Re: 楓橋夜泊 張継
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/08 02:15 投稿番号: [449 / 735]
★ついでに、「楓橋」を詠んだ詩です。
重宿楓橋 孫●(そんてき)(北宋)
(重ねて楓橋に宿す)
白髪重来一夢中 白髪 重ねて来たる 一夢(いちむ)のうち
青山不改旧時容 青山 改まらず 旧時のすがた
烏啼月落寒山寺 烏啼き月落つ寒山寺
欹枕猶聴半夜鐘 枕をそばだてて なお聴く 半夜の鐘
白髪頭になって ふたたびこの地にやって来た 夢の中にいるようだ
周囲の青い山はまったく昔のままの姿であった
烏が啼き 月が西に傾くころ 寒山寺から今夜も
夜半の鐘が響きわたってきたので 枕をななめにして聴き入ったことである
★この詩は「重ねて」とあることから、
張継が二度目に楓橋を訪れたときの詩と誤解をされたようですが、
正しくは、孫●(そんてき)という人の詩です。
●賣 + 見
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
楓橋 副島種臣(1828〜1905)
月落烏啼霜満天 月落ち烏啼いて霜天に満つ
楓橋夜泊転凄然 楓橋の夜泊 うたた凄然たり
兵戈破却寒山寺 兵戈 破却す 寒山寺
無復鐘声到客船 復た鐘声の客船に到る無し
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
楓橋夜雨 竹添井井(1841〜1917)
漁火欲沈江草外 漁火 沈まんと欲す 江草の外
客愁来聚酒杯前 客愁(かくしゅう)来たりあつまる 酒杯の前
荒烟冷雨寒山寺 荒烟冷雨 寒山寺
人在楓橋半夜船 人は楓橋半夜の船に在り
★ふたりとも、明治9年(1876)に蘇州を訪れたとき詠んだ詩です。
当時、太平天国の乱で荒らされさびれた寺のようすを詠じたものです。
★竹添井井(せいせい)・進一郎は、肥後天草生まれ、
大日本帝国駐清(天津)領事をつとめた人です。
著書『左氏会箋』『論語会箋』は有名ですが、実際に執筆したのは
淺野醒堂だといわれています。
これらは名著ではあるのですが、収録されている説が誰の説か
明記していないところが現代では難点ではあります。
しかし、当時はまだそんなことはうるさく言われない時代でした。
嘉納治五郎の妻は竹添井井の娘です。
★参考図書
石川忠久『秋の詩100選』NHKライブラリ―
.
重宿楓橋 孫●(そんてき)(北宋)
(重ねて楓橋に宿す)
白髪重来一夢中 白髪 重ねて来たる 一夢(いちむ)のうち
青山不改旧時容 青山 改まらず 旧時のすがた
烏啼月落寒山寺 烏啼き月落つ寒山寺
欹枕猶聴半夜鐘 枕をそばだてて なお聴く 半夜の鐘
白髪頭になって ふたたびこの地にやって来た 夢の中にいるようだ
周囲の青い山はまったく昔のままの姿であった
烏が啼き 月が西に傾くころ 寒山寺から今夜も
夜半の鐘が響きわたってきたので 枕をななめにして聴き入ったことである
★この詩は「重ねて」とあることから、
張継が二度目に楓橋を訪れたときの詩と誤解をされたようですが、
正しくは、孫●(そんてき)という人の詩です。
●賣 + 見
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
楓橋 副島種臣(1828〜1905)
月落烏啼霜満天 月落ち烏啼いて霜天に満つ
楓橋夜泊転凄然 楓橋の夜泊 うたた凄然たり
兵戈破却寒山寺 兵戈 破却す 寒山寺
無復鐘声到客船 復た鐘声の客船に到る無し
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楓橋夜雨 竹添井井(1841〜1917)
漁火欲沈江草外 漁火 沈まんと欲す 江草の外
客愁来聚酒杯前 客愁(かくしゅう)来たりあつまる 酒杯の前
荒烟冷雨寒山寺 荒烟冷雨 寒山寺
人在楓橋半夜船 人は楓橋半夜の船に在り
★ふたりとも、明治9年(1876)に蘇州を訪れたとき詠んだ詩です。
当時、太平天国の乱で荒らされさびれた寺のようすを詠じたものです。
★竹添井井(せいせい)・進一郎は、肥後天草生まれ、
大日本帝国駐清(天津)領事をつとめた人です。
著書『左氏会箋』『論語会箋』は有名ですが、実際に執筆したのは
淺野醒堂だといわれています。
これらは名著ではあるのですが、収録されている説が誰の説か
明記していないところが現代では難点ではあります。
しかし、当時はまだそんなことはうるさく言われない時代でした。
嘉納治五郎の妻は竹添井井の娘です。
★参考図書
石川忠久『秋の詩100選』NHKライブラリ―
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これは メッセージ 448 (ajisai110701 さん)への返信です.
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