支那軍の暴虐>>>日本軍の報復
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/19 18:03 投稿番号: [11556 / 29399]
>青山和夫『反戦謀略』P119
>常徳捕虜収容所
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戦争当初、特に上海南京戦時代の日本兵の捕虜は大部分空軍で、南京の収容所に入れられていたが、南京撤退前に西安の宝鶏に移された
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常徳に収容所が設立されたのは、台児荘、徐州会戦以降で、主として歩兵等が武漢に送られてきたのを、常徳に収容したのだった。軍政部の管轄で、所長を李列欽の馬丁をしていた雛任之だった。武漢時代王に工作援助を依頼してきたので、陥落後、わたしが収容所に行くことに内定していた。
捕虜が誰かも分からず、人数も分からず、「反戦兵士」にされたかどうかも分からず、これでは全く検証不可能。
>戦時復仇が成立していることの証明はありませんね?
だから、支那軍の違法行為に対して、日本軍の報復行動は極めて不十分だったことを説明したのだが。
上海で支那軍は、便衣隊が日本軍を銃撃したり民間人を狙った市街地爆撃をしておいて日本軍の仕業だと宣伝したり細菌戦を行なったり日本兵を一人も捕虜として保護しなかった支那軍に対して、日本軍は十分な報復をしなかったから、支那軍は調子に乗って南京でも大量に便衣兵になったり捕まえた日本兵を惨殺したり反日撹乱工作を行なったりしたのだ。
支那軍の違法行為に対して、日本軍の報復行動は極めて不十分だったから支那軍は違法行為をエスカレートさせていったのだ。
そして、南京戦後の支那軍の暴虐・悪逆は、質・量ともに更に何倍もエスカレートさせていったのだ。
>また、外国人や新聞記者の記録とは、安全区委員会メンバーの記録や、ダーディン、スティールをはじめとする記者たちの報道です。
嘘っぱちの出鱈目記事だったことが証明されて残念だったね。
これは メッセージ 11551 (Marc_Laforet さん)への返信です.
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