入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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王城北京を兵火から護る工作 1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/08 18:38 投稿番号: [594 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
241〜242p

《 天津軍司令官田代皖一郎中将は、従来心臓喘息の気味があったが、
昭和十二年四、五月ごろ、山海関部隊の検閲に行ったさい発作が起り、

爾来健康とかく すぐれず、天津宮島街張園の軍司令官官邸で病を養っていた。

盧溝橋事件が勃発したころはかなり重篤の症状で、
事件そのものの報告さえ、差し控えなければならない状態だった。

だから事件の善後措置は、一切が軍参謀長橋本群少将の裁量に委ねられていた。
参謀長はとりあえず軍伝統の使命にかんがみて 「不拡大」 の方針を決め

自ら北京までもとんだ。
その結果がようやく、停戦協定という形となって現われたのである。



一方、東京三宅坂の軍中枢部では、この重大時局に当って軍司令官が病気では、
万事につけて不都合であるとの見地から、

新しく軍司令官として教育総監部本部長香月清司中将を任命した。
中将は、新たに軍の増加参謀として命課された橋本秀信、菅波一郎、

堀毛一磨等三中佐を帯同し、七月十一日立川飛行場を出発し、
一路京城に向って飛翔 (ひしょう) した。

錦州からはいよいよ暗雲低迷する華北に突入するというので、
関東軍戦闘機の直衛までもつけられて、物々しい態勢で天津に向った。

廟議は当初から事件の不拡大、現地解決、そして兵力不行使を標榜していたのだから、
香月中将が東京で受けた訓令はまた 「徹底不拡大」 であったことはいうまでもない。



しかるに中国側は、当時京漢線沿線各所に駐屯していた中央軍に対し、
急遽北上の命令を下した。この命令は我が無線諜報によってキャッチされ、解読された。

これにより東京もまた大いに考え直さなければならなくなって来た。
出兵はもちろん欲するところではない。

しかし華北に在住する居留民はあくまで保護しなければならぬ。
彼が兵を動かし始めた以上、我もまたこれに備えるのは当然である。

戦う戦わないはおのずから別個の問題である。



こうした見解の下に、かの   「目下三ヶ師団、動員の準備にあり」
という電報が発せられるようになったのである。

関東軍はこのころ、すでに独断兵を動かして長城線を越え、
続々冀東地区に乗り込んで来た。

即ち鈴木重康中将の熱河独立混成第十一旅団に属する、麦倉、奈良の両連隊は
北京の北方、密雲、懐柔に兵力を集結し、虎視耽耽と北京城を睨んでいたし、

酒井鎬次少将の公主嶺機械化混成第一旅団は、また熱河の山岳地帯を突破して、
古北口に兵力を集結し始めていた。

もっともこのあたりまでの行動は、塘沽停戦協定第二条に基いて、
日本軍に許容された範囲内のものであったから、

中国側がいますぐこれを取り上げて、
主権侵害と騒ぎ立てる材料にはならなかったのである。》


つづく
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