Re: 『地理志』二島を本土から見ていない
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2008/01/30 10:40 投稿番号: [16179 / 18519]
ararenotomoさん、こんにちは、
>「相」を使ったと思います。
思うのは自由ですが、積極的根拠は陸地をが省かれているというだけですよね。
相去るというだけで、距離をしめすのではないですか。
私は、世宗実録と、東國輿地勝覧をワンセットで考えています。
なぜなら、AHOさんにご教示いただいたところでは、編者が同一人物なんです。
三峯島探検のあとに、いわば決定打として、出たのが東國輿地勝覧なんです。
相を二島がお互いだとすると、東國輿地勝覧では海上からだとするのは矛盾です。
同じ編者なんですから、より詳しく書いたと考えるのが当然です。
そして、お互いに遠くないと記してしまうと、大島と八丈島は遠くないというようなもので、
可能性がなくはないですが、そう読まなければならない必然性がないです。
ところが、こんどは、それなら本土からなら遠くないのかって話しになります。
本土と鬱陵島の間はもっとも遠い土地と土地の間隔ですので。
だから、二島間だとすると直近にあるとしか想像できないのです。
二日可到も、本土でなくお互いだと考えるのですか?
そこまで二島関係に執着する必要があるのは現代韓国人だけだと思いますが。
さらに、鬱陵島から于山島が見えるかどうかなんてことは、書く意味がないです。
正式には住人がいるわけでもなく、しかも高いところからまれにしか見えないのですから。
本土からの距離を書く必要がないなら、なおさらそんな必要はないでしょう。
すべて、現在の観点からの投影と言うべきでしょう。
総合すると、当時は遠いという観念が相当はばのあるもので、本土から見える程度だからそう遠くないと考えるのが妥当です。
>強く印象に残ったので、記されたものと思います。
接近した海上から強く印象にのこるのは、まず断崖絶壁です。
それを書かずに、樹木や渚のことを書くのは、変ですね。
天気が晴れていれば、梢まできれいに見えるというのですから、
それほど近い距離にあると解釈するのが妥当です。
これも二島関係だとすると、なぜそこまで書く必要あるのかは疑問ですし、
本土からの記述だとするとあり得ないし、私が言う矛盾でもあります。決定打がないですね。
重要なことは、東國輿地勝覧では二島の名前をあげても、于山島についてはなにも説明がないまま、一島説に行っています。
結局はっきりしたことはわからない状況で、人聞きの情報が錯綜したのではないかと考える以外に
ないですね。
なんにしても、これらの書籍を読んで地図を書いた人は、直近に書いているのです。
素直によめばそういうことだという、当時の方々の証言ですよ。
私の想像は、古代の于山島は鬱陵島のことだが、行ってみると別の島が直近にあるので、
これに比定して于山島をあてたのだと思います。
獨島を見て于山島だと考えた人も居る可能性はありますが、普通は見えませんので、近傍の島を
比定してしまったのだと考えます。
確実に言えることは、古代の于山島が獨島である合理性はないこと、東國輿地勝覧の于山島が
獨島のことだとしても、相当の解釈が必要であり、確定した証拠にはならないということです。
>「相」を使ったと思います。
思うのは自由ですが、積極的根拠は陸地をが省かれているというだけですよね。
相去るというだけで、距離をしめすのではないですか。
私は、世宗実録と、東國輿地勝覧をワンセットで考えています。
なぜなら、AHOさんにご教示いただいたところでは、編者が同一人物なんです。
三峯島探検のあとに、いわば決定打として、出たのが東國輿地勝覧なんです。
相を二島がお互いだとすると、東國輿地勝覧では海上からだとするのは矛盾です。
同じ編者なんですから、より詳しく書いたと考えるのが当然です。
そして、お互いに遠くないと記してしまうと、大島と八丈島は遠くないというようなもので、
可能性がなくはないですが、そう読まなければならない必然性がないです。
ところが、こんどは、それなら本土からなら遠くないのかって話しになります。
本土と鬱陵島の間はもっとも遠い土地と土地の間隔ですので。
だから、二島間だとすると直近にあるとしか想像できないのです。
二日可到も、本土でなくお互いだと考えるのですか?
そこまで二島関係に執着する必要があるのは現代韓国人だけだと思いますが。
さらに、鬱陵島から于山島が見えるかどうかなんてことは、書く意味がないです。
正式には住人がいるわけでもなく、しかも高いところからまれにしか見えないのですから。
本土からの距離を書く必要がないなら、なおさらそんな必要はないでしょう。
すべて、現在の観点からの投影と言うべきでしょう。
総合すると、当時は遠いという観念が相当はばのあるもので、本土から見える程度だからそう遠くないと考えるのが妥当です。
>強く印象に残ったので、記されたものと思います。
接近した海上から強く印象にのこるのは、まず断崖絶壁です。
それを書かずに、樹木や渚のことを書くのは、変ですね。
天気が晴れていれば、梢まできれいに見えるというのですから、
それほど近い距離にあると解釈するのが妥当です。
これも二島関係だとすると、なぜそこまで書く必要あるのかは疑問ですし、
本土からの記述だとするとあり得ないし、私が言う矛盾でもあります。決定打がないですね。
重要なことは、東國輿地勝覧では二島の名前をあげても、于山島についてはなにも説明がないまま、一島説に行っています。
結局はっきりしたことはわからない状況で、人聞きの情報が錯綜したのではないかと考える以外に
ないですね。
なんにしても、これらの書籍を読んで地図を書いた人は、直近に書いているのです。
素直によめばそういうことだという、当時の方々の証言ですよ。
私の想像は、古代の于山島は鬱陵島のことだが、行ってみると別の島が直近にあるので、
これに比定して于山島をあてたのだと思います。
獨島を見て于山島だと考えた人も居る可能性はありますが、普通は見えませんので、近傍の島を
比定してしまったのだと考えます。
確実に言えることは、古代の于山島が獨島である合理性はないこと、東國輿地勝覧の于山島が
獨島のことだとしても、相当の解釈が必要であり、確定した証拠にはならないということです。
これは メッセージ 16162 (ararenotomo さん)への返信です.
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