入って中国人に南京事件真相議論しましょう
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
Re: 入って中国人に南京事件真相議論しまし
投稿者: masa22260911 投稿日時: 2010/10/13 17:29 投稿番号: [600 / 2250]
南京大虐殺事件は事実でしょう。しかし、30万人という数字は嘘です。
あなたは1人でも同じだといいますが、ではなぜ30万という嘘をつくのですか?その心が日本人には信用できません。ひとりでも同じなら本当の数字を宣言してください。また、1人でも同じなら当時は日本人も中国人に虐殺されました。それが戦争です。日本人はアメリカに核爆弾を落とされ、数十万人が死んでいます。それも戦争です。日本人は全てが戦争だから仕方がないと考えています。
中国の歴史においても、過去には戦争によって多くの人間が死んでいます。
国内でも、同じ民族同志でも殺し合いをするのです。それが戦争です。
ではなぜ戦争が起こるのでしょうか。それは自分の主張ばかりを正しいと相手に押し付けるから起こるのです。個人同士も国同士も同じなのです。
そして、もう一つ大切なことは過ぎてしまったことをいつまでも根にもたないことが重要です。そうでなければあなたの望む友好と平和は永遠に実現しないでしょう。
これは メッセージ 1 (rdupwatch さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/600.html
関東軍の説得2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/12 18:37 投稿番号: [599 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
251〜252p
《 私と愛沢通訳生とは七月十五日の早暁、商人風の装いに身を固め、
あらかじめ準備してあった書類を自動車の座席下に突っ込み、
その上に麻袋や修理工具を雑然とならべて乗込んだ。
運転手は、この前盧溝橋に連れて行った大胆な男、高である。
もちろんナンバーは平素の「北機第二号」というのを外して
「北京〇一九八」というのと付け換えていた。
「城門監視の兵がうるさい事いったら、これを掴ませろ!」
私は高に若干の金を持たせておいた。
車は朝陽門を出ると坦々たる通州街道をかなりのスピードで素ッ飛ばし、
楊柳の並木道を通り過ぎると、やがて通州城内に入って行った。
グネグネした道を幾曲りかすると、そこに大きく、「通州特務機関」と書かれた
白亜の建物が見え始めて来た。車は間もなくその玄関に横付けにされた。
玄関に出迎えたのはここの補佐官甲斐厚少佐だった。
部屋に入ると機関長の細木中佐がいつもの通りニヤリと笑って
「君達は実に巧い事やっとるのう。戦争が始まって以来、毎日毎日働きがいのある
仕事ばかりで、大いに気合も入るじゃろうが、通州は駄目だ。
ここを通って盧溝橋に行く部隊の兵站業務ばかりで全くつまらん!
退屈しとるよ」 吐き出すようにそういった。
私は甲斐補佐官に、任務の概要を説明した。そしてこれから麦倉連隊の屯する、
懐柔までの道案内に、冀東保安隊の兵を一名、つけて貰いたい事を交渉した。
私は機関長や補佐官、それに顧問の宮脇賢之助氏等に見送られて機関を出た。
助手台に一人、それからステップのところにまた一人、保安隊の兵がつかまって、
これから先の道案内をしてくれる事になった。
浅黄色の制服を着たこの保安隊員は、懐柔付近の生れだとかで、
言葉も非常に奇麗な北京官話を操っていた。
私達はまず道を順義にとった。
そしてそこから左折、張喜庄を経て、高麗営、板橋村、懐柔へと進んだ。
道の両側は行けども行けども、丈を没する高梁畑の連続、
すこぶる単調なので自然に睡気を催してくる。
しかし道路がひどく悪く、車がガグン!
大きくバウンドするごとに、
二人は睡気を覚まされて、にじみ出て来る汗を拭った。
牛瀾山の上では関東軍の偵察機が、しきりに旋回飛行をしていた。
なだらかな丘を越え、水流を渡ると、やがて懐柔の灰色の城壁が見え始めた。
関東軍のカーキ色の兵の姿が点々として目に映る。
私は車を城内に乗り入れた。
そして独立第十一連隊長、麦倉俊三郎大佐と会見した。
連隊長はお粗末な民家の一室に陣取っていた。
土間にはご親授後、まだ日も浅い、真新しい軍旗が安置されてあった。》
つづく
これは メッセージ 598 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/599.html
関東軍の説得1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/11 16:35 投稿番号: [598 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
250〜251p
《 武田嘱託が計画 (王城北京を兵火から護る工作計画の事) 立案を引き受けた後、
今度は私から機関長に対して
「機関長殿!
差し詰め最も緊急を要するものは、
いまもう北京城外に迫って来ている関東軍に対する対策です。
関東軍は、肚の中では戦争をケシかけたくてたまらない方だし、
このワカラズ屋に対して不拡大方針を説明する事は、一番むつかしいと思います。
これは電報や文書じゃ、到底意志を伝える事が出来ません。
何でしたら私を関東軍まで行かせて下さい。
十分機関長殿の意のあるところを、現地各部隊長に説明して参りますから……」
「ウン、関東軍に対する交渉、これは確かに難物だからな。
それじゃあ一つ、関東軍を説得する役は補佐官に委せるとしよう」
「じゃあ私は二十九軍一本槍でいきます」
と中島顧問。
すると桜井顧問が、「じゃあ私は、秦徳純のところへでも商務総会へでも、
必要な所へはどこへでも使い走りします。
そして大局から説明してやって、必ず彼等を納得させてきます」
話はたちどころにまとまって、みんな持場に従って工作を始める事になった。
私はただちに愛沢通訳生を呼んだ。
「オイ!
君の所に華北一帯の中国軍配置要図があったろう。
あれと二十九軍の素質及び編制装備一覧表を、至急二千枚宛印刷させてくれ」
「二千枚も何に使われるんですか?」
「密雲、懐柔方面の関東軍に、それを持って行って分けてやるのさ。
北京城を攻撃させないためにね」
「オイちょっと待った!
まだ用がある。
兵用地誌が三十冊ばかり残っておっただろう。
それから北京一帯の空中写真、二十九軍軍隊調査、これらは二、三部宛残して、
あとは全部持って行けるよう。
アアそうそう!
東亜公司に電話をかけて、
北京市街図百枚と近郊詳図百枚を、至急持って来させてくれ給え」
事件が始まってこの方、北京の街は、夜の戒厳がきわめてきびしいので、
日ぐれ時になると、家路を急ぐ民衆で街中が急にゴッタ返しを始めるのだった。
しかしその後はまた、急に潮が引いた後のような静けさに返ってしまう。
これまでだったら、狭い二間幅くらいの胡同 (ホートン) には、
晩の十一時を過ぎると、決まって酸梅湯 (ソワンメイタン) や汽水 (チースイ) などを
詰めた箱車を押して、ダミ声張り上げた飲物売りが通るのだが、
このころではそれもバッタリ途絶えてしまって、
暗い土塀の陰には、灰色の二十九軍が音もなくうごめくようになった。
彼等は青く磨ぎすました青竜刀を腕にかかえ、民家の門口にジーッとしゃがみこんで、
中の様子を探ったり、通行人を調べたりする。
これが戒厳令下彼等一日の仕事なのだ。
犬が哀調を帯びた声でそれをほえ立てている。》
つづく
これは メッセージ 595 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/598.html
中国は世界の
投稿者: tigerubud 投稿日時: 2010/10/10 16:54 投稿番号: [597 / 2250]
中国人とは冷静に議論できない。
偏向教育を唯一絶対に正しいと妄信している。
自己主張はするが人の話は聞かない。
一緒に話しましょうなどというのは論外。
中国は世界から孤立し、北朝鮮と共に地球の癌になるだろう。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/597.html
支那駐屯軍の作戦計画報告
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/10 15:58 投稿番号: [596 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 文春文庫
17〜18p
《 七月十五日
−
支那駐屯軍は、武力行使のさいの作戦計画を東京に報告してきた。
中国軍第二十九軍を永定河以西に 「掃蕩」 する作戦を第一期とし、
第二期は石家荘、徳県の線で中国軍中央軍と 「決戦」 する、という。
そして、ここでも第一期作戦の展開完了時を 「七月二十日迄」 とさだめていた。
東京でも、この日、内地の航空兵力の半分以上にあたる十八個中隊による
航空兵団と増派兵力の後方担任部隊の動員が下令された。
関東軍、朝鮮軍の一部は、前述したように、すでに動員措置がとられ、動きだしている。
航空兵力と後方担任部隊の派遣は、これら両軍の部隊と支那駐屯軍が
「有事行動」 をとる場合にそなえての措置である。
だが、これら日本側の行動は、中国側にとっては、「万一」 の備えとしてよりは、
直接の「攻撃準備」 として感得される。
宋哲元は、あるいは日本側からの情報で事情を察知したものか、
この日、「放棄天津」 の意向を、蒋介石に電報した。
蒋介石の情報網は、日本側が中国側の暗号を解読する優位に立っていたのにくらべ、
それほどの能力はなく、主に諜者報にたよるものであった。
日本が 「第五、第十両師団」 の動員を準備していること、
山東作戦を用意していること、などの情報が、はいった。
蒋介石は、両師団は青島、済南を目標にするものと判断し、
山東省主席韓複腧、青島市長沈鴻烈に警報を発していた。
それだけに、「放棄天津」 という宋哲元の弱気の意思表明は、
蒋介石にショックをあたえた。
「天津 絶対不可 放棄、 務望 集結 兵力 応戦」
蒋介石は、とっさに、そう返電したが、なおも憂慮した。
じつは、七月十一日の北京の合意は、当然に蒋介石も承知していたが、
なぜか、宋哲元は正式に報告してきていない。》
*
宋哲元が報告していないと言っても、それは仕方ないだろう。
彼はまだ北京に戻ってないのだから。
つづく
これは メッセージ 589 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/596.html
王城北京を兵火から護る工作2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/09 15:41 投稿番号: [595 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
242〜243p
《 七月十二日朝、松井特務機関長は機関の主だった職員を一堂に集め
「いつもいう通り、我々は軍の使命という観点から、
あくまで事件の不拡大に徹底しなければならぬ。そこで機関としては本日まで、
心血を注いで停戦交渉に奔走し、昨日、すでに一応の目的は達成することが出来た。
しかしながら、内地の世論、ないし四囲の情勢から判断すると、
はなはだ不吉な予感ではあるが、今後、この不拡大方針を
一擲 (いってき) しなければならぬ事態が起って来ないとも限らない。
純作戦に関する事項は、我々特務機関が容喙 (ようかい) すべき性質のものではない。
しかし、万一北京周辺で戦争発生し、個々の兵団が一番乗りを争って、
無統制に城内攻撃を始めたら、北京一千年の文化はたちまちにして破壊し尽され、
城内百五十万の民衆、就中 (なかんずく) 我が四千の居留民は、
悉 (ことごと) く兵火にさらされなければならぬ。
我々はこのさい、断じて北京城を兵火の巷 (ちまた) に陥れないよう
措置することが肝要であり、これには特務機関自らが主体となって計画し、
また工作を進めなければならんと思う」 と強く望んだ。
これに対し各機関員からも、北京を守ろうとの意見がつぎつぎ述べられた。
とりわけ機関長の通訳を担当していた武田嘱託が西郷隆盛と勝海舟による
江戸城明け渡しの故智にならって努力しようと次のような意見が出された。
「差し当り日本軍に対する説得指導、これは機関長にお願いするとして問題は
中国側に対しては、いったいどんな風に仕向けて行くか。
ちょっと頭に浮かんだだけでも、二十九軍に対する説得工作、
新聞報道機関に対する説得工作、大学教授、学生層に対する説得工作、
その他経済界や一般大衆に対する宣伝工作、
こう数え上げてくるとまだまだ随分いろいろあるでしょうが、
早速文化方面を通じて行なう工作について
一案たてて後程ご検討をお願いいたしましょう」
(工作案の内容とその働きかけは長いので省略します)
つづく
注
一擲
イッテキ
ひとたび投げうつ。
いちどに投げ捨てる。
容喙
ヨウカイ
口をさしはさむ。
これは メッセージ 594 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/595.html
王城北京を兵火から護る工作 1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/08 18:38 投稿番号: [594 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
241〜242p
《 天津軍司令官田代皖一郎中将は、従来心臓喘息の気味があったが、
昭和十二年四、五月ごろ、山海関部隊の検閲に行ったさい発作が起り、
爾来健康とかく すぐれず、天津宮島街張園の軍司令官官邸で病を養っていた。
盧溝橋事件が勃発したころはかなり重篤の症状で、
事件そのものの報告さえ、差し控えなければならない状態だった。
だから事件の善後措置は、一切が軍参謀長橋本群少将の裁量に委ねられていた。
参謀長はとりあえず軍伝統の使命にかんがみて 「不拡大」 の方針を決め
自ら北京までもとんだ。
その結果がようやく、停戦協定という形となって現われたのである。
一方、東京三宅坂の軍中枢部では、この重大時局に当って軍司令官が病気では、
万事につけて不都合であるとの見地から、
新しく軍司令官として教育総監部本部長香月清司中将を任命した。
中将は、新たに軍の増加参謀として命課された橋本秀信、菅波一郎、
堀毛一磨等三中佐を帯同し、七月十一日立川飛行場を出発し、
一路京城に向って飛翔 (ひしょう) した。
錦州からはいよいよ暗雲低迷する華北に突入するというので、
関東軍戦闘機の直衛までもつけられて、物々しい態勢で天津に向った。
廟議は当初から事件の不拡大、現地解決、そして兵力不行使を標榜していたのだから、
香月中将が東京で受けた訓令はまた 「徹底不拡大」 であったことはいうまでもない。
しかるに中国側は、当時京漢線沿線各所に駐屯していた中央軍に対し、
急遽北上の命令を下した。この命令は我が無線諜報によってキャッチされ、解読された。
これにより東京もまた大いに考え直さなければならなくなって来た。
出兵はもちろん欲するところではない。
しかし華北に在住する居留民はあくまで保護しなければならぬ。
彼が兵を動かし始めた以上、我もまたこれに備えるのは当然である。
戦う戦わないはおのずから別個の問題である。
こうした見解の下に、かの
「目下三ヶ師団、動員の準備にあり」
という電報が発せられるようになったのである。
関東軍はこのころ、すでに独断兵を動かして長城線を越え、
続々冀東地区に乗り込んで来た。
即ち鈴木重康中将の熱河独立混成第十一旅団に属する、麦倉、奈良の両連隊は
北京の北方、密雲、懐柔に兵力を集結し、虎視耽耽と北京城を睨んでいたし、
酒井鎬次少将の公主嶺機械化混成第一旅団は、また熱河の山岳地帯を突破して、
古北口に兵力を集結し始めていた。
もっともこのあたりまでの行動は、塘沽停戦協定第二条に基いて、
日本軍に許容された範囲内のものであったから、
中国側がいますぐこれを取り上げて、
主権侵害と騒ぎ立てる材料にはならなかったのである。》
つづく
これは メッセージ 590 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/594.html
団河事件 騎馬兵惨殺される2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/07 18:43 投稿番号: [593 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
239〜240p
《 日がトップリ暮れると軍曹はようやく腰をあげた。そしてトボトボと歩き始めた。
彼は高梁畑の中を重い軍刀と長靴を引きずって、激しい孤独感、
寂寥 (せきりょう) 感に襲われながらも、一路、東へ東へとたどった。
そして十五日の夕刻、ようやく通州守備隊に到着したのだった。
北京特務機関が豊台の浅野少佐から、二人の捜索方を依頼されたのは、
十五日の明け方近くだった。
機関長は早速桜井顧問を団河に派遣し、事件の処理収拾に当らせる事にした。
これには朝日新聞社の常安弘通特派員が同行した。
顧問は正午すぎ、三十八師の呉参謀に案内されて団河に着き、
まずそこに在る騎兵特務団を訪れて、営長董少校と会見した。
彼は騎兵第九師長鄭大章中将の直轄であり、
ソ連の騎兵学校を卒業したという、優秀な将校だった。
初めのうちは、言を左右にしていたが、
営長室の片隅に立てかけてあった日本の四四式騎兵銃を顧問に見つけられた。
「これは何だ!これでもなおかつ知らぬ存ぜぬと言い張るつもりか?」
とにじり寄られ、とうとう近藤二等兵射殺の顛末を告白した。
取りあえず現場に行き、死体の検証を行なうと、
二等兵は軽機の銃弾六発を身に受けて即死しており、
斃 (たお) れた後、青竜刀で頭を二つに割られ、脳漿 (のうしょう) はなかった。
その上、右脚も無残に斬り落されていて、残虐さは眼もあてられない。
顧問はこの死体や装具一切を回収して、自動車で豊台に運び、
午後五時、完全に野口騎兵隊長に引き渡しを終った。
夜七時半、特務機関に帰って来た桜井顧問は、
極度の興奮から口角泡を飛ばし、博多弁を丸出しにして
「イカン!
もうだれが何といったっちゃ駄目ですタイ。
三十八師の空気はスッカリ変ってしもうとる。
俺達は中国軍だ!俺達は徹底抗戦だ!
といって、幹部級までがいきまいとるですもんナ。
二十九軍を友軍に引ずり込もうなんて、そげん事はもう昔の夢みたいなもんですタイ。
二十九軍にゃ、もうホンに顧問の必要なかとです」
と悲憤慷慨 (こうがい)、ご飯をポロポロこぼしながら、
時間外れの夕食をとっていた。》
つづく
これは メッセージ 592 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/593.html
団河事件 騎馬兵惨殺される1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/06 18:43 投稿番号: [592 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
238〜239p
《 野口欽一少佐の指揮する天津駐屯騎兵隊は、十四日、通州を経由して豊台に向った。
出発に当ってあらかじめ、大紅門事件の経緯を聞いていたので、不測の事態を避けるため、
わざわざ南苑の南方を大迂回して、三角形の二辺に当る、団河、黄村方面に進んで行った。
そして部隊主力はその夜の十一時ごろ、無事目的地の豊台に着いた。
しかし途中、落鉄のため部隊から遅れた近藤育男二等兵と大垣軍曹とは、
馬をひきながら部隊の後を追ったが、道に迷い、
午後五時過ぎには、まだ南苑南方八キロの、団河付近を西に向って歩き続けていた。
あたりは一面丈なす高梁畑、風はすっかり死んでしまってムッとするような蒸し暑さである。
汗を拭いながら進んで行くと、不意に前の方にポッカリ、白いものが二つ現われた。
上衣を脱いだ中国兵である。
彼等は日本兵の姿を見付けると、薄気味悪い眼付きでジーッとこれを睨み据えた。
− しまった!このあたりに中国兵の兵営でもあるのかな。
急いで道を変えないと、昨日の大紅門事件の二の舞を踏んでしまう。
− 二人は、大有堂という部落の北側で直ちに乗馬した。
そしていま来た方向に反転した。そのとたん!
中国兵から激しい軽機関銃の急射撃が浴せられた。
敵は二人だけではなかったのである。
近藤二等兵はたちまちその場に射ちたおされた。
軍曹は拳銃で応射しながら、馬から跳び降りるなりとっさに高梁畑の中のもぐり込んだ。
十数名の中国兵が後を追って来た。ワイワイいいながら大垣軍曹を捜し求めている。
だがいったんこの広い高梁畑の中に逃げ込んでしまったら最後、
彼等がいくら手分けして捜しても草ッ原で落した針を探す以上の難事だった。
彼等は小銃で数回、威嚇射撃をやっていたが、やがてガヤガヤ騒ぎながら、
近藤二等兵のたおれている方に引き揚げて行った。
大垣軍曹は高梁の根株で、息を殺して日の暮れるのを待った。
− ああ、可哀そうに、とうとう近藤はやられてしまった。
もう少し早く気づいて、高梁畑にとび込んだらよかったんだがなあ!
−
軍曹の胸中には、さまざまな思いが去来した。
−
ハテ、これから豊台に行ったものかどうか。
豊台までの距離はあまり遠くはないようだ。
しかし地図一枚持っていない身では、これから先はお先真ッ暗だ。
通州に引き返すとすれば、これはかなりの道のりだけれど、一度通った道だ。
よしッ!
俺は通州に引き返そう!》
つづく
これは メッセージ 591 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/592.html
永定門外の銃砲声
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/05 18:32 投稿番号: [591 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
236〜238p
《 この日真夜中の一時半、私が機関長の命によって、「宋哲元に対する下交渉案」
を
書きつづっていると、卓上の電話がけたたましく鳴り始めた。
「こちらは哈達門 (ハーターメン) 外に住む、日本居留民です。
いま、永定門外に当って激しい銃声砲声が聞えています。
特務機関では何かお心当りでもおありでしょうか?」 との事である。
私は早速豊台部隊の情報将校浅野鉱太郎少佐に連絡をとってみた。
すると 「こちらには、そうした銃声砲声は聞えておりません。
またいまごろ永定門外を通って、豊台の方に移動して来る部隊は、
計画されておりません。何かの間違いじゃないんですか?」 との返事である。
午前二時、さきほどの居留民から再び電話がかかって来た。
「いままた第二回目の銃声砲声が始まっております。
さきほどみたいに激しくはありませんが、まだ断続して聞えております」
機関ではみんなで寄り寄り話し合った。
「不思議だ、とにかくいまごろ、いったいどうした銃声砲声なんだ?
事によると大紅門事件で日本兵が十四名ばかり行方不明だとか聞いているが、
まさかあれがやられてるわけじゃないだろうな」
「やられるったって、中国兵もみんな引き揚げて行ってしまったあとだぜ」
「イヤ、それはわからん。南苑からまたノコノコ出て来るっていう手もあるからな」
群盲象を撫 (ぶ) す。この正体はとうとう夜が明けるまで、わからずじまいだった。
・・・・
一方、憲兵は住民から、いろいろの話を聞き集めたところ、
計らずも昨夜の銃声砲声について、耳新しいニュースがとび込んで来た。
「昨夜の真夜中です。このトラックのある場所で、物凄い爆竹が打ち鳴らされました。
そしてまた、土炮 (どほう) までドカドカ打ち上げられたんです。
余り賑 (にぎ) やかだったので、私はとび起きてのぞいて見たら、
便衣の中国人が七、八人でそれをやっておりました。
いったい何のためにあんな事したんですかなあ!」
これが住民数名、口をそろえての話であった。
憲兵は首をひねった。「犯人は便衣」 ただそれだけでは雲を掴むような話である。
いったい何者が何の目的をもってそんな事をやったのだろう?
しかしこの問題はそれから十日ばかりの後、他の類似の事件に関連して、
ようやくその真相が判明した。
共産分子が策動し、日華両軍をもう一遍衝突させようとの企みから、
わざわざこうした手のこんだ行動をとったのである。》
つづく
これは メッセージ 588 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/591.html
香月司令官を諌める行動
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/04 18:36 投稿番号: [590 / 2250]
松本重治著 『上海時代・下』 中公新書
143〜144p
《 橋本参謀長も、最初は新司令官に対しては手が出ず、中央からの反対を期待していた。
はたして、中央はこの無鉄砲さに驚き、
即時、右 「北支事変処理方針」 を徹底せしめるため、
中島 (鉄蔵) 参謀本部総務部長、柴山 (兼四郎) 陸軍省軍務課長を天津に急派した。
この二人を特派したのは、ややもすれば、参謀本部と陸軍省との
あいだにも見解の相違があったからであった。
十四日両氏が着くと、橋本参謀長は、この有力な援兵を待て、
香月司令官に対し説得の努力を尽し、
一方、関東軍の増兵部隊を山海関に止め置き、
朝鮮軍の増援部隊を唐山に止め置くことに、決定、発令した。
これは、橋本参謀長自身の毀誉褒貶を度外視した行動であった。
それとともに、十四日夜、張自忠との七項目の細目要求の折衝に際しても、
参謀長は、事前に、司令官から少なからざる譲歩をかち得た。
また、香月司令官が着任する前日、関東軍 (東條英機参謀長) が、
今村 (均) 参謀副長を天津に急派し、
関東軍の中央への意見具申と同様のものを
「支那駐屯軍」 からも中央へ出せと要望せしめたのに対し、
橋本参謀長は、駐屯軍の立場は、中国の領土を保全して、
これと提携していくのであり、関東軍とは立場が違う、といって拒絶した。
今村氏も、遺憾の意を表しながら、スゴスゴ帰っていった。
不拡大派の橋本参謀長は、かくして、あらゆる難関を切り拓いていたのである。
しかし、盧溝橋事件突発の翌日、関東軍の辻 (政信) 参謀は、
すでに盧溝橋の現場で、牟田口連隊長に対し、
「関東軍が後押しします。徹底的に拡大してください」 と激励していた
(寺平忠輔 「盧溝橋の銃声」、みすず書房刊 『現代史資料』 第九巻附録月報、四ページ)。
橋本参謀長は、その努力にかかわらず、
タカ派によって上下左右を取り囲まれてゆく状況であった。》
*
橋本参謀長は、日本政府が増援部隊として、満洲や朝鮮から派遣させた部隊を
入口で留め置く指令を出した。
関東軍の増兵部隊は山海関に、朝鮮軍の増援部隊を唐山に。
これらを中に入れると折角の和平がぶち壊しになるから。
これは メッセージ 589 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/590.html
天津軍の強硬な姿勢を抑える中央
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/03 15:32 投稿番号: [589 / 2250]
児島襄著『日中戦争4』文春文庫
14〜16p
《 支那駐屯軍司令部は、この日、
「七月十三日ニ於ケル支那駐屯軍情況判断」 を東京に打電した。
・・・
「情況判断」 は、中国側が永定河左岸に撤退する協定に違反し、
さらに撤退要求を拒否したときは、ただちに兵力を行使すべきだ、と主張する。
しかし、そのさいは 「一挙ニ第二十九軍ヲ撃滅」 すべきであり、そのための
「戦略的基礎配置」 は 「七月二十日前後」 に完了する予定だ、という。
そして、中国側にたいしては、十一日に北京で合意された条件は手ぬるいので、
将来の保障について七項目を要求し、承知しなければ、
冀察政務委員会の解散と第二十九軍撤退をもとめるべきだ、と、
「情況判断」 は強調した。
七項目は、次のとおりである。
①共産党策動ノ徹底的弾圧
②排日要人ノ罷免
③排日的中央系各機関ノ撤去
④排日団体即チ藍衣社、CC団等ノ撤去
⑤排日言論及宣伝機関、学生民衆ノ排日取締
⑥学校、軍隊等ニ於ケル排日教育ノ取締
⑦「北京ノ警備ハ将来公安隊ヲ以テシ、城内ニ軍隊ヲ駐屯セシメズ」
北京で合意された条件にくらべれば、「排日要人ノ罷免」、学校、軍隊での
教育への要求、とくに北京からの軍隊撤退などの新条件は、格別に厳格である。
支那駐屯軍としては、中国側の姿勢を抜本的に〝修正〟(または軟化)
させるためには、これくらいの要求が必要だと判断したのであろう。
また、現に中国側の 「排日」 「侮日」 行為になやむ日本人居留民たちに
とっては、こんごの中国内での 「安全保障」 を確保する要求として、
賛意を表明し得るものであった、ともいえる。
だが、「北支事変」 の呼称があたえられたにせよ、本来は小規模な紛争である
盧溝橋事件の終熄 (しゅうそく) のための要求としては、過大であろう。
七項目は目標であり、平和交渉では実現できないのを承知で、
武力行使で成就するねらいとも、解釈できる……。
「情況判断」 を承知した参謀本部第二課は、午前十時、
「七月十三日 中央ノ執ルベキ処置ニ 関スル意見」 を具申した。
「排日停止保障ノタメ
支那軍ヲ北京城ヨリ
撤退セシムルガ如キ
(天津軍幕僚ノ意見) 過大ノ要求ハ、 此 (この) 際 一般方針ニ
反スルノミナラズ、求メテ
事件ヲ拡大スル
ニ等シキモノナリ。
飽迄
先ヅ
既定方針ヲ堅持シテ
進ム如ク、天津軍ヲ
指導スル
ヲ要ス
(速ニ処置ノコト)」
陸軍首脳部も、なんとなく 「七月二十日」 を期して攻勢に出ると
いわんばかりの支那駐屯軍の 「情況判断」 には、当惑した。
陸軍省、参謀本部の首脳会議がひらかれ、午後八時、「北支事変処理方針」 をきめた。
とりあえずは 「十一日午後八時調印ノ解決条件」 を 「是認」 して、その実行を見まもる。
内地部隊の動員もみあわせるが、中国側が協定の実行に誠意をみせない場合、
または中央軍を北上させて攻撃を企図するときは、「断乎タル決意」 をする。
ただし、武力行使については、支那駐屯軍は事前に東京の承認をうけねばならない
― という内容である。
この 「方針」 は、翌日、七月十四日、支那駐屯軍に打電された。
つづく
*
香月司令官の強硬な態度を知り、参謀本部は抑止する方向に動いた。
これは メッセージ 585 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/589.html
大紅門事件2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/02 16:24 投稿番号: [588 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
235〜237p
《
南苑街道をとばせて行くと、間もなく事件の現場はここだという事がハッキリした。
爆破されたトラック、天津砲兵連隊第二〇二号車が、ブスブス煙を吐いていぶっている。
爆発が余ッ程激しかったと見えて、付近には手榴弾、背嚢、真ッ黒こげになって
ヒビの入った鉄兜、自動車の部品などが、あたり一面飛び散って、
実に惨憺たる状態を呈していた。
このトラックは北、永定門の方に頭を振って止まっており、
この車は故障した乗用車を牽引していた。別の一台は頭を南に向け、
楊柳の並木に激突して、十五センチもあるその幹をへし折っていた。
西側の溝には日本兵の死体が一つ、鉄兜を被ったままで仰向けに構わり、
両脚はグシャグシャに粉砕されていた。
いま一人の兵は腹から下が黒焦げとなり、さらにまた、乗用車脇の戦死者は、
軍服や肉塊があたり一面に飛散して、全く人としての原形を留めていない。
笠井顧問は取あえずその場で苦力を雇って、まず戦死者を一ヶ所に集めさせ、
これを路傍に安置して、その上に静かにムシロを覆いかぶせた。
楊柳を折り倒したトラックの傍らには、柄付の手榴弾が二、三十本、積み重ねて置いてあった。
顧問がまずこれを見付け 「これは中国軍の手榴弾じゃないか!」 と叫んだのと一緒に、
周参謀がその一本を手に取って 「そうです。中国軍の手榴弾です。
これでもってトラックを爆破させたのかもわかりませんね」 といった。
中国軍の営長が部下四、五名を引き連れて、その場を通りかかった。
周参謀は呼び止めて、「オイ!
この自動車はお前の部下が爆破させたのか?」
と問いただした。
「ハイ、そうです。ちょうどこの付近を警備していた私の部下がやっつけたんです」
営長の面には得意の色が浮んでいた。周参謀はこの時にわかに声荒らげ、
「とんでもない事をしてくれたもんだ!張師長は報告を聞いて、
カンカンになって怒っておられるぞ。この命令書を見ろッ!」 とどなった。
営長はおそるおそるその手紙を見た。彼の顔色がサッと変った。
そこで笠井顧問が口を切った。
「私は二十九軍の軍事顧問です。
日本軍が今日ここを通ったのは、豊台に移動するのが目的であって、
決してあなたの部下と戦争する目的なんか持っていなかったんです。
日本軍は今後まだ、続々この付近を通るだろうが、師長の命令にもある通り、
今後決してこういう事を仕出かしてはなりません」 営長はうな垂れて
「部下の不始末から、不祥事を引き起しましてまことに申し訳ありません。
今後厳に部下を戒め、絶対このような事のないよう、気をつけさせます」
この部隊は菰岡淳吉砲兵中尉が指揮する天津砲兵連隊第二大隊の修理班である事も判明した。
今日の事件は単なる一局部的の、小さな問題に過ぎなかったかも知れない。
しかし日本兵四名の尊い生命が失われた事実、並びに停戦協定の第一条、
「将来責任をもって再びかくのごとき事件の惹起を防止す」 という一項が
調印後僅々四十時間にして破り去られてしまったという事実、
これは決して軽視するわけにはいかなかった。
十四日午前十一時、笠井顧問は張允栄を、その私邸に訪問して、
大紅門事件の善後処理に関して協議した。そして、
一、行方不明の日本兵の捜索に協力。
二、破壊自動車後片付けに対する援助。
三、日本軍通過部隊に対する安全保障。
以上三項に関して同意を得た。
ところが午前十一時五十分、通州特務機関甲斐補佐官からの電話によって、
行方不明の十四名が、今朝方、通州守備隊に戻って来たという事がわかったので、
第一項の捜索に関する件は問題解消、
そこで第二項の処理のため、午後二時、笠井顧問、周参謀、それに憲兵四名と通訳二名が、
三度大紅門に赴いて、自動車の解体作業や情況聴取にとりかかった。》
つづく
これは メッセージ 587 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/588.html
大紅門事件1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/01 18:29 投稿番号: [587 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
234〜235p
《 十三日の午前十一時、突如、ドーン!
城外の方向に当って、大きなニブい爆声が聞えた。
愛沢通訳生は調査のため永定門の公安分局に電話をかけた。
永定門からは巡警を現場に走らせたので、返事が来るまでに二十分ばかりかかったが、
その報告によると、事件は永定門の南、三、四百メートル、
南苑街道と通州街道の分岐点で起っている。
何でも日本軍の自動車数十台が、通州から豊台に向って移動の途中、
最後の二、三台がこの大紅門で、警備中の中国兵とブツかったものらしい。
その時、自動車上で炸裂した一発の手榴弾がガソリンに引火して、大爆発を起したのが、
さっきのあの音だというのである。
日本兵四名が、木ッ葉微塵になって死んでいるという事も、
その報告によってわかってきた。
笠井顧問は早速 「こりやぐずぐずしちゃおられません。私はいまから現場に行って来ます。
中国側の代表者も一緒に引っ張って行って、共同調査の形式をとる事が大切ですね。
直接秦徳純に会って、だれか出すよう交渉します」 と、車を航空署街の秦公館に走らせたが、
彼は折り悪しく外出していて不在。
そこへヒョックリ姿を現わしたのが二十九軍参謀周思靖だった。
顧問は早速周参謀をつかまえて、事件の顛末を説明した。
すると周参謀は一緒に現場へ行くという。二人が車に乗り込もうとしている折りも折り、
これはまた、おあつらえ向きに三十八師長張自忠が悠然そこに姿を現した。
「これはよいところでお会いしました。実はあなたの部下の三十八師が……」 と
顧問が大紅門事件の概貌を説明すると、彼は
「エッ?
そりゃあ誠になんとも申し訳がありません。
一に師長たる私の監督不行届で全責任は私にあります。この点重々お詫び申し上げます。
実は私、自ら現地にとんで行って、事態を収拾したいのですが、
いま、のッ引きならぬ会合に出かける途中ですから、対策は一切を周参謀に一任します。
周君!
日本側と緊密に提携して、この問題を善処してくれ給え。
なお、万一の誤解を避けるため、私から現地部隊にあて、命令書を一札書きましょう」
張自忠は副官の手から、赤い罫の入った、陸軍第三十八師司令部公用箋と、
同じく封筒を受取って、それにスラスラと命令文を認ためた。
笠井顧問と周参謀は、いったん特務機関に立ち寄って、軍事顧問部の広瀬秘書を帯同し、
午後一時半、永定門外事件の現場に車を走らせた。笠井顧問が張師長の命令の内容を尋ねた。
「エート、何だ?
今日大紅門で起った事件は、師長としてこれを非常に遺憾に思うという事。
次は事件の顛末を至急詳細に調査し、順序を経て上司に報告せよという事。
最後に、厳重に部下を戒め、日本軍に対しては今後絶対、
このような行動をとる事がないよう取締れ、と書いてあります」
と、その一枚一枚を顧問に示した。》
つづく
これは メッセージ 586 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/587.html
蒋介石の戦争指示
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/30 18:39 投稿番号: [586 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 文春文庫
14p
《 蒋介石は、七月十三日、宋哲元に電報した。
「盧案
必不能
和平解決……中央
決
宣戦……萬勿
単独進行」
いまや盧溝橋事件の和平解決はあり得ない、
政府は対日宣戦を決定した、
決して単独行動をとってくれるな……
との趣旨であり、日本側との和平妥協を禁止する指示である。
蒋介石は、また、第二十六路軍 (二十七師、第三十一師)、第四十軍、第八十四師に
たいして、それぞれ保定、石家荘、大同に急速進出を下令し、
行政院各部の幹部も、廬山から南京に帰った。》
*
蒋介石は盧溝橋での和平を認めず、政府は戦争を決定した
と言っています。
つまり、以後の戦争は蒋介石の責任なわけです。
これは メッセージ 585 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/586.html
和平を壊す双方の動き2 日本側
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/29 18:36 投稿番号: [585 / 2250]
松本重治著 『上海時代・下』 中公新書
142〜143p
《 現地では田代司令官危篤のため、東京では、十一日に
新 「支那駐屯軍」 司令官として、香月清司中将が親補せられ、
即日、天津へ赴任の途についた。香月司令官は、途中、京城で
小磯 (国昭) 朝鮮軍司令官に激励され過ぎたらしく、
十二日赴任すると、橋本 (群) 参謀長はじめ
「参謀たちは腰抜けぞろいだといわんばかりの権幕で、われわれ
(池田参謀ら) をにらみつけ」 (池田純久 『陸軍葬儀委員長』 二三ページ
‐ 『太平洋戦争への道』 第四巻、三六二ページ参照)、》
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
233〜234p
《「・・・
日本軍も引きあげたし、中国軍も引き下ってしまって、後はもう
宋哲元が北京に帰って来さえすれば、一切はめでたしめでたしという訳ですなあ!」
「ところが笠井君、情勢はなかなかそう簡単にはいかんぞ。
十一日には風見内閣書記官長が、今次事件はその性質に鑑み、
これを北支事変と称すなんて声明しているだろう。昨日はまた昨日で、新しく
着任した香月軍司令官が、早速全面戦備に関する軍命令を下しているんだ。
だから情勢は今のところ混沌として、まだ海のものとも山のものとも、
ハッキリ見境はつけられないな。君はまだ、あの軍命令は見とらんのだろう!」
私は机の上の書類ばさみをとり寄せて、それを笠井顧問の方に差し出した。
「ホホウ!これがそうですか」
顧問はジーッとその命令に眺め入った。
軍命令
七月十二日
一、敵の中央軍は、空中及び地上部隊共、逐次北上しつつあるもののごとし。
二、軍は全面的作戦を顧慮し、逐次準備を整えんとす。
三、これがため
イ、豊台、通州には兵力を増加す。
ロ、関東軍の部隊は、主力を密雲、一部(約二大隊)を天津に集結す。
ハ、飛行隊は六ヶ中隊を天津に集結す。
−
以下省略
−
「なるほど、すると軍は全面作戦に拡大する事を予期しているんですな」
「あえてやるとはいっていない、しかし自ら恃 (たの) むところあれば憂いなしと
いう心境だな。とにかく、いま、中央軍の北上に関する情報がとても多いんだ。
保定以南の京漢線は中央軍で一杯らしい。
これらが今後、どういう行動に出て来るかは、ちょっと予測がつかんからねえ」》
つづく
これは メッセージ 584 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/585.html
和平を壊す双方の動き1 中国側
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/28 18:42 投稿番号: [584 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』
文春文庫
12〜13p
《 蒋介石も、北京での協定成立を迷惑視する心境であった。
とくに、蒋介石の神経を刺激したのは、冀察政務委員長兼第二十九軍長として、
河北一帯の軍政両面を統轄する宋哲元の姿勢である。
宋哲元は、前日、十一日午後六時三十分、
故郷の楽陵から自動車で天津に来着した。
この日、日本側と接触したのちに声明を発表したが、
その中に次のような文言があったからである。
「余向和平、愛護人群、決不願以人類作無益社会之犠牲」
戦争反対
−
の表意である。
この宋哲元の〝和平心〟は、後述するように、北京の特務機関の和平工作を勇気づけ、
しばらくは 「戦争」 への導引力を牽制する形になる……。
蒋介石にとっては、宋哲元の和平姿勢は困る。
宋哲元は、北支の統領である。その気になれば、日本側と和平を結ぶことができる。
むろん、国民政府はその成約を無効とみなし得るが、その結果は、宋哲元を日本側に走らせ、
「挙国一致」 の抗日戦体制に大きなヒビ割れをまねきかねないからである。
蒋介石は、一刻もはやく保定に進出して指揮をとってほしい、と
宋哲元に打電し、第二十九軍副軍長兼北京市長秦徳純にも急電した。
「倭寇内定十五日総攻撃、此報極確……」
(日本軍は十五日に総攻撃をおこなうことを内定した。
この報告はきわめて確実であり……)
この蒋介石電が、どのような情報にもとづいたものかは、不明である。
が、いずれにしても、日本政府の〝出兵声明〟や 「挙国一致」 の
日本国内の叫びは、蒋介石の耳にもとどいている。
「戦争勢必拡大」
−
と判断できるときに、宋哲元の足どりがふらつかれては、まずい。》
南京の国民政府は11日の停戦協定を認めなかった。
『蒋介石秘録下』
サンケイ新聞社刊
201p
《 国民政府は翌十二日、南京の日本大使館に覚書を送り、
王寵恵 (おうちょうけい) 外交部長から
「いかなる協定であろうとも、中央の同意がないかぎり無効である」
と通告している。 》
つづく
これは メッセージ 582 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/584.html
Re: 入って中国人に南京事件真相議論しまし
投稿者: tomomo22266 投稿日時: 2010/09/27 23:25 投稿番号: [583 / 2250]
こんにちわ。
あなたの最初の文章を読みました。あなたが聞いた
その残酷なお話は事実でしょう。大変に残酷で悲しいことです。
私の父は
7歳まで
満州に住んでいました。
戦争に負けて、地元の満州人に
それこそ殴り殺されたり
友達や家族が襲われて血まみれで死んでいく中で
なぜか父は奇跡的に帰国しました。途中で泣く小さな赤ん坊を
母親たちは絞め殺したそうです。泣き声で見つかると満州人に襲われるからです。
ソ連軍が大量に現れて
女の人はみんなレイプされ殺されました。ソ連の兵隊は奪った腕時計を何十個も肩まではめ、銃を乱射して周りの大人を皆殺しにしたそうです。
あなたの知り合いの方、私の父、みんな残酷な戦争の犠牲者です。
南京事件であったこと
その怒りは十分わかります。
そして
私の言いたいことも察してくだされば・・と思います。
これは メッセージ 1 (rdupwatch さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/583.html
和平を壊す東京の放送
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/27 18:42 投稿番号: [582 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
224〜225p
《 その夜おそく、松井機関長が内地方面最終のラジオニュースを聞こうとして、
スイッチを入れると、アナウンサーはちょうど今日の停戦協定のことを伝えている最中だった。
それは 「陸軍省当局談」 と前置して 「……こうして本日、北京において
停戦協定が成立したとはいうものの、冀察政権従来の態度から判断すると、
これが果して先方の誠意に基くものであるかどうかは、すこぶるもって疑わしく、
全幅的信頼は寄せ難い。おそらくこの一片の協定書も、
やがて間もなく、また反古同然のものになってしまうだろう事を
あらかじめ覚悟しておかなければなるまい」
これを聞いた機関長は、椅子を蹴って起ち上った。
そして憤然、ただちに電報起案紙にペンを走らせた。
「……当局談の真意はそもそも那辺に存するや。
協定実行の誠意を冀察側に求めんがためには、
我また十分の誠意を披瀝する事肝要なり。
本日の放送のごときは、冀察を責むるに何等の効なく、
かえって彼に、協定破棄の口実を与うる不幸なる結果を招来せんのみ」
この数語の中、現地機関の苦衷と、不拡大目的完遂のための誠意とが、
実に躍如としているではないか。
やがて三宅坂、陸軍省から返電が来た。
「ラジオの放送は誤りなり。引続き努力を継続せられたし」
何という間の抜けた電報であろう。当局の不見識も甚しく、
「いったい東京は何をしているんだ?」 と言いたいところである。
これは後になって判明した事であるが、
右のラジオ放送は、陸軍省新聞班の強硬派雨宮巽中佐が、
班長秦彦三郎大佐の点検を経ることなく、
独断原稿を放送局に回したものだとの事である。
冀察の情報関係者が、何でこの東京放送を聞き逃がそう。
ことにそれが 「陸軍省当局談」と銘打ってある点を重要視し、
まさにこれ全陸軍の総意であると判断し、冀察側の神経は爾来極度に昂ぶってきた。
そのトバッチリは直ちに特務機関にハネ返って来た。
彼等は叫んだ。
「今次の停戦協定がかくまで軽視され、侮蔑された事は心外である。
これを要するに日本側には一片誠意の認むべきものすらないのではないか。
自分が反古扱いすればこそ、相手も反古にするだろうと考えるのは当然である。
こう考え来れば、日本が称えるところの不拡大方針、ないし停戦前後措置というものも、
究極は、自分の作戦準備が完了するまで、時間的余裕をかせごうとする、
卑怯極まる緩兵策に他ならないではないか」
こうした疑惑を彼等の脳裏に植えつけてしまったのだから、
爾後の交渉は非常にやり憎いものになってしまった。
現地機関はそういう冀察側の感情を解きほぐし、真の不拡大を招来するため、
さらにどれほどの苦心と努力を払わなければならなかったか、
この点は筆舌のよく尽し得るところではない。
「天に代りて不義を討つ……」 日毎夜毎、内地のラジオから流れて来るメロディーは、
我々幼いころから聞きなじんだ勇ましい曲ではあったが、
およそこの時くらい複雑奇妙な感じをもって、耳にした事はなかったのである。》
続く
これは メッセージ 578 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/582.html
盧溝橋事件73 内地師団の動員は保留
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/26 15:46 投稿番号: [581 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 文春文庫
10〜11p
《 支那駐屯軍参謀長橋本群少将の報告が入電した。
・・・
橋本少将からの入電は、その合意成立を告げるものであった。
・・・
陸軍は、とりあえず内地三個師団の動員下令はおこなわぬことにしたが、
朝鮮軍、関東軍の部隊の派出は、中国側に協定の締結と実施を促進させる
効果もあるとして、実行することにした。》
井本熊雄著 『支那事変作戦日誌』 芙蓉書房
93〜94p
《
七月十一日
支那側が我要求を受諾したという報告電が到着して、
内地師団の動員は保留することとなった。
ただし、前記の内地から派遣する航空部隊および朝鮮から派遣する諸部隊は
予定の如く実行し、これを南満に位置させ、中央部の直轄とすることに決定せられた。
夕刻
(午後六時三十五分)右の発令があった。
〔動員派兵の事務的準備〕
動員派兵の方針が定まった以上、主務担当者は、何時発令せられてもそれが
実行可能であるように準備しておかねばならぬことは当然である。
筆者は動員兵力の決定、それに関連する動員班および陸軍省との折衝の事務に当った。
陸軍省の折衝相手は編制班長の西浦進少佐であった。
七月十一日、参謀本部階下の最も正門に近い室で会談した。
軍事課は渋くて何でも値切ると思い、強硬につっぱる考えで話を始めたところ、
案外すらすら運び、西浦少佐がこれだけでよいのかというので、少々拍子抜けした。
西浦少佐も見透しを持っていたであろうが、
何といっても田中軍事課長が積極論の中心人物であるので、問題はなかったのである。
松本重治著 『上海時代・下』 中公新書
137p
《 七月十二日朝、「同盟」 支社に出社すると、
私の机上には、前日の十一日の閣議決定、同夜の内地三箇師の動員保留、
しかし朝鮮軍一箇師、関東軍二倍旅の華北への派兵命令、
しかるに松井−張自忠による局地解決協定の調印という、
あわただしい、混沌たる動きのニューズの一切があった。》
これは メッセージ 579 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/581.html
盧溝橋事件72 日本政府の派兵声明
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/25 14:45 投稿番号: [579 / 2250]
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』
165p
《 閣議が行われ (十五時二十分ころまで)、五相会議決定事項とほぼ同様の
閣議決定がなされ、挙国一致して事態の処理に当たることを申し合わせた。
なお本事件は今後事変とみなすこと、出兵とせず派兵とすることとされた。
近衛総理は十六時ごろ葉山御用邸に伺候し、北支派兵に関しし上奏御裁可を仰いだ。》
松本重治著 『上海時代・下』 中公新書
130〜132p
《 東京では、七月十一日、満州事変以来最も重大な臨時閣議決定がなされ、それにつき、
政府は午後七時、政府声明を発表した。その声明の要旨は、左のとおりであった。
「……第二十九軍の七月七日の夜半盧溝橋附近における不法射撃に端を発し、
該軍と衝突の己むなきに至れり。
ために平津方面の情勢逼迫し、わが在留民はまさに危殆に瀕するに至りしも、
わが方は和平解決の望みを棄てず、事件不拡大の方針に基き局地的解決に努力し、
いったん第二十九軍側において和平的解決を承諾したるにかかわらず、
突如七月十日の夜に至り、彼は不法にもさらに我を攻撃し、
再びわが軍に相当の死傷を生ずるに至らしめ、
しかも頻りに第一線の兵力を増加し、さらに西苑の部隊を南進せしめ、
中央軍に出動を命ずる等武力的準備を進むるとともに、平和的交渉に応ずるの誠意なく、
ついに北平における交渉を全面的に拒否するに至れり。
以上の事実に鑑み、今次事件は全く中国側の計画的武力抗日なることもはや疑いの余地なし。
思うに、華北治安の維持が帝国および満州国にとり緊急の事たるは
ここに贅言を要せざるところにして、
中国側が不法行為はもちろん排日・侮日行為に対する謝罪をなし、
今後かかる行為なからしむるための適当なる保障等をなすことは、
東亜の平和維持上きわめて緊要なり。
よって政府は本日の閣議において重大決意をなし、
華北派兵に関し政府として執るべき所要の措置をなすことに決せり。
しかれども、東亜平和の維持は帝国の常に顧念するところなるをもって、
政府は、今後とも局面不拡大のため平和的折衝の望みを棄てず、
中国側の速やかなる反省によりて事態の円満なる解決を希望す。
また列国権益の保全につきては、もとより充分これを考慮せんとするものなり。」
・・・・
橋本参謀長は、天津にあって、東京のただならぬ険悪な情勢を察して、
十一日正午前、今井武官から北平南苑の飛行場で受けた報告を基礎として、
ただちに 「現地停戦協定の見込みが強い」 ことを、東京の陸軍中央に打電し、
それと前後して、「現地軍としては、派兵の必要を認めない」
という趣旨の冷静な意見具申の電報をも東京中央に打電した。》
つづく
註
平津とは北京・天津のこと
当時、北京は首都ではないので北平と呼ばれていた。
贅言
ゼイゲン
無駄な言葉
これは メッセージ 576 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/579.html
盧溝橋事件71 停戦協定調印
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/24 18:26 投稿番号: [578 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
223〜224p
《 やがて今井武官が面をあげ 「やはり私は動員が出来得る態勢にある、
という意味にとりたいのですが……」
すると松井機関長も 「私もその解釈が妥当だと思う。
かりに刀を抜いても、血を見る事なく鞘に収める事が出来たら、
これに越した事はないのだからね。
同様に、動員したら必ず戦争しなければならぬという理屈もない筈だ。
ともかく、我々はその判断に基いて、協定の調印だけは断然決行しようじゃないか」
「そうですな」 「もし……」 「もし?」
「我が政府が他に理由なくして動員を強行し、強引に華北派兵を断行するようだったら、
我々は潔く責を負って職を擲 (なげう) つばかりだ」
「そうなればもちろん、私も……」
二人は悲壮な面持で決心の臍 (ほぞ) を固めた。
松井機関長は午後五時五十分、和知参謀、今井武官同道、張允栄を訪問した。
そして張自忠と連名の下に、次の停戦条文に調印させた。
停
戦
条
文
一、第二十九軍代表
対於
日本軍表示
遺憾之意
並
懲罰責任者
以及声明
将来負責防止
再惹起
比類事件
二、中国軍
為
日本在豊台駐軍
避免過於接近
易於惹起事端起見
不駐軍
於盧溝橋城廓
及
竜王廟
以保安隊
維持其治安
三、本事件
認為多胚胎於
所謂
藍衣社
共産党
其他抗日系
各種団体之指導
故此将来対
之講究対策
並徹底取締
以上所提各項
均承諾之
中華民国二十六年七月十一日
第二十九軍代表
張
自
忠
押
第二十九軍代表
張
允
栄
押
病中の張自忠は、ベッドから起き上って来て署名調印し、それが終ると、
松井機関長、今井武官、和知参謀等と堅く握手を交した。
調停委員が条文に調印を終ったのは、七月十一日の午後八時だった。
もちろんこれで日華抗争のすべてが解決したというわけにはいかない。
ただ単に、盧溝橋付近における軍事行動に、一応妥協のけじめがついた
という程度にしか過ぎないが、しかし事件が勃発以来丸四日間、
文字通りの不眠不休、不拡大に徹して工作を続けて来た人々は、
これでようやく安堵の胸を撫でおろす事が出来、
機関の中にも久々ぶりに、明るい笑い声がさざめいたのであった。》
つづく
これは メッセージ 577 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/578.html
盧溝橋事件70 現地に派兵決定の報入る
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/23 18:27 投稿番号: [577 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
221〜223p
《 重荷をおろした今井武官は、交渉の顛末を松井機関長にも連絡するため、
参謀長を送り終るとすぐ、車をとばせて特務機関にやって来た。
武官が機関の玄関に上って来るのを待ち構えたようにして私が
「今井武官!
天津からお電話です。エライ急ぎの要件らしいですよ」
「アアそう。有難う。どの電話ですか?」
「アッチの電話もコッチの電話もみんなそうです」
「エッ?
アッチもコッチも?」
武官はとりあえず補佐官室の電話にかかった。
先方は天津軍司令部の専田盛寿少佐参謀でお互に陸士の三十期、同期生である。
「タッタいま、停戦交渉がまとまったという事を電話で聞いたところだ。
しかし時すでに遅し、中央は華北派兵を決定したぞ。
もう不拡大なんていっとる時期じゃない。協定の調印は取り止めにしてくれ」
「何ッ?
そんな馬鹿な事が出来るものかッ!
せっかく不拡大にまとまったものをブチ毀せなんて、
いったいそれは軍の意見か、貴様の意見か?
参謀長閣下もタッタいま、交渉がまとまった事を非常に喜ばれて天津に
出発されたばかりだ。軍司令部の中でそんなに意見がチグハブしていて、
どうして国策の遂行が出来るかッ!」
「しかし考えてもみろよ。
これほどまでに思い上った二十九軍、これに断乎鉄槌を加えるチャンスは、
いまをおいてもう絶対にないじゃないか。だからこそ中央は……」
「いかん!
絶対にいかん!
貴公が何といったって、僕は徹底不拡大だ。
ひとり僕だけじゃない。参謀長も特務機関長もみんな不拡大だ。
血気に逸 (はや) って国策を誤るような、馬鹿げた真似は絶対出来ん!
調印はするよ。立派にやって見せる。僕はいま、非常にいそがしいからね。
そんな下らん意見なんか聞いてる暇はないんだ」
ガチャリ、武官は受話器をたたきつけるようにして電話を切った。
その後、武官は機関長と、いまの電話の内容について話し合った。
そして専田参謀に対し、二人は口を極めてこれを難詰するのだった。
(中略)
折りも折り、そこに東京三宅坂、参謀本部から橋本参謀長宛、
軍事極秘の電報が送られて来た。
「内地においては、華北に派遣すべく、目下三ケ師団、動員の準備にあり」
機関長と今井武官は、電文を囲んでにわかに額に皺をよせた。
「これはすでに動員令を下して、部隊が目下出動準備中というのか、
あるいは現地の情勢が悪化したら、動員派兵の用意があるという意味か、
いったいどちらと解釈すベきだろう?」
「もしそれが後者の方だったら問題はないのですが、
前者だとしたら、これから現地で協定を結ぼうとする我々は、
中国側から欺瞞者と罵られても、一言も返す言葉がない事になってしまいます」
「我々が罵られるのはまだ甘んずる事も出来る。
しかし日本そのものが不信不義な国として、烙印を押される事には我慢出来ない」
二人は再び電文を取り上げて、ジッとそれに眼を据えた。》
つづく
これは メッセージ 575 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/577.html
盧溝橋事件69 日本政府 派兵を閣議決定
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/22 18:38 投稿番号: [576 / 2250]
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』
164〜165p
《 風見章内閣書記官長は、十日夜、杉山陸軍大臣からの申し出を受け、
近衛総理の承認を得て翌十一日に閣議を開くこととした。
議題は北支派兵と政府声明に関する件である。
ただし、あらかじめ主要閣僚の
意見を一致させておくため、一般閣議に先立ち五相会議を開くこととした。
十一日十一時半ごろから、十四時ころまで、
首、外、陸、海、蔵の五相が首相官邸に会合し審議した。
杉山陸相は
「中国側の謝罪及び保障確保の必要上、関東軍及び朝鮮軍において
準備しある部隊をもって急遽 (きゅうきょ) 支那駐屯軍を増援するとともに、
内地からも所要の部隊 (五コ師団、差し当たり三コ師団と飛行一八中隊) を
動員してこれを北支に急派するの要あり。
ただし今後とも不拡大、
現地解決の方針を堅持し、平和的解決に努め、前記中国側の謝罪及び保障を
なさしむる目的を達したる場合は、速やかに中止することはもちろんなり」 と提案した。
討議において、
(一)
派兵は目的達成の威力の顕示にあること、
(二)
内地師団の動員は状況により行うこと
(陸相は当初、関東軍及び朝鮮軍の部隊と同時に行う考えであったが、
反対が多く、動員準備の準備案という程度に考え、
将来万一事態がこれ以上悪化する場合には動員準備に着手することとし、
今からその心組みをしておくことに妥協)、
(三)
あくまで不拡大現地解決主義による
(陸相の局地的かつ短期間に事態を鎮圧できるという考えに対し、
海相は、派兵は全面戦争になることを考慮する必要があると述べ、
首相、外相がこれに同意した)。
(四)
海相が、動員後派兵の必要がなくなったときどうするか、と
昭和八年の上海事変における第十四師団の例を挙げて質問したのに対し、
陸相は 「そのようなことはしない」 と言明した。
このとき広田外相が、
「(一)
派兵実行の場令といえども居留民保護と支那駐屯軍の自衛安全を
図るため必要が生じた場合に限り動員を実施すること、
(二)
内地部隊の動員は陸相説明のとおり差し当たりの準備的心組み
であるとの了解のもとに同意す」
との留保条件を付し、全員の賛同を得た。
なお海軍大臣は、海軍としては全面的作戦に備えること、
居留民引き揚げに関しては、陸軍、外務との連絡を密にし、
無用の刺激を与えないよう、また時機を失しないように致したい、
と述べ一同の了承を得た。
つづいて閣議が行われ (十五時二十分ころまで)、
五相会議決定事項とほぼ同様の閣議決定がなされ、
挙国一致して事態の処理に当たることを申し合わせた。
なお本事件は今後事変とみなすこと、出兵とせず派兵とすることとされた。》
これは メッセージ 573 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/576.html
盧溝橋事件68 停戦協定条文の交渉2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/21 18:26 投稿番号: [575 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
220〜221p
《 十一日の明け方近く、中国側が一歩を譲って
「永定河東岸からは、実質的に完全に兵を撤退させます。
ついては条文にある、東岸には軍を駐屯せしめず、というこの言葉、これだけはどうか、
うたわないようにしていただけないものでしょうか」 と申し出て来た。
「自分達が売国奴といわれたくない面子からだな」
「条文があってさえ、なおかつこれを空文視するのが彼等の常套手段だ。
条文抜きの口頭契約だけじゃ、それこそ何を仕出かすかわかりやしない。
この申し出では問題にならんね。断然、ハネつけて然るべきだね」
「国と国との交渉だぜ。それがこんな安易な考えでまとまると思っている二十九軍は、
いったいバカなのか、それともこちらをペテンに引っかけようという魂胆あっての
事なのか。いずれにしても日本側を甘くみるにもほどがあるよ」
先方がなかなかこちらに同調してこないため、この交渉は十日の正午から始めて、
十一日の正午まで、丸々二十四時間にもわたって長びいてしまった。
十一日午後零時三十分、今井武官はとうとう痺れを切らし、自身、神輿をあげ、
張允栄邸まで押しかけて行った。そして先方の首脳者とも会見の上、
第一条、「責任者の処分」 は嫌応なしにこれを受諾させてしまい、さらに
第二条、「盧溝橋付近、永定河東岸には軍を留めず」 とあるのを
「盧溝橋城郭、及び竜王廟には軍を留めず」 というふうに改変し、
まあまあこのくらいのところなら
−
という事で、曲りなりにも双方の意見が結着を見た。
天津軍司令官田代皖 (かん) 一郎中将は、そのころ病気重篤だった。
したがって軍参謀長橋本少将は、軍司令部を二日も三日も明けっ放しに
しておく事は出来なかった。そこで停戦処理一切の業務を松井機関長以下に委ね、
塚田中佐、茂川少佐を帯同し、この日午後二時、南苑飛行場を出発し、
一路天津に向って帰還する事になった。
協定案に目鼻をつけた今井武官は、すぐさま車を南苑にとばせ、
まさに出発しようとしている橋本参謀長にこの情況を報告した。参謀長は喜色満面
「そうでしたか。それは結構でした。
これで私も、天津に帰る大変よいお土産が出来たわけです。
今後の措置がまた極めて重大ですから、あくまで慎重にやって下さい。
どうも大変ご苦労でした」
と安堵の色を浮べ、タラップを昇ってやがて機の中に吸い込まれて行った。
こうしてスーパー機は南苑の緑野を後に、爆音も勇ましく、
晴れ渡った真夏の大空にグングン上昇して行った。》
つづく
これは メッセージ 574 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/575.html
盧溝橋事件68 停戦協定条文の交渉1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/20 16:16 投稿番号: [574 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
219〜220p
《 中国側第一の難点とするところは、第一項の責任者の処分である。
日本側としては、事件の責任者として、少なくとも三十七師長馮治安の処分くらいを
期待しているのに対し、中国側としては、現地の直接関係者たる、
団長、営長、連長クラスの処罰くらいで糊塗してしまいたい意向だった。
第二項の永定河東岸に軍を留めずという一件は、
これまた面子上すこぶる困った問題である。
そう簡単にオイソレとは撤退が出来ない。
それが出来ると思ったところに、日本側の大きな誤算があった訳である。
七月十一日午前三時、中国側は
「第一項、責任者の処分だけは、何とかこれを撤回していただきたい。
また、第二項は、東岸にある馮治安の三十七師を撤退させる。
その代り張自忠の三十八師をこれに置き換える事にして、
その辺のところで何とか了解を遂げていただきたい」 と申し出て来た。
我が方は、深夜会議を開いたけれど、ほとんど全員の意向が、
中国側の要求拒否、この一点張りである。
「本来なら、我々のつくった条件を中国側にたたきつけそれに応じないなら即時開戦、
という手を打つべきですがなあ!
それを抂 (ま) げて不拡大に徹しようとしている
我々の気持、これがどうして彼等に通じないですかなあ!」
「我々が今の中国側の要求をそのまま受諾したとしたら、
この交渉はもう完全な骨抜きですよ。
第一、我々はどうして第一線の将兵に顔向けが出来ますか。
また、熱狂し切っている銃後の国民に対し、いったい何といってお詫びをします?」
諤々の論議は容易に鎮静し難いものがあった。
「張自忠や張允栄は、なるほど知日派かは知らないけれど、
秦徳純や馮治安等の横暴を抑えつけるだけの、何等の力も持ってやしない。
単なる行ったり来たりのメッセンジャーボーイに過ぎんじゃないですか。
これが二十九軍の代表だなんて、実に頼りない事も甚しい限りです」
橋本参謀長はこうした激論をよそに、両手で頭を支えながらテーブルに向い、
ひとり様々な思索に耽 (ふけ) っておった。》
つづく
これは メッセージ 565 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/574.html
盧溝橋事件67 日本から見た現地の様子
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/19 15:26 投稿番号: [573 / 2250]
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』
159〜160p
《 支那駐屯軍においては事件を速やかに解決するため、橋本参謀長は松井特務機関長と
協議の上、十日、中国側代表張自忠に対し、次の要求事項を振出した。
一
第二九軍代表ハ
日本軍ニ対シ
遺憾ノ意ヲ表シ
将来責任ヲ以テ
再ヒ
斯 (か) クノ如キ
事件ノ惹起ヲ
防止スルコトヲ
言明スルコト
二
責任者ノ処分ヲ行フコト
三
盧溝橋附近
永定河左岸ニハ
支那軍隊ヲ
駐屯セシメサルコト
四
本事件ハ
所謂藍衣社、共産党 其他 (そのた) 抗日系各種団体ノ
指導ニ胚胎 (はいたい) スル所
多キニ 鑑ミ
将来之カ
対策取締ヲ
徹底スルコト
右要求ノ受諾ヲ
文書トシテ日本軍ニ提出シ
第四項ノ具体的事項ハ
説明ニ止ムルコトヲ得
而シテ右要求受諾後
日支両軍ハ各原駐地ニ
復帰スルモ
盧溝橋附近ハ
我カ要求通ト為ス
この要求に対し中国側は撤兵の件は応じなかったが、その大部を承認した。
従って同日夕刻事態はこれで解決すると予想されたので、
関東軍も部隊急派の準備を解除した。
しかし当日は、早朝から北平城内の中国側警戒は至厳であり、不穏な動向が伝えられた。
城内の日本人居留民二、〇〇〇名に対し日本兵は三〇名にすぎず、
これに反し中国軍は西苑駐屯の二コ旅が八宝山を占領し、その一部は衙門口に進出、
南苑には第三八師が常駐し、長辛店の兵力は増援され、
日本軍は優勢な中国軍の重囲下にあり、第一線には緊迫した空気がみなぎっていた。
中国軍は、八宝山 − 衙門口の線以南に行動しないことを約していたが、
当日 (十日) 夕刻、牟田口聯隊が龍王廟付近に派遣していた一コ小隊が、
衙門口から南下してきた中国軍から攻撃を受けた。
よって聯隊長はこれを夜襲して撃破したのち、同地を撤去した。
また各地の官憲、在留邦人は幾多の暴行、侮辱を受け、
その生命財産が危殆 (きたい) に瀕 (ひん) する状態であった。》
これは メッセージ 567 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/573.html
盧溝橋事件66 竜王廟の夜襲3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/18 15:54 投稿番号: [572 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
229〜230p
《 このころ第一線の南中隊は、果敢な白兵戦を中国兵と挑み合っていた。
銃声はバッタリ止んで、手榴弾の爆声ばかりがかなたからもこなたからも
盛んに聞えて来る。それと交錯して起る喊声!
怒号!
埋防の脚を洗って流れる永定河の水勢は滔々として物凄く、
時々、ザブーン!
ザブーン!
聞えて来るのは、
どうやら中国兵が河中に跳び込んで行く水音らしい。
さしも激しかった爆声が、やがて次第に衰えてくると、あとは連絡兵や伝令達が、
中隊長を呼ぶ声、大隊本部を捜し求める声で一しきり。
それに混じて第三中隊の方向からは、「中隊長殿!
山崎上等兵、もう駄目であります」
「アイヨー!」 という中国兵のうめき声も、闇の中、そこここに起って、
凄壮の感がひとしお深い。
敵は我が強襲に致命的の打撃をこうむったらしく、鳴りをひそめ、
抵抗しようとする者もない。
大隊長はとりあえず命令を下して隊伍の集結、人員の点検、
そして死傷者、鹵獲品等に対する戦場掃除を開始させた。
味方の損害は、戦死、兵六、負傷、将校二、下士官兵八、
そしてその大部分が手榴弾による破片創と、銃剣による刺創ばかりだった。
敵側の推定損害は少なくとも百五十を下らず。
永定河の濁流にとび込んだ者が、随分沢山あったようである。
世良小隊を併せ、大隊が盧溝橋駅に引揚げて来たのは、午前の二時に近かった。
連隊長は木原大隊長を迎えて、「ヤア、ご苦労だった。随分猛烈な白兵戦だったなあ。
僕はここからズーッとあの戦況を眺めていたが、爆声のたびごとに胸が痛んだよ。
でも二十九軍も今日という今日こそ、日本軍の真価をイヤというほど思い知っただろう。
膺懲の効果を十二分に挙げ得た事を、君及び君の部下に感謝する。
僕のこの気持を全員に洩れなく伝えておいてくれ給え」
この時、河野副官が言葉をさしはさんだ。
「連隊長殿!さきほど旅団長閣下が……」
「オオそうだ。旅団長閣下がいま、戦闘司令所を西五里店まで進めて来ておられる。
さきほどから夜襲の成果について大変心配しておられたから、
すぐ行って君から詳細報告してくれ給え」
木原大隊長は護衛の一ヶ分隊を伴って、暗い夜道を西五里店に向った。
河辺旅団長は午前二時半、茅屋 (ぼうおく) で寝もやらず、
カンテラの光に地図を按じていたが、木原大隊長の姿を見かけるなり、サッと
椅子から起ち上って、二歩三歩大隊長の方に歩み寄り、その手を堅く握りしめた。
「ヤア木原君!
ご苦労でした。連隊長の意図通り、実に立派な夜襲が出来て、
君の戦闘指揮に満腔 (まんこう) の敬意を表します。
犠牲者が出た事は何とも残念だが、負傷者は至急豊台に送って、
十分の手当をしてやってくれ給え。
他の兵は皆元気だろうな。これまた十分労 (いた) わってやってくれ給え」
懇篤な犒 (ねぎ) らいの言葉に、大隊長が感激と部下を失った悲しみもひとしお深く、
戦闘司令所の外にでた時、叢 (くさむら) にはもう、朝露がシットリと置かれていた。》
つづく
これは メッセージ 571 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/572.html
盧溝橋事件66 竜王廟の夜襲2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/17 18:30 投稿番号: [571 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
227〜229p
《 大隊はいままで、八宝山方向に対して警戒配備についていたが、その隊形をそのまま、
右より渋江第一、乃美第三の両中隊を第一線、古川第二中隊を第二線とし、
本部はその中央に位置し、日没と共に竜王廟に向って発進を起した。
出発に当って大隊長は、本部書記の松浦軍曹を伝令として世良小隊に出し
「大隊主力は、今夜竜王廟正面の敵に対して夜襲を決行する。
貴小隊は現在地に停止、そして絶対同志射ちの混乱をひき起さないよう注意せよ。
夜襲成功後は貴小隊の正面に引揚げて行く予定、
特に大隊主力に対して連絡を緊密にせよ」 と伝達させた。
大隊は原ッパの真ん中、一本柳付近から、
大きく斜め左に方向を変換して堤防に正対し、
大隊左翼の目標を竜王廟にとり、これより上流、堤防上の敵を攻撃するよう
夜間戦闘を準備した。堤防までの距離はタップリ千メートルはある。
視界がだんだん薄暗くなってきた。前方百メートルくらい見透せるのが精々である。
それが刻々暗さを加えてきて、大隊が濃密散兵の隊形で一本柳を出発した時は、
もう足元だけしかわからぬような真ッ暗闇になっていた。
時々、堤防上からパーン!パーンと緩徐な銃声が起って来る。
中国軍が索敵の目的をもってブッ放している射撃らしい。
第一線両中隊はグングン突き進んで行った。
大隊本部との隔たりが、大分開いたようである。
本部としてもまた、第一線両中隊の現在地がハッキリとは掴めていない。
大隊長のまわりには、大隊副官代理の因幡中尉、それに伝令、書記、
連絡兵等合せて十二、三人がいた。
大隊長は因幡副官をふり返って 「オイ!
因幡!どうも拙 (まず) い夜襲に
なってしまいそうだなあ!」 とつぶやいた。
午後九時近くである。鼻をつままれてもわからぬ闇の中で、
敵の射撃が俄然激しさを加えて来た。
敵弾はビュッ!
ビュッ!みんな頭の上を飛び越して行く。
銃声や敵火の閃光から判断すると、
正面の敵兵力が二、三百ある事はまず動かぬところである。
パンパンいう音がまるで豆でも炒っているみたいだ。
因幡副官が大隊長の耳元にささやいた。
「大隊長殿!銃声がにわかに激しくなってきました。
第一線はもう突っ込んだんじゃないでしょうかー」
「ウム、でもまだ百五十メートルくらいあるだろうぜ。
歩度を伸ばしてもう少し前進してみよう」
それから三十メートルばかり進んだころ、敵火はいよいよ狂気のように激しくなってきた。
− 第一線、いよいよ突っ込んで行ったな。− そう直感した大隊長は、
軍刀頭上に撮りかぶりざま、大隊本部に「突っ込めッ!」と命令した。
長身の大隊長が最先頭を走った。ところが走っても走っても、一向堤防に到着しない。
これは後に調べてみてわかった事であるが、突撃発起の地点から敵線までの距離が、
何と二百五十メートルもあったのだから、敵と格闘するより先に、
まず息切れの方で参ってしまう。
それともう一つ、陣地間近く迫ったところ、いつの間に掘ったか、
幅約三メートルという一連の外壕が埋防の手前に横わっていて、
昨日の雨水がそれに溜り一大障害を形造っている。
大隊長以下、それら障害を意に介せず一気に埋防上に駆け上って行った。
勢い込んだ木原少佐は、当面の中国兵に袈裟がけの一刀を浴せかけた。
剣道五段、腕には十分の自信があったが、
この初太刀あいにく敵の弾帯に斬りつけたため、カチンと音がしてハネ返されてしまった。
大隊長はやにわに軍刀の柄を両手で握りしめ、新たな敵に向って斬り込んで行った。》
つづく
これは メッセージ 570 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/571.html
盧溝橋事件66 竜王廟の夜襲1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/16 18:28 投稿番号: [570 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
226〜227p
《 七月十日午後四時、張允栄と盧南生とが特務機関にやって来て、
停戦協定の下相談を済ませた後、正式協定の締結にはまだ相当手間取るだろうが、
取りあえず今晩のところ、両軍に射ち合いさせない事が先決問題だというので、
その席でこれに対する双方の申し合せを行なった。
この内容は
申し合せ事項
一、十日夜における両軍の行動
イ、日本軍は西五里店付近に兵力を集結し、本夜前方に向って行動する事なし。
ただし背後における連絡行動を妨げず。
ロ、中国軍は絶対永定河を越えて東進することなし。
ただし該河以西において後退行動をとるを妨げず。
二、現地に派遣する日華調停員
日本側
中島顧問
笠井顧問
中国側
周参謀
王団付
王県長
ちょうどそのころ、桜井顧問は単身車をとばせ、航空署街に秦徳純を訪ね、
これまた同趣旨の問題を交渉した。
ところが午後五時四十分、豊台の小野口副官から私のところに、
あわただしい電話がかかって来た。
「第一線の情況が急変しました。午後五時十分、約百名の中国軍が衙門口に現われ、
迫撃砲の射撃を交えつつ、いま、竜王廟に向って前進中です。
牟田口連隊は出動を準備中だとのことです」 続いて十五分の後
「永定河右岸からも新たに迫撃砲を射ち始めました。
旅団長はいま、牟田口連隊長に、竜王廟に出してある将校斥候は、
日没後直ちに一文字山に撤退させてしまうこと、
並に、八宝山方面の偵察には、一切斥候を用いる事なく、
土民の諜報だけでやるよう厳命されました」
これより先、この情況の急変を真ッ先に知った牟田口連隊長は、
一文字山の台上で仁王立ちに立ち上り大声で木原第一大隊長を呼んだ。
「木原少佐!
第一大隊は直ちに小銃機関銃各一ケ小隊を竜王廟に出せッ!
そして第二大隊の山下将校斥候を救援しろ!
早く早くッ!」
木原少佐はとりあえず手近にあった世良少尉の機関銃小隊に、田淵准尉の
小銃小隊をつけ、意図を含めて一文字山から真っ直ぐ、竜王廟に向って出発させた。
命ぜられた処置を終った大隊長が盧溝橋駅の大隊本部の方に戻って行く途中、
小岩井中尉が息せき切って迫かけて来た。
大きな声で 「第一大隊長殿!
連隊命令でありますッ!」 とどなっている。
木原少佐はふり返った。
すると 「命令をお伝えしますッ!
木原大隊は、協定に違反して竜王廟付近に
進出して来た当面の敵を、全力をあげて撃滅すべし。
目的達成後は、また速かに兵を引き、現在地に復帰して現任務を統行すべし。
特に、衙門口方面に深入りせざる事肝要なり。命令終りッ!」
通州から炎暑を冒し、盧溝橋の戦場に駆けつけて以来、
また一度も戦争らしい戦争もせず、
手ぐすね引いて攻撃命令を待ちうけていた木原大隊である。
将兵の士気は勃然として奮い起った。》
つづく
*
日本軍に
「軍を動かさないように」
と持ちかけておいて、
相手が油断している所を襲撃する。
これぞ中国的やり方。
だから、日本軍は自分から一方的に戦争をやめる事ができなかった。
話し合ってさえ、こうなのだから。
これは メッセージ 569 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/570.html
盧溝橋事件65 襲撃を予告する電報
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/15 18:24 投稿番号: [569 / 2250]
田中正明著 『東京裁判とは何か』 Ohtemachi Books
日本工業新聞社発行
179〜180p
《 埼玉県大和田にあった軍令部直属の海軍受信所 (各国の無線電信傍受を任務と
していた)の初代所長和智恒蔵海軍大佐 (当時少佐) の宣誓口供書。
昭和十二年七月七日、盧溝橋で日支両軍の衝突があり、軍令部からの命令で、
この事件に関する米、英、蘇、中の傍受配備を厳重にせよというので、
和智所長以下職員はほとんど不眠不休で厳戒に当っていた。
そこへ飛び込んできたのが、
北京のアメリカ海軍武官から、米本国海軍作戦司令部にあてた暗号電報であった。
七月十一日 (土) 午後二時過ぎのことである。
米海軍が常用している単一換字暗号電報であるが、解読してみると次のような内容であった。
『信頼スベキ情報ニヨレバ、 第二十九軍、 宋哲元麾 (き) 下ノ一部将兵ハ
現地協定ニ
アキタラズ、今夜七時ヲ期シ、日本軍ニ対シ
攻撃ヲ開始スルコト
アルベシ』
和智少佐は、この電報は重要と考え、直ちに軍令部に電話したが、
土曜日午後のため在室者が不在だったので、
かねて懇意の海軍省副官柳沢蔵之助中佐に電話して、
電報の内容を伝え、処理方を依頼した。
後日判明したところによれば、海軍側はこれを直ちに陸軍側に伝えたが、
陸軍側はこの日すでに現地において停戦協定が円満裡に成立した直後のことでもあり、
信用しなかった。陸軍省の副官は、「それは何かの間違いか、デマではありませんか」
といって相手にしなかったということである。従って現地軍にはこの情報は伝えられなかった。
しかし、果たせるかな、この夜中国側が現地協定をやぶって、攻撃を開始してきたのである。
・・・
和智氏は昭和二十二年十月に出所したのを幸いに、米海軍武官ストーン大佐を訪ね、
該暗号電報が米本国作戦部に実在しているかどうかを確かめてもらった。
たしかにその暗号は、米海軍省に保管されていた。
和智氏はその証言の裏付けを得て証言台に立った。
さすがにこの確証の前に、検察側は和智大佐に対し、一言の反対訊問もなかった。
ウエッブ裁判長は、中国代表の倪 (ニー) 検事に視線を向けて、
「検察側、反対訊問はありませんか」
と促すようにいった。
倪検事はニガ虫を噛んだような不機嫌な渋面で、
「その意思はありません」
と答えた。》
注
ここで傍受した
日にち
が十一日となっているが、これは十日の間違い。
実際には、この事件は十日に起きている。
寺平氏の 『盧溝橋事件』 でもこの電文は引用されているが、十日と書いてある。
寺平氏の本の引用は多すぎるので、他の本で引用できる分は他の本にした。
これは メッセージ 568 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/569.html
盧溝橋事件64 国民政府の動き
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/14 18:30 投稿番号: [568 / 2250]
『蒋介石秘録下』
サンケイ新聞社刊
200〜201p
《 十日、国民政府は日本大使館にたいし
「日本軍の行為は計画された挑発であり、不法のきわみである」
と文書で抗議した。同時に全軍事機関の活動を
「戦時体制」 にきりかえるため、つぎのような緊急措置がとられた。
一、抗議のための軍隊として第一線百個師、予備軍約八十個師を編成し、
七月末までに大本営、各級司令部を秘密裏に組織する。
二、現有の六カ月分の弾薬は長江 (揚子江) 以北に三分の二、
長江以南に三分の一を配置する。
弾薬工場が爆撃される場合を考え、フランス、ベルギーから購入することを交渉し、
香港、ベトナム経由の輸送ルートを確保する。
三、兵員百万人、軍馬十万頭の六カ月分の食糧を準備する。
現地では、この間、日中両軍がにらみ合ったまま、交渉が続けられていた。
九日、日本の支那駐屯軍参謀長・橋本群が天津から北平入りし、
駐北平武官・今井武夫らと協議を重ねたすえ、
十日、第二十九軍責任者の謝罪、中国軍の撤兵などを内容とする要求を、
秦徳純に提出した。》
これは メッセージ 567 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/568.html
盧溝橋事件63 参謀本部の情勢判断2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/13 18:35 投稿番号: [567 / 2250]
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』
161〜162p
《 不拡大方針をとりながら作戦指導の処置として増兵ことに内地師団の動員まで
考えた理由について
不拡大主義でゆくなら動員をやめるべきでないかと
一般に考えるが、第一線では紛糾があり、しかも派兵には数週間かかるので、
不拡大を希望しても形勢逼迫すれば万一の準備として動員を必要とすることになる。
輸送力があれば相当の兵力を国境近くに置いて対処することもできたであろう。
元来不拡大方針は政治的希望であるが、
一方現地においては戦闘行動が行われているので、
常に動員の必要が起こることを考慮していた。
と、石原部長は述べている。
石原部長は、動員は事態拡大の要素を含んでいるので、
できることなら内地師団を動員することなく現地解決にもっていくことを強く希望して
いたが、一方では居留民保護や僅 (きん) 少な兵力の支那駐屯軍の安全のためには、
動員による増兵の処置を認めざるを得ないという、
すなわち不拡大方針の堅持と増兵の処置による拡大への不安という矛盾に、
大きな悩みを抱いていたのである。
当時、中国駐在武官及びその他から次のような諸情報が伝えられ、
石原部長の心象に相当の影響を与えたものと思われる。
一
九日、中国側でも事件不払大の方針を確立したと伝えられはしたが、
実際には隴海線沿線に中央軍集結が命ぜられ、
また、旧東北軍の抗日軍隊に対して戦時体制の内命が発せられた。
二
十日十一時、南京駐在日高参事官は、外交部長王寵恵を訪ねて、
今次事変におけるいっさいの非は中国側にあり、
いっさいの損害賠償と合理的要求を留保する旨を通告した。王外交部長は
これに反駁し、妥結させようとする誠意は認められないという。
二十三時、陸軍省に入った公電によれば「蒋介石は四コ師を石家荘付近に北上すべく
命令し、同時に中央飛行隊に対し出動命令を下したるもののごとし」
と。
同盟漢口電によれば、蒋介石は廬山会議の結果、徐州付近に駐屯しある
中央軍四コ師に対し、十一日払暁を期し河南省境に集中進撃の準備を命じた。
上海特電
「十日、何應欽は軍事会議を開き津浦線、隴海線一帯の軍隊に対し
動員待機令を下し、とくに津浦線方面の写真任者第一軍長胡宗南に重大指令を発した。
また河南の中央軍は山西に入る態勢にある」
と。
三
支那駐屯軍からの報告によれば 「平漢線方面の支那軍は漸次北上を開始し、
第五三軍長萬福麟の部隊は保定よりタク県琉璃河方面に、
商震部隊は彰徳、順徳方面より石家荘、保定間に、更に中央軍の劉峙部隊は
開封、鄭州方面より衛輝、順徳に向かいそれぞれ移動中なり」
と。》
これは メッセージ 566 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/567.html
盧溝橋事件63 参謀本部の情勢判断1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/12 16:34 投稿番号: [566 / 2250]
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』
160〜161p
《 一方、参謀本部では、石原作戦部長が衆論を倒して事件不払大の方針を確定し、
その実現に努力していたが、一般にはしだいに強硬論が盛んとなってきた。
十日午前、参謀本部第三課と第二部は次のような情勢判断を行った。
一
諸情報ヲ綜合スルニ
冀察 (きさつ) 当局及 南京政府ハ
国民ノ抗日意識ヲ
煽揚スルト共ニ
対日武力戦争ヲ 準備シツツアリテ
我カ 支那駐屯軍ノ
和平解決ノ努力ハ
支那側ノ暴戻ナル
挑戦的態度ニ依リ
酬 (むく) ヒラレス
事態ハ
逐次悪化拡大スルノ虞 (おそれ) 大ナリ
二
大規模ナル 対支出兵ハ
帝国ノ固 (もと) ヨリ 好ム所ニアラサルモ
状況斯 (か) クノ如クニシテ 機ヲ失センカ
支那駐屯軍ノ自衛行動ハ
優勢ナル支那軍ノ重囲ニ陥リ
遂ニ 救フヘカラサルニ至ル
斯クテハ
帝国ノ威信ハ地ニ墜チ
支那ヲシテ益々増長セシメ
在留帝国臣民ノ生命財産ハ
暴虐ナル毒手ニ委 (まか) スルニ至ルヘシ
故ニ速 (すみや) カニ
之ヲ救援スルト共ニ
事態ノ根元ヲ一掃スル為
必要ナル兵力ヲ
先ツ
北支方面ニ派達スルヲ要ス
三
事態更ニ
他方面ニ拡大スルハ
之ヲ欲セサル所ナルモ
支那全般ノ 抗日情勢ニ鑑ミ
他方面ニ於ケル
日支尖鋭化ヲ来ス
虞ナキニアラス
之カ為
在支居留民ノ
保護ニ関シテハ
遺憾ナキヲ期ス
四
以上ノ処置ヲ取ル
場合ニ於テモ
現下ノ国際情勢ハ
欧米
就中 (なかんずく)
蘇聯邦 (ソレンぽう) ノ参戦ヲ
誘発スルノ
虞ナシト判断セラル
右判断により支那駐屯軍に増派する兵力を次のように考えられた。
一
関東軍の一部 (独立混成第一・第十一旅団、
関東軍飛行集団から偵察・戦闘・重爆各二中隊、その他)
二
朝鮮軍の一部 (応急動員した第二十師団、飛行中隊三−戦闘二、軽爆一)
三
内地から師団三、飛行中隊一八 (偵察六、戦闘五、軽爆四、重爆三) 其の他
この兵力は盧溝橋解決のためには、右の一、二、の兵力で十分であるが、
京漢線に沿って逐次中国中央軍が北上する場合を予想して、
内地師団の派遣が考えられた。これだけあれば平津地方における処理は
もとより内蒙、察哈爾の処理も可能と判断された。
これは平津、内蒙を満州国の緩衝地帯にしようとする武藤第三課長の
当初からの企図に基づくものであった。
この積極構想に対して参謀本部作戦課部員の中にも反対意見があり、
参謀本部第二課は大体において反対、
作戦部長石原少将も不本意であるがやむなく承服という態度であったが、ともかく
十日午後、兵力の派遣及び作戦行動の準拠に関する大命案が陸軍省軍事課に送付された。
陸軍省においては、陸軍次官梅津美治郎中将 (15期) が
「その趣旨にはあえて不同意ではないが、今すぐ三コ師団を動員派遣することは
国際関係を悪化する誘因となるし、なお北支の情勢もまだ判明しないのだから、
まず関東軍から二コ旅団を急派するほか、朝鮮軍から一コ師団を臨時編成で出し、
しばらく情勢を見るべきではないか」 との意見であった。
しかし結局参謀本部の要求を了とし、内地師団の動員も原則的に認め、とりあえず
関東軍の二コ旅団と在鮮第二十師団を応急動員して派兵することに落ち着いた。》
つづく
これは メッセージ 563 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/566.html
盧溝橋事件62 停戦協定条文の審議
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/11 15:07 投稿番号: [565 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
218〜219p
《 午前九時半から機関の小応接室で、引き続き、さきほどの会議が開かれた。
会議は紆余曲折したが、せんじ詰めたところ、次のような交渉案がまとまった。
条
文
一、第二十九軍代表は日本軍に対し、遺憾の意を表し、かつ責任者を処分し、
将来責任をもって再びかくのごとき事件の惹起を防止する事を声明す。
二、中国軍は、豊台駐屯日本軍と接近し過ぎ、事件を惹起し易きをもって、
盧溝橋付近永定河東岸には軍を駐屯せしめず、保安隊をもってその治安を維持す。
三、本事件は、いわゆる藍衣社、共産党、その他抗日系各種団体の指導に
胚胎すること多きに鑑み、将来これが対策をなし、かつ取締りを徹底す。
以
上
私は早速二十九軍側に電話した。
そして事件調停の衝に当り得る、重要人物を特務機関まで派遣するよう要請した。
すると先方から、張自忠と張允栄とを差向けたいのだが、張自忠は今、病臥中のため、
取急ぎ張允栄だけを機関に出頭させるという回答があった。
斡旋の主は冀察の元老格、元陸軍上将斉燮元 (さいしょうげん) 将軍である。
張允栄は午後四時、随員の盧南生を帯同して、特務機関を訪れて来た。
橋本参謀長を含めず、さきほどの会議の面々、それに私を加えた六人は、
機関の大応接室で二十九軍代表張允栄と対坐した。
盧南生は張の横にシャチコ張って坐っていた。
張自忠、張允栄、この二人は従来から親日系をもって目せられ、
つい最近の日本内地視察旅行以来、日本の現状に対しても、
一番深い認識を持った知日派である。
松井機関長は条文内容について説明した。
張允栄は黙黙、頭を垂れて傾聴し、その要所要所を自らメモしていた。
やがて全部の説明が終った時、彼は
「本件は、両国、明日以後の親善提携を卜 (ぼく) すべき、
重要ポイントとしての役割を帯びております。
従って双方の意向に、いささかの無理もわだかまりもない事が大切です。
このため、これから二十九軍首脳部とも、打ち合せしたいと思いますので、
暫 (しばら) くの間、ご猶予いただきとうございます」 と申し立てた。
「よろしゅうございます。どうぞお持ち帰りの上、十分検討なさって下さい」 と
松井機関長がいった。
会談は二十分ばかりで終ってしまい張允栄は間もなく機関を辞去して行った。
この夜、二十九軍司令部からは、細目交渉のため、
何回となく特務機関に電話がかかってきたし、張允栄ばかりでなく、
斉燮元 (さいしょうげん) までが頻繁に機関の門を出たり入ったりした。
つづく
これは メッセージ 564 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/565.html
盧溝橋事件61 関東軍から至急官報
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/10 18:35 投稿番号: [564 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
216〜218p
《 いままで武官室で勤務していた武藤正美機関員が、
紙片一枚握ってアタフタ補佐官室へ駆け込んで来た。
「補佐官殿!
参謀長閣下あて、関東軍から至急官報が参りました。これがそうです」
「何?
関東軍から至急官報だって?
どんな電報だ」 私はジーッと暗号の訳文に目を通した。
天津軍参謀長
宛
一、関東軍奈良歩兵連隊及び入江砲兵連隊は、昨九日、山海関に集結を完了す。
二、関東軍飛行隊 (一部欠) は、錦州、山海関に集結す。
三、在承徳鈴木混成旅団の主力は、承徳、古北口間に在って、すでに出動準備を完了しあり。
関東軍参謀長
発
「ホホウ!
こりゃあ、また関東軍エライ気の早い事をやってるなあ!
しかしこれは今日の会議に非常に大きな波紋を巻き起すぞ。
天津軍は和平交渉の手を差し伸べようとしているのに、関東軍はまるで、
やれやれッ!
といわんばかりに、戦争をケシかけているみたいじゃないか。
ヨシッ!
この電報は早速扶桑館の方に届けてやろう」
午前八時、扶桑館では、盧溝橋事件調停に関する会議が始められた。
列席者は、橋本参謀長、塚田中佐、大木参謀、松井機関長、
和知参謀、今井武官の六名である。
参謀長はまず、和平処理に関する軍の根本方針を説明し、
その後で今度は現地当事者から、事件処理に関するさまざまの意見を聴取した。
ちょうどこの時、さきほどの関東軍参謀長からの至急官報が届けられた。
参謀長は電文内容を一同に披露した後
「こういう電報が発せられてくるにつけても、
今や現地の停戦は一刻の遅滞を許さない切迫した情況にあります。
これはまた、中国側においても、ほぼ同様の状態にある事が想像されます。
したがってこの問題は、巧遅よりも拙速、この方針でいかなければなりません。
いまからその具体的研究に移りたいと思いますが……」
その時、今井武官が発言した。
「お話中ですが、停戦問題の取り決めをするには、
これから中国側ともいろいろ折衝しなければなりません。
また刻々移り変る第一線方面の戦況とも、睨み合せなければなりません。
その上こういった電報連絡の事を考えますと、扶桑館では万事につけて不便を感じます。
会議場所を、一つ特務機関の方へお移しになったらいかがですか」
全員これに賛同して、会議は一応解散、一同車を連ねて特務機関に移動した。
この移動の最中、午前九時五分、豊台から無電による連絡があった。
「第一線の情況悪化す。第一大隊は北京帰還を見合せ、目下出動を準備中」》
つづく
これは メッセージ 562 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/564.html
盧溝橋事件60 日本本土の見方
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/09 18:26 投稿番号: [563 / 2250]
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』
158〜159p
《 九日夕、石原第一部長は 「事件解決のためには兵力を使わぬ方がよい。
あれをもみ消すのは陸軍省のやることだ」 と意見を述べて帰宅された。
しかし、この事件をこじらせることのないよう、中国側に対する極めて簡単な
善後条件で一応解決する必要があると考え起案した。
これを柴山軍務課長が陸軍省内で説いて回り
「次官、大臣も異存がない。
ただ次長名で打電するを至当とする」
との意見であった。
そこで次長の決裁を受けて打電し、部長から事後承諾を得たが、
手続き上若干の問題があった。
この抽象的な四条件は、現地交渉に当たり現地軍の自主的活動に任す考えであるが、
陸軍中央部ではその具体的交渉内容について硬軟両派の意見が対立し
到底統一した見解が打ち出せない実情であった、たとえば将来の保障についても、
将来気をつけるという一札を入れる程度の者もあれば、
兵営の明け渡しを要求する者もあり、責任者処罰問題でも、
単に大隊長程度でよいという者から、宋哲元罷免を要求する者もあった。
当時の支那駐屯軍は、よく中央の方針、指示に従って実行していたが、
具体的事項になると、中央の意見がまとまっていないので、交渉に手間どっていた。
北支では、九日早朝に松井・秦徳純停戦協議が成立して以来、
現地の河邉旅団が中国側の履行状況を監視していた。
ところが中国側内部の連絡が悪く、撤退時刻の五時になっても撤退せず、
かえって旅団に射撃を加えてきたので、旅団も盧溝橋城内に砲撃を加えた。
また城内の中国軍と交代するため北平から南下してきた保安隊約二〇〇名と、
日本軍第一線部隊の間でも、相互誤解から一時戦闘が起こった。
しかし中国側委員と旅団の折衝により、城内の中国部隊は十二時二十分、
一小隊を残して永定河右岸に撤退し、保安隊が城内に入った。
よって旅団は、監視任務のため一部を現地に残し、主力は原駐地に帰還するよう部署した。
牟田口聯隊は一部をもって一文字山を占領し主力は豊台に集結した。
九日夜、橋本参謀長は善後措置のため北平に到着し、
まず第一線の状況を視察し、その労をねぎらったのち城内に入った。
当時、北平城門及び城内は中国側により厳重に警戒されていた。
この日(九日)、関東軍参謀辻政信大尉が天津に来て、
関東軍の意見として時局対処の強硬論を述べた。》
これは メッセージ 556 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/563.html
盧溝橋事件59 橋本参謀長を出迎え3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/08 18:32 投稿番号: [562 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
(このあと参謀長は戦死者の慰霊や、負傷者の見舞いをするが、その箇所省略)
213〜215p
《 やがて車は守備隊の正門を出発した。参謀長一行は停戦協定を結ぶため
北京へ向う途中、盧溝橋付近の戦場を視察することになったのである。
(途中省略)
河辺旅団長、牟田口連隊長、一木大隊長等はその時皆、ホームのところに
集って、参謀長の到着を待ち受けていた。
「ヤア!」「ヤア!」
参謀長と河辺将軍、言葉は簡単ながら感慨深げな挨拶を交した。
「とうとう余儀ない情況の下に、衝突を起してしまいましてなあ。
大変ご心配をおかけ致しました」
「イヤイヤ、どう致しまして、非常なご奮闘で本当にお疲れでございました。
ことに犠牲者を出されました事について、衷心ご同情申し上げます」
「有難う。牟田口君や、それから一木大隊長が実によくやってくれました。
中国側に対しては、これで十分精神的打撃を与え得たことと思います。
ただ、多数の犠牲者を出した事が非常に残念です。
今日はもう、戦場も大分鎮静に赴いたようですから、一部をあの一文字山付近に残し、
主力は一応豊台に引き揚げるよう命令しました」
「じゃあいまから、直接、戦闘を指揮した牟田口連隊長と一木大隊長から、
戦況の概要を聞いていただきましょう」
そこで牟田口大佐と一木少佐とは、代る代る鞭を振り振り、事件発端の経緯から
戦闘経過を、現地についてつぶさに説明した。二人の説明はかれこれ三十分ばかりかかった。
その一言一句には、今日はまた格別力が籠っていて、当時の戦況が彷彿 (ほうふつ)
として私達の眼前に描き出されて来るのだった。
最後に一木大隊長 「私の戦闘指揮が当を得ませんでしたため、
多数の死傷者を生じました事は、誠におわびの申し様がございません……」
そこまで語り来った大隊長は、そのままバッタリ言葉が途切れてしまった。
隊長の脳裏には、この時、昨日来の情景がマザマザと映じて来て、
かれを思いこれを想い、うたた断腸の念にたえなかったに違いない。
参謀長も、旅団長も、そしてなみいる将校一同も、ことごとく暗然として涙をのんだ。
夕靄立ちこめる盧溝橋の原、これが昨日の激戦の跡とは思われないばかりに、
あたりはシーンと静まり返っている。
遥か埋防の方には、竜王廟の赤褐色の塀がボンヤリと霧雨の中に煙っている。
「じゃ、私は今からまだ仕事がありますから、これで失礼いたします
諸官のご健闘を祈っております」
参謀長は一同に挨拶した。そして旅団長等に見送られながら、自動車の方へ歩を運んだ。
その時、宛平城の空を、鴉 (からす) の群が北へ北へと飛んでいった。
車は北京街道を東へ走った。
参謀長の車が北京市内の宿舎に入ったのは午後八時三十分であった。》
続く
これは メッセージ 561 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/562.html
盧溝橋事件59 橋本参謀長を出迎え2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/07 18:35 投稿番号: [561 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
210〜212p
《 入口のすぐ左側に通信所があった。私は雨宿りのつもりでツカツカとその中に
入って行くと声をかけられた。それは旅団の次級副官小野口大尉だった。
「いつの間にこんなところに来られたんです?」 私はろくろく挨拶もしないで、尋ねた。
「昨日ですよ。牟田口連隊長と一緒にこちらにやって来ました。
しかし戦争というものは、こういう後方勤務は一向有難くないですな。
河辺閣下はもう今朝程から、第一線に立って指揮をとっておられます。
それで君はまた、どういう要件でこちらに来られたんですか?」
「アア私ですか。私は参謀長閣下のお出迎えです。
何だか豊台から北には汽車を出さないような噂を聞いたもんですから」
すると副官は 「さきほど、河辺閣下から電話がありましてね。参謀長閣下が来られたら、
ちょっとでもいいから盧溝橋の戦場を回って、見ていただきたいっていわれるんです。
閣下としちゃあ、すでにこの戦場で部下を殺しておられるんですからねえ。
そういったお気持が多分にあるんでしょう。
だから僕は、どうしても参謀長閣下を、ここで汽車から引きずり降さなきゃならない
立場にあるのです。オヤッ!
もうボツボツ列車が着く時刻です。駅の方に参りましょう」
二人は一緒に自動車に乗った。そして雨の中を素ッ飛ばして
ホームのオーバーブリッジの脇に車を横付けにした。
ガランガラーン!
ガランガラーン!
信号所の方で合図の鐘が鳴る。
やがて北京行き急行列車がすさまじい勢いでホームに滑り込んで来た。
「一号車はもう少し後の方に停車いたします」
豊台憲兵の三橋実上等兵が私達二人に注意してくれた。
車輌の胴体に赤色のライン、そしてその下に 「頭等臥車」 としるされた車が、
静かに私達の前に停った。二人は車の中に乗り込んでドアーをあけると、
出会い頭にブツかったのが大木良枝少佐参謀だった。
「お迎えに上りました。実は豊台の駅長が作戦関係の日本軍人は一人も
北京にやらんと頑張っていますし、
またこの次の永定門駅では、ワカラズヤの二十九軍が抜身のダンビラを突き付けて、
乗客をしらみつぶしに調べるんです。
それやこれやでいっそのこと、自動車で北京まで素ッ飛ばされた方が
早手回しと考えまして、ここまでお迎えに上りました」
「それはどうもご苦労様でした。じゃあちょっと待ってくれ給え。
その事を閣下に申し上げてくるから……」
参謀長は 「外は雨が降っているようだな」 と言いながらマントを羽織り、
やがて列車から降りて来た。
一行三台の自動車は、参謀長の車を先頭にして、守備隊の中に入って行った。
雨は次第に本降りになって来た。
ゴッタ返しの本部事務室で、一杯の渋茶に喉を潤している参謀長に小野口副官が
「当兵舎には、昨日の戦闘で名誉の戦死をとげました鹿内准尉以下十名の遺骸が
安置してございます。
それから野地少尉以下、二十数名の負傷者を、医務室の方に収容しております。
ただいまからその方をご案内申し上げます」 と報告に来た。》
つづく
これは メッセージ 560 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/561.html
盧溝橋事件59 橋本参謀長を出迎え1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/06 18:25 投稿番号: [560 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
209〜210p
《 笠井顧問や愛沢通訳生達が、保安隊誘導のため出ていってしまった後も、
中国側の要人達は、依然、次から次へと特務機関を訪れて来て、機関の中は
相変らず上を下へのゴッタ返しを続けていた。
応接室と事務室の間を、あわただしく駆けずり回っている私をつかまえて、
吉富機関員が話しかけた。
「アア補佐官殿!
先程豊台からお電話がありました。
関東軍の連絡将校、辻政信とかいう大尉の方が、今豊台に来ておられるそうです。
それで今晩北京に泊ろうと思って、汽車に乗ろうとされたところ、豊台の駅長が、
作戦上の目的で北京に行く者は、絶対、汽車に乗せる事まかりならんといって、
もう三時間ばかりも汽車を動かさないんだそうであります」
「フーム、それで北寧鉄路局の方へ、交渉でもしてくれといってきているのか?」
「イヤ、北京行きは中止されたそうであります。
ただ、そういう事があった事だけ、お知らせしておいてくれとの事でございました」
「そうか。辻大尉がやって来ているんだな。
この辻大尉というのは、この前、上海事変の時、金沢の連隊の小隊長として出征し、
勇敢に戦ったが、戦後はもう一人、辻権作という大佐と一緒に、
あちこち講演して歩いたので、ますます有名になったんだ。
幼年学校、陸士、陸大の恩賜組で、口も八丁、手も八丁、なかなかの遣り手だそうだ。
関東軍、いよいよジッとしておれなくなったもんだから、
天津軍をケシかける意味で辻大尉なんかをよこしたんだな」
話し合っているところに天津の軍司令部から、電話がかかってきた。
「軍参謀長の橋本少将と塚田参謀それから大木参謀の三名が、停戦協定締結のため、
今日牛後三時四十五分、天津発、列車で北京に向われました。
出迎えの準備と宿の支度を、どうぞよろしくお願い致します」 というのだ。
「こりゃあいかん!
早速今の問題を解決してしまわんと、
今度は参謀長一行まで、豊台の駅で河止めみたいな事になってしまう」
私はトントンと階段を駆け上って機関長室に入って行った。
「そうか。宿の方は扶桑館に交渉したらそれでよかろうが、
列車の一件は、こいつちょっとうるさい問題だなあ!
それに時間ももう余りない事だしするから、北寧鉄路局に連絡をとる一方、
どちらに転んでも大丈夫なように、ご苦労だが補佐官一つ、
自動車を二台ばかり用意して豊台駅まで迎えに行って来てくれ。
汽車が順調に出るようだったら補佐官もそれに乗って、一緒に帰って来るがいい」
私は早速吉富機関員に命じ、北寧側との交渉を開始させた。「あとは頼んだぞ!」
私は一声を残して北機第一号車と、軍事顧問用の車一台とで特務機関を出発した。
車が豊台の駅についたのは、六時にはまだ大分間のある時間だった。
霧のような雨がまたモヤモヤと降り始めてきた。
私は駅のすぐ前にある、豊台守備隊を訪れて行った。
軍装物々しい、そしてズブ濡れになった兵隊が、あわただし気に営内を行き来している。
彼等は何れも七日の夜以来、盧溝橋の戦場で善戦健闘したつわもの連なのだ。
私なんかと一緒に死生の巷にさらされてきた戦友なのだ。
なんともいえぬ親しさ、懐かしさがこみ上げてくる。》
つづく
これは メッセージ 559 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/560.html
Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ
[検索ページ]
(中東)
(東亜)
(捕鯨 / 捕鯨詳細)