中国四大悲恋物語 梁山伯と祝英台
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/09 21:26 投稿番号: [466 / 735]
梁山伯と祝英台
その昔、祝英台という非常に聡明かつ美しい娘がおりました。
娘の年は十七歳。学問をすることを強く望んでいました。
しかしながら、当時は、女子が家を出て学問をするなど、
もってのほかのことでした。
そこでむすめは一計を案じました。
男子に変装すれば問題ないのではないだろうか。
祝英台は男装の麗人となり、両親に別れを告げ、杭州に学問をしに行きました。
途中、一人の青年に遭遇しました。
青年の名は梁山伯、年は十八。彼もまた学問をしに杭州に行くところでした。
道中話がはずみ、ふたりはまたたくまに親友となったのでした。
杭州に到着し、ふたりは学校に入学しました。
ふたりは三年をともに学び、互いに相手を気遣い助け合い、
相手を大切に想う心情はますます深まるばかりでした。
けれども、梁山泊にとって祝英台が女性であるなどとは
思いもよらないことだったのです。
ある日のこと、祝英台は父からの一通の手紙を受け取りました。
その手紙には、重要な話があるので急ぎ家に戻るように、とありました。
祝英台の帰郷を聞いた梁山伯は、耐え難く辛い気持ちでした。
祝英台と別れたくなかったのです。
梁山伯が祝英台を送っていく道すがら、ふたりは泉を見つけました。
祝英台は梁山伯を泉のほとりまでひっぱっていき、泉を覗き込むと、
水面には若々しく可愛らしい梁山伯と聡明で美しい祝英台の姿が
映し出されておりました。
祝英台が言いました。
「ごらんよ。なんとまあ、お似合いの夫婦のようだ」
それを聞いた梁山伯は不機嫌そうに言いました。
「なんだって僕を女なんかにみたてるのだ?」
祝英台は、怒らないで、機嫌をなおして、
と彼に頼むしかなすすべがありませんでした。
このようにして、祝英台は何度も梁山伯に、自分が女の子であることを
それとなく伝えようとしたのですが、真面目な梁山伯には少しも
そんな彼女の想いがわかりませんでした。
いよいよ別れのときがきました。
祝英台は梁山伯に言いました。
「わたしには妹がひとりいる。わたしにそっくりだ。
もしも君にその気があるのなら、なるべく早いほうがよい。
わたしの家まで来て求婚してくれ」
それを聞いた梁山伯はとても喜んだのでした。
祝英台が帰宅してみると、父親の重要な話というのは、
さる高官の息子との縁談でした。
祝英台は断固としてこれを拒絶、
必ずややって来るであろう梁山伯の訪れを待ちました。
父親はかんかんに怒っていいました。
「梁山伯の家はかなりの貧乏だ。
わしの娘をそんな家に嫁がせるわけにはいかん」
祝英台が行ってしまってからというもの、梁山伯は彼女恋しさに
やもたてもたまらず、ほどなくして学業を修了するとその足で
祝英台にあいに行きました。
祝英台の妹へ求婚もするつもりでした。
梁山伯が祝英台の家に着いてみると、
なんとそこには思いがけず女性である祝英台のすがたが眼前にありました。
このとき、彼はやっとわかったのです。
祝英台の妹というのは彼女自身であったことを。
梁山伯が驚き欣喜雀躍したそのとき、祝英台はといえば両眼から涙を
溢れさせ、父親から結婚を迫られていることを彼に告げたのでした。
梁山伯はその話を聞き、苦しさ辛さにただの一言すら発することもできず、
自分の家に戻るとほどなく病気になり死んでしまいました。
梁山伯の死のしらせを聞いて、祝英台は三日三晩泣きあかしました。
そして、泣くのをやめた彼女は父親に言いました。
「お父さまのおっしゃるあの方と結婚いたしましょう。
でも、祝言の日、わたしの乗った花駕籠が梁山伯さまのお墓のそばを
通るようにしてくださいませ」
しかたなく、父親は承知しました。
嫁ぐその日、花嫁の乗った花駕籠が梁山伯の墓の前にさしかかると、
祝英台は駕籠から下り、梁山伯の墓前に膝まづき、
悲痛な声をあげて泣きました。
折りしもこのとき、一天にわかにかき曇り、大風が吹き荒れ、
天の底が抜けたかと思われるほどの大雨が降り出しました。
突然、大音響とともに梁山伯の墓がまっぷたつに裂けたのを見て、
祝英台がすぐさまそこに飛び込むと、墓はあっというまにもとどおり
閉じてしまったのです。
風はおさまり、雨もやみました。
お日さまが顔をのぞかせ、墓の周辺にはあでやかな花が咲き乱れ、
墓の中からつがいの蝶々が飛び出し美しい草花の中を
なかよく舞っていたのでした。
『漢語中級教程』1, 北京大学出版社、より
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その昔、祝英台という非常に聡明かつ美しい娘がおりました。
娘の年は十七歳。学問をすることを強く望んでいました。
しかしながら、当時は、女子が家を出て学問をするなど、
もってのほかのことでした。
そこでむすめは一計を案じました。
男子に変装すれば問題ないのではないだろうか。
祝英台は男装の麗人となり、両親に別れを告げ、杭州に学問をしに行きました。
途中、一人の青年に遭遇しました。
青年の名は梁山伯、年は十八。彼もまた学問をしに杭州に行くところでした。
道中話がはずみ、ふたりはまたたくまに親友となったのでした。
杭州に到着し、ふたりは学校に入学しました。
ふたりは三年をともに学び、互いに相手を気遣い助け合い、
相手を大切に想う心情はますます深まるばかりでした。
けれども、梁山泊にとって祝英台が女性であるなどとは
思いもよらないことだったのです。
ある日のこと、祝英台は父からの一通の手紙を受け取りました。
その手紙には、重要な話があるので急ぎ家に戻るように、とありました。
祝英台の帰郷を聞いた梁山伯は、耐え難く辛い気持ちでした。
祝英台と別れたくなかったのです。
梁山伯が祝英台を送っていく道すがら、ふたりは泉を見つけました。
祝英台は梁山伯を泉のほとりまでひっぱっていき、泉を覗き込むと、
水面には若々しく可愛らしい梁山伯と聡明で美しい祝英台の姿が
映し出されておりました。
祝英台が言いました。
「ごらんよ。なんとまあ、お似合いの夫婦のようだ」
それを聞いた梁山伯は不機嫌そうに言いました。
「なんだって僕を女なんかにみたてるのだ?」
祝英台は、怒らないで、機嫌をなおして、
と彼に頼むしかなすすべがありませんでした。
このようにして、祝英台は何度も梁山伯に、自分が女の子であることを
それとなく伝えようとしたのですが、真面目な梁山伯には少しも
そんな彼女の想いがわかりませんでした。
いよいよ別れのときがきました。
祝英台は梁山伯に言いました。
「わたしには妹がひとりいる。わたしにそっくりだ。
もしも君にその気があるのなら、なるべく早いほうがよい。
わたしの家まで来て求婚してくれ」
それを聞いた梁山伯はとても喜んだのでした。
祝英台が帰宅してみると、父親の重要な話というのは、
さる高官の息子との縁談でした。
祝英台は断固としてこれを拒絶、
必ずややって来るであろう梁山伯の訪れを待ちました。
父親はかんかんに怒っていいました。
「梁山伯の家はかなりの貧乏だ。
わしの娘をそんな家に嫁がせるわけにはいかん」
祝英台が行ってしまってからというもの、梁山伯は彼女恋しさに
やもたてもたまらず、ほどなくして学業を修了するとその足で
祝英台にあいに行きました。
祝英台の妹へ求婚もするつもりでした。
梁山伯が祝英台の家に着いてみると、
なんとそこには思いがけず女性である祝英台のすがたが眼前にありました。
このとき、彼はやっとわかったのです。
祝英台の妹というのは彼女自身であったことを。
梁山伯が驚き欣喜雀躍したそのとき、祝英台はといえば両眼から涙を
溢れさせ、父親から結婚を迫られていることを彼に告げたのでした。
梁山伯はその話を聞き、苦しさ辛さにただの一言すら発することもできず、
自分の家に戻るとほどなく病気になり死んでしまいました。
梁山伯の死のしらせを聞いて、祝英台は三日三晩泣きあかしました。
そして、泣くのをやめた彼女は父親に言いました。
「お父さまのおっしゃるあの方と結婚いたしましょう。
でも、祝言の日、わたしの乗った花駕籠が梁山伯さまのお墓のそばを
通るようにしてくださいませ」
しかたなく、父親は承知しました。
嫁ぐその日、花嫁の乗った花駕籠が梁山伯の墓の前にさしかかると、
祝英台は駕籠から下り、梁山伯の墓前に膝まづき、
悲痛な声をあげて泣きました。
折りしもこのとき、一天にわかにかき曇り、大風が吹き荒れ、
天の底が抜けたかと思われるほどの大雨が降り出しました。
突然、大音響とともに梁山伯の墓がまっぷたつに裂けたのを見て、
祝英台がすぐさまそこに飛び込むと、墓はあっというまにもとどおり
閉じてしまったのです。
風はおさまり、雨もやみました。
お日さまが顔をのぞかせ、墓の周辺にはあでやかな花が咲き乱れ、
墓の中からつがいの蝶々が飛び出し美しい草花の中を
なかよく舞っていたのでした。
『漢語中級教程』1, 北京大学出版社、より
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これは メッセージ 465 (ajisai110701 さん)への返信です.
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