朝鮮の領土の東限1
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/02/09 15:48 投稿番号: [16325 / 18519]
半月城です。
前回書いたように、外務省は韓国領土の東限として『大韓地誌』などを引用して韓国への反論をまとめましたが、実はそれには種本がありました。それは「取扱注意」の警告印が押された田川孝三の論文「文献に明記された韓国領土の東極」です。
田川孝三といえば『李朝貢納制の研究』でひとかどの業績をあげた学者ですが、かれは韓国の東限に関してこう記しました。
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「文献に明記された韓国領土の東極」
地理学的知識の発達を見た極めて近時の文献に於いて朝鮮の領域を示せるものの中に、その東極を説明するものにつき 之を著述の時間的順序に従って挙げれば左の如くである。
一.大韓地誌
本書は光武3年 学部職員たりし玄采の著述になり、学部編輯局長 李圭植の序あり、光武5年(明治34年 1901年)京城広文社より刊行され、更に9年(明治38年 1905年)二冊本として再刊された。その第一編第一課 位置幅員海岸の條に於いて説明して云う。
・・・・
もとより本書の記述は簡易を旨とせるものであるから、すべて詳細なる記事は之を省き細些に及ぶことは避けてゐるのであるが、東経130度35分を東極端としてなしている。
此の経度は果して陸地上の東端たる豆満江口○○○(判読困難)ものか、或いは又欝陵島を接するものか説明はないが、もし欝陵島を接するものとすれば130・35分は130度56分34秒が正確でなければならない。
二.韓国痛史 太白狂奴著 民国4年(大正4年)
本書は日本の朝鮮統治に反対し その独立を企図せる者の一人により著わされしもので・・・・・(注1)。
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田川孝三は、東限としての東経130度35分を欝陵島とすることに少し疑問を呈していたのでした。それにもかかわらず、外務省はその疑問を伏せ、ディベートに好都合な部分だけをピックアップして、東経130度35分という数値を韓国へ反論する際に四本柱のひとつとしたのでした。外務省は、よもや「取扱注意」の資料が後日外部へ洩れることはないと判断してそうした小細工を弄したのでしょうか。
田川孝三は、玄采が東経130度35分なる数値をどこから引用してきたのかについては究明しなかったようです。これについて私は『朝鮮水路誌』から引用したのだろうと書きましたが、同書と『大韓地誌』の記述は朝鮮の範囲に関して下記のように一致します。
東限は東経130度35分、西限は124度30分
北限は42度25分、 南限は33度15分
両書の数値が完全に一致するので、田川孝三の東限に関する見解はそのまま『朝鮮水路誌』にも当てはまります。つまり、東経130度35分は欝陵島ではなく、豆満江の河口を指すのかも知れません。
(つづく)
前回書いたように、外務省は韓国領土の東限として『大韓地誌』などを引用して韓国への反論をまとめましたが、実はそれには種本がありました。それは「取扱注意」の警告印が押された田川孝三の論文「文献に明記された韓国領土の東極」です。
田川孝三といえば『李朝貢納制の研究』でひとかどの業績をあげた学者ですが、かれは韓国の東限に関してこう記しました。
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「文献に明記された韓国領土の東極」
地理学的知識の発達を見た極めて近時の文献に於いて朝鮮の領域を示せるものの中に、その東極を説明するものにつき 之を著述の時間的順序に従って挙げれば左の如くである。
一.大韓地誌
本書は光武3年 学部職員たりし玄采の著述になり、学部編輯局長 李圭植の序あり、光武5年(明治34年 1901年)京城広文社より刊行され、更に9年(明治38年 1905年)二冊本として再刊された。その第一編第一課 位置幅員海岸の條に於いて説明して云う。
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もとより本書の記述は簡易を旨とせるものであるから、すべて詳細なる記事は之を省き細些に及ぶことは避けてゐるのであるが、東経130度35分を東極端としてなしている。
此の経度は果して陸地上の東端たる豆満江口○○○(判読困難)ものか、或いは又欝陵島を接するものか説明はないが、もし欝陵島を接するものとすれば130・35分は130度56分34秒が正確でなければならない。
二.韓国痛史 太白狂奴著 民国4年(大正4年)
本書は日本の朝鮮統治に反対し その独立を企図せる者の一人により著わされしもので・・・・・(注1)。
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田川孝三は、東限としての東経130度35分を欝陵島とすることに少し疑問を呈していたのでした。それにもかかわらず、外務省はその疑問を伏せ、ディベートに好都合な部分だけをピックアップして、東経130度35分という数値を韓国へ反論する際に四本柱のひとつとしたのでした。外務省は、よもや「取扱注意」の資料が後日外部へ洩れることはないと判断してそうした小細工を弄したのでしょうか。
田川孝三は、玄采が東経130度35分なる数値をどこから引用してきたのかについては究明しなかったようです。これについて私は『朝鮮水路誌』から引用したのだろうと書きましたが、同書と『大韓地誌』の記述は朝鮮の範囲に関して下記のように一致します。
東限は東経130度35分、西限は124度30分
北限は42度25分、 南限は33度15分
両書の数値が完全に一致するので、田川孝三の東限に関する見解はそのまま『朝鮮水路誌』にも当てはまります。つまり、東経130度35分は欝陵島ではなく、豆満江の河口を指すのかも知れません。
(つづく)
これは メッセージ 16296 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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