竹島

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Re: Re:Re: 石島=独島説の秘密1

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/02/07 09:35 投稿番号: [16297 / 18519]
  藪太郎さん
>「史的検証竹島独島」での洪在現の証言は1883年の鬱陵島入島の時二十歳位であった洪在現が八十五歳の時の韓国側の学術調査の時のものです。
>この学術調査は1947年に行われたもので、確認は出来てませんが方鍾鉉氏もこの調査団の一員であった可能性があります。
>そもそも韓国側が学術調査をしたのは独島を領有するための準備のためであるのは明らかですし、この証言が公開されたのは1965年です。
>もうひとつの証言も日本が竹島の領有権を主張した後公開されたものです。

  独島を領有するための調査であったかどうかは確認していませんが、ご指摘のように故方鐘鉉教授は1947年8月に獨島を視察して戻り紀行文「獨島の一日」を「京城大学予科新聞」に寄稿したようですね。
  ご紹介のサイトからその一説を訳してみました。
  『私は最後に、或いはこの島の名が『石島』の意から来たのではないかと考える。これは「トルソム」または「トクソム」の二通りに呼べることなので、ここでの問題は、獨島の外形が全て石で出来ているように見えることと、また「トル」をどの方言で「トク」とするのかを解決すれば、この「石島」と云う名称が極めて近い解釈になるであろう。』
  勅令に「石島」と書いてあることが広く知られるようになるのは、ずっと後のことなので、故方鐘鉉教授の説が後世の研究により裏付けられたと解釈できるかもしれませんね。

>勅令四十一号の石島が竹島=独島であることを証明するためには石島と独島、この二つの言葉に関連があることを証明しなければなりませんが、これが可能なのは石島由来説だけです。
>そこで石島由来説が正しいことを証明するために愼𨉷廈氏が勅令41号が発布された1900年当時の鬱陵島開拓民は全羅道出身者が過半数を占めていたという話をでっちあげて他の二説を封印してしまったのではないかと私は考えました。

  確かに愼𨉷廈氏の見解には時折首を傾げざるを得ないものがあり、私自身も過去にこのトピで幾度か異議を唱えたことがあります。
  1900年当時の記録をみると、鬱陵島に定住する韓国人は江原道や慶尚道から渡った者が多いようで、主に農業を営み、漁業に従事する者は希だったようです。
  一方で、全羅道の漁民も鬱陵島に来ては居ましたが、定住していなかったようで、統計上は鬱陵島の住民にカウントしなかったようですね。
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