相思樹 干宝(晋)『捜神記』韓憑妻
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/09 21:43 投稿番号: [467 / 735]
「白蛇伝」に、
>願わくば墓上に同心草を
傍らには相思樹の苗を植えんことを
妾はほととぎすに身を変えて
墓前に飛び至り哭き続けん<
とありましたのでついでに、相思樹の物語をUPしておきます。
原文は入力してありませんので、解釈だけです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
干宝(晋)『捜神記』韓憑妻
宗の康王の家来の韓憑が何氏を妻に娶った。
何氏が美人であったので、康王に奪いとられてしまった。
憑が怨んだので、康王は憑を捕らえ城壁の人夫にした。
妻はひそかに憑に隠語を使った手紙を送った。
「其雨淫淫、河大水深、日出当心。
(長雨が続き、河幅は広く水深は深い、日がのぼってわたしの胸を照らします)」
やがて王はその手紙を手に入れ、家来たちに見せたが誰もその意味が
わからなかった。ところへ、蘇賀という家来が答えて言うには、
「長雨が続く」というのは「愁いつつあなたを想う」ということです。
「河幅は広く水深は深い」というのは、
「あなたと行き来することができない」という意味です。
「日がのぼってわたしの胸を照らします」というのは、
「心中、死を誓う」という意味です、と。
ほどなく、憑は自殺した。
妻はひそかに自分の着物を腐らせておいた。
そして、王が何氏を伴って台にのぼったとき、妻はそこから身を投げた。
家来たちが捕まえようとしたが、着物が朽ちていたためにつかまえることが
できず、妻はそのまま死んだ。帯に遺書がはさんであった。
「生きているときは、わたくしは王さまのお役にたちました。
死んで後は自分の役にたてたいと思います。
どうか、わたくしの死体を憑と一緒に埋めてくださいませ」
王は怒り、妻の願いをききいれなかった。
村人に命じ、妻の塚と憑の塚とが向き合うように埋めさせた。
そして、王はこのように言った。
「おまえたち夫婦は愛し合っておるようじゃが、もしも、ふたつの塚を
ひとつに合わさるようにできたなら、わしも邪魔はしまいぞ」
すると、一晩のうちに、二つの塚の端から大梓の木がはえてきて、
十日後にはひとかかえほどの大きさになり、幹を枉げて近づき合い、
下方では根がからみ合い、上方では枝が交錯した。
また、つがいの鴛鴦が常にその樹上をすみかとし、朝な夕なにその枝を
去らず、首を交叉させ悲しそうに鳴く。その鳴き声は人の心を揺り動かし、
宋の人々は哀れに思い、その木を「相思樹」と名づけた。
「相思」という言葉はここから起こったのである。
南方の人のいうことには、このつがいの鴛鴦は韓憑夫婦の魂魄である、と。
今、雎陽には韓憑が築いたという城があり、ふたりを歌った歌も、
今に到るもまだ残っている。
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>願わくば墓上に同心草を
傍らには相思樹の苗を植えんことを
妾はほととぎすに身を変えて
墓前に飛び至り哭き続けん<
とありましたのでついでに、相思樹の物語をUPしておきます。
原文は入力してありませんので、解釈だけです。
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干宝(晋)『捜神記』韓憑妻
宗の康王の家来の韓憑が何氏を妻に娶った。
何氏が美人であったので、康王に奪いとられてしまった。
憑が怨んだので、康王は憑を捕らえ城壁の人夫にした。
妻はひそかに憑に隠語を使った手紙を送った。
「其雨淫淫、河大水深、日出当心。
(長雨が続き、河幅は広く水深は深い、日がのぼってわたしの胸を照らします)」
やがて王はその手紙を手に入れ、家来たちに見せたが誰もその意味が
わからなかった。ところへ、蘇賀という家来が答えて言うには、
「長雨が続く」というのは「愁いつつあなたを想う」ということです。
「河幅は広く水深は深い」というのは、
「あなたと行き来することができない」という意味です。
「日がのぼってわたしの胸を照らします」というのは、
「心中、死を誓う」という意味です、と。
ほどなく、憑は自殺した。
妻はひそかに自分の着物を腐らせておいた。
そして、王が何氏を伴って台にのぼったとき、妻はそこから身を投げた。
家来たちが捕まえようとしたが、着物が朽ちていたためにつかまえることが
できず、妻はそのまま死んだ。帯に遺書がはさんであった。
「生きているときは、わたくしは王さまのお役にたちました。
死んで後は自分の役にたてたいと思います。
どうか、わたくしの死体を憑と一緒に埋めてくださいませ」
王は怒り、妻の願いをききいれなかった。
村人に命じ、妻の塚と憑の塚とが向き合うように埋めさせた。
そして、王はこのように言った。
「おまえたち夫婦は愛し合っておるようじゃが、もしも、ふたつの塚を
ひとつに合わさるようにできたなら、わしも邪魔はしまいぞ」
すると、一晩のうちに、二つの塚の端から大梓の木がはえてきて、
十日後にはひとかかえほどの大きさになり、幹を枉げて近づき合い、
下方では根がからみ合い、上方では枝が交錯した。
また、つがいの鴛鴦が常にその樹上をすみかとし、朝な夕なにその枝を
去らず、首を交叉させ悲しそうに鳴く。その鳴き声は人の心を揺り動かし、
宋の人々は哀れに思い、その木を「相思樹」と名づけた。
「相思」という言葉はここから起こったのである。
南方の人のいうことには、このつがいの鴛鴦は韓憑夫婦の魂魄である、と。
今、雎陽には韓憑が築いたという城があり、ふたりを歌った歌も、
今に到るもまだ残っている。
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これは メッセージ 465 (ajisai110701 さん)への返信です.
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