日本のことでも中国と呼んだということ
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/08 21:23 投稿番号: [455 / 735]
◆日本のことでも中国と呼んだということ
尾崎雄二郎 「しにか」1996/6 より
『中華若木詩抄』という書物がある。
漢籍その他の当時の俗語まで駆使しての講義筆記であるいわゆる抄物の一つだが、
『史記』の抄が『史記抄』であるように「中国若木詩」という書物に対して
その抄が作られたというのでなく、七言絶句約三百首を中国人の作、
日本人の作と交互に並べて一首ずつ抄が加えられた、その詩と抄との合体に
初めて『中華若木詩抄』の名がついたのである。
建仁寺にいて、のち還俗、外典を講ずるようになった如月寿印がその著者だとされる。
十五世紀半ばから次の世紀にかけての人らしい。
これまでは、恐らくただ何となく、中華だから中国と決めていて、
だから辻褄を合わせるためには若木を日本にしなければならず、
扶桑と若木、つまり中華世界のそれぞれ東と西とを画(かぎ)る二種の神木のうち、
扶桑は中国の東にあるものとして、日本の別称と素直に受け入れられているのに、
若木はこの場合それを中国西方にある植物と認めず、日本はかつて一度もそう
呼ばれたことがないというのに、若い木だから日本、という解釈を創作してみせた。
若木は、例えば李白の、
「古風五十九首。其四十一」
揮手折若木 手を揮(ふる)って若木を折り
払此西日光 此れを払うて日光を西(しず)ましむ
「楽府上雲楽(がふじょううんがく)」
西海栽若木 西海に若木を栽(う)え
東溟植扶桑 東溟(とうめい)に扶桑を植う
などが人々に忘れられない限り、中国に関わる記述の中では、
その西の果ての樹木であることから逃れられるはずがない。
『中華若木詩抄』はまさしく中国に関わる書物なのだし、若木は西方を表す
以外のものでなく、それと対を成す中華も、必然的にそれと反対の東方を
意味するのではないか、ということになって決して不自然ではないのである。
そうはいっても、中華に東方日本を意味する可能性が絶無なのであれば話は別だが、
かつて私がこの書物の訳注のあとがきにいったように『日葡辞書』が、中華には
中国の都を指す用法の拡張として日本の都を意味する場合もある、といっている。
若木がいま述べたような言葉である以上、われわれが中華について
この記述を利用しない手はない。
『中華若木詩抄』は京都詩壇の人々の作を西方中国詩家のそれに並べたものと
まず理解すべきで、それでも書名と順番の関係が気になるなら、この書物に
『支日集』と『和漢三百首』、二様の命名があることを想い出せばすむ。
つづく
2911
尾崎雄二郎 「しにか」1996/6 より
『中華若木詩抄』という書物がある。
漢籍その他の当時の俗語まで駆使しての講義筆記であるいわゆる抄物の一つだが、
『史記』の抄が『史記抄』であるように「中国若木詩」という書物に対して
その抄が作られたというのでなく、七言絶句約三百首を中国人の作、
日本人の作と交互に並べて一首ずつ抄が加えられた、その詩と抄との合体に
初めて『中華若木詩抄』の名がついたのである。
建仁寺にいて、のち還俗、外典を講ずるようになった如月寿印がその著者だとされる。
十五世紀半ばから次の世紀にかけての人らしい。
これまでは、恐らくただ何となく、中華だから中国と決めていて、
だから辻褄を合わせるためには若木を日本にしなければならず、
扶桑と若木、つまり中華世界のそれぞれ東と西とを画(かぎ)る二種の神木のうち、
扶桑は中国の東にあるものとして、日本の別称と素直に受け入れられているのに、
若木はこの場合それを中国西方にある植物と認めず、日本はかつて一度もそう
呼ばれたことがないというのに、若い木だから日本、という解釈を創作してみせた。
若木は、例えば李白の、
「古風五十九首。其四十一」
揮手折若木 手を揮(ふる)って若木を折り
払此西日光 此れを払うて日光を西(しず)ましむ
「楽府上雲楽(がふじょううんがく)」
西海栽若木 西海に若木を栽(う)え
東溟植扶桑 東溟(とうめい)に扶桑を植う
などが人々に忘れられない限り、中国に関わる記述の中では、
その西の果ての樹木であることから逃れられるはずがない。
『中華若木詩抄』はまさしく中国に関わる書物なのだし、若木は西方を表す
以外のものでなく、それと対を成す中華も、必然的にそれと反対の東方を
意味するのではないか、ということになって決して不自然ではないのである。
そうはいっても、中華に東方日本を意味する可能性が絶無なのであれば話は別だが、
かつて私がこの書物の訳注のあとがきにいったように『日葡辞書』が、中華には
中国の都を指す用法の拡張として日本の都を意味する場合もある、といっている。
若木がいま述べたような言葉である以上、われわれが中華について
この記述を利用しない手はない。
『中華若木詩抄』は京都詩壇の人々の作を西方中国詩家のそれに並べたものと
まず理解すべきで、それでも書名と順番の関係が気になるなら、この書物に
『支日集』と『和漢三百首』、二様の命名があることを想い出せばすむ。
つづく
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これは メッセージ 454 (ajisai110701 さん)への返信です.
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