紫陽花亭日乗

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Re: 日本のことでも中国と呼んだということ

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/08 21:25 投稿番号: [456 / 735]
この考え方に対する一つの反対は、私も引いた『日本書紀』雄略紀七年、

新羅不事中国     新羅中国(みかど)に事(つか)えず

等、自ら中国その他を名のることは、ここのように新羅などに対してならともかく、
本家中国を意識したときにはあり得まいというのであった。


ないともいえない。
例えば七二〇年の『書紀』に百年近くは後れるものの、八一一年に書かれていま
『延喜式』に付録される『歴運記』、すなわち『公卿補仁』の祖形とされているものには、

神倭磐余彦(神武)天皇年十五為太子。四十五歳甲寅従筑紫日向宮船師東征。
至庚申年平定中国。
辛酉年正月即天皇位。是為元惣計従天皇元年辛酉至今上弘仁二年辛卯
合一千四百七十一年也。其天皇元年辛酉。准計漢地年代当周僖王三年辛酉。
然則自僖王三年以降歴九代百五王一千四百七十一年也。

とあって、わが国をいう「平定中国」の「中国」と、
それに対置される「漢地」とは、同じ文脈の中に並んでいる。

また『書紀』天智紀元年のこととして、

是月唐人新羅人伐高麗。々々乞救国家。仍遣軍将拠疏留城。
由是唐人不得略其南堺新羅不獲輸其西塁。

とある。
高麗救いを国家に乞う、のその「国家」は、唐や唐人は意識しない呼称だと、
かりにいったところで、それはその次の年、事もあろうにその大唐と
白村江に戦う「国家」なのであり、『隋書』「倭国伝」に、

其国書曰。日出処天子、致書日没処天子。無恙。帝覧之不悦。謂鴻臚卿曰。
蛮夷書有無礼者、勿復以聞。

其の国書に曰く、日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや。
帝之を覧(み)て悦ばず。鴻臚卿に謂いて曰く。蛮夷の書礼無き者有れば、
(レバは旧来の訓読法に従う)、復た以て聞すること勿れ。

と記録された人たちの子孫でもあった。
後、中華を以て自ら称し、本家の中国はそこを飛び越えた西の果てにまで
追いやって若木にしてしまったとて、何の不思議があるだろう。
中国への卑下がほしいのなら、昔からある和漢にしろ、漢和(な)にしろ、
二つ並べる発想自体そもそもおかしい。
最初のは中国が先でも、後は身内の習作を一首一首中国の、それも多くは
名家の詩に向かって並べ立てて見せる無神経さはもっとおかしい。

――了――


★尾崎雄二郎            「しにか」1996/6 より転載


「しにか」とはギリシャ語で、「中国」のことです。

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

■「中国」はもともと普通名詞です。

「中国」が敢えて略称といいたいのなら、中華人民共和国の略称ではなく、
伝統的には「中原諸国」の略称でしょうね。
「中原」とは古代、漢族の居住していた黄河から淮水までのあたりをいいます。
現在の支那の版図からいえば、あたっていません。おおいに混血もしていますし。


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