竹島
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
Re: 于山島は石島となった
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/09/15 23:38 投稿番号: [14900 / 18519]
>鬱陵島と殆ど接する緑豊かな観音島や周辺の生木なき岩礁を、わざわざ石島として、管轄区域に含める必然性は無いでしょう。従って、『皇城新聞』『勅令41号』から于山島=石島=獨島が最も理に適う、と愚考します。
かないません。
だとすると、どうして竹島を記述するのか、しかも並列にするのか説明がつきません。
石島が獨島であるなら、調査報告にもっと詳細な記述があるでしょう。
言われるように一番取られやすい場所だからです。
観音島は緑豊かと言っても岸壁は十分にあり、石島となづけても不思議というほどではありません。
問題は確定した証拠です。推定ではなく確定した証拠です。
言われる推定が事実であるならば、日本の編入をうけて、勅令の石島こそ獨島だという世論がかならずあったはずです。
借金の証文を書いたのにさっそく使い時がきたときに証文を証拠にださないなどということはないのとおなじです。
それがない。
また獨島が于山島だという説も当時では確認できません。
あらゆる観点からみて、石島=獨島説はアリバイをかきます。
それらが確認できるのは韓国の占拠と同じ頃です。
1905年当時の資料でどうだったかということを確実に追ってください。
現在からの思いこみで推定されてるように感じます。
これは メッセージ 14897 (ararenotomo さん)への返信です.
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Re: 石島は観音島ではない(続)
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/09/15 23:21 投稿番号: [14899 / 18519]
鬱陵島から獨島は見えますが、于山島が獨島であるかどうかに関係ありません。
一連の古い記録のなかでは、東國輿地勝覧が当時の結論的記述であり、
それは当時の記録のフォーマット記述の中身どちらをとっても于山島=獨島であることを否定します。
これは メッセージ 14896 (ararenotomo さん)への返信です.
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Re: 石島は観音島ではない
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/09/15 23:18 投稿番号: [14898 / 18519]
>日本と接する于山島=独島は、日本に奪われるのではないかという強い危機感がありました
まったくの暴論です。
それまでの記録を見る限り、于山島は鬱陵島の古名だろうというのが当時の結論です。
于山島が獨島だという説はは1905年当時でさえ確認できません。
そのような危機感を証明する資料は目にしたことがありません。
そのような危機感があるなら、獨島をこそ調査したはずです。
当時の実体は、鬱陵島を守ることが専決で獨島どころの話しではないです。
これは メッセージ 14895 (ararenotomo さん)への返信です.
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于山島は石島となった
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/09/15 22:31 投稿番号: [14897 / 18519]
1899年9月23日付『皇城新聞』の記事「其(鬱陵島)附屬の小六島中で最著は于山島竹島」から、この于山島は鬱陵島或いは竹島(Chuk-do)ではあり得ないので、私は于山島を現在の竹島(独島)と規定しました(No.14726)。
これに対しahirutousagi2さんは、李奎遠の調査が竹島(独島)を発見できなかったことから、「竹島(独島)を見失っていたとすべきでしょう」と述べられました(No.14731)。
李奎遠は鬱陵島の高所から眺めて竹島(独島)を発見できず、鬱陵島を于山島として報告しました(No.3138)。ahirutousagi2さんが述べられたように、1882年当時、朝鮮政府は確かに竹島(独島)を見失っていました。これは500年に亘る空島政策の結果でしょう。一方日本では明治10(1877)年、当時の外務省交信局長田邊太一は「松島ハ我邦人ノ命ゼル名ニシテ其実ハ朝鮮蔚陵島ニ属スル于山ナリ」(北澤正誠『竹島考證』1881, 復刻エムティ出版, 1996)と認識していました。
李奎遠の調査は1881年5月捜討官が鬱陵島で日本人の伐木に気付き行われました。李奎遠らは1882年4月30日から5月10日まで鬱陵島に滞在し、朝鮮人140人に対し日本人が78人も住むこと、また「大日本国松島槻谷
明治二年二月十三日
岩崎忠照
建立」と書かれた標柱のあることを知りました。そこで朝鮮政府は、日本政府に抗議するとともに、1403年からの空島政策を廃しました。
ahirutousagi2さんはNo.2790で「住民が独島の存在を知っていればそれを官吏に知らせていたはずです」と書かれました。しかし、当時の鬱陵島住民は不法滞在者です。たとえ独島の存在を知っていても、それを正直に官吏に知らせないでしょう。ただし、李奎遠は于山島なる島の存在は聞きました。
李奎遠の報告を受け、朝鮮政府は1883年3月金玉均を「東南諸島開拓使兼管捕鯨事」に任命し開拓を積極的に進めました。「ワカメやアワビ、またはアシカをとりにしばしば独島に出漁した」と語った洪在現は、1883年頃の移住者です(No.14668)。その後の鬱陵島の人口増加と産業の振興は著しく、日本人の報告にも「現在、土民ノ人口ハ二千余人ニシテ戸数凡五百農夫ト漁夫相半シ又船舶ヲ製造スル大工等アリ」(高雄謙三「1899年10月3日付復命書」外務省記録, 3532)と記されています。この開拓過程で、朝鮮政府もやっと「于山島は倭の松島であり鬱陵島に属する」という日本の外務省高官と同じ認識に達し、1899年『皇城新聞』は鬱陵島附属島の最著として于山島と竹島を挙げました。
ただし、当時の鬱陵島の最も大きな問題は日本人の進出でした。1883年10月、日本政府は船を出し不法滞在の日本人254人を送還しました。しかしその後も、日本人の侵入は止まずトラブルが頻発したので、1898年7月には島監蠔季周は山陰の境港まで行き、日本の警察に取締を要請し違法行為の告訴をしております。上記の『皇城新聞』にも日本人の流入が夥しく土民を侵凌していると書かれています。
蠔季周は大韓帝国政府に鬱陵島の窮状を訴えたので、政府は「内部視察官」として禹用鼎を派遣しました。彼は1900年5月31日鬱陵島に着き6月5日まで現地を調査し、鬱陵島は日本人の進出により憂慮すべき状態にあると報告し、『勅令41号』はその結果として発布されました。
禹用鼎は特に、1714年江原道御史趙錫命が「鬱陵之東島嶼相望接于倭境」と報告した(宋炳基「朝鮮後期の鬱陵島経営」内藤浩之訳『北東アジア文化研究』10, 1999)、鬱陵島東方の日本と接する島に関心を寄せました。この島は于山島と呼ばれてきました。しかし于山島は、1882年李奎遠が鬱陵島を于山島としたように、鬱陵島或いは竹島を表すこともあります。そこで禹用鼎は于山島を鬱陵島民が呼んでいた石島という名に改めました。石島は、日本人も「生木なき岩嶋」と記しているように(大西教保『隠岐古記集』1823)、余りにも即物的ですが、この島の名に相応しいでしょう。
禹用鼎の報告を受けて1900年10月25日に公布された『勅令41号』は、管轄区域として竹島とともに、特に国境の石島を挙げました。これは、実を結ばなかったとはいえ、強い危機意識の表れでしょう。この時期、鬱陵島と殆ど接する緑豊かな観音島や周辺の生木なき岩礁を、わざわざ石島として、管轄区域に含める必然性は無いでしょう。従って、『皇城新聞』『勅令41号』から于山島=石島=獨島が最も理に適う、と愚考します。
これは メッセージ 14896 (ararenotomo さん)への返信です.
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石島は観音島ではない(続)
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/09/15 22:11 投稿番号: [14896 / 18519]
私は「竹島(独島)は、鬱陵島の標高200m以上の所から、「風日清明」ならば望み見ることができます」と書きました(No.14726)。
これに対しahirutousagi2さんは「基本的にはほとんど見えません。見える可能性があるのは年に数日程度ではないでしょうか。たしか鬱陵島独島展望台の関係者の人でさえ見たことがないということのようです(2783を参照)」と答えられました(No.14731)。
鬱陵島から竹島(独島)が見えるか見えないかは本掲示板で何度も議論されました。No. 2783の他、mattouya さんのNos.2756, 3357, 8768, 8895、husenoyaji さんのNo.12253やkusuo1さんのNo.12254あたりで、基本的には見える、ということで決着したと思います。これについて対照的な2つのHPを紹介します。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/Ullundo/Ullun.htmhttp://kts.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_9394.html 獨島は鬱陵島から基本的に見えるので、私は「視認できる島を附属とするのは自然でしょう」と書きました(No.14727)。
ここでは更に、見える可能性がほとんど無くても、附属の島とした例を示します。
「『大日本史』巻三百八、志三」は次のように記しました。「隱岐國、
--
凡四島、分曰島前、島後、(割注:隱州視聽合記、隱岐國圖、○屬島一百七十九、總稱曰隱岐小島、)別有松島、竹島屬之、(割注:隱岐古記、隱岐紀行、
--
)」。この記述は、半月城さんがNo.9290で述べたように、『隠州視聴合記』では松島と竹島を隠岐国に入れず、『隠岐古記』を引用して松島竹島を隠岐国所属とした、ことを表しています。
『隠岐古記(集)』は『隠州視聴合記』を基に文政6(1823)年大西教保が増補したものです。池内敏氏が詳しく比較検討したように(「隠州視聴合記(紀)」の解釈をめぐって『大君外交と「武威」』名大出版会, 2006)、『隠岐古記集』には『隠州視聴合記』とほとんど同じ表現と新しく増補された記述があります。
その中の松島に関する記事を示します「亥の方四拾厘余にして松嶋あり周り凡壱厘程にして生木なき岩嶋なり
--
秋晴天北風の日に大満寺山の頂上より望免は松嶋は遥可に見ゆべしと言」(隠岐郷土研究会編『隠岐古記集』隠岐島史料近世編下, 1963)。前半は『隠州視聴合記』の「戌亥間行二日一夜有松島」を更に詳しく述べたもので、所属とは関係ありません。後半は『隠州視聴合記』には無く、『隠岐古記集』に於いて全く新しく増補された記述です。従って、大満寺山の頂上から松島が見えるということが、『大日本史』の編者をして松島を隠岐国所属とした根拠の一つになったと思われます。大満寺山(標高608m)から約170km離れた松島が見えるという文献資料は知りませんが、そのような伝承があるのかもしれません。
鬱陵島から竹島(独島)が見えるか見えないかに、最初に異常なほど拘ったのは川上健三氏です(『竹島の歴史地理学的研究』古今書院, 1966)。氏は、200メートル以上登れば鬱陵島から竹島を見ることができると認めながら、「鬱陵島は密林によっておおわれていたので、高所にのぼること自体に相当困難があったと思われるし、またたとえ高所にのぼることができたとしても、竹島が見渡せるように視界が開けていたかどうかも疑わしい」として、韓人は「竹島の存在を知る機会は乏しかったと思われる」と書きました。
「竹島の認知開発と自然環境」と題された章にある上記の箇所は、「歴史地理的事実をあくまでも学問的に究明することを意図した」この優れた古典的名著の中では極めて異質です。これは、川上健三氏の位置関係を重視する地理学者としての良識と外務省調査官としての立場の相克から生れた、と推察します。
これは メッセージ 14895 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14896.html
石島は観音島ではない
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/09/15 22:01 投稿番号: [14895 / 18519]
ahirutousagi2さん
長い休暇で返答が大変遅くなってしまったことをお詫びします。
于山島=観音島説の詳しい丁寧な説明を有難うございます。
しかし私は于山島を観音島とするにはもっと具体的な根拠が必要と思います。
>>于山島は現在の竹島(独島)以外に鬱陵島或いは竹島(竹嶼)とされてきました。
>于山島が鬱陵島か竹嶼であるというのは、実録など文献資料に確認されるものを前提としたものでしょうが、かと言って観音島という選択肢を排除すべきなのかどうか私には疑問です。
観音島という選択肢を排除するわけではありませんが、観音島を于山島とする従来の文献資料はありませんから、新しい具体的な根拠が必要ではないかと思います。
ahirutousagi2さんはNo.2781で、「1899年「皇城新聞」報告と1900年「官報」の二つだけを取りあげて資料として整合的に考えるならば、可能性は次のものがあると思われます」として①②と③(略)の可能性を示されました。
>①皇城新聞に記された「于山島・竹島」のうち、「于山島」は現竹島(独島)であり、「竹島」はchuk-doである。さらにこの独島が官報において「石島」となった。
肯定的な点
・分かりやすい。
・全羅道方言で独島と石島が通じうる。
否定的な点
・これだけ離れているのに皇城新聞の報告に独島を指すと思われる具体的な記述が全くないのは不自然。
・于山島が独島を指すかどうかは古地図で問題がある。
>②皇城新聞に記された「于山島・竹島」のうち「于山島」は観音島であり「竹島」はchuk-doである。さらに官報において観音島が「石島」となった。
肯定的な点
・1899年の大韓全図に大まかに対応しうる。
・皇城報告の内容に一言も独島についての具体的な言及がないことから、こうした理解は現実的でありうる。
否定的な点
・観音島が古地図の于山島と一致するとはいい難い。
・従って古地図(あくまで地図的に于山島=chuk-doとして)からの一貫性がない。
ahirutousagi2さんが「分かりやすい」①ではなく、②を採用されたのは、「皇城報告に独島を指す具体的な記述がない」ことのようですが、観音島を指す具体的な記述もないようです。しかし、次のNo.2782で述べられている、附属の小六島のうち竹島(chuk-do)と観音島だけが抜きん出て大きい、ということが于山島=観音島の具体的根拠の一つと推定してお答え致します。
確かに竹島(chuk-do)は、面積0.208平方kmで、観音島0.071平方kmや他の附属の小島に比べ抜きん出て大きいです。しかし、もし于山島=観音島ならば、No. 14726で書きましたが、なぜ小さい観音島を抜きん出て大きい竹島(chuk-do)より先に挙げたのでしょうか。大きさという同一カテゴリーを表す場合、普通は大きいものを先に書くと思います。ただし別のカテゴリー、例えば、観音島は鬱陵島にいちばん近い島だからというのなら、遠い竹島(chuk-do)より先に書くこともあり得ます。
このような点から当時の「鬱陵島事况」を見ると、鬱陵島では日本人の進出が問題になっていました。このままでは鬱陵島は日本に支配され、日本と接する于山島=独島は、日本に奪われるのではないかという強い危機感がありました(1905年現実となりました)。それ故、『皇城新聞』は最著の附属島として、いちばん遠い于山島=独島を真先に挙げ、『官報』は「于山島」を形状から「石島」と改めて管轄区域に含めた、とも考えられます。
これは メッセージ 14731 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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米子図書館所蔵 『竹島漁業資料』 4
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/09/13 20:36 投稿番号: [14894 / 18519]
これは メッセージ 14890 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14894.html
Re: 「隠岐全図」の発掘
投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2006/09/11 15:50 投稿番号: [14893 / 18519]
当時、欝郡が獨島を管轄していなかったことが地図上でも明らかとなり、朝鮮側の一部の
妄想に根拠がないことが証明できた」とするのが適当であり、やはり欝郡は獨島を所管
していなかった疑念が一層強まった感がある。
日本を朝鮮に,その他日本の地名を朝鮮半島の地名に置き換えたら
多くの人達が韓国側に抱いている疑念でもあるね.
境界線ていうのはどうせまた船の通り道なんじゃないの?
まぁこれだけみて,韓国側の主張に根拠がないことが証明できたとは断言できないかも知れないけど,
毎度毎度韓国から出てくる資料の解釈よりは根拠がありそうだ.
これは メッセージ 14889 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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Re: 「隠岐全図」の発掘
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/09/11 12:51 投稿番号: [14892 / 18519]
>画像を見る限り、隠岐と獨島(竹島)との間に明らかな境界線が描かれているように見える。
この画像だと、境界線はおろか竹島自体が確認できないです。見方がわるいんでしょうか。
それにしてもサービス悪いね。資料価値のあるものは、もっとでっかくのせてほしいです。
これは メッセージ 14889 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/09/10 22:38 投稿番号: [14891 / 18519]
te2222000さん
[#14880へのコメント]
斉藤豊仙は、国代記の冒頭、隠州から北西方向に何があるかを記述した箇所で、
竹島(現鬱陵島)の割注として「多竹魚海鹿(竹・魚・海鹿が多い)」を挿入
しました。割注「多竹魚海鹿」は、竹島の主な産物の記述したもので、そこには
経済的な意味があります。そして割注「多竹魚海鹿」は、豊富な竹・魚・海鹿から
経済的な活動を通して何がしかを得たいとの経済的な興味を感じ、それを示唆して
いるものと、私は受け止めています。
斉藤豊仙は、竹島(現鬱陵島)の豊富な竹・魚・海鹿に "経済的興味" を感じて
いたかどうか、そして割注「多竹魚海鹿」はそのことを示唆していると受け止める
ことについて、te2222000さんのお考えをお聞きしています。
[#14881へのコメント]
斉藤豊仙の国境画定へのスタンスについては、分かっていることから、つまり
国代記の冒頭の記述、隠岐郡代を務めたとの経歴、及び若干の時代背景から下記
のように推測しています。このような推測を「想像の想像」と言いました。
#14614
|
地方役人である斉藤豊仙には、もとより日本の国境について云々する
|権限はなく、豊仙がここではっきり申し立てしても、対外的には何の効力もなく、
|却って(余計なこととして)幕府から咎められることにもなりかねない。
|従って、遠まわしにあっさり述べるにとどめた。
|
斉藤豊仙は隠岐郡代を務めたとのことです
|から、地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があったと思われます。しかし
|当時は幕府の関心は薄く、国境の画定は地元の願望にとどまったのではないでしょうか。
te2222000さんとの議論で、このような私の推測を肯定、或いは否定する新しい
展開を期待しましたが、te2222000さんから、そのような展開に役立つ情報ないし
議論はありませんでした。
従って自信がでたかどうかについて、否定されなかった分だけ、その妥当性が
認められるようになったと思っていますが、このことは te2222000さんとの間の
議論からだけですので、私の中では「未だ何とも言えない(変わらない)」という
ことです。ところで、何故そんなに相手の「自信」を気になさるのですか?
[#14882へのコメント]
>私は、当時の漁民は、朝鮮との関係について特に不安はなかっただろうと思っています。
>そして、仮に漁民に不安があったことを認めても、郡代は特に不安に思わなかった
>可能性があります。
>「具体的に何かご存知ですか」という質問は、「漁を行なう上で無視できない不安が
>朝鮮の関係で存在する」ことを前提にしているので、そもそも私には答えられない
>のですが、敢えて答えれば「何もしないこと」となるでしょうか。
>ただ、地元漁民と郡代は立場が違うので、地元漁民は安心して漁を営むために、国境の
>画定が必要だと感じていたが、郡代は不要だと判断したことはあり得ることを指摘しています。
斉藤豊仙は「何もしない」どころか自著の中で国境を論じたのですから、そのような
(国境の画定は不要と判断するような)消極的な姿勢ではなかったと思います。
>#14873で私の挙げた☆の例は、僅かな可能性しかないとお考えになるのですね。
>理由が示されていないので、私はそう思わない、としか答えられません。
>理由を書いていただけたら、それについて意見を述べさせていただきます。
上記が、te2222000さんは「僅かな(ありもしないような)可能性を論じている」
のではないかとした理由の一つです。
またte2222000さんは、斉藤豊仙の述べる日本の国境は「竹島および松島」を
含まない「隠州」であると、解釈されました。
地元漁民の不安を認め、緊張感を知っていたとする元郡代が、「竹島および松島」は
日本ではないと、自著の中でわざわざ表明することもありそうにないことです。
[#14883へのコメント]
>shuku_remusさんのご主張は、以下の考えを前提にしているように思います。
>
>◎斎藤豊仙は「竹島で経済活動を行なう権利が日本にあることを明確にした取り決めは、
>日朝間に存在しない」と思っていた。
相変わらず、私の考えを作文して、その作文に異論を唱えておられる(自作自演)。
te2222000さんが何故このように思われるか、理由が分かりません。と言うか、先ずは
ご自身のお考えを述べればよいことです。
shuku_remus
これは メッセージ 14880 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14891.html
米子図書館所蔵 『竹島漁業資料』 3
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/09/10 09:47 投稿番号: [14890 / 18519]
これは メッセージ 14887 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14890.html
「隠岐全図」の発掘
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/09/10 00:51 投稿番号: [14889 / 18519]
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=798307006
報道に拠れば、島根県隠岐島庁が1912年に刊行した官製地図と云うことだが、画像を見る限り、隠岐と獨島(竹島)との間に明らかな境界線が描かれているように見える。
記事では『舩杉助教授は、行政上、竹島を所管していた隠岐島庁による地図が地元の隠岐で見つかったことで「当時、島根県が竹島を管轄していたのは地図上でも明らかとなり、韓国側の主張に根拠がないことが証明できた」としている。』と書いてあるが、どうしてこの地図で「当時、島根県が竹島を管轄していたのは地図上でも明らかとなり」得るのか全く理解に苦しむと云わざるを得ない。
むしろ「当時、島根県が竹島を管轄していなかったことが地図上でも明らかとなり、日本側の一部の妄想に根拠がないことが証明できた」とするのが適当であり、やはり隠岐島庁は竹島を所管していなかった疑念が一層強まった感がある。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14889.html
Re: 竹島
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/09/09 02:35 投稿番号: [14888 / 18519]
そろそろあげとかないと、最下段に来てました。最近、ふと思うこと。韓国は李承晩ラインをどのように考えているのか、ということ。政府見解は具体的にどうなされているのだろう。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14888.html
米子図書館所蔵 『竹島漁業資料』 2
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/09/05 16:52 投稿番号: [14887 / 18519]
これは メッセージ 14886 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14887.html
米子図書館所蔵 『竹島漁業資料』
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/09/02 18:54 投稿番号: [14886 / 18519]
これは メッセージ 14877 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14886.html
地図
投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/09/02 13:43 投稿番号: [14885 / 18519]
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14885.html
Re: 瓮島
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/09/02 09:12 投稿番号: [14884 / 18519]
新しい見方でしょうか。従来の石島→独島方言説よりは、やや具体的ではありますね。ただ、日本の松島認識について、次のように記しているところはいただけません。
>今韓国の鬱陵島東側4km離れた所に面積6万2千坪,高さ116mの「竹島」或いは「竹嶼島」と呼ばれている島が存在している。この島の状況について韓国宇成企劃出版で出版している<南北觀光總覽>(1992年1月10日,p.613)に,鬱陵島の付属島として土地が肥沃で農作物が育ちやすく,島には3世帯が住んでいると記録されている。従って韓国側の古文献記録の距離と状況から判断して,この鬱陵島の付属島「竹島」こそ,韓国が主張する于山島で,日本が主張する松島である可能性が高い。もし于山島が現在の独島ではないことが立証できれば,日本が主張する松島も現在の竹島(独島)ではないと結論づけることができる。
これは、ちょっとよろしくない。ただ、論文の趣旨時代は大まかには同意できる内容であると思います。
これは メッセージ 14879 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14884.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/02 08:28 投稿番号: [14883 / 18519]
(前の記事から続く)
ここまで書いていて一つ思い着いたことがあるので、お尋ねします。
shuku_remusさんのご主張は、以下の考えを前提にしているように思います。
◎斎藤豊仙は「竹島で経済活動を行なう権利が日本にあることを明確にした取り決めは、日朝間に存在しない」と思っていた。
shuku_remusさんは◎のようにお考えだということでよろしいでしょうか?
一応◎に同意していただけるものとして話を続けます。
斎藤豊仙はどうしてそのように思ったのでしょうか。
現在の我々は、豊富な史料によりそのような取り決めが存在しなかったことを知っています。
しかし、当時外交文書の公開など行なわれる筈がなく、日朝外交に関する詳細は、幕府と対馬藩の関係者のみが知っていることでした。それ以外の者には行政上必要な結論だけが通達された筈です(例えば、竹島一件の結果取り交わされた国書の内容などは知らされず、「竹島渡海を禁ずる」という通達のみを受け取る、など)。
ですから、斎藤豊仙にできるのは、自分の立場で分かる事実から、日朝間にどのような取り決めがあり、どのような取り決めがないかを推測することだけだったでしょう。
では、斎藤豊仙の立場で分かった事実とは何でしょう。
それは少なくとも次のことを含むのではないでしょうか。
「幕府が竹島渡海許可を出したこと」
「竹島渡海事業の開始から40年以上経つが、その間、事業が朝鮮によって妨害された例はないこと」
「竹島に渡った船が暴風で朝鮮に漂着し、乗組員が朝鮮の保護を受けて戻ってきた例があること」
これらに基く限り、日朝間に何がしかの取り決めが存在すると推測することはあっても、存在しないと推測することはないでしょう。
もし、◎が正しいとすれば、斎藤豊仙は上の三つの事実にも関わらず取り決めが存在しないと推測するに足るような別の事実を知っていたことになりますが、そのような事実があるでしょうか。
shuku_remusさんはどうお考えになりますか。
これは メッセージ 14882 (te2222000 さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/02 08:27 投稿番号: [14882 / 18519]
(前の記事から続く)
>>>>>>
竹島(現鬱陵島)について、国境をはっきりさせる以外に、地元漁民が安心して漁を
営めるようにする方法(例えば、国境をはなくとも外国と漁業協定する方法)が、当時
あったならばそれも良いと思いますが、私は知りません。te2222000さんは具体的に何か
ご存知ですか。
<<<<<<
私は、当時の漁民は、朝鮮との関係について特に不安はなかっただろうと思っています。
そして、仮に漁民に不安があったことを認めても、郡代は特に不安に思わなかった可能性があります。
「具体的に何かご存知ですか」という質問は、「漁を行なう上で無視できない不安が朝鮮の関係で存在する」ことを前提にしているので、そもそも私には答えられないのですが、敢えて答えれば「何もしないこと」となるでしょうか。
>>>>>>
斉藤豊仙が普通の(ここで"普通の" とは "役割に忠実な")郡代として、地元を
管轄していたならば、地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があったと
推測しています。隠岐郡代を務めたことをもとにした、このような推測は常識的な
推測と思います。
<<<<<<
「大いに」という形容についての判断を保留させてもらえば、概ね常識的な推測だと思います。
ただ、地元漁民と郡代は立場が違うので、地元漁民は安心して漁を営むために、国境の画定が必要だと感じていたが、郡代は不要だと判断したことはあり得ることを指摘しています。
直接に竹島から朝鮮半島を見た漁民と、その報告を聞くだけの郡代とで、緊張感の認識に差があったとしても不思議は無いと私は思いますが、shuku_remusさんの常識では、それはあり得ないことなのでしょうか。
>>>>>>
国代記の冒頭、日本の国境を述べる箇所を読んでの受け止め方を議論しています。
<<<<<<
はい、そうです。
>>>>>>
僅かな(ありもしないような)可能性を論じているのではありません。
<<<<<<
#14873で私の挙げた☆の例は、僅かな可能性しかないとお考えになるのですね。
理由が示されていないので、私はそう思わない、としか答えられません。
理由を書いていただけたら、それについて意見を述べさせていただきます。
(次の記事に続く)
これは メッセージ 14881 (te2222000 さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/02 08:26 投稿番号: [14881 / 18519]
(前の記事から続く)
>>>>>>
#14845でも述べましたが、竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思いについては
推測であることに変わりありません。te2222000さんとの議論を通しても、#14614と
現在とで、私の中で推測が確信に変わったとか、そのような変化はありません。
te2222000さんからの#14842では、私は「相当に自信のある書き方」とのことでしたが、
自信があるかどうかについて、私の中では「未だ何とも言えない」ということです。
<<<<<<
どうも、私の質問意図とshuku_remusさんの回答のずれが埋まらないので、この件の経緯を私の観点からまとめてみますね。
まず、shuku_remusさんが#14614 と #14842 でお書きになった記述を比べると、以下のように「想像の想像」と前置きを入れる表現から、特に前置きは入れずに「推測が可能」と言い切る表現に変わっていました。
(#14614)>>>>>>
これ以上は想像の想像ですが、私は ② でないかと
思っています。
<<<<<<
(#14842)>>>>>>
隠州視聴合記 国代記の冒頭の記述と、隠岐
郡代を務めたとの斉藤豊仙の経歴、及び若干の時代背景から、上記の推測が
可能です。
<<<<<<
私は、この変化はshuku_remusさんの中の自信の度合いを反映していると考え、そのことを述べました(#14843)。その時に私の書いた「相当に自信のある書き方」という表現にこだわっていらっしゃるようですが、これは「以前の『想像の想像』という表現に比べ」という言葉を補ってご解釈下さい。
さて、私の予想に反して、shuku_remusさんは
#14845 で「竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思いについては推測であることに変わりありません」とお答えになりました。
そこで私は、ひょっとすると『推測であることに変わりないが、「“想像の想像”という全く自信の無い推測」から「ある程度は自信のある推測」に変わった』というのがshuku_remusさんの主張なのかなと思い、#14861 で次のように尋ねました。
(#14861)>>>>>>
#14614 でお書きになった「これ以上は想像の想像ですが」という認識は、現在も変わっていないという意味に理解してよろしいでしょうか。
<<<<<<
それに対するshuku_remusさんのお答えは、これまた私の予想に反して「それでよいです」でした(#14861)。
そこで次に私は、「想像の想像」という言葉に対するイメージが私とshuku_remusさんでは異なっているために、認識が違ってくる可能性を考えました。
そこで、私の持つ「想像の想像」という言葉のイメージが、shuku_remusさんの持つイメージとずれているかどうかをお尋ねしました。それがこの質問です。
(#14862)>>>>>
私は、#14614 で「これ以上は想像の想像ですが」というフレーズを読んだ時、普通なら「これ以上は想像ですが」と書くところ、このように想像であることを強調しているということは、極めて根拠が不確かで、主張としては非常に弱いものであるとご自分でもお考えなのだろうと思いました。
この私の受け取り方は shuku_remusさんの意図とずれていたのでしょうか。
<<<<<<
これは純粋に日本語表現についての質問とご理解ください。
shuku_remusさんが「想像の想像」という言葉を書いた時のイメージと、私がそれを読んだ時のイメージに相違があるのかどうかを確認するための質問です。
ご回答よろしくお願いします。
(次の記事に続く)
これは メッセージ 14880 (te2222000 さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/02 08:25 投稿番号: [14880 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
"経済的興味" の意味を直接説明すると「経済的な興味」になります。
"経済" とは「物質・財産を生産・分配・消費する活動」などです。これでお分かり
でしょうか。それとも "興味" の意味が分かりませんか。
<<<<<<
私は、"経済的興味" という言葉は漠然としているのでもっと具体的な内容に限定してもらわないと、ご質問に対して答えかねることを#14866で述べました。上のように辞書的な意味を説明してもらったところで、その指し示す内容が漠然としていることに変わりなく、私の問題は解決しません。
ですから、
>>>>>>
そう言うことをお尋ねでないと思いましたので、
<<<<<<
というご判断は正しいです。
しかし、
>>>>>>
「竹島(現鬱陵島)に関するものを隠岐の産物として扱いたいと思うこと」のように例をあげました。他にもいろいろ考えられます。
<<<<<<
という記述はちょっと意外でした。「隠岐の産物として扱いたいと思うこと」はあくまで一例であり、これ以外にも "経済的興味" の意味することはいろいろあったのですか。
私は#14867でshuku_remusさんから、
(#14867)>>>>>>
ここで用いている "経済的興味" とは、竹島(現鬱陵島)に関するものを隠岐の
産物として扱いたいと思うことです。
>>>>>>
というお答えをいただいたので、てっきり「漠然としている "経済的興味" という言葉を、ここでは『竹島に関するものを隠岐の産物として扱いたいと思うこと』という意味に限定して用いる」という意味だと思っていました。
あくまで一例として挙げているのであれば、せめて「例えば」という語句を入れ、
「ここで用いている "経済的興味" とは、例えば、竹島(現鬱陵島)に関するものを隠岐の産物として扱いたいと思うことです」
のような書き方をして欲しかったと思います。
まあ、「隠岐の産物として扱いたい」というのは一例に過ぎないという shuku_remusさんの意図は分かりましたから、それで話を進めます。
>>>>>>
何が具体的にあったかは分かりませんが、竹島(現鬱陵島)の「多竹魚海鹿」に
関して上記のような活動を通して何がしかを得たいとの "願望" が "経済的興味"
の内容です。
<<<<<<
"経済的興味" の内容がそういうことであることは大体了解しました。
それで、最初のご質問に戻ってもう一つお尋ねします。
>>>>>>
斉藤豊仙は、竹島の主な産物「多竹魚海鹿」に "経済的興味" を感じていたかどうか
<<<<<<
『竹島の主な産物「多竹魚海鹿」』というのは日本語として少し変な表現ですよね。
国代記に竹島の産物が「多竹魚海鹿」という紹介されていることに絡めた表現であることは分かりますし、私なりにその意味を想像することもできますが、私の想像が当っているという保証もないので、できれば普通の日本語に直していただけませんか。
よろしくお願いします。
(次の記事に続く)
これは メッセージ 14875 (shuku_remus さん)への返信です.
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瓮島
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/08/29 11:44 投稿番号: [14879 / 18519]
これは、初耳ですな。
http://www.japanresearch.org.tw/japan/paper-11.htm<正祖実録巻40>正祖18年(1794年)6月条25日内容によりますと,鬱陵島以外にも「防牌島、竹島、瓮島、可支島」等の島が登場する。まず,ここの瓮島に注目する必要がある。瓮島の瓮は瓮器を意味する。瓮器(Wong-Ki)を韓国語発音では「Tok」と呼ばれている。この「Tok」には2つの意味がある。瓮器の意味以外にも,韓国慶尚道地方の方言で石を意味する。
韓国側は「勒令第41号」第2条に現れる石島を,慶尚道地方の方言石の意味Tok Sumと解釈し,漢字音で記録する時,「Tok」の同じ音「独」を取って「独島」(Tok do)にしたと,石島を独島だと主張しているが,この独島と言う島の名称は,日本が1905年2月22日竹島(独島)を編入以前の韓国側の古文書には全く記されていない
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14879.html
晴天の日に見たのは何?
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/08/29 01:40 投稿番号: [14878 / 18519]
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『郷土資料 村川家附竹島渡海』
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/08/27 14:14 投稿番号: [14877 / 18519]
これは メッセージ 14860 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14877.html
Re: こんな滅茶苦茶な意見もあります。
投稿者: orehamatteita 投稿日時: 2006/08/27 00:44 投稿番号: [14876 / 18519]
ざっと目を通しましたが・・・・
典型的な韓国人の考えですね・・・
学歴のない人間を馬鹿にしているのもいかにもといったところですね
これは メッセージ 14874 (invridre さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14876.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/08/26 22:09 投稿番号: [14875 / 18519]
te2222000さん
>あと、できれば今回のような「斎藤豊仙の気持ちに対するshuku_remusさんの考え
>を述べて、その内容から "経済的興味" の意味を推測させる」書き方ではなく、
>「"経済的興味" の意味を直接説明する」書き方をしていただけませんか。
"経済的興味" の意味を直接説明すると「経済的な興味」になります。
"経済" とは「物質・財産を生産・分配・消費する活動」などです。これでお分かり
でしょうか。それとも "興味" の意味が分かりませんか。
そう言うことをお尋ねでないと思いましたので、「竹島(現鬱陵島)に関する
ものを隠岐の産物として扱いたいと思うこと」のように例をあげました。他にも
いろいろ考えられます。例えば、米子町人の事業に関係して、隠岐が中継拠点と
して資材を提供すること。地元漁民が事業の何らかの役割を請負すること。竹島
(現鬱陵島)からの産物を卸売すること。さらに、米子町人の事業とは別にして、
地元漁民による竹島(現鬱陵島)近海への出漁は当然あり得たと思います。
何が具体的にあったかは分かりませんが、竹島(現鬱陵島)の「多竹魚海鹿」に
関して上記のような活動を通して何がしかを得たいとの "願望" が "経済的興味"
の内容です。
>私の質問意図に対する誤解があるようですが、私は、shuku_remusさんが #14614
>で上記のフレーズをお書きになった時点での考えについて尋ねています。なので
>「未だ何とも言えない」ということはないと思います。
#14845でも述べましたが、竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思いについては
推測であることに変わりありません。te2222000さんとの議論を通しても、#14614と
現在とで、私の中で推測が確信に変わったとか、そのような変化はありません。
te2222000さんからの#14842では、私は「相当に自信のある書き方」とのことでしたが、
自信があるかどうかについて、私の中では「未だ何とも言えない」ということです。
>この説明を見る限り、バトルテストのテストとしての有効性は、公正な立場で
>優劣結果を判定する審判がいるかどうかに掛かっていそうですね。
まずは、当事者間でよく議論し、理解し合い、結論を出すのが一番です。
>#14869でも書いたように☆は、
>
>(*1)「地元漁民が国境画定を望んでいた」
>(*2)「斎藤豊仙は、地元漁民が安心して漁を営むことに関心があった」
>
>の二つを認めたとしても、
>
>(*3)「斎藤豊仙は国境画定が必要だと思っていた」
>
>という結論にはならない例として挙げたものですが、shuku_remusさんは、このこと
>[(*1)(*2)を認めても、(*3)の結論にはならないこと]についても、ひょっとして
>お認めになるのでしょうか。
竹島(現鬱陵島)について、国境をはっきりさせる以外に、地元漁民が安心して漁を
営めるようにする方法(例えば、国境をはなくとも外国と漁業協定する方法)が、当時
あったならばそれも良いと思いますが、私は知りません。te2222000さんは具体的に何か
ご存知ですか。
>「普通の郡代として、…推測しています」の文では、何を推測しているかが省略
>されていますね。
斉藤豊仙が隠岐郡代を務めたことをもとに、私は次のように推測しています。
斉藤豊仙が普通の(ここで"普通の" とは "役割に忠実な")郡代として、地元を
管轄していたならば、地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があったと
推測しています。隠岐郡代を務めたことをもとにした、このような推測は常識的な
推測と思います。
反対に、斉藤豊仙は隠岐郡代を務めたにも拘わらず、地元漁民が安心して漁を営む
ことには関心がなかったと推測するならば、この場合は、何故常識的ではない推測を
妥当とするのか、新たな根拠が必要になります。
>私は、そうは思いません。上で述べたように、(*1)(*2)を認めても(*3)の結論には
>ならないことがあると思うからです。
国代記の冒頭、日本の国境を述べる箇所を読んでの受け止め方を議論しています。
僅かな(ありもしないような)可能性を論じているのではありません。
shuku_remus
これは メッセージ 14872 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14875.html
こんな滅茶苦茶な意見もあります。
投稿者: invridre 投稿日時: 2006/08/24 23:52 投稿番号: [14874 / 18519]
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14874.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/08/23 22:46 投稿番号: [14873 / 18519]
(前の記事から続く)
さてところで、私が#14864 で書いた次の例(以下、☆)についてですが、
(#14864)>>>>>>
「地元漁民は、朝鮮半島が見える程に近いことから、朝鮮人との遭遇が起こることを懸念していた。しかし、斎藤豊仙は、実際に漁が妨害されたのであればともかく、40年に渡って漁の実施に問題が生じていないのだから、あえて正式な国境画定をする必要があるとは思わなかった」
<<<<<<
いくつか質問にお答えいただいたおかげで shuku_remusさんの考えが多少分かってきましたが、気になるのは、shuku_remusさんが☆の見解を否定しているように見えないことです。
もちろん、shuku_remusさんは、斉藤豊仙が国境画定の必要性を認識していたと推測されていて、その点、☆と見解を異にすることは分かりますが、その一方で☆に対して何らかの根拠を挙げて否定するということもされていません。なので、shuku_remusさんは、☆の見解も一つの考え方としてあり得るとお認めのように思えます。
#14869でも書いたように☆は、
(*1)「地元漁民が国境画定を望んでいた」
(*2)「斎藤豊仙は、地元漁民が安心して漁を営むことに関心があった」
の二つを認めたとしても、
(*3)「斎藤豊仙は国境画定が必要だと思っていた」
という結論にはならない例として挙げたものですが、shuku_remusさんは、このこと[(*1)(*2)を認めても、(*3)の結論にはならないこと]についても、ひょっとしてお認めになるのでしょうか。
>>>>>>
|>斎藤豊仙がこの問題についてそれ程高い関心を持っていたと主張するのであれば、
|>単に「郡代だったから」というだけでは不十分だと思います。
|
普通の郡代として、地元を管轄する役にあったとして推測しています。
常識的な推測と思います。断定には不十分ですが、推測には十分と思います。
<<<<<<
「普通の郡代として、…推測しています」の文では、何を推測しているかが省略されていますね。
この文は私の記事に対するコメントですので、私の記事を正しく理解していらっしゃるならば、以下のように推測していることになると思いますが、これには同意していただけますか。
「地元漁民の考えと斎藤豊仙の考えが異なる可能性には言及する必要が無い程、斎藤豊仙は地元漁民が安心して漁を営むことに対して高い関心があった」(とshuku_remusさんは推測している)
>>>>>>
|>これまでのshuku_remusさんのお話では、地元漁民の考えと斎藤豊仙の考えが
|>異なる可能性には言及されていません。
|
斉藤豊仙は地元漁民のことを考えるような性格ではなかったとか、
|或いは、当時の郡代には地元漁民に関心を持つべき責務はなかったとか、余程の
|事情があったでしょうか?
そのような事実があればご教示をお願いします。
<<<<<<
やっぱりshuku_remusさんは「斉藤豊仙は地元漁民のことを考えるような性格ではなかったとか、或いは、当時の郡代には地元漁民に関心を持つべき責務はなかったとか、そのような余程の事情がない限り、地元漁民の考えと斎藤豊仙の考えが異なる可能性には言及する必要が無い」とお考えのようですね。
私は、そうは思いません。上で述べたように、(*1)(*2)を認めても(*3)の結論にはならないことがあると思うからです。
これは メッセージ 14872 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14873.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/08/23 22:45 投稿番号: [14872 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
隠岐郡代であった斉藤豊仙としては、竹島(現鬱陵島)に関するものは、先ずは
外国のものであってはならないと、次に米子町人が幕府から許可を受けていたこと
は認めるものゝ、松江藩隠岐の産物として扱いたいと "願望" したものと思います。
<<<<<<
うーん、「隠岐の産物として扱いたい」という表現について尋ねたのに対して、「隠岐の産物として扱いたい」という表現を使ったお答えをいただいてもねえ…。
>>>>>>
敢えて "利権を奪う" まで行かなくとも、まずは地元或いは拠点として何がしか
を得たいとの "願望" です。そのような関わりは実際あったのではないでしょうか。
<<<<<<
「敢えて "利権を奪う" まで行かなくとも」とおっしゃいますが、私には、鳥取藩が独占する竹島渡海事業の利権(の一部)を奪うことなしに、竹島に関するもの(の一部)を隠岐の産物として扱うという状況がちょっと想像しにくいです。その点、もう少しご説明いただけませんか。
あと、できれば今回のような「斎藤豊仙の気持ちに対するshuku_remusさんの考えを述べて、その内容から "経済的興味" の意味を推測させる」書き方ではなく、「"経済的興味" の意味を直接説明する」書き方をしていただけませんか。
>>>>>>
斉藤豊仙は、竹島の主な産物「多竹魚海鹿」に "経済的興味" を感じていたかどうか、
お考えをお聞きしています。
<<<<<<
"経済的興味" の意味が明らかになり次第、お答えします。
>>>>>>
>それで、#14614の「これ以上は想像の想像ですが」というフレーズに対する私の
>受け取り方は、shuku_remusさんのお考えと、ずれているのでしょうか?
未だ何とも言えません。
<<<<<<
私の質問意図に対する誤解があるようですが、私は、shuku_remusさんが #14614で上記のフレーズをお書きになった時点での考えについて尋ねています。なので「未だ何とも言えない」ということはないと思います。
>>>>>>
議論を戦わせ、その優劣結果により主張の妥当性を評価することをバトルテスト
と言っています。
<<<<<<
分かりました。
この説明を見る限り、バトルテストのテストとしての有効性は、公正な立場で優劣結果を判定する審判がいるかどうかに掛かっていそうですね。
(次の記事へ続く)
これは メッセージ 14871 (shuku_remus さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14872.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/08/20 22:12 投稿番号: [14871 / 18519]
te2222000さん
隠岐郡代であった斉藤豊仙としては、竹島(現鬱陵島)に関するものは、先ずは
外国のものであってはならないと、次に米子町人が幕府から許可を受けていたこと
は認めるものゝ、松江藩隠岐の産物として扱いたいと "願望" したものと思います。
敢えて "利権を奪う" まで行かなくとも、まずは地元或いは拠点として何がしか
を得たいとの "願望" です。そのような関わりは実際あったのではないでしょうか。
斉藤豊仙は、竹島の主な産物「多竹魚海鹿」に "経済的興味" を感じていたかどうか、
お考えをお聞きしています。
>それで、#14614の「これ以上は想像の想像ですが」というフレーズに対する私の
>受け取り方は、shuku_remusさんのお考えと、ずれているのでしょうか?
未だ何とも言えません。
議論を戦わせ、その優劣結果により主張の妥当性を評価することをバトルテスト
と言っています。
>「どの程度と言うことであれば」とありますが、何が「どの程度ということで
>あれば」なのでしょうか。
te2222000さん#14864にある下記「どの程度」です。もとのご質問です。
>地元漁民の考えと斎藤豊仙の考えがどこまで一致しているかを考えた場合、
>どの程度の関心があったかも問題になると思います。
>「しかし国境画定については」とありますが、なぜ「しかし」という接続詞になる
>のでしょうか。「しかし」の前で何を述べ、後で何を述べ、それが本当に逆説の関係
>になっているのか、誠に申し訳ありませんが、私には何とも判断がつかない状態です。
国境策定について願望はあった。"しかし" 国境策定について権限はなかった。
te2222000さんのは多少 "投げやり" ですが、こちらは多少 "あきらめ" です。そう
いう意味で状況設定は、さほど遠くないかも知れません。
>最後の段落が、その前の部分とどう繋がっているのかよく分かりません。
下記のような構成です。ご確認ください。
|>斎藤豊仙がこの問題についてそれ程高い関心を持っていたと主張するのであれば、
|>単に「郡代だったから」というだけでは不十分だと思います。
|
普通の郡代として、地元を管轄する役にあったとして推測しています。
常識的な推測と思います。断定には不十分ですが、推測には十分と思います。
|>これまでのshuku_remusさんのお話では、地元漁民の考えと斎藤豊仙の考えが
|>異なる可能性には言及されていません。
|
斉藤豊仙は地元漁民のことを考えるような性格ではなかったとか、
|或いは、当時の郡代には地元漁民に関心を持つべき責務はなかったとか、余程の
|事情があったでしょうか?
そのような事実があればご教示をお願いします。
宜しくお願いします。
shuku_remus
これは メッセージ 14868 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14871.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/08/20 15:06 投稿番号: [14870 / 18519]
藩名を間違えていましたので訂正します。
(誤) 伯耆藩
(正) 鳥取藩
地域名としては「伯耆」で良いので、「伯耆の産物云々」については特に訂正の必要は無いと思います。
これは メッセージ 14868 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14870.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/08/19 07:56 投稿番号: [14869 / 18519]
(前の記事から続く)
>>>>>>
斉藤豊仙は、国境画定についてその必要性を認識していた。しかしもともと
斉藤豊仙には国境を云々する権限は無かったと言うことであったと思います。
<<<<<<
お答え、ありがとうございます。その点は了解しました。
それで、元の#14865 の記事に戻って考えたのですが…
(#14865)>>>>>>
>「地元漁民は、朝鮮半島が見える程に近いことから、朝鮮人との遭遇が起こることを
>懸念していた。しかし、斎藤豊仙は、実際に漁が妨害されたのであればともかく、
>40年に渡って漁の実施に問題が生じていないのだから、あえて正式な国境画定をする
>必要があるとは思わなかった」
実際に漁への妨害があったかどうか、漁の実施に問題が生じていなかったかどうか
分かりませんが、斉藤豊仙の国境画定へのスタンスは#14614で述べたように下記推定
しています。どの程度と言うことであれば、今回、te2222000さんの状況設定はこれに
さほど遠くないかも知れません。しかし国境画定については、必要性認識の有無より、
もともと権限が無かったと言うことであったと思います。
<<<<<<
すみませんが、正直言って、意味がよく分からないのです。
「どの程度と言うことであれば」とありますが、何が「どの程度ということであれば」なのでしょうか。
「しかし国境画定については」とありますが、なぜ「しかし」という接続詞になるのでしょうか。「しかし」の前で何を述べ、後で何を述べ、それが本当に逆説の関係になっているのか、誠に申し訳ありませんが、私には何とも判断がつかない状態です。
そもそも私としては、自分の言っていることが正しく伝わっているのかどうかに不安があります。上の文からは、正しく理解されているのか、誤解されているのかの判断がそもそもつきませんでした。
よろしければ、もう少しお言葉を補っていただけると幸いです。
念のため私の考えを補足しておきますが、上に引用された私の「地元漁民は〜思わなかった」という文章は、(1)「地元漁民が国境画定を望んでいた」(2)「斎藤豊仙は、地元漁民が安心して漁を営むことに関心があった」の二つを認めたとしても、(3)「斎藤豊仙は国境画定が必要だと思っていた」という結論にはならないことの例として挙げたものです。
>>>>>>
>これまでのshuku_remusさんのお話では、地元漁民の考えと斎藤豊仙の考えが
>異なる可能性には言及されていません。
>
>斎藤豊仙がこの問題についてそれ程高い関心を持っていたと主張するのであれば、
>単に「郡代だったから」というだけでは不十分だと思います。
普通の郡代として、地元を管轄する役にあったとして推測しています。
それとも、斉藤豊仙は地元漁民のことを考えるような性格ではなかったとか、
或いは、当時の郡代には地元漁民に関心を持つべき責務はなかったとか、余程の
事情があったでしょうか?
そのような事実があればご教示をお願いします。
<<<<<<
最後の段落が、その前の部分とどう繋がっているのかよく分かりません。
ひょっとして、shuku_remusさんは以下のようにお考えなのでしょうか。
「斉藤豊仙は地元漁民のことを考えるような性格ではなかったとか、或いは、当時の郡代には地元漁民に関心を持つべき責務はなかったとか、そのような余程の事情がない限り、地元漁民の考えと斎藤豊仙の考えが異なる可能性には言及する必要が無い」
これは メッセージ 14868 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14869.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/08/19 07:55 投稿番号: [14868 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
ここで用いている "経済的興味" とは、竹島(現鬱陵島)に関するものを隠岐の
産物として扱いたいと思うことです。
<<<<<<
「隠岐の産物として扱いたい」という表現についてお尋ねします。
ご存知のように竹島渡海事業は米子町人が独占して行なっており、その産出品は彼らまたは伯耆藩を通じてのみ入手できました。従って、竹島に関するものは「伯耆の産物」と認識されていたでしょう。あるいは、産地から考えて「竹島(磯竹島)の産物」という認識もあったとは思いますが、少なくとも「隠岐の産物」とは考えられていなかった筈です。
なので、「隠岐の産物として扱いたい」という表現を詳しく見れば以下の二つがあると思います。
「伯耆の産物ではなく、隠岐の産物として扱いたい」
→ これは、伯耆藩が独占している竹島渡海事業の利権を奪いたいという意味になると思います。
「竹島の産物ではなく、隠岐の産物として扱いたい」
→ これは、竹島を隠岐の一部として認知させたいという意味になると思います。
shuku_remusさんがどういう意味で「隠岐の産物として扱いたい」と書かれたのか、もう少し詳しくご説明いただけますか。
>>>>>>
>繰り返しになりますが、私は#14614 における「これ以上は想像の想像ですが」と
>いうフレーズから、極めて根拠が不確かで、主張としては非常に弱いものであると
>ご自分でもお考えなのだろうと思いました。
>
>shuku_remusさんが、ご自分の推測に対して持っている自信の度合いと比べて、
>上の私の受け取り方はずれていますか?
根拠については#14842に記載した通りです。
(中略)
主張の強さはバトルテストにより評価されます。評価結果は下記の通りでした。
(中略)
これで私自身がどの程度の自信を持ったかと言われますと、te2222000さんとの
議論を通してだけですので未だ何とも言えません。
(後略)
<<<<<<
それで、#14614の「これ以上は想像の想像ですが」というフレーズに対する私の受け取り方は、shuku_remusさんのお考えと、ずれているのでしょうか?
あと、議論の本筋から逸れますが、「バトルテスト」って何ですか?
(次の記事へ続く)
これは メッセージ 14867 (shuku_remus さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/08/16 23:28 投稿番号: [14867 / 18519]
te2222000さん
> "経済的興味" という言葉が漠然としているため、はい/いいえでは答えかねます。
>もう少し具体的な表現にしていただけませんか。
ここで用いている "経済的興味" とは、竹島(現鬱陵島)に関するものを隠岐の
産物として扱いたいと思うことです。斉藤豊仙は、竹島の主な産物「多竹魚海鹿」
に "経済的興味" を感じていたかどうか、お考えをお聞きしています。
>繰り返しになりますが、私は#14614 における「これ以上は想像の想像ですが」と
>いうフレーズから、極めて根拠が不確かで、主張としては非常に弱いものであると
>ご自分でもお考えなのだろうと思いました。
>
>shuku_remusさんが、ご自分の推測に対して持っている自信の度合いと比べて、
>上の私の受け取り方はずれていますか?
根拠については#14842に記載した通りです。
|
隠州視聴合記 国代記の冒頭の記述と、隠岐
|郡代を務めたとの斉藤豊仙の経歴、及び若干の時代背景から、上記の推測が
|可能です。
主張の強さはバトルテストにより評価されます。評価結果は下記の通りでした。
#14845
|
竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思いについては推測であることに変わり
|ありません。ここにきてte2222000さんから見て、私の書き方に相当な自信を感じると
|すれば、それは議論を通して、te2222000さんの心の中に変化があったのでしょう。
#14863
|
付け加えますと、「竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思い」に関する私の推測
|には、te2222000さんとの議論を通してだけですが、その妥当性が認められるように
|なったと思っています。
これで私自身がどの程度の自信を持ったかと言われますと、te2222000さんとの
議論を通してだけですので未だ何とも言えません。
>すみません、この部分は、「斎藤豊仙は、国境画定について必要性認識が
>有ったかもしないし、無かったかもしれない」という意味に取れるのですが、
>そのように解釈して良いのでしょうか。
斉藤豊仙は、国境画定についてその必要性を認識していた。しかしもともと
斉藤豊仙には国境を云々する権限は無かったと言うことであったと思います。
>これまでのshuku_remusさんのお話では、地元漁民の考えと斎藤豊仙の考えが
>異なる可能性には言及されていません。
>
>斎藤豊仙がこの問題についてそれ程高い関心を持っていたと主張するのであれば、
>単に「郡代だったから」というだけでは不十分だと思います。
普通の郡代として、地元を管轄する役にあったとして推測しています。
それとも、斉藤豊仙は地元漁民のことを考えるような性格ではなかったとか、
或いは、当時の郡代には地元漁民に関心を持つべき責務はなかったとか、余程の
事情があったでしょうか?
そのような事実があればご教示をお願いします。
shuku_remus
これは メッセージ 14866 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14867.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/08/16 06:11 投稿番号: [14866 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
斉藤豊仙は、竹島の主な産物「多竹魚海鹿」に "経済的興味" を感じていたかどうか、
te2222000さんはどうお思いですか。
<<<<<<
"経済的興味" という言葉が漠然としているため、はい/いいえでは答えかねます。もう少し具体的な表現にしていただけませんか。
>>>>>>
>それで、shuku_remusさんはご自分の推測にどの程度の自信をお持ちなのでしょうか。
どの程度の自信かとは大変むずかしいご質問です。
<<<<<<
はい、そう思うので、上に続けて以下のようにお尋ねしました。
(#14864)>>>>>>
繰り返しになりますが、私は#14614 における「これ以上は想像の想像ですが」というフレーズから、極めて根拠が不確かで、主張としては非常に弱いものであるとご自分でもお考えなのだろうと思いました。
shuku_remusさんが、ご自分の推測に対して持っている自信の度合いと比べて、上の私の受け取り方はずれていますか?
<<<<<<
はい/いいえを問う形式なのでこちらの方がお答えになり易いと思いますが、いかがでしょうか?
>>>>>>
しかし国境画定については、必要性認識の有無より、
もともと権限が無かったと言うことであったと思います。
<<<<<<
すみません、この部分は、「斎藤豊仙は、国境画定について必要性認識が有ったかもしないし、無かったかもしれない」という意味に取れるのですが、そのように解釈して良いのでしょうか。
>>>>>>
>これまでのshuku_remusさんのお話を伺う限り、地元漁民の考えと斎藤豊仙の考え
>は区別して扱う必要がないほど一致しているとお考えのように見受けます。
私はそれほど踏み込んだ推定はしていません。
<<<<<<
では、次のように書き換えます。
これまでのshuku_remusさんのお話では、地元漁民の考えと斎藤豊仙の考えが異なる可能性には言及されていません。
斎藤豊仙がこの問題についてそれ程高い関心を持っていたと主張するのであれば、単に「郡代だったから」というだけでは不十分だと思います。
これは メッセージ 14865 (shuku_remus さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14866.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/08/15 22:28 投稿番号: [14865 / 18519]
te2222000さん
>恐らく「経済的な意味がある」というだけの理由で (イ)と(ハ)を同一視している
>のではないですか。
te2222000さんが、割注の「多竹魚海鹿」に「竹島の主な産物を書いたもの」
という "経済的な意味" を認められたのは、より良い理解への第一歩です。ところで
斉藤豊仙は、竹島の主な産物「多竹魚海鹿」に "経済的興味" を感じていたかどうか、
te2222000さんはどうお思いですか。
>それで、shuku_remusさんはご自分の推測にどの程度の自信をお持ちなのでしょうか。
どの程度の自信かとは大変むずかしいご質問です。あくまでもte2222000さん
と対応させて、下記のようにお答えしました。
#14845
|
竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思いについては推測であることに変わり
|ありません。ここにきてte2222000さんから見て、私の書き方に相当な自信を感じると
|すれば、それは議論を通して、te2222000さんの心の中に変化があったのでしょう。
#14863
|
付け加えますと、「竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思い」に関する私の推測
|には、te2222000さんとの議論を通してだけですが、その妥当性が認められるように
|なったと思っています。
>「地元漁民は、朝鮮半島が見える程に近いことから、朝鮮人との遭遇が起こることを
>懸念していた。しかし、斎藤豊仙は、実際に漁が妨害されたのであればともかく、
>40年に渡って漁の実施に問題が生じていないのだから、あえて正式な国境画定をする
>必要があるとは思わなかった」
実際に漁への妨害があったかどうか、漁の実施に問題が生じていなかったかどうか
分かりませんが、斉藤豊仙の国境画定へのスタンスは#14614で述べたように下記推定
しています。どの程度と言うことであれば、今回、te2222000さんの状況設定はこれに
さほど遠くないかも知れません。しかし国境画定については、必要性認識の有無より、
もともと権限が無かったと言うことであったと思います。
#14614
|
地方役人である斉藤豊仙には、もとより日本の国境について云々する
|
権限はなく、豊仙がここではっきり申し立てしても、対外的には何の効力もなく、
|
却って(余計なこととして)幕府から咎められることにもなりかねない。
|
従って、遠まわしにあっさり述べるにとどめた。
#14614
|
斉藤豊仙は隠岐郡代を務めたとのことです
|から、地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があったと思われます。しかし
|当時は幕府の関心は薄く、国境の画定は地元の願望にとどまったのではないでしょうか。
>これまでのshuku_remusさんのお話を伺う限り、地元漁民の考えと斎藤豊仙の考え
>は区別して扱う必要がないほど一致しているとお考えのように見受けます。
私はそれほど踏み込んだ推定はしていません。
shuku_remus
これは メッセージ 14864 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14865.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/08/15 07:17 投稿番号: [14864 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
>そして、自分の考えとして「竹島の主な産物を書いたもの」という経済的な意味を
>お答えしました。
これは、ご自身で「ちょっと狭過ぎる物の見方」とされていました。今は「多竹魚
海鹿」は経済的な意味であると言われる。
<<<<<<
私の主張を正しく理解されていないようです。私は #14843 で、以下の二者択一で考えるのはちょっと狭過ぎる物の見方だと述べました。
(イ) 斎藤豊仙の内心の、或いは地元漁民による経済的興味を示唆したもの
(ロ) 経済的な意味はなく、ただ風光明媚をたたえたもの
そして前々回、(イ)でも(ロ)でもない以下の意味を提示しました。
(ハ) 竹島の主な産物を書いたもの
>>>>>>
te2222000さん、どうも混乱されているのでしょうか。
<<<<<<
混乱しているのはshuku_remusさんの方のように思います。
恐らく「経済的な意味がある」というだけの理由で (イ)と(ハ)を同一視しているのではないですか。
>>>>>>
斉藤豊仙にとって、隠州視聴合紀の中で国代記の冒頭、日本の国境を述べる箇所に
どの様な、そしてどの程度の思い入れがあったかどうか、これは想像するしかありません。
しかもここは何故かあっさりと、或いは「此州」などと遠まわしに(意図あるように
謎かけのように)記述されています。この箇所についての受け止めには、推測が欠かせない
ように思われます。
<<<<<<
それで、shuku_remusさんはご自分の推測にどの程度の自信をお持ちなのでしょうか。
繰り返しになりますが、私は#14614 における「これ以上は想像の想像ですが」というフレーズから、極めて根拠が不確かで、主張としては非常に弱いものであるとご自分でもお考えなのだろうと思いました。
shuku_remusさんが、ご自分の推測に対して持っている自信の度合いと比べて、上の私の受け取り方はずれていますか?
>>>>>>
>私は「地元漁民が安心して漁を営むことに多少は関心があっただろうが、大いに
>関心があったかどうかは不明」と考えます。
「関心があった」と言うことでもう十分です。
<<<<<<
地元漁民の考えと斎藤豊仙の考えがどこまで一致しているかを考えた場合、どの程度の関心があったかも問題になると思います。
例えば、「多少は関心があった」という程度であれば、以下のような状況もあり得るでしょう。
「地元漁民は、朝鮮半島が見える程に近いことから、朝鮮人との遭遇が起こることを懸念していた。しかし、斎藤豊仙は、実際に漁が妨害されたのであればともかく、40年に渡って漁の実施に問題が生じていないのだから、あえて正式な国境画定をする必要があるとは思わなかった」
これまでのshuku_remusさんのお話を伺う限り、地元漁民の考えと斎藤豊仙の考えは区別して扱う必要がないほど一致しているとお考えのように見受けます。
斎藤豊仙がこの問題についてそれ程高い関心を持っていたと主張するのであれば、単に「郡代だったから」というだけでは不十分だと思います。
(念のために付け加えますが、私は「地元漁民が朝鮮人との遭遇を懸念していた」とは思っていません。ここでは、ひとまず shuku_remusさんの考えに従って書きました)
これは メッセージ 14863 (shuku_remus さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14864.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/08/14 22:35 投稿番号: [14863 / 18519]
te2222000さん
>そして、自分の考えとして「竹島の主な産物を書いたもの」という経済的な意味を
>お答えしました。
これは、ご自身で「ちょっと狭過ぎる物の見方」とされていました。今は「多竹魚
海鹿」は経済的な意味であると言われる。te2222000さん、どうも混乱されているので
しょうか。
>私は、#14614 で「これ以上は想像の想像ですが」というフレーズを読んだ時、
>普通なら「これ以上は想像ですが」と書くところ、このように想像であることを
>強調しているということは、極めて根拠が不確かで、主張としては非常に
>弱いものであるとご自分でもお考えなのだろうと思いました。
>
>この私の受け取り方は shuku_remusさんの意図とずれていたのでしょうか。
斉藤豊仙にとって、隠州視聴合紀の中で国代記の冒頭、日本の国境を述べる箇所に
どの様な、そしてどの程度の思い入れがあったかどうか、これは想像するしかありません。
しかもここは何故かあっさりと、或いは「此州」などと遠まわしに(意図あるように
謎かけのように)記述されています。この箇所についての受け止めには、推測が欠かせない
ように思われます。
>私は「地元漁民が安心して漁を営むことに多少は関心があっただろうが、大いに
>関心があったかどうかは不明」と考えます。
「関心があった」と言うことでもう十分です。斉藤豊仙は隠岐郡代として、地元
漁民が安心して漁を営むことには「大いに関心があった」とするのは、一方で、
幕府の「関心が薄い」ことと比較して用いています。斉藤豊仙の関心だけを取り上げて、
多少だったか、大いにだったか突き詰めようとするのは意味がないと思います。
shuku_remus
これは メッセージ 14862 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14863.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/08/14 06:57 投稿番号: [14862 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
>>>>>>>
>
割注の「多竹魚海鹿」に経済的でなければ、どのような意味があるとお思いですか。
><<<<<<
>
>さあ、思いつきません。
と言いながらも、
>私は、「多竹魚海鹿」は竹島の主な産物を書いたものだと思います。
te2222000さんは「多竹魚海鹿」を経済的な意味に捉えているではありませんか??
<<<<<<
そうですが、何か変ですか?
私は上のご質問について、「『多竹魚海鹿』の経済的でない意味としてどんな意味があるか」を尋ねられたものと理解し、それは思いつかないと答えました。
そして、自分の考えとして「竹島の主な産物を書いたもの」という経済的な意味をお答えしました。
別に矛盾は無いと思いますが。
>>>>>>
>#14614 でお書きになった「これ以上は想像の想像ですが」という認識は、現在も
>変わっていないという意味に理解してよろしいでしょうか。
それでよいです。#14845で既にお答えしました。
<<<<<<
ひょっとしたら「想像の想像ですが」という言葉の受け取り方に違いがあるのかもしれませんね。
私は、#14614 で「これ以上は想像の想像ですが」というフレーズを読んだ時、普通なら「これ以上は想像ですが」と書くところ、このように想像であることを強調しているということは、極めて根拠が不確かで、主張としては非常に弱いものであるとご自分でもお考えなのだろうと思いました。
この私の受け取り方は shuku_remusさんの意図とずれていたのでしょうか。
>>>>>>
(1) 斉藤豊仙は、隠岐郡代を務めたことから、地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があった。
(2) 斉藤豊仙は、隠岐郡代を務めたにも拘わらず、地元漁民が安心して漁を営むことには関心がなかった。
(2)より、(1)と考えるのが普通と思います。
<<<<<<
(マル抜き数字は括弧付き数字に変えました)
(1)と(2)の二者択一で考えることが不適切だと思います。私は「地元漁民が安心して漁を営むことに多少は関心があっただろうが、大いに関心があったかどうかは不明」と考えます。
これは メッセージ 14861 (shuku_remus さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14862.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/08/13 22:52 投稿番号: [14861 / 18519]
te2222000さん
>>>>>>>
>
割注の「多竹魚海鹿」に経済的でなければ、どのような意味があるとお思いですか。
><<<<<<
>
>さあ、思いつきません。
と言いながらも、
>私は、「多竹魚海鹿」は竹島の主な産物を書いたものだと思います。
te2222000さんは「多竹魚海鹿」を経済的な意味に捉えているではありませんか??
>#14614 でお書きになった「これ以上は想像の想像ですが」という認識は、現在も
>変わっていないという意味に理解してよろしいでしょうか。
それでよいです。#14845で既にお答えしました。
#14845
|
竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思いについては推測であることに変わり
|ありません。ここにきてte2222000さんから見て、私の書き方に相当な自信を感じると
|すれば、それは議論を通して、te2222000さんの心の中に変化があったのでしょう。
付け加えますと、「竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思い」に関する私の推測
には、te2222000さんとの議論を通してだけですが、その妥当性が認められるように
なったと思っています。
>あと、「隠岐郡代を務めたこと」から、何の考察も無しに「地元漁民が安心して
>漁を営むことには大いに関心があった」と結論していることについて何かコメント
>はありませんか。
#14842に述べました。隠州視聴合記 国代記の冒頭の記述と、隠岐郡代を務めたとの
斉藤豊仙の経歴、及び若干の時代背景から推測しています。斉藤豊仙について、何か
余程の事情でもなければ、
① 斉藤豊仙は、隠岐郡代を務めたことから、地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があった。
② 斉藤豊仙は、隠岐郡代を務めたにも拘わらず、地元漁民が安心して漁を営むことには関心がなかった。
②より、①と考えるのが普通と思います。それとも、斉藤豊仙は地元漁民のことを
考えるような性格ではなかったとか、或いは、当時の郡代には地元漁民に関心を持つ
べき責務はなかったとか、余程の事情があったでしょうか?
そのような事実があれば
ご教示をお願いします。
shuku_remus
これは メッセージ 14852 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14861.html
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