櫻井駅圖贊 南洲西郷隆盛
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/23 22:49 投稿番号: [171 / 735]
櫻井駅圖贊
南洲西郷隆盛(1827〜1877)
櫻井駅の圖の贊
慇懃遺訓涙盈顔 慇懃たる遺訓 涙 顔に盈つ
千載芳名在此間 千載の芳名 此の間に在り
花謝花開櫻井駅 花は謝(ち)り花は開く 櫻井の駅
幽香猶逗舊南山 幽香 猶お逗(とど)む 舊南山
楠木正茂は、一子正行に我が死後のことを諄々と教えさとしたが、
その時、顔には涙があふれていた
楠公父子の忠節は、この地に永遠に伝わるものとなった
毎年毎年、桜井の駅に、桜が咲き、桜が散ってゆく
そのほのかな香りは、かつて父子が忠義をつくした吉野山に
今もなお移りただよっているのだ
★作年未詳。
勤皇家として知られた画家菊池容斎の「桜井気楠公父子決別圖」に
書きつけた詩。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E5%AE%B9%E6%96%8E
★坂田新『志士』江戸漢詩選4, 岩波書店
★太平記巻第十六○正成下向兵庫事 S1610
http://www.j-texts.com/taihei/tk16.html
正成是(これ)を最期の合戦と思(おもひ)ければ、嫡子(ちやくし)
正行(まさつら)が今年十一歳にて供(とも)したりけるを、思ふ様(やう)
有(あり)とて桜井の宿(しゆく)より河内へ返し遣(つかは)すとて、
庭訓(ていきん)を残しけるは、「獅子(しし)子を産(うん)で三日を
経(ふ)る時、数千丈(すせんぢやう)の石壁より是(これ)を擲(なぐ)。
其(その)子、獅子の機分(きぶん)あれば、教へざるに中(ちゆう)より
跳(はね)返りて、死する事を得ずといへり。
況(いはん)や汝(なんぢ)已(すで)に十歳に余(あま)りぬ。
一言(いちごん)耳に留らば、我教誡(わがけうかい)に違ふ事なかれ。
今度の合戦天下の安否(あんぴ)と思ふ間、今生(こんじやう)にて
汝(なんぢ)が顔を見ん事是(これ)を限りと思ふ也(なり)。
正成已に討死すと聞なば、天下は必ず将軍の代に成(なり)ぬと心得べし。
然りと云共(いへども)、一旦(いつたん)の身命を助らん為に、多年の忠
烈を失(うしなひ)て、降人に出(いづ)る事有(ある)べからず。
一族若党(わかたう)の一人も死残(しにのこり)てあらん程は、
金剛山(せん)の辺(へん)に引篭(こもつ)て、敵寄来(よせきた)らば
命を養由(やういう)が矢さきに懸て、義を紀信(きしん)が忠に比すべし。
是(これ)を汝が第一(だいいち)の孝行ならんずる。」と、
泣々(なくなく)申(まうし)含めて各東西へ別(わかれ)にけり。
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櫻井駅の圖の贊
慇懃遺訓涙盈顔 慇懃たる遺訓 涙 顔に盈つ
千載芳名在此間 千載の芳名 此の間に在り
花謝花開櫻井駅 花は謝(ち)り花は開く 櫻井の駅
幽香猶逗舊南山 幽香 猶お逗(とど)む 舊南山
楠木正茂は、一子正行に我が死後のことを諄々と教えさとしたが、
その時、顔には涙があふれていた
楠公父子の忠節は、この地に永遠に伝わるものとなった
毎年毎年、桜井の駅に、桜が咲き、桜が散ってゆく
そのほのかな香りは、かつて父子が忠義をつくした吉野山に
今もなお移りただよっているのだ
★作年未詳。
勤皇家として知られた画家菊池容斎の「桜井気楠公父子決別圖」に
書きつけた詩。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E5%AE%B9%E6%96%8E
★坂田新『志士』江戸漢詩選4, 岩波書店
★太平記巻第十六○正成下向兵庫事 S1610
http://www.j-texts.com/taihei/tk16.html
正成是(これ)を最期の合戦と思(おもひ)ければ、嫡子(ちやくし)
正行(まさつら)が今年十一歳にて供(とも)したりけるを、思ふ様(やう)
有(あり)とて桜井の宿(しゆく)より河内へ返し遣(つかは)すとて、
庭訓(ていきん)を残しけるは、「獅子(しし)子を産(うん)で三日を
経(ふ)る時、数千丈(すせんぢやう)の石壁より是(これ)を擲(なぐ)。
其(その)子、獅子の機分(きぶん)あれば、教へざるに中(ちゆう)より
跳(はね)返りて、死する事を得ずといへり。
況(いはん)や汝(なんぢ)已(すで)に十歳に余(あま)りぬ。
一言(いちごん)耳に留らば、我教誡(わがけうかい)に違ふ事なかれ。
今度の合戦天下の安否(あんぴ)と思ふ間、今生(こんじやう)にて
汝(なんぢ)が顔を見ん事是(これ)を限りと思ふ也(なり)。
正成已に討死すと聞なば、天下は必ず将軍の代に成(なり)ぬと心得べし。
然りと云共(いへども)、一旦(いつたん)の身命を助らん為に、多年の忠
烈を失(うしなひ)て、降人に出(いづ)る事有(ある)べからず。
一族若党(わかたう)の一人も死残(しにのこり)てあらん程は、
金剛山(せん)の辺(へん)に引篭(こもつ)て、敵寄来(よせきた)らば
命を養由(やういう)が矢さきに懸て、義を紀信(きしん)が忠に比すべし。
是(これ)を汝が第一(だいいち)の孝行ならんずる。」と、
泣々(なくなく)申(まうし)含めて各東西へ別(わかれ)にけり。
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これは メッセージ 167 (ajisai110701 さん)への返信です.
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