紫陽花亭日乗

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

幾(几)度花落時

投稿者: sennin_194012 投稿日時: 2011/09/11 12:39 投稿番号: [481 / 735]
幾(几)度花落時( 彩雲追月・南の花嫁さん/作曲:任光)

徘徊花从里
親人<人爾>不来
痴痴在等待
莫非呀<人爾>把我忘懐
那年花落時
相約在花今日
可是呀<人爾>不見<人爾>来
曾問那花儿我心事
可知我相思苦
随那流水寄給<人爾>
再問几度花落時
 
徘徊花从里
親人<人爾>不来
痴痴在等待
莫非呀<人爾>把我忘懐
那年花落時
相約在花今日
可是呀<人爾>不見<人爾>来
曾問那花儿我心事
可知我相思苦
随那流水寄給<人爾>
再問几度花落時
 
訒麗君/几度花落時
http://www.youtube.com/watch?v=VfKc6Nr-aIs&feature=related
 
几度花落時 Ci Tu Hua Luo Se
http://www.youtube.com/watch?v=RTffoLfVQW4&feature=related
 
几度花落時 - Where have all the flowers fallen? - 歌手:喬維怡
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v =- 8Mw2Z3W5_E&NR=1
 
几度花落&#26102;/姚蘇蓉
http://www.youtube.com/watch?v=yZtLJsJa45o&feature=related
 
彩雲追月
http://www.youtube.com/watch?v=Bgf-xPocXYM&feature=related
 
彩雲追月/梁耀安;蒋文端
http://www.youtube.com/watch?v=6svVBDx9fTM&feature=related
 
彩云追月
http://www.youtube.com/watch?v=gUoJESwfNEY&NR=1
 
麗莎 粤語不朽名曲 彩云追月
http://www.youtube.com/watch?v=Mu9-8oI4Co4&NR=1
 
泰語版 幾度花落時(彩雲追月)中文字幕
http://www.youtube.com/watch?v=0Pm9ERqWqnk&feature=related
 
南の花嫁さん 高峰三枝子
http://www.youtube.com/watch?v=1pkGRy9LbcI&feature=related
 
遊佐未森/南の花嫁さん
http://www.youtube.com/watch?v=sNuWjOYA9C0&feature=related
 
小柳ルミ子   南の花嫁さん
http://www.youtube.com/watch?v=78-MVIh76Lg&feature=related

胡美芳名唱集

投稿者: sennin_194012 投稿日時: 2011/09/11 08:34 投稿番号: [480 / 735]
胡美芳名唱集
http://www.youtube.com/watch?v=dCDZB9TZFVM

①薔薇薔薇處處開(薔薇處處開)
②夜來香(夜來香)
③いとしあの星(白蘭之戀)
④夢の太湖船(太湖船)
⑤孟姜女(孟姜女)
⑥シナの夜(春的夢)
⑦チャイナ・マンボ
⑧ルムバ上海
⑨何日夢再來
⑩春怨花(戒煙歌)
⑪桃の花咲く頃
⑫夜來香の女

Re: 飲湖上初晴後雨 其二 /  西湖春

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/10 22:53 投稿番号: [479 / 735]
■西湖の桜

http://www.cool-shanghai.com/today/today.php?id=20110326

http://www.e-asianmarket.com/asia/hangzhouxifu81.htm


■中国歌謡   「西湖春(西湖の春)」


春風吹   春燕帰        春風吹いて   春燕帰る
桃杏多嬌美          桃の花   杏の花の   なんという美しさ
儂把舵来郎揺●       わたしは舵とり   あなたは櫂とり
劃破西湖水          西湖の水をかき分ける
春意濃   春心暖        春はたけなわ   恋する心熱く燃え
無力柳葉垂          岸の柳葉   あえかにしだれ
眼儿相望   心相印      見かわす眼と眼   二人の心はひとつに合わさる
儂爲郎陶酔          わたしはあなたに   ただうっとり
情切々   意綿綿       情は切々   想いは綿々
無言痴相対          言葉もなく   ただ一途に見つめあう顔と顔
但聞遠処歌声伝       はるかな歌声   ただ聞こえてくるばかり

●「將」の下に「木」   ショウ   短い櫂    jiang3

春風吹   春燕帰        春風吹いて   春燕帰る
遠山多青翠          かなたの山々   緑のなんというみずみずしさ
湖上鴛鴦花間蝶       湖上におしどり   花から花へと舞う蝶々
双栖又双飛          なかよく身を寄せ   ならんで飛ぶ
春意濃   春心暖        春はたけなわ   恋する心も熱く燃え
無力柳葉垂          岸の柳葉   あえかにしだれ
眼儿相望   心相印      見かわす眼と眼   二人の心はひとつに合わさる
儂爲郎陶酔          わたしはあなたに   ただうっとり
情切々   意綿綿        情は切々   想いは綿々
無言痴相対          言葉もなく   ただ一途に見つめあう顔と顔
但聞遠処歌声伝       はるかな歌声   ただ聞こえてくるばかり


★訳はあじさいです。


★蘇州、杭州の美しさを称えて
上有天堂   下有蘇杭      天にパラダイス   地に蘇州杭州
といいます。

http://www.youtube.com/watch?v=CSEcz2h8Wqs&feature=related
上記の歌詞と少し違っている箇所がありますが、これはよくあることです。

http://www.youtube.com/watch?v=HsUnnIQNd5g&feature=related
字幕に「白娘・バイニャン」とありますが、
これは中国四大悲恋伝説のひとつ「白蛇伝」のヒロインの名まえです。


673, 5759

.

台湾で韓流番組規制法案が可決の見込み

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/10 22:35 投稿番号: [478 / 735]
台湾で韓流番組規制法案が可決の見込み
ネットでは「アジアの良心台湾」との声
2011.08.03 05:45:50 by ソル category : 事件 海外・旅行 Tags :
アジアの良心 ゴールドラッシュ ソル 台湾 規制
★ガジェット通信★

国内では過剰なほどの韓流推し報道が連日行われ問題視されている中、
親日国の台湾では“韓流番組規制法案”が可決の見込みとなっている。
この法案は自国の製作番組が40%以下にならないようにするもの。
現状までの法案だと20%だったが、それを更に規制を強め40%と
上限を上げることになる。

自国の番組以外に規制するものであり、
この法案は日本や中国の番組も対象となる。

現在の台湾では日本同様に韓流推しが起きており、
韓国ドラマなどが日々放送されているという。
こうした規制に日本国内のネットユーザーは次のような意見を挙げている。

・台湾にいきたいわん。
・児ポ法案には必死なのにな
・日本は絶対やらない   利権絡んでるからな
・台湾は自立心があって良いな〜
・アジアの良心 台湾

と言う意見が書き込まれている。
日本では実現不可能な法案だが、こういった規制がすんなり通る国は
柔軟性があって先行き明るいといえるだろう。

※この記事は、ガジェ通ゴールドラッシュの「ソル」が執筆しました。[リンク]

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★日本の法律には、国防・愛国の見地から何か欠陥があるのですね。
台湾のほうが日本よりよほど優秀じゃないですか。


<韓りゅ…ブチッ  
   (⌒)      ピッ
/ ̄ ̄|           ハ,,ハ
|   ||.    |      ━⊂(゚ω゚   )
\__|     ========  \
  |     |     /※※※※ゞノ,_)

<キム…ブチッ  
   (⌒)      ピッ
/ ̄ ̄|           ハ,,ハ
|   ||.    |      ━⊂(゚ω゚   )
\__|     ========  \
  |     |     /※※※※ゞノ,_)

<新大久…ブチッ  
   (⌒)      ピッ
/ ̄ ̄|           ハ,,ハ
|   ||.    |      ━⊂(゚ω゚   )
\__|     ========  \
  |     |     /※※※※ゞノ,_)




  マスター、冷やし韓国を頼む
_i^i__i^i_                   i^i ._i^i_   __,   -―-   、___
  |*||*| ∩___∩     i^i   _i^i_   | | |@ll|(_/,,,,   ,,,,ヽ   ヽ_)
  |≡||≡|| ノ         ヽ   ([])|;□;|.(≡)|_|   |●    ●    |     えっ!!
  . 二二/         ● |二二( (二二二二   彡(_●_ )   U   ミ    なんですかそれ?
     |         ;    ミ     ) )        / ` ''∪''    /   ヽ   
     彡、        _ノ Gノ'フ=    ___    /   /i   ` ー '"   iヽ   |
      /         ヽ /   /      |   !   /   /   |         | |   .l. i
  ..──|ヽ          ヽ/─==i─Y-(_ノ──i二i───(⌒)
  ___ヽ         /ヽノ   └-┘ ┴       ..└┘      . ̄
      |   ___   i ̄
     いや、俺も知らんけど

.

台湾は本当に親日でいいですね♪

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/10 22:32 投稿番号: [477 / 735]
投稿者 :
nihonnwadokohe593959

台湾は本当に親日でいいですね♪

台湾で迷子になると警察官10人によってたかって○○にされます。
○○の答えは最後で♪

台湾の日本語CM
http://www.youtube.com/watch?v=8JlJGf_w8aE&feature=results_main&playnext=1&list=PL2CF627C7D48DDBD2

台湾の天気予報(最初と最後に日本語で挨拶)
http://www.youtube.com/watch?v=SDEWJ3AcS1w&feature=related
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=NAu-qiMRgtE

迷子の日本人女性に10人の警察官が手助け
台中で迷子になりホテルへの帰り道が分からなくなっていた
23歳の日本人女性が、12日午後9時過ぎ近くの派出所に助けを求めた。
初めは警察官が1人しかいなかったが言葉が通じないからなのか、
女性が可愛いからなのか、同僚警察官が1人、2人と集まってきた。

日本語、英語、中国語が混じって、ようやく女性の状況が分かったときには
30分経過しており、警察官は10人に増えていた。
女性は一人旅で、警察官は親切な対応でホテルまで送り届けてくれた。
http://www.youtube.com/watch?v=6k7hhFeFcbs&feature=player_embedded
答え(親切)

.

Re: 馬路天使

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/10 22:06 投稿番号: [476 / 735]
こんばんわ。

映画のご紹介、有難うございます。
ひさしぶりに見て、とても懐かしく思いました。
わたしの持っているビデオと比べて、とても画面がきれいです。
姉妹(ほんとうに血のつながった姉妹かどうかはわかりませんが)で
同じ男(趙丹)を好きになりますが、姉のほうはすでに汚れきった売春婦、
相手にはしてもらえません。
最後に、妹と恋人の幸福を祈って、身をささげます。
精神の純潔は、身体の汚れとは無関係というところでしょうか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天涯歌女(さすらいの歌姫)


天涯呀海角             たとえ地の果て海の果て
覓呀覓知音             あなたもとめてさすらうあたし
小妹妹唱歌郎奏琴        あたしは歌いあなたは奏でる
郎呀                 ねえ
<ロ自>們倆是一条心       あたしたち、ふたりの心はひとつよね
愛呀愛愛yo郎呀          アイヤアイアイヨ   あなた
<ロ自>們倆是一条心       あたしたち、ふたりの心はひとつよね

家山呀北望             ふるさとよ、北を望めば
泪呀泪沾襟             涙しとどに襟を濡らす
小妹妹想郎直到今         あなたのことを一途にきょうまで想ってきたわ
郎呀                 ねえ
患難之交恩愛深          苦しい恋ほど愛は深いの
愛呀愛愛YO郎呀          アイヤアイアイヨ   あなた
患難之交恩愛深          苦しい恋ほど愛は深いの

人生呀                 人生よ
誰不惜呀惜青春           つかのまの青春過ぎぬまに
小妹妹似綫郎似針         あたしは糸にあなたは針に
郎呀                  ねえ
穿在一起不離分           ひとつにつながり離れはしない
愛呀愛愛YO郎呀          アイヤアイアイヨ   あなた
穿在一起不離分           ひとつにつながり離れはしない


★UP されない字を、一部適当に代えてあります。
訳はあじさいです。


★この歌は、1930 年代の有名な映画「馬路天使」の中で、
ヒロインが歌っている挿入歌です。
ビデオを持っていますが、
古いものですからそれはまあ雨が降っていてひどい画像です。

タイトルの「馬路天使」というのは「街角に立つ売春婦」のことをも指します。
「馬路」とは大通りのことです。

みなしごの姉妹(実の姉妹かどうか不明)は居酒屋を経営する夫婦の養女に
なっています。
姉は売春を強要され街角に立って客をひいていますが、
妹はまだ幼いのと歌が上手なのとで、居酒屋の客の前で歌を唄うことで
許されています。
この妹が、映画のヒロインで可憐な容姿と歌声は、まさしく天使そのものです。
この妹をシュウセンという女優が演じています。
この人は後に自殺(たぶん)しました。

相手役を、後に「林則徐」で気を吐いた趙丹(チョウタン)が演じています。
この人もこのときは、ただのきれいなあんちゃんです。
「林則徐」もビデオを持っていますが、とてもよかったです。
この男優は、文化大革命のとき、やはりひどい弾圧を受け、
その後、失意のうちに亡くなりました。


この趙丹を、姉妹ふたりして好きになりますが、
売春をしている姉の方は見向きもしてもらえません。

やがて妹にも、居酒屋の客の花花公子(プレイ・ボーイという意味)の魔の手が。
妹もまた養父によって花花公子に売られそうになり、
趙丹とその仲間に助けだされ逃げます。

最後に姉は、妹とその恋人のため、自分の身を犠牲にして死にます。



★この「天涯歌女」という歌は、数え切れないくらい多くの歌手によって
歌い継がれている、中国では誰ひとり知らぬものはない名曲です。
わたしも、宴会のとき歌ったことがあります。
「いい歌だった」「あの歌が忘れられない」といわれました。

http://jp.youtube.com/watch?v=_uNzeBnU5ms&feature=related

1495

.

Re: 四季歌/天涯歌女

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/10 21:55 投稿番号: [475 / 735]
こんばんわ。

先日は、大好きな「四季歌」をたくさんご紹介いただきまして
有難うございました。

テレサ・テンは、あんなに若くしてなくなってしまって、
本当に惜しいし、かわいそうなことをしました。

たぶん病気のせいだと思うのですが・・・
ぶくぶくに太ってしまったステージ姿を動画で見たことがあり、
ハッとなったことがあります。

周<王施>も、おばさんになってからの誕生パーティの様子を見たことがあります。
歌もうたっていましたが、やはり声は細く透明感がありました。
金の鈴をころがしたようなノドの持ち主とは、言い得て妙でした。

彼女の死は、病死とも自殺ともいわれています。

彼女にはふたりの男の子がいました。
長男は正式に結婚してできた子ですが、
次男は強姦されてできた子でした。
そのため、長男は終生次男を弟と認めず、嫌いぬいていたそうです。

.

馬路天使

投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/09/10 13:03 投稿番号: [474 / 735]
(老電影)[馬路天使]1937(趙丹・周<王旋>30年代經典)
http://www.youtube.com/watch?v=XbTjcVunnpc

Re: 四季歌/天涯歌女

投稿者: toshiro_1512 投稿日時: 2011/09/10 09:00 投稿番号: [473 / 735]
「四季歌」及び「天涯歌女」について、懇切なご解題を戴き、有難う御座いました。

小生は、中でも、訒麗君に依るものを、最も、愛好致して居ります。

Re: 陸勝宅秋暮雨中探韻同作  張南史

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/09 22:43 投稿番号: [472 / 735]
★秋風が吹くようになると、松江でとれた鱸魚(かわざかな)の
膾が懐かしいと言って役人をやめた人がいる。その故事にちなんで
それ以来「松江」「鱸魚」「膾」という言葉で、望郷の念を表現する。

http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55/kobore5/48junsai.htm

蓴羹鱸膾(せんこうろかい)・・・『晋書』「張翰伝」

三国から魏へ。魏を司馬炎がのっとって立てた西晉の時代。
上海南の松江(現在は上海に編入)出身の張翰は、その才を見込まれ都洛陽に赴任。
政府高官となり業績をあげたが、秋風が吹きはじめると故郷のジュンサイの
あつものと鱸魚の膾を思い出し、年月の経過とともに望郷の念は増すばかり。
ついに高官の地位を投げ打って、張翰は故郷松江に帰ったという。
鱸魚は海の魚のスズキではなく、川魚(淡水魚)。

------------------------------------------------------ -
★已被・・・もうとっくに〜されている。「被」は受身。

★教・・・使役

★膾・・・肉や魚の薄切りに酢ミソなどをつけて食べていたもの。
中国では13 世紀頃まで刺身を食べていたが、食中毒などが頻繁に発生、
衛生思想によりその後消えた。唐代ではまだ刺身を食べていた。
中国料理は原則としてナマモノを食べないが、最近日本から意識・様式の逆輸入。
日本は刺身を食べ続けている。
日本は衛生的で清潔であり、何百年にもわたって環境整備が行われてきたから。

★三江・・・上海を中心として三つの大きな河がある。

★垂楊・・・柳は別離の象徴。柳は生命力が強い。
柳環・・・別離に際し柳の枝を環にして贈る風習があった。
「環」=「還」

.

陸勝宅秋暮雨中探韻同作     張南史

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/09 22:26 投稿番号: [471 / 735]
陸勝宅秋暮雨中探韻同作       張南史(唐)
陸勝の宅にて、秋暮、雨中に韻を探り同(とも)に作る


同人永日自相將       同人   永日   自(おのず)から相將い
深竹輭園偶辟疆       深竹   輭園   辟疆に偶す
已被秋風教憶膾       已に秋風に膾を憶わ教(し)められ
更聞寒雨勸飛觴       更に寒雨の觴を飛ばさんことを勸めるを聞く
歸心莫問三江水       歸心問う莫かれ   三江の水
旅服從沾九日霜       旅服沾すに從(まか)す   九日(きゅうじつ)の霜
酔裏欲尋騎馬路       酔裏尋ねんと欲す   騎馬の路
蕭條幾處有垂楊       蕭條として幾處(いくしょ)か垂楊有る

仲間が、一日中、相誘い合って
深い竹薮に包まれた閑かな庭園で、あの顧辟疆(陸勝)さんと一緒にいる
吹く秋風に、わたしはもうとっくに故郷の膾の味を思い出させられたが
更に、冷たい雨の音が、もっと觴のやりとりをしろと勧めているかのように
聞こえる(帰りたいのに帰れない、酒でも飲まずばやりきれない)
おまえは故郷に帰りたいのか、などときかないでおくれ、三江の水よ。
旅人であるわたしの衣服を、気のすむまで濡らしておくれ、重陽の霜よ
すっかり酒に酔ってしまった、これから馬に乗って帰る道のこと皆さんにお尋ねしよう
物寂く寒々とした帰途に、何箇所の柳の垂れているところがありましょうや


★九月九日重陽の日の詩。故郷に帰りたいのに帰れないとうたう。

★探韻=分韻
文字を書いた紙をくじ引きする。
引き当てた文字を韻にして詩を作る。

★陸勝・・・この人物については不明。

★間=輭=閑。ひま、しずか、のどか。

★偶・・・一人では「偶」とはいわない。

★辟疆・・・晉代の顧辟疆が有名。
立派な庭の持ち主のこと。「疆」=「境」、辺鄙。
「辟疆」は、辺鄙な土地を開拓する意味。


つづく

九月九日憶山東兄弟     王維

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/09 22:17 投稿番号: [470 / 735]
九月九日憶山東兄弟     王維(盛唐)(699〜759)


独在異郷為異客       独り異郷に在って異客と為り
毎逢佳節倍思親       佳節に逢ふ毎に倍(ますま)す親(しん)を思ふ
遥知兄弟登高処       遥かに知る兄弟 高きに登る処
遍挿茱萸少一人       遍く茱萸を挿して一人(いちにん)を少(か)くを


私ひとりが他郷で旅人となっている
めでたい節句がくるたびに、いよいよ故郷にいる親兄弟のことを懐かしく思う
故郷の兄弟たちは今ごろ山に登っているだろう
みな揃って 茱萸をさしている中に、自分ひとりだけがいないのだ



★九月九日・・・重陽または重九。陽月陽日。
九は陽数で吉祥・幸福・光明の象徴。
九九は中国語の「久久」と同音で、長久平安の意味。

明・清代の皇帝の住居であった故宮の宮殿の間数も、
九千九百九十九間。長長久久。

★王維 17 歳のときの作。望郷の情。

★遥知兄弟登高処       遥かに知る兄弟 高きに登る処
「登高」のことです。

.

Re: 登高     杜甫

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/09 22:16 投稿番号: [469 / 735]
★九月九日登高のいわれ
『続斉諧記』
汝南の桓景、費長房(後漢時代の仙人)に随って遊学年を累ぬ。
長房これに謂って曰く、九月九日、汝の家当(まさ)に災厄有るべし。
急に宜しく去るべし。家人をして各々絳嚢(あかいふくろ)を作り茱萸を盛り
以て臂に繋げ高山に登り菊酒を飲ませしめば、此の禍消す可し。
言の如くし挙家高きに登る。夕に還れば鶏犬牛羊一時に暴に死するを見る。
長房これを聞いて曰く、これに代れりと。
今世人九日に至るごとに山に登り菊酒を飲み茱萸嚢を帯びるは是れなり」

★猿嘯哀
「紫陽花亭日乗」断腸の思い 2011/ 7/ 4 21:54 [ No.13
をご覧ください。

★無邊・・・=無限。辺際・・・ここからここまで。かぎり。

★蕭蕭・・・ここでは枯葉の落ちる音。永井荷風『雨蕭蕭』
「紫陽花亭日乗」永井荷風    『雨蕭蕭』 2011/ 7/ 2 21:00 [ No.6 /
をご覧ください。

★萬里・・・万も千も、非常に多い数

★悲秋・・・「秋」=「愁」。文化人は「秋」に「愁」を感じる。

★客・・・「キャク」は南方方言。都長安あたりでは「カク」。旅人。

★多病・・・「タヘイ」。同様に「ビョウ」は呉音。
客を「カク」と読んだから「病」は「ヘイ」と読みたい。
杜甫は肺がわるかったらしい。

★百年・・・人の一生。人生百年。人の一生は三万六千日。
江戸時代の暦・・・一年三百六十日。

★潦倒(ろうとう)・・・「落ちぶれはてた」という意味。
韻を踏んで擬音語。それぞれの漢字の意味はない。

★新・・・「新たに」とは、「最近〜したばかり」。
ここでは、最近、酒をやめたばかり。

★濁酒・・・清酒は江戸時代初期から。杜氏が灰を入れた偶然からできた。
それまでは「酒」といえば濁り酒。


★訓読・解釈はあじさいです。

.

登高     杜甫

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/09 22:15 投稿番号: [468 / 735]
登高              杜甫(盛唐・712〜770)


風急天高猿嘯哀       風葉急に天は高くして猿嘯(えんしょう)哀し
渚清沙白鳥飛廻       渚は清く沙(すな)は白くして鳥飛び廻(めぐ)る
無邊落木蕭蕭下       無邊の落木   蕭蕭として下(お)ち
不尽長江滾滾来       不尽の長江   滾滾(こんこん)として来(きた)る
万里悲秋常作客       万里悲秋   常に客(かく)と作(な)り
百年多病獨登臺       百年多病(たへい)   獨り臺に登る
艱難苦恨繁霜鬢       艱難   苦(はなは)だ恨む   繁霜(はんそう)の鬢びん)
潦倒新停濁酒杯       潦倒(ろうとう)   新たに停(と)どむ   濁酒の杯

風ははげしく吹きすさび、空は高く澄み、猿の鳴き声が悲しく聞こえる
見下ろす長江の渚は清く、砂は白いく、その上を鳥が輪を描いて飛ぶ
果てることのない落ち葉はざわざわと寂しげに散り
尽きることのない長江の水は湧きかえるように流れていく
はるか故郷を離れてこの悲しい秋を迎えた私は常に旅人であった
一生のあいだ病気ばかりしている体で、今たったひとりこの高台に登っている
苦労を重ねて白くなったわが髪がつくづく嘆かわしい
せめてもの楽しみだった濁り酒すら、年老いて衰えた今やめねばならなくなった。


★54歳で成都を離れ病気がちの身で家族を伴って、長江に沿い流浪の旅に出る。
長江の限りない生命力を目前に、九月九日の重陽の日、
き州にて老いた杜甫はひとり哀しみに沈む。

★登高・・・陰暦九月九日、重陽の行事。山や丘にのぼり酒宴を催す。
奇数は陰陽の陽。一・三・五・七・九
1/1 正月。火を使用しない。煮炊きをしない。
3/3 流し雛。
5/5 端午の節句  
7/7 七夕。野良へ出ない。  
9/9 重陽。   家にいて身を慎む日から、楽しいピクニックの行事へと移行。


つづく

相思樹  干宝(晋)『捜神記』韓憑妻

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/09 21:43 投稿番号: [467 / 735]
「白蛇伝」に、
>願わくば墓上に同心草を
  傍らには相思樹の苗を植えんことを
  妾はほととぎすに身を変えて
  墓前に飛び至り哭き続けん<
とありましたのでついでに、相思樹の物語をUPしておきます。
原文は入力してありませんので、解釈だけです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
干宝(晋)『捜神記』韓憑妻

宗の康王の家来の韓憑が何氏を妻に娶った。
何氏が美人であったので、康王に奪いとられてしまった。
憑が怨んだので、康王は憑を捕らえ城壁の人夫にした。
妻はひそかに憑に隠語を使った手紙を送った。

「其雨淫淫、河大水深、日出当心。
(長雨が続き、河幅は広く水深は深い、日がのぼってわたしの胸を照らします)」

やがて王はその手紙を手に入れ、家来たちに見せたが誰もその意味が
わからなかった。ところへ、蘇賀という家来が答えて言うには、
「長雨が続く」というのは「愁いつつあなたを想う」ということです。
「河幅は広く水深は深い」というのは、
「あなたと行き来することができない」という意味です。
「日がのぼってわたしの胸を照らします」というのは、
「心中、死を誓う」という意味です、と。

ほどなく、憑は自殺した。

妻はひそかに自分の着物を腐らせておいた。
そして、王が何氏を伴って台にのぼったとき、妻はそこから身を投げた。
家来たちが捕まえようとしたが、着物が朽ちていたためにつかまえることが
できず、妻はそのまま死んだ。帯に遺書がはさんであった。

「生きているときは、わたくしは王さまのお役にたちました。
死んで後は自分の役にたてたいと思います。
どうか、わたくしの死体を憑と一緒に埋めてくださいませ」

王は怒り、妻の願いをききいれなかった。
村人に命じ、妻の塚と憑の塚とが向き合うように埋めさせた。
そして、王はこのように言った。

「おまえたち夫婦は愛し合っておるようじゃが、もしも、ふたつの塚を
ひとつに合わさるようにできたなら、わしも邪魔はしまいぞ」

すると、一晩のうちに、二つの塚の端から大梓の木がはえてきて、
十日後にはひとかかえほどの大きさになり、幹を枉げて近づき合い、
下方では根がからみ合い、上方では枝が交錯した。

また、つがいの鴛鴦が常にその樹上をすみかとし、朝な夕なにその枝を
去らず、首を交叉させ悲しそうに鳴く。その鳴き声は人の心を揺り動かし、
宋の人々は哀れに思い、その木を「相思樹」と名づけた。
「相思」という言葉はここから起こったのである。

南方の人のいうことには、このつがいの鴛鴦は韓憑夫婦の魂魄である、と。

今、雎陽には韓憑が築いたという城があり、ふたりを歌った歌も、
今に到るもまだ残っている。

.

中国四大悲恋物語  梁山伯と祝英台

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/09 21:26 投稿番号: [466 / 735]
梁山伯と祝英台


その昔、祝英台という非常に聡明かつ美しい娘がおりました。
娘の年は十七歳。学問をすることを強く望んでいました。

しかしながら、当時は、女子が家を出て学問をするなど、
もってのほかのことでした。
そこでむすめは一計を案じました。
男子に変装すれば問題ないのではないだろうか。

祝英台は男装の麗人となり、両親に別れを告げ、杭州に学問をしに行きました。

途中、一人の青年に遭遇しました。
青年の名は梁山伯、年は十八。彼もまた学問をしに杭州に行くところでした。
道中話がはずみ、ふたりはまたたくまに親友となったのでした。

杭州に到着し、ふたりは学校に入学しました。
ふたりは三年をともに学び、互いに相手を気遣い助け合い、
相手を大切に想う心情はますます深まるばかりでした。
けれども、梁山泊にとって祝英台が女性であるなどとは
思いもよらないことだったのです。

ある日のこと、祝英台は父からの一通の手紙を受け取りました。
その手紙には、重要な話があるので急ぎ家に戻るように、とありました。
祝英台の帰郷を聞いた梁山伯は、耐え難く辛い気持ちでした。
祝英台と別れたくなかったのです。

梁山伯が祝英台を送っていく道すがら、ふたりは泉を見つけました。
祝英台は梁山伯を泉のほとりまでひっぱっていき、泉を覗き込むと、
水面には若々しく可愛らしい梁山伯と聡明で美しい祝英台の姿が
映し出されておりました。
祝英台が言いました。

「ごらんよ。なんとまあ、お似合いの夫婦のようだ」

それを聞いた梁山伯は不機嫌そうに言いました。

「なんだって僕を女なんかにみたてるのだ?」

祝英台は、怒らないで、機嫌をなおして、
と彼に頼むしかなすすべがありませんでした。

このようにして、祝英台は何度も梁山伯に、自分が女の子であることを
それとなく伝えようとしたのですが、真面目な梁山伯には少しも
そんな彼女の想いがわかりませんでした。

いよいよ別れのときがきました。
祝英台は梁山伯に言いました。

「わたしには妹がひとりいる。わたしにそっくりだ。
もしも君にその気があるのなら、なるべく早いほうがよい。
わたしの家まで来て求婚してくれ」

それを聞いた梁山伯はとても喜んだのでした。

祝英台が帰宅してみると、父親の重要な話というのは、
さる高官の息子との縁談でした。
祝英台は断固としてこれを拒絶、
必ずややって来るであろう梁山伯の訪れを待ちました。

父親はかんかんに怒っていいました。

「梁山伯の家はかなりの貧乏だ。
わしの娘をそんな家に嫁がせるわけにはいかん」

祝英台が行ってしまってからというもの、梁山伯は彼女恋しさに
やもたてもたまらず、ほどなくして学業を修了するとその足で
祝英台にあいに行きました。
祝英台の妹へ求婚もするつもりでした。

梁山伯が祝英台の家に着いてみると、
なんとそこには思いがけず女性である祝英台のすがたが眼前にありました。
このとき、彼はやっとわかったのです。
祝英台の妹というのは彼女自身であったことを。

梁山伯が驚き欣喜雀躍したそのとき、祝英台はといえば両眼から涙を
溢れさせ、父親から結婚を迫られていることを彼に告げたのでした。

梁山伯はその話を聞き、苦しさ辛さにただの一言すら発することもできず、
自分の家に戻るとほどなく病気になり死んでしまいました。

梁山伯の死のしらせを聞いて、祝英台は三日三晩泣きあかしました。
そして、泣くのをやめた彼女は父親に言いました。

「お父さまのおっしゃるあの方と結婚いたしましょう。
でも、祝言の日、わたしの乗った花駕籠が梁山伯さまのお墓のそばを
通るようにしてくださいませ」

しかたなく、父親は承知しました。

嫁ぐその日、花嫁の乗った花駕籠が梁山伯の墓の前にさしかかると、
祝英台は駕籠から下り、梁山伯の墓前に膝まづき、
悲痛な声をあげて泣きました。

折りしもこのとき、一天にわかにかき曇り、大風が吹き荒れ、
天の底が抜けたかと思われるほどの大雨が降り出しました。

突然、大音響とともに梁山伯の墓がまっぷたつに裂けたのを見て、
祝英台がすぐさまそこに飛び込むと、墓はあっというまにもとどおり
閉じてしまったのです。

風はおさまり、雨もやみました。

お日さまが顔をのぞかせ、墓の周辺にはあでやかな花が咲き乱れ、
墓の中からつがいの蝶々が飛び出し美しい草花の中を
なかよく舞っていたのでした。


『漢語中級教程』1, 北京大学出版社、より

.

中国四大悲恋物語  白蛇伝

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/09 21:16 投稿番号: [465 / 735]
先の蘇東坡の詩は西湖の美しさを、中国四大美人のひとり、
春秋時代の西施に比して歌った有名な詩です。

『白蛇伝』は、この西湖を舞台にした、
白蛇の精白素貞と貧しいが純情な若者許仙との人怪の恋の物語です。

これは唐代伝奇にある物語なので、『太平廣記』あたりからもってくると
いいのですが、それだとまだワードにはいっていませんので、
京劇の台本をもとに簡単に語っていきます。

西湖に遊びにきた白蛇の精白素貞と侍女の青蛇の精小青は、
突然の雨にふられ困っています。
そこへ墓参のかえりの許仙が通りかかり、さしていた傘をふたりに貸して
やります。傘がとりもつ縁で、ふたりはめでたく夫婦となりました。

ちいさな薬屋を開き、白素貞は病人の治療をよくして近隣の人々に
感謝され、はためにも仲むつまじい幸せな暮らしでした。

そうこうしているうちに、素貞はみごもります。
ところへ法海和尚がやってきて、許仙に素貞が白蛇の精であることを教えます。
許仙が和尚から与えられた酒を無理やり素貞に飲ませると、
素貞は蛇の正体をあらわします。
それを見た許仙は驚きのあまり死んでしまいます。

素貞は身重の身でありながら、いとしい夫許仙の命を救うべく、
自らの命をかけて、単身仙山に霊草を盗りに行きます。

  もしも帰らぬときは夫の亡骸を荒野に葬りたまえ
  願わくば墓上に同心草を
  傍らには相思樹の苗を植えんことを
  妾はほととぎすに身を変えて
  墓前に飛び至り哭き続けん

素貞は激しい戦いの末、首尾よく仙草を手にいれ、
許仙を生還させることができました。

やがて法海と決戦の日がやってきます。
素貞は一族を率い、法海に幽閉されている夫を取り戻しに行きますが、
打ち破られてしまいます。

そこへ、法海のもとを逃れ出た許仙が戻ってきます。
恨み言を言う素貞。
素貞の心は愛と憎しみのはざまで揺れ動きます。

しかし許仙への愛は変わっていませんでした。
妻が妖怪の化身であると知ってなお許仙もまた、
妻への愛は変わっていませんでした。

♪♪ただ俗世を見んと山を下り
小青と共に西湖の畔へ来たり
風雨の湖中に貴君を知りて
忠厚く瀟洒なる様を愛す

紅楼に契りを結び   春限りなきに
なんぞ良縁の災いなるを知らん
端陽の酒の後   汝が命は一線に懸かり
我は仙山に薬草を盗みて   苦難嘗め尽くす

たとえ類は異なれど   我が情は浅からず
我が腹中にはさらに許家の男児有り
病治りて良心変ずとは   あるべからずに
法海の底なし船に乗り行きぬ汝の帰りを望めど   見るを得ず
五日五晩   待たぬ日のあらんや
憐れむべし   涙は我が枕を遍く濡らし
憐れむべし   我が鴛鴦の夢
醒めてただ愁いを増すのみ

汝を尋ね   金山の寺に到るも
ただ夫婦のよき日を取り戻さんがため
もし小青の必死の戦いなくば
我が腹中の<女+交・コウ>児すら保ち難し
我が妹(小青のこと)の怒るを怪しむことなかれ♪♪

――   お恨み申します   ――

.

飲湖上初晴後雨 其二     蘇軾

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/09 21:08 投稿番号: [464 / 735]
飲湖上初晴後雨   其二    蘇軾 (蘇東坡)(1036〜1101)
湖上に飲す   初めは晴れ後に雨ふる


水光瀲艷晴方好       水光瀲艷(れんえん)として晴れて方(まさ)に好し
山色空濛雨亦奇       山色空濛(くうもう)として雨も亦た奇なり
欲把西湖比西子       西湖を把(と)って西子に比せんと欲すれば
淡粧濃抹総相宣       淡粧濃抹総て相宣(よろ)し

さざ波を浮かべた水の光は、晴れわたった今こそまさにすばらしい
一方、霧のように山をつつんだ雨の景色も、またひときわの眺めだ
晴れても雨でも美しい西湖の姿を、いにしえの越の美女西施にたとえてみるならば
薄化粧、丹念な化粧、なべてみな風情がある


★石川忠久『蘇東坡100選』NHK出版、より


★西湖は浙江省杭州市にある有名な観光地です。

★蘇東坡、五十四・五歳のころ長官として赴任し、西湖を南北に縦断する
堤の一大改修工事を行いました。
その功績を称えて、その堤は今なお蘇堤と呼ばれています。

★前半は、水と山、晴と雨を対句とし、それぞれ「好」「奇」と詠み、
後半は、湖と西施という絶世の美女の異質の美とを対比させ、新鮮・奇抜です。
晴れた西湖を西施の「濃抹」(濃い化粧)、
雨にくすぶる西湖の風情を西施の「淡粧」(薄化粧)にたとえています。

.

Re: 四季歌

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/09 21:01 投稿番号: [463 / 735]
こんばんわ。

「四季歌」の歌詞もさまざまなバージョンがあるのですね。

「四季歌」と「天涯歌女」は、
周<王施>主演の映画「馬路天使」(まちかどの天使)のテーマソングですね。
どちらも名曲です。

「馬路天使」とは売春婦のことですが、これは周<王施>扮するヒロインの
姉が養親から売春を強要されていたからですね。

わたしはこの映画kのビデオを持っていますが、なにせ古い映画なので
ザアザア雨が降っている感じで画面の質がとても悪く、字幕もついていません。
しかし、周<王施>、趙丹はじめみなはっきりとした美しい北京語を使用して
いて、かなりわかりやすい映画でした。
趙丹はその後、「林則徐」に見られるようにすばらしい成長をとげ、
立派な俳優になられていますが、文革でひどい弾圧を受けました。

何年か前に日本でも上映された「牛棚」=「中国・その悲しみ」だった
ですか、文革の悲劇を描いた映画がありましたが、ことのはじめはこどもが
女の子の気をひこうとして古い恋の歌のレコードをかけたところから悲劇が
はじまります。
その古い恋の歌というのが「天涯歌女」でした。

「四季歌」「天涯歌女」ともに、わたしは陳松齢が抜群であると思います。
残念なことに北京語ではありませんが。

「天涯歌女」に関しては、張燕がすばらしい、
ほかにない独特の歌唱法で聞かせますし、見せます。


周<王施>は、センが細く声も細くかすかですが、その澄んだ美しい声は
マイクでははっきりととらえられ、「金&#21971;子」と称えられています。
薄幸の美女でした、日本を憎悪していましたね。

テレサ・テンの歌声はそれこそ天使の歌声。
ご病気で早く亡くなられてほんとうに残念でした。
まだまだ活躍してほしかったのに。

周<王施>やその周辺の方々の支那芸能界の事情に関して、
中薗英助『何日君再来物語』河出書房新社
という面白い本があります。
ところどころ歌詞の解釈が間違っていたりしますが、
この時代のことがよくわかります。

.

天涯歌女/周旋、他

投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/09/09 15:27 投稿番号: [462 / 735]
天涯歌女/周王旋
http://www.youtube.com/watch?v=BfjPOLnOIw8&feature=related

天涯歌女 - 李香蘭
http://www.youtube.com/watch?v=BncpL0wGFlY&feature=related
 
訒麗君/天涯歌女
http://www.youtube.com/watch?v=wVsZ9eEJ2WY&feature=related
 
宋祖英 - 天涯歌女
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=Cm9CHIjCiww
 
張燕/天涯歌女
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=_uNzeBnU5ms
 
天涯歌女/徐小鳳
http://www.youtube.com/watch?v=bliKX4dwK2g
 
謝采&#22936; Michelle Xie - 天涯歌女
http://www.youtube.com/watch?v=qf6AkQ-oFDQ&feature=related
 
天涯歌女/陳松伶
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=O_WopTpyyY0
 
麗莎 - 天涯歌女
http://www.youtube.com/watch?v=iwVLJhRe8Cg
 
天涯歌女 - 費玉清
http://www.youtube.com/watch?v=4Jp2MTVc-bo

Re: 四季歌

投稿者: toshiro_1512 投稿日時: 2011/09/09 14:47 投稿番号: [461 / 735]
周王旋 - 四季歌
http://www.youtube.com/watch?v=QIEUeMiJBhY
 
訒麗君 − 四季歌
http://www.youtube.com/watch?v=6amppnqEup0&feature=related
 
張燕 - 四季歌
http://www.youtube.com/watch?v=2O_lWWQPdhc
 
陳松齡 - 四季歌 (&#31925;)
http://www.youtube.com/watch?v=PhOBKei9BZg&feature=related
 
麗莎 - 四季歌
http://www.youtube.com/watch?v=Wm-Kyif2ahA&feature=related
 
麗莎 - 四季歌
 
冬去春色百花香,百鳥活発飛到門梁,
驟見暴風心異樣,又恐好夢難再嘗
 
豊陽夏天我思想&#65279;,氣象變得更無常,
願化蝶飛彩雲上,未知風湧如隔牆
 
只見秋天我思郷,我渇望早歸到門房,
日分夜想父娘面,霧色深鎖紅太陽。
 
初見冬天雪飄霜,我以雪衣送情郎,
願似孟薑鍾情樣,内心真摯情意長。

孟姜女哭長城的故事

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/08 21:50 投稿番号: [459 / 735]
孟姜女哭長城的故事

月から見える地球上の唯一の建造物、それは万里の長城。
見える、いや見えないとひところ物議をかもしていましたが、
それはさておき、
「孟姜女伝説」は万里の長城建築にまつわる美しくも神秘的な悲話として
有名です。

ときは秦の始皇帝の時代。万喜良と結婚したばかりの孟姜女。
幸せいっぱいであるべき新婚生活は、夫万喜良が長城建設のための
徴用にとられてしまい暗転します。

春が過ぎ、夏が過ぎ、秋になっても、夫からは一通の手紙すら届きません。
寒い冬はもうすぐそこに来ています。
孟姜女は夫のために綿入れを縫いあげ、自分でそれを届ける決心をしました。

苦しい旅を続け、やっとの思いで辿りついた長城の建築現場。
しかし、どこを尋ねまわっても夫の姿はありません。
そうこうしているうちに、夫の消息がわかりました。
夫は長城建築の人柱にされていたのです。

夫が人柱になったというその場所にぬかづき、
孟姜女は悲痛な声をあげて泣きます。

その凄惨な泣き声が天地をも動かしたのでしょうか、
突然地面が割れ、長城が崩れ、夫の遺骸が姿をあらわします。

孟姜女は夫の遺骸を鄭重に葬ると、
悲しみのあまり山海関から身を投げて夫のあとを追いました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

◆中国四大悲恋伝説

①牛郎織女・・・・・「紫陽花亭日乗」2011/ 7/ 6 23:02 [ No.26 既出
②孟姜女哭長城的故事
③白蛇伝
④梁山伯と祝英台

.

四季歌

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/08 21:41 投稿番号: [458 / 735]
四季歌

春季到来緑滿窓        春ともなれば窓辺は緑ゆたかに
大姑娘窓下繍鴛鴦      その窓辺   娘は鴛鴦(おしどり)の刺繍をする
忽然一陣無情棒        突然振り下ろされる無情の棒
打得鴛鴦各一方        打たれて番(つがい)のおしどりは離れ離れに

夏季到来柳絲長        夏ともなれば柳は糸のごとあえかに枝垂れ
大姑娘漂白到長江      娘は流れ流れて長江のほとり
江南江北風光好        江南江北   風光明媚
怎及青紗起高粱        でも、あの青青とした高粱畑には及ばない

秋季到来荷花香        秋ともなれば蓮の花かぐわしく
大姑娘夜夜夢家郷      娘は夜な夜な故郷(ふるさと)の夢を見る
醒来不見●娘面        目覚めてみれば、そこにはない父母の顔
只見床前明月光        あるのはただ、床前に射しこむ月の光

●ディエ。とうちゃん。「父」の下に「多」の字。

冬季到来雪茫茫        冬ともなれば辺り一面の雪景色
寒衣做好送情郎        綿入れを縫いあげ恋しいあの人に届ける
血肉筑出長城長        血と肉で築きあげた万里の長城は長く長く続くよ
奴愿做当年小孟姜      わたしもなりたい   あの孟姜女のように


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

高粱は抗日戦争のシンボルでもあります。

この「四季歌」は、べつになんということもない普通の歌のようですが、
実はこれは「抗日戦の歌」であり、高粱畑は支那人の命を救ってくれる
救国の植物として歌われています。

一番
なかよく遊んでいるオシドリのつがいの上に、残酷にも無情の棒を
ふりおろしたのは、暗に日本人だと言っています。
日本の侵略が原因で、このつがいのオシドリのように
娘も恋人との別離を余儀なくされます。

二番
恋人と悲しい別れをして、娘が流れついたのは長江のほとりでした。
長江をはさんで、北も南もその風景の美しさといったら申し分ない。
しかし・・・どんなに美しい景色であっても、あの高粱畑には及ばない。
高粱は丈が高く、高粱畑のなかに隠れてしまえば、
日本軍は容易に見つけ出すことはできない。
高粱畑は支那人にとって命を守ってくれるものでした。

三番
娘が一人ぼっちで孤独な夜をあかさなければならないのも
みな日本のせいです。
娘の家族団欒をぶちこわしたのは日本の侵略なのです。

四番
支那の四大悲恋、「孟姜女伝説」を下敷きにしています。
万里の長城建設にかり出されて便りもない夫を待ち焦がれて、
孟姜女は冬着の綿入れを縫いみずから夫のもとへと旅に出ます。
しかし、ときすでにおそく、夫は長城建設の人柱にされていました。
孟姜女は、愛する夫のあとを追い、山海関の城壁から身をおどらせます。


娘も、あの孟姜女のようになりたいと願います。
おそらくは戦場にいて日本軍と戦っているであろう恋人に、
綿入れを届けたい、
もしも恋人が死んでいたなら、娘も山海関から身投げしたあの孟姜女の
ように恋人のあとを追って死ぬ覚悟はできているのでしょう。


6220

Re: 孟姜女、他

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/08 21:35 投稿番号: [457 / 735]
こんばんわ。

「孟姜女」は、支那四大悲恋伝説のひとつですね。
「孟姜女」と「四季歌」とは、曲をそっくり入れ替えても歌えます。

1930年代の名曲の御紹介、有難うございます。
おいおい、少しずつ UP していきたいとは思っていました。

実は、わたしの最も好きな歌は「天涯歌女」「さすらいの歌姫」なのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
孟姜女

春季里来是新春       春は正月
家家戸戸点紅灯       家々にともされた灯り   あかあかと
人家夫妻団円坐       よそのご夫婦   なかよくおそろい
孟姜女丈夫修長城      孟姜女のだんなさん   長城造営の賦役にいった

夏季里来熱難当       夏は酷暑   たえがたく
蚊子叮在奴身上       蚊がわたしの体を刺す
寧叮奴家千万遍       たといわたしを千万遍刺そうとも
莫叮我夫万喜良       わたしの夫   万喜良を刺さないで

秋季里来菊花黄       秋は黄色い菊の花
丈夫一去信渺茫       夫は行ったきり   手紙さえもよこさない
終朝恩夫千万遍       日がな一日   想うは夫のことばかり
夜晩醒来泪両行       夜半の寝覚めに   涙ふたすじ

冬季里来雪花飛       冬は舞い散る雪の花
孟姜女千里送寒衣      孟姜女は千里の道もなんのその   夫のもとに綿入れを
受尽人間千般苦       ありとあらゆる艱難辛苦をなめつくす
但愿夫妻能団円       それでも願うは   夫婦そろって仲むつまじく

~~~~~~~~~~~~~~~

四季歌

春季到来緑滿窓        春ともなれば窓辺は緑ゆたかに
大姑娘窓下繍鴛鴦       その窓辺   娘は鴛鴦の刺繍をする
忽然一陣無情棒        突然振り下ろされる無情の棒
打得鴛鴦各一方        打たれて番のおしどりは離れ離れに

夏季到来柳絲長        夏ともなれば柳は糸のごとあえかに枝垂れ
大姑娘漂白到長江       娘は流れ流れて長江のほとり
江南江北風光好        江南江北   風光明媚
怎及青紗起高粱        でも、あの青青とした高粱畑には及ばない

秋季到来荷花香        秋ともなれば蓮の花かぐわしく
大姑娘夜夜夢家郷       娘は夜な夜な故郷の夢を見る
醒来不見○娘面        目覚めてみれば、そこにはない父母の顔
只見床前明月光        あるのはただ、床に射しこむ月の光

○「父」の下に「多」   die1    とうちゃん

冬季到来雪茫茫        冬ともなればあたり一面   雪景色
寒衣做好送情郎        綿入れを縫い上げ恋しいあの人に届ける
血肉筑出長城長        血と肉で築きあげた万里の長城は、長く長く続くよ
奴愿做当年小孟姜       わたしもなりたい   あの孟姜女のように


★解釈は、それぞれトピ主です。

★次に、「四季歌」をもう少し詳細に解説します。

Re: 日本のことでも中国と呼んだということ

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/08 21:25 投稿番号: [456 / 735]
この考え方に対する一つの反対は、私も引いた『日本書紀』雄略紀七年、

新羅不事中国     新羅中国(みかど)に事(つか)えず

等、自ら中国その他を名のることは、ここのように新羅などに対してならともかく、
本家中国を意識したときにはあり得まいというのであった。


ないともいえない。
例えば七二〇年の『書紀』に百年近くは後れるものの、八一一年に書かれていま
『延喜式』に付録される『歴運記』、すなわち『公卿補仁』の祖形とされているものには、

神倭磐余彦(神武)天皇年十五為太子。四十五歳甲寅従筑紫日向宮船師東征。
至庚申年平定中国。
辛酉年正月即天皇位。是為元惣計従天皇元年辛酉至今上弘仁二年辛卯
合一千四百七十一年也。其天皇元年辛酉。准計漢地年代当周僖王三年辛酉。
然則自僖王三年以降歴九代百五王一千四百七十一年也。

とあって、わが国をいう「平定中国」の「中国」と、
それに対置される「漢地」とは、同じ文脈の中に並んでいる。

また『書紀』天智紀元年のこととして、

是月唐人新羅人伐高麗。々々乞救国家。仍遣軍将拠疏留城。
由是唐人不得略其南堺新羅不獲輸其西塁。

とある。
高麗救いを国家に乞う、のその「国家」は、唐や唐人は意識しない呼称だと、
かりにいったところで、それはその次の年、事もあろうにその大唐と
白村江に戦う「国家」なのであり、『隋書』「倭国伝」に、

其国書曰。日出処天子、致書日没処天子。無恙。帝覧之不悦。謂鴻臚卿曰。
蛮夷書有無礼者、勿復以聞。

其の国書に曰く、日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや。
帝之を覧(み)て悦ばず。鴻臚卿に謂いて曰く。蛮夷の書礼無き者有れば、
(レバは旧来の訓読法に従う)、復た以て聞すること勿れ。

と記録された人たちの子孫でもあった。
後、中華を以て自ら称し、本家の中国はそこを飛び越えた西の果てにまで
追いやって若木にしてしまったとて、何の不思議があるだろう。
中国への卑下がほしいのなら、昔からある和漢にしろ、漢和(な)にしろ、
二つ並べる発想自体そもそもおかしい。
最初のは中国が先でも、後は身内の習作を一首一首中国の、それも多くは
名家の詩に向かって並べ立てて見せる無神経さはもっとおかしい。

――了――


★尾崎雄二郎            「しにか」1996/6 より転載


「しにか」とはギリシャ語で、「中国」のことです。

2912

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

■「中国」はもともと普通名詞です。

「中国」が敢えて略称といいたいのなら、中華人民共和国の略称ではなく、
伝統的には「中原諸国」の略称でしょうね。
「中原」とは古代、漢族の居住していた黄河から淮水までのあたりをいいます。
現在の支那の版図からいえば、あたっていません。おおいに混血もしていますし。


6099

.

日本のことでも中国と呼んだということ

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/08 21:23 投稿番号: [455 / 735]
◆日本のことでも中国と呼んだということ

尾崎雄二郎            「しにか」1996/6 より

『中華若木詩抄』という書物がある。
漢籍その他の当時の俗語まで駆使しての講義筆記であるいわゆる抄物の一つだが、
『史記』の抄が『史記抄』であるように「中国若木詩」という書物に対して
その抄が作られたというのでなく、七言絶句約三百首を中国人の作、
日本人の作と交互に並べて一首ずつ抄が加えられた、その詩と抄との合体に
初めて『中華若木詩抄』の名がついたのである。
建仁寺にいて、のち還俗、外典を講ずるようになった如月寿印がその著者だとされる。
十五世紀半ばから次の世紀にかけての人らしい。


これまでは、恐らくただ何となく、中華だから中国と決めていて、
だから辻褄を合わせるためには若木を日本にしなければならず、
扶桑と若木、つまり中華世界のそれぞれ東と西とを画(かぎ)る二種の神木のうち、
扶桑は中国の東にあるものとして、日本の別称と素直に受け入れられているのに、
若木はこの場合それを中国西方にある植物と認めず、日本はかつて一度もそう
呼ばれたことがないというのに、若い木だから日本、という解釈を創作してみせた。


若木は、例えば李白の、

「古風五十九首。其四十一」
揮手折若木     手を揮(ふる)って若木を折り
払此西日光     此れを払うて日光を西(しず)ましむ

「楽府上雲楽(がふじょううんがく)」
西海栽若木     西海に若木を栽(う)え
東溟植扶桑     東溟(とうめい)に扶桑を植う

などが人々に忘れられない限り、中国に関わる記述の中では、
その西の果ての樹木であることから逃れられるはずがない。
『中華若木詩抄』はまさしく中国に関わる書物なのだし、若木は西方を表す
以外のものでなく、それと対を成す中華も、必然的にそれと反対の東方を
意味するのではないか、ということになって決して不自然ではないのである。
そうはいっても、中華に東方日本を意味する可能性が絶無なのであれば話は別だが、
かつて私がこの書物の訳注のあとがきにいったように『日葡辞書』が、中華には
中国の都を指す用法の拡張として日本の都を意味する場合もある、といっている。
若木がいま述べたような言葉である以上、われわれが中華について
この記述を利用しない手はない。
『中華若木詩抄』は京都詩壇の人々の作を西方中国詩家のそれに並べたものと
まず理解すべきで、それでも書名と順番の関係が気になるなら、この書物に
『支日集』と『和漢三百首』、二様の命名があることを想い出せばすむ。


つづく

2911

Re: 「中国」とは何か / 哭晁卿衡詩 李白

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/08 21:04 投稿番号: [454 / 735]
李白と阿倍仲麻呂

以前、西安の興慶公園というところに行きました。
日本人観光客向けに、阿倍仲麻呂紀念碑というのが建てられたところです。

で、必ずみやげ物店に連れて行かれ、何か買うまで開放されないわけですが、
ここのみやげ物やさんの店員はものすごい。
日本人客が来ると、ソファに坐らせ、お茶を運んできて、
立て板に水のとうとうたる日本語で独演会をやります。

演目は、李白と阿倍仲麻呂の友情についてです。
そのあまりの熱演に感じ入り、結局いらない掛け軸やなんか買わされる
ことになります。
いらないガラクタをどっさり買うこともまた、旅の楽しみでもあります。


あまのはら ふりさけみれば かすがなる   みかさの山に いでし月かも

を、勝手に漢詩にした紙片をくれます。
これは、阿倍仲麻呂が詠んだ漢詩ではありませんので、お間違いなきよう。
以下がそれです。

望郷詩         阿倍仲麻呂
翹首望東天       首を翹(あ)げて東天を望めば
神馳奈良辺       神は馳す奈良の辺
三笠山頂上       三笠山頂の上
想又皎月円       想えば又皎月円ならん



★西安から列車で洛陽に。洛陽は、龍門の石窟がよかったです。
特に対岸からの眺めがなんともいえず美しく感動的でした。
これまでに二回ほど行っていますが、何度でも行きたいところです。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~tanzawa/ryuumon/ryuumon.htm

伊水の清らかな水の流れと空気。
このあたりは、渇水の心配はないようでした。

川岸では、16〜17歳くらいの女の子がふたり、大声で口喧嘩をしていて、
野次馬がとりまいて見ていました。

中国では夫婦喧嘩だって、佳境に入るとわざわざ外に出ていって派手にやります。
みんな、よくきいてくれ、よく聞いてどっちが悪いか判断してくれ !

というのでしょう。
うちわの恥は隠そうという意識を持つ日本人とは全然違います。

238

Re: 「中国」とは何か / 哭晁卿衡詩 李白

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/08 21:03 投稿番号: [453 / 735]
>★参照・・・李白「哭晁衡詩」<


哭晁卿衡詩          李白(盛唐・701〜762)


日本晁卿辭帝都       日本の晁卿(てうけい)   帝都を辭し
征帆一片繞蓬壷       征帆一片   蓬壷を繞(めぐ)る
明月不歸沈碧海       明月   歸らず   碧海に沈み
白雲愁色滿蒼梧       白雲愁色   蒼梧に滿つ

日本の晁卿は、今次、愈よ歸國するといふので、長安の都を辭し

やがて、舟を乘り出し、征帆一片   蓬&#33802;を繞(めぐ)って進んで行った

しかし、不幸にして、溺死の厄に遭い、
たとへば、明月が碧海に沈んで、再び歸らざると一般

白雲は愁色を帶びて、海中の仙山たる蒼梧を蔽(おほ)ひ
凄寥滿目、まことに、我が心を傷ましめる


★このとき李白は、仲麻呂が遭難して死んだきいてこの詩を作りました。
が仲麻呂は、生きて再び唐の朝廷に仕え、ついに日本に帰国することは
かないませんでした。

★晁卿衡の卿は、衞尉卿の卿で、即ち官名、姓は晁、名は衡、
即ち日本の阿倍仲麻呂。

★久保天随訳註『李白全詩集』下巻,日本図書センター

-------------------------------------------------------------------------- -

望郷詩         阿倍仲麻呂(実は作者不明)


翹首望東天       首を翹(あ)げて東天を望めば
神馳奈良辺       神は馳す奈良の辺
三笠山頂上       三笠山頂の上
想又皎月円       想えば又皎月円ならん

★あまのはら ふりさけみれば かすがなる   みかさの山に いでし月かも、
の訳詩。
「あまのはら」の部分は、久保天随訳註『李白全詩集』下巻,日本図書センター、
によれば「逭海原」となっています。

つづく

孟姜女、他

投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/09/08 12:06 投稿番号: [452 / 735]
孟姜女

春季裡來百花香,蝴蝶雙雙過粉牆。
有䖝千里來相會,孟姜女巧遇萬 喜良。
夏季裡來蟬風吹,孟姜女園裡重徘徊。
蓮花並蒂成雙對,恩愛 夫妻倆分開。
秋季裡來草木枯,落葉飄零鳥歸巣。
飛鳥還有巣可歸,孟姜女好比落 葉飄。
冬季裡來雪花飛,孟姜女千里送寒衣。
途中歴經萬般苦,同命 鴛鴦永別離,同命鴛鴦永別離。
 
孟姜女 by 童麗 Tong Li
http://www.youtube.com/watch?v=JRLwxxwLIv8&feature=related
 
孟姜女 by 黄露儀 Tracy Huang
http://www.youtube.com/watch?v=MUz-Xkj-aXg&feature=related
 
孟姜女   李小珍
http://www.youtube.com/watch?v=GCZ_Nyvs9kA&feature=related
 
宋祖英: 孟姜女
http://www.youtube.com/watch?v=SF3a0vfUR5w&feature=related
 
孟姜女ー支那民謡   胡美芳
http://www.youtube.com/watch?v=pQHLPBjcP8A
 
何日君再来 by( 山口淑子(李香蘭)〜胡美芳〜姚蘇蓉〜奚秀蘭〜訒麗君 )
http://jp.fdlive.com/video/Z9jTRXsn3Vg/何日君再來.html
 
訒麗君 ~ 嘆十聲/天涯歌女/四季歌
http://www.youtube.com/watch?v=u6F7iYowMm0&feature=related

孟姜女、他

投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/09/08 10:14 投稿番号: [451 / 735]
孟姜女

春季裡來百花香,蝴蝶雙雙過粉牆。
有䖝千里來相會,孟姜女巧遇萬 喜良。
夏季裡來蟬風吹,孟姜女園裡重徘徊。
蓮花並蒂成雙對,恩愛 夫妻倆分開。
秋季裡來草木枯,落葉飄零鳥歸巣。
飛鳥還有巣可歸,孟姜女好比落 葉飄。
冬季裡來雪花飛,孟姜女千里送寒衣。
途中歴經萬般苦,同命 鴛鴦永別離,同命鴛鴦永別離。
 
孟姜女 by 童麗 Tong Li
http://www.youtube.com/watch?v=JRLwxxwLIv8&feature=related
 
孟姜女 by 黄露儀 Tracy Huang
http://www.youtube.com/watch?v=MUz-Xkj-aXg&feature=related
 
孟姜女   李小珍
http://www.youtube.com/watch?v=GCZ_Nyvs9kA&feature=related
 
宋祖英: 孟姜女
http://www.youtube.com/watch?v=SF3a0vfUR5w&feature=related
 
孟姜女ー支那民謡   胡美芳
http://www.youtube.com/watch?v=pQHLPBjcP8A
 
何日君再来 by( 山口淑子(李香蘭)〜胡美芳〜姚蘇蓉〜奚秀蘭〜訒麗君 )
http://jp.fdlive.com/video/Z9jTRXsn3Vg/何日君再來.html

Re: 「中国」とは何か

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/08 02:44 投稿番号: [450 / 735]
>唐代の中国人に、日本が東夷のうちでも想像を絶するほど遠い、
という意識があったことは以下の詩からも想像できます。<

上記の部分を削除しておくのを忘れました。
あらためて、以下の詩を UP しておきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
送秘書晁監還日本国       王維(盛唐・701〜761)
秘書晁監(チョウカン)の日本国に還るを送る


積水不可極       積水   極(きわ)む可からず
安知滄海東       安(いずく)んぞ滄海の東を知らんや
九州何處遠       九州   何(いず)れの処(ところ)か遠き
萬里若乘空       万里   空に乘ずるが若し
向國惟看日       国に向かって惟だ日を看(み)
歸帆但信風       帰帆は但だ風に信(まか)すのみ
鰲身映天鄢       鰲身(ゴウシン)は天に映じて鄢く
魚眼射波紅       魚眼は波を射て紅(くれない)なり
郷樹扶桑外       郷樹(キョウジュ)は扶桑の外
主人孤島中       主人は孤島の中(うち)
別離方異域       別離   方(まさ)に域を異にす
音信若爲通       音信(インシン)   若爲(いかん)ぞ通ぜんや

水また水はどこまで続くのか
青海原の東は知りようもない
中国の外にあるというの九つの世界のうち、
どこが遠いかといえば、それは君の帰る日本
万里のかなた、まるで虚空に浮かんでゆくようだろう
故国に向かう船は、ひたすら日の昇るかたへと
風にまかせて進むほかはあるまい
仙山を背負うという大海亀が天空の逆光を浴びて黒い巨躯を現し
長さ千里という大魚の目の光が波濤を赤く染めることもあるのではないか
君の故郷の樹々は、太陽が昇り立つ扶桑の木のさらに向う
そのさいはての孤島に君はゆくのだ
ここで別れてしまえば、もはや別々の世界
どうして、たよりを通わせたらよいのだろうか


★阿倍仲麻呂は717年、唐に留学、詩才によって玄宗皇帝の寵愛を受け、
晁衡(晁は朝の古字)という中国名で秘書省の監(長官)に任ぜられた。
これはその帰国を送る詩。しかし仲麻呂は、船が難破したため、ふたたび
長安に舞いもどり、ついに帰国を果たさず、唐にあること五十余年、長安で歿した。

★九州・・・中国の外の九つの世界。戦国時代の学者鄒衍の説による。

★鰲・・・大海亀。東海の五つの仙山を十五頭で支えている。

★扶桑・・・東の果て、日の昇る処に生えている神木。転じて日本の呼称。

★参照・・・李白「哭晁衡詩」


★松枝茂夫『中国名詩選』中, 岩波文庫

================================================================ =

◆九州について

禹の九州、すなわち中国は世界ではただ一つの州に過ぎず、それが九つ
あって真の九州といい、一つの区劃をなし、さらにそれが九つあって
天地をかたちつくっているので、つまり中国は八十一分の一に過ぎない
という説を、鄒衍という学者が孟子の後から出て唱えたことが、
『史記』の孟子・荀卿列伝に見えている。


上記の説明は、齋藤<日向>『唐詩選』上, 集英社, 漢詩大系6 より

.

Re: 楓橋夜泊     張継

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/08 02:15 投稿番号: [449 / 735]
★ついでに、「楓橋」を詠んだ詩です。



重宿楓橋           孫●(そんてき)(北宋)
(重ねて楓橋に宿す)


白髪重来一夢中       白髪   重ねて来たる   一夢(いちむ)のうち
青山不改旧時容       青山   改まらず   旧時のすがた
烏啼月落寒山寺       烏啼き月落つ寒山寺
欹枕猶聴半夜鐘       枕をそばだてて   なお聴く   半夜の鐘


白髪頭になって   ふたたびこの地にやって来た   夢の中にいるようだ
周囲の青い山はまったく昔のままの姿であった
烏が啼き   月が西に傾くころ   寒山寺から今夜も
夜半の鐘が響きわたってきたので   枕をななめにして聴き入ったことである


★この詩は「重ねて」とあることから、
張継が二度目に楓橋を訪れたときの詩と誤解をされたようですが、
正しくは、孫●(そんてき)という人の詩です。

●賣   +   見


~~~~~~~~~~~~~~~~~~

楓橋              副島種臣(1828〜1905)


月落烏啼霜満天       月落ち烏啼いて霜天に満つ
楓橋夜泊転凄然       楓橋の夜泊   うたた凄然たり
兵戈破却寒山寺       兵戈   破却す   寒山寺
無復鐘声到客船       復た鐘声の客船に到る無し

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

楓橋夜雨           竹添井井(1841〜1917)


漁火欲沈江草外       漁火   沈まんと欲す   江草の外
客愁来聚酒杯前       客愁(かくしゅう)来たりあつまる   酒杯の前
荒烟冷雨寒山寺       荒烟冷雨   寒山寺
人在楓橋半夜船       人は楓橋半夜の船に在り



★ふたりとも、明治9年(1876)に蘇州を訪れたとき詠んだ詩です。
当時、太平天国の乱で荒らされさびれた寺のようすを詠じたものです。

★竹添井井(せいせい)・進一郎は、肥後天草生まれ、
大日本帝国駐清(天津)領事をつとめた人です。

著書『左氏会箋』『論語会箋』は有名ですが、実際に執筆したのは
淺野醒堂だといわれています。
これらは名著ではあるのですが、収録されている説が誰の説か
明記していないところが現代では難点ではあります。
しかし、当時はまだそんなことはうるさく言われない時代でした。

嘉納治五郎の妻は竹添井井の娘です。


★参考図書
石川忠久『秋の詩100選』NHKライブラリ―

.

楓橋夜泊     張継

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/08 01:49 投稿番号: [448 / 735]
楓橋夜泊           張継(中唐・生没年不詳)753年の進士


月落烏啼霜満天       月 落ち烏鳴いて霜天に満つ
江楓漁火對愁眠       江楓 漁火 愁眠に対す
姑蘇城外寒山寺       姑蘇城外の寒山寺
夜半鐘声到客船       夜半の鐘声 客船(かくせん)に到る


月がかくれ、からすが啼いて、霜の氣がきびしく空中に満ち満ちている

うつらうつらと物思いがちの旅人のまどろみは淺い

篷(とま)の窓から眺めると川べりの楓のかげ、
漁火がいねがての眼(まなこ)に映ってくる
ここは小さい舟のなか、蘇州の町から離れた郊外で、寒山寺が近い

寒山寺で撞き鳴らす鐘の音が聞こえてくる、
かぞえてみると、まだ真夜中の鐘の音ではないか


★江蘇省蘇州・・・縦横に運河が流れる水の都。交通の要所

★蘇州での旅の夜をうたった詩。
この詩で張継の名は永遠に伝えられた。
晩秋の旅情がしっとりとうたわれている。

★「姑蘇」は、蘇州の古名。姑蘇山にちなんでそう呼ばれた。

★寒山寺・・・姑蘇城外に建つ六朝から続く古い寺。
建立から200年あまり後、寒山・拾得が住んだことから寒山寺の名がついた。
楓橋のすぐ近くにあり、古くは「楓橋寺」「封橋寺」とも呼ばれていた。

★「楓橋」とは、江蘇省蘇州の西郊にある楓江にかけられた橋。
昔は「封橋」とも書かれた。「
夜泊楓橋」というタイトルになっている本もある。

★「夜泊」とは、夜、舟どまりしたことをいう。

★「霜満天」・・・当時は、霜は天から降ってくるものと考えられていた。

★『唐詩選』下, 集英社, 漢詩体系7

.

Re: 蘇州夜曲 - 李香蘭、他

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/08 01:42 投稿番号: [447 / 735]
こんばんわ。

「蘇州夜曲」網羅されていますね、すばらしいです。

わたしは、漢語でも日本語でもソラで歌えますよ。
中国歌謡は30曲くらい大丈夫。

わたしの歌は、こんな感じ、よく似ています。↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=33b3WQljGTQ

今の若い人は知らない人が多い。
宴会のときカラオケで歌ったら、あとで
「いい歌ですねえ、今度何かあったらまた是非歌ってください」
と言われました。

わたしは、胡美芳さんが好きですね、あと中国人歌手何人か。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●蘇州夜曲
君がみ胸に抱かれて聞くは           投君懐抱里    無限纒綿意
夢の船歌   恋の唄               船歌似春夢    流鶯宛転啼
水の蘇州の花散る春を             水郷蘇州     花落春去
惜しむか柳がすすり泣く            惜相思長堤    細柳依依

花を浮かべて流れる水の            落花順水流    流水長悠悠
明日の行方知らねども             明日飄何処    問君還知否
水に映した二人の姿              倒映双影     半喜半羞
消えてくれるな何時迄も            愿与君熱情    永存長留

髪にかざろか接吻しよか            為卿理青絲    身儿緊相●
君が手折りし桃の花              郎折桃花枝    慎毋染珠泪
涙ぐむよなおぼろの月に            雲間明月     分外清麗
鐘が鳴ります寒山寺              寒山寺      鐘声揺曳

●   ニンベン   +   畏


〔直訳〕
依君懐抱里    漁唱聞鳥啼    姑蘇水郷夢    花落春満堤
依依拂岸柳    ○○如泣泣
花随流水転    明月知何地    今宵双双影    永糸常相憶   
君手折桃花    香挿雲鬢際
泪目朦朧月    鐘鳴寒山寺

○「漱」のサンズイをとった字に   タケカンムリ   su4
涙がぽろぽろこぼれる様子を表現します。


.

蘇州夜曲 - 李香蘭、他

投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/09/07 13:14 投稿番号: [446 / 735]
蘇州夜曲 - 李香蘭
http://www.youtube.com/watch?v=w0ht7Wkkc3s&feature=related

胡美芳 - 蘇州夜曲
http://www.youtube.com/watch?v=H8nGlWYdc9o&feature=related
 
渡辺はま子 蘇州夜曲 1973
http://www.youtube.com/watch?v=bCzCk86zOpg&feature=related
 
蘇州夜曲 - 姚蘇蓉
http://www.youtube.com/watch?v=HHFVgjfJrpI&feature=related
 
蘇州夜曲_美空ひばり
http://www.youtube.com/watch?v=MEomjBFeQGo&feature=related
 
蘇州夜曲 - 雪村いづみ
http://www.youtube.com/watch?v=aStz4abVMUQ&feature=related
 
蘇州夜曲 - 八代亜紀
http://www.youtube.com/watch?v=REYtwMgyjl4&feature=related
 
蘇州夜曲 伍代夏子
http://www.youtube.com/watch?v=F2eLHTk2VCY&feature=related
 
蘇州夜曲 一青窈 松浦亜弥
http://www.youtube.com/watch?v=clIuBc4f5Go&feature=related
 
蘇州夜曲   塩田美奈子
http://www.youtube.com/watch?v=3B6F53RL3hA&feature=related
 
蘇州夜曲   Chinese   Version   夏川りみ
http://www.youtube.com/watch?v=QNCXI6UWBBM&feature=related
 
蘇州夜曲 - Sandii
http://www.youtube.com/watch?v=gWeuLidbJVA&feature=related
 
蘇州夜曲 平原綾香
http://www.youtube.com/watch?v=W-i-zixjlCQ&feature=related
 
蘇州夜曲~(孔蘭蟬唱)
http://www.youtube.com/watch?v=06-BzOFl1q4&feature=related
 
蘇州夜曲 - 陳敏(Chen Min) (二胡)
http://www.youtube.com/watch?v=wpAt3JTBQNw&feature=related

「中国」とは何か

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/06 23:52 投稿番号: [445 / 735]
◆「中国」とは何か。

『漢語大詞典』によれば、
①「上古時代, 我国華夏族建国于黄河流域一帯, 以為居天下中,
故称中国, 而把周囲其他地区称為四方。后汎指中原地区。

②猶国家, 朝廷。

③京師。

④我国専称。
(★用例として清の林則徐がイギリス国王宛に書いた文章があげてある)

⑤指恒河中流一帯中印度, 佛教徒譯称中国(Madhyadese)。
参閲晋法顕《佛国記》。


それぞれに用例がついていますが省略。
③の「京師」は「みやこ」のこと。
①以外は、見ればわかりますので省略。
⑤の「恒河」はガンジス河です。
仏教徒はインドのことを中国といったということです。


①上古の時代、わが国の華夏族が黄河流域一帯に建国し、
天下の中心に居住していると思っていたので、中国と称した。
そして周囲の其の他の地区を四方と称した。
後に、一般的に中原地域を指すようになった。


「華夏族」というのは、今の漢族の大昔のご先祖さまです。
現代の中国人は、漢族以外に 55 の少数民族が包括された呼称です。

この人たちは、自分たちの文明が周囲に比較して非常にかけ離れて
進んでいることを自覚していました。
だから最も優秀な自分たちの居住している場所が天下の中心である、
と考えた。

自分たちが、「中夏」「中華」「中国」である。
周囲の野蛮人は、四夷であり、四夷のうちわけは、
「東夷・南蛮・西戎・北狄」である。
字に、だいたいムシやケモノがついている動物扱いをしていた。

「華」は「精華」、「夏」は「大」の意味で、
「中華」「中夏」は「輝ける大いなる中央」の意味です。
そして「中国」は、「世界の中心にいる我々」の意味です。

この華夏族の居住した地域を中心として、
その同心円がやがて拡大していきます。

唐代の中国人に、日本が東夷のうちでも想像を絶するほど遠い、
という意識があったことは以下の詩からも想像できます。


ということで、
「中国」は「中華民国」や「中華人民共和国」の略称ではありません

また、⑤の例からもわかるように、
現在の中国という国の専売特許名称でもありません。

「中央なるわが国」という普通名詞ですから、
日本が中国を名乗っても別にかまわないのです。

だから、もののわかっている日本の優秀な一部の学者は、
もろこしの地を中国と呼ぶことに反発しました。
その反発は二十世紀半ばまで続き、
現在もネット上にちょこちょこ見受けられます。

その反対に無条件で、
彼の地を「中国」と読んで尊崇する学者の存在もありました。


2910


.

支那は差別語ではありません

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/06 23:46 投稿番号: [444 / 735]
★以下は、わたしが他トピに投稿したものです。
こちらに保存しておきます。

======================================================== =

シナという言葉は、秦・Qin からきています。

支那という字は、ただの当て字です。

シナといって悪いのなら、茶・tea・チャイ・チノパン等全部アウトです。
シナそば、シナチクと言っちゃいけないんですか。

シナが悪くて、チャイナやチャイニーズならいいというのはヘンです。
同じなんですから。
チャイナやチャイニーズもすべて禁止したらいいでしょう。

バカじゃないですか。

「相手が嫌うから言わないほうがいい」とは、わたしも嘗て学生時代に
教授に言ったセリフでしたが、こっぴどく叱られましたよ。

無条件で相手に迎合してはいけないのです。一事が万事なのです。


そういう申し入れがあり、外交の場で公式文書で使用しないということはあります。
けれども、われわれ一般庶民がそれに拘束されることはないのです。

そこを間違えないように。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

尊重と迎合ばかりではありません。
何も考えない、即ち価値判断などしないで使用するということもあるのです。
なぜ二者択一なのか。決めてかかるのか。そこがあなたの限界です。

支那人が自分たちのことを中国人と呼称するようになったのは、戦後のことです。
それまでは支那人自身も自分たちの国を支那といい、
自分たちを支那人といっていました。
それは、チンさんをチンさんというのと同じ、日本でいえば田中さんを
田中さんと呼ぶ、しごく当たり前のことでした。

かの魯迅も郁達夫も、自分の国を支那といい、自分を支那人といい、
そのように書きました。

シナというのがいけないのなら、現在「しにか」という雑誌が発行されて
いますが、それに抗議でもなさったらどうですか。
笑いものになって一蹴されるだけでしょう。

フランス語のシーヌ、イタリア語のチーナ、ドイツ語のヒナ、
みなシナと同じですが、これもやめてチョングオといわせますか。
チョングオ「中国」という発音からは、チャンコロという言葉を連想しますけど。

あなたは、茶や、チャイナをどうするのか、という質問にお答えになっていません。
答えられないのでしょう。

ただ感情的に屁理屈を並べているだけで、まったく論理的ではありませんね。

それに「支那」という漢字は日本人があてたものではありません。
仏典が中国にもたらされた折りに、中国仏教者たちが、
外国が自分たちのことを「シナ」「シナスタン」と呼んでいるのに、
「支那」「至那」「脂那」等の字をあてたものです。

『宋史』にも「支那皇帝」の文字が見えます。

日本に「支那」の文字が入ってきたのは平安時代、空海の詩に見えます。
『平家物語』にも出てくる、たいへん由緒ある言葉なのです。

それは、ただ無機的な名称というだけであって、尊称でもなければ、
蔑称でもありません。

中国は代々国号を王朝名で呼んでいて、他国から客観的に呼ばれる場合の
名称は支那であって、なんらさしつかえがなかったのです。

何をどうトチ狂ったか知らないけれど、日本にのみ「シナ」と呼ぶなという
尊大なご支持があった、おかしいじゃないですか。
全世界に同時に要求するならまだわかりますけどね。


「女の一生」というお芝居があります。
女主人公が、明治大正の時代背景の中で、「中国」を連呼する、
この過去改変をもって、迎合といわずして何というのでしょうか。

津田左右吉などは、日本政府が中華民国の要求を受け入れて「支那」を
「中国」と呼称するようになった、そのことについて敢然と批判をしておられます。

はじめは、相手方の見る外交文書だけで、国内では相変わらず支那といって
いましたが、現在では一民間人が支那といったと非難する大ばか者が
したり顔に出てくる、この卑しさ、醜さは救いようがありませんね。


あなたは津田左右吉を超越する理論が打ち立てられるのでしょうね。


3656

「支那」はわるいことばだろうか

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/06 23:44 投稿番号: [443 / 735]
わたくしは戦後、新劇『女の一生』の舞台で、杉村春子の扮する女主人公が、
明治大正の古めかしい装置のなかで「中国」「中国」を連発するのを見て、
一種異様な圧迫感を感じたのを覚えている。

それはまさしくジョージ・オーウェル的世界で、何かファナティックな勢力が、
丸いまげを結って地味な和服を着た女の口をかりて、「誰も『支那』などと
言ったことはない。正しい日本人は昔から『中国』と言ってきたのだ」
と叫び立てていた。

思えばの『女の一生』あたりが、日本人の「過去改変」のはしりだったのだろう。


魯迅は、日本語で話す時は自分の国を「支那」と言い、自分を「支那人」と
言ったし、日本語で文章を書く際も同様であった。

これは、英語のできる中国人が自分の国を China と言い、みずからを
Chinese と言うのと同じことなのである。


★以上、高島俊男『本が好き、悪口言うのはもつと好き』大和書房、
<「支那」はわるいことばだろうか> より。


★支那という言葉が日本に入ってきたのは平安時代だそうです。


2936

支那人も朝鮮人も差別用語ではない

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/06 23:41 投稿番号: [442 / 735]
他トピに以下のような投稿がありました。
自分の知識や教養のなさには、思いがいたらないのですね。
なさけない話です。

~~~~~~~~~~~~~
Re: 「日本人は」「日本人って」??? 2011/ 3/30 17:44 [ No.500452
投稿者 :
skvtx

そうかナ?

何処かの河川敷のダンボ−ル小屋で暮していれば、
世間を見る目、視野が狭いのも当然だが、、、

二、三年前、このトピを見て驚いた。他人を評するに、
これほど差別を超え、侮蔑タラタラの人種を見たことはなかった。単細胞は、
これに染まって「シナ人」とか「朝鮮人」と平気で書くようになった。
正直、恥ずかしい。

こんな人種は、世界中探しても珍しい、断言する!

東西が分かれていた頃、西ドイツへ初めて行き、その後チェコへ、、、
いくらか薄い本も読んだ。日本では、「ユダヤ人」なんて平気で云う。が、
教育のある人達は、「ユダヤ教徒」って云うぜ。又、薄い本を。

OO人、OO人種、OO族、、、    爺もよく使うが、
人種、OO国人なんて、誰も正確に云えないことを知った。
言語、出生地、etc。完全に分類なんか出来ない。

自戒、そう自戒も含め、コトバに気をつけよう。

古い「jugo君」のマネHN!
バカも好い加減にしろ!

================================== -

>バカも好い加減にしろ!<

とはこちらが言いたいセリフだ。

支那人・朝鮮人は、日本人・アメリカ人・イギリス人・フランス人などと
言うのとまったく同じこと。

半島のカミは「北朝鮮」だし、「朝鮮日報」なんて新聞もあるんじゃないですか。
「朝鮮」は、鮮やかな美しいあさやけを言った言葉ではありませんか。
李氏朝鮮を建てた李成桂が宗主国の明に、国号を「朝鮮」と「和寧」の
どちらにしたらよろしいでしょうか、とお伺いをたてて決めてもらった
由緒あるものです。これのどこが差別用語でしょうか。

たとえば、山田太郎さんという人がいて、ものすごい嫌われ者で軽蔑されて
いたとして、これは山田太郎という名まえが悪いんですか、
山田太郎といっちゃいけないんですか、
そうじゃなくて、内容の問題でしょう、ということです。

5717

Re: 支那を「中国」と呼ぶのは国辱です

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/06 23:37 投稿番号: [441 / 735]
中華人民共和国で最も権威あるとされている「漢語大詞典」という
国語辞典には、「支那」は、「秦」の音の訛りで、古代インド・ギリシャ・
ローマ・日本などがわが国を呼ぶ名である」と書いてあります。
「支那」の文字も、「単なる名称であって別段の意義はない」と明記されている。

つまり、中共国内ですら、「支那」を差別用語とする念は存在していないのです。

「中国」という単語は、支那人にとっては「わが国」「世界の中心の国」
という意味を持ちます。
けれどこれは、あくまで「支那人にとって」の「中心」です。
我々は支那人にとっては外国人なのですから、
支那を中国と呼ぶ必要など、まるでないのです。

ちなみに韓国語(朝鮮語)では「チュングゥ」と呼びます。
「チュングゥ=チュウゴク」です。

なぜ朝鮮半島では「チュングゥ」と呼ばれているかといえば、
朝鮮半島は李氏朝鮮の時代、支那の属国だったからです。
支那の歴代王朝は、支配下に置いた周辺諸国に対して、自国を「中国」と
呼ぶように強要した。つまり、支那を指して「中国」と呼ぶのは、
かつて中国の属国であった国です。

日本は、これまでの長い歴史の中で、支那の属国となったことは
一度たりともありません。そうである以上、日本人が支那を「中国」
などと呼ぶ必要も、まったくないのです。

支那を「支那と呼ぶと不快に思う人がいる」という人もいるけれど、
では自国の英語名を何と呼ぶのか、聞いてみたいものです。

以上の次第から、「支那」は「支那」であって、日本が支那の属国となった
歴史がない以上、日本人なら「支那」と呼ぶべきです。

そう思います。

.
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)