Re: 児玉義雄証言 その後
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/19 23:15 投稿番号: [11562 / 29399]
> ↓これが本来の論点です。
> ---- 引用 ----
> 実名の証言者も沢山いたが、すべて嘘だったことが判明した。
> どうして実名証言者の真証言は一つもないの?
> ---- 終わり ----
それは貴方とdeliciousicecoffeeさんの間の話。
私が問題にしている点は最初から
> それで、実際に捕虜(正しくは投降兵)の殺害は行われたのだろうか?
(No.11520)
これだ。
そして結局は、「つまり、児玉証言に基づく捕虜虐殺の事実を、答えられない」という結論に落ち着く、と。
それならそれで別に構わないが。
> ---- 引用 ----
> 『飯沼守日記』
> 十二月十五日 山田支隊の俘虜東部上元門付近に一万五、六千あり 尚増加の見込と、依て取り敢へす16Dに接収せしむ。 (『南京戦史資料集1』P158)
> ---- 終わり ----
> 上海派遣軍が、直接、山田支隊に命令を出しています。第13師団から、上海派遣軍直轄に命令系統が変わったからです。
これこそが「頓珍漢な発言」と言うべきだろう。
飯沼日記に記されている「接収せしむ」が命令だったのか、それとも単なるアイデアだったのか確認されていないということは横に置いておく。
まず第一に、これが命令だったとすれば、命令系統の直線的な上位者である上海派遣軍司令部が山田支隊に命令を下すのは異例であっても異常ではない。
最初から命令権限はあるのだから、この一事をもって山田支隊が司令部直轄になったと結論づけることは不可能だ。
第二に、山田支隊の抱えている捕虜を第16師団に接収させたからと言って、山田支隊が第16師団の指揮下に入った等ということは言えない。
この場合は単に捕虜の受け渡しがあるだけで、以後の処置は第16師団の任務となる。
つまり、飯沼日記に書かれているとおり、山田支隊の捕虜が第16師団に接収されたならば、捕虜を処刑するにしても解放するにしてもそれは第16師団の任務となり、山田支隊に対して第16師団が捕虜殺害を命じるというのは益々条理に合わない話となってくる。
あり得ないんだよ。
> > で、この飯沼日記には捕虜を殺害したなんて一言も書かれていないのだが。
> > 下関に収容したとすら書かれていない。
> > 関係ない資料をいくら持ちだしても、根拠にはならないよ。
>
> この飯沼日記は、下関に捕虜が移動させられていたとことを示す資料です。
> 捕虜を殺害したのは、証言で明らかになっていますね。
> あと、村瀬写真も挙げましたし。
ダメダメ、そんなことで誤魔化されると思ったら大間違いだ。
飯沼日記に記されていた捕虜の移動と、下関に捕虜収容所があったという「証言」の間に関連性を示すものは何もない。
それから村瀬写真は捕虜殺害を示したものではない。
新河鎮の戦死者と、城内で摘出した便衣兵の被処刑者の死体が入り交じったものだ。
ついでに言えば、沢田吉次証言は、この便衣兵処刑の光景だと推測される。
> 「多数の捕虜を殺害した」と貴方は主張しているわけだが、「多数」というのは一体何処から導き出された結論かな?
(No.11492)
相変わらず、答えがないね。
> Msg.11492
> > ところで、下関に捕虜収容所があったのかい?
> > 他では聞かないなぁ。
> > 捕虜を労役させていた倉庫はあったようだが。
> > もしかして、捕虜を労役させていた作業場を捕虜収容
> >所と言っているのかな?
> あなたが聞いたことがないからと言って、それは事実にはなりません。
> よろしいでしょうか?
下関に捕虜収容所があったという他の証拠を出せない限り、孤立証言であることは間違えないのだが?
こんな枝葉の質問に論点を逸らそうとしても無駄な努力だと言っておくよ。
> ---- 引用 ----
> 実名の証言者も沢山いたが、すべて嘘だったことが判明した。
> どうして実名証言者の真証言は一つもないの?
> ---- 終わり ----
それは貴方とdeliciousicecoffeeさんの間の話。
私が問題にしている点は最初から
> それで、実際に捕虜(正しくは投降兵)の殺害は行われたのだろうか?
(No.11520)
これだ。
そして結局は、「つまり、児玉証言に基づく捕虜虐殺の事実を、答えられない」という結論に落ち着く、と。
それならそれで別に構わないが。
> ---- 引用 ----
> 『飯沼守日記』
> 十二月十五日 山田支隊の俘虜東部上元門付近に一万五、六千あり 尚増加の見込と、依て取り敢へす16Dに接収せしむ。 (『南京戦史資料集1』P158)
> ---- 終わり ----
> 上海派遣軍が、直接、山田支隊に命令を出しています。第13師団から、上海派遣軍直轄に命令系統が変わったからです。
これこそが「頓珍漢な発言」と言うべきだろう。
飯沼日記に記されている「接収せしむ」が命令だったのか、それとも単なるアイデアだったのか確認されていないということは横に置いておく。
まず第一に、これが命令だったとすれば、命令系統の直線的な上位者である上海派遣軍司令部が山田支隊に命令を下すのは異例であっても異常ではない。
最初から命令権限はあるのだから、この一事をもって山田支隊が司令部直轄になったと結論づけることは不可能だ。
第二に、山田支隊の抱えている捕虜を第16師団に接収させたからと言って、山田支隊が第16師団の指揮下に入った等ということは言えない。
この場合は単に捕虜の受け渡しがあるだけで、以後の処置は第16師団の任務となる。
つまり、飯沼日記に書かれているとおり、山田支隊の捕虜が第16師団に接収されたならば、捕虜を処刑するにしても解放するにしてもそれは第16師団の任務となり、山田支隊に対して第16師団が捕虜殺害を命じるというのは益々条理に合わない話となってくる。
あり得ないんだよ。
> > で、この飯沼日記には捕虜を殺害したなんて一言も書かれていないのだが。
> > 下関に収容したとすら書かれていない。
> > 関係ない資料をいくら持ちだしても、根拠にはならないよ。
>
> この飯沼日記は、下関に捕虜が移動させられていたとことを示す資料です。
> 捕虜を殺害したのは、証言で明らかになっていますね。
> あと、村瀬写真も挙げましたし。
ダメダメ、そんなことで誤魔化されると思ったら大間違いだ。
飯沼日記に記されていた捕虜の移動と、下関に捕虜収容所があったという「証言」の間に関連性を示すものは何もない。
それから村瀬写真は捕虜殺害を示したものではない。
新河鎮の戦死者と、城内で摘出した便衣兵の被処刑者の死体が入り交じったものだ。
ついでに言えば、沢田吉次証言は、この便衣兵処刑の光景だと推測される。
> 「多数の捕虜を殺害した」と貴方は主張しているわけだが、「多数」というのは一体何処から導き出された結論かな?
(No.11492)
相変わらず、答えがないね。
> Msg.11492
> > ところで、下関に捕虜収容所があったのかい?
> > 他では聞かないなぁ。
> > 捕虜を労役させていた倉庫はあったようだが。
> > もしかして、捕虜を労役させていた作業場を捕虜収容
> >所と言っているのかな?
> あなたが聞いたことがないからと言って、それは事実にはなりません。
> よろしいでしょうか?
下関に捕虜収容所があったという他の証拠を出せない限り、孤立証言であることは間違えないのだが?
こんな枝葉の質問に論点を逸らそうとしても無駄な努力だと言っておくよ。
これは メッセージ 11531 (Marc_Laforet さん)への返信です.