南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
Re: 鬼頭証言は眉唾物
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/24 22:28 投稿番号: [11598 / 29399]
>
何が「よろしいでしょうか?」なのかさっぱり分からないが・・・
>
要するに、「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」という命令を「
>当時の宮さん〔朝香宮〕から」受けたという証言には何の根拠も無いと
>いうことだろう?
■あなたが議論を回避したとおり、証言というのは一般的に記憶が根拠となります。
>
軍命令である、ということすら、誰から受けた命令なのかも覚えてい
>ないのだろう?
■小隊長もしくは中隊長から受けた軍命令である、という記憶です。
つまり、「小隊長」か「中隊長」が命令者であったことを覚えているわけですね。
>
つまり、鬼頭証言には証拠力がないということでこの議論は終わって
>いる。
■刑事裁判を行っているのではありませんので、証拠能力を論じても意味がありません。
この証言を一つの資料として考察するならば、他の同様の証言や記録が複数存在することから、同証言の信憑性が高いものと考えることが出来るわけです。
>
いつも思うのだが、同じ話をループさせて相手のやる気を殺ぐテクニ
>ックは、反日活動家のマニュアルにでも載っているのかい?
■ボキャブラリの低さは、D.C.さんと同程度ですね(笑)。
>>
いや、秦先生の個人的な意見はいいから。
>>
肝心の、「実際、上海戦でも捕虜殺害を戦果として計上していたようですが」の部分を示して欲しいのだが。
>>
一体何を勿体ぶっているのだろうか。
>>(No.11507)
>
と指摘済み。
■だから、下記の投稿に明示しましたことを指摘済みです。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6af
c0a9oa29ta4obbvbcb&sid=1143582&mid=11506>> あのぉ…?
>> 私の文章がどのような意図を持っているかを説明しているのに、なぜ、あなたの意見が反映しなければならないのでしょうか?
>>
>> だいじょうぶですか?
>
いや、とぼけなくていいから。
■つまり、私の書いた文章の意図を、あなたの思い込んだ意図であったと主張してしまったわけですね(笑)。
これは メッセージ 11588 (nmwgip さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11598.html
Re: マトモに保護された日本人捕虜はゼロ
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/24 21:17 投稿番号: [11597 / 29399]
>それじゃ、何のことやらサッパリ分からないね。
■あなたの程度に合わせる義理もないと思いますが…。
>日本軍が支那軍の投降を受け入れ、投降兵を捕虜収容所に収容した後に
>、その捕虜を理由もなく殺害したことを短く分かり易く説明しなさい。
どうぞ↓
○タラリさんのページ
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm○もしくは、本多勝一・小野賢二「幕府山の捕虜集団虐殺」(『南京大虐殺の研究』P128-149)、小野賢二「虐殺か解放か
----
山田支隊捕虜約二万の行方」(『南京大虐殺否定論13のウソ』P140-159)をご覧ください。
>だから、それらの捕虜が誰かも分からず、人数も分からず、「反戦兵士
>」にされたかどうかも分からず、全く検証不可能では、仮に青山和夫の
>『反戦謀略』のその記述が事実だとしても、その後全員が「反戦兵士」
>などにされて死んでしまった可能性が高いだろ。
■「その後全員が「反戦兵士」などにされて死んでしまった可能性が高い」という根拠を提示してくださいね。
これは メッセージ 11586 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11597.html
Re: 支那軍の暴虐>>>日本軍の報復
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/24 20:52 投稿番号: [11596 / 29399]
>だから、それらの捕虜が誰かも分からず、人数も分からず、「反戦兵士
>」にされたかどうかも分からず、全く検証不可能では、仮に青山和夫の
>『反戦謀略』のその記述が事実だとしても、その後全員が「反戦兵士」
>などにされて死んでしまった可能性が高いだろ。
■「その後全員が「反戦兵士」などにされて死んでしまった可能性が高い」という根拠を提示してくださいね。
相変わらず、妄想なのでしょうが(笑)。
>上海で支那軍は、便衣隊が日本軍を銃撃したり民間人を狙った市街地爆
>撃をしておいて日本軍の仕業だと宣伝したり細菌戦を行なったり日本兵
(以下の駄文は省略)
■戦時復仇の証明はできないようですね。
これは メッセージ 11585 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11596.html
Re: 嘘吐きダーディンの与太記事
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/24 20:51 投稿番号: [11595 / 29399]
>ダーディンは句容に行っていて、帰って来たのが12月14日の夜だから、
>いきなり嘘を吐いているが、正確な情報を得られなかったことは正直に
>話しているようだね。
■ダーディンは、南京から句容に行くという行動の自由があり、そのときの状況などを基に、安全区外に多数の市民が居たことを証言したわけです。
----
引用
----
http://www.geocities.jp/yu77799/anzentitaigai.htmlよりF・T・ダーディンからの聞き書き(2)
私はわずか三日間しかいなかったので、正確な情報は得られませんでしたが、車で市内を回った時、家の中から中国人が出てくるのを見掛けましたし、通りを歩いている中国人も何人か見ました。ですから、皆がみな安全区に入ったのではありません。
もちろん、安全区の外は危険でしたが、中国人たちは、まさか虐殺が待ち構えていようとは考えていませんでした。何とかなるだろうと、家を出なかったのです。彼らは日本軍の占領がどういうものか経験がありませんでしたし、日本軍はラジオを使って市民に、家にいれば危害は加えない、なにも怖がることはない、と放送していました。したがって虐殺なんて夢想だにしていなかったのでしょう。
(「南京事件資料集1
アメリカ関係資料編
P567〜P568)
―(一九四〇年に日本人が発行した「最新南京市街詳図」を見せて)城内の南部のこの地域は人口密集地ですが、残留していた市民も多かったのですね。
はい、住民はずいぶん城内に残っていました。脱出した者も多かったようですが、残った者も沢山いました。その地域には日本軍の占領後行ってみましたが、死体がたくさん転がっていました。日本軍の砲弾が激しく撃ち込まれたところです。砲弾によって多くの人々が殺されました。被害を受けなかった家には人がまだ住んでいました。日本軍がこの地域を占領してからもたくさんの中国人が殺されました。日本兵に銃殺されたのです。
(同
P570)
----
終わり
----
>それが「市民」であったことを証明すべきでしょうね。
■ダーディンの言及している安全区外の中国人が「便衣兵」「盗賊」であったという証明ができないのであれば、ダーディン証言に対する根拠ある反論はないということになります。
>>>>■さらに詳しくは知りたければ、ゆうさんのページをご覧ください。
>>>Ψ(´_`)Ψ
>>ゆうさんのページはこちら↓です。
>Ψ(´_`)Ψ
■これがゆうさんのページです↓
http://www.geocities.jp/yu77799/>君は本当に日本語が不自由なようだな。
>誰もそんなことは主張していないだろ。
■つまり、誰も主張していないことを、あなたは「あり得ない」と否定したということですね?
↓チン文章↓
「南京を去ったダーディンとスティールのみが「日本軍による千人単位の民間人殺害」を目撃することなど有り得ない。」
これは メッセージ 11582 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11595.html
Re: 嘘吐きダーディンの与太記事
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/24 19:51 投稿番号: [11594 / 29399]
>>ダーディンの記事の内容が、「主に安全区の出来事」か否かを論じているのですが?
>君は日本語が不自由なようだから、その件は別にどっちでも良いよ。
■あなたの「主に安全区の出来事」という主張には、根拠がありません。
私は、次のようの根拠を提示しています。
----
引用
----
『南京事件資料集1』P421
ニューヨークタイムズ
12月18日
「日本軍の下関門の占領は、防衛軍兵士の集団殺戮を伴った。彼らの市外は砂嚢に混じって積み上げられ、高さ六フィートの小山を築いている」
「中山路はいまやごみの大通りと化し、汚物、軍服、小銃、拳銃、機関銃、野砲、ナイフ、背嚢などが全域に散乱していた」
「中国軍は、中山陵公園内の立派な建物や住宅を含む郊外のほぼ全域を放火した。下関はほとんどが焼け落ちた。」
----
終わり
----
>>民間人については、病院に収容できなくなるくらいの負傷者が出てい
>>ることと、市内に死体が散乱している様子を描写しています。
>それがどうかした?
>戦争中だし、野蛮な支那兵や支那人盗賊や反日撹乱工作隊などが大勢居たからね。
■つまり、下記のあなたの見解が間違いであったことが証明されたわけです。
----
引用
----
No.11555
しかも、見出しとその直後にある要約部分には「民間人の殺害」という言葉を挿入していたが、その後の長文記事の中に「民間人の殺害」に関する具体的な説明は全くない。
----
終わり
----
>だから、ベイツは日本軍による市民虐殺を1件も目撃していないし確認
>もしていないのに、「日本軍が多くの市民を殺害している」と宣伝しま
>くり、外国人たちは宣伝工作員のベイツたちの根拠のない同じようなデ
>マを同じように認識していたのさ。
■まったく根拠がありません。
否定派の見解の典型的な見本といえるでしょう(笑)。
これは メッセージ 11581 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11594.html
Re: 目撃・通報・検証ゼロの不思議な虐殺
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/24 19:50 投稿番号: [11593 / 29399]
>日本軍による市民虐殺の確かな情報を得たのに、何故ヴォートリンは日
>記でその説明を全くしなかったの?
>ヴォートリンもダーディンも、ただ「市民を殺害」と書いただけでその
>説明が全くないのはおかしいだろ。
■ヴォートリンはあなたの疑問に答えるために日記を書いているのではありません。
>ダーディンは句容に行っていて南京に居たのは12月14日の夜から12月15日の昼間までだったし、スティールたちだって南京にいたのは日本軍が南京城内に入ってからは2日間くらいだったから取材なんて殆ど出来なかった。
■つまり、ダーディンは、南京から句容までの状況を確認することが出来たわけですし、スティールは、2日もの間、日本軍の残虐行為の状況を観察する時間があったわけですので、ベイツメモの内容を確認するだけの行動する自由と時間があったことになります。
また上記のとおり、ベイツメモを見ていない、もしくはその内容を認識していないヴォートリンをはじめ、ラーベ、ウィルソン、マクダニエル、メンケンら残留外国人も同じく、日本軍の市民殺害等残虐行為を認識していることから、ダーディンやスティールがベイツメモを記事にしたというあなたの主張は間違いであったことが証明されています。
これは メッセージ 11580 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11593.html
Re: 目撃・通報・検証ゼロの不思議な虐殺
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/24 19:49 投稿番号: [11592 / 29399]
>だから、ヴォートリンの行動範囲は狭かったし、碌な情報を得てないじゃん。
■あなたの「ヴォートリンの行動範囲は狭かった」という主張は、金陵女子文理学院のほかは「安全区本部、金陵大学に出向く」程度だったという認識に基づいていました。
----
引用
----
No.11545
ヴォートリン自身は避難所として開放した金陵女学院の責任者だったから、その2日間は通常避難民で溢れる金陵女学院に居るわけで、せいぜいベイツたちが居た安全区本部、金陵大学に出向くなど活動範囲は非常に狭かった。
----
終わり
----
ところが下記のとおり、ヴォートリンは水西門まで行っており、金陵女子文理学院のほかは「安全区本部、金陵大学に出向く」程度だったという認識に基づく「ヴォートリンの行動範囲は狭かった」というあなたの主張が間違いであったことが証明されました。もちろん、水西門は安全区外の城壁にある門ですから、そこまで行っているということは、「行動範囲が狭かった」とはいえません。
----
引用
----
ヴォートリン日記
12月14日
四時三〇分、プラマー・ミルズがわたしに、長老派教会員たちの家を見回りたいから、水西門まで同行してもらいたいと言ってきた。わたしの役目は見張り番である。
----
終わり
----
>死体の存在や、検証なしの伝聞情報をいくら列挙しても、日本軍による
>市民虐殺の根拠には全くならないよ。
■論点は、ダーディンやスティールの記事はベイツメモを記事にしたものであるか否かです。この反論としては、ダーディン、スティール、ベイツ以外が、日本軍による市民殺害、強姦、暴行、掠奪を認識していたということを証明することが必要となります。
私は下記に示したとおり、ラーベ、ウィルソン、メンケン、マクダニエルら外国人が、日本軍による残虐行為を認識していることを証明しました。つまり、ベイツメモを見なかったものであっても、日本軍による市民殺害等残虐行為を認識していたという事実が明らかになりました。
したがって、あなたの「ダーディンやスティールの記事はベイツメモを記事にしたものである」という主張が間違いであることが証明されたわけです。
◇ラーベ日記
12月13日
我々はメインストリートを非常に用心しながら進んでいった。手榴弾を轢いてしまったが最後、ふっとんでします。上海路へと曲がると、そこにもたくさんの市民の死体が転がっていた。
…
町を見まわってはじめて被害の大きさがおよくわかった。百から二百メートルおきに死体が転がっている。調べてみると、市民の死体は背中を撃たれていた。多分逃げようとして後ろから撃たれたのだろう。
…
二百人ほどの中国人労働者の一団に出会った。安全区で集められ、しばられ、連衡されたのだ。我々がなにをいってもしょせんむだなのだ。
◇ウィルソンの手紙
12月15日
また別の患者は日本兵に銃剣で刺されたあの床屋だ。銃剣は靭帯を切り抜け、脊椎管に達する首の後ろの筋肉をすべて切断した。かれはショック状態にあり、おそらく死亡するだろう。彼は床屋にいた八人のうち唯一の生存者で、残りは全員殺害されている。
…
一般市民の殺害は、ゾッとするほどだ。強姦や想像を絶する蛮行について書こうとすればきりがない。銃剣で負傷した二人は、七人いた道路清掃人のうちの生存者だ。
◇ワシントン・ポスト
12月17日付け
12月17日、金曜日、上海発(AP)
パラマウント・ニュース映画のカメラマン、アーサー・メンケンは、かつての繁栄の都は、残虐な日本軍の陸・空からの攻撃による兵士・市民の死体が散乱する流血の巷と化していた、と無線で報告してきた。
◇ニューヨーク・タイムズ
12月17日付け
屍体の散乱する南京
12月16日、南京発(米砲艦オアフ号より無線、AP)。かつてその繁華を謳われた中国の古都は、いまや町がこうむった砲爆撃と激戦により殺された防衛軍兵士および一般人の屍体が散乱するありさまだ。
※AP通信
マクダニエルの記事と考えられる
これは メッセージ 11580 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11592.html
Re: yousunwai君 (横です)
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/23 21:58 投稿番号: [11591 / 29399]
>チベットや東トルキスタンは、独立と平和を守ることはできませんでした。そして、戦争を回避することもできませんでした。犠牲者も出ました。難民も出ました。彼らは、戦争してはいけなかったのです。そのことについては反省すべきだと思います。
>戦争の参画者全員に、責任があることを感じてもらわなければなりません。
隣国が攻撃して来たので守ろうとしたが、力が足りずに守ることができなかった国に対して、「責任あり。」「反省しろ。」と言うのは滅茶苦茶でしょ。
元と高麗の軍に虐殺された対馬や壱岐の住民たちにも、「責任あり」「反省しろ」と言うのですか?
ヨーロッパから渡来した白人に殺されたアメリカ先住インディアンにも、「責任あり」「反省しろ」と言うのですか?
イラクに侵攻されたクェートにも、「責任あり」「反省しろ」と言うのですか?
一昨年の10月、土地の補償をめぐって地元当局に抗議したら軍隊に約1万人が殺された四川省の農民たちにも、「責任あり」「反省しろ」と言うのですか?
昨年の6月、立ち退きを拒否していたら武装集団に襲撃されて6人が殺された河北省の農民たちにも、「責任あり」「反省しろ」と言うのですか?
昨年の12月、土地を取り上げられて当局に抗議していたら武装警官に約70人が銃殺された広東省の住民たちにも、「責任あり」「反省しろ」と言うのですか?
そんなの私には理解できませんね。
yousunwaiさんの主張が多くの賛同を得ることはないと思いますよ。
>核武装するなら、アメリカの核の傘からはずれる可能性をまず考える必要があります。
アメリカとの同盟は維持したまま日本が核武装することは、現状で100%可能です。
>そして、中国人は、13億人が1億人以下になっても、TOPになることを渇望する民族であると思います。この2つが揃った時、人命軽視の中国の指導者なら、宇宙から、核戦争のGOサインを出す可能性を考えておくべきだと思います。この時、仮に、日本が、核武装していても、日本の平和は、守れません。
13億人が1億人以下になって果たしてTOPになることが出来るかどうか大いに疑問ですが、日本が核武装しない状態よりは日本が核武装する状態の方が日本への核攻撃の可能性を低めることは間違いないです。
これは メッセージ 11587 (yousunwai さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11591.html
Re: 揚子江岸の死体
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/22 23:54 投稿番号: [11590 / 29399]
> 村瀬写真では、多数の捕虜(後ろ手に縛られている)が殺されていることが証明されていますので、上記証言を裏付けていると言えるでしょう。
また出た。
何処が多数なのかな?
縛られている死体が村瀬写真から一体何人分確認されると言うのだね。
> では、その根拠を説明してもらいましょうか?
> なかなかの珍説かとお見受けられますが(笑)。
珍説ねぇ・・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
新井敏治氏(歩兵第38聯隊第2中隊軍曹)の証言
「12月19日か20日ごろ、清掃のため兵十数人を連れて下関の揚子江岸に行きました。入江に漂着した死体を押し流す作業でしたが、死体は三百以上ありました。この漂着死体は、十二月十二日、南京上流の蕪湖に進出したわが軍が、退却中の中国兵を砲撃した死体が漂着したものと思う。」
(偕行社『南京戦史』P161)
石松政敏氏(第二野戦高射砲司令部副官)、松川晴策氏(千葉鉄道第一聯隊下士官)は、下関埠頭で便衣兵三百〜千名内外が処分される現場を目撃し、石松氏は、これが「南京大虐殺の実体」だと言う。
石松政敏氏の述懐
「“南京大虐殺”の問題点とは、と聞かれますと、私は一言に要約すると便衣兵の処分であると申しあげたい。
南京入城時にはすでに難民区が設けられ、入城後は日本軍の指導により内部の秩序を維持し、この区域への軍人軍属の出入は、選抜された警備隊によって厳禁されていました。南京陥落とともに、中国軍兵が難民区に遁入しましたので、日本軍は治安維持会と協力して、難民には通行票を発行しました。
潜入した便衣兵は、憲兵隊によって摘発され、さらに軍法に照らし審査のうえ、下関で銃殺になったように承知しております。
(中略)
下関の多数の死体は機関銃によるものですが、南京攻略戦のさいの脱出者、残敵掃蕩戦による戦死者であり、捕虜ではありません。
巷間で伝えられる下関での殺害というのは、摘出した便衣兵処分ではないかと思います。入城後数日、下関で毎日、捕虜が処分されているという噂を聞き、また実際にその光景を見ました。
岸壁から数本の木製桟橋が、約十数メートル、江上に突き出ていました。そのたもとの岸壁には、両手を後ろ手にしばられた便衣兵が三〜四十人蹲っており、桟橋の先には一名の日本兵が待ち構えておりました。一人ずつ歩かせて桟橋の端に来た時、突き落として小銃で射殺していました。
三つの桟橋でやっていたように覚えていますが、当時浦口への渡船に任じていた工兵の生存者がおれば、その詳細が判ると思います。
そのうちに、下関で捕虜を殺しているという話がひろがり、外国公館からも問い合わせがあったとかで、下流に移されたと聞きました。
この便衣兵の処分が、“南京虐殺”と言われるものの実体ではないかと思います。」
(偕行社『南京戦史』P201〜202)
松川晴策氏の証言
「・・・私たちは鉄道聯隊なので、早速、下関駅の復旧業務に従事しました。十五〜十六日のことであったと思いますが、下関埠頭で便衣兵が一列にならばされ、兵士が次から次へと銃剣で突き刺したり、あるいは銃で撃っているのを見ました。その数は百や二百ではなかったが、千人とはいなかったことも事実です。何千、何万というような数では絶対にありません。入城式前と記憶していますから、十六日のことかも知れません。・・・」
(偕行社『南京戦史』P203〜204)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
珍説?
単に虐殺派がこれらの証言を都合よく無視しているだけだ。
> 多数の捕虜を殺害したという部分に関しては、飯沼日記、諸証言、村瀬写真で回答ずみです。
> だからこそ、上記のとおりの議論に発展しているのでしょう?
嘘を言ってはいけないな。
貴方は何一つ、「多数の捕虜を殺害した」という根拠を示せていない。
だからこういう議論になるのだよw
これは メッセージ 11584 (Marc_Laforet さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11590.html
Re: 児玉義雄証言 その後
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/22 23:44 投稿番号: [11589 / 29399]
> 簡単にいうならば、そういう問題を論じているのではなかった、ということですよ。
簡単に言うならば、児玉証言に基づく捕虜虐殺の事実を貴方には呈示出来ないということだね。
> 飯沼少将の「接収せしむ」という命令が、なぜ、「単なるアイデア」なのでしょうか?
> そして、「接収せしむ」と命じたにも関わらず、なぜ、実行されないのでしょうか?
>
> まさしく頓珍漢ですね(笑)。
確認されていない、と言っているのに「なぜ、実行されないのでしょうか?」と訊くとは、本当に頓珍漢な人だw
> >
最初から命令権限はあるのだから、この一事をもって山田支隊が司令
> >部直轄になったと結論づけることは不可能だ。
>
> 異例であり、普通ではないからこそ、そう結論づけることができるのです。
結論付けることはできない、と説明してあげたじゃないか。
一体どういう理屈で、「そう結論づけることができる」と言うのかな?
そもそも貴方は、自分が最初何と言ったか覚えているのか?
>
山田支隊の上部組織です。一つは上海派遣軍であると思われますが、もうひとつは、第16師団だという推測が濃厚でしょう。
(No.11515)
山田支隊の上部組織として命令を下したのは、「第16師団だという推測が濃厚」だと言ったんだぞ。
> 別に第16師団の指揮下に入ったとは言っていません。
> 捕虜の取り扱いに関する権限が第16師団に移ったのであり、第16師団はこの権限において山田支隊に命令を出していると主張しているのです。
指揮下に無い部隊に対して、どうして命令できるんだよ!
余り行き当たりばったりで適当なことを言わないでくれるか。
> 事実に基づいて論理を組み立てましょうね。
事実は、山田支隊の捕虜が結局、第十六師団に接収されなかったということだ。
だからこそ、山田支隊による、暴動を起こした捕虜殺害という次の事実が生じている。
そこを無視するから(と言うより、そこに考えが及ばないから)第十六師団が山田支隊に捕虜殺害を命じた等というありもしない無理矢理な解釈をしなければならなくなるのだよ。
> 下関方向に捕虜を移動していたということは、下関方面に捕虜を収容することを目的にしていたと考えることが妥当でしょう。
そんな根拠は無い。
妥当だと考える理由すらない。
> そのことを裏付けるように、下関には捕虜を収容していた建物(もしくはコンテナなど)があったという証言が存在します。
その証言を裏付ける史料として、飯沼日記を引用しておきながら、今度は飯沼日記を自分の都合の良いように解釈する材料として元の証言を使うのかい?(藁
これは メッセージ 11583 (Marc_Laforet さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11589.html
Re: 鬼頭証言は眉唾物
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/22 23:42 投稿番号: [11588 / 29399]
何が「よろしいでしょうか?」なのかさっぱり分からないが・・・
要するに、「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」という命令を「当時の宮さん〔朝香宮〕から」受けたという証言には何の根拠も無いということだろう?
軍命令である、ということすら、誰から受けた命令なのかも覚えていないのだろう?
つまり、鬼頭証言には証拠力がないということでこの議論は終わっている。
> >
明示できていないだろ。
> >
だから「出せないんだね」と言っているのだ。
>
> 下記の投稿に明示しましたよ。
>
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6 a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb&sid=1143582&mid=11506
>
> ウソは感心できませんね。
いつも思うのだが、同じ話をループさせて相手のやる気を殺ぐテクニックは、反日活動家のマニュアルにでも載っているのかい?
>
いや、秦先生の個人的な意見はいいから。
>
肝心の、「実際、上海戦でも捕虜殺害を戦果として計上していたようですが」の部分を示して欲しいのだが。
>
一体何を勿体ぶっているのだろうか。
(No.11507)
と指摘済み。
> あのぉ…?
> 私の文章がどのような意図を持っているかを説明しているのに、なぜ、あなたの意見が反映しなければならないのでしょうか?
>
> だいじょうぶですか?
いや、とぼけなくていいから。
> > 逆に、10月9日以前は、捕虜は作らず殺していたのかと思ってしまいますね(笑)。
> > 実際、上海戦でも捕虜殺害を戦果として計上していたようですが。
>
>
君がそう信じ込むのは勝手だが、上海戦で捕虜殺害を戦果として計上していたというのは根拠のある発言だろうな?
>
是非、根拠を示して欲しい。
(No.11427)
と訊かれて、上海戦ではなく南京戦の史料名を挙げたのは、要するに貴方の勘違いというだけのことだ。
> あなたの言いたいのは「証言された状況」ではなく、「証言した時の状況」ということですね。そして、「証言された事柄の起こった状況」というのは、「証言した事柄の起こった時の状況」ということですね?
> 正しい日本語を使っていただければ、丁寧な説明は必要ないのですよ。
やはり、あれだけ懇切丁寧に説明してあげないと理解できなかったようだね。
> ここから、あなたの迷走が始まるわけですね(笑)
> 簡単に言うならば、あなたは「証言の根拠」と、「証言の信憑性の根拠」を取り違えているということです。
> わかりますか?
貴方が証言の信憑性を重視していないということがよく分かる発言だなw
根拠の無い証言、と表現すれば、一般的には信憑性に欠ける証言のことなのだよ。
理解力が不足している貴方のために懇切丁寧な説明を付け加えると、証言の信憑性を担保する物証や傍証、他の証言や記録との整合性が不十分な証言のことだ。
> 結論としては、こういうことでしょうか?
> つまり、鬼頭氏の生年月日の誤記は、単純な校正・校閲ミスだったという事実だったが、あなたの見解では、その単純な校正・校閲ミスが証言の基本的な「信憑性」に関連する、ということですね。
> もちろん、証言が文章化する上でのミスであり、証言の信憑性に関係する問題ではない、という一般的な見解でしょう。
結論は、証言に見かけ上の信憑性を持たせようとして補記した生年月日が、余計に信憑性を損なう結果となっている、ということだ。
これが一般的な見解だ。
これは メッセージ 11577 (Marc_Laforet さん)への返信です.
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Re: yousunwai君 (横です)
投稿者: yousunwai 投稿日時: 2006/03/22 21:48 投稿番号: [11587 / 29399]
>そうなると、チベットや東トルキスタンにも戦争責任があることになり、全てに戦争責任があるなら、あえて「戦争責任」を述べる必要もなくなると思います。
チベットや東トルキスタンは、独立と平和を守ることはできませんでした。そして、戦争を回避することもできませんでした。犠牲者も出ました。難民も出ました。彼らは、戦争してはいけなかったのです。そのことについては反省すべきだと思います。
戦争の参画者全員に、責任があることを感じてもらわなければなりません。特に、過去の戦争については、まだ、全くと言って反省ができていないばかりではなく、その責任の全てを日本に押し付けることに奔走している、中国と朝鮮にその責任を感じて欲しいと思います。
>MDが役に立たない現状では、支那の核ミサイルに対抗するには、日本が核武装する以外に方法はありません。
核武装するなら、アメリカの核の傘からはずれる可能性をまず考える必要があります。もちろん、はずれないのなら、問題ありません。しかし、試しにやってみようというわけには行かないと思います。
日本の周辺には、日本を潰そうとする勢力はありますが、日本の存続に有益な働きをしてくれる力のある国家がアメリカ以外にありません。そして、アメリカから離れると、中国につくことを考える勢力が比較的多くいる日本なのですから、アメリカに敵対する可能性のある方策は、とるべきではないと思います。特に、そういう連中が、マスコミや教育界に多いのが、ネックになっていると思います。
>支那人が人間の命を粗末にするのは自明ですが、支那の権力者だって意味もなく核ミサイルをぶっ放せば自分の命や権力を維持するのが困難になるような状況にしておく必要はあるのです。ですから、相互確証破壊戦略は支那の権力者相手にも機能するのです。
米ソ冷戦時代には、そういう考えも成り立ったと思います。しかし、近年、中国は、宇宙開発を積極的に進めています。すでに、中国は、衛星軌道上に一定量の物体を打ち上げられる能力は有しています。大型宇宙ステーションの建設も、遠い未来の話ではなく、それほど時間もかからないでしょう。
そして、中国人は、13億人が1億人以下になっても、TOPになることを渇望する民族であると思います。この2つが揃った時、人命軽視の中国の指導者なら、宇宙から、核戦争のGOサインを出す可能性を考えておくべきだと思います。この時、仮に、日本が、核武装していても、日本の平和は、守れません。
これは メッセージ 11558 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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Re: マトモに保護された日本人捕虜はゼロ
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/21 22:53 投稿番号: [11586 / 29399]
>投降を受け入れて収容した後に殺害するという戦時国際法違反を行っています。
>タラリさんのページ
それじゃ、何のことやらサッパリ分からないね。
日本軍が支那軍の投降を受け入れ、投降兵を捕虜収容所に収容した後に、その捕虜を理由もなく殺害したことを短く分かり易く説明しなさい。
>つまり、確実な事実は、青山和夫の著作から見られるように、南京戦以前から捕虜を保護していたという事実になります。
だから、それらの捕虜が誰かも分からず、人数も分からず、「反戦兵士」にされたかどうかも分からず、全く検証不可能では、仮に青山和夫の『反戦謀略』のその記述が事実だとしても、その後全員が「反戦兵士」などにされて死んでしまった可能性が高いだろ。
これは メッセージ 11575 (Marc_Laforet さん)への返信です.
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Re: 支那軍の暴虐>>>日本軍の報復
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/21 22:47 投稿番号: [11585 / 29399]
>日本人捕虜の概況を説明しているのですから、個別の捕虜の話をする必要性はありません。概況として、捕虜が存在したことが、以下の資料によって証明されています。
だから、それらの捕虜が誰かも分からず、人数も分からず、「反戦兵士」にされたかどうかも分からず、全く検証不可能では、仮に青山和夫の『反戦謀略』のその記述が事実だとしても、その後全員が「反戦兵士」などにされて死んでしまった可能性が高いだろ。
>>だから、支那軍の違法行為に対して、日本軍の報復行動は極めて不十分だったことを説明したのだが。
>つまり、戦時復仇が成立したという証明ではなかったわけですね?
君は本当に日本語が不自由なようだな。
上海で支那軍は、便衣隊が日本軍を銃撃したり民間人を狙った市街地爆撃をしておいて日本軍の仕業だと宣伝したり細菌戦を行なったり日本兵を一人も捕虜として保護しなかった支那軍に対して、日本軍は十分な報復をしなかったから、支那軍は調子に乗って南京でも大量に便衣兵になったり捕まえた日本兵を惨殺したり反日撹乱工作を行なったりしたのだ。
支那軍の違法行為に対して、日本軍の報復行動は極めて不十分だったから支那軍は違法行為をエスカレートさせていったのだ。
そして、南京戦後の支那軍の暴虐・悪逆は、質・量ともに更に何倍もエスカレートさせていったのだ。
これは メッセージ 11574 (Marc_Laforet さん)への返信です.
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Re: 児玉義雄証言 その後
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/21 22:42 投稿番号: [11584 / 29399]
>
つまり、飯沼日記に書かれているとおり、山田支隊の捕虜が第16師
>団に接収されたならば、捕虜を処刑するにしても解放するにしてもそれ
>は第16師団の任務となり、山田支隊に対して第16師団が捕虜殺害を
>命じるというのは益々条理に合わない話となってくる。
>
あり得ないんだよ。
事実に基づいて論理を組み立てましょうね。
(1)「飯沼日記に書かれているとおり、山田支隊の捕虜が第16師団に接収された」……この部分は飯沼日記に書かれているように事実です。
(2)「捕虜を処刑するにしても解放するにしてもそれは第16師団の任務となり」……これも、事実と言えるでしょう。
ここで重要になってくる事実は、第1に、捕虜を実際に管理していた部隊は第16師団ではなく、山田支隊であったこと、第2に、山田少将は最初に第16師団司令部のある「南京」に捕虜の処置方法を聞きに使いを出していることです。
当時、南京には、第13師団司令部もなければ、上海派遣軍・中支那方面軍司令部もありませんでした。
したがって、消去法からすれば、山田少将が捕虜の処置方法を聞きに使いを出したのは、第16師団と考えるのが妥当になるわけです。
>> この飯沼日記は、下関に捕虜が移動させられていたとことを示す資料です。
>> 捕虜を殺害したのは、証言で明らかになっていますね。
>> あと、村瀬写真も挙げましたし。
>
ダメダメ、そんなことで誤魔化されると思ったら大間違いだ。
>
飯沼日記に記されていた捕虜の移動と、下関に捕虜収容所があったと
>いう「証言」の間に関連性を示すものは何もない。
>
それから村瀬写真は捕虜殺害を示したものではない。
下関方向に捕虜を移動していたということは、下関方面に捕虜を収容することを目的にしていたと考えることが妥当でしょう。
そのことを裏付けるように、下関には捕虜を収容していた建物(もしくはコンテナなど)があったという証言が存在します。
そして、その証言により、多数の捕虜が殺害されたことが示されています。
村瀬写真では、多数の捕虜(後ろ手に縛られている)が殺されていることが証明されていますので、上記証言を裏付けていると言えるでしょう。
>
新河鎮の戦死者と、城内で摘出した便衣兵の被処刑者の死体が入り交
>じったものだ。
>
ついでに言えば、沢田吉次証言は、この便衣兵処刑の光景だと推測さ
>れる。
では、その根拠を説明してもらいましょうか?
なかなかの珍説かとお見受けられますが(笑)。
> 「多数の捕虜を殺害した」と貴方は主張しているわけだが、「多数」
>というのは一体何処から導き出された結論かな?
>(No.11492)
>
相変わらず、答えがないね。
私が下記のような答えがない部分についての質問をしたからといって、一生懸命同じように「答えがない」というフレーズを使いたかったのでしょうか(笑)。
しかし、ウソは感心できませんよ。
多数の捕虜を殺害したという部分に関しては、飯沼日記、諸証言、村瀬写真で回答ずみです。
だからこそ、上記のとおりの議論に発展しているのでしょう?
>> あなたが聞いたことがないからと言って、それは事実にはなりません。
>> よろしいでしょうか?
>
下関に捕虜収容所があったという他の証拠を出せない限り、孤立証言
>であることは間違えないのだが?
「孤立証言」とは、また、都合のいい表現ですね(笑)。
私が提示しただけでも、証言は「沢田吉次
33iⅢ」「松田五郎
33iⅢ」「金谷正敏
33iⅢ」と3つ存在しましたよ。
ウソはいけませんね。
これは メッセージ 11562 (nmwgip さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11584.html
Re: 児玉義雄証言 その後
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/21 22:41 投稿番号: [11583 / 29399]
> それで、実際に捕虜(正しくは投降兵)の殺害は行われたのだろうか?
>(No.11520)
>
これだ。
>
そして結局は、「つまり、児玉証言に基づく捕虜虐殺の事実を、答え
>られない」という結論に落ち着く、と。
>
それならそれで別に構わないが。
簡単にいうならば、そういう問題を論じているのではなかった、ということですよ。
そのことは、先の投稿で明示したとおりです。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6af
c0a9oa29ta4obbvbcb&sid=1143582&mid=11531>>
----
引用
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>> 『飯沼守日記』
>> 十二月十五日
山田支隊の俘虜東部上元門付近に一万五、六千あり
>>尚増加の見込と、依て取り敢へす16Dに接収せしむ。 (『南京戦史
>>資料集1』P158)
>>
----
終わり
----
>> 上海派遣軍が、直接、山田支隊に命令を出しています。第13師団から、
>>上海派遣軍直轄に命令系統が変わったからです。
>
これこそが「頓珍漢な発言」と言うべきだろう。
>
飯沼日記に記されている「接収せしむ」が命令だったのか、それとも
>単なるアイデアだったのか確認されていないということは横に置いてお
>く。
飯沼少将の「接収せしむ」という命令が、なぜ、「単なるアイデア」なのでしょうか?
そして、「接収せしむ」と命じたにも関わらず、なぜ、実行されないのでしょうか?
まさしく頓珍漢ですね(笑)。
>
まず第一に、これが命令だったとすれば、命令系統の直線的な上位者
>である上海派遣軍司令部が山田支隊に命令を下すのは異例であっても異
>常ではない。
>
最初から命令権限はあるのだから、この一事をもって山田支隊が司令
>部直轄になったと結論づけることは不可能だ。
異例であり、普通ではないからこそ、そう結論づけることができるのです。
>
第二に、山田支隊の抱えている捕虜を第16師団に接収させたからと
>言って、山田支隊が第16師団の指揮下に入った等ということは言えない。
>
この場合は単に捕虜の受け渡しがあるだけで、以後の処置は第16師
>団の任務となる。
別に第16師団の指揮下に入ったとは言っていません。
捕虜の取り扱いに関する権限が第16師団に移ったのであり、第16師団はこの権限において山田支隊に命令を出していると主張しているのです。
これは メッセージ 11562 (nmwgip さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11583.html
Re: 嘘吐きダーディンの与太記事
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/21 22:35 投稿番号: [11582 / 29399]
>F・T・ダーディンからの聞き書き(2)
>私はわずか三日間しかいなかったので、正確な情報は得られませんでしたが、
ダーディンは句容に行っていて、帰って来たのが12月14日の夜だから、いきなり嘘を吐いているが、正確な情報を得られなかったことは正直に話しているようだね。
>それが「便衣兵」と「盗賊」であったことを証明すべきでしょうね。
それが「市民」であったことを証明すべきでしょうね。
>>>■さらに詳しくは知りたければ、ゆうさんのページをご覧ください。
>>Ψ(´_`)Ψ
>ゆうさんのページはこちら↓です。
Ψ(´_`)Ψ
>では、誰がダーディンとスティールが「「日本軍による千人単位の民間人殺害」を目撃した」と主張したのですか?
君は本当に日本語が不自由なようだな。
誰もそんなことは主張していないだろ。
これは メッセージ 11573 (Marc_Laforet さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11582.html
Re: 嘘吐きダーディンの与太記事
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/21 22:34 投稿番号: [11581 / 29399]
>ダーディンの記事の内容が、「主に安全区の出来事」か否かを論じているのですが?
君は日本語が不自由なようだから、その件は別にどっちでも良いよ。
>民間人については、病院に収容できなくなるくらいの負傷者が出ていることと、市内に死体が散乱している様子を描写しています。
それがどうかした?
戦争中だし、野蛮な支那兵や支那人盗賊や反日撹乱工作隊などが大勢居たからね。
――――――――
十二月七日、支那軍は南京周辺を徹底的に焼き払い、焼け出された市民が難民となって城内に流入、商品流通が麻痺し食料難が加速、一部では暴動が起こった。
支那軍は治安維持のため少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺した。
上海一九三七年十二月八日発「東京日日新開」は次のように報じている。
南京衛戌司令唐生智はどさくさに乗ずる市民の暴動を恐れて七日朝来市内警備を一層厳重にして少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺し、すでにその数、百名に及んでいると支那紙は報じている。
『南京戦史』二七三頁
Ω
Ω
Ω
十日頃には完全な無政府状能心に陥り、統制を失った支那兵たちによる掠奪が横行した。在南京アメリカ大使館のエスピー副領事は、陥落直前の南京の様子を漢口のアメリカ大使館にこう報告している。
「日本軍入城前の最後の数日間には、疑いもなく彼ら自身の手によって市民と財産に村する侵犯が行われたのであった。気も狂わんばかりになった支那兵が軍服を脱ぎ棄て市民の着物に着替えようとした際には、事件をたくさん起こし、市民の服欲しさに、殺人まで行った」
エスピー報告、三八年一月二十五日より一部抜粋
Ω
Ω
Ω
支那軍第八七師二六一旅長の譚道平はその著『南京衛戌戦』(一九八七年、中国文史出版社)に、十二月十二日夕刻以後の情景をこう記している。
「散兵・潰兵の退却阻止の命令を受けていた宋希簾麾下の第三六師二一二団は、撤退命令を出された後も、邑江門付近の道路に鉄条網のバリケードを築き、路上には機関銃をそなえて、邑江門からの撤退を拒み続けた。このため、夜になるとパニック状態になり、邑江門から脱出しようとする部隊と、これを潰兵とみなして武力で阻止しょうとした第三六師二一二団部隊との間で銃撃戦が繰り広げられ、邑江門内は大惨事となった」
支那軍には戦闘に際して兵士を先頭に立たせ、後退する兵士がおれば背後から射殺する任務を帯びた「督戦隊」という独特の組織がある。邑江門の支那兵の死体は、この「督戦隊」によって殺されたものであった。
――――――――
>すでに提示したとおり、残留外国人たちは、その目で見た南京の状況を基に、日本軍の残虐行為のありさまを書きつづっており、
だから、残留外国人たちは誰一人として日本軍による南京市民虐殺を1件も目撃してないだろ。
>『戦争とは何か』に載せられたベイツの手紙の記述も、これら外国人たちの認識とずれたものではありません。
だから、ベイツは日本軍による市民虐殺を1件も目撃していないし確認もしていないのに、「日本軍が多くの市民を殺害している」と宣伝しまくり、外国人たちは宣伝工作員のベイツたちの根拠のない同じようなデマを同じように認識していたのさ。
これは メッセージ 11572 (Marc_Laforet さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11581.html
Re: 目撃・通報・検証ゼロの不思議な虐殺
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/21 22:34 投稿番号: [11580 / 29399]
>「何もなかった」かどうかが問題ではなく、行動範囲が広かったか否かが問題となっています。
だから、ヴォートリンの行動範囲は狭かったし、碌な情報を得てないじゃん。
>ラーベ日記
12月13日
>そこにもたくさんの市民の死体が転がっていた。
>調べてみると、市民の死体は背中を撃たれていた。多分逃げようとして後ろから撃たれたのだろう。
>ウィルソンの手紙
12月15日
>ワシントン・ポスト
12月17日付け
>日本軍の陸・空からの攻撃による兵士・市民の死体が散乱する
>ニューヨーク・タイムズ
12月17日付け
>屍体の散乱する南京
死体の存在や、検証なしの伝聞情報をいくら列挙しても、日本軍による市民虐殺の根拠には全くならないよ。
――――――――
十二月七日、支那軍は南京周辺を徹底的に焼き払い、焼け出された市民が難民となって城内に流入、商品流通が麻痺し食料難が加速、一部では暴動が起こった。
支那軍は治安維持のため少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺した。
上海一九三七年十二月八日発「東京日日新開」は次のように報じている。
南京衛戌司令唐生智はどさくさに乗ずる市民の暴動を恐れて七日朝来市内警備を一層厳重にして少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺し、すでにその数、百名に及んでいると支那紙は報じている。
『南京戦史』二七三頁
Ω
Ω
Ω
十日頃には完全な無政府状能心に陥り、統制を失った支那兵たちによる掠奪が横行した。在南京アメリカ大使館のエスピー副領事は、陥落直前の南京の様子を漢口のアメリカ大使館にこう報告している。
「日本軍入城前の最後の数日間には、疑いもなく彼ら自身の手によって市民と財産に村する侵犯が行われたのであった。気も狂わんばかりになった支那兵が軍服を脱ぎ棄て市民の着物に着替えようとした際には、事件をたくさん起こし、市民の服欲しさに、殺人まで行った」
エスピー報告、三八年一月二十五日より一部抜粋
Ω
Ω
Ω
支那軍第八七師二六一旅長の譚道平はその著『南京衛戌戦』(一九八七年、中国文史出版社)に、十二月十二日夕刻以後の情景をこう記している。
「散兵・潰兵の退却阻止の命令を受けていた宋希簾麾下の第三六師二一二団は、撤退命令を出された後も、邑江門付近の道路に鉄条網のバリケードを築き、路上には機関銃をそなえて、邑江門からの撤退を拒み続けた。このため、夜になるとパニック状態になり、邑江門から脱出しようとする部隊と、これを潰兵とみなして武力で阻止しょうとした第三六師二一二団部隊との間で銃撃戦が繰り広げられ、邑江門内は大惨事となった」
支那軍には戦闘に際して兵士を先頭に立たせ、後退する兵士がおれば背後から射殺する任務を帯びた「督戦隊」という独特の組織がある。邑江門の支那兵の死体は、この「督戦隊」によって殺されたものであった。
――――――――
>上記のような状況をあわせ総合的に次のようにコメントしているのでしょう。
>◇ボートリン日記
12月15日
>きのうときょう日本軍は広い範囲にわたって掠奪をおこない、学校を焼き払い、市民を殺害し、女性を強姦している。(略)
日本軍による市民虐殺の確かな情報を得たのに、何故ヴォートリンは日記でその説明を全くしなかったの?
ヴォートリンもダーディンも、ただ「市民を殺害」と書いただけでその説明が全くないのはおかしいだろ。
>つまり、ダーディン、スティールには、ベイツメモの内容を確認するだけの行動する自由と時間があったわけです。
ダーディンは句容に行っていて南京に居たのは12月14日の夜から12月15日の昼間までだったし、スティールたちだって南京にいたのは日本軍が南京城内に入ってからは2日間くらいだったから取材なんて殆ど出来なかった。
南京に長期間滞在したベイツを始めとする15人の安全区国際委員会メンバーや、同じく南京に長期間滞在して取材を続けた100人以上の日本人報道関係者などが、だれ一人として日本軍による市民虐殺を目撃したり確認できなかったのだから、たった1日〜2日しか居なかったダーディンやスティールたちが日本軍による市民虐殺を確認することは不可能。
宣伝工作員だったベイツの出鱈目メモを参考にして与太記事を書くのが精一杯。
つーか、12月18日付のダーディンの記事を読めば分かるけど、その記事は5000字にもおよぶ長文で、見出しとその直後にある要約部分には「民間人の殺害」という言葉を挿入していたが、その後の長文記事の中に「民間人の殺害」に関する具体的な説明は全くない。
これは メッセージ 11571 (Marc_Laforet さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11580.html
Re: デリ君にご教示を請うてみよう 横質問
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/21 22:10 投稿番号: [11579 / 29399]
>> あなたの主観を根拠に論じられてもしょうがないですよ。
>> 「反戦兵士」と戦時国際法の勉強をして出直すべきかと思います。
>
だから、戦時国際法を構成する重要な条約附則であるハーグ陸戦規則
>の条文を引用して、見解を糾しているわけだが?
>
こうなると逃げ口上にしか見えないぞ。
無知な方と議論をしても意味がないと思うのですが…。
ではお伺いしますが、「反戦兵士」の身分が、戦時国際法上の捕虜であったということを証明してください。
これは メッセージ 11561 (nmwgip さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11579.html
Re: 鬼頭証言は眉唾物
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/21 22:09 投稿番号: [11578 / 29399]
>> 論拠は明示してありますので、それでも無いと言い張るのでしたら、
>>そこから先はあなたの自身の問題でしょう。
>
明示できていないだろ。
>
だから「出せないんだね」と言っているのだ。
下記の投稿に明示しましたよ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6af
c0a9oa29ta4obbvbcb&sid=1143582&mid=11506ウソは感心できませんね。
>> 何か勘違いされているようですが、私は、秦氏の考察が33iや66i-Ⅰ
>>で裏付けられていると述べているのですよ。
>
だから、第33連隊戦闘詳報や第66連隊第1大隊戦闘詳報に捕虜殺害が記
>載されていて論点になっているのは南京戦においてのことだと説明して
>あげているじゃないか。
>
所謂「南京大虐殺」を論じる場合、どちらも有名な史料だよ?
あのぉ…?
私の文章がどのような意図を持っているかを説明しているのに、なぜ、あなたの意見が反映しなければならないのでしょうか?
だいじょうぶですか?
>> そう仰るのでしたら、お聞きしなければなりませんね。お伺いします
>>が「証言された状況」というのは、何を意味するのですか?
>> そして、その「反対尋問」に、「私」が何を答えればよいのでしょうか?
>
証言の証拠能力を検証するために、対立する側から証人に対して為さ
>れるのが反対尋問。
>
そして証言された事柄の起こった状況を証言させ、それを他の情報と
>照合して、本当に証人がその状況に居合わせていたのか検証するのは、
>一般的な手法だ。
>
で、貴方は証言を引用した者として、証人の代わりに、証人がその証
>言を為し得る立場にあったかどうかを説明すべきである、と言ってるの
>だが。
>
ここまで懇切丁寧に説明してあげないと分からない?
あなたの言いたいのは「証言された状況」ではなく、「証言した時の状況」ということですね。そして、「証言された事柄の起こった状況」というのは、「証言した事柄の起こった時の状況」ということですね?
正しい日本語を使っていただければ、丁寧な説明は必要ないのですよ。
さて、論点は、あなたが鬼頭証言に対し「根拠が無ければ証言にはならないと思うが」という主張したことが発端となっています。つまり、鬼頭氏が何を根拠に証言をしたか?ということを論じていたわけですね。
この問いに対し、私は「証言の根拠とは記憶である」という当然の回答をしました。
ここから、あなたの迷走が始まるわけですね(笑)
簡単に言うならば、あなたは「証言の根拠」と、「証言の信憑性の根拠」を取り違えているということです。
わかりますか?
>
要するに、具体的なことは分からないのに、憶測で物を言っているだ
>けなんだね(藁
要するに、軍上層部からきた命令だということで、その位置に立っていた鳩彦からの命令だと理解したということです。
>> つまり、校正・校閲の意味が理解できずに、件の記述ミスを論じてい
>>るということでかまわないでしょうか?
>
貴方が「信憑性」という言葉の意味とその重要性を理解できないのは
>よく分かったよw
結論としては、こういうことでしょうか?
つまり、鬼頭氏の生年月日の誤記は、単純な校正・校閲ミスだったという事実だったが、あなたの見解では、その単純な校正・校閲ミスが証言の基本的な「信憑性」に関連する、ということですね。
もちろん、証言が文章化する上でのミスであり、証言の信憑性に関係する問題ではない、という一般的な見解でしょう。
これは メッセージ 11560 (nmwgip さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11578.html
Re: 鬼頭証言は眉唾物
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/21 20:54 投稿番号: [11577 / 29399]
>> その命令を聞いた相手が、兵士間の噂であったというケースも考慮す
>>べきでしょう。
>(爆笑)
>
つまりは、単なる「噂」?
噂であるか否かを論じているのではなく、命令を誰から聞いたかという点に関する可能性を論じているのであり、あなたの論理の前提が基本的な間違いだと指摘しているわけです。
>> 何が本論として重要かを明記するのであれば、以下の記述だけを引用
>>するのが妥当でしょう。
>
つまり「擦り付け」だったことを認める、と。
>
中々潔くて結構だよww
いいえ、「擦り付け」ではないということですが?
>> つまり、鬼頭氏が、鳩彦の名前を出したことには具体的にな根拠はな
>>かったが、命令系統からの命令であるならば、当時の兵士の心情とし
>>ては鳩彦からの命令であったと推測することは自然なことであり、し
>>たがって、そのことを根拠として同証言が眉唾であるという根拠には
>>ならない、といっているわけですね。
>
要するに、噂であり憶測なんだろ(藁
いいえ、当時の状況等を考慮した上での論理的な推測です。
>> 「上海派遣軍司令官の命令を確認できる立場だったのか?」
>> という論点であったにも関わらず、あなたは
>> 「無意味なのは「朝香宮司令の命令」という証言部分だよ」
>> というようなまったく関係ない論点を持ち出して、論点を摩り替えて
>>いるわけですね。
>> よろしいでしょうか?
>Q:「上海派遣軍司令官の命令を確認できる立場だったのか?」
>A:「確認できる立場でなかった」
>
よって、鬼頭証言の「朝香宮司令の命令」という証言部分は「無意味」である。
>
よろしいでしょうか?(藁
つまり、あなたの「Q」が摩り替えた論点であった、ということには異論がないのですね?どのように摩り替えているかは、下記のとおりです。
↓↓↓↓↓
以下、再掲載
↓↓↓↓↓
誤解されているようですが、私は以下のように発言しています。
----
引用
----
No.11391
具体的なことは解りませんが、軍上層部からきた命令という意味で、鳩彦の名前を出したのではないでしょうかね?
彼らにしてみれば、自分達は皇族に率いられている部隊という自負心があったのかもしれません。
----
終わり
----
私は、鬼頭氏が鳩彦の名前を出したのは、軍命令であったことが理由だと述べています。なぜならば、鬼頭氏がそのようなことを確認できるような立場になかったからです。
つまり、鬼頭氏が、鳩彦の名前を出したことには具体的にな根拠はなかったが、命令系統からの命令であるならば、当時の兵士の心情としては鳩彦からの命令であったと推測することは自然なことであり、したがって、そのことを根拠として同証言が眉唾であるという根拠にはならない、といっているわけですね。
そこで私は以下のように記述しました。
----
引用
----
No.11443
いずれにせよ、「上海派遣軍司令官の命令を確認できる立場だったのか?」などという論点は、無意味な立論だったわけです。
----
終わり
----
ところが、これにあなたは以下のように反論しています。
----
引用
----
No.11491
無意味なのは「朝香宮司令の命令」という証言部分だよ。
「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」という命令を「当時の宮さん〔朝香宮〕から」受けたという証言には何の根拠も無いということだからね。
誰が命令したのかも定かでない、その命令を誰が伝えたのかも定かでない、そんな証言に一体どれだけの証拠能力があるというのだろうか。
誰から伝えられたのかすら覚えていないのなら、そういう命令があったということも単なる思い込みじゃないのかな?
----
終わり
----
「上海派遣軍司令官の命令を確認できる立場だったのか?」
という論点であったにも関わらず、あなたは
「無意味なのは「朝香宮司令の命令」という証言部分だよ」
というようなまったく関係ない論点を持ち出して、論点を摩り替えているわけですね。
よろしいでしょうか?
これは メッセージ 11559 (nmwgip さん)への返信です.
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Re: 南京大虐殺の嘘を暴く館
投稿者: japanese_boy111 投稿日時: 2006/03/21 20:52 投稿番号: [11576 / 29399]
靖国神社の中に、南京大虐殺謝罪館をつくるべき
これは メッセージ 11564 (lvl_alpha さん)への返信です.
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Re: マトモに保護された日本人捕虜はゼロ
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/21 20:51 投稿番号: [11575 / 29399]
>>では、お答え願いますが、「反戦兵士」になる前の彼らの身分は何でしたか?
>「反戦兵士予備隊」
まともに回答できないということでよろしいですね?
>投降を受け入れ、投降兵を捕虜収容所に収容した後に、その捕虜を理由
>もなく殺害したことなどなかったはずだぞ。
投降を受け入れて収容した後に殺害するという戦時国際法違反を行っています。
タラリさんのページ
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm>反戦兵士とされずに保護された日本人捕虜の存在が確認されていないと
>いうこともよろしいでしょうか?
つまり、確実な事実は、青山和夫の著作から見られるように、南京戦以前から捕虜を保護していたという事実になります。
>あなたが「反戦兵士とならなかった日本人捕虜が殺されずに保護された
>という事実」を証明したのであれば、私は反証を探すことにします。
すでに青山和夫の著作による資料が提示されていますので、あなたから他に資料が提示されていない以上、南京戦以前から捕虜を保護していたということが根拠ある見解ということになるでしょう。
これは メッセージ 11557 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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Re: 支那軍の暴虐>>>日本軍の報復
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/21 20:50 投稿番号: [11574 / 29399]
>捕虜が誰かも分からず、人数も分からず、「反戦兵士」にされたかどう
>かも分からず、これでは全く検証不可能。
日本人捕虜の概況を説明しているのですから、個別の捕虜の話をする必要性はありません。概況として、捕虜が存在したことが、以下の資料によって証明されています。
----
引用
----
青山和夫『反戦謀略』P119
常徳捕虜収容所
戦争当初、特に上海南京戦時代の日本兵の捕虜は大部分空軍で、南京の収容所に入れられていたが、南京撤退前に西安の宝鶏に移された
常徳に収容所が設立されたのは、台児荘、徐州会戦以降で、主として歩兵等が武漢に送られてきたのを、常徳に収容したのだった。軍政部の管轄で、所長を李列欽の馬丁をしていた雛任之だった。武漢時代王に工作援助を依頼してきたので、陥落後、わたしが収容所に行くことに内定していた。
----
終わり
----
>だから、支那軍の違法行為に対して、日本軍の報復行動は極めて不十分
>だったことを説明したのだが。
つまり、戦時復仇が成立したという証明ではなかったわけですね?
であれば、議論とは関係ありません。
>嘘っぱちの出鱈目記事だったことが証明されて残念だったね。
複数の残留外国人たちの記録などからも、彼らの記事が妥当なものであったと確認できました。
もちろん、彼らの記事にも限界がありますし、彼らが南京を去った後の虐殺については触れることは出来ていません。
これは メッセージ 11556 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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Re: 嘘吐きダーディンの与太記事
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/21 20:16 投稿番号: [11573 / 29399]
>ダーディンは句容に行っていて、帰って来たのが12月14日の夜だから、
>いきなり嘘を吐いているが、正確な情報を得られなかったことは正直に
>話しているようだね。
全体に関する正確な情報は得られなかったのですが、安全区外にも多くの市民が残っていたことは、実際に目撃しているとうことです。
----
引用
----
http://www.geocities.jp/yu77799/anzentitaigai.htmlよりF・T・ダーディンからの聞き書き(2)
私はわずか三日間しかいなかったので、正確な情報は得られませんでしたが、車で市内を回った時、家の中から中国人が出てくるのを見掛けましたし、通りを歩いている中国人も何人か見ました。ですから、皆がみな安全区に入ったのではありません。
もちろん、安全区の外は危険でしたが、中国人たちは、まさか虐殺が待ち構えていようとは考えていませんでした。何とかなるだろうと、家を出なかったのです。彼らは日本軍の占領がどういうものか経験がありませんでしたし、日本軍はラジオを使って市民に、家にいれば危害は加えない、なにも怖がることはない、と放送していました。したがって虐殺なんて夢想だにしていなかったのでしょう。
(「南京事件資料集1
アメリカ関係資料編
P567〜P568)
―(一九四〇年に日本人が発行した「最新南京市街詳図」を見せて)城内の南部のこの地域は人口密集地ですが、残留していた市民も多かったのですね。
はい、住民はずいぶん城内に残っていました。脱出した者も多かったようですが、残った者も沢山いました。その地域には日本軍の占領後行ってみましたが、死体がたくさん転がっていました。日本軍の砲弾が激しく撃ち込まれたところです。砲弾によって多くの人々が殺されました。被害を受けなかった家には人がまだ住んでいました。日本軍がこの地域を占領してからもたくさんの中国人が殺されました。日本兵に銃殺されたのです。
(同
P570)
----
終わり
----
>便衣兵と盗賊が居たことは否定しない。
それが「便衣兵」と「盗賊」であったことを証明すべきでしょうね。
もちろん、出来るはずもありませんが(笑)。
>>■さらに詳しくは知りたければ、ゆうさんのページをご覧ください。
>Ψ(´_`)Ψ
ゆうさんのページはこちら↓です。
http://www.geocities.jp/yu77799/>早々と南京を去ったダーディンとスティールが「日本軍による千人単位
>の民間人殺害」を目撃することなど有り得なかったから。
では、誰がダーディンとスティールが「「日本軍による千人単位の民間人殺害」を目撃した」と主張したのですか?
これは メッセージ 11555 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11573.html
Re: 嘘吐きダーディンの与太記事
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/21 20:16 投稿番号: [11572 / 29399]
>間違いじゃないよ。
>【主に】そうだよ。
>そのNYタイムズの記事は5000字にもおよぶ長文だから、いろいろ
>書いてあるけどね。
あなたの「主に安全区の出来事」という主張には、根拠がありません。
私は、次のようの根拠を提示しています。
----
引用
----
『南京事件資料集1』P421
ニューヨークタイムズ
12月18日
「日本軍の下関門の占領は、防衛軍兵士の集団殺戮を伴った。彼らの市外は砂嚢に混じって積み上げられ、高さ六フィートの小山を築いている」
「中山路はいまやごみの大通りと化し、汚物、軍服、小銃、拳銃、機関銃、野砲、ナイフ、背嚢などが全域に散乱していた」
「中国軍は、中山陵公園内の立派な建物や住宅を含む郊外のほぼ全域を放火した。下関はほとんどが焼け落ちた。」
----
終わり
----
>しかも、見出しとその直後にある要約部分には「民間人の殺害」という
>言葉を挿入していたが、その後の長文記事の中に「民間人の殺害」に関
>する具体的な説明は全くない。
ダーディンの記事の内容が、「主に安全区の出来事」か否かを論じているのですが?
民間人については、病院に収容できなくなるくらいの負傷者が出ていることと、市内に死体が散乱している様子を描写しています。
----
引用
----
民間人の死傷者多数
民間人の死傷者の数も、千人を超えるほどに多くなっている。唯一開いている病院はアメリカ系の大学病院であるが、設備は、負傷者の一部を取り扱うのにさえ、不十分である。
南京のとおりには死骸が散乱していた。ときには、死骸を退かしてからでないと、車が進めなかった。
----
終わり
----
>「ベイツメモを検証」とか言うが、ベイツ自身が日本軍による市民虐殺
>を1件も目撃していないし確認もしていないのだ。
すでに提示したとおり、残留外国人たちは、その目で見た南京の状況を基に、日本軍の残虐行為のありさまを書きつづっており、『戦争とは何か』に載せられたベイツの手紙の記述も、これら外国人たちの認識とずれたものではありません。
これは メッセージ 11555 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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Re: 目撃・通報・検証ゼロの不思議な虐殺
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/21 20:15 投稿番号: [11571 / 29399]
>安全区国際委員会に出向いた際、ミルズに依頼されてちょっと水西門ま
>で車で行ったらしいが、そこでは何もなかったはすだが。
「何もなかった」かどうかが問題ではなく、行動範囲が広かったか否かが問題となっています。
行動範囲が広いことで、その行動中に得る情報が変わってくるからです。
↓結論としては、以下の記述は間違いであったということです。
No.11547
>ヴォートリン自身は避難所として開放した金陵女学院の責任者だったか
>ら、その2日間は通常避難民で溢れる金陵女学院に居るわけで、せいぜ
>いベイツたちが居た安全区本部、金陵大学に出向くなど活動範囲は非常
>に狭かった。
>諸々の見聞を総合するのは勝手だが、日本軍による南京市民虐殺を目撃
>した者が一人も居ないのは何故?
>ミルズやベイツなど15人の安全区国際委員会メンバーも、100人以上の日
>本人報道関係者なども、だれ一人として日本軍による市民虐殺を目撃し
>ていない。
当然、そのような危険な瞬間を見ることは稀だったでしょう。ただし、残留外国人たちは、死体の状況などで、それが虐殺されたものであったということを十分認識できたわけです。
◇ラーベ日記
12月13日
我々はメインストリートを非常に用心しながら進んでいった。手榴弾を轢いてしまったが最後、ふっとんでします。上海路へと曲がると、そこにもたくさんの市民の死体が転がっていた。
…
町を見まわってはじめて被害の大きさがおよくわかった。百から二百メートルおきに死体が転がっている。調べてみると、市民の死体は背中を撃たれていた。多分逃げようとして後ろから撃たれたのだろう。
…
二百人ほどの中国人労働者の一団に出会った。安全区で集められ、しばられ、連衡されたのだ。我々がなにをいってもしょせんむだなのだ。
◇ウィルソンの手紙
12月15日
また別の患者は日本兵に銃剣で刺されたあの床屋だ。銃剣は靭帯を切り抜け、脊椎管に達する首の後ろの筋肉をすべて切断した。かれはショック状態にあり、おそらく死亡するだろう。彼は床屋にいた八人のうち唯一の生存者で、残りは全員殺害されている。
…
一般市民の殺害は、ゾッとするほどだ。強姦や想像を絶する蛮行について書こうとすればきりがない。銃剣で負傷した二人は、七人いた道路清掃人のうちの生存者だ。
◇ワシントン・ポスト
12月17日付け
12月17日、金曜日、上海発(AP)
パラマウント・ニュース映画のカメラマン、アーサー・メンケンは、かつての繁栄の都は、残虐な日本軍の陸・空からの攻撃による兵士・市民の死体が散乱する流血の巷と化していた、と無線で報告してきた。
◇ニューヨーク・タイムズ
12月17日付け
屍体の散乱する南京
12月16日、南京発(米砲艦オアフ号より無線、AP)。かつてその繁華を謳われた中国の古都は、いまや町がこうむった砲爆撃と激戦により殺された防衛軍兵士および一般人の屍体が散乱するありさまだ。
※AP通信
マクダニエルの記事と考えられる
複数の情報源から考慮すると、とても「ゼロ」などと言える状況ではありません。
>ソーンの情報の内容なんて日記ではノーコメントじゃん。
上記のような状況をあわせ総合的に次のようにコメントしているのでしょう。
◇ボートリン日記
12月15日
きのうときょう日本軍は広い範囲にわたって掠奪をおこない、学校を焼き払い、市民を殺害し、女性を強姦している。(略)
>ダーディンは句容に行っていて南京に居たのは14日の夜から15日の昼間
>までだし、スティールだって南京にいたのは日本軍が南京城内に入って
>からは2日間くらいだ。
つまり、ダーディン、スティールには、ベイツメモの内容を確認するだけの行動する自由と時間があったわけです。
>「ベイツの情報をチェック」とか言うが、ベイツ自身が日本軍による市
>民虐殺を1件も目撃も確認もしていないのだ。
>更に、ベイツのみならず誰一人として日本軍による市民虐殺を目撃して
>いないのだから情報源も何もあったもんじゃない。
>誰かが意図的にデマや出鱈目を流布(宣伝)していた以外に有り得ない
>のだ。
上記のとおり、残留外国人たちは、その目で見た南京の状況を基に、日本軍の残虐行為のありさまを書きつづっており、『戦争とは何か』に載せられたベイツの手紙の記述も、これら外国人たちの認識とずれたものではありません。
これは メッセージ 11554 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11571.html
人種差別
投稿者: sugotyon 投稿日時: 2006/03/21 00:54 投稿番号: [11570 / 29399]
1963年国際連合が、人種差別撤廃宣言。
パリ講和会議で、日本が人種差別撤廃条項を提案してから、半世紀。
大東亜戦争の側面。
これは メッセージ 11568 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11570.html
漂流中の生存者を
投稿者: sugotyon 投稿日時: 2006/03/21 00:41 投稿番号: [11569 / 29399]
容赦なく機銃掃射。
記録フィルムもあるそうな。
これは メッセージ 11568 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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Re: デリ君には心底ガッカリだorz
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/20 23:10 投稿番号: [11568 / 29399]
>何れにせよそんなものただ一つが何かの証拠になるのであれば、南京大虐殺の証明など容易いことであることはデリ君にも分かる話であろう・・・・
アメリカ軍が投降した日本兵を捕虜にせず殺しまくった資料は、『リンドバーグ第二次大戦日記』の他にもいろいろあるんだよ。
連合軍が日本兵を捕虜にせず殺害しまくった例は枚挙に暇がない。
カリフォルニア大学のダワー教授はその著『人種偏見』において、連合軍側の虐殺行為を詳しく紹介している。
例えば、すでに米軍の支配下にあった島に、仲間とはぐれた日本兵を一人放ち、その兵士が身の安全を求めて狂ったように駆け出すところを銃の標的として楽しんだ。ペリリュー島や沖縄の激戦地で、米軍兵士は日本兵の死体から手を切り取って戦果のトロフィーとする、金歯を漁る、死体のあいた口めがけて小便をする、恐れおののく沖縄の老女を撃ち殺し、「みじめな生活から逃れさせてやっただけだ」と気にもとめない、といった具合である。
太平洋地域担当の従軍記者エドガー・L・ジョーンズは、一九四六年一昭和二十一年一の『アトランティック・マンスリー』誌に、「われわれは捕虜を容赦なく撃ち殺し、病院を破壊し、救命ボートを機銃掃射し、敵の民間人を虐待、殺害し、傷ついた敵兵を殺し、まだ息のある者を他の死体とともに穴に投げ入れ、死体を煮て頭蓋骨をとりわけ、それで置き物を作るとか、または他の骨でぺーパーナイフを作るとかしてきたのだ」と書いた。
これらの陰湿な虐殺行為は政府によって公認されたこともあった。
ジョン・ダワー教授はいう。
「ブーゲンビルで投降しようとして殺された負傷兵の場合のように、日本兵殺害の中には上官の命令下に行なわれたもの、あるいは少なくとも上官が事後承認を与えたものがあった。たとえば日本の輸送船を沈め、その後一時間以上もかけて何百何千という生き残り日本兵を銃で撃ち殺したアメリカの潜水艦艦長は、この虐殺をその公式報告書に記録し、しかも上官から公の賛辞を与えられている。」
『人種偏見』
さらに、ダワー教授はこう述べる。
「連合国側の虐殺行為は何ら罪を問われず、免責されたままだ。そして、補虜虐待について言えば、それでなくとも物資不足に喘ぎ、補虜を受け入れるだけの設備も食糧も不足していた日本側がそれでも交戦法規を忠実に守って、大量に投降してくる敵兵を捕虜にしたからこそ様々な問題が生じたのである。 」
以下、『世界が裁く東京裁判』から一部抜粋
会田雄次著『アーロン収容所』には、戦後、イギリス軍が降伏した日本軍将兵に劣悪な住居、僅かな食料しか与えないまま激しい強制労働を課すことで、いかに多くの日本軍将兵を病死、衰弱死に至らしめたかが描かれている。
本田忠尚著『マレー捕虜記』によれば、ビルマ、マレー、シンガポール地区の強制労働での日本兵の死者は、実に四千名を越えるという。また、マレーシアのクアラルンプール日本人墓地には、マラヤ共産党軍掃討のために戦後イギリスによって戦争に駆り出され、無念の死を遂げた日本兵たちの粗末なお墓が並んでいる。
投降した日本兵を「反戦兵士」にする者を除いて全員惨殺し、一人たりとも捕虜としてマトモに保護しなかった支那軍など論外。
さらに、ソ連に至っては、日本がポツダム宣言を受諾した後に100万人以上の日本人を拉致、強制連行、労働をさせ、うち数十万人(50万人超か)を大虐殺をしたのだ。
これでも、まだ、南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜にして保護した日本軍にイチャモンを付け続けるのだろうか?
これは メッセージ 11563 (mht2040at さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11568.html
Re: 南京大虐殺の嘘を暴く館
投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2006/03/20 22:16 投稿番号: [11566 / 29399]
自らの程度の低さを露呈するような、
くだらない投稿は止めておいたらどうかね。
で何度目か忘れたが、この画像は転載を許可されてるものなのかね。
これは メッセージ 11565 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11566.html
南京大虐殺の嘘を暴く館
投稿者: lvl_alpha 投稿日時: 2006/03/20 11:29 投稿番号: [11564 / 29399]
日本国民としては
九段下あたりにでも・・・造って欲しいと思います。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11564.html
Re: デリ君には心底ガッカリだorz
投稿者: mht2040at 投稿日時: 2006/03/20 01:05 投稿番号: [11563 / 29399]
>アメリカ軍も少数の日本軍将兵しか捕虜にせず、日本軍投降兵の大半を惨殺したが、支那軍のように一人残らず惨殺したり「反戦兵士」に仕立てた訳ではなかったから、アメリカ軍に対してなら一応投降してみる価値はあったかもしれない。
こりゃまた史実に反することを、大した根拠もなく断言される大したお方だw
リンドバーグの第二次世界大戦日記は現在入手困難で、ネットで出回っている話の大半は正論で紹介されたものである。私もまだ読んでいないから、論評は不可能ではあるが、何れにせよそんなものただ一つが何かの証拠になるのであれば、南京大虐殺の証明など容易いことであることはデリ君にも分かる話であろう・・・・のに、デリ君にはバランス感覚というものは全くほとんどないので分からないのかも知れないがw
ともあれ、戦陣訓が、日中戦争のみで有効なもので、アメリカなどには関係のない守らなくてもいいものだと言わんばかりのデリ君の説に何か根拠は・・・・いや、もうそれは訊くまいw
>>で、君の言わんとすることは、君の妄想・想像・願望以外に何か根拠があるのかね。
>だから、支那軍が日本兵を捕虜にして、反戦兵士にもせず、ちゃんと保護した事実を証明しろよ。
>そんな事実はないのだよ。
デリ君が、自説が無根拠であることを自認している場合には、必ず反証を相手に求めたりするわけね。しかし、自分で言っていることくらいせめて自分でしっかり説明出来るようにしような。相手が少しくらいは納得できるようになw
なお、念のため言っておくが、私は日中戦争下で中国側に捕虜になった日本兵の数など知らん、といっているのであって、いたともいなかったとも言っておらんぞ。そうではなくて、デリ君の断言にただ純粋に何の根拠があるのかを問うておるだけぢゃ。
答えられないんなら、デリ君の断言は根拠ゼロと言うことになるわけだよ。小学生でも分かる理屈だろ?
これは メッセージ 11514 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/11563.html
Re: 児玉義雄証言 その後
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/19 23:15 投稿番号: [11562 / 29399]
> ↓これが本来の論点です。
>
----
引用
----
> 実名の証言者も沢山いたが、すべて嘘だったことが判明した。
> どうして実名証言者の真証言は一つもないの?
>
----
終わり
----
それは貴方とdeliciousicecoffeeさんの間の話。
私が問題にしている点は最初から
> それで、実際に捕虜(正しくは投降兵)の殺害は行われたのだろうか?
(No.11520)
これだ。
そして結局は、「つまり、児玉証言に基づく捕虜虐殺の事実を、答えられない」という結論に落ち着く、と。
それならそれで別に構わないが。
>
----
引用
----
> 『飯沼守日記』
> 十二月十五日
山田支隊の俘虜東部上元門付近に一万五、六千あり
尚増加の見込と、依て取り敢へす16Dに接収せしむ。 (『南京戦史資料集1』P158)
>
----
終わり
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> 上海派遣軍が、直接、山田支隊に命令を出しています。第13師団から、上海派遣軍直轄に命令系統が変わったからです。
これこそが「頓珍漢な発言」と言うべきだろう。
飯沼日記に記されている「接収せしむ」が命令だったのか、それとも単なるアイデアだったのか確認されていないということは横に置いておく。
まず第一に、これが命令だったとすれば、命令系統の直線的な上位者である上海派遣軍司令部が山田支隊に命令を下すのは異例であっても異常ではない。
最初から命令権限はあるのだから、この一事をもって山田支隊が司令部直轄になったと結論づけることは不可能だ。
第二に、山田支隊の抱えている捕虜を第16師団に接収させたからと言って、山田支隊が第16師団の指揮下に入った等ということは言えない。
この場合は単に捕虜の受け渡しがあるだけで、以後の処置は第16師団の任務となる。
つまり、飯沼日記に書かれているとおり、山田支隊の捕虜が第16師団に接収されたならば、捕虜を処刑するにしても解放するにしてもそれは第16師団の任務となり、山田支隊に対して第16師団が捕虜殺害を命じるというのは益々条理に合わない話となってくる。
あり得ないんだよ。
> >
で、この飯沼日記には捕虜を殺害したなんて一言も書かれていないのだが。
> >
下関に収容したとすら書かれていない。
> >
関係ない資料をいくら持ちだしても、根拠にはならないよ。
>
> この飯沼日記は、下関に捕虜が移動させられていたとことを示す資料です。
> 捕虜を殺害したのは、証言で明らかになっていますね。
> あと、村瀬写真も挙げましたし。
ダメダメ、そんなことで誤魔化されると思ったら大間違いだ。
飯沼日記に記されていた捕虜の移動と、下関に捕虜収容所があったという「証言」の間に関連性を示すものは何もない。
それから村瀬写真は捕虜殺害を示したものではない。
新河鎮の戦死者と、城内で摘出した便衣兵の被処刑者の死体が入り交じったものだ。
ついでに言えば、沢田吉次証言は、この便衣兵処刑の光景だと推測される。
> 「多数の捕虜を殺害した」と貴方は主張しているわけだが、「多数」というのは一体何処から導き出された結論かな?
(No.11492)
相変わらず、答えがないね。
> Msg.11492
> >
ところで、下関に捕虜収容所があったのかい?
> >
他では聞かないなぁ。
> >
捕虜を労役させていた倉庫はあったようだが。
> >
もしかして、捕虜を労役させていた作業場を捕虜収容
> >所と言っているのかな?
> あなたが聞いたことがないからと言って、それは事実にはなりません。
> よろしいでしょうか?
下関に捕虜収容所があったという他の証拠を出せない限り、孤立証言であることは間違えないのだが?
こんな枝葉の質問に論点を逸らそうとしても無駄な努力だと言っておくよ。
これは メッセージ 11531 (Marc_Laforet さん)への返信です.
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Re: デリ君にご教示を請うてみよう 横質問
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/19 23:12 投稿番号: [11561 / 29399]
> >
というのは、何を意味しているのかな?
> >
私には、捕虜を間諜として利用しようとした、ということに見えるのだが。
> >
だとすれば、ハーグ陸戦規則第六条の「一切作戦動作ニ関係ヲ有スヘカラス」に明確に違反し、捕虜として保護していることにはならないが。
>
> あなたの主観を根拠に論じられてもしょうがないですよ。
>
> 「反戦兵士」と戦時国際法の勉強をして出直すべきかと思います。
だから、戦時国際法を構成する重要な条約附則であるハーグ陸戦規則の条文を引用して、見解を糾しているわけだが?
こうなると逃げ口上にしか見えないぞ。
これは メッセージ 11529 (Marc_Laforet さん)への返信です.
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Re: 鬼頭証言は眉唾物
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/19 23:12 投稿番号: [11560 / 29399]
> >
つまり、あるあると言っておきながら、出せないんだねw
>
> 論拠は明示してありますので、それでも無いと言い張るのでしたら、そこから先はあなたの自身の問題でしょう。
明示できていないだろ。
だから「出せないんだね」と言っているのだ。
> 何か勘違いされているようですが、私は、秦氏の考察が33iや66i-Ⅰで裏付けられていると述べているのですよ。
だから、第33連隊戦闘詳報や第66連隊第1大隊戦闘詳報に捕虜殺害が記載されていて論点になっているのは南京戦においてのことだと説明してあげているじゃないか。
所謂「南京大虐殺」を論じる場合、どちらも有名な史料だよ?
> そう仰るのでしたら、お聞きしなければなりませんね。お伺いしますが「証言された状況」というのは、何を意味するのですか?
> そして、その「反対尋問」に、「私」が何を答えればよいのでしょうか?
証言の証拠能力を検証するために、対立する側から証人に対して為されるのが反対尋問。
そして証言された事柄の起こった状況を証言させ、それを他の情報と照合して、本当に証人がその状況に居合わせていたのか検証するのは、一般的な手法だ。
で、貴方は証言を引用した者として、証人の代わりに、証人がその証言を為し得る立場にあったかどうかを説明すべきである、と言ってるのだが。
ここまで懇切丁寧に説明してあげないと分からない?
> 同じことを繰り返されても…。
> No.11391 「具体的なことは解りませんが、軍上層部からきた命令という意味で、鳩彦の名前を出したのではないでしょうかね?」
要するに、具体的なことは分からないのに、憶測で物を言っているだけなんだね(藁
> >
何度でも訊くけど、信憑性という言葉の意味をご存知か?
> >
校正、校閲の意味よりこっちの方が重要だと思うがね。
> >
最終的に問題になるのは、証言の信憑性なのだから。
>
> つまり、校正・校閲の意味が理解できずに、件の記述ミスを論じているということでかまわないでしょうか?
貴方が「信憑性」という言葉の意味とその重要性を理解できないのはよく分かったよw
これは メッセージ 11528 (Marc_Laforet さん)への返信です.
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Re: 鬼頭証言は眉唾物
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/19 23:10 投稿番号: [11559 / 29399]
> >
2名しかいないのにどちらか覚えていないのは「曖昧」ではないのかな?
> >
最大3名の内、2名の候補が残っている状態を「絞られている」とは普通言わないものだ。
>
> その命令を聞いた相手が、兵士間の噂であったというケースも考慮すべきでしょう。
(爆笑)
つまりは、単なる「噂」?
> >
こういう具合に切り出すことを言うんだよ。
> >
自分のやったことを相手に擦り付けてはいけないな。
>
> 何が本論として重要かを明記するのであれば、以下の記述だけを引用するのが妥当でしょう。
つまり「擦り付け」だったことを認める、と。
中々潔くて結構だよww
> つまり、鬼頭氏が、鳩彦の名前を出したことには具体的にな根拠はなかったが、命令系統からの命令であるならば、当時の兵士の心情としては鳩彦からの命令であったと推測することは自然なことであり、したがって、そのことを根拠として同証言が眉唾であるという根拠にはならない、といっているわけですね。
要するに、噂であり憶測なんだろ(藁
> 「上海派遣軍司令官の命令を確認できる立場だったのか?」
> という論点であったにも関わらず、あなたは
> 「無意味なのは「朝香宮司令の命令」という証言部分だよ」
> というようなまったく関係ない論点を持ち出して、論点を摩り替えているわけですね。
>
> よろしいでしょうか?
Q:「上海派遣軍司令官の命令を確認できる立場だったのか?」
A:「確認できる立場でなかった」
よって、鬼頭証言の「朝香宮司令の命令」という証言部分は「無意味」である。
よろしいでしょうか?(藁
これは メッセージ 11527 (Marc_Laforet さん)への返信です.
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