも軍の方は朝ごろの情況で判断した事でしょうが、
こっちは寺平君が一番現地最近の情況を知っているんだ。
こいつは是が非でもこっちの現地案で押しつけなきゃいけませんな」
「私は現地を見て来たのですが、竜王廟と宛平城とはその距離一キロあるかなしかです。
こんな目と鼻の先に両軍を相待峠させておいて、何が不拡大交渉が出来るもんですか。
軍は図上判断で決めたのか知らんですが、現地ではまったく
石を投げたら届きそうな感じがします」
「ウム、こいつだけはどうしてもこちらの現地案で押さんけりゃいかん。
竜王廟と宛平城とに引き分けるくらいなら、
現在の態勢がすでに大体そうなっているじゃないですか。
今更何も改めて取り決めなんかしなくたっていい。
むしろ西岸に進出した日本軍を、東岸に引き下げるだけこちらが分が悪い。
もっともこちらの案は今日、補佐官が帰って来たあと、私がおひる過ぎ天津に
電話で報告したんだから、参謀長の意見というのは、
ことによったら行き違いになったのかもわからんですなあ」
「きっとそんなところですよ。それにしても天津軍が張自忠を通じて、
そういう交渉を始めたのなら、一言その事を我々の方に知らせてくるのが
至当じゃないですか。それをせんもんだからこういう重要なポイントで、
とんでもない食い違いが起ってしまう」
「よしッ!
じゃあ決心に変化なしだ。現地案で押して行こう」
「畏まりました」》
つづく
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盧溝橋事件44 宛平城砲撃開始
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/12 18:26 投稿番号: [534 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
170〜172p
《 金振中と吉星文とは、言い合せたように腕の時計を眺めた。
「いまもう五時だ。あとタッタ一時間しかない。これでは何にも出来るはずがない」
「こんな要求を実行しろというのが第一無茶だ。だれがやるものかッ!」
彼等の面には見る見るうちに、激昂と反抗の決意がみなぎった。
その時、桜井顧問がスッグと起ち上った。そして憤然として言い放った。
「それ見なさい!
だからさっきから私がいわん事じゃない。
あの通りサッサと処置しておきさえしたら、いまごろこんなにあわてなくたって
立派に済んだのだ。私はもう何もいわん。貴方達だけで勝手に処置しなさい!」
吉団長も金営長も、桜井顧問の剛胆さには、
今朝ほどからもうスッカリ気をのまれていたのだから、
この一語に対しても一言半句、反駁の言葉は持ち合せていなかった。
彼等は何か、ヒソヒソと話し合いを始めた。
いつもろくろく発言もしない王冷斉が、この時ばかりは身振り手振り沢山に、
一人で何かしきりにしゃべり続けた。
結局彼等は日本軍に対して、一通の回答文をデッチ上げた。「お申し越しの件に
ついては、当方種々、準備の都合もある事なれば、更にあと二時間の猶予を与えられたい」
しかし彼等の本心としては、かりに二時間の余裕が与えられたところで、
撤退を断行しようという肚など全然なかった。
いなむしろ彼等はこの時から、直ちに城壁上の工事の増強に取りかかった。
県政府は布告を発して、直ちに民衆の避難準備に着手した。
もっとも民衆を城外に避難させたら、宛平城は一たまりもなく日本軍に粉砕されるので、
かえって城外に脱出する事を厳禁し、
日本軍の砲撃目標となり易い顕著な建造物のかたわらだけを避け、
城内の一角、比較的安全だと思われる場所を選んで集結を命じたに過ぎない。
気負い立った中国兵と、家財道具を背負い込んだ避難民とは、
狭い宛平城内でゴッタ返しを始めた。
赤ン坊は荷物と一緒にひっ抱えられて、火のつくように泣き喚いている。
足元も危っかしいヨボヨボの老頭児 (ラオトル) が、
持ち得る限りの荷物を担いで、心ばかりが避難所へ避難所へと焦っている
ありさまは、戦争のみじめさを深刻に描き出していた。
牟田口連隊長は再度使を遣わして、桜井顧問や王冷斉、それから金振中に対して出城を求め、
これとの会見を希望したが、この申し出は中国側によって一蹴されてしまった。
「サア、もうボツボツ六時になるぞ。俺達どこか別の所へ場所を変えよう」
桜井顧問、周永業、王冷斉、斉藤秘書等はそろって県政府の応接室を出た。
そして道路を隔った筋向い、かって日本軍の憲兵隊が一時借り上げた
事のある一軒の民家に移動した。
この時である。突如、一行の背後でドカーン!ドカドカーン!地軸も砕けんばかり、
一大爆声が轟いた。とたん、県政府の中から十数名の中国兵が、
ワーツと喚声をあげてとび出して来た。
日本軍大隊砲の榴弾が、宛平県政府正庁に落下したのだ。
県政府を狙った砲弾はタッタ三発だったが、それは三の字形の三棟の正庁を、
一棟一発宛、実に見事に撃ち抜いて、
日本軍砲撃の命中精度がいかに正確無類であるかを示したものであった。
城壁上にあると城内にあるとを問わず、中国兵がこの砲撃によって度肝を抜かれ、
戦意を喪失した事は確かだった。この日、両軍軍使の会見室となった客庁の中は、
椅子といわず八仙卓といわず、調度品の一切は完膚ないまでに爆砕されてしまった。》
つづく
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盧溝橋事件43 牟田口大佐の通告
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/11 18:31 投稿番号: [533 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
169〜170p
《 西岸の敵陣地から、ダダダダッ!
とチェッコ製軽機関銃声が不気味に聞えて来る。
ブルルーン!
という跳弾が駅舎の屋根をかすめて飛んだ。
やがて迫撃砲弾が付近の鉄道線路上に落下し始めた。
連隊長は駅のホームに起ち上って眉をしかめ、宛平城の方を眺めていたが、
やがて眼鏡片手に
「二十九軍もなかなかやるなあ。 どうもあの城の中にいるやつがこの戦場の癌だ。
あいつさえたたき出してしまったら、河向うの敵なんかあえて問題とするには
足らんのだが……」
と森田中佐の方をふり返った。
「そうであります。寺平補佐官が行ってから四時間もたちますから、
もうかれこれ中国軍を撤退さすとかさせないとか、
北京から何とか返事がありそうなものです。どうも遅うございますなあ」
二人の間に重苦しい沈黙が続いた。
豆をいるような銃声が、まるで内地の機動演習を彷彿たらしめている。
連隊長は再びおもむろに口を開いた。
「大勢上、あの宛平県城はどうしても早く攻略せにゃいかん。
住民を撤退させる事については、何か城内の方に連絡はとってあるのか?」
「イヤ、それもいま北京で寺平君が交渉中なんでありますが、城内にはまだ
なんとも通じてありません」
「これをなんとか城内に連絡する方法はないものか」
「それはここにいる鉄路巡警を使えば出来ない事はありません。
さっきも一回、連絡にやったのですが、その時には確実に伝達をして戻って来ました」
「そうか、じゃあもう一遍それをやる事にしよう」
やがて一片の通告書が、牟田口大佐の手で書きしるされた。
二名の巡警はその通告書を大切そうにポケットに収めると、
一文字山の窪地を縫って一散に宛平城の東門の方へ駆け出して行った。
宛平城内県政府では、団長吉星文を初めとして営長金振中、
その他王冷斉県長や桜井顧問らが、例の客庁で依然、善後策に頭を悩ましていた。
そこへ中国兵が、牟田口大佐の封書を持って駆け込んで来た。
「報告!
ただいま東門の外に路警が二人来まして、
この書面を営長に渡してくれといって、持って参りました」
金振中は吸いさしの煙草を卓の端に置いてその封を切った。内容は
宛平県々長王冷斉殿
二十九軍営長金振中殿
不幸なる事態を局地的に解決し、また、宛平城内無辜の民衆を兵火の惨害から
救わんがため、本官は茲 (ここ) に
貴官等に対し、左記二項目を要求する。
一、宛平城内住民を本日午後六時までに、完全に城外に避難せしめる事
二、二十九軍も亦同時刻までに全員、永定河西岸地区に撤退を完了する事
もし右の要求が所定時刻までに完了しない場合、爾後発生するいかなる事態に
対しても、我が方としては一切その責任は負担し得ない。右通告する。
大日本軍指揮官牟田口大佐
》
つづく
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盧溝橋事件42 桜井顧問から機関に電話
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/10 18:32 投稿番号: [532 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
168〜169p
《 盧溝橋付近で切断された電線は、その後森田中佐の方で応急修理をしたとみえ、
宛平城内に缶詰にされている桜井顧問から、午後一時五十分、
ようやく電話が特務機関にかかってきた。
ちょうど私が馮治安邸を訪れていたころの時間である。顧問は
「城内の中国軍に対しては、極力発砲を抑制しています。しかし日本軍の斥候や
伝令がとび出して来る度に、それに引きずられてまたポンポン射つ。
とにかく寺平君が持って行った撤退案が成立するまでは、日本軍の軍事行動は
一切ストップするよう、森田中佐にやかましくいって下さい」
と現地の現況を伝えてきた。
また通州の守備隊長藤尾心一中尉からは、午後二時十五分
「天津を出発した機械化部隊は、いまから三十分後には通州に到着し得る距離に
あります。至急、朝陽門通過の件を中国側に交渉して下さい」 と申し出て来た。
これに対して機関からは
「北京の空気は決してそんな生やさしいものではない。だから木原大隊が通ったように、
北京南方地区から、豊台に向うようにせられたい」 と回答した。
さらに憲兵隊の重松博治少尉は午後二時二十分
「ただいま桜井顧問から言い付けがございました。
現地には二十九軍の首脳部がだれもいないので、時局の収拾が出来ないそうです。
至急、責任ある高級幹部を現地に派遣するよう、
交渉していただきたいとの事でございます」 等々、
次から次へと錯綜し続ける電話である。
中国側では現地派遣どころか、秦徳純と馮治安とがそのころ西苑兵営に集って、
しきりに密議の真ッ最中だった。
もちろん日本側から提示した二つの案には真っ向から反対を唱え、
馮治安はすこぶる興奮して
「今日の事件は日本側が勝手に引き起した問題なんだ。 撤退すべき理由は
日本側にこそあれ中国側には断じてない」 といきまいていた。
不拡大なら不拡大らしく、また攻撃するなら攻撃するらしく、いずれにもせよ
早くその方向が決まってしまわない事には、盧溝橋における日本軍のこの時の態勢は、
河の両岸に分断されていて、実に危険極まる状態にあったのだ。
夜に入れば入るほど我々の危惧する危険性が増大してくる。
北京から午後三時、盧溝橋駅に到着した牟田口連隊長は、
自ら永定河堤防の線まで足を運んで、全般の情勢を観察した。
そして態勢上の危険を痛感したので駅の連隊本部に引き返すとすぐ、
次の要旨の命令を下した。
「連隊は木原大隊の戦場到着を待って、宛平県城を攻撃する企図を有す。
一木大隊はこの攻撃を準備するため、本日、日没後直ちに行動を起し、
西岸の陣地を撤去し、竜王廟北側付近において永定河を渡り、
部隊を大瓦ヨウ付近に集結すべし」
自主的に全兵力を永定河東岸に集結してしまおうというのである。命令受領者が
駅舎に集って、通信紙に鉛筆を走らせ始めた時、第一線の空気は再び緊張の度を加えて来た。
西岸の敵陣地から、ダダダダッ!
とチェッコ製軽機関銃声が不気味に聞えて来る。》
つづく
これは メッセージ 531 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件41 秦徳純来ず電話で
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/09 18:30 投稿番号: [531 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
166〜168p
《 私の旧知で外交委員の喩煕傑も、さきほど別れたばかりの林耕宇も、皆ここにいた。
「今から秦市長との交渉がまとまったら、その解決案をもたらして、
もう一遍盧溝橋に飛んで行くんだ。もちろん君も行くだろうな」
「そうですね。秦市長に聞いてみないとわかりませんが、
たいてい行く事になるでしょう」
秦市長の到着を待つ間、私は戦況の概要とこちらの希望する要件とを、魏宗翰に説明した。
魏宗翰と喩煕傑とは、息を凝らして熱心にその説明に聞き入った。
「それでこの事を秦市長に連絡をとりたいと思って、
さっきから追っかけ回しているんですが……」
「そうですか。そりゃあお急ぎのわけですね。至急、市長のところへ電話で連絡を
とりましょう」魏宗翰は席をたって出て行ってしまった。
私はソファーに寄りかかって、軽く眼を閉じている間に、
いつの間にか睡魔の虜になってしまっていた。
ものの十五分も経っただろうか。ふと眠がさめたが、秦徳純はまだ来ていない。
のみならず魏宗翰までがあれからスッカリどこかに姿をかくしてしまっている。
私はイライラして、これ以上一刻もジッとしている事が出来なくなった。
「林さん!
主席はいったいどこに雲がくれしちゃったんだ!
捜してきてくれ!」
林耕宇は亜州日報という新聞社の社長も兼務していたので、この時、
宛平城内軍使折衝の原稿を、一生懸命書いているらしかったが、パタリと筆を置いて
「そうですね。捜してきましょう」と部屋の外に出て行った。
それとほとんど入れ違いに、魏宗翰が別の入口から帰って来た。
「どうもエライお待たせ致しました。どうやら秦市長の行動予定がまた変ったようで……」
「また変った?
来ないんですかここには!西田さん!
市長の家に行こう!
その前に電話だ電話だ。魏さん、電話はどこにあります?」
私は主席公室に入って行った。そして卓上の電話で秦市長を呼び出してどなった。
「私はさっきからあなたの後を、どれだけ追っかけ回したかわかりませんよ。
それで今、外交委員会に来ているんですが、
あなたはいったいこちらに来られるんですか来られないんですか?」
すると聞きなれた秦徳純の声が受話器に響いた。
「いまから西苑の三十七師司令部に出かけるところです。会議が始まりますから……」
「ここであなたを取り逃したら、いつまたどこで話が出来るやらわからないから、
取りあえず電話で要件をお話します。よく聞いて下さい。重大問題ですぞ、これは!」
そこで事件調停のための第一案と第二案とを、早口の中国語で五分間ばかり説明した。
そして最後に「この問題は電話なんかじゃ不徹底です。
どうしてもあなたに直接会って話さなきゃならぬ。
ぐずぐずしていたら住民二千の死活にかかわる重大問題なのだから、
西苑行きなんか止めてしまいなさい。いますぐ私がそちらに行くから!」
といった。
すると秦徳純、こちらの要求を極めて簡単にあしらって
「あなたのお話のこの問題ですがねえ。これについてはタッタいま、
天津の橋本参謀長からも電話があったところです。あなたのお話と全然同じなんです。
局部的解決、という事については、いま、全力を挙げて我々も奔走していますから、
やがて円満に妥結が出来ると思います。私はその事についても相談するため、
これから至急、西苑に行かなければなりません。夕方には帰って来ますから、
いずれのちほどまたゆっくり、あなたのご意見も伺いましょう。ではこれで失礼!」
ガチャリ!
電話は切られてしまった。》
つづく
これは メッセージ 530 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件40 補佐官 秦徳純を捜して
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/07 16:21 投稿番号: [530 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
165〜166p
《 機関長は暫く考え込んでいたが 「これはどうしても君のいう、第一案で押して行く
より他、仕方あるまいな。不拡大という事を前提とする以上!
今井君、君はどう思う?」
「私もやッぱり、いま寺平君のいった第一案の方に賛成です。
もちろんこういった問題は、机の上だけの判断では、なかなか決定し難いものですが、
しかし一番正確に情況を把握している現地案でもあるししますから、
今のところ、これ以上の名案は他になかろうと思います」
私と共に秦徳純のところへ交渉に行くことになった、西田顧問は急に
連絡やら準備やらに忙殺され始めた。
機関長は直ちに天津軍司令部に電話をかけた。
そして盧溝橋方面の戦況と対策とを、軍参謀長橋本群少将に報告した。
食事をとっていると、そこへ西田顧問が入って来た。
「補佐官!
いま、秦徳純の所へ連絡をとってみました。そしたらですねえ。
秦徳純は二時間ばかり前、馮治安の所へ行ったというんです。
それで今度は馮治安の所へ電話をかけました。
ところが馮治安の自宅は今日は余ッ程電話が輻輳していると見えて、
何遍かけてもいつもお話中なんです。今度は……」
西田顧問の話はいつでもこんな風に長いのが特徴である。
「かれこれ十五分くらいもかかりましたかね。やっと電話が通じたんです。
それからすぐ秦徳純が来ているかどうか訊ねてみました。
そしたら、ちょっと見てくるからといって、また大分待たされましたね。
なんでもいま会議中だとかいって、それで随分手間取ってしまったんです。
結局いま、外交委員会主席の魏宗翰も来ているからすぐ来ていただきたい、
といってきました。きょうくらいてこずった電話もありません」
それから五分ばかりの後、私と西田顧問とは長安街の大通りを西へと走っていた。
事件が始まって以来、すでに半日が経過している。
しかし西城方面は極めて平穏で、路傍では虫屋が、鈴虫を入れた小籠を沢山かついで
売り歩いており、子供達はそのまわりに集まって可憐な叫びをあげていた。
西城大院胡同 (ターユアンホートン) の馮治安の邸宅は、さすがに物々しい警戒振りで、
門前には土嚢が堅固に築き上げられ、軽機関銃が二挺も据えつけられてあった。
名刺を通じて門の中に入って行く。庭には水成岩の大きな石山があって、
その後の方に馮治安の住む堂々たる卵色の洋館がそびえていた。
しかし、秦徳純は外交委員会に出席するため、
馮治安はいずれかへ出かけてしまったあとだった。
私と西田顧問とはすぐ秦徳純の後を追って外交委員会に車をとばせた。
西城府右街 (フーユーチェ) の最南端、魏然 (ぎぜん) とそびゆる美しいビルディング、
これが冀察政権の外交委員会である。
魏宗翰主席の根拠であり西田顧問が弁舌を振う舞台だったのだ。様子を知っている
顧問に導かれてエレベーターで二階に上り、主席専用の応接間に入って行った。
やがて魏宗翰が顔を出す。五十年配、愛嫡のある好々爺で実ににくめない男である。
こちらはこのいそがしいおり、四角張った挨拶もしておれないので単刀直入に、
「ときに秦市長はいま、こちらに見えていませんか?」
「イイエ、まだ見えていませんよ。どうしてですか?」
「これはおかしい。いま、馮師長の公館に行ったところ、タッタいま会議が終り、
秦市長は魏主席と一緒に、こちらに回ったという話だったんですが……」
「アアそうでしたか。秦市長とは私、宣武門大街で別れました。
しかしまだいろいろ打ち合せもありますから、
もうしばらくするとまたこちらに参りますよ。どうぞ一服しながらお待ち下さい」》
つづく
これは メッセージ 529 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件39 補佐官特務機関で報告
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/06 18:32 投稿番号: [529 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
163〜165p
《 私はここで、赤藤意兵分隊長にも会い、北京へ交渉に行くため憲兵隊の車と
サイドカーを借りることになった。
「ではただいまから出発致します。北京では最善をつくして中国側を説得し、
善い結果をもたらすよう努力しますから、こちらの方もどうぞそれまで頑張って下さい」
私は森田中佐と赤藤少佐に挨拶した。そして提供されたサイドカーに乗って、
一軒家めがけて走り出した。林耕宇は私の背後につかまって乗っていた。
王啓元は連絡の要旨を城内の金振中や吉星文に伝えるため、
ここから歩いて宛平城内に戻って行った。
私と林耕宇とは、そこで憲兵隊の自動車に乗り移った。
炎熱焼けつくような真夏の真昼、北憲第一号車は坦 (たん) 坦たる街道上を、
北京へ!
北京へ!
弾丸のように疾駆して行く。
盧溝橋駅西方の砂利取り場を長靴で歩き回って、少しばかり足を捻挫した私は、
北京特務機関で自動車から下りると、ビッコひきひきその玄関を上って行った。
そして軍刀や眼鏡や図嚢など装具もそのまま、直ちに機関長、今井武官がいる
食堂に入って行った。ちょうど食事なかばだったが機関員一同は、
一斉にビッグリしたような顔をして、私の方に会釈した。
機関長は 「ヤアご苦労ご苦労!
さきほどの電話は非常によくわかった。
随分大変だったろうな。さあ装具でも解いて、食事しながらゆっくり話を聞こうか?」
「ハ、しかし、いま、盧溝橋方面の情況は非常に切迫しておりますから、
取りあえずご報告だけ先に申し上げたいと思います」
「そうか、じゃあ食事なんかどうでもいい。すぐ大応接室で話を聞こう。
今井君!
それから西田さん!
あなたも一緒に聞いて下さい」
私は図嚢の中からしわクチャになった盧溝橋付近十万分の地図を出し、
それをテーブルの上に広げ、色鉛筆で彼我態勢の概要をその図の上に書き込んだ。
汗がポタポタと地図の上に落ちる。
私は行動経過、戦闘概況、ならびに現地案成立の経緯を二、三十分にわたって説明した。
「いま申し上げましたようなわけで、桜井顧問はまだ宛平城内に人質となって
残っております。永定河を境として日華両軍を東西に引き離してしまう案、
これは宛平城内で私が思いついた極めて大ざっぱな案なんですが、現地の複雑した
情勢から判断しますと、少なくともこのくらいハッキリした線を引いておかないと、
両軍のいがみ合いを食い止める事は非常にむつかしいと思います。
そしてこれは桜井顧問や森田中佐はもちろん、中国側の金振中営長まで、
現地における一番の理想案として、完全に意見の一致を見たところなんですが、
機関長殿のご見解はいかがでございましょうか?
でこれがどうしてもいけないという事になれば、今度は結局、
二千の住民を宛平城外に撤退させ、日本軍は改めて城内攻撃を断行するという、
第二案に落ちて行く訳なんです。それで今からでもすぐ、
冀察側とこの交渉を開始したいと思いますが……」
機関長は暫く考え込んでいたが
「これはどうしても君のいう、第一案で押して行くより他、仕方あるまいな。
不拡大という事を前提とする以上!
今井君、君はどう思う?」
つづく
これは メッセージ 528 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件38 赤藤少佐の資料収集
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/05 18:31 投稿番号: [528 / 2250]
竜王廟近くの戦闘中、赤藤少佐は、情報収集していた。
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
137〜138p
《 憲兵分際長赤藤少佐は、北京より一緒に来た鈴木軍曹や加藤上等兵とともに、
竜王廟一帯の敵陣地の状態を視察するとともに、昨夜来の事件の本質、
その他一般の情報資料を探索していた。
塹壕の中には、まだ生々しい中国兵の死体が幾つもころがっている。
下士官らしいのが一人、頸動脈を射ち貫かれたらしく、首が半分ちぎれかかり、
上半身真っ赤に染まって斃 (たお) れていた。
まだ完全には死に切れないとみえて、時々、ピクリピクリと動いていた。
「おい、こいつのポケットを調べてみい。
下士官のようだから、なにか書類ぐらい持ってるかもわからないぞ」
上等兵はポケットや内隠しの中を探り始めた。
傷口にたかっていた蝿がワーッと一斉に舞い上って来る。
「手帳が出て来ました。なにか書いてあるようです。とても巧い字で書いてあります」
少佐は引ったくるようにしてそれを手にとると、一ページずつめくって行った。
冒頭には直系上官官氏名として
第二十九軍
軍長
陸軍上将
宋
哲
元
第三十七師
師長
陸軍中将
馮
治
安
第百十旅
旅長
陸軍少将
何
基
レイ
(サンズイ + 豊)
第二百十九団
団長
歩兵上校
吉
星
文
第三営
営長
歩兵少校
金
振
中
第十一連
連長
歩兵上尉
耿
錫
訓
と書いてある。これで事件の責任関係が一目瞭然だ。
少佐はひとりうなずくと、パラパラッとページを繰った。
そして一番最後のところに六月二十一日付の訓示を見出した。
それは団長吉星文から与えられたもので、内容は、
軍人精神発揚に関する注意事項が羅列されている。
とくに重要な部分には、文字の横に赤い圏点さえつけられていたが、
とりわけ赤藤少佐が目を光らせたのは、次の一項である。
「諸情報を綜合するに、日本軍は最近の機会において、演習の名目のもとに
宛平城を奪取する企図を抱いているようである。
この情勢はここ数日来、とくに緊迫したものが感ぜられる。
該地の警備に任ずる部隊は、昼夜間断なく至厳なる警戒を続行し、
防務の完璧に最善の努力を傾倒する事が肝要である」
こんな訓示が出たもんだから、にわかに堤防上の陣地を強化したり、夜間、
配備についたりしやがったんだな。
少佐は手帳を自分のポケットに突込んだ。》
つづく
これは メッセージ 527 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件36 森田中佐に案を説明
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/04 18:38 投稿番号: [527 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
( 軍使一行はエドガースノーの車を借りて、日本軍森田中佐のいる所まで移動するが、
長くなるので、この部分は省略。車を降りて少し歩いた後から始める )
162〜163p
《 電柱の根元に腰を下し、地図を眺めていた森田中佐は、私の姿を見つけるなり、
ムックリ起ち上ってツカツカと歩み寄って来た。
そして満面に笑みをたたえ、「ヤア!
ご苦労でした、ご苦労でした」
私の手をとって二度も三度も打ち振るのだった。
「ヤァ!
中佐殿!
こちらこそ本当にご苦心なさったでしょう。ご苦労様でした。
私達、城外の様子がまったくわからないもんですから、処置なしという状態でした。
でも徹頭徹尾、不拡大一本槍で交渉を押し通し、
中国側との間に事件解決のための現地案を妥結しました」
「そうですか。それは本当によく来てくれました。一木大隊はいまズッと
永定河の西岸に進出しています。大隊本部は中洲にいます。
それで今後の対策については私もいま、いろいろ考えていたところなんですが、
まず君の方のご意見から伺う事に致しましょう」
「エエ、その前に中国側の代表二人を連れて来ましたからご紹介致しましょう」
私は赤土の窪地に待たせてあった二人に声をかけた。
中国服の二人は並んでそこの斜面を上って来た。
林耕宇が神妙な顔をして森田中佐と握手した。
王参謀は、日本陸軍士官学校畢業 (ひつぎょう) の肩書のついた、
細長い名刺を差し出して、丁寧に森田中佐に敬礼した。
「あなたが現地代表という資格でお出になったのですな」
森田中佐が念を押した。王啓元は小さな声で答えて頭を下げた。
「そこで今、お話のあった城内方面における現地案というのは、
いったいどういう内容なんですか?」 森田中佐は私の方を振り向いた。
「この案は、最初私と桜井顧問と二人で研究しまして、その実行を中国側に要求した
案なんですが、概略、第一案と第二案とに分れております。それは……」
私は第一案と第二案の内容説明、及び城内においては金営長が全面的に第一案に
賛同している事実、上官の命令がなければ絶対に撤退しないという彼の意気込み、
住民の撤退問題に関しては何ら断行の決意のない事など、事細やかに説明した。
そして最後に、「結局、いまのありさまではどうしても一遍北京まで行って、
秦徳純や馮治安に、命令を出させん事には、動きがとれないんです。
で、この根本問題が解決するまでは、中国側にも発砲させない代りに、
日本側も絶対発砲しないという事、
これをご承認いただき、また即時実行に移していただきたいと思うのです」
すると、足元の石ころを靴の爪先で踏みつけ、踏みつけ聞いていた森田中佐、
ようやく面をあげて、
「よくわかりました。さきほど私達が考えておった案というのは、
寺平君のご意見と完全に一致しています。
現地にいる我々としては実際のところ、
これ以外、採るべき手段はまったくありませんな。
ただ日本軍本来の精神としてはですなあ。いったん占領した西岸の土地は、
尺寸たりともこれを敵に譲る事は出来ないのです。
ことに今日は、日本側としてももう、相当の死傷者を出しているのですからなあ!
しかし大局的見地から、事件不拡大の方針を貫徹させるためと、
罪なき二千の住民を救うため、私としては涙をのんでこれを東岸に引き下げます。
射撃中止の件も命令致します」
そういってはるか永定河のかなた、一木大隊の方をうち眺めた。
これが廟行鎮の猛将だとは、思われない冷静さと慎重さ、
悠揚迫らぬ沈着振りが見うけられた。》
つづく
これは メッセージ 526 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件35 軍使宛平城を脱出2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/03 18:38 投稿番号: [526 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
158〜159p
《「あれは新聞記者らしいですね。多分、タネさがしにやって来たんでしょう」
と林耕宇がつぶやいた。
三十七師少校参謀王啓元というのが、我々を追いかけるようにして城壁の上に
あがって来た。「それじゃあ王県長は行かないんですか。結局!」
「いくら捜したって、いないんだから仕方がない」 金振中がしきりに説明している。
「じゃあ私が行きましょう。日本語も少しくらいわかりますから!」
金振中は私に王啓元を紹介した。
「私、日本の士官学校、二十六期の卒業です。一緒にお伴します。
どうぞよろしくお願いします」 彼はそういって私に握手を求めた。
いつの間にか金振中が部下に命じていたのだろう。 兵が麻縄を二、三本持って来て
「太さはこのくらいでよろしゅうございますか?」 と尋ねていた。
私は手ごろの場所を探して、その縄を城壁の下に垂らして見た。
大丈夫とどく。「ウン!
ここがいい。ここがいい」
「一本じゃもし切れた時、危ないですよ。二、三本になさい」
金振中は細かい点にまで気をつけてくれた。
林耕宇と王啓元とはそのとき代る代るそこから下をのぞいていた。
パンパーン!
パンパーン!
突然城門上の中国兵が射ち始めた。
「待てッ!
待てッ!
何を射つのか」 金振中がどなった。
「日本軍の便衣隊が、線路の手前を西の方に移動して行きますッ!」 と兵の報告。
私は双眼鏡でみると、草ッ原の中を中国の苦カが二人、
布団のようなものを引ッかついで、走って行く。
いくら何でも日本軍が、開戦早々あんな便衣を、この戦場の真ッ唯中に使いもすまい。
私は覚えずおかしさがこみあげて来て 「ありゃ明瞭に中国人の苦力だよ」
とつぶやくと、金振中も応えて苦笑した。
その時、兵二、三名が縄の端をシッカと握って 「準備が出来ました」 と報告した。
「じゃあ営長!
さよなら!」
「再見再見 (ツァイチェン)!
一路平安 (イールーピンアン)!」
私と金振中とは別れの握手、堅い堅い握手を交した
身軽く城壁上に跳び上った私は、縄の端末を掴むなり、スルスルッ!と
滑って城外へ降り始めた。灰色の粗雑な壁面にピッタリくっついているので、
真夏の太陽の照り返しが、ムッとして熱い、縄を握った手が痺 (しび) れるようだ。
私は地上一間ばかりのところから、一気に下の砂地に跳び降りた。
私に続いて林耕宇、さらに続いて王啓元参謀が滑り降りた。
さきほどの米人記者が、まだ城壁の下をうろついていた。
彼は愛嬌タップリの笑みをたたえて私の方に近づいて来た。
「私は、ロンドン・デイリー・ヘラルドの通信員です。
三人ご一緒に私のカメラに入って頂けませんか?」
私の英語は、中学時代に習ったっきりのものだが、今のひとことは、
どうやら聞き取る事が出来た。私達三人は城壁を背にして並んで立った。
中腰の姿勢で右から、左から、のぞいていた彼は、やがてシャッターを押した。
「サンクュー、ベリマッチ!」 私達の一人一人と握手を交した。
後年、私は 「アジアの戦争」 という本を読んで、その著者、エドガー・スノー氏こそ、
この時の、この通信員だった事を知り、大変懐かしい思いをした事がある。
彼は現代中国に関する世界的な権威研究家である。
だからあの時、なにも私が苦しんで下手な英語を使わなくたって、
中国語でしゃべりさえすれば、意志は十分通じたはずなのである。》
つづく
これは メッセージ 525 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件35 軍使宛平城を脱出1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/02 18:41 投稿番号: [525 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
( 前の所では、王冷斉県長も一緒に出ることになっていたが、王冷斉県長は逃げて、
脱出に加わらなかった。戦争の流れを見る上で不要なので、その部分省略する。)
157〜158p
《 車はやがて東門の内側に横付けにされた。 なるほど城門は鉄扉の内側に
土嚢がギッシリ積み上げられ、城門を開けるためには総がかりでやっても、
三十分や四十分はかかるだろう。一行はドヤドヤと車から降りる。
「林さん!
取あえず城壁の上に上ってみようや。
場所によっては石崖伝いに下りられん事もないだろうから……」
「石崖を伝って外へ下りるのですか?」 林耕宇は少なからずそれを渋っている模様。
その時、城門守備兵が白い角封筒様のものを金振中のところへ持って来た。
「ただいま、盧溝橋駅の鉄路巡警が二人、白旗を掲げてやって参りました。
そしてこの封筒を営長に差上げてくれといっております」
封筒の表書は、宛平城駐屯二十九軍最高指揮官宛となっていて、
差出人は日本軍最高指揮官森田中佐である。
金振中がサッと封を切った。内容は全部中国文で書かれていたが、その意味は
「本日、日華両軍の間、不幸な事態の発生を見るに至った事は、
最も遺憾とするところである。当方としては、事件の不拡大を極力希望する
が故に、今後貴方の需 (もと) めに応じ、何時たりとも休戦に移行する用意あり。
ついては取りあえず、現在貴官のもとに在る、我が方の軍使寺平補佐官、
桜井軍事顧問、並びに貴国側代表林耕宇、王冷斉、及び周永業の諸氏を、
至急城外に派遣せられ、本官と連絡せしめられたし。余は盧溝橋駅付近に在り」
金振中は黙々としてこの書簡を私に示した。私もまた黙々としてそれを読み下した。
「ウン、我々の考えていた事と全然一致している。オイ運転手!
お前これを桜井顧問のところへ持って行け!」
そう命じて私は城門の南側から、城壁上に登り始めた。
城壁には三十名ばかりの中国兵が、点々銃眼によって外に対して銃を構えていた。
東門上に立って城外の景色を眺め渡すと、青々とした野原、森、その間に点在する農家、
午前半日を窮屈な缶詰状態で過した私は、これを見たとたん、
急に籠の鳥が自由の天地に放たれたような気分になって、身はいまなお戦場の
真ッ唯中に在るんだという感じを、スッカり忘れ去ってしまっていた。
今朝程、私が初めてこの城を眺めた一文字山、それがいま、長豊支線のかなたに
青くなだらかに横たわっている。
時々その稜線上を動く人影は、大方日本軍の監視兵か何かだろう。
その一文字山とこの東門とを一直線につなぐ街道、
それをいま、一台の自動車が砂塵を巻き立てて疾駆して来る。
車には明らかにアメリカの星条旗が翻っていた。金振中は
「さきほどから、英国や米国の国旗を掲げた自動車が、盛んにこの宛平城の周囲を
とばせております。恐らく観戦武官か何かでしょう。邪魔になって仕様がないです」
と説明した。
星条旗を掲げたオープンカーは、我々のいる東門のすぐ下にビタリと停まった。
カーキ色の上衣に半ズボンの外人は、この炎天下に帽子もかぶらず
車からとび下りて来た。肩からカメラをぶら下げている。》
つづく
これは メッセージ 524 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件34 兵の離間策を提案3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/01 15:44 投稿番号: [524 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
154〜156p
《 ところがこの時、金振中は首をタテに振ろうとしなかった。
「私は、軍の営長の職にある者です。
自分の部下に対しては、指揮命令権を持っておりますが、一般民衆に対して
移動しろとかどうしろとか、そういう行政上の命令権は持っておりません。
立場を異にする民衆に対しては、一言半句、発言権がない訳です」
「営長が命令を下せないというんなら、王さんはどうか?
県長が行政上の命令を下すことに文句はあるまい」
すると王冷斉 「ハイ、順序と致しまして、
一応これから馮治安省長に了解を得ておきたいと思います……」
この急迫した事態に対し、なんという非常識極まる発言だろう。
彼等の真意はいったい那辺に存するのか。
察するところ、二千の住民をダシに使い、これさえ抱き込んでおけば、
日本軍は絶対この城を攻撃して来ない。
悪くいえば住民を援護物に使って自分達の保全策を講じようという、
卑劣極まる魂胆なのではなかろうか。
「こう頑迷じゃあせっかくの第二案も、オジャンですなあ!
とにかく馮治安を宛平城まで引ッ張り出してこん事にゃ、
二進 (にっち) も三進 (さっち) も動きがとれやしません」
「困ったもんだ。あいにくの時に電話は切られるし……」
「これが本当の没法子 (メーファーズ) というやつですねえ」
城外からは依然、銃声が断続して聞えて来る。午前十一時前後の状態である。
「城外の情況はいま、いったいどんなふうになっているんですかねえ。
銃声判断以外サッパリ様子がわからんが……。
もう一遍城外にとび出して、連絡をとってみたらどんなもんです?」
「どこと?」 「日本軍の第一線、つまり森田中佐とです。
そして出来得れば馮治安や秦徳純とも連絡して、
至急撤退命令を下すよう要求するんです」
「城外に出るといったって、もうこうなってしまったらそうオイソレ
とは出られやしないぜ君!」
「しかし、留るも死し、飛び出すも死す。
結局当って砕ける覚悟でとび出すより他ありません。
このままジーッとここに坐っていたって、情況が好転する事は絶対あり得ません。
要すれば中国側からもだれか一人連れて行くんですね。
今度はこっちの人質みたいにして!」
「それがよいかも知れんな。今度は君が行くか?」
「エエ、行きましょう」 「じゃあそうしてくれ給え。午前中君に人質になってもらったから、
午後は僕が人質になって残ろう。人質の交代だ。ワハハハ」
話がたちまちまとまった。「そこで中国側からだれを連れて行くかですな」
「やっぱり林君がいいな。それから王県長も一緒に行くがいい」
「林さん!
どうだい、私と一緒に城外にとび出さんか?」
「どういう方法でとび出すんですか?
今、城内と城外とは猛烈に射ち合っているんですよ。
もし日本軍から射たれたりしたら…」
「ナーニ大丈夫だ!
私が一緒について行く。
親船に乗ったつもりで安心して来るなさい。
それに王県長も一緒なんだぜ。私はかえって中国軍から狙撃されやせんかと思って、
その方がむしろ心配なくらいだ。ア
ハ
ハ
ハ!」
・・・
「しかし東門は土嚢を一杯積んで、全然開かなくなってるんです。
自動車なんか出られやしません」
「ナーニ、城門が開かなかったら城壁の上からとび降りたらいいじゃないか。
とび降りないまでも城壁を越える方法ならいくらだってあるよ。
第一この戦争の真っ最中、自動車で行こうなんて、そんなぜいたくな事、
考えとっちゃいかん。歩くんだ歩くんだ。早速出かけるとしよう」
私は桜井顧問に 「成否は天に委せます。今から出発します」 と挨拶した。》
つづく
これは メッセージ 523 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件34 兵の離間策を提案2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/07/31 15:50 投稿番号: [523 / 2250]
寺平忠輔著『日本の悲劇
盧溝橋事件』読売新聞社刊
151〜152p
《・・・・
あなたのお考えもよくわかりました。
要は馮師長が撤退を命令する。そうしたらすぐにでも河の西に引きさがって行く、
とこういうご意見なんですね」 「そうです」
「じゃあこうしよう。現地代表としての双方の意見は完全に一致した。
その事を電話で馮治安師長に連絡をとるんです。
そして改めて馮師長から電話なりなんなりで命令さえ出してもらったら、
万事は解決。これなら営長としても、全然異存はないでしょう」
「結構です。早速電話で意見具申いたしましょう」
金振中は起ち上った。そして伝令兵に 「オイ! 北京の馮師長公館に電話をつなげ!
もし公館の方に不在だったら、進徳社に連絡してみい!」
伝令兵はすぐ電話にかかったが、いくらベルを鳴らしても相手が出ない。
やがてガチャリと受話器を置いて 「営長!
駄目でありますッ!
この電話は断線しとりますッ!」 「断線か! こういう大切な時に
−
」
大きく嘆息した営長は 「お聞きの通りです。今断線しているそうです。
いかが致しましょうか?」 と私達の顔をのぞき込んだ。
「金営長が独断でやらん限り、結局この案は捨ててしまわんければなりませんなあ!」
私は桜井顧問に呼びかけた。「営長はとてもひとりじゃやり切らん!
もうこうなったら仕方がないから、武力をもって宛平城の中国軍を河の西に
追ッ払うんだね。それより他に方法はないさ!
しかしこの城内には随分沢山の住民がいるぜ。爺さん婆さん女子供、
これをどう処理するかだ」 「そうです。これが問題です。オイ!
王冷斉県長はどうした。
さっきから一向姿を見せんじゃないか!」
「アア、県長はさきほど、この筋向いの民家に入って休んでいました。
オイ!
伝令兵!
お前行って王県長をここに呼んで来い!」
少年兵の一人が横ッ飛びに表の方へと飛び出して行った。
やがてその兵に伴われてやって来た王冷斉県長、
もともと痩せ形の鴉片吸飲患者のような感じだが、
見ると特別その顔色が悪く、まるでライスカレーさながら、とでも言いたいくらいだ。
「これはあなたのお役目上の事なんだが、いま、この宛平県城内外には、
およそどのくらいの住民がいるんですか?」
すると王冷斉は、しばらく口ごもっていたが、ようやく思い切ったみたいに
「二……二千名です」 と答えた。
桜井顧問はすこぶる濃い、しかしあまり長くもない髭をひねりながら
「その二千人を二十九軍と一緒に、殺してしまうという事は人道上の重大問題だ。
日本軍としてはそれが出来ん!」 私達二人はシンミリ考え込んだ。
「住民だけ取りあえず、西岸の長辛店 (ちょうしんてん) へでも避難させますかな。
この城内を空ッポにさせるために……」 「それより他に策はないね」
悠然、ソファーにもたれて瞑想にふけっていた桜井顧問は、この時突然、
ムックリ起き上った。そして 「営長!
第二案だ!」 と次の要求をたたきつけた。
「貴官の部隊がどうしても撤退をがえんじないというのなら、この上、
議論を続けていても意味はない。日本軍は断乎この宛平城を攻撃する。
そして二十九軍といさぎよくここで勝敗を決するのだ。ただ、そうなった場合、
罪咎 (とが) もない二千の住民を、二十九軍諸共砲弾の犠牲に供する事は、
我々人道上の立場からこれをなすに忍びない。
いまからこれら住民を、至短時間内に西岸の部落、長辛店に避難させていただきたい。
もちろん我々は貴官一人を苦しい立場に追い込み、
自分だけ逃げたり隠れたりするようなそんな、卑怯な真似はしたくない。
最後まで貴官の営本部と行動を共にし、日本軍の砲撃下に貴官と生死を共にしよう。
我々はこれだけの肚 (はら) をもってかかっているのだ。
貴官も住民に対する手配を、手っ取り早くやって頂きたい」
つづく
これは メッセージ 522 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件34 兵の離間策を提案1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/07/30 18:33 投稿番号: [522 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
151〜152p
《 しばらくすると金振中が、二十名ばかりの兵をしたがえてドヤドヤ客庁に入って来た。
帽子をとるなり汗がバラバラと滴り落ちる。
彼は、懸命の奮闘をしていたらしく、
その面には緊張そのものといった気分が漲 (みなぎ)っていた。
「ヤア!
ご苦労さん!
ご苦労さん!」 桜井顧問が愛想よく椅子を勧めた。
金振中は部下の方を振り返って 「オイ!
お前達は外へ出ておれ!
俺がよぶまで
勝手に中へ入って来ちゃいかん!」 と兵を中庭の方に追い出してしまった。
私がおもむろに口を開いた。「今日の事件を何とかして早く解決させたいという念願から、
その最も効果的な方法を私達ここで考え出したんです。
それは日華両軍、これを永定河の東岸と西岸とにキッパリ切り離してしまう。
すると地形上双方共直接いがみ合いが出来なくなる。
この間を利用して解決交渉を促進させたら、事件を現地限りに局限する事が
出来ると思うんです。これに対して貴官のご意見はいかがです?」
金振中は薄汚いハンカチを取り出して汗をふきながら、地図をのぞき込む
ようにしてこの話を聞いていたが、私の言葉が終るや否や、即座に
「全然同感です。これがマア現在の実情に即する一番理想的な解決方法でしょうね」
極めて簡明直截 (ちょくせつ) な回答を発した。
彼の面には微かなほほえみさえも浮び出ている。
「それじゃあ次に、その実行という段取りに進むのですが、
貴官は今、宛平城一帯に在る貴官の隷下部隊、
これに一斉に永定河西岸に撤退するよう、命令していただきたい。
そしたら我々も、日本軍全部、河の東岸に撤退するよう指揮官に連絡をとりましょう」
すると桜井顧問、「ウン、これが一番手ッ取り速い解決方法だ。営長!いますぐ
命令を下しなさい。日本軍の方は僕が飛んで行って連絡をとってくるから!」
金振中が重々しく口を開いた。
この着想に対しましては、私、全然同感です。唯その実行手段に関しまして、
少しく私の立場を説明させて頂きます……」 我々二人は固唾をのんだ。
「私はお申し出の案を、すぐにでも実行に移したい気持で一杯なのです。
ただ、私は平時からこの宛平県城に駐屯していまして、馮治安師長から、
この地を警備せよ、という任務を受けております。
したがって上官からの命令とあらば、すぐにでも撤退行動に移りますが、
私の独断をもって河の西側に移るという事は、上司の命令に違反し、
私の職責を果さぬ結果となって、軍人の本分に悖 (もと) ることになります……」
「だが大局上から判断したら、事件の不拡大は、焦眉の急務です。その一番
大切な解決の鍵を、いま、あなたただ一人が握っているんじゃありませんか!
あなたとしてはここで一つ、是非、独断専行の精神を発揮して下さい。
そして日華両国の全面的幸福を招来するため、断乎この最善の策を実行に
移していただきたいのです」
「しかし……こればかりは独断というわけに参りません」
金振中には少からず遅疑逡巡の色がうかがわれた。》
つづく
これは メッセージ 521 (kireigotowadame さん)への返信です.
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盧溝橋事件33 両軍の引離し策を考える
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/07/29 18:24 投稿番号: [521 / 2250]
この前の段階省略
(日本軍は永定河の西岸にまで達し、金振中と桜井顧問は
撃ち方やめを言いに行ったが、桜井顧問は諦めて城内に戻って来た)
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
150〜151p
《 私は、眺 (なが) めるともなしに盧溝橋一帯の地図をジーッと見つめていたが、
やがてふと、思いついたように語り出した。
「日本軍が河の西岸までとりついてしまったという事になると、これはどうやら、
相当拡大の可能性が強くなってきたようですね。
昼間は現状のままで相対峠している事も出来ますが、
夜に入ったら西岸は西岸でいがみ合いを始めるし、
東岸は東岸でこの宛平城を中心に、両軍いくさを始める事になる。
そうなったら本当に収拾つかんものになってしまいますよ」
「ウン、その可能性は確かにあるね」
「せめて日本軍は河の東岸、中国軍は河の西岸、というふうにでもハッキリ分ける事が
出来たら、不拡大交渉は比較的容易に進める事が出来ると思うんですけれど……。
私はここいらの地形はあまりよく知りませんが、
永定河の深さは、いったいどのくらいあるんです?」
「そうだねえ。胸たけくらいは十分あるね。いま、日本軍がザブザブ渡ってる
ところを見て来たんだが、あるいはもっと深いところがあるかも知れん」
「障害としての価値は十分ですな」
「そりや十分だ。それに河幅だって随分広いんだからね。
そこでいま、君のいった両軍を河の東西に分けるという案だね。こりや確かに名案だ。
どうせ細かい戦術判断なんか、睡眠不足のいまの俺達にゃ出来っこないが、
極めて大雑把な大局的判断といったら、まずこれが一番の早道だ。だがこれは、
実際問題として、両軍とも、なかなかオイソレとは引き下るまいぜ」
「問題はそこです。結局」
「だがどうせ僕達はもう、三途の川の川ッ縁まで来てしまってるんだ。
いまから最善と信ずる方法をふりかざして、
思いっ切り強く中国側にぶつかってみるんだね」
「やりましょう。当って砕けろだ」
「オイ林君!
ご苦労だが君、
ちょっと盧溝橋の橋のところまで行って金営長を呼んできてくれないか!
いま、日本側としての調停案がまとまったから、すぐここに来てくれといって!」
林耕宇は不承不承出かけて行った。》
つづく
これは メッセージ 520 (kireigotowadame さん)への返信です.
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