盧溝橋事件35 軍使宛平城を脱出2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/08/03 18:38 投稿番号: [526 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
158〜159p
《「あれは新聞記者らしいですね。多分、タネさがしにやって来たんでしょう」
と林耕宇がつぶやいた。
三十七師少校参謀王啓元というのが、我々を追いかけるようにして城壁の上に
あがって来た。「それじゃあ王県長は行かないんですか。結局!」
「いくら捜したって、いないんだから仕方がない」 金振中がしきりに説明している。
「じゃあ私が行きましょう。日本語も少しくらいわかりますから!」
金振中は私に王啓元を紹介した。
「私、日本の士官学校、二十六期の卒業です。一緒にお伴します。
どうぞよろしくお願いします」 彼はそういって私に握手を求めた。
いつの間にか金振中が部下に命じていたのだろう。 兵が麻縄を二、三本持って来て
「太さはこのくらいでよろしゅうございますか?」 と尋ねていた。
私は手ごろの場所を探して、その縄を城壁の下に垂らして見た。
大丈夫とどく。「ウン! ここがいい。ここがいい」
「一本じゃもし切れた時、危ないですよ。二、三本になさい」
金振中は細かい点にまで気をつけてくれた。
林耕宇と王啓元とはそのとき代る代るそこから下をのぞいていた。
パンパーン! パンパーン! 突然城門上の中国兵が射ち始めた。
「待てッ! 待てッ! 何を射つのか」 金振中がどなった。
「日本軍の便衣隊が、線路の手前を西の方に移動して行きますッ!」 と兵の報告。
私は双眼鏡でみると、草ッ原の中を中国の苦カが二人、
布団のようなものを引ッかついで、走って行く。
いくら何でも日本軍が、開戦早々あんな便衣を、この戦場の真ッ唯中に使いもすまい。
私は覚えずおかしさがこみあげて来て 「ありゃ明瞭に中国人の苦力だよ」
とつぶやくと、金振中も応えて苦笑した。
その時、兵二、三名が縄の端をシッカと握って 「準備が出来ました」 と報告した。
「じゃあ営長! さよなら!」
「再見再見 (ツァイチェン)! 一路平安 (イールーピンアン)!」
私と金振中とは別れの握手、堅い堅い握手を交した
身軽く城壁上に跳び上った私は、縄の端末を掴むなり、スルスルッ!と
滑って城外へ降り始めた。灰色の粗雑な壁面にピッタリくっついているので、
真夏の太陽の照り返しが、ムッとして熱い、縄を握った手が痺 (しび) れるようだ。
私は地上一間ばかりのところから、一気に下の砂地に跳び降りた。
私に続いて林耕宇、さらに続いて王啓元参謀が滑り降りた。
さきほどの米人記者が、まだ城壁の下をうろついていた。
彼は愛嬌タップリの笑みをたたえて私の方に近づいて来た。
「私は、ロンドン・デイリー・ヘラルドの通信員です。
三人ご一緒に私のカメラに入って頂けませんか?」
私の英語は、中学時代に習ったっきりのものだが、今のひとことは、
どうやら聞き取る事が出来た。私達三人は城壁を背にして並んで立った。
中腰の姿勢で右から、左から、のぞいていた彼は、やがてシャッターを押した。
「サンクュー、ベリマッチ!」 私達の一人一人と握手を交した。
後年、私は 「アジアの戦争」 という本を読んで、その著者、エドガー・スノー氏こそ、
この時の、この通信員だった事を知り、大変懐かしい思いをした事がある。
彼は現代中国に関する世界的な権威研究家である。
だからあの時、なにも私が苦しんで下手な英語を使わなくたって、
中国語でしゃべりさえすれば、意志は十分通じたはずなのである。》
つづく
158〜159p
《「あれは新聞記者らしいですね。多分、タネさがしにやって来たんでしょう」
と林耕宇がつぶやいた。
三十七師少校参謀王啓元というのが、我々を追いかけるようにして城壁の上に
あがって来た。「それじゃあ王県長は行かないんですか。結局!」
「いくら捜したって、いないんだから仕方がない」 金振中がしきりに説明している。
「じゃあ私が行きましょう。日本語も少しくらいわかりますから!」
金振中は私に王啓元を紹介した。
「私、日本の士官学校、二十六期の卒業です。一緒にお伴します。
どうぞよろしくお願いします」 彼はそういって私に握手を求めた。
いつの間にか金振中が部下に命じていたのだろう。 兵が麻縄を二、三本持って来て
「太さはこのくらいでよろしゅうございますか?」 と尋ねていた。
私は手ごろの場所を探して、その縄を城壁の下に垂らして見た。
大丈夫とどく。「ウン! ここがいい。ここがいい」
「一本じゃもし切れた時、危ないですよ。二、三本になさい」
金振中は細かい点にまで気をつけてくれた。
林耕宇と王啓元とはそのとき代る代るそこから下をのぞいていた。
パンパーン! パンパーン! 突然城門上の中国兵が射ち始めた。
「待てッ! 待てッ! 何を射つのか」 金振中がどなった。
「日本軍の便衣隊が、線路の手前を西の方に移動して行きますッ!」 と兵の報告。
私は双眼鏡でみると、草ッ原の中を中国の苦カが二人、
布団のようなものを引ッかついで、走って行く。
いくら何でも日本軍が、開戦早々あんな便衣を、この戦場の真ッ唯中に使いもすまい。
私は覚えずおかしさがこみあげて来て 「ありゃ明瞭に中国人の苦力だよ」
とつぶやくと、金振中も応えて苦笑した。
その時、兵二、三名が縄の端をシッカと握って 「準備が出来ました」 と報告した。
「じゃあ営長! さよなら!」
「再見再見 (ツァイチェン)! 一路平安 (イールーピンアン)!」
私と金振中とは別れの握手、堅い堅い握手を交した
身軽く城壁上に跳び上った私は、縄の端末を掴むなり、スルスルッ!と
滑って城外へ降り始めた。灰色の粗雑な壁面にピッタリくっついているので、
真夏の太陽の照り返しが、ムッとして熱い、縄を握った手が痺 (しび) れるようだ。
私は地上一間ばかりのところから、一気に下の砂地に跳び降りた。
私に続いて林耕宇、さらに続いて王啓元参謀が滑り降りた。
さきほどの米人記者が、まだ城壁の下をうろついていた。
彼は愛嬌タップリの笑みをたたえて私の方に近づいて来た。
「私は、ロンドン・デイリー・ヘラルドの通信員です。
三人ご一緒に私のカメラに入って頂けませんか?」
私の英語は、中学時代に習ったっきりのものだが、今のひとことは、
どうやら聞き取る事が出来た。私達三人は城壁を背にして並んで立った。
中腰の姿勢で右から、左から、のぞいていた彼は、やがてシャッターを押した。
「サンクュー、ベリマッチ!」 私達の一人一人と握手を交した。
後年、私は 「アジアの戦争」 という本を読んで、その著者、エドガー・スノー氏こそ、
この時の、この通信員だった事を知り、大変懐かしい思いをした事がある。
彼は現代中国に関する世界的な権威研究家である。
だからあの時、なにも私が苦しんで下手な英語を使わなくたって、
中国語でしゃべりさえすれば、意志は十分通じたはずなのである。》
つづく
これは メッセージ 525 (kireigotowadame さん)への返信です.