Re: 支那軍の暴虐>>>日本軍の報復
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/21 20:50 投稿番号: [11574 / 29399]
>捕虜が誰かも分からず、人数も分からず、「反戦兵士」にされたかどう
>かも分からず、これでは全く検証不可能。
日本人捕虜の概況を説明しているのですから、個別の捕虜の話をする必要性はありません。概況として、捕虜が存在したことが、以下の資料によって証明されています。
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引用
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青山和夫『反戦謀略』P119
常徳捕虜収容所
戦争当初、特に上海南京戦時代の日本兵の捕虜は大部分空軍で、南京の収容所に入れられていたが、南京撤退前に西安の宝鶏に移された
常徳に収容所が設立されたのは、台児荘、徐州会戦以降で、主として歩兵等が武漢に送られてきたのを、常徳に収容したのだった。軍政部の管轄で、所長を李列欽の馬丁をしていた雛任之だった。武漢時代王に工作援助を依頼してきたので、陥落後、わたしが収容所に行くことに内定していた。
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終わり
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>だから、支那軍の違法行為に対して、日本軍の報復行動は極めて不十分
>だったことを説明したのだが。
つまり、戦時復仇が成立したという証明ではなかったわけですね?
であれば、議論とは関係ありません。
>嘘っぱちの出鱈目記事だったことが証明されて残念だったね。
複数の残留外国人たちの記録などからも、彼らの記事が妥当なものであったと確認できました。
もちろん、彼らの記事にも限界がありますし、彼らが南京を去った後の虐殺については触れることは出来ていません。
これは メッセージ 11556 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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