和平を壊す東京の放送
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/09/27 18:42 投稿番号: [582 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
224〜225p
《 その夜おそく、松井機関長が内地方面最終のラジオニュースを聞こうとして、
スイッチを入れると、アナウンサーはちょうど今日の停戦協定のことを伝えている最中だった。
それは 「陸軍省当局談」 と前置して 「……こうして本日、北京において
停戦協定が成立したとはいうものの、冀察政権従来の態度から判断すると、
これが果して先方の誠意に基くものであるかどうかは、すこぶるもって疑わしく、
全幅的信頼は寄せ難い。おそらくこの一片の協定書も、
やがて間もなく、また反古同然のものになってしまうだろう事を
あらかじめ覚悟しておかなければなるまい」
これを聞いた機関長は、椅子を蹴って起ち上った。
そして憤然、ただちに電報起案紙にペンを走らせた。
「……当局談の真意はそもそも那辺に存するや。
協定実行の誠意を冀察側に求めんがためには、
我また十分の誠意を披瀝する事肝要なり。
本日の放送のごときは、冀察を責むるに何等の効なく、
かえって彼に、協定破棄の口実を与うる不幸なる結果を招来せんのみ」
この数語の中、現地機関の苦衷と、不拡大目的完遂のための誠意とが、
実に躍如としているではないか。
やがて三宅坂、陸軍省から返電が来た。
「ラジオの放送は誤りなり。引続き努力を継続せられたし」
何という間の抜けた電報であろう。当局の不見識も甚しく、
「いったい東京は何をしているんだ?」 と言いたいところである。
これは後になって判明した事であるが、
右のラジオ放送は、陸軍省新聞班の強硬派雨宮巽中佐が、
班長秦彦三郎大佐の点検を経ることなく、
独断原稿を放送局に回したものだとの事である。
冀察の情報関係者が、何でこの東京放送を聞き逃がそう。
ことにそれが 「陸軍省当局談」と銘打ってある点を重要視し、
まさにこれ全陸軍の総意であると判断し、冀察側の神経は爾来極度に昂ぶってきた。
そのトバッチリは直ちに特務機関にハネ返って来た。
彼等は叫んだ。
「今次の停戦協定がかくまで軽視され、侮蔑された事は心外である。
これを要するに日本側には一片誠意の認むべきものすらないのではないか。
自分が反古扱いすればこそ、相手も反古にするだろうと考えるのは当然である。
こう考え来れば、日本が称えるところの不拡大方針、ないし停戦前後措置というものも、
究極は、自分の作戦準備が完了するまで、時間的余裕をかせごうとする、
卑怯極まる緩兵策に他ならないではないか」
こうした疑惑を彼等の脳裏に植えつけてしまったのだから、
爾後の交渉は非常にやり憎いものになってしまった。
現地機関はそういう冀察側の感情を解きほぐし、真の不拡大を招来するため、
さらにどれほどの苦心と努力を払わなければならなかったか、
この点は筆舌のよく尽し得るところではない。
「天に代りて不義を討つ……」 日毎夜毎、内地のラジオから流れて来るメロディーは、
我々幼いころから聞きなじんだ勇ましい曲ではあったが、
およそこの時くらい複雑奇妙な感じをもって、耳にした事はなかったのである。》
続く
224〜225p
《 その夜おそく、松井機関長が内地方面最終のラジオニュースを聞こうとして、
スイッチを入れると、アナウンサーはちょうど今日の停戦協定のことを伝えている最中だった。
それは 「陸軍省当局談」 と前置して 「……こうして本日、北京において
停戦協定が成立したとはいうものの、冀察政権従来の態度から判断すると、
これが果して先方の誠意に基くものであるかどうかは、すこぶるもって疑わしく、
全幅的信頼は寄せ難い。おそらくこの一片の協定書も、
やがて間もなく、また反古同然のものになってしまうだろう事を
あらかじめ覚悟しておかなければなるまい」
これを聞いた機関長は、椅子を蹴って起ち上った。
そして憤然、ただちに電報起案紙にペンを走らせた。
「……当局談の真意はそもそも那辺に存するや。
協定実行の誠意を冀察側に求めんがためには、
我また十分の誠意を披瀝する事肝要なり。
本日の放送のごときは、冀察を責むるに何等の効なく、
かえって彼に、協定破棄の口実を与うる不幸なる結果を招来せんのみ」
この数語の中、現地機関の苦衷と、不拡大目的完遂のための誠意とが、
実に躍如としているではないか。
やがて三宅坂、陸軍省から返電が来た。
「ラジオの放送は誤りなり。引続き努力を継続せられたし」
何という間の抜けた電報であろう。当局の不見識も甚しく、
「いったい東京は何をしているんだ?」 と言いたいところである。
これは後になって判明した事であるが、
右のラジオ放送は、陸軍省新聞班の強硬派雨宮巽中佐が、
班長秦彦三郎大佐の点検を経ることなく、
独断原稿を放送局に回したものだとの事である。
冀察の情報関係者が、何でこの東京放送を聞き逃がそう。
ことにそれが 「陸軍省当局談」と銘打ってある点を重要視し、
まさにこれ全陸軍の総意であると判断し、冀察側の神経は爾来極度に昂ぶってきた。
そのトバッチリは直ちに特務機関にハネ返って来た。
彼等は叫んだ。
「今次の停戦協定がかくまで軽視され、侮蔑された事は心外である。
これを要するに日本側には一片誠意の認むべきものすらないのではないか。
自分が反古扱いすればこそ、相手も反古にするだろうと考えるのは当然である。
こう考え来れば、日本が称えるところの不拡大方針、ないし停戦前後措置というものも、
究極は、自分の作戦準備が完了するまで、時間的余裕をかせごうとする、
卑怯極まる緩兵策に他ならないではないか」
こうした疑惑を彼等の脳裏に植えつけてしまったのだから、
爾後の交渉は非常にやり憎いものになってしまった。
現地機関はそういう冀察側の感情を解きほぐし、真の不拡大を招来するため、
さらにどれほどの苦心と努力を払わなければならなかったか、
この点は筆舌のよく尽し得るところではない。
「天に代りて不義を討つ……」 日毎夜毎、内地のラジオから流れて来るメロディーは、
我々幼いころから聞きなじんだ勇ましい曲ではあったが、
およそこの時くらい複雑奇妙な感じをもって、耳にした事はなかったのである。》
続く
これは メッセージ 578 (kireigotowadame さん)への返信です.