竹島

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朝鮮の領土の東限2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/02/09 15:50 投稿番号: [16326 / 18519]
   これについては後にふれることにし、ここで趣を変えて、朝鮮の東限問題について発言している島根大学・舩杉氏の意見を先にみることにします。同氏はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ③『朝鮮水路誌』。明治27年(1894)水路部刊行。・・・
   この史料では、第一編総論の形勢のところで、朝鮮国の範囲を記している。朝鮮国の
範囲、東限は東経130度35分と記している。『朝鮮水路誌』では、鬱陵島(中心)は東経
130度53分・リアンコートルト列岩(現在の竹島)は東経131度55分としていることから、
朝鮮国の東限は鬱陵島であり、現在の竹島は入っていないことが分かる(注2)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   ここで舩杉力修氏は誤りをおかしているようです。もし「朝鮮国の範囲、東限は東経130度35分」とするなら、その範囲に竹島=独島どころか欝陵島すら含まれません。欝陵島の西限は東経130度48分なので東限の130度35分からはみ出します。それにもかかわらず「朝鮮国の東限は鬱陵島」と決めつけるのは舩杉氏の明らかな誤謬です。
   そうなると、東限の130度35分という数値は、田川孝三が指摘したように欝陵島以外を基準にした可能性が強くなるので、もう少し『朝鮮水路誌』を熟読する必要があります。問題を解く鍵は、同書付属の地図「朝鮮沿岸海圖索引」と北限との関係にありました。

   当時、朝鮮の北限はあいまいでした。帰属がはっきりしない間島地方を朝鮮領とみるのかどうか、それにより北限の緯度は大きく変わります。しかるに『朝鮮水路誌』はそうした国境問題を避け、付属の「朝鮮沿岸海圖索引」にて中国との国境を描かずに空白としました。その上で朝鮮の北限を豆満江の河口におき、北緯42度25分としました。
   これは現在の北限である43度1分と比べてもかなり南になります。このように『朝鮮水路誌』が記した北限の数値は実際の領土の北限とは無縁なものになりました。

   そうした事情を明確にしたのが付属の「朝鮮沿岸海圖索引」でした。その地図で示された範囲と、上に記した東西南北端の緯度経度がほぼ一致します。ちなみに、その地図は欝陵島を含みません。豆満江の河口を東限にしたことが一目瞭然です。朝鮮の東西南北端として、その地図から目の子で緯度経度を5分単位で読み取った概略値を記したのでした。

   結局、欝陵島と竹島=独島が朝鮮の東限から外れたからといって、それらが朝鮮領外を意味することにはなりません。水路部は、その部署の性格上、外国の正確な領土範囲を定める必要はなかったし、ひいては『朝鮮水路誌』にそのような内容を望むべくもありません。
   このように水路部は外国関係の水路誌ではその国の実際の領土にあまり拘泥せずに記述しました。その一方で『日本水路誌』では厳密に日本領だけを扱ったことはすでに堀和生氏が指摘したとおりです。
   その『日本水路誌』は、「竹島編入」以前には竹島=独島を『日本水路誌』には載せず、『朝鮮水路誌』にリアンコールト列岩の名で記載しました(注3)。これについて堀和生氏は「19世紀末に、日本海軍の水路部当局が竹島=独島を朝鮮領と認識していたことは、疑いのないところである」と断言しました(注4)。妥当な見解です。

(注1)島根県立図書館『竹島資料10』所載
(注2)竹島問題研究会『「竹島に関する調査研究」最終報告書』2007年、P154
(注3)半月城通信<明治の国境画定機関の竹島=独島認識と『水路誌』>
  http://www.han.org/a/half-moon/hm103.html#No.754
(注4)堀和生「1905年 日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第24号,1987、P106

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
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