紫陽花亭日乗
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
台湾の知識人が語る中国人定住者
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/27 21:07 投稿番号: [201 / 735]
■台湾の知識人が語る中国人定住者の危険性
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1028.html民主党が提出を企図する外国人地方参政権付与法案が可決されれば、
国家安全保障にいかなる悪影響を及ぼすのだろうか。
それについてここでは、在日中国人に選挙権を与えればどうなるかについて
考えてみようと思うが、すでに本ブログでも伝えたように、台湾では中国人
花嫁の急増とそ彼女たちへの選挙権付与が安保上の問題になっている。
偽装結婚に工作員―流入中国人「参政権」問題での台湾の苦悩と危機を見よ
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1026.htmlこうした事態を受けて著名な評論家、敏洪奎(ペンネームは孤影)氏は
一月二十一日の自由時報に「中国人配偶者は台湾を解放するか」
の一文を寄せ、「人権、人道などの理由で、中国人配偶者の定住を
軽々しく許してはならない」と訴えている。
そしてその理由の一つとして、次のようなものを挙げている。
―――中国人配偶者には優越感があり、台湾をあくまでも異郷と看做して
新たな帰属意識を持つことを好まず、国の中にもう一つの国を形成しつつある。
―――そしてこの二十七万人は、かつて中国各地に居住していた
日本人と似ている。
彼らは身はそこにおいても心は祖国にあった。
このように中国人配偶者は絶対に台湾に福をもたらさない。
中国人の台湾人に対する「優越感」は、最近急増する台湾への中国人観光客
の傲慢な態度を見るだけでも明らかだが、その「優越感」は実に大きく、
そして屈折したものだ。
そもそもあの国の人間は、台湾人を「同胞」とは呼んでも、
その大中華意識から、台湾のような「辺境」の小島の人々を見下している。
そしてだからこそ、
その豊かさを妬み、憎み、さらに「優越感」を強めさるのだ。
■「優越感」に満ちた在日中国人の参政要求
だから、「台湾に福をもたらさない」と敏洪奎は強調するのである。
翻って日本を見れば、日本に定住する華僑が社会で比較的に大人しくして
きたのは、その基本には先進的で繁栄した日本に対し、優越感を抱けないで
いたからだろう。
彼らはむしろ生活の安定と豊さだけを希求し、政治には深く関与すること
なく、日本人と協調しながら商いに精を出して来た。
だが近年増加する新たな在日中国人たちはどうだろうか。
民主党政権の発足に合わせ、日本の政治への参与を求める動きを見せつつ
あるが、そうしたグループから「中国の国力の増強と在外華人の増加に
従い、海外華人の参政気運が盛り上がっている。
在外華人社会は不断に成熟し、華人は重要な国際政治のパワーとなりつつある」
「在日華人の参政もまた、歴史の必然となっている」との声が上がっている
と人民網(中共機関紙人民日報のニュースサイト)は報じている。
まさに祖国の国力増大に伴って高まる、
日本への「優越感」に満ちた「声」である。
しかも中国の「パワー」の一部として、
日本の政治に参与しようとはっきりと言っている。
そしてそうした「声」を人民日報が伝えると言うことは、
それが中共の対日戦略に符合しているからに違いない。
3705
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国際好感度調査 / 日・中・韓・台四カ国
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/27 20:50 投稿番号: [200 / 735]
◆国際好感度調査
2005年のことですが、台湾の行政院(内閣)新聞局が世論調査会社
ギャラップ社に委託し、日・中・韓・台四カ国の好感度調査を行いました。
日本、米国、英国、フランス、ドイツの5カ国の国民各1,500人と、政治家、
学者、各界代表らオピニオンリーダー各200人を対象に調査した結果が
以下の通りです。
国際好感度:日本>台湾>韓国>中国
アメリカ人の好感度
1、日本82%、
2、台湾73%、
3、韓国63%、
4、中国48%
イギリス人の好感度
1、日本84%、
2、台湾68%、
3、中国65%、
4、韓国56%
フランス人の好感度
1、日本80%、
2、台湾62%、
3、韓国59%、
4、中国54%
ドイツ人の好感度
1、日本82%、
2、台湾58%、
3、韓国57%、
4、中国54%
この情報の掲載元、大紀元のサイトです。
http://www.epochtimes.com/b5/5/11/25/n1131999.htm日本はトップで、台湾が二位です。
台湾の行政院が調査したことを差し引いても妥当な結果でしょう。
韓国と中国はこれでもまだ好感度が高すぎるような気がします。
ヨーロッパでは、今でも韓国人や中国人お断りの店もあるようです。
そういうこともあって日本人の振りをするのかもしれません。
他人の領土を我が物と主張する為のあの貴地外沙汰を見れば、
誰でも眉をしかめて当然です。
中・韓ともそういうことで自分の首を絞めていることすら理解できない
ので、益々嫌われるわけです。
★台湾で何かやって、日本人のふりをした韓国人の高官もいました。
韓国では、外国で警察につかまったら日本人のふりをしろ、と言っているようです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ご回答ありがとうございます。
アンケートが日本、台湾、韓国、中国の四カ国での順位つけなら
このアンケート結果になると思いますが、アジアの中でとか世界の中で
となると韓国の名前は出てこないでしょうね。
世界の中で韓国の存在感、知名度は極めて低いですから、
中国は壮大な歴史を持つ国という良いイメージもありますから、
100位くらいにはなるでしょう。
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4200855.html~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★以前、掲示板で「日本人は世界中の嫌われ者だ」という趣旨の発言をした
中国人がいて、あまりの無知にびっくり仰天したことがありました。
◆中国が嫌われる七つの理由
拓植大学日本文化研究所客員教授
黄文雄
http://www.geocities.jp/taiwan_assoc/bs01x25.html中国や中国人に「幻想」を抱いている方は必読。
嘗て「漢学をやっているのに中国批判か」というようにからかわれました
が、からかうほうが中国の真実を知らない。
立派な人もいないではなかったのですが、
そんな人たちは文革のときにほぼ全員粛清されて全滅しました。
★今回の高速鉄道の事故の始末もあまりにひどくはないですか。
支那に怒り――事故処理作業中に客車からこぼれ落ちる遺体
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4320.html3683
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Re: 「朝三暮四」と「朝令暮改」
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/27 19:55 投稿番号: [199 / 735]
朝三暮四・・・内容を改めないでことばだけでごまかすこと。
〔原文〕
勞神明爲一、而不知其同也、謂之朝三、何謂朝三、曰狙公賦●曰朝三而莫四、
衆狙皆怒、曰然則朝四而莫三、衆狙皆悦、名實未虧而喜怒爲用、亦因是也、
是以聖人和之以是非、而休乎天鈞、是之謂兩行、
●・・・クサカンムリ
+
「予」
ショ
チョ
とち
どんぐり
〔訓読〕
神明を勞して一を爲しながら、其の同じきを知らず、これを朝三と謂う。
何をか朝三と謂う、曰わく、
狙公(ソコウ)、●(とち)を賦(わか)ちて朝に三にして莫(くれ)に四つにせんと曰うに、
衆狙みな怒れり。
然らば則ち朝に四にして莫(くれ)に三にせんと曰うに、衆狙みな悦べり。
名實未だ虧(か)けずして喜怒用を爲す。亦た是れに因(よ)らんのみ。
是(ここ)を以て聖人これを和するに是非を以てして、天鈞(テンキン)に休(いこ)う。
是れを兩行と謂う。
〔解釈〕
あれこれと精神をつかれさせて同じことをくりかえしながら、
それが同じだということを知らないでいる。それを朝三とよぶ。
朝三とはどういうことかというと、こうである。
猿飼いの親方が●(とち)の実を分け与えるのに、
「朝三つにして夕方四つにしよう、」といったところ、猿どもはみな怒った。
「それでは朝四つにして夕方三つにしょう、」といったところ、
猿どもはみな悦んだという。
表現も実質も変わりはないのに、それでいて喜びや怒りの感情が働くことになった。
(とらわれているからである。)
ただひたすらに自然に身をまかせていくばかりだ。
そこで聖人は善し悪しの分別知を調和させて、自然の平衡(バランス)
(つまり万物斉同の道理)に休息する。
そうした境地を兩行
(――すなわち対立したもののいずれもがスムーズに流れる立場)
というのだ。
★金谷治訳注『荘子』第一冊(内篇), ワイド版岩波文庫, (斉物論篇)
★実際には少しの損得もないのに、おこったり喜んだりしている。
このバカらしさに気がついたら、是非の念を超越した大是の立場に立つがよい、
といっています。
★『列子』には、同じ寓話がもう少し詳細な表現で記述されています。
3700
◆朝令暮改
「朝三暮四」に続き、「朝令暮改」もやろうかと思ったのですが、
『漢書』を見てみましたら、ざっと見て原文で360字くらいあったので、
今なにかと忙しくて、入力する時間のことを考えてやめることにしました。
かわりに以下をご覧ください。
http://www23.tok2.com/home/rainy/seigo-choreibokai.htm◆「朝三暮四」について、
ま、へりくつを云えば、必ずしもお猿さんをバカにできません。
「明日ありと思う心のあだざくら夜半に嵐の吹かぬものかは」といいます。
誰にとっても一寸先のことはわかりませんから、合計すれば同じでも、
先に多くもらっておいたほうが確実かもしれません。
「明日の百より今日の五十」ともいいます。
中国語でいうと、
「天上仙鶴不如手中麻雀」「十鳥在樹, 不如一鳥在手」とか。
「不如」は「シカズ」と読んでください。
「百聞不如一見」のシカズと同じです。
「麻雀」は「スズメ」で、マージャンではありません。
3702
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これは メッセージ 198 (ajisai110701 さん)への返信です.
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「朝三暮四」と「朝令暮改」
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/27 19:51 投稿番号: [198 / 735]
【産経抄】
7月27日
2011.7.27 03:02
昨年初め、当時の鳩山由紀夫首相が国会で野党議員から
「朝三暮四」の意味を聞かれた。
飼っている猿の不満を和らげるため木の実を朝3つ、
晩4つから朝4、晩3に変えて与えごまかした。
鳩山政権の経済政策はそんなものだと追及するための質問だった。
▼ところが鳩山氏の答えは「朝決めたことと夜決めたこととがすぐ変わる
という意味」だった。
これはゴロは似ているが「朝令暮改」である。
鳩山氏は言動がすぐに変わる「ブレ」をしばしば指摘されていた。
だからついそちらを聞かれたと思ったらしい。
▼その鳩山氏も少しは安心してよさそうだ。
中国ではもっと大胆な「朝令暮改」が行われたからである。
高速鉄道での列車追突事故で、地上に落下した車両の運転席を急いで
解体し地中に埋めた。それをわずか1日で掘り起こしたのだという。
▼埋めたときは発生から2日もたっていなかった。
国民に忌まわしい事故を一刻も早く忘れさせようとの意図がありありだった。
日本で同じようなことが起きたら、1週間も2週間も現場保存して
原因を究明するだろう。そう考えると、開いた口がふさがらなかった。
▼それがまた一夜にしての方針転換である。一党独裁の国だから、
決して現場の混乱とはいえまい。原因究明よりも早期復旧を優先させる
ことに、ネットを通じ国民の不満が強まった。あるいは政権内部でも
批判があったのか、異例の「朝令暮改」となったようだ。
▼とはいえ、これで中国も国民の声に耳を傾けるようになったなどと
考えるのは早計だ。政権維持のため国民の不満をはぐらかす
「朝三暮四」も、独裁国家の得意技なのである。
菅直人政権もそれに似てきたような気がしてならない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★以下は、当時の記事です。
◆朝三暮四は「すぐ変わること」?
=鳩山首相、朝令暮改と勘違い
1月22日10時38分配信 時事通信
鳩山由紀夫首相が22日午前の衆院予算委員会で、中身は同じなのに
巧みに変化があったようにごまかすことを意味する故事成語
「朝三暮四」を、命令がころころと変わることを表す「朝令暮改」と
勘違いし、質問した自民党の茂木敏充幹事長代理から言葉の由来と
正しい意味について「講義」を受ける一幕があった。
茂木氏は、政府が今年度の第1次補正予算で凍結した財源を第2次補正に
回したことを批判した際、「朝三暮四という言葉をご存じか」と質問。
これに対し、首相は「知っている。朝決めたことが、夜すぐに変わるという
意味、物事をあっさり変えてしまうことだ」と自信たっぷりに答えたが、
茂木氏に「それは朝令暮改」とすかさず切り返され、出席者の失笑を買った。
朝三暮四は、宋の狙公が飼っていたサルに木の実を「朝三つ、暮れに四つ
与える」と告げたところ、サルが不満を示し、狙公が「朝四つ、暮れ三つ」
と言い換えるとサルが喜んで受け入れたという故事に由来する。
~~~~~~~~~~~~~~~
★みんな麻生さんが漢字を読み間違えたと笑ったけど、
こっちも相当ひどいじゃないですか。
マスコミは麻生さんのときと同じように最低でも一ヶ月は
ワイドショーで騒いで笑いものにしてください。
★その後、空き缶も疾病を「しつびょう」、
「清は蒙古が建国」と言いました。
日本のマスゴミはなぜ、半年くらい騒がないのですか。
かっこうのネタじゃありませんか。
これが、日本のマスゴミの正体です。
.
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詠富岳 乃木 希典
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/26 21:36 投稿番号: [197 / 735]
詠富岳
乃木 希典・嘉永二(1849)〜大正元(1912)
崚●富岳聳千秋
崚<山曾>(リョウソウ)たる富岳
千秋に聳え
赫灼朝暉照八洲
赫灼たる朝暉(チョウキ)
八洲を照す
休説區區風物美
説くを休(や)めよ
區區風物の美を
地霊人傑是神州
地霊人傑是れ神州
高く美しく富士山は千年もかわらぬ姿に聳え
日の本の名にふさわしくあかあかと朝日はこの峯よりはじめて
残る隈なく大八洲の国を照らすのである
あれこれ風景の美しいことをいうのはやめよ
土地も霊(あらたか、ありがたい)、
人物も傑(すぐ)れているのが神州の神州たる所以である
★猪口篤志『日本漢詩』下, 明治書院, 新釈漢文大系46
==========================================
日本は、日本人のものです。
日本のことは、日本人が決めます。
台湾は、台湾人の国です。
台湾のことは、台湾人が決めます。
その船を漕いでゆけ
おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に
おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ
おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に
おまえのオールをまかせるな
★尖閣諸島は日本の領土です。
.
これは メッセージ 196 (ajisai110701 さん)への返信です.
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爾靈山 乃木 希典
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/26 21:27 投稿番号: [196 / 735]
爾靈山
乃木 希典・嘉永二(1849)〜大正元(1912)
爾靈山険豈難攀
爾靈山
険なれども豈に攀じ難からんや
男子功名期克艱
男子
功名
艱に克つを期す
鐵血覆山山形改
鐵血
山を覆うて山形改まる
萬人齊仰爾靈山
萬人
齊しく仰ぐ爾霊山
二〇三高地がいかに要害であろうとも、
どうしてこれを攀じ登ることができないことがあろうか
ひとたび男子として生を受け、功名をたてようとするときに、
艱難を克服するは覚悟の前である
この覚悟のもとに、我が軍はただだ遮二無二突撃また突撃、あまりに激しい
その攻撃に、流血は川をなし、山は元の形を止めないほどになってしまった
多くの人々はそろってこの山をふり仰ぎ、勇猛果敢に戦いこの山に散華した
忠烈勇壮の士を偲び、永遠不滅の偉功をたたえて止まないのだ
★乃木は、占領後二○三高地を爾霊山と名づけた。
「これ一重に勇敢な部下の英霊忠魂のたまものである」
「二○三は爾霊山に通ずる。爾英霊よ、どうか後に続く者を援けてくれ」
と祈った。
★『日本漢詩』中、乃木の伝記の記述に上記詩の原文のみ出てくる。
★印の解説は、猪口篤志『日本漢詩』下, 明治書院, 新釈漢文大系46
を参考とした。
★訓読・解釈はあじさいです。
★発音したときに、二○と爾霊とは音が<アルリン>と同じ、
三と山とは<サン><シャン>と音が似ている。
方言ではほとんど同じ発音のところもあると思う。
イ尓姓什麼 ?
あなたの苗字は何ですか。
ニィ
シン
シャン(シェン)
マ
というような発音ですが、
ニシンサンマ
と発音するところもあるとか。
.
これは メッセージ 195 (ajisai110701 さん)への返信です.
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陣中作 乃木 希典
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/26 21:24 投稿番号: [195 / 735]
陣中作
乃木 希典・嘉永二(1849)〜大正元(1912)
希有楊柳無竹梅
稀に楊柳有れど
竹梅無し
満洲春色又奇哉
満洲の春色
又
奇なるかな
飛雲塞下尚氷雪
飛雲
塞下
尚(なお)氷雪
何日東風渡海来
何(いず)れの日にか
東風
海を渡って来たる
ごくまれに柳のたぐいは目にするが、日本のように竹や梅はない
ここ満洲の春景色は、なんとまた日本とはまったく異なっていることよ
ちぎれ雲飛ぶとりでのほとり、春とは名ばかり、今なお凍てつく氷雪の大地
ああ、いつになったら、春風は海を渡ってくるのであろうか
★訓読・解釈はあじさいです。
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これは メッセージ 194 (ajisai110701 さん)への返信です.
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金州城下作 乃木 希典
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/26 21:20 投稿番号: [194 / 735]
金州城下作
乃木 希典・嘉永二(1849)〜大正元(1912)
山川草木轉荒涼
山川草木 轉(うたた)荒涼
十里風腥新戰場
十里
風
腥(なまぐさ)し
新戰場
征馬不前人不語
征馬
前(すす)まず
人
語らず
金州城外立斜陽
金州城外
斜陽に立つ
山も川も草も木もすべて今は荒れはててすさまじく見るかげもない
十里四方、吹く風も血なま臭い、ついこの輭まで戦場であった跡
軍馬も何を感じてか進もうとはしない、将兵一様に黙して語らない
夕日傾く金州城の町はずれ、
この悲惨な光景を前にしばらく茫然として佇むのである
★猪口篤志『日本漢詩』下, 明治書院の解釈を参考に解釈をつけました。
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台湾戦闘機緊急発進、中国軍機中間線超
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/25 22:05 投稿番号: [193 / 735]
台湾戦闘機が緊急発進、中国軍機が中間線超える
読売新聞 7月25日(月)19時7分配信
【台北=源一秀】
台湾の国防部(国防省に相当)は25日、中国軍戦闘機2機が6月29日、
台湾海峡の中間線を越えて台湾側に入ったため、戦闘機を緊急発進
(スクランブル)させたことを明らかにした。
中国軍機が中間線を越えたのは2008年の馬英九政権発足以降、
初めてとみられる。
国防部によると、当時、中国軍機は演習中で、中間線を越えたのは
「短時間」だったという。
国防部は、中国側に挑発などの意図はなかったとみている。
一方、台湾紙「聯合報」は25日、中国軍機は、周辺空域を飛行中だった
米軍の高高度偵察機U2に対応するため、急派されたと報じた。
.最終更新:7月25日(月)19時7分
Yahoo!ニュース関連記事
中国軍機が台湾側に越境=馬政権発足後初めて(時事通信) 18時42分
台湾「国防報告書」、中国軍への懸念示す(読売新聞) 19日(火)18時37分
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★日本も東北大震災で国防が手薄になっているところをやられています。
それ以前にも。
ゴロツキ国家。
絶対に、あまい顔を見せたり譲歩してはなりません。
常に毅然とした態度で臨まなければ。
東北大震災のときには、いち早く米軍が日本の周辺を警戒してくれました。
日本を守ってきたのは、決して憲法九条ではなく、
自衛隊と日米安保条約なのです。
憲法九条を守る義務は、日本にしかないのですよ。
世界のどこの国が、こんなバカバカしい条文を守りますか。
.
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Re: 星落秋風五丈原 土井晩翠
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/25 21:52 投稿番号: [192 / 735]
更に碧の空の上
靜かにてらす星の色
かすけき光眺むれば
神祕は深し無象の世
あはれ無限の大うみに
溶くるうたかた其はては
いかなる岸に泛ぶらむ
千仭暗しわだつみの
底の白玉誰か得む、
幽渺境窮みなし
鬼神のあとを誰か見む
嗚呼五丈原秋の夜半
あらしは叫び露は泣き
銀漢清く星高く
神祕の色につゝまれて
天地微かに光るとき
無量の思齎らして
「無限の淵」に立てる見よ
功名いづれ夢のあと
消えざるものはたゞ誠
心を盡し身を致し
成否を天に委ねては
魂遠く離れゆく
高き尊きたぐいなき
「悲運」を君よ天に謝せ
青史の照らし見るところ
管仲樂毅たそや彼
伊呂の伯仲眺むれば
「萬古の霄の一羽毛」
千仭翔る鳳の影
草廬にありて龍と臥し
四海に出でゝ龍と飛ぶ
千載の末今も尚
名はかんばしき諸葛亮
――
了
――
★昔、わたしの知人に、これを全部暗記しているという人がいました。
びっくり。
今でもまだ、ソラでいえるかしら。
.
これは メッセージ 191 (ajisai110701 さん)への返信です.
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Re: 星落秋風五丈原 土井晩翠
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/25 21:50 投稿番号: [191 / 735]
成否をたれかあげつらふ
一死盡くしゝ身の誠
仰げば銀河影冴えて
無數の星斗光濃し
照すやいなや英雄の
苦心孤忠の胸ひとつ
其壯烈に感じては
鬼神も哭かむ秋の風
鬼神も哭かむ秋の風
行て渭水の岸の上
夫の殘柳の恨訪へ
劫初このかた絶えまなき
無限のあらし吹過ぎて
野は一叢の露深く
世は北邱の墓高く
蘭は碎けぬ露のもと
桂は折れぬ霜の前
霞に包む花の色
蜂蝶睡る草の蔭
色もにほひも消去りて
有情も同じ世々の秋
群雄次第に凋落し
雄圖は鴻の去るに似て
山河幾とせ秋の色
榮華盛衰ことごとく
むなしき空に消行けば
世は一場の春の夢
撃たるゝものも撃つものも
今更こゝに見かえれば
共に夕の嶺の雲
風に亂れて散るがごと
蠻觸二邦角の上
蝸牛の譬おもほへば
世ゝの姿はこれなりき
金棺灰を葬りて
魚水の契り君王も
今泉臺の夜の客
中原北を眺むれば
銅雀臺の春の月
今は雲間のよその影
大江の南建業の
花の盛もいつまでか
五虎の將軍今いづこ
神機きほひし江南の
かれも英才いまいづこ
北の渭水の岸守る
仲達かれもいつまでか
聞けば魏軍の夜半の陣
一曲遠し悲茄の聲
つづく
これは メッセージ 190 (ajisai110701 さん)への返信です.
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Re: 星落秋風五丈原 土井晩翠
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/25 21:34 投稿番号: [190 / 735]
魏軍の營も音絶て
夜は靜かなり五丈原
たゝずと思ふ今のまも
丹心國を忘られず
病を扶け身を起し
臥帳掲げて立ちいづる
夜半の大空雲もなし
刀斗聲無く露落ちて
旌旗は寒し風清し
三軍ひとしく聲呑みて
つゝしみ迎ふ大軍師
羽扇綸巾膚寒み
おもわやつれし病める身を
知るや情の小夜あらし
諸壘あまねく經廻りて
輪車靜かにきしり行く
星斗は開く天の陣
山河はつらぬ地の營所
つるぎは光り影冴えて
結ぶに似たり夜半の霜
嗚呼陣頭にあらわれて
敵とまた見ん時やいつ
祁山の嶺に長驅して
心は勇む風の前
王師たゞちに北をさし
馬に河洛に飲まさむと
願ひしそれもあだなりや
胸裏百萬兵はあり
帳下三千將足るも
彼れはた時をいかにせん
星落秋風五丈原
成敗遂に天の命
事あらかじめ圖られず
舊都再び駕を迎へ
麟臺永く名を傳ふ
春玉樓の花の色
いさをし成りて南陽に
琴書をまたも友とせむ
望みは遂に空しきか
君恩酬ふ身の一死
今更我を惜しまねど
行末いかに漢の運
過ぎしを忍び後計る
無限の思い無限の情
南成都の空いづこ
玉壘今は秋更けて
錦江の水痩せぬべく
鐵馬あらしに嘶きて
劔關の雲睡るべく
明主の知遇身に受けて
三顧の恩にゆくりなく
立ちも出でけむ舊草廬
嗚呼鳳遂に衰へて
今に楚狂の歌もあれ
人生意氣に感じては
成否をたれかあげつらふ
つづく
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Re: 星落秋風五丈原 土井晩翠
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/25 21:31 投稿番号: [189 / 735]
その三峽の道遠き
永安宮の夜の雨
泣いて聞きけむ龍榻に
君がいまわのみことのり
忍べば遠きいにしえの
三顧の知遇またこゝに
重ねて篤き君の恩
諸王に父と拜されし
思よいかに其宵の
邊塞遠く雲分けて
瘴烟蠻雨ものすごき
不毛の郷に攻め入れば
暗し瀘水の夜半の月
妙算世にも比なき
智仁を兼ぬるほこさきに
南蠻いくたび驚きて
君を崇めし「神なり」と
南方すでに定まりて
兵は精しく糧は足る
君王の志うけつぎて
姦を攘はん時は今
江漢常武いにしへの
ためしを今にこゝに見る
建興五年あけの空
日は暖かに大旗の
龍蛇も動く春の雲
馬は嘶き人勇む
三軍の師隨へて
中原北にうち上る
六たび祁山の嶺の上
風雲動き旗かへり
天地もどよむ漢の軍
偏師節度を誤れる
街亭の敗何かある
鯨鯢吼えて波怒り
あらし狂うて草伏せば
王師十萬秋高く
武都陰平を平げて
立てり渭南の岸の上
拒ぐはたそや敵の軍
かれ中原の一奇才
韜略深く密ながら
君に向はんすべぞなき
納めも受けむ贈られし
素衣巾幗のあなどりも
陣を堅うし手を束ね
魏軍守りて打ち出でず
鴻業果し收むべき
その時天は貸さずして
出師なかばに君病みぬ
三顧の遠いむかしより
夢寐に忘れぬ君の恩
答て盡すまごゝろを
示すか吐ける紅血は
建興の十三秋なかば
丞相病篤かりき
つづく
これは メッセージ 188 (ajisai110701 さん)への返信です.
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Re: 星落秋風五丈原 土井晩翠
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/25 21:29 投稿番号: [188 / 735]
成算胸に藏りて
乾坤こゝに一局棊
たゞ掌上に指すがごと
三分の計はや成れば
見よ九天の雲は垂れ
四海の水は皆立ちて
蛟龍飛びて淵の外
英才雲と群がれる
世も千仭の鳳高く
翔くる雲井の伴やたそ
東新野の夏の草
南瀘水の秋の波
戎馬關山いくとせか
風塵暗きただなかに
たてしいさをの數いかに
江陵去りて行先は
武昌夏口の秋の陣
一葉輕く棹さして
三寸の舌呉に説けば
見よ大江の風狂ひ
焔亂れて姦雄の
雄圖碎けぬ波あらく
劔閣天にそび入りて
あらしは叫び雲は散り
金鼓震ひて十萬の
雄師は圍む成都城
漢中尋で陷りて
三分の基はや固し
定軍山の霧は晴れ
汚陽の渡り月は澄み
赤符再び世に出でゝ
興るべりかりし漢の運
天か股肱の命盡きて
襄陽遂に守りなく
玉泉山の夕まぐれ
恨みは長し雲の色
中原北に眺むれば
冕旒塵に汚されて
炎精あはれ色も無し
さらば漢家の一宗派
わが君王をいただきて
踏ませまつらむ九五の位
天の暦數こゝにつぐ
時建安の二十六
景星照りて錦江の
流に泛ぶ花の影
花とこしへの春ならじ
夏の火峯の雲落ちて
御林の陣を焚く掃ふ
四十餘營のあといづこ
雲雨荒臺夢ならず
巫山のかたへ秋寒く
名も白帝の城のうち
龍駕駐るいつまでか
つづく
これは メッセージ 187 (ajisai110701 さん)への返信です.
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Re: 星落秋風五丈原 土井晩翠
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/25 21:27 投稿番号: [187 / 735]
末は黄河の水濁る
三代の源遠くして
伊周の跡は今いづこ
道は衰へ文弊れ
管仲去りて九百年
樂毅滅びて四百年
誰か王者の治を思ふ
嗚呼南陽の舊草廬
二十餘年のいにしえの
夢はたいかに安かりし
光を包み香をかくし
隴畝に民と交われば
王佐の才に富める身も
たゞ一曲の梁父吟
閑雲野鶴雲濶く
風に嘯く身はひとり
月を湖上に碎きては
ゆくへ波間の舟ひと葉
ゆふべ暮鐘に誘はれて
訪ふは山寺の松の影
江山さむるあけぼのゝ
雪に驢を驅る道の上
寒梅痩せて春早み
幽林風を穿つとき
伴は野鳥の暮の歌
紫雲たなびく洞の中
誰そや棊局の友の身は
其隆中の別天地
空のあなたを眺むれば
大盜競ほひはびこりて
あらびて榮華さながらに
風の枯葉掃ふごと
治亂興亡おもほへば
世は一局の棊なりけり
其世を治め世を救ふ
經綸胸に溢るれど
榮利を俗に求めねば
岡も臥龍の名を負ひつ
亂れし世にも花は咲き
花また散りて春秋の
遷りはこゝに二十七
高眠遂に永からず
信義四海に溢れたる
君が三たびの訪づれを
背きはてめや知己の恩
羽扇綸巾風輕き
姿は替へで立ちいづる
草廬あしたのぬしやたれ
古琴の友よさらばいざ
曉さむる西窓の
殘月の影よさらばいざ
白鶴歸れ嶺の松
蒼猿眠れ谷の橋
岡も替へよや臥龍の名
草廬あしたはぬしもなし
つづく
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星落秋風五丈原 土井晩翠
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/25 21:24 投稿番号: [186 / 735]
★横一行に三句ずつ配したいとおもったのですが、
二句め三句目のアタマをそろえるのが至難の業ですので諦めました。
ガタガタして読みにくいので一句ずつ縦にならべます。
星落秋風五丈原
土井晩翠(つちいばんすい)
草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く
鼓角の音も今しづか
丞相病あつかりき
清渭の流れ水やせて
むせぶ非情の秋の聲
夜は關山の風泣いて
暗に迷ふかかりがねは
令風霜の威もすごく
守る諸營の垣の外
丞相病あつかりき
帳中眠かすかにて
短檠光薄ければ
こゝにも見ゆる秋の色
銀甲堅くよろへども
見よや待衞の面かげに
無限の愁溢るゝを
丞相病
あつかりき
風塵遠し三尺の
劍は光曇らねど
秋に傷めば松柏の
色もおのづとうつろふを
漢騎十萬今さらに
見るや故郷の夢いかに
丞相病
あつかりき
夢寐に忘れぬ君王の
いまわの御こと畏みて
心を焦がし身をつくす
暴露のつとめ幾とせか
今落葉の雨の音
大樹ひとたび倒れなば
漢室の運はたいかに
丞相病
あつかりき
四海の波瀾收まらで
民は苦み天は泣き
いつかは見なん太平の
心のどけき春の夢
群雄立ちてことごとく
中原鹿を爭ふも
たれか王者の師を學ぶ
丞相病
あつかりき
つづく
これは メッセージ 182 (ajisai110701 さん)への返信です.
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梁甫吟 無名氏
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/25 20:17 投稿番号: [185 / 735]
登楼
杜甫
>日暮聊為梁甫吟
日暮
聊(いささか)か為す
梁甫の吟<
>この夕暮れ、わたしは孔明きどりになって、
孔明の愛誦した梁父吟を口ずさんでみる<
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
梁甫吟
無名氏
歩出斉城門
歩して斉の城門を出で
遥望蕩陰里
遥に望む
蕩陰(とういん)の里
里中有三墳
里中に三墳有り
塁塁正相似
塁塁として正に相い似たり
問是誰家墓
問う是れ誰が家の墓ぞ
田疆古冶子
田疆古冶子(でんきょうこやし)
力能排南山
力能く南山を排し
文能絶地紀
文能く地紀を絶つ
一朝被讒言
一朝 讒言を被り
二桃殺三士
二桃 三士を殺す
誰能為此謀
誰か能く此の謀(はかりごと)を為せる
国相斉晏子
国相斉の晏子なり
二桃三士
奇策によって人を自滅させること。
春秋時代、斉(せい)の景公の宰相・晏子(あんし)が用いた奇策で、
三人の粗暴な勇士(公孫接・田開疆(かいきょう)・古冶子(やし))に
二つの桃を贈って、最も功績のあった者が食べるようにしむけて三人に
争わせたところ、ついには三人とも自殺してしまったという故事に基づく。
己れの勲功を述べ立てて、いち早く桃を取った公孫接と田開疆は、
古冶子の反論にあって恥じ入って自害した。
残った古冶子は一人生きるのは不義であるとして果てた。
『晏子春秋・諫下』に見える。
★諸葛孔明はこの詩を好んで口ずさんでいたそうです。
★墳墓の主として、詩のなかに公孫接の名がないのが、少し気になります。
.
これは メッセージ 184 (ajisai110701 さん)への返信です.
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登楼 杜甫
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/24 22:22 投稿番号: [184 / 735]
登楼
杜甫(盛唐・712〜770)
花近高楼傷客心
花は高楼に近くして客心(かくしん)を傷ましむ
万方多難此登臨
万方(まんぽう)多難なるとき此(ここ)に登臨す
錦江春色来天地
錦江の春色は天地に来り
玉塁浮雲変古今
玉塁(成都の西北にある山)の浮雲は古今に変ず
北極朝廷終不改
北極の朝廷
終に改まらず
西山寇盗莫相侵
西山の寇盗(こうとう)
相い侵すことなかれ
可憐後主還祠廟
憐れむべし後主もまた廟に祠(まつ)らる
日暮聊為梁甫吟
日暮
聊(いささか)か為す
梁甫の吟
花は高楼のすぐそばに咲き乱れているが、
その美しさはかえってわが旅心を傷ませる
国はいたるところ多難の折り、わたしは高楼に上り世の中を眺めている
錦江の春景色は大空にも大地にも押し寄せているというのに
玉塁山にかかる白雲は古今にわたって形を変えながら、
長い我が国の歴史を見てきた
わが朝廷は北極星にも似て中心にあって、けっきょくは不動のものゆえ
西山にあだなす盗賊どもよ、わが国土を侵そうとしてはならぬぞ
その昔、劉備のあとを継いだ劉禅は国を亡ぼした
それでも廟に祀られているのは、孔明の補佐があったればこそであろう
そのことを思えば、わたしは感慨に堪えない
この夕暮れ、わたしは孔明きどりになって、
孔明の愛誦した梁父吟を口ずさんでみる
(いつの日にか、わたしは諸葛孔明となってこの大唐王国をささえたいものだ)
★杜甫の成都での住居は完花溪にあった。錦江は成都の中心を流れる川。
長江の上流の一部。蜀は錦の産地。川で錦をさらしたので錦江という。
★諸葛孔明(181〜234)の草庵跡の古隆中・・・湖北省襄樊
★文化の型として、
「高楼に登る」詩なら、望郷の想いをうたう。
「江」についてなら、人生の感慨をうたう。
★成都にて戦乱の世を愁い、
諸葛孔明のような人物の出現を期して詠んだ詩。
社会へ貢献したい思い。そして自分の貧困への思い。
★客・・・故郷を離れている人。旅人。
★西山寇盗・・・成都の外、西の異民族、チベット。
寇・・・かたき
★可憐・・・感情を強めるときにいう。
★先帝・・・劉備
後帝・後主・・・劉禅(蜀は二代で滅んだ)
★訓読・解釈は、あじさいです。
.
これは メッセージ 183 (ajisai110701 さん)への返信です.
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八陣圖 杜甫
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/24 22:04 投稿番号: [183 / 735]
八陣圖
杜甫(盛唐・712〜770)
功蓋三分國
功は蓋ふ
三分の國
名成八陣圖
名は成す
八陣の圖
江流石不轉
江流
石轉せず
遺恨失呑呉
遺恨なり
呉を呑むを失す
諸葛孔明の大きな功績は、三国時代の中国全土をおおいつくすほどである
諸葛孔明の名声は、八陣の図を作ったことにより鳴り響いている
不思議なことに、春の雪融けに長江の水かさが増し、
その流れがどんなに急であっても、諸葛孔明が八陣を研究するにあたって
積み上げたあの置石だけは流されていない
★これは、地元の伝説です。
ただ、残念なことには、諸葛孔明の奮戦にもかかわらず、
三国のうちで最初に滅んだのが蜀であり、
ついに呉の国を併呑することができなかったことだ
★杜甫は、
「我々も残念だが、諸葛孔明はさぞなおさら遺憾であったことだろう」
といっています。
★八陣・・・この詩の場合、諸葛孔明が、揚子江のほとりで
石を積み並べて研究し、作った迷路のような陣形をいう。
生門から入ると勝てる。死門から入ると必ず負ける、
生門と死門を見分けなければならない、・・・とか。
これはたぶん講釈師の創作だといわれています。
★杜甫は諸葛孔明を敬愛していました。
キ州に流寓した55歳のとき、近くに八陣の遺跡がありました。
その遺跡は、杜甫が詩にうたっているから、唐代にはもうある、
おそらくはインチキ史跡です。
★諸葛孔明の功績は、この八陣の石のように、流し去ろうとしても
消えることなく、いついつまでも残る、と詠んでいます。
★結句の解釈は諸説あります。
上記解釈のほかに、
劉備が諸葛亮の反対にもかかわらず、呉を討ったのを恨む
劉備の東征を諌止できなかったことを、みずから恨む
八陣図の陣法を用いることができず、呉を討ったが敗れたのを恨む
など。
★『唐詩三百首』より、解釈はあじさいです。
======================================
=
★訂正
直前の「詠懐古跡
其五」の
>運命は転移して漢の正当の皇位はついに再興できず<
の「正当」は、「正統」です。
.
これは メッセージ 182 (ajisai110701 さん)への返信です.
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詠懐古跡 其五 杜甫
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/24 21:43 投稿番号: [182 / 735]
詠懐古跡
其五
杜甫(盛唐・712〜770)
諸葛大名垂宇宙
諸葛の大名
宇宙に垂る
宗臣遺像肅清高
宗臣の遺像
肅として清高
三分割拠紆籌策
三分割拠
籌策を紆らし
万古雲霄一羽毛
万古の雲霄
一羽毛
伯仲之間見伊呂
伯仲の間に伊呂を見る
指揮若定失蕭曹
指揮若し定まれば蕭曹を失せん
運移漢祚終難復
運 移りて漢祚は終に復し難く
志決身殲軍務労
志は決するも身は殲く軍務の労に
諸葛孔明の名声は天地に知れ渡り
人々が仰ぎ尊ぶ孔明の像は、厳粛で清らかな気品をたたえている
孔明は、劉備のために天下三分のはかりごとをめぐらし
永久に大空を飛ぶ霊鳥のような才能を示した
孔明と優劣を定めがたい人物は
伊尹と呂尚(共に古代の名宰相)がいるだけで
孔明の指揮がきちんと行われていれば、
蕭何も曹参(共に漢代の賢臣)も必要ないであろう
運命は転移して漢の正当の皇位はついに再興できず
魏を伐つ決意はしたものの、軍務の労苦で帰らぬ人となってしまった
.
これは メッセージ 181 (ajisai110701 さん)への返信です.
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蜀相 杜甫
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/24 21:38 投稿番号: [181 / 735]
Re: 正氣歌
文天祥 2011/ 7/20 21:17 [ No.139
>或爲出師表
或は
出師の表と爲り<
Re: 正氣歌
文天祥 2011/ 7/20 21:33 [ No.140
>あるいは、蜀の諸葛亮孔明が後主劉禅に奉った、忠誠心溢れた
『出師の表』となりその出師の表に吐露された諸葛亮の忠誠心は、
鬼神も泣くほど壮烈であったという<
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
蜀相
杜甫(盛唐・712〜770)
丞相祠堂何処尋
丞相の祠堂
何れの処にか尋ねん
錦官城外柏森森
錦官城外
柏(はく)森森(しんしん)
映階碧草自春色
階(かい)に映ずるの碧草
自(おの)ずから春色
隔葉黄●空好音
葉を隔てるの黄<麗鳥>
空しく好音
三顧頻繁天下計
三顧
頻繁なり
天下の計
両朝開済老臣心
両朝
開済(かいさい)す老臣の心
出師未捷身先死
出師未だ捷(か)たざるに身まず死し
長使英雄涙満襟
長(とこしへ)に英雄をして涙
襟に満たしむ
●「麗」+「鳥」
リ
チョウセンウグイス
コウライウグイスのこと
蜀の丞相であった孔明の祠はどこに尋ねたらよいのだろうか
成都錦官城外、柏の木々がこんもりと茂るところがそれである
祠の階(きざはし)に映えるみどりの草は春の深まるにまかせて美しく萌え
葉陰のうぐいすは聞く人もないままに美しい声で鳴いている
その昔、劉備は、三顧の礼をつくして孔明を訪ね天下の計略を問うた
(孔明の出馬を促した)
孔明の臣の心はそれに応え劉備親子二代の主君に誠心誠意仕えた
しかし魏の討伐に赴き勝てないままに、志半ばにして彼の命は尽きてしまった
そのひたむきな真心は後世の英雄達をして、
涙で襟を濡らさせないではおかない
★武侯祠は、四川省成都に、武侯墓は、陝西省勉県にあります。
★諸葛孔明(181〜234)
.
これは メッセージ 139 (ajisai110701 さん)への返信です.
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別老母 黄景仁
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/24 21:27 投稿番号: [180 / 735]
與蘇武詩三首
李陵
の三首目に、
>攜手上河梁
手を攜(たずさ)へて河梁(カリャウ)に上る<
とあります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
別老母
黄景仁(清・1749〜1783)
搴帳拝母河梁去
帳を搴げ母を拝して河梁に去る
白髪愁看涙眼枯
白髪愁へて看る
涙眼枯る
惨惨柴門風雪夜
惨惨たる柴門
風雪の夜
此時有子不如無
此の時
子有るは無きに如かず
帳を搴(あ)げ部屋に入り、母に別れの挨拶をして出て行く
白髪頭の老母の悲しげな眼、もはや涙も枯れ果てている
荒れ破れた柴の戸を叩く吹雪の夜
この別れのときのぬ母の辛さは、いっそ倅などないほうがよかったとの思いであろう
★作者は、宋の大詩人黄庭堅の子孫。天才詩人の名が高かった。
科挙に合格せず各地を転々、貧窮と病苦のうちに没した。
★「老母に別る」は、23歳の正月、衣食を求めて郷里を出る際の作。
★河梁・・・一般に送別の地を指していう。
漢の李陵が匈奴の地で蘇武に与えたという送別の詩に
「手を携えて河梁に上る」とあるのに因る。
★柴門・・・非常に粗末な門。
★奥平卓『漢詩名句集』PHP研究所
2773
これは メッセージ 178 (ajisai110701 さん)への返信です.
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別歌 李陵
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/24 21:10 投稿番号: [179 / 735]
別歌
李陵(前?〜前74)
徑萬里兮度沙漠
萬里を徑(わた)りて
沙漠を度(わた)り
爲君將兮奮匈奴
君が將となりて
匈奴に奮ふ
路窮絶兮矢刃摧
路(みち)窮まり絶えて矢刃(シジン)摧(くだ)け
士衆滅兮名已●
士衆(シシュウ)滅びて
名已に●(お)つ
老母已死
老母已に死せり
雖欲報恩將安歸
恩を報いんと欲すと雖も
將(は)た安(いづく)にか歸せん
●・・・コザトヘン
+
「貴」
タイ
くずれる。おちる。
万里の長途をわたり、沙漠を越えて
漢帝の將となって匈奴の地に奮戦したが
戦い利あらず、
路は通ぜず、矢も刃もくだけ
部下の士卒は全滅し、わが名はもはや地におちてしまった
国に残した老母も罪せられてすでにこの世の人ではない
わが身の恥をすすいで親の恩に報いようとしても、
いったいいずこに身をよせようぞ
★内田泉之助『古詩源』上, 集英社, 漢詩大系4
★
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E9%99%B52837
これは メッセージ 178 (ajisai110701 さん)への返信です.
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與蘇武詩三首 李陵
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/24 21:04 投稿番号: [178 / 735]
與蘇武詩三首
李陵(前?〜前74)
蘇武に與へる詩三首
良時不再至
良時
再びは至らず
離別在須臾
離別
須臾に在り
屏營衢路側
衢路(クロ)の側に屏営し
執手野①②
手を執りて野に<足知><足厨>(チチュウ)す
仰視浮雲馳
仰いで浮雲の馳するを視るに
奄忽互相踰
奄忽(エンコツ)として互に相踰(こ)ゆ
風波一失所
風波に一たび所を失へば
各在天一隅
各々
天の一隅に在り
長當從此別
長く當(まさ)に此れ從(よ)り別るべし
且復立斯須
且(しばら)く復(ま)た立ちて斯須(シシュ)す
欲因晨風發
晨風の發するに因って
送子以賤躯
子を送るに賤躯を以てせんと欲す
①②・・・<足知><足厨>
チチュウ
今別れたら再会の楽しいときは二度とこないのに
離別のときはたちまち迫ってくる
分かれ路に立ってはためらい
手をとりあっては野道に立ちどまる
仰ぎ見る空には、浮き雲が飛びかい
先になり後になりしてたちまち遠ざかってゆく
風に吹かれて一たびその場所をうしなえば
連れそう雲もおのおの天の一方に隔てられてしまう
われらもまたこれと同じく、長くここから別れ去らねばならぬ
名残りを惜しみ、またもやそこに立ちどまる
ああ、せめてあの朝風の吹きくるに、この身を乗せて
君を送ってどこまでもおともしたい
嘉會難再遇
嘉會
再び遇ひ難く
三戴爲千秋
三戴も千秋と爲らん
臨河濯長纓
河に臨みて長纓(チョウエイ)を濯(あら)ひ
念子悵悠悠
子を念(おも)うて悵として悠悠たり
遠望悲風至
遠く望めば悲風至り
對酒不能酬
酒に對して酬(むく)ゆる能はず
行人懐往路
行人
往路を懐(おも)ふ
何以慰我愁
何を以てか我が愁を慰めん
獨有盈觴酒
獨り觴(さかずき)に盈(み)つるの酒有るのみ
與子結惆繆
子と惆繆(チウビウ)を結ばん
楽しい会合は二度とは得がたいのだから
別れたら三年でも千年のように長く感じるであろう
いま君を送って河にのぞみ、涙にぬれた冠の纓(ひも)を洗って
いさぎよく別れようとするが、君を思う心の悲しみは流れる水のようにはてしない
立って遠く眺めると秋風がもの悲しくおとずれる
送別の酒宴にのぞんでも、君に酒をすすめる元気も出ない
旅立つ君も行く手のことが気にかかり
わたしの愁いを慰めるいとまはあるまい
ただここに杯を満たした酒がある
せめてこれを飲んでつきぬ交情を結びかわそう
攜手上河梁
手を攜(たずさ)へて河梁(カリャウ)に上る
遊子暮何之
遊子
暮れに何(いづ)くにか之(ゆ)く
徘徊蹊路側
蹊路の側(かたはら)に徘徊して
●●不能辭
●●(リャウリャウ)として辭する能はず
行人難久留
行人
久しく留まり難し
各言長相思
各々言ふ
長く相思ふと
安知非日月
安(いづく)んぞ日月(ジツゲツ)に非(あら)ざるを知らんや
弦望自有時
弦望
自(おのづか)ら時有り
努力崇明紱
努力して明紱を崇(たか)くせよ
皓首以爲期
皓首(コウシュ)以て期と爲さん
●・・・リッシンベン
+
「良」
リョウ
君と手を携えて橋の上に立った
旅姿の君よ、この日暮れどこへ行こうとするのか
あいともに小道のほとりを行きつ戻りつ
名残惜しさに、いとまをつげることばも出ない
さりとて旅立つ君ゆえ、長くとどまることもかなわぬ
お互いにいつまでも忘れまいぞといいかわすのみ
人生の離合は日月の循環と同じではなかろうか
月は満ちたりかけたりし、ときには日と月とがあい望むこともあるように、
われらもまたあい会うときがないとは限らぬ
どうか明紱を高めていただきたい
白髪になっても必ず再会することを約しましょう
★内田泉之助『古詩源』上, 集英社, 漢詩大系4
2836
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詩四首(四) 蘇武
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/23 23:49 投稿番号: [177 / 735]
詩四首(四)
蘇武(漢・前142〜前60)
旅立つ人が友に贈る詩
燭燭晨明月
燭燭(しょくしょく)たり晨(あした)の明月
馥郁秋蘭芳
馥郁として秋蘭芳し
★
芬馨良夜發
芬馨
良夜に發し
随風聞我堂
風に随って
我が堂に聞ゆ
征夫懐遠路
征夫
遠路を懐ひ
遊子戀故郷
遊子
故郷を戀ふ
寒冬十二月
寒冬十二月
★
晨起踐嚴霜
晨(あした)に起きて嚴霜を踐(ふ)む
俯觀江漢流
俯して江漢の流るるを觀(み)
仰視浮雲翔
仰いで浮雲の翔るを視る
良友遠別離
良友
遠く離別し
各在天一方
各々
天の一方に在り
山海隔中州
山海
中洲を隔て
相去悠且長
相去ること悠にして且つ長し
嘉會難再遇
嘉會
再び遇ひ難く
歡樂殊未央
歡樂
殊に未だ央(つ)きず
願君崇令紱
願はくは君
令紱を崇(たか)くし
随時愛景光
時に随ひて
景光を愛せよ
照り輝くありあけの月
かぐわしく秋の蘭は香る
その芳香は君と会するこの良夜に発して
風のまにまにわが室へとただよってくる
月光も蘭香も人の感をそそって別離の情を深からしめる
旅立つ人は行く手の長い道中を思いわずらい
異郷にとどまる遊子は故郷を恋いしたう
ときは寒冬の十二月
朝まだきに起き、ひどい霜をふんで出て見る
俯しては地に江漢の水の流れゆくを観(み)
仰いでは空に浮雲の飛び去るを眺めるにつけ
良友と遠く離れ、別れ別れて
おのおの天の一方に住む身となるのも、またこの江水浮雲に異ならぬかと思われる
海山を遠く隔て
友と別れてゆく旅路は果てしもなく遠い
思えば、また会うよき日は期しがたかろう
歓楽はいつまでもつきない、しかし出発は迫っている
どうか君よ、美徳を積んで
つねづね光陰を惜しんで自愛せられよ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
きらきらと
あかつきの月
ふくいくと
秋の蘭の香り
かぐわしさは
晴れた夜に舞い立ち
風のまにまに
わが座敷にかおる
旅立つものは
前途をおもい
さすらい人は
故郷をしたう
寒い冬の
十二月
朝はやく起き
厳しい霜をふまん
大川の
流れを見おろし
浮き雲の走るを仰ぎ見
よき友も
はるかに別れて
それぞれに
天の片すみに
山と水は
都をへだてて
遠くはるかに
別れゆく
楽しい語らいも
二度とあるまい
この楽しみは
今しばし続こうが
君に祈る
人徳を高めて
いついつまでも
自愛せんことを
★「秋蘭」と「寒冬十二月」。季節の表現に矛盾がある。★印の箇所。
偽作説の根拠の一つ。
★解釈、上段は、内田泉之助『古詩源』上, 集英社, 漢詩大系4
★解釈、下段は、伊藤正文・一海知義編訳『漢・魏・六朝詩集』
平凡社, 中国古典文学大系
4186
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Re: 詩四首(三) 蘇武
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/23 23:45 投稿番号: [176 / 735]
黄鵠(おおとり)も
遠く飛び去れば
千里の彼方で
あとふりかえる
胡(えびす)の馬も
群れを見失えば
仲間をいつも
思いつづける
まして二人は
番いの鳥
別れ別れに
羽ばたかねばならぬ
幸いに
琴歌の調べあり
胸のうちを
これに託そう
「さすらい人の歌」を請えば
歌声澄んで
ひとえに悲し
琴と笛の
高い音きびしく
心高ぶり
哀しさあふれる
尾をひく歌声
ひとえに高まり
心いたみ
胸もつぶれる
澄んだ音の
商の曲をと思うたが
帰れぬ身の
君の心をおもい
天を仰ぎ
うなだれて
心は痛み
涙あふれて
ぬぐいもならず
願わくは
翼つらねる黄鵠(おおとり)となり
どこまでも
君を送って飛んでゆきたい
★伊藤正文・一海知義編訳『漢・魏・六朝詩集』平凡社, 中国古典文学大系16
4176
.
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詩四首(三) 蘇武
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/23 23:44 投稿番号: [175 / 735]
詩四首(三)
蘇武(漢・前142〜前60)
異郷にあって、友に別れ、ひとり帰るにあたってその情を叙べたもの
黄鵠一遠別
黄鵠
一たび遠く別れ
千里顧徘徊
千里にして
顧みて徘徊す
胡馬失其羣
胡馬
其の羣を失ひ
思心常依依
思心
常に依依たり
何況雙飛龍
何ぞ況んや
雙飛の龍
羽翼臨當乖
羽翼
當に乖(そむ)くべきに臨むをや
幸有絃歌曲
幸に絃歌の曲有り
可以喩中懐
以て中懐を喩ふ可し
請爲遊子吟
請うて遊子の吟を爲せば
●●一何悲
●●(れいれい)として一に何ぞ悲しき
絲竹窅芿聲
絲竹は芿聲を窅(はげ)しくし
慷慨有餘哀
慷慨して餘哀あり
長歌正激烈
長歌
正に激烈
中心愴以摧
中心
愴(そう)として以て摧(くだ)く
欲展清商曲
清商の曲を展(の)べんと欲して
念子不能歸
子の歸る能はざるを念ふ
俛仰内傷心
俛仰(ふぎょう)して内に心(しん)を傷(いた)ましめ
涙下不可揮
涙
下りて揮ふ可からず
願爲雙黄鵠
願はくば雙黄鵠と爲りて
送子倶遠飛
子を送って倶に遠く飛ばんことを
●・・・さんずい
+
「令」
レイ
空飛ぶ黄鵠も一たび遠く別れ去れば
千里の彼方からでも、後ふりかえり名残り惜しんで徘徊し
えびすの馬がそのなかまを離れると
ともを思うて、いつも心に恋いしたうという
まして君とわれとは、連れそうて飛ぶ龍の如き身であるのに
今や互いに翼を分かたねばならぬこととなっては、いっそうたえがたい
幸いにも、わが心中の悲しみをなぞろうべき絃歌の曲があるから
遊子故郷を思うの曲を歌わしてもらうと
すみきった声の何と悲しいことよ
糸竹の調べは、すんだ音色をはげしく高め
それが心のなげきをそそって悲しみはつきない
長い歌曲がすさまじくひびけば
心は痛んでくだけるばかり
この清調悲痛の曲をつづいて奏し、わが情をつくしたくは思ったが
ともに帰ることのできぬ黄身の身を思うと、このうえ歌う気にはなれない
むなしく天を仰ぎ、地に俯して心は痛み
はふりおちる涙を拭うすべすらない
できることなら二羽の黄鵠となり
君に連れそうてどこまでも飛んでゆきたいものを
★内田泉之助『古詩源』上, 集英社, 漢詩大系4
つづく
4175
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詩四首(二) 蘇武
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/23 23:27 投稿番号: [174 / 735]
詩四首(二)
蘇武(漢・前142〜前60)
妻に別れを述べる
結髪爲夫妻
結髪
夫妻と爲り
恩愛兩不疑
恩愛
兩(ふた)つながら疑はず
歡娯在今夕
歡娯
今夕に在り
燕婉及良時
燕婉
良時に及ばん
征夫懐遠路
征夫
遠路を懐ひ
起視夜何其
起って夜の何其(いかん)を視る
參辰皆已没
參辰
皆
已に没しぬ
去去從此辭
去去
此れより辭せん
行役在戦場
行役
戦場に在り
相見未有期
相見る
未だ期有らず
握手一長歎
手を握りて一たび長歎すれば
涙爲生別滋
涙は生別の爲に滋(しげ)し
努力愛春華
努力して春華を愛し
莫忘歡楽時
歡楽の時を忘るる莫れ
生當復來歸
生きては當に復た來り歸るべし
死當長相思
死しては當に長く相思ふべし
としごろとなり、そなたと夫婦となってから
互いに愛され、疑う心もなく、今日までくらしてきたが
喜び悲しみも今宵限りとなった
せめてまたなきこの一夜をあだにせず、むつみおうて過ごそう
旅立つわれ、行く先遠い路のりを思い
起ちあがって、夜のようすを見れば
星影はいつか消えて、はや暁(よあけ)に間近い
いざさらば、これより出かけるとしよう
我が身はお役で戦場に赴くことゆえ
また会う日はいつのことやら
かくて去りぎわに妻の手を握り、長く嘆息をもらせば
生き別れのために、涙はしきりに流れる
またいう、気をつけてその若い身そらをいつくしみ
楽しかったこの年月のことを忘れるなよ
命がありさえしたら、きっと再び帰ってくるぞ
もしもあの世に行ったなら、必ずいつまでも思いあおうぞ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
元服して
夫婦(めおと)となってより
互いの愛を疑わなかった
楽しみつくすも今宵かぎり
時をのがさず
睦みあおう
旅立つものは
前途をおもい
起ちあがり
更けゆく夜を伺う
星たちも
もうみな沈んだ
いよいよ今が
別れの時
使いして
戦場へ行けば
再会は
あてにはできぬ
手を握り
深いためいき
生身裂く別れに
涙はしとど
気をつけて
若い日を愛(いとお)しみ
睦みあった日々を
忘れまい
命があれば
帰りもしよう
命がつきても
思い思おう
4171
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詩四首(一) 蘇武
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/23 23:24 投稿番号: [173 / 735]
>在漢蘇武節
漢に在りては
蘇武の節<
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
詩四首(一)
蘇武(漢・前142〜前60)
これを蘇武の作とするには古来異説があり、後人の擬作とするのが定説に近い。
兄弟に別れを述べる
骨肉縁枝葉
骨肉
枝葉に縁(よ)り
結交亦相因
交りを結ぶも亦相因(よ)る
四海皆兄弟
四海皆兄弟
誰爲行路人
誰か行路の人と爲さん
況我連枝樹
況んや
我は連枝の樹
與子同一身
子と同じく一身なるをや
昔爲鴛與鴦
昔は鴛と鴦と爲り
今爲參與辰
今は參(しん)と辰(しん)と爲る
昔者長相近
昔者(むかし)は長く相近づきしに
●若胡與秦
●(ばく)として胡と秦との若(ごと)し
惟念當乖離
惟(ただ)念(おも)ふ
乖離するに當りて
恩情日以新
恩情
日に以て新(あらた)なるを
鹿鳴思野草
鹿鳴きて野草を思ふ
可以喩嘉賓
以て嘉賓に喩ふ可し
我有一尊酒
我に一尊の酒有り
欲以贈遠人
以て遠人に贈らんと欲す
願子留斟酌
願はくは
子
留まりて斟酌し
叙此平生親
此の平生の親を叙せよ
●・・・しんにょう
+
「貌」
バク
兄弟は同じ根から出た枝や葉と同じく
友だちもまたお互い頼りあうもの
古人も四海の内はみな兄弟だといったのであるから
誰でも路傍の人と見なすべきではない
ましてわたしと君とは枝をつらねた樹の如き
肉親の間柄なのだから、なおさらのことである
昔は鴛と鴦とのようによりそうてくらしたのに
今は東西あい隔たる參星(オリオンの三ツ星)と辰星(さそり座アンタレス)の如く遠ざかり
昔はいつも離れずに、あい親しんだのに
今は北の胡(えびす)と西の秦のように、はるか隔たる身となった
いよいよ別れるにあたっては
愛情のいやますを覚える
鹿が鳴いて野の草を求めるのを聞いて、賓客との宴会を思う詩がある
そのようにここで君を嘉賓とみなして、惜別の宴を張ろう
わたしにはここに一樽の酒がある
これをば遠く旅立つ君に贈ろう
君よ、どうぞしばらくとどまってこれを酌みかわし
平素のしたしみを心ゆくまでのべつくしてほしい
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
肉親は
枝と葉のような仲
友人もまた
互いに寄りそう
四海の人は
みな兄弟
誰も路傍の人ではない
まして二人は
枝を連ねた樹
君とは一心同体の間柄
かつては
つがいの鴛鴦だったが
今は參と辰の離れ星に
むかしはいつも
そばにいたのに
胡(えびす)と秦のごと
はるかに隔たる
別れの時に
ひたすらに思う
友情を日々に新たに
鹿は鳴きかわし
野の草を共に食む
そのように
君をお客に別れの宴を
ここにひと樽の酒がある
遠く旅立つ人に贈ろう
いましばらく
留まって酌み
来し方の
仲を語ろう
★解釈、上段は、内田泉之助『古詩源』上, 集英社, 漢詩大系4
★解釈、下段は、伊藤正文・一海知義編訳『漢・魏・六朝詩集』
平凡社, 中国古典文学大系16
>鹿鳴思野草
鹿鳴きて野草を思ふ<
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835412&tid=bbgmdb2vdbffcbeh&sid=1835412&mid=114168
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題楠公圖 南洲西郷隆盛
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/23 23:07 投稿番号: [172 / 735]
題楠公圖
南洲西郷隆盛(1827〜1877)
奇策明籌不可謨
奇策明籌
謨(はか)る可からず
正勤王事是眞儒
正に王事に勤むる
是れ眞儒
懐君一死七生語
懐う
君が一死七生の語
抱此忠魂今在無
此の忠魂を抱くもの
今在りや無しや
作戦は奇抜で戦略に明るい、そうした楠公の大きさは常人には測りがたい
しかも、ひとえに天子のために力をつくす、これこそ真の儒者といえる
楠公兄弟が死に臨んで、「七たび生まれかわっても朝廷につくそう」
と語ったことが偲ばれる
これほどの忠心をいだいている者が、今の世にいるだろうか
★作年未詳。
楠木正茂に批判的な論もあり、それに対する一種の反論とみられる。
★坂田新『志士』江戸漢詩選4, 岩波書店
4007
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櫻井駅圖贊 南洲西郷隆盛
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/23 22:49 投稿番号: [171 / 735]
櫻井駅圖贊
南洲西郷隆盛(1827〜1877)
櫻井駅の圖の贊
慇懃遺訓涙盈顔
慇懃たる遺訓
涙
顔に盈つ
千載芳名在此間
千載の芳名
此の間に在り
花謝花開櫻井駅
花は謝(ち)り花は開く
櫻井の駅
幽香猶逗舊南山
幽香
猶お逗(とど)む
舊南山
楠木正茂は、一子正行に我が死後のことを諄々と教えさとしたが、
その時、顔には涙があふれていた
楠公父子の忠節は、この地に永遠に伝わるものとなった
毎年毎年、桜井の駅に、桜が咲き、桜が散ってゆく
そのほのかな香りは、かつて父子が忠義をつくした吉野山に
今もなお移りただよっているのだ
★作年未詳。
勤皇家として知られた画家菊池容斎の「桜井気楠公父子決別圖」に
書きつけた詩。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E5%AE%B9%E6%96%8E★坂田新『志士』江戸漢詩選4, 岩波書店
★太平記巻第十六○正成下向兵庫事
S1610
http://www.j-texts.com/taihei/tk16.html正成是(これ)を最期の合戦と思(おもひ)ければ、嫡子(ちやくし)
正行(まさつら)が今年十一歳にて供(とも)したりけるを、思ふ様(やう)
有(あり)とて桜井の宿(しゆく)より河内へ返し遣(つかは)すとて、
庭訓(ていきん)を残しけるは、「獅子(しし)子を産(うん)で三日を
経(ふ)る時、数千丈(すせんぢやう)の石壁より是(これ)を擲(なぐ)。
其(その)子、獅子の機分(きぶん)あれば、教へざるに中(ちゆう)より
跳(はね)返りて、死する事を得ずといへり。
況(いはん)や汝(なんぢ)已(すで)に十歳に余(あま)りぬ。
一言(いちごん)耳に留らば、我教誡(わがけうかい)に違ふ事なかれ。
今度の合戦天下の安否(あんぴ)と思ふ間、今生(こんじやう)にて
汝(なんぢ)が顔を見ん事是(これ)を限りと思ふ也(なり)。
正成已に討死すと聞なば、天下は必ず将軍の代に成(なり)ぬと心得べし。
然りと云共(いへども)、一旦(いつたん)の身命を助らん為に、多年の忠
烈を失(うしなひ)て、降人に出(いづ)る事有(ある)べからず。
一族若党(わかたう)の一人も死残(しにのこり)てあらん程は、
金剛山(せん)の辺(へん)に引篭(こもつ)て、敵寄来(よせきた)らば
命を養由(やういう)が矢さきに懸て、義を紀信(きしん)が忠に比すべし。
是(これ)を汝が第一(だいいち)の孝行ならんずる。」と、
泣々(なくなく)申(まうし)含めて各東西へ別(わかれ)にけり。
.
これは メッセージ 167 (ajisai110701 さん)への返信です.
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獄中作(三首) 橋本佐内
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/23 22:20 投稿番号: [170 / 735]
獄中作(三首)
橋本佐内(1834〜1859)
(一)
苦冤難洗恨難禁
苦冤洗い難く
恨み禁じ難し
俯則悲痛仰則吟
俯しては則ち悲痛
仰ぎては則ち吟ず
昨夜城中霜始殞
昨夜
城中
霜始めて殞(お)つ
誰知松柏後凋心
誰か知らん
松柏
後凋(こうちょう)の心を
全く無実の罪であるのに、その嫌疑を晴らすこともできず、
痛恨の思いを止めがたい
地に俯しても悲痛を嘆き、天を仰いでも胸中の苦しみにうめく日々だ
昨夜は江戸の町にも今年はじめての霜が降りた
寒中の霜を経て他の木々はみな枯れしぼむなかで、
かわらぬ緑をたもち続ける松柏の操を、
誰か分かってくれるものがあるだろうか
★「松柏」は墓木です。
(二)
二十六年如夢過
二十六年
夢の如く過ぐ
顧思平昔感滋多
顧みて平昔を思えば
感
滋(ますます)多し
天祥大節嘗心折
天祥の大節
嘗て心折す
土室猶吟正気歌
土室
猶お吟ず
正気の歌
今日までの二十六年間、歳月は夢のように過ぎてしまった
往時をかえりみれば感慨はいよいよ深い
かねて文天祥の節義には感服してきたものだ
土牢ののなかに囚われの身となっても、
なお昂然と「正気の歌」を吟じていたのだから
★大節・・・元に降伏することなく死刑となっていった文天祥の立派な節義
(三)
欹枕愁人愁夜永
枕を欹(そばだ)てて
愁人
夜の永きを愁う
陰風刺骨拆三更
陰風
骨を刺して
三更を拆(う)つ
皇天憶応憐幽寂
皇天
憶うに応に幽寂(ゆうせき)を憐れむなるべし
一点星華照●明
一点の星華
●(まど)を照らして明らかなり
●
片(かたへん)十五画のまど・れんじまどという字です。
ユウ
愁い深き囚人は、眠られぬまま枕を斜めにして、
夜明けの遠いことにまた愁いを深めている
北風の冷たさが骨に沁みとおる中、三更を知らせる拆(き)が聞こえる
それでも、天はこの囚人の寂しさを憐れんで下さったのであろう
美しい星がひとつ、窓を照らして輝いている
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★安政六年(1859)の作。二十六歳。
この年十月二日、評定所へ呼び出されて尋問を受けた後、
そのまま伝馬町の獄に下ることを命ぜられた。
十月七日、幕府は佐内に死罪を言い渡し、即日処刑が執行された。
佐内は藩主松平春嶽の指示のままに奔走したのであって、
いわば臣下の本分をつくしたということができ、幕閣の多くも死罪に
相当するような罪状ではないと判断したようだが、大老井伊直弼ひとりの
意向に従って処断されたと伝えられる。
幕府の死罪申し渡し状(『橋本景岳全集』所収)では、一倍臣の身で
ありながら将軍後嗣の決定に関して京都の公家たちに説いてまわったことは
「公儀を憚らざる仕方」で不届きであるということであった。
詩は獄中にある数日の間に作られたもの。
★坂田新『志士』江戸漢詩選, 岩波書店
4123
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Re: 和文天祥正気歌并序 藤田東湖
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/23 00:09 投稿番号: [169 / 735]
荏苒二周星
荏苒(じんぜん)
二周星
唯有斯気随
唯だ斯の気の随う有るのみ
嗟予雖万死
嗟(ああ)
予(われ)
万死すと雖も
屈伸付天地
屈伸
天地に付す
生死復奚疑
生死
復(ま)た奚(なん)ぞ疑わん
生当雪君冤
生きては当(まさ)に君冤を雪(そそ)ぎ
復見張綱維
復た綱維を張るを見るべし
死為忠義鬼
死しては忠義の鬼(き)と為り
極天護皇基
極天
皇基を護らん
こうして二年の歳月が過ぎたが
ただこの正気だけが私の身につき従っているのである
藩公を補佐しえなかった私の罪は万死にあたいするが、たとえ死んだとしても
正気よ、汝と離れていられようか
我が身のなりゆきは天地に任せたもの
生きようが死のうが、もはや何の迷いもない
生きてあるならば藩公の冤罪をそそぎ
正気によって世道人倫が再び健全に輝く姿を示さねばならない
もし死を迎えるならば、正気は我が魂に凝(あつま)って忠義の鬼となり
天地の尽きるまで皇国を護持するのだ
★屈伸付天地・・・
東湖の身の上がいよいよ抑圧されるか(屈)、自由になっていくか(伸)、
それを決定する権利は天地に付与した。この先の我が身は、なるに任せた。
★生死復奚疑・・・
文天祥「正気の歌」に「生死安んぞ論ずるに足らん」とあるのと同じ心持ち。
奚は、何と同じ、反語の辞。疑は、ためらい迷うこと。
★復見張綱維
綱も維も、太い綱で、国家を維持する根本となる道にたとえる。
より具体的には、三綱四維として数え上げることができ、
三綱は君臣・父子・夫婦の正しいあり方、四維は礼・義・廉・恥。
ふたたび三綱四維の道が盛大となるのを見るとは、
水戸斉昭の冤罪が晴れる日がきたならば、それは正気のはたらきによって
国家に基本的な道義が恢復することになるからである。
★鬼・・・死者の霊魂であって、日本でいうオニではない。
★極天・・・
通常は大空のいちばん高いところ、どこまでも、の意であるが、ここは
空間的な究極を時間的に転用して、永遠に、いつまでも、の意かと思われる。
★護皇基
皇基とは、国家存立の基盤となる天子による統治の事業をいう。
そこで、皇基を護るとは、国家を護るというに等しい。
★坂田新『志士』江戸漢詩選4, 岩波書店
4119
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Re: 和文天祥正気歌并序 藤田東湖
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/23 00:05 投稿番号: [168 / 735]
承平二百歳
承平
二百歳
斯気常獲伸
斯の気
常に伸ぶるを獲たり
然当其鬱屈
然れども其の鬱屈に当たりては
生四十七人
四十七人を生ず
乃知人雖亡
乃(すなわ)ち知る
人亡ぶと雖も
英霊未嘗泯
英霊
未だ嘗て泯(ほろ)びず
長在天地間
長(とこしな)えに天地の間に在りて
隠然叙彜倫
隠然として彜倫(いりん)を叙(つい)ずるを
孰能扶持之
孰(たれ)か能(よ)く之を扶持(ふじ)す
卓立東海浜
卓立す
東海の浜(ひん)
忠誠尊皇室
忠誠
皇室を尊び
孝敬事天神
孝敬
天神に事(つか)う
修文与奮武
文を修むると武を奮うと
誓欲清胡塵
誓って胡塵を清めんと欲す
一朝天歩艱
一朝
天歩艱(かた)く
邦君身先淪
邦君
身先ず淪(しず)む
頑鈍不知機
頑鈍
機を知らず
罪戻及孤臣
罪戻
孤臣に及ぶ
孤臣困葛●
孤臣
葛●(かつるい)に困(くる)しみ
君冤向誰陳
君冤
誰に向かってか陳(の)べん
孤子遠墳墓
孤子
墳墓に遠ざかり
何以謝先親
何を以てか先親に謝せん
●・・・くさかんむり
+
「田」が三つ
徳川幕府が開かれてより、太平の続くこと二百年
正気は、この間つねに人の世に伸び広がっていった
そうはいっても、時にこの正気も結ぼれて世に現れぬかと見えたことも
あったがその時に、赤穂義士四十七人を生じたのである
かくして、人の肉体は死によって亡びるが
人が宿していた英霊は決して滅びることはない
永遠に天地の間にあって、
隠然として人の世の道義を確立しているのだと知られる
それならば今日、誰が主となってこの正気を支え保ってゆくのか
それは東海のほとりの人傑、水戸斉昭公である
その忠誠のまごころは厚く皇室を尊び
孝敬の誠をつくして天の神につかえている
学問を盛んにするとともに国土防衛の志気を奮い起こし
日本を窺う夷狄の野心を一掃してやろうと誓っている
しかるに、にわかに困難な時運に遭遇して
藩公自身がまず真先に蟄居謹慎を命ぜられてしまったのである
愚かなる私は、その幾(きざ)しを未然に察することもできず
藩公ばかりか我が身までもが罪を獲るにいたった
斉昭公からも引き離された私は、不自由をかこつ閉門のなか
斉昭公の冤罪を誰にむかって訴えたらよいのか
今は父も亡きこの私は、故郷の墓所から遠く離れた江戸での蟄居
亡き父上に詫びようとしても、そのすべさえない
★承平・・・太平を承け継ぐ意で、平和の続くこと。
★二百歳
寛永十五年(1638)に島原の乱が終結して後、もはや大きな戦はなく、
東湖がこの詩を作った弘化二年(1845)まで、ほぼ二百年あまりを経ている。
★清胡塵・・・外国からもたらされる汚れを払う。
胡は、中国西北地域の異民族の総称で、やがてひろく外国をいうに用いる。
この句は、水戸藩主斉昭が攘夷の主唱者であったことを指す。
★弧臣・・・主君から見捨てられたり、遠く引き離されたりしている家臣。
★困葛●・・・葛●は蔓草(つるくさ)。
蔓草にまつわりつかれるように、束縛に困しむ。
★弧子・・・父母もしくは父のない子供。
東湖の父幽谷は文政九年(1826)に没している。
つづく
4118
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Re: 和文天祥正気歌并序 藤田東湖
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/22 21:43 投稿番号: [167 / 735]
或投鎌倉窟
或いは鎌倉の窟(いわや)に投じ
憂憤正●●
憂憤
正に●●(うんうん)たり
或伴桜井駅
或いは桜井の駅に伴い
遺訓何慇懃
遺訓
何ぞ慇懃たる
或殉天目山
或いは天目山に殉じ
幽囚不忘君
幽囚
君を忘れず
或守伏見城
或いは伏見城を守り
一身当万軍
一身
万軍に当る
●・・・りっしんべん
+
員
正気は、時には鎌倉の土窟に投ぜられて最期を迎える護良親王の思いの中に
凝集し、親王は国の前途を憂憤して悲痛をきわめた
楠木正成は兵庫の桜井の駅まで子の正行を伴ってきたが、
ここでの合戦に死を覚悟して、子の正行には故郷の河内に帰ることを命じ、
教え諭す言葉はいともねんごろであった
戦国時代の末には甲斐の武田勝頼が戦い敗れて天目山に追い詰められて
ゆく時、勝頼に疎まれ幽閉されていた小宮山内膳が、主君を忘れることなく
駆けつけ勝頼に殉じようとし、ついに戦死したこともあった
また、石田三成が徳川家康を討たんと挙兵した時、徳川の老臣鳥居元忠は
僅か一千八百名で伏見城を守っていたが、押し寄せる三万余の大阪勢を
迎えて、みごとに十日間を支えきって討ち死にした
一人の身で万余の敵に当るはたらきであった
すべて正気の発露である
つづく
4115
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Re: 和文天祥正気歌并序 藤田東湖
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/22 21:35 投稿番号: [166 / 735]
忽揮龍口剣
忽(たちま)ち龍の口の剣を揮い
虜使頭足分
虜使
頭足分かる
忽起西海颶
忽(たちま)ち西海の颶(ぐ)を起こし
怒涛殲妖氛
怒涛
妖氛を殲(つく)す
志賀月明夜
志賀
月明の夜
陽為鳳輦巡
陽(いつわ)りて鳳輦(ほうれん)の巡ると為す
芳野戦酣日
芳野
戦い酣(たけなわ)なるの日
又代帝子屯
又た帝子の屯(ちゅん)に代わる
元が無礼な通告をしてきた時には、正気がたちまち発現して鎌倉龍口にて
忽必烈(フビライ)の使者を斬り捨て、ために使者の五体はばらばらとなった
また、いよいよ元軍が来寇した時には、たちまち戦場となった西海に
台風を巻き起こし怒涛は敵船を呑み込んで胡賊の妖気を殲滅した
北条高時の軍が都に後醍醐天皇を攻めた時には、
藤原師賢は志賀の浦に輝く月を眺めつつ
天子の御輦(みくるま)が比叡山に巡幸したと見せかけて
叡山の僧徒を感奮させた
また、吉野山での激戦の日には、正気の現れは
村上義光が後醍醐天皇の皇子護良親王の身代わりとなって
危難を救うことにもなった
つづく
4112
〔参考〕
★『太平記』巻二「師賢登山の事」
★『太平記』巻七「吉野城軍の事」
http://www.j-texts.com/yaku/taiheiky.html
これは メッセージ 165 (ajisai110701 さん)への返信です.
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Re: 和文天祥正気歌并序 藤田東湖
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/22 21:19 投稿番号: [165 / 735]
乃参大連議
乃(すなわ)ち大連(おおむらじ)の議に参じては
侃侃排瞿曇
侃侃として瞿曇(ぐどん)を排す
乃助明主断
乃ち明主の断を助けては
●●焚伽藍
●●(えんえん)として伽藍を焚(や)く
中郎嘗用之
中郎嘗て之を用い
宗社磐石安
宗社
磐石安し
清丸嘗用之
清丸(きよまる)嘗て之を用い
妖僧肝胆寒
妖僧
肝胆寒し
●・・・「陥」のつくり(へん)
+
「炎」(つくり)
すなわち、正気は欽明朝で仏教受容の可否が論ぜられた時、
大連である物部尾輿の仏教排撃論に現れ、堂々と譲ることなく仏教を排撃した
あるいはまた敏達朝では、疫病が流行したのは仏教礼拝の祟りであるとする
物部守屋らの上奏に正気は現れ、明敏なる天皇が仏殿焼却の断を下すのを助けた
炎炎たる火は伽藍を焼き払ったものだ
かつて中臣鎌足はこの正気をもって
大化の改新に参じて国家を磐石の安きに置いた
また和気清麻呂もこの正気をもって、
妖僧道鏡の心肝を寒からしめた
★瞿曇(ぐどん)・・・
釈迦の姓ゴータマ(梵語)の音を写した漢訳。
ひろく仏家、仏教を意味する。
★宗社・・・
宗廟と社稷。宗廟には天子の先祖を祭り、社稷には土地と穀物の神を祭る。
ともに国家にとって重要な祭祀であることから、宗社をひろく国家の意にも用いる。
★清丸・・・
和気清麻呂。神護景雲三年(769)、道鏡が天子の位を窺おうとした時、
宇佐神宮に使いして神託を受け、道鏡の野心を阻止した。
つづく
4109
これは メッセージ 164 (ajisai110701 さん)への返信です.
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Re: 和文天祥正気歌并序 藤田東湖
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/22 21:16 投稿番号: [164 / 735]
神州孰君臨
神州
孰(たれ)か君臨せる
万古仰天皇
万古
天皇を仰ぐ
皇風洽六合
皇風
六合に洽(あまね)く
明徳祈太陽
明徳
太陽に祈(ひと)し
不世無汚隆
世として汚隆(おりゅう)無くんばあらざるも
正気時放光
正気
時に光を放つ
この日本には誰が君臨しているのか
それは、古来永遠に天皇を主君と仰いできたのであった
天皇による教化は天地四方にあまねく行きわたり
そのすぐれた徳は太陽にもひとしい
それでも時代によって世が栄えたり衰えたりしたことも無いではないが
正気がその時々に顕現して光りを放つのであった
★六合(りくごう)・・・東西南北天地。空間的全世界。
★汚隆(おりゅう)・・・序にも「神州之汚隆繋焉」とあります。
「紫陽花亭日乗」161 です。
神州之汚隆繋焉。
神州の汚隆(おりゅう)、焉(これ)に繋(かか)る。
日本が栄えるか衰えるかに関わっている。
とあります。
つづく
4106
これは メッセージ 163 (ajisai110701 さん)への返信です.
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Re: 和文天祥正気歌并序 藤田東湖
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/22 21:11 投稿番号: [163 / 735]
天地正大気
天地正大の気
粋然鍾神州
粋然として神州に鍾(あつ)まる
秀為不二嶽
秀でては不二の嶽(みね)と為り
巍巍聳千秋
巍巍として千秋に聳ゆ
注為大瀛水
注いでは大瀛の水と為り
洋洋環八洲
洋洋として八洲を環(めぐ)る
発為万朶桜
発しては万朶の桜と為り
衆芳難与儔
衆芳与(とも)に儔(たぐ)い難し
凝為百錬鉄
凝りては百錬の鉄と為り
鋭利可断●
鋭利
●(かぶと)を断つ可し
○臣皆熊羆
○臣(じんしん)は皆熊羆(ゆうひ)にして
武夫尽好仇
武夫は尽く好仇なり
●・・・かぶと。「鑿」に似た字。
○・・・じん。くさかんむりの下に「盡」。
天地間の正大の気は、
純粋なままに日本に集まっている
高く秀でては富士山となって、
いつの世にも威容を聳えさせている
水となって注げば海原に流れ入り、
はるばると大八洲(おおやしま)を環(めぐ)る
花と開けば万朶の桜となり、
その美しさは他のどの花も及びがたい
鉄に凝集すれば、百たびも打ち鍛えられた日本刀となって、
その鋭さは兜をも断ち切ることができる
こうした正気が人に集まって忠義の臣はみな熊や羆のごとくに健(たけ)く、
武夫(もののふ)はことごとく主君の頼もしき腹心となる
★不二嶽・・・富士山。並びなき山という意味で富士の音を不二と写した。
つづく
4103
これは メッセージ 162 (ajisai110701 さん)への返信です.
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Re: 和文天祥正気歌并序 藤田東湖
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/22 21:08 投稿番号: [162 / 735]
〔原文〕
天祥曰、浩然者、天地之正気也。余広其説曰、正気者、道義之所積、
忠孝之所発。然彼所謂正気者、秦漢唐宋、変易不一。我所謂正気者、
亘万世而不変者也、極天地而不易者也。因誦天祥歌、又和之以自歌。歌曰、
〔訓読〕
天祥曰く、浩然たる者は、天地の正気なり、と。
余、其の説を広めて曰く、正気なる者は、道義の積む所、忠孝の発する所なり、と。
然れども彼の所謂(いわゆる)正気なる者は、秦漢唐宋、変易一ならず。
我の所謂正気なる者は、万世に亘(わた)りて変ぜざる者なり、
天地を極めて易(かわ)らざる者なり。
因(よ)りて天祥の歌を誦し、又た之に和して以て自ら歌う。歌に曰わく、
〔解釈〕
文天祥は「雄々しく満ちわたる浩然の気、それが天地の正気である」と言っている。
私がそれを敷衍していえば、正気とは道義の積み重なったものであって、
忠孝もそこから生じてくるものである。
ただし、文天祥のいう中国での正気は、秦・漢・唐・宋と、
王朝が変るたびに現れかたが変化する。
私のいう日本での正気は、万世にわたって不変であって、
天地の週末にいたるまでも変らぬものである。
かように考えつつ、文天祥の「正気の歌」を朗誦し、
さらにこれに和して自らも歌を作った。歌は次の通り。
★秦漢唐宋、変易不一
易姓革命による王朝交代をかさねてきた中国では、たとえば秦朝への忠義は
漢朝への不忠となって、正気の現れかたがそれぞれの立場によって異なってしまう。
つづく
4092
これは メッセージ 161 (ajisai110701 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/bbgmdb2vdbffcbeh_1/162.html
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