Re: 正氣歌 文天祥
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/20 21:17 投稿番号: [139 / 735]
【歴史上の気節が顕現した実例を列挙する】
在齊太史簡 齊に在りては 太史の簡
在晉董狐筆 晉に在りては 董狐の筆
在秦張良椎 秦に在りては 張良の椎
在漢蘇武節 漢に在りては 蘇武の節
爲嚴將軍頭 嚴將軍の頭と爲り
爲①侍中血 侍中の血と爲る
爲張②陽齒 張陽(すゐよう)の齒と爲り
爲顏常山舌 顏常山の舌と爲る
或爲遼東帽 或は 遼東の帽と爲り
芿操窅冰雪 芿操は 冰雪よりも窅し
或爲出師表 或は 出師の表と爲り
鬼藭泣壯烈 鬼藭 壯烈たるに泣く
或爲渡江楫 或は 渡江の楫と爲り
慷慨呑胡羯 慷慨 胡羯を呑む
或爲撃賊笏 或は 賊を撃つ笏と爲り
逆豎頭破裂 逆豎(ぎゃくじゅ) 頭は破裂す
①「禾」の右に「尤」、その下に「山」 ケイ
②「目」+ふるとり スイ
春秋時代、齊の崔杼(さいちょ)が君主を弑したとき、
太史は「崔杼弑其君」と簡に記録した。
そのため太史が殺されると、跡を継いだ弟がまたも書した。
弟が殺されるとそのまた弟が死を怖れずにまたも記録した。
晉の霊公の無法を趙盾が諌めたが、かえって殺されそうになり亡命した。
まだ国境を越えないうちに趙穿が霊公を弑した。
趙盾は亡命をとりやめ復帰して政務に就いた。
大史董狐は「趙盾弑其君」と記録した。
趙盾が抗議をすると、董狐はこう言った。
「子爲正卿、亡不越境、反不討賊、非子而誰」。
(「あなたは正卿である。
亡命しようとしたが、まだ国境を越えてはおられなかった。
その後、戻って来られたが反逆者を討伐されない。
あなたでなくて誰に責任があるというのか」)
秦においては、張良が東海に力士を得、重さ百二十斤の鉄椎を作り
秦の始皇帝を狙撃した。
張良の父・平は韓の宰相であった。韓は秦に滅ぼされたからである。
鉄椎は始皇帝をそれた。
漢の武帝のとき、蘇武は匈奴に使いして囚われたが匈奴の臣となることを
拒否、艱難辛苦の末十九年の歳月を経て漢への帰国を果たした。
つづく
4140
在齊太史簡 齊に在りては 太史の簡
在晉董狐筆 晉に在りては 董狐の筆
在秦張良椎 秦に在りては 張良の椎
在漢蘇武節 漢に在りては 蘇武の節
爲嚴將軍頭 嚴將軍の頭と爲り
爲①侍中血 侍中の血と爲る
爲張②陽齒 張陽(すゐよう)の齒と爲り
爲顏常山舌 顏常山の舌と爲る
或爲遼東帽 或は 遼東の帽と爲り
芿操窅冰雪 芿操は 冰雪よりも窅し
或爲出師表 或は 出師の表と爲り
鬼藭泣壯烈 鬼藭 壯烈たるに泣く
或爲渡江楫 或は 渡江の楫と爲り
慷慨呑胡羯 慷慨 胡羯を呑む
或爲撃賊笏 或は 賊を撃つ笏と爲り
逆豎頭破裂 逆豎(ぎゃくじゅ) 頭は破裂す
①「禾」の右に「尤」、その下に「山」 ケイ
②「目」+ふるとり スイ
春秋時代、齊の崔杼(さいちょ)が君主を弑したとき、
太史は「崔杼弑其君」と簡に記録した。
そのため太史が殺されると、跡を継いだ弟がまたも書した。
弟が殺されるとそのまた弟が死を怖れずにまたも記録した。
晉の霊公の無法を趙盾が諌めたが、かえって殺されそうになり亡命した。
まだ国境を越えないうちに趙穿が霊公を弑した。
趙盾は亡命をとりやめ復帰して政務に就いた。
大史董狐は「趙盾弑其君」と記録した。
趙盾が抗議をすると、董狐はこう言った。
「子爲正卿、亡不越境、反不討賊、非子而誰」。
(「あなたは正卿である。
亡命しようとしたが、まだ国境を越えてはおられなかった。
その後、戻って来られたが反逆者を討伐されない。
あなたでなくて誰に責任があるというのか」)
秦においては、張良が東海に力士を得、重さ百二十斤の鉄椎を作り
秦の始皇帝を狙撃した。
張良の父・平は韓の宰相であった。韓は秦に滅ぼされたからである。
鉄椎は始皇帝をそれた。
漢の武帝のとき、蘇武は匈奴に使いして囚われたが匈奴の臣となることを
拒否、艱難辛苦の末十九年の歳月を経て漢への帰国を果たした。
つづく
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これは メッセージ 138 (ajisai110701 さん)への返信です.
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