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Re: 朝鮮の領土の東限1

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/02/11 17:45 投稿番号: [16340 / 18519]
  半月城様、Am I AHOです
>   両書の数値が完全に一致するので、田川孝三の東限に関する見解はそのまま『朝鮮水路誌』にも当てはまります。つまり、東経130度35分は欝陵島ではなく、豆満江の河口を指すのかも知れません。

  いろいろ検証してみると、当時著された他の文献にも概ね適用できるようです。
  『大韓全図』(1899)などは、無理矢理豆満江の河口の経度に合わせたためか、地図を交合する際に欝陵と于山と無理無理詰めて描いたのでしょう。
  これも「簡易を旨とし詳細なる記事は之を省いた」結果でしょうか。
  結論といたしましては、これまで積み重ねられた議論が裏付けられたと考えて良いのかもしれません。
  当時の文献に記された「朝鮮の東限」は検証された数値ではなく「簡易を旨とし詳細なる記事は之を省いた」もの、平たく云えば、かなりいい加減な数字だったのかもしれません。

Re: 朝鮮の領土の東限2

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/02/11 17:17 投稿番号: [16339 / 18519]
  なろほど、これは確認を怠っていたようです。
  ご指摘のように全然ナホトカ沖ではありませんね。

http://maps.google.co.jp/maps?q=34.4,+137.3&hl=ja

  ナホトカや朝鮮からは、ほぼ等距離のようですが、どちらかと云えば、秋田や青森の近海でしょう。
  ご指摘ありがとう御座いました。

『朝鮮水路誌』(国立国会図書館:158コマ参照)
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?tpl_wid=WBPD120&tpl_wish_page_no=1&tpl_select_row_no=1&tpl_hit_num=1&tpl_toc_word=+%C4%AB%C1%AF%BF%E5%CF%A9%BB%EF&tpl_jp_num=40067512&tpl_vol_num=&JP_NUM=40067512&VOL_NUM=00000&KOMA=&tpl_search_kind=2&tpl_keyword=%C4%AB%C1%AF%BF%E5%CF%A9%BB%EF&tpl_sort_key=TITLE&tpl_sort_order=ASC&tpl_list_num=20&tpl_end_of_data=

  舩杉氏のご見解として佐々木氏がワイオダ岩(佐々木氏は島と表記)がナホトカ沖にあるとしたため、勘違いしてしまいました。検証をさぼったミスです。

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/index.data/06.pdf

  結局、存在が疑わしい岩ですが、朝鮮沿岸に通漁する漁船など船舶の便宜を考え、一応載せて置いたのかもしれませんね。

Re: 朝鮮の領土の東限2

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2008/02/11 15:51 投稿番号: [16338 / 18519]
>水路誌に記されたワイオダ岩の緯度経度とナホトカの緯度経度をざっと計算す
>ると、80km以上(恐らく90km前後)南方沖に位置していたようです。
>ナホトカは朝露国境付近にありますので、ワイオダ岩までの距離としては、朝
>鮮からの方が少し遠くなる程度でしょう。
>もし実在していれば後世に朝鮮領土となったとしても何の不思議もないわけ
>で、(ロシア領となっても不思議はありませんが)少なくともそのことを根拠
>に出来るとは到底思われません。
>もしかしたら舩杉氏は、朝露国境付近のナホトカではなく、遙か彼方カムチャ
>ツカ半島にあるナホトカと勘違いしているのでしょうか。
>(参考)
>『朝鮮水路誌』に記載されたワイオダ岩の位置
>北緯41度14分30秒   東経137度14分

これくらい恥ずかしい投稿を見たのは久しぶりだなあ。
東経137度14分がどのあたりに当たるかもう一度地図を確認したほうがい
いですよ。今はgoogle earthという優れものもありますし。
緯度も今一度確認されたほうが宜しかろうと思います。
あんまり気の毒なんで、これくらいにしときますwww

Re: 朝鮮の領土の東限2

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/02/11 14:19 投稿番号: [16337 / 18519]
  半月城様、Am I AHOです
>    結局、欝陵島と竹島=独島が朝鮮の東限から外れたからといって、それらが朝鮮領外を意味することにはなりません。水路部は、その部署の性格上、外国の正確な領土範囲を定める必要はなかったし、ひいては『朝鮮水路誌』にそのような内容を望むべくもありません。

  このことについては、更に精査する必要があります。
  外国の正確な領土範囲を定める必要が、本当になかったでしょうか。
  ご承知のように当時の日本は旧朝鮮に対して特殊な権益を有しておりました。
  旧朝鮮の領海に於いて自由に漁業ができたことも、その一つです。
  『朝鮮水路誌』は海軍水路部が著したものですが、一般に市販したいたものです。つまり、日本から遠く朝鮮領海に出漁する漁業者も購入して携えて行く性格のものです。
  そのため、領海内で自由に漁業を営むことが可能な日本と朝鮮以外の諸外国の水路誌とは区別して別に発行する必要があり、『寰瀛水路誌』発行後に1889年に日朝間で漁業条約が締結されたのを機に『朝鮮水路誌』に独立させて1894年に出版した経緯があるわけです。
  従いまして、『寰瀛水路誌』であればご指摘のように「外国の領土を定める必要がない」と云えるのかもしれませんが、その理屈をそのまま『朝鮮水路誌』に当てはめるのは強引すぎますし、当時の日本が旧朝鮮に有していた権益を勘案すれば、反対に朝鮮との漁業条約により合法的に漁業を営める範囲(=朝鮮領土)を明示したものと受け止めても宜しいのではないでしょうか。

Re: 『高麗史』 アップロード完了

投稿者: kkgwsthm 投稿日時: 2008/02/10 19:19 投稿番号: [16336 / 18519]
>もし私が彼の立場だったら、日韓間に領土問題は存在しないとして竹島は言及しません。HPに掲載しません。韓国領有論が薄弱である以上、頭の良い人ならそういう政策で行くはずです。実際韓国では今まで竹島問題を無視してきました。

実際、韓国の態度はそうやっているよね。
国際司法裁判所ばかりでなく一般の討論も逃げる
(最近の半月城氏はネットでも討論を逃げいてる)。

韓国国民には自国に不利な情報は流さない。
武力で竹島を占拠する。

以上のような行動は、理論的に竹島を自国領と証明できない韓国が
竹島を韓国領とするには理に適っている行動だと思います。

それ以外の方法では竹島を韓国領とすることができませんから。

ところで私の疑問として韓国政府は理論的にも竹島は韓国領土と
思っているのでしょうかね?

『高麗史』 アップロード完了

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/02/10 16:47 投稿番号: [16335 / 18519]
先日アップロードしたアメリカ人のエミリーちゃんを非難する韓国人ではないですが、下記は日本人を英語で罵倒しております。
http://www.youtube.com/watch?v=26qrnfDSSH0
キャプションではベトナム人(もしくは日本人)が韓国人のふりをして韓国を罵倒しているとありますが、彼等の発音を聞く限り100%韓国人です。目を見てもかの国の国民であることは間違いありません。

http://www.youtube.com/watch?v=z-WMd5rW1fc
上記動画ではロサンゼルス暴動に言及していますが、「chocolate people」というのは黒人に対する軽蔑語です。

鬱憤晴らしに文句を言うのは、短期的には良いかも知れませんが、長期的に見ると全く逆効果です。なぜならこれら動画サイトは、日本人のみならず他国民も視聴するからです。第三国の人が見ればどう思うかは想像するまでも御座いません。私は韓国人は非常に近視眼的だと思います。実際半月城氏はHPで竹島は韓国領と声高に叫んでおりますが、長期的に見れば全く韓国政府に対する売国行為です。なぜなら、彼が書けば書くほど日本側から証拠資料が提出され、日本側が理論武装するからであります。もし私が彼の立場だったら、日韓間に領土問題は存在しないとして竹島は言及しません。HPに掲載しません。韓国領有論が薄弱である以上、頭の良い人ならそういう政策で行くはずです。実際韓国では今まで竹島問題を無視してきました。そういった意味ではノムヒョン政権や半月城氏は日本側にとってよかったと思います。


さて、掲題の件ですが、『高麗史』を下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/koraishi-1452/


next, coming up
『日本外交文書』 18巻 534-5、573-6
『日本外交文書』 23巻 531、532、574-5
『日本水路史』海上保安庁S46   160-161
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
『陸軍省 大日記』
『皇城新聞』1900年9月23日
『皇城新聞』1906年5月9日
『皇城新聞』1906年7月13日
『大東新報』 1905年9月
『大韓毎日申報』 1905年9月22日
『大韓毎日申報』 1906年5月1日
『高麗史』(本日アップロード完了)
シリーズ「竹島の車窓から」米子編〜北九州編まで


竹島掲示板エンディングテーマ
「"安室奈美恵"と"浜崎あゆみ"のモノマネをする楊丞琳」
http://www.youtube.com/watch?v=izLXHWqZGn8
※各自音量を調整して下さい

宮本三平著 『日本全図』 アップロード完了

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/02/10 09:40 投稿番号: [16334 / 18519]
親日と言えば、以前紹介したレイニーヤンが中国でバッシングを受けたことをお伝えしましたが、
http://www.youtube.com/watch?v=odEyrC9K_bU&feature=related

「軍歌を歌うレイニー・ヤン」のビデオクリップで、ある中国人が
http://www.youtube.com/watch?v=uxX8jnF9V5E
他是講錯中國對日抗戰年數
到被日新聞播報出來
日本人覺得他很可愛
才很多人認識他 因禍得福
と、コメントしています。「因禍得福」は日本語に訳せば災い転じて福と成すということですね。

「日系美少女決選」なる番組では、レイニーヤンは日本語喋ってますね。彼女がカタコトながら日本語を喋るとは知りませんでした。
http://www.youtube.com/watch?v=Kq1cIqd2aeo

そこで、今週の竹島掲示板エンディングテーマが決まりました。


さて、掲題の件ですが、宮本三平著『日本全図』を下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/nihonzenzu-1877/


next, coming up
『日本外交文書』 18巻 534-5、573-6
『日本外交文書』 23巻 531、532、574-5
『日本水路史』海上保安庁S46   160-161
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
『陸軍省 大日記』
『皇城新聞』1900年9月23日
『皇城新聞』1906年5月9日
『皇城新聞』1906年7月13日
『大東新報』 1905年9月
『大韓毎日申報』 1905年9月22日
『大韓毎日申報』 1906年5月1日
『高麗史』
『日本全図』文部省・宮本三平著(本日アップロード完了)
シリーズ「竹島の車窓から」米子編〜北九州編まで


竹島掲示板エンディングテーマ
「"安室奈美恵"と"浜崎あゆみ"のモノマネをする楊丞琳」
http://www.youtube.com/watch?v=izLXHWqZGn8
※各自音量を調整して下さい

ニュー・ライトの竹島問題認識(2)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/02/09 21:51 投稿番号: [16333 / 18519]
<日本の二重的な独島政策を読む>

ニューライト・ドットコム   チェ・サムボンの韓半島ウォッチ
[ チェ・サムボン/ 2006-07-04 22:09 ]
http://www.newright.or.kr/read.php?cataId=nr01021&num=1763§ion=0


(続き)

  日本は、ソ連と国交を樹立した後、北方四島問題をずっと提起している。日本は実際に、大小の政策で常に領土問題解決を最優先の順位として経済問題と連携させて来た。ソ連は日本にとって「仮想敵国」だった。日本にとって北方四島問題は、日本の最大の安全保障問題だったのだ。

  日本はまた、独島問題を経済問題として見ている。独島周辺の漁業と海洋資原は経済問題であり、韓国とふたつに分ける妥協ができると思っている。実際に、今まで韓国と日本政府は、独島近海を共同操業地域にするなど決定的対立を避けて来た。

  独島問題に関して日本が一番憂慮するのは、韓国がアメリカとの同盟関係からはずれて金正日政権と連邦制または連合体を構成して日本と対立する状況だ。この場合、日本は、独島問題を安全保障問題に格上げするだろう。日本は、たぶん韓国に経済制裁とか自衛隊出動などの強制力を使う可能性が大きい。

  ノ・ムヒョン政府以前の韓国政府は、日本のこんな両面的な政策をよく理解して来た。これはキム・デジュン政府も同じだった。それで日本政府が独島を日本領土と主張すれば、一応抗議はするが適当に無視する「静かな外交」に一貫して来た。状況が変わらないからだ。ここで独島問題に対する私たちの対応方針が分る。日本の独島領有権主張は事新しいものではない。日本政府は 1965年の韓日修交以後、「韓国の実効支配」という現実を認めている。また、これを物理的に変えるつもりがない。

  だから私たちは、日本が今さら「ナショナリズム化した」と興奮する必要が全然ない。だからノ・ムヒョン政府に厳に警告する。仮にも、独島問題を大きくして地に落ちた民心を引き上げようと試みるなら、これは国を台無しにする仕業だ。もしこのようにして独島に国際的な耳目が集中されたら、国際司法裁判所に行く可能性が大きい。この場合韓国がとてもひどい目に会う。韓国は独島を奪われる状況は免れても、しなくても良い譲歩を追加しなければならないだろう。  

  領土紛争がある時、当事者ではなく第三者である国際社会が認めればこそ権利を確かにできる。日本は紛争地域化に備えて長年の歳月の間、幾多の人力と予算を投入して全世界から日本に有利な古資料と古地図を隅々まで集めている。   韓国の努力は日本の準備に比べれば全くないと言っても過言ではない。政府が日本に強硬対応する力があるなら、その予算と労力を専門家に回して世界が認めることができるように綿密な事前整地作業に努力を傾けなければならない。独島はもう実効支配しているので、事情が分からない国民の胸に火をつけるなということだ。重ねて強調するが、この問題を支持率回復と国内政治に利用したらこれは売国行為だ。歴史と国民が許さないだろう。

チェ・サムボン (国際政治評論家)

Re: 朝鮮の領土の東限2

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2008/02/09 21:17 投稿番号: [16332 / 18519]
大韓地誌についてですが、石島に関する記述はありません。
大韓地誌に付属する大韓全図にも石島はありません。于山という記述が鬱陵島
のすぐ右にありますが、これが竹嶼であるのは既に完全に確定済みです。(そ
れでも于山は竹島だという人はいるでしょうが、そういう「這っても黒豆」な人とは議論してもしょうがないのです。)
さて、大韓全図(http://toron.pepper.jp/jp/take/tizu/mapdaikan.html
ですが、鬱陵島も韓露国境もほぼ東経130度20分〜25分付近に描かれています。
当時日本が持っていた資料と比べても約30分西にずれています。
大韓全図は経緯度は入っていても実測図ではありませんから、この程度の誤差はやむを得なかったと思われます。
玄采は朝鮮の東端を東経130度35分としましたが、この値を採用した理由は分かりません。朝鮮水路志の鬱陵島の東経130度55分を採用したのでは自分たちの認識や大韓全図との齟齬が酷くて採用し難かったのかもしれません。
東経130度35分を採用しても、鬱陵島を含む朝鮮領土全体が含まれるのは明らかですから、大韓地誌内部で矛盾が生じることはありません。経度で10分程度の差なら誤差の範囲といえるでしょう。
地図を見れば、鬱陵島あるいは韓露国境が韓国の東端だと玄采が考えていたことは疑いようもありません。
なお、リヤンクール岩への領有意識など微塵もないことは本文中にも地図にも記載が無いことから明らかです。
地図の精度が上がった1905年前後からは、東経130度55分あたりを東端とする文献が殆どとなりますが、鬱陵島あるいは図満江河口を東端とする意識に
何ら変化はありませんでした。

ニュー・ライトの竹島問題認識(1)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/02/09 20:48 投稿番号: [16331 / 18519]
  以下に紹介するのは、この板で拝見する意見とは一味違う韓国人識者の竹島問題分析で、約1年半前に竹島近辺での海洋調査を巡って日韓両国が衝突しそうになったときに発表されたものです。




<日本の二重的な独島政策を読む>

領有権主張は続くが、韓国の実効支配は現実的に認定
盧武鉉政府が独島問題で支持率上昇を狙うなら売国行為

ニューライト・ドットコム   チェ・サムボンの韓半島ウォッチ
[ チェ・サムボン/ 2006-07-04 22:09 ] 照会数 : 826
http://www.newright.or.kr/read.php?cataId=nr01021&num=1763§ion=0


  政府が7月3日から17日まで独島周辺など東海海流の調査を実施する事にしたことについて、日本も独島周辺海流調査をすることで対応するようだ。韓日両国の間に再び衝突の危機が高まっている。この時点で一番重要なことの一つは、日本政府が独島問題をどう思っているのか、その本音を読解することだ。日本の本音をよく読めば、韓国の対応手順も適切に決めることができる。

  独島に関する日本政府の公式見解は、独島が歴史的に、国際法から見ても日本固有の領土というものだ。機会がある度に日本政府はこれを公式的に表明して来た。今後とも変わらないだろう。

  ここで我々が念頭に留めおくべきことは何か。日本政府は 1965年に韓日国交を樹立する時、韓国が独島を実効支配する現象を変更しようと考えなかった。日本国内で独島問題を提起する向きもあったが、当時の日本は、韓日間の他の問題を独島問題と一切関連させないで、韓国と友好協力関係を増進することに決めた。この方針は、日本国内選挙で多くの日本国民の支持を得て、現在まで続いている。すなわち、日本政府の独島政策は、領有権主張を続けるが、韓国が実効支配する当面の現実を無理には変えないという「二重的な立場」だ。

  日本は、韓国がアメリカとの同盟関係を維持する限り、二重的政策を変えないだろう。韓米日同盟が維持される限り、少なくとも独島問題は日本にとって安全保障問題ではない。日本が独島問題に対するとき海上自衛隊ではなく警察格である海上保安庁の艦艇を出動させるのはこのためだ。このことを分かっている韓国も、今まで海軍の艦隊を出動させないで海洋警察を送ったのだ。

  もし日本が独島に海自を派遣すれば、日米同盟条約のため米軍が参加することになっている。韓国海軍が自衛隊に反撃すれば、在韓米軍が自動介入することになる。こういう場合在韓米軍と駐日米軍が戦闘をする状況が起る。ありえないことだ。それでも日本が独島領有権の主張を撤回しないのは、可能性はとても小さいとしても、韓国が韓米同盟からすり抜けて仮想敵国になる状況のためだ。独島はどちらにとってもとても重要な海上軍事基地だ。


(続く)

Re: 護郡所管島はチュク島と石島

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/02/09 20:08 投稿番号: [16330 / 18519]
  統監府から照会を受けた韓国政府は、回答する材料としては勅令第41号しかないので、そのままを答えるしかなかったでしょうね。その結果、その説明の中には「独島」という島を管轄していることを窺わせる言葉はついに出てこなかったようです。

  回答文の原資料が見つかれば、よりはっきりすることでしょう。文章によるだけでなく、管轄範囲を示す地図の一枚くらいは添付してあったのではないかと思います。

Re: 朝鮮の領土の東限2

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2008/02/09 19:36 投稿番号: [16329 / 18519]
>結局、欝陵島と竹島=独島が朝鮮の東限から外れたからといって、それらが
>朝鮮領外を意味することにはなりません。水路部は、その部署の性格上、外
>国の正確な領土範囲を定める必要はなかったし、ひいては『朝鮮水路誌』に
>そのような内容を望むべくもありません。
>このように水路部は外国関係の水路誌ではその国の実際の領土にあまり拘泥
>せずに記述しました。その一方で『日本水路誌』では厳密に日本領だけを扱
>ったことはすでに堀和生氏が指摘したとおりです。
>その『日本水路誌』は、「竹島編入」以前には竹島=独島を『日本水路誌』
>には載せず、『朝鮮水路誌』にリアンコールト列岩の名で記載しました(注
>3)。これについて堀和生氏は「19世紀末に、日本海軍の水路部当局が竹
>島=独島を朝鮮領と認識していたことは、疑いのないところである」と断言
>しました(注4)。妥当な見解です。

「「水路部は、その部署の性格上、外国の正確な領土範囲を定める必要はなかったし、ひいては『朝鮮水路誌』にそのような内容を望むべくもありません。」と言っておきながら、「19世紀末に、日本海軍の水路部当局が竹島=独島を朝鮮領と認識していたことは、疑いのないところである」とは何事でしょうか。全く理解不能と言うよりありませんwww

Re: 朝鮮の領土の東限2

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/02/09 16:43 投稿番号: [16328 / 18519]
  半月城さん
>   ここで舩杉力修氏は誤りをおかしているようです。もし「朝鮮国の範囲、東限は東経130度35分」とするなら、その範囲に竹島=独島どころか欝陵島すら含まれません。欝陵島の西限は東経130度48分なので東限の130度35分からはみ出します。それにもかかわらず「朝鮮国の東限は鬱陵島」と決めつけるのは舩杉氏の明らかな誤謬です。

  同意します。でっち上げですね。
  舩杉氏は『朝鮮水路誌』に記された日本海中の朝鮮領土について、ナホトカ沖にあるワイオダ岩(水路誌では存在が疑われており、実際にも存在しない)が記載されていることを根拠にしていますが、これもかなりいい加減ですね。
  水路誌に記されたワイオダ岩の緯度経度とナホトカの緯度経度をざっと計算すると、80km以上(恐らく90km前後)南方沖に位置していたようです。
  ナホトカは朝露国境付近にありますので、ワイオダ岩までの距離としては、朝鮮からの方が少し遠くなる程度でしょう。
  もし実在していれば後世に朝鮮領土となったとしても何の不思議もないわけで、(ロシア領となっても不思議はありませんが)少なくともそのことを根拠に出来るとは到底思われません。
  もしかしたら舩杉氏は、朝露国境付近のナホトカではなく、遙か彼方カムチャツカ半島にあるナホトカと勘違いしているのでしょうか。

(参考)
『朝鮮水路誌』に記載されたワイオダ岩の位置
北緯41度14分30秒   東経137度14分

朝鮮領土の東限

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/02/09 16:42 投稿番号: [16327 / 18519]
1   日韓の資料は東限が一致する
   日本の朝鮮水路誌と朝鮮の大韓地誌は、一致して、大韓帝国の東限を東経130度35分としています。即ち、客観的には鬱陵島が東限であることを示しています。これは当然で、隣接する両国の国境線が一致するのは当たり前です。
  しかるに、大韓地誌が示す国境は、日本が作成した朝鮮水路誌を用いて大韓帝国領の限界を設定したから、その版図設定は有効ではない。という主張があります。これは、甘えに過ぎません。近代化に遅れを取った大韓帝国が、先進国である日本の信義と技術を信用して、日本が示した経度をそのまま使用したと認められる場合においても、その客観性を無視するのは如何かと思われます。

2   鬱陵島の経度は判明している
   大韓地誌にどの様に記載されているのか分りませんが、大韓新地誌と初等大韓地誌は鬱陵島の経度を「東経130度35分」と記しています。
   もし大韓帝国が、鬱陵島から92km離れた位置に独島を認識し、その領有を主張していたのであれば、大韓帝国の東限を「東経130度35分」とはしないでしょう。92kmという距離を考慮した経度を示す筈であり、例えば「131度52分」とするでしょう。
   この様に、判明している鬱陵島の経度に何らの加工を加えずに、大韓帝国の東限とした事実は、独島を意識していなかったことを意味します。

3   于山島が(鬱島の)東南に在る
   大韓新地誌等に「于山島が其の東南に在る」の文言が認められます。これを以って「独島が鬱島の東南に在る」と解する説があります。
   しかし、「東経130度35分」を限りとする鬱陵島の説明の中に存する文言であるのですから、この于山島は「竹嶼」と解するべきでしょう。「竹嶼は東北に在り東南ではない」という反論がありそうですが、これは木を見て森を見ぬ論法に過ぎません。又、北緯と東経を逆に記す誤記が明らかですから、東南も東北の誤記であるとも考えられます。



大韓地誌
   我大韓国の位置は、アジアの東部に在りて、支那の東北部に接し、日本海・黄海・渤海の間に突き出た半島国である。北緯33度15分に起り42度25分に至る。東経124度30分に起り130度35分に至る。・・・

大韓新地誌
   我国の位置は、アジアの東部に在りて、支那大陸の東北部に位置し、渤海・黄海・日本海の間に突出した縦長の半島国である。その極南(中略)・・・極東における我国接境は豆満江にして東経130度58分である。    (中略)
   鬱島(北緯130度45分至35分、東経37度34分至31分)
   古くは鬱陵島と称し、蔚珍から東に300余里に在る。又、羽陵島・武陵島・三峯島等と称することもあった。(中略)
   于山島が(鬱島の)東南に在る。

初等大韓地誌
   大韓帝国の位置は、アジアの東部に在りて、(中略)東経125度50分〜130度58分に位置する、その東限は慶尚北道鬱島郡鬱陵島である(中略)
   鬱   島:   古くは鬱陵島と称し、北緯130度45分至35分、東経37度34分至31分に在る。(中略)于山島が(鬱島の)東南に在る。

朝鮮水路誌
   朝鮮国は、アジアの東部に在り。その地勢たる狭長なる一大半島を成し、数多くの島嶼之を・・す。その位置は、北緯33度15分より同42度25分、東経124度30分より同130度35分に至る。全国の広さ、南北大約500里、東西180里乃至90里にして、その面積役80,000平方里・・・

朝鮮地理誌(大田才次郎編)
   朝鮮国は、アジア洲の東部に突出せる半島にして、北緯33度15分に起こり42度25分に至り、東経124度30分に起こり130度35分に終わる。東南は日本海に面し、・・・

朝鮮の領土の東限2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/02/09 15:50 投稿番号: [16326 / 18519]
   これについては後にふれることにし、ここで趣を変えて、朝鮮の東限問題について発言している島根大学・舩杉氏の意見を先にみることにします。同氏はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ③『朝鮮水路誌』。明治27年(1894)水路部刊行。・・・
   この史料では、第一編総論の形勢のところで、朝鮮国の範囲を記している。朝鮮国の
範囲、東限は東経130度35分と記している。『朝鮮水路誌』では、鬱陵島(中心)は東経
130度53分・リアンコートルト列岩(現在の竹島)は東経131度55分としていることから、
朝鮮国の東限は鬱陵島であり、現在の竹島は入っていないことが分かる(注2)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   ここで舩杉力修氏は誤りをおかしているようです。もし「朝鮮国の範囲、東限は東経130度35分」とするなら、その範囲に竹島=独島どころか欝陵島すら含まれません。欝陵島の西限は東経130度48分なので東限の130度35分からはみ出します。それにもかかわらず「朝鮮国の東限は鬱陵島」と決めつけるのは舩杉氏の明らかな誤謬です。
   そうなると、東限の130度35分という数値は、田川孝三が指摘したように欝陵島以外を基準にした可能性が強くなるので、もう少し『朝鮮水路誌』を熟読する必要があります。問題を解く鍵は、同書付属の地図「朝鮮沿岸海圖索引」と北限との関係にありました。

   当時、朝鮮の北限はあいまいでした。帰属がはっきりしない間島地方を朝鮮領とみるのかどうか、それにより北限の緯度は大きく変わります。しかるに『朝鮮水路誌』はそうした国境問題を避け、付属の「朝鮮沿岸海圖索引」にて中国との国境を描かずに空白としました。その上で朝鮮の北限を豆満江の河口におき、北緯42度25分としました。
   これは現在の北限である43度1分と比べてもかなり南になります。このように『朝鮮水路誌』が記した北限の数値は実際の領土の北限とは無縁なものになりました。

   そうした事情を明確にしたのが付属の「朝鮮沿岸海圖索引」でした。その地図で示された範囲と、上に記した東西南北端の緯度経度がほぼ一致します。ちなみに、その地図は欝陵島を含みません。豆満江の河口を東限にしたことが一目瞭然です。朝鮮の東西南北端として、その地図から目の子で緯度経度を5分単位で読み取った概略値を記したのでした。

   結局、欝陵島と竹島=独島が朝鮮の東限から外れたからといって、それらが朝鮮領外を意味することにはなりません。水路部は、その部署の性格上、外国の正確な領土範囲を定める必要はなかったし、ひいては『朝鮮水路誌』にそのような内容を望むべくもありません。
   このように水路部は外国関係の水路誌ではその国の実際の領土にあまり拘泥せずに記述しました。その一方で『日本水路誌』では厳密に日本領だけを扱ったことはすでに堀和生氏が指摘したとおりです。
   その『日本水路誌』は、「竹島編入」以前には竹島=独島を『日本水路誌』には載せず、『朝鮮水路誌』にリアンコールト列岩の名で記載しました(注3)。これについて堀和生氏は「19世紀末に、日本海軍の水路部当局が竹島=独島を朝鮮領と認識していたことは、疑いのないところである」と断言しました(注4)。妥当な見解です。

(注1)島根県立図書館『竹島資料10』所載
(注2)竹島問題研究会『「竹島に関する調査研究」最終報告書』2007年、P154
(注3)半月城通信<明治の国境画定機関の竹島=独島認識と『水路誌』>
  http://www.han.org/a/half-moon/hm103.html#No.754
(注4)堀和生「1905年 日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第24号,1987、P106

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

朝鮮の領土の東限1

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/02/09 15:48 投稿番号: [16325 / 18519]
   半月城です。
   前回書いたように、外務省は韓国領土の東限として『大韓地誌』などを引用して韓国への反論をまとめましたが、実はそれには種本がありました。それは「取扱注意」の警告印が押された田川孝三の論文「文献に明記された韓国領土の東極」です。
   田川孝三といえば『李朝貢納制の研究』でひとかどの業績をあげた学者ですが、かれは韓国の東限に関してこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「文献に明記された韓国領土の東極」
   地理学的知識の発達を見た極めて近時の文献に於いて朝鮮の領域を示せるものの中に、その東極を説明するものにつき 之を著述の時間的順序に従って挙げれば左の如くである。

一.大韓地誌
   本書は光武3年 学部職員たりし玄采の著述になり、学部編輯局長 李圭植の序あり、光武5年(明治34年 1901年)京城広文社より刊行され、更に9年(明治38年 1905年)二冊本として再刊された。その第一編第一課 位置幅員海岸の條に於いて説明して云う。
  ・・・・
   もとより本書の記述は簡易を旨とせるものであるから、すべて詳細なる記事は之を省き細些に及ぶことは避けてゐるのであるが、東経130度35分を東極端としてなしている。
   此の経度は果して陸地上の東端たる豆満江口○○○(判読困難)ものか、或いは又欝陵島を接するものか説明はないが、もし欝陵島を接するものとすれば130・35分は130度56分34秒が正確でなければならない。

二.韓国痛史 太白狂奴著 民国4年(大正4年)
   本書は日本の朝鮮統治に反対し その独立を企図せる者の一人により著わされしもので・・・・・(注1)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   田川孝三は、東限としての東経130度35分を欝陵島とすることに少し疑問を呈していたのでした。それにもかかわらず、外務省はその疑問を伏せ、ディベートに好都合な部分だけをピックアップして、東経130度35分という数値を韓国へ反論する際に四本柱のひとつとしたのでした。外務省は、よもや「取扱注意」の資料が後日外部へ洩れることはないと判断してそうした小細工を弄したのでしょうか。

   田川孝三は、玄采が東経130度35分なる数値をどこから引用してきたのかについては究明しなかったようです。これについて私は『朝鮮水路誌』から引用したのだろうと書きましたが、同書と『大韓地誌』の記述は朝鮮の範囲に関して下記のように一致します。
  東限は東経130度35分、西限は124度30分
  北限は42度25分、    南限は33度15分

   両書の数値が完全に一致するので、田川孝三の東限に関する見解はそのまま『朝鮮水路誌』にも当てはまります。つまり、東経130度35分は欝陵島ではなく、豆満江の河口を指すのかも知れません。
(つづく)

『重訂万国全図』 アップロード完了

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/02/09 13:08 投稿番号: [16324 / 18519]
私は先週、麻生太郎の「とてつもない日本」を読み終わり、現在は同著の「自由と繁栄の弧」を読んでいます。基本的にはこの2冊は、以前紹介した「英語でしゃべらナイト」正月スペシャルのローゼン閣下と同じ内容ですが、今読んでいる本の方がレベル高いです。順番としては、「英語でしゃべらナイト」正月スペシャルを見て麻生太郎の概要を知り、「とてつもない日本」で基礎知識を得て、そして最後に「自由と繁栄の弧」を読むと良いと思います。彼も私や小泉さんと同じで「親米保守」です。

親米の日本人もいれば、当然親日のアメリカ人もいます。今日紹介するエミリーちゃんは日本語が凄く上手です。日本語で喋る彼女を見た韓国人が罵声を浴びせています。
http://www.youtube.com/watch?v=d0roOYtolZ8&feature=user

エミリーちゃんがよく動画投稿しているのに対し、あるニューヨーカーが返答しています。彼はめちゃくちゃ面白いですね。
http://www.youtube.com/watch?v=ehFy8ZOTAk0&NR=1
「僕はこの顔でビデオ出てるよ」「君達もサムライの血が流れてるでしょ!」ってとこが特に面白かったです(笑)。

そこで、今週の竹島掲示板エンディングテーマが決まりました。


さて、掲題の件ですが、山路諧孝著『重訂万国全図』を下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/jyuteibankokuzenzu-1855/
「アルゴナウト島即ち竹島」「ダゲレト島即ち松島」と記述があり、これら2島とも日本と同じ色で着色されております。


next, coming up
『日本外交文書』 18巻 534-5、573-6
『日本外交文書』 23巻 531、532、574-5
『日本水路史』海上保安庁S46   160-161
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
『陸軍省 大日記』
『皇城新聞』1900年9月23日
『皇城新聞』1906年5月9日
『皇城新聞』1906年7月13日
『大東新報』 1905年9月
『大韓毎日申報』 1905年9月22日
『大韓毎日申報』 1906年5月1日
『高麗史』
『日本全図』文部省・宮本三平著
『重訂万国全図』(本日アップロード完了)
シリーズ「竹島の車窓から」米子編〜北九州編まで


竹島掲示板エンディングテーマ
「博多って何?」
http://www.youtube.com/watch?v=0m4OcgIP9Ic&mode=related&search=

Re: 石島=独島説の秘密2

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2008/02/09 12:13 投稿番号: [16323 / 18519]
>原議の所在ならともかく、官報自体が公開を目的とするものですから、印刷配布された官報が韓国内に存在しなかったと言う方が滅茶苦茶です。

仰るとおりです。ですから、私はアホ様に二つのことを主に申し上げたわけでした。第一に、1947年当時の島民が「トクソム」と独島を呼称したという話はどこにも出ていないこと。第二に、官報は、1965年以降にはじめて明らかになった文書ではないはずである、ということ。

この二点です。

これにあわせて、一歩進んで、1947年の調査は1948年の建国での独島編入にむけた作業であったことに言及し、もとより、方教授の発言がいきなり石島方言説を提示することにいぶかしさも感じて、官報の「石島」勅令は、すでに把握されていた可能性を排除すべきではない、ということを申し上げた次第でした(可能性は高くはないにしても)。

Re: 石島=独島説の秘密2

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2008/02/09 10:15 投稿番号: [16322 / 18519]
ahirutousagi2様。

>>3.1965年以降、旧朝鮮の公文書を日本から韓国政府に返還する道が開けた。
>>4.返還文書の中から勅令第41号が発掘され、独島は石島であったことが裏付けられた。

>大韓帝国官報は1965年に至ってはじめて日本から返還された文書であるのか
>どうか。です。もとより韓国側(建国以前の連合司令部も含めて)に資料は
>存在しなかったか。


原議の所在ならともかく、官報自体が公開を目的とするものですから、印刷配布された官報が韓国内に存在しなかったと言う方が滅茶苦茶です。

Re: 測量の実施と地図の証拠能力

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2008/02/09 06:56 投稿番号: [16321 / 18519]
>地図に関しては、以下の2つの議論が混同されてるね。
>・地図は権原の証拠にはならない。つまり、実効支配の証拠にはならない。
>・島の特定(同一性)に関しては証拠能力がある。
>前者の場合、自国領との意識のもとに自国領土として測量され法規類に添付
>された地図の場合は証拠になる。後者については、実測の結果であることも
>正確性もそれほど要求されてない。これは、パルマスの判例をよく読めばわ
>かるんだけどな。
>あと、例え自ら実測してなくても、抗議もせずその地図や他国の測量の結果
>に基づいて行動してた場合、その地図等に瑕疵や錯誤があったとしても証拠
>になるとプレア・ビヒア寺院の判例にある。フランスが条約とは異なる線引
>きの地図を作成し、後々その地図の間違いが発覚した。しかし、判決では、
>「地図に錯誤があったとしても、その地図に文句を言ってないだろ?今更、
>言っても遅い」とされた。
>だから、朝鮮の緯度経度範囲について、日本の情報を抗議もせずに受け入れ
>ていた時点で、「島が韓国領でなかったとする証拠」になる可能性はおおい
>にあるでしょうな。

henchin_pokoider01様こんにちわ。
石島についてですが、石島が現在のどこの島であるかなんて、ズバリ記載されている地図や経緯度が出てこない限り誰にも判らないことです。
ところで、石島=独島なんて推測でしかありません。一方、数々の文献は東経130度35分〜58分に朝鮮の東端を置いていますが、これは現実です。
民間人が勝手に言っていることだから国家意志ではないというのが韓国の態度ですが、あれだけの文献、しかも日本の文献も朝鮮の文献も含んで、が一貫して竹島を韓国領から除外しているというのは、やはり事実がそうだったのだとしか考えようがありません。
山ほどある文献証拠に対して推測で対抗するなどB29を竹槍で落とそうとするようなものです。
石島=独島なんて勝手に言わせておけばいいのですが、未だに朝鮮政府による実行支配の証拠が何一つ見つからないのはどうしたことでしょうか。
実行支配の証拠が見つからず、独島が朝鮮の版図外という文献が山積みでは、
「発音が似ている」など論ずるに足りません。

Re: 護郡所管島はチュク島と石島

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2008/02/09 05:42 投稿番号: [16320 / 18519]
chaamiey様こんにちわ。
極東亜細亜研究所の成果に注目しています。
解読はいよいよ正確さを増し、内容はほぼ間違いないところまで来たようですね。本当に凄いと思います。
該記事が出た背景は、chaamiey様が想像しているあたりだと思います。
そうでなければこんな記事が唐突に現れるわけがありません。

Re: >Re: 『西溪雑録』と『臥遊録』の記事

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2008/02/08 22:49 投稿番号: [16319 / 18519]
ararenotomoさん

  >>これは、yabutarou01さんが述べられたように、朝鮮半島から欝陵島の木々や山々の状態がはっきりとわかる、とした最初の記事と思います。後の「竹島一件」に際し、領議政南九萬は1694年9月「本島峰巒樹木自陸地歴々望見 - −載於我国輿地勝覧書」と書き、宗氏の竹島日本領説に反駁しました。

うーん。。。私は南九萬が「自陸地歴々望見」と言っているということは『新筯東國輿地勝覧』の、

于山島欝陵島一云武陵一云羽陵二島在縣正東海中三峰岌業空南峯稍卑風日清明則峯頭樹木及山根沙渚歴歴可見

の「可見」が朝鮮半島から于山島と欝陵島の二島を見たものであるとしか解釈できない。したがって『西溪雑録』と『臥遊録』の『欝陵島』の、

于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見

も朝鮮半島から于山島を見たと解釈すべきである。
竹島=独島は朝鮮半島から見えない以上『新筯東國輿地勝覧』の于山島も『西溪雑録』と『臥遊録』の『欝陵島』の于山島も竹島=独島のことであると見なすことができない。
このように訴えたかったわけですが、理解していただけましたでしょうか。。心配です。。。

Re: 石島=独島説の秘密2

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2008/02/08 22:08 投稿番号: [16318 / 18519]
あらためて該当の文章を読んでみましたが、

>1;方教授の文章が、どうにも突拍子がない印象があること。

と書いた部分。訂正します。さほど、突拍子がない、というほどでもないですね。読み返してみると、普通に、語源について述べている感じでした。

失礼いたしました。また、教授が1947年の時点で勅令を見ている可能性ですが、私は可能性は排除すべきでないと思っていますが、その可能性が薄いのも事実でしょうね。

一歩退いて、再考してみることにします。

Re: 石島=独島説の秘密2

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2008/02/08 21:51 投稿番号: [16317 / 18519]
私の理解は、やぶ太郎様とは別物です。誤解を与えて申し訳ありません。
私の理解は私の理解としてお考え下さい。

1;方教授の文章が、どうにも突拍子がない印象があること。
2;この調査の1年後に単独政府が独島を鬱陵郡に編入していること。
3:大韓帝国官報が非公開の資料ではなかった可能性を充分に想定しうること。

私が申し上げているのは、このことだけです。やぶ太郎様の論旨とはまったく関係がありません。

>勅令41号の石島が独島と関係があるという主張は1960年代か1970年代の研究で生まれたものであるということになっていたと記憶しています。

それ以前に単独政府側が資料を確保していたとしても何ら不思議には思いません。

Re: 石島=独島説の秘密2

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2008/02/08 21:24 投稿番号: [16316 / 18519]
ahirutousagiさん


  >>知られていたとしても何ら不思議はないと思います。そして、知っていたと考えるほうが、方教授の発言は、自然です。大韓民国単独政府樹立に伴う竹島の編入を考えても、それなりの後付は準備したとしても何ら不思議はありません。そのために、1947年に調査がなされたわけで。



勅令41号の石島が独島と関係があるという主張は1960年代か1970年代の研究で生まれたものであるということになっていたと記憶しています。
私は方教授の石島と独島との関連についての説に何らかの作為があったと主張しているわけではありません。そのように判断する証拠を持っていません。
あくまでも愼𨉷廈氏が方教授の説と口裏を合わせるために全羅道出身者過半数説をでっちあげてそれが現在韓国で唯一絶対の説になっていることを問題にしているわけです。

Re: 瓮島がドクト

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2008/02/08 19:37 投稿番号: [16315 / 18519]
take_8591 さん


あれこれ手を尽くして検索みたところ、かろうじて一つだけソースを発見しました。

独島の島名前に対する三種類お正月がある.一つは島模様が毒(瓮)を伏せておいたように生じたと言ってドックソム,島全体が岩になっていると言ってドルソムが石を毒で発音する慶尚道なまりでドックソム,茫々たる大海にさびしく湧いていると言ってドックソムが独島(独島)で漢文表記したということが史学者崔南善(崔南善), (申〓鎬)のお正月だ.

http://209.85.175.104/search?q=cache:bQNOzn757ucJ:www.yj-capit al.com/board_write.asp%3FPK_ID%3D36%26kind%3D1%26writeType%3DDelete+%EC%8B%A0%EC%84%9D%ED%98%B8%E3%80%80+%E7%93%AE&hl=ja&ie=UTF-8


甕島由来説は瓮島由来説の誤りでした。唱えたのは崔南善のようです。

Re: 石島=独島説の秘密2

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2008/02/08 19:32 投稿番号: [16314 / 18519]
アホ様。有難うございました。

アホ様は、大韓帝国官報が、1965年以降、日本から返却されるまで韓国には存在しなかったという理解ですが、私は、これについて疑問を呈したわけでした。

>そのような当時の事情を勘案し、勅令の記述は知られていなかったと判断して差し支えなかろうと考えたわけです。

知られていたとしても何ら不思議はないと思います。そして、知っていたと考えるほうが、方教授の発言は、自然です。大韓民国単独政府樹立に伴う竹島の編入を考えても、それなりの後付は準備したとしても何ら不思議はありません。そのために、1947年に調査がなされたわけで。

>もし知っていれば「石島」以外の説が命脈を保ち続けるのは不自然ですし、ましてや日本の主張に対抗するつもりがあったのならばより「最善」(笑)を尽くすでしょう。

石島が方言でトルソム・トクソムに由来すると言う話は、ある意味では荒唐無稽にしか思われていないかったのでしょう。実際、荒唐無稽だと思いますが。まともに議論されるようになったのは、あとのことでしょう。

Re: Re: 石島=独島説の秘密1

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2008/02/08 19:23 投稿番号: [16313 / 18519]
アホ様。どうも有難うございました。

>藪太郎さんご紹介のサイトにあった方教授の紀行文(下記訳文参照)とされる部分を見て、現地住民を調査した結果観察されたのだと解釈しました。洪氏の証言とされる部分だけを問題にすれば、ご指摘のように「トルソム」と呼んでいたのかもしれませんが、他の住民の中には「トクソム」と呼んでいた者も観察されたのだろうと思われます。

要するに、当時「トクソム」と呼ぶ人がいたというのは、あくまでもアホ様の推測であるわけですね。了解いたしました。引用文にはそのように住民が呼んでいたという記述はありません。

測量の実施と地図の証拠能力

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/02/08 16:16 投稿番号: [16312 / 18519]
地図に関しては、以下の2つの議論が混同されてるね。
・地図は権原の証拠にはならない。つまり、実効支配の証拠にはならない。
・島の特定(同一性)に関しては証拠能力がある。

前者の場合、自国領との意識のもとに自国領土として測量され法規類に添付された地図の場合は証拠になる。後者については、実測の結果であることも正確性もそれほど要求されてない。これは、パルマスの判例をよく読めばわかるんだけどな。

あと、例え自ら実測してなくても、抗議もせずその地図や他国の測量の結果に基づいて行動してた場合、その地図等に瑕疵や錯誤があったとしても証拠になるとプレア・ビヒア寺院の判例にある。フランスが条約とは異なる線引きの地図を作成し、後々その地図の間違いが発覚した。しかし、判決では、「地図に錯誤があったとしても、その地図に文句を言ってないだろ?今更、言っても遅い」とされた。
だから、朝鮮の緯度経度範囲について、日本の情報を抗議もせずに受け入れていた時点で、「島が韓国領でなかったとする証拠」になる可能性はおおいにあるでしょうな。

Re: 石島=独島説の秘密2

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/02/08 09:22 投稿番号: [16311 / 18519]
  家鴨と兎さん
>というわけで、どうも分からんなぁ、と思っているところです。

  完璧に100%正しいなどとはお互い考えていないなかで、探求すると云うことで宜しいのではないでしょうか。
  日本政府から領有主張が為される大分以前の話ですし、藪太郎さんからもご指摘の通り、独島の語源については大きく3つの説があったわけですよね。
  そのような当時の事情を勘案し、勅令の記述は知られていなかったと判断して差し支えなかろうと考えたわけです。
  もし知っていれば「石島」以外の説が命脈を保ち続けるのは不自然ですし、ましてや日本の主張に対抗するつもりがあったのならばより「最善」(笑)を尽くすでしょう。

Re: Re: 石島=独島説の秘密1

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/02/08 09:12 投稿番号: [16310 / 18519]
  家鴨と兎さん
>1947年時点で、独島が'Dok seom'と呼ばれたと言う証言はどこにあるのでしょうか。私が見たところ、パンジョンヒョン教授の文章にはそういう記述はありませんでしたが。

  藪太郎さんご紹介のサイトにあった方教授の紀行文(下記訳文参照)とされる部分を見て、現地住民を調査した結果観察されたのだと解釈しました。洪氏の証言とされる部分だけを問題にすれば、ご指摘のように「トルソム」と呼んでいたのかもしれませんが、他の住民の中には「トクソム」と呼んでいた者も観察されたのだろうと思われます。
  『私は最後に、或いはこの島の名が『石島』の意から来たのではないかと考える。これは「トルソム」または「トクソム」の二通りに呼べることなので、ここでの問題は、獨島の外形が全て石で出来ているように見えることと、また「トル」をどの方言で「トク」とするのかを解決すれば、この「石島」と云う名称が極めて近い解釈になるであろう。』

Re: 自陸地歴々望見

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/02/08 08:52 投稿番号: [16309 / 18519]
自説(ウリナラ国際法)の証明を放棄して、脳内勝利宣言ですか。
相応しい最後です。

Re: 石島=独島説の秘密1

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2008/02/08 02:47 投稿番号: [16308 / 18519]
だから無駄だってw
文章読解能力が欠片もないんだからw

>Re: 『西溪雑録』と『臥遊録』の記事

投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2008/02/07 23:34 投稿番号: [16307 / 18519]
yabutarou01さん

>ararenotomoさんがこの説明で納得していただけないのは残念ですし、私が自分の都合のよいような解釈をしているとお考えならば悲しくさえあります。。

私は、yabutarou01さんの文章にはよく分からないところもありますが、「一般論としてはyabutarou01さんのお考えと殆んど同じです。」と書きました。ただし、yabutarou01さんの説明で納得できないことに対して、私の考えを述べました。それがyabutarou01さんに悲しみを与えてしまったなら、私の真意ではありません。お詫びします。

納得できなかったことの一つは、「盖二島去此不甚遠一ハン(馬の右に風)風可至于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見欝陵稍峻風浪息則尋常可見」の解釈です。「盖二島 - - 風可至」の解釈はyabutarou01さんと同じですが、「于山島 - - 不可見」に関して、yabutarou01さんは、于山島を竹嶼とし、「此(寧海)」から見たとのお考えのようですが、寧海近くの朝鮮半島から竹嶼を見るには10000m以上の高さが必要です(No.16125)。従って私は、欝陵島から見たとは書いてありませんが、上記の文は「欝陵島地誌」の記事ですから、この于山島は海気が極めて晴朗ならば欝陵島の最高頂に登って見ることのできる獨島=現竹島、と解釈しました。「欝陵稍峻風浪息則尋常可見」は、朝鮮半島の高所から見たのであれば、yabutarou01さんが述べられたように(No.16079)、波の状態如何で見えやすさが変化するはずがありませんから、海上から欝陵島を見たと解釈しました。

二つ目は、「欝陵島地誌」冒頭の「欝陵或曰武陵亦曰羽陵登高望之三峰岌ゲフ(山の下に業)タウ(手偏に掌)空而南峰稍低日初出時風恬浪靜則衆峰サン(手偏に賛)青岩壑呈露沙汀樹木歴々可指」で、私は最初、「登高望之」が「沙汀樹木歴々可指」まで係ると解釈していました。しかし、ahirutousagi2さんとyabutarou01さんのご指摘により、「日初出時風恬浪靜則 - - 沙汀樹木歴々可指」は、海上から見た欝陵島の景観が相応しいと思い、前説を撤回しました。そこで、同様な表現である『新筯東國輿地勝覧』の「峯頭樹木及山根沙渚歴歴可見」も、朝鮮の人々は欝陵島にしばしば渡航していましたから、私は、欝陵島に上陸し或は近くの海上から見た欝陵島の景観を描写したものと解釈しました(No.16154)。

yabutarou01さんはNo.16180で、これに関連する重要な資料、鵝溪李山海(1539〜1609)の「蔚陵島説」を紹介されました。「海氣澄朗則自嶺東望之如一后蒼烟横抹於水天之間獨眞珠府與此島最爲相對故行人之登召公臺者或見其林木岡巒之状了了然可辨以此知不甚遠也」の記述は大変興味があります。yabutarou01さんが的確に訳されたように、「海氣澄朗ならば嶺東より欝陵島を望めば厚い蒼烟の如く水天の間に独り横たわり、眞珠府(三陟)はこの島が最も対峙している(最も近い?)故に召公臺(三陟にある高台の地名)に登ると林木岡巒の状がはっきりとわかるので甚だ遠くないと判断できる」と書かれています。

これは、yabutarou01さんが述べられたように、朝鮮半島から欝陵島の木々や山々の状態がはっきりとわかる、とした最初の記事と思います。後の「竹島一件」に際し、領議政南九萬は1694年9月「本島峰巒樹木自陸地歴々望見 - - 載於我国輿地勝覧書」と書き、宗氏の竹島日本領説に反駁しました。これをうけ、宗義真の近臣陶山庄右衛門は賀島兵助宛に次のように書き送りました「竹島之儀日本之地を去る事百六拾四里、朝鮮之地よりは樹木磯際迄相見へ、誠に朝鮮に屬候」(『竹島文談』日本経済叢書13, 1915)。竹島日本領説の破綻は、欝陵島について殆んど知らないまま、日本領化を謀った当然の帰結でしょう。

なお、三陟市から鬱陵島は微かにしか見えないようです。
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/12/mid-1700s-haedong-chongdo-gangwondo.html

yabutarou01さん、大変興味深い資料の紹介を有難うございました。私は単なる地理マニアに過ぎませんが、またいろいろとご教示ください。

>Re: 『地理志』二島を本土から見ていない

投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2008/02/07 23:26 投稿番号: [16306 / 18519]
husenoyajiさん

ご意見を有難うございます。少し理解し難いところもありますが、私なりの理解でお答えいたします。

>>『世宗実録地理志』では、「相」を本土からの距離をしめすときに使う必要はないようです。それにもかかわらず、「二島相去不遠風日芿明則可望見」とわざわざ「相」を入れたのは、「二島(于山と武陵)はお互いに相去ること遠くなく、風日清明ならば望み見ることができる」と、二島の間だということを明確に示すため、「相」を使ったと思います。
>思うのは自由ですが、積極的根拠は陸地をが省かれているというだけですよね。相去るというだけで、距離をしめすのではないですか。

「相」は「お互いに」の意味ですから、「二島相去不遠」は、二島(于山と武陵)はお互いに去ることが遠くない、即ち、「相去る」は二島の間の距離を示し、二島と本土の間の距離ではない、と解釈します。『世宗実録地理志』の「于山武陵二島在縣正東海中(以下分註)二島相去不遠風日芿明則可望見」には、「二島在縣正東海中」とありますが、Am_I_AHO_1stさんが言われたように(Nos.16158, 16164)、二島が蔚珍縣の東の海中に在るということを示しているだけで、二島と本土の間の距離を示すとの積極的根拠は無いように思います。さらに『高麗史地理志』では、欝陵島は、「在縣正東海中」として一島説により詳しく説明した後に、「一云于山武陵本二島相距不遠」は一説として末尾に挿入されています。従ってこれから、二島と本土の間の距離を示すとは読めないでしょう(No.16154)。

>私は、世宗実録と、東國輿地勝覧をワンセットで考えています。なぜなら、AHOさんにご教示いただいたところでは、編者が同一人物なんです。三峯島探検のあとに、いわば決定打として、出たのが東國輿地勝覧なんです。

『世宗実録地理志』は1424年に編纂が開始され1454年に完成しました。一方、『東國輿地勝覧』は1481年に完成しましたが、これは伝わらず、現存するのは1531年版です(内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社, 2007)。「編者が同一人物」?

>相を二島がお互いだとすると、東國輿地勝覧では海上からだとするのは矛盾です。同じ編者なんですから、より詳しく書いたと考えるのが当然です。

『世宗実録地理志』と『新筯東國輿地勝覧』は同じような地誌ですが、別の書ですから書き方・内容が違うのは当然ではないでしょうか。

>二日可到も、本土でなくお互いだと考えるのですか?

No.16155 で述べたように、『新筯東國輿地勝覧』欝陵島記事の「三峰岌ゲフ(山の下に業)タウ(手偏に掌)空南峯稍卑風日清明則峯頭樹木及山根沙渚歴歴可見風便則二日可到」で、本土からの距離を明記した部分は「風便則二日可到」と考えています。

>接近した海上から強く印象にのこるのは、まず断崖絶壁です。それを書かずに、樹木や渚のことを書くのは、変ですね。

欝陵島の海岸を、『西溪雑録』と『臥遊録』の「欝陵島地誌」では、「自稱壬辰之亂俘」の僧は「皆壁立萬仞」と語り、yabutarou01さんが紹介された(No.16180)『臥遊録』「蔚陵島説」では、「四面皆蒼岩鐵壁」と書いていますが、何を書くかは人それぞれによって異なるでしょう。

>私の想像は、古代の于山島は鬱陵島のことだが、行ってみると別の島が直近にあるので、これに比定して于山島をあてたのだと思います。獨島を見て于山島だと考えた人も居る可能性はありますが、普通は見えませんので、近傍の島を比定してしまったのだと考えます。

同感です。私の言いたかったのは正に、「古代の于山島は鬱陵島のことだが、行ってみると別の島(竹嶼)が直近にあるので、これに比定して于山島をあてた」人や、「獨島を見て于山島だと考えた人も居る」ということです。そして『地理志』の「二島相去(距)- -」は後者の見解を記したものと思います。husenoyajiさん有難うございました。

Re: 石島=独島説の秘密2

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2008/02/07 21:46 投稿番号: [16305 / 18519]
アホ様。ついでにもう一つ教えていただけませんか。よく知らないので何か資料でもあれば助かるのですが…。

>3.1965年以降、旧朝鮮の公文書を日本から韓国政府に返還する道が開けた。
4.返還文書の中から勅令第41号が発掘され、独島は石島であったことが裏付けられた。

大韓帝国官報は1965年に至ってはじめて日本から返還された文書であるのかどうか。です。もとより韓国側(建国以前の連合司令部も含めて)に資料は存在しなかったか。

ついでに申し上げれば、すでに指摘されていますが、1947年の総合学術調査は、もともと独島を大韓民国に所属させるための調査であったものと考えて差し支えないものと思われます。

1年後、1948年8月15日の大韓民国単独政府樹立と同時に「独島」に慶尚北道鬱陵郡南面ドトン1番地を付与して行政処置を行っていますから。

私は個人的には、1947年8月の調査時点で李承晩側では官報41号「石島」の記述をすでに把握していた可能性はあるように感じています。学問の世界で公にこのことが知られるようになったのはあとであったとしても。

そう考えれば、パンジョンヒョン教授の発言も、納得ができます。というか独島という名前を聞いて「これは石島から方言で音が変わったもの」と何ら資料もなしにいきなり意見を述べるというのは、どうでしょう。その可能性もあるのではないか、という程度の記述ならともかく、文章があまりに断定的です。

というわけで、どうも分からんなぁ、と思っているところです。

Re: 瓮島がドクト

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2008/02/07 21:30 投稿番号: [16304 / 18519]
take_8591さん

>最後が甕島由来説です。甕とはかめ・つぼという意味であり古い韓国語で"dok"と発音します。鬱陵島から見た竹島=独島が甕を横にした上半分の形に似ていることからdok島と呼ばれるようになり、音を取って独島と書いたとする説です。
この説は、誰が何時、唱えられたものなのでしょうか。

確か1950年代か1960年代に李漢基氏が述べたと竹島関連の本に書いてあったと記憶しています。
どなたか詳しく御存知の方がいらしたら教えてください。
古い説なのでネットソースがなかなか見つからないんですよ。。

ただ1948年に“Patriotic Old Men’s Association”なる団体がダグラス=マッカーサーに送った、竹島が韓国領であると主張する内容の手紙があります。

Japan, however, never dismiss the fishing profit around the island “Ulneungdo”, but planned to occupy a corner of it by some means and became to find out a small island called “Docksum” in Korean name, meaning a small pot-shaped island, near the Uleungdo where whales gathered

「独島とは小さなポットの形をした島という意味である」とあります。これは甕島由来説を指していると思います。

三つめの画像
http://www.geocities.com/mlovmo/page30.html

  >>また、ゲーリー氏は、1794年の検察報告に付き、次の解説をしています。何か、関連性はあるのでしょうか。
   http://www.occidentalism.org/?p=361
   報告では又、そこから3つの島が見える、とあります。最北は防牌島で、これが現在の観音島だったと思います。中央の島は竹島(Jukdo)で、ほぼ間違い無く現在の竹島(Jukdo)でしょう。南東の楮田洞のすぐ東沖にあったのは瓮島で、意味は甕島です。純粋な韓国語では、瓮島はDokseomと発音し、中国系韓国語発音では “Dokdo”となります。

韓国にはこの「瓮島」を音が同じだから竹島=独島であるとする説があります。まあどう考えても間違いですが。。

Re: Re: 石島=独島説の秘密1

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2008/02/07 21:19 投稿番号: [16303 / 18519]
アホ様。すみません、よく分からないのですが、もしもよろしければ教えていただけませんか。

>一般的にはその通りですが、この場合は1947年の現地調査で実際に現地の住民が独島を'Dol seom'または'Dok seom'と呼んでいたことが観察されたわけですね。
  'Dok seom'も一般的な用法でしょうか。

1947年時点で、独島が'Dok seom'と呼ばれたと言う証言はどこにあるのでしょうか。私が見たところ、パンジョンヒョン教授の文章にはそういう記述はありませんでしたが。

呼ばれた可能性があるとすれば、洪氏の証言に従って'Dol seom'ということになりますが、これはやぶ太郎さんも仰るように、普通に通用する、一般名詞と考えていいでしょう。

Re: Re:Re: Re:石島=独島説の秘密1

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2008/02/07 20:42 投稿番号: [16302 / 18519]
Am_I_AHO_1st さん


  >>勅令に「石島」と書いてあることが広く知られるようになるのは、ずっと後のことなので、故方鐘鉉教授の説が後世の研究により裏付けられたと解釈できるかもしれませんね。
 
これを「後世の研究により裏付けられた」と解釈するか、「単に都合のよい主張をしているだけ」と解釈するかは鏡の裏と表のようなもので他に判断材料がない以上見る人の立場によって解釈が替わっても仕方がない部分はあります。
ただ少なくともこのような曖昧な主張を領有権の根拠として持ち出すべきではないと私は考えます。

まあとりあえずでっち上げはやめてほしいものです。。。

瓮島がドクト

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/02/07 17:09 投稿番号: [16301 / 18519]
>最後が甕島由来説です。甕とはかめ・つぼという意味であり古い韓国語で"dok"と発音します。鬱陵島から見た竹島=独島が甕を横にした上半分の形に似ていることからdok島と呼ばれるようになり、音を取って独島と書いたとする説です。


   この説は、誰が何時、唱えられたものなのでしょうか。

   また、ゲーリー氏は、1794年の検察報告に付き、次の解説をしています。何か、関連性はあるのでしょうか。
   http://www.occidentalism.org/?p=361
   報告では又、そこから3つの島が見える、とあります。最北は防牌島で、これが現在の観音島だったと思います。中央の島は竹島(Jukdo)で、ほぼ間違い無く現在の竹島(Jukdo)でしょう。南東の楮田洞のすぐ東沖にあったのは瓮島で、意味は甕島です。純粋な韓国語では、瓮島はDokseomと発音し、中国系韓国語発音では “Dokdo”となります。
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   瓮(へ・もたい)とは、「酒などを入れる容器。瓶(かめ)。」のことです。
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