南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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Re: 嘘吐きダーディンの与太記事

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/21 22:34 投稿番号: [11581 / 29399]
>ダーディンの記事の内容が、「主に安全区の出来事」か否かを論じているのですが?

君は日本語が不自由なようだから、その件は別にどっちでも良いよ。

>民間人については、病院に収容できなくなるくらいの負傷者が出ていることと、市内に死体が散乱している様子を描写しています。

それがどうかした?
戦争中だし、野蛮な支那兵や支那人盗賊や反日撹乱工作隊などが大勢居たからね。
――――――――
十二月七日、支那軍は南京周辺を徹底的に焼き払い、焼け出された市民が難民となって城内に流入、商品流通が麻痺し食料難が加速、一部では暴動が起こった。
支那軍は治安維持のため少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺した。

上海一九三七年十二月八日発「東京日日新開」は次のように報じている。

南京衛戌司令唐生智はどさくさに乗ずる市民の暴動を恐れて七日朝来市内警備を一層厳重にして少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺し、すでにその数、百名に及んでいると支那紙は報じている。
『南京戦史』二七三頁

Ω   Ω   Ω

十日頃には完全な無政府状能心に陥り、統制を失った支那兵たちによる掠奪が横行した。在南京アメリカ大使館のエスピー副領事は、陥落直前の南京の様子を漢口のアメリカ大使館にこう報告している。

「日本軍入城前の最後の数日間には、疑いもなく彼ら自身の手によって市民と財産に村する侵犯が行われたのであった。気も狂わんばかりになった支那兵が軍服を脱ぎ棄て市民の着物に着替えようとした際には、事件をたくさん起こし、市民の服欲しさに、殺人まで行った」
エスピー報告、三八年一月二十五日より一部抜粋

Ω   Ω   Ω

支那軍第八七師二六一旅長の譚道平はその著『南京衛戌戦』(一九八七年、中国文史出版社)に、十二月十二日夕刻以後の情景をこう記している。

「散兵・潰兵の退却阻止の命令を受けていた宋希簾麾下の第三六師二一二団は、撤退命令を出された後も、邑江門付近の道路に鉄条網のバリケードを築き、路上には機関銃をそなえて、邑江門からの撤退を拒み続けた。このため、夜になるとパニック状態になり、邑江門から脱出しようとする部隊と、これを潰兵とみなして武力で阻止しょうとした第三六師二一二団部隊との間で銃撃戦が繰り広げられ、邑江門内は大惨事となった」

支那軍には戦闘に際して兵士を先頭に立たせ、後退する兵士がおれば背後から射殺する任務を帯びた「督戦隊」という独特の組織がある。邑江門の支那兵の死体は、この「督戦隊」によって殺されたものであった。
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>すでに提示したとおり、残留外国人たちは、その目で見た南京の状況を基に、日本軍の残虐行為のありさまを書きつづっており、

だから、残留外国人たちは誰一人として日本軍による南京市民虐殺を1件も目撃してないだろ。

>『戦争とは何か』に載せられたベイツの手紙の記述も、これら外国人たちの認識とずれたものではありません。

だから、ベイツは日本軍による市民虐殺を1件も目撃していないし確認もしていないのに、「日本軍が多くの市民を殺害している」と宣伝しまくり、外国人たちは宣伝工作員のベイツたちの根拠のない同じようなデマを同じように認識していたのさ。
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