竹島
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「石島」から「獨島」へ
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/09/30 22:42 投稿番号: [14940 / 18519]
現在では鬱陵諸島に「石島」と表記される島は存在しません。
このことについて、今では次のように推測しています。
「石島」と表記したとしても現地読みで「ドクト」と読んでいたと判定して差し支えないことは先の投稿で示したとおりです。
また一方で、当時は多くの日本人が鬱陵島に居住しており、日本人だけの村を「新村」(「シンチョン」と読む)と呼んでいた事実も確認されています。
その様な当時の背景を考え合わせた場合、「石島」を韓国人が「ドクト」と読んだとしても、(今でもそうであるように)日本人には「ドクト」とは読めず、現地読みを統一するためには別の字を充てる必要があったと考えられます。
つまり「獨島」と云う表記は、鬱陵諸島に暮らす韓国人にも日本人の何れにも現地読みの「ドクト」であると判読させる必要があったため、勅令の「石島」を便宜上置き換えて通用していたのだろうと思われます。(現地では現地読みが通用していたことは、先の投稿に示したとおり)
これは メッセージ 14936 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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Re: 竹島ネットニュース3-1
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/09/30 22:24 投稿番号: [14939 / 18519]
>
【コメント】講演において、日本は元禄期の「竹島一件」以後、竹島=独島を版図外と宣言することはあっても、公的に領有意識をもったことは日露戦争中の「竹島編入」時点まで一度もなかったことを理解していただいたと思います。
ええ、そのとおりなのですが、太政官が版図外と指令するに至るまでには、日本国内に鬱陵諸島(日本では竹島と松島)を日本領ではないかとする俗信が蔓延していました。
その原因として考えられるのは、一般に日本地図として高い信頼を得ていた長久保赤水の『改正日本輿地路程全図』に或る変化があったことを重視したいと思います。
当初長久保赤水が著したオリジナルでは、鬱陵諸島は朝鮮と同様に無着色であると同時に諸島全体にまたがるようにして注記が印刷されていました。
ところが版を重ねた弘化三年版では、誤って鬱陵諸島を隠岐と同色に彩色すると同時に、注記もそれまでの諸島全体にではなく鬱陵島にのみかかるように間違って印刷されてしまいます。当時の日本国内では日本地図の決定版とも云える存在であった『改正日本輿地路程全図』が与える影響は絶大なものがあったと考えられます。
それ以降、太政官の指令が下されるまでの間には、混乱が拡大し、ついには文部省の作成した教科書にさえも鬱陵諸島を隠岐に含めて描くものが登場するほどになるわけです。
当時は、その様な背景、つまり鬱陵諸島は全て日本の領土だとする俗信が蔓延っていた背景の下で最終的な太政官指令が下されたわけですので、その当時に島々を日本の版図外と結論した意義は大きいでしょう。
これは メッセージ 14921 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/09/30 22:23 投稿番号: [14938 / 18519]
te2222000さん
te2222000さんが [ii] は [iii] と同じ、即ち "二つ以上" 或いは "全部" を含んで
いることを忘れずにお話しされているなら、それで結構です。つまり、[i]( "全部" )は
[ii] ( "全部" の場合を含む)に含まれる場合であり、ある限定されたものです。
ところで「経済的な興味がある」を何故 [i] のように特別な意味に限定されたのかを
te2222000さんにお聞きしています。お答え不能でしょうか。
>私は #14903 で「経済的な興味」の件を除き対話を打ち切りましたが、こちらの件についても
>そろそろ潮時のようです。これで終わりにします。
無理強いはしませんが、もう少しでしたのに、惜しいことです。
私の考えていた議論の大筋は、
(1) 斉藤豊仙、或いは地元漁民は、竹島(現鬱陵島)の産物に経済的な興味を感じていた。
(2) 地元漁民は、外国に近い竹島海域への出漁に当り、緊張・不安を感じていた。
(3) 斉藤豊仙、或いは地元漁民は、竹島までが日本であることを確実にするよう、国境の
画定を望んでいた。
ものと推測され、そして
(4) 隠州視聴合記 国代記の冒頭の記述について「竹島(現鬱陵島)までが日本の国境
である( "此州" は "竹島および松島" を指す)」のように受け止めるならば、
(1),(2),及び(3)は 斉藤豊仙の動機的面として、そのような受け止めと符号する。
と言うものでした。
(1) については、te2222000さんはこれまで
#14913「現在竹島から得ている経済的な利益を失うことになるのは望ましくない」
#14920 " shuku_remusさんが述べていらっしゃること(下記「
」)自体は、私も賛成できます。"
「少なくとも現在の利益が継続されるよう、より安心して経済活動ができるようにしたい」
とされています。従って、冒頭の議論より「経済的な興味を感じていた」ことに同意されたもの
と思います。( [i] を理由に、必ずしもそうとは言えないなどは無知か詭弁でしかありません。)
(2) については、私の #14912(#14654を含む)へのコメントがなされていませんので
同意かは定かでありませんが、te2222000さんはこれもお答え不能だったものと考えられます。
(3) については、私の #14911 の該当部分へのコメントがなされていません。これに
ついても、お答え不能だったものと考えられます。また「より安心して経済活動ができる
ようにしたい」との気持ちから「国境の画定を望む」との気持ちを推測することもできます。
上記により、(1),(2),及び(3)は推測として妥当であったと思われます。
従って、(4)の「竹島(現鬱陵島)までが日本の国境である( "此州" は "竹島および松島" を指す)」
のような受け止めについて、動機的面からの検証がなされたことになります。
te2222000さん、如何でしょうか。またご質問、ご意見などあればここにアップしてください。
気が付けばいつでもお答えします。
>最後に一つだけアドバイスしておきましょう。
>
>shuku_remusさんの「17世紀半ばには、鬱陵島へ渡った日本人漁民が国境の緊張を感ずる程、
>朝鮮人漁民も鬱陵島近辺に進出していた」という主張は、竹島問題全体から考えた場合は、
>むしろ韓国側に都合の良い見解です。
>
>shuku_remusさんが、今後もご自分の見解について考察を進められるならば、その点についても
>視野に入れておくべきでしょう。
奇妙なアドバイスですね。お気持ちをお察しします。
shuku_remus
これは メッセージ 14931 (te2222000 さん)への返信です.
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Re: 竹島=独島問題ネットニュース3-3
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/09/30 21:59 投稿番号: [14937 / 18519]
>
【コメント】1905年、島根県は県条例で竹島=独島を隠岐島司の所管としたので「隠岐全図」に竹島=独島が記述されるのは当然です。それにもかかわらず、これがニュースになるのは、当時の公的な島根県分県地図に竹島=独島が入っていないためと思われます。
ええ、そのとおりです。
流石にこの会議室では、既にそのことは周知の事実であり、今では話題にもなりませんが。1905年、島根県は県条例案で竹島=独島を隠岐島司の所管することにしても、まともに執行されなかったと考えることも出来ます。施行されず執行されない条例がどこまで有効なのか、むしろ当時は総督府の教科書でも鬱陵島と獨島との間に行政上の境界線を描かないなど、一般には島根県が所管していたとは思われていなかったようです。
これは メッセージ 14923 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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Re: 石島は観音島ではない
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/09/30 21:12 投稿番号: [14936 / 18519]
>このような点から当時の「鬱陵島事况」を見ると、鬱陵島では日本人の進出が問題になっていました。このままでは鬱陵島は日本に支配され、日本と接する于山島=独島は、日本に奪われるのではないかという強い危機感がありました(1905年現実となりました)。それ故、『皇城新聞』は最著の附属島として、いちばん遠い于山島=独島を真先に挙げ、『官報』は「于山島」を形状から「石島」と改めて管轄区域に含めた、とも考えられます。
「石島」と表記した場合、鬱陵島の住民はどのように呼ぶでしょうか。
それについて考察するヒントとしては、遺された鬱陵島の地図などが参考になります。
例えば「巌」は、音読みでは「アム」ですが、当時の地図では「巌」の横に「パウィ」と記されているなど、漢字を音で読まない例が多数見られます。「島項」を「トハン」と読まずに「ソムモク」と読むのも同じです。
一方で不法滞在する日本人が居住する「新村」などは漢字の音を充てて「シンチョン」と発音したようです。
これは、日本人にとっては韓国語の訓に相当する読み方に馴染みがないため、音で読む傾向があったためでしょう。
さて、「石島」については、韓国人にはこれを現地読みの「ドクト」と呼ぶことに抵抗はありませんが、日本人にはなかなか馴染めないようです。或いは、意図的に馴染みたくないだけなのかもしれませんが、現に当時の鬱陵島には地名を音読みにしない事実が確認されていますので、当時は「石島」を「ドクト」と読んでいたと判定して差し支えないものと思われます。
これは メッセージ 14895 (ararenotomo さん)への返信です.
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Re: 田邉太一の「于山」認識
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/09/30 20:51 投稿番号: [14935 / 18519]
>明治9(1876)年から明治11(1878)年にかけて相次いで出された「松島開拓」の申請に対し、外務省内には「松島」が何処を指すかについて「混乱」があったとされています。しかし、「北澤正誠『竹島考證』1881, 復刻エムティ出版, 1996」をみる限り、当時の交信局長田邉太一には少しも「混乱」は無かったことを示します。
同意します。
田邉太一は幕臣の時代にヨーロッパへ使節団の一員として派遣されますが、幕府が内戦に敗れると、旧将軍家が持てる人的資源を結集して創設した沼津兵学校の一等教授として招聘されます。
この沼津兵学校は、特に土木技術や測量技術に優れた多くの人材を輩出しており、彼らはその後内務省地理寮や参謀本部で測量や地図の作製に携っていますね。太一自身は明治政府からの出仕の要請を何度も固辞しましたが、幕僚時代に培った外交官としての貴重な経験と見識を高く評価されており、出仕後は岩倉使節団の欧米視察にも同行するなど活躍しました。
さて、田邉太一にとってみれば、幕府時代から松島竹島ともに朝鮮領であることを疑問に思わないとしても、全く不思議はありません。
渡邉洪基も有能な人材であったろうとは思いますが、豊富な経験と知識を持つ田邉と比較するのは可哀相ですね。
これは メッセージ 14932 (ararenotomo さん)への返信です.
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美しいイルボンに
投稿者: jalopy2005 投稿日時: 2006/09/30 11:36 投稿番号: [14934 / 18519]
統一教のサポートは
必要なんですよね。
ところで、オレ思うんだけど、
竹島問題において、イルボンは
美国に応援してもらおうと考えないの?
何らかの見解を示してもらうとか
ウリナラに対し国際裁判に応じることを
すすめるとか。
ウォ・シー・ハングォレン
これは メッセージ 14933 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
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米子図書館所蔵 『竹島漁業資料』 5
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/09/30 09:56 投稿番号: [14933 / 18519]
これは メッセージ 14894 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
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田邉太一の「于山」認識
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/09/29 23:33 投稿番号: [14932 / 18519]
明治9(1876)年から明治11(1878)年にかけて相次いで出された「松島開拓」の申請に対し、外務省内には「松島」が何処を指すかについて「混乱」があったとされています。しかし、「北澤正誠『竹島考證』1881, 復刻エムティ出版, 1996」をみる限り、当時の交信局長田邉太一には少しも「混乱」は無かったことを示します。
明治9年7月の武藤平學と兒玉貞易の「松島開拓之議」に続いて、浦塩港貿易事務官瀬脇壽人は、明治10年4月に齊藤七郎兵衛の「松島開島願書并建言」、6月に武藤平學の「松島開島之建白」を上申しました。これに対し田邉太一は、「松島ハ朝鮮ノ鬱陵島ニシテ我版図中ナラス」として、この「松島」は鬱陵島との認識を示しました。明治11年8月瀬脇壽人は再び下村輪八郎と齊藤七郎兵衛の「松島開拓願」を上申したので、松島巡島の議論が起り、田邉太一は「松島巡視要否ノ議」(第二十壱号)を纏めました。
「開拓願」の「松島」が鬱陵島と認識していた田邉太一は、松島について次の様に記しました「聞クカ如キハ松島ハ我邦人ノ命セル名ニシテ其実ハ朝鮮蔚陵島ニ属スル于山ナリ」。松島は、「日本人の命名した名前」から、『隠州視聴合記』『竹島圖説』『竹島考』等に記されている松島と分ります。そして田邉は、この本来の松島は朝鮮蔚陵島に属する于山である、と認識していました。「松島ハ于山ナリ」は高麗史の「一云于山武陵本二島相距不遠風日晴明則可望見」をそのとおりに読み、川上健三氏(『竹島の歴史地理学的研究』古今書院, 1966)のように、鬱陵島を本土から見た記事とは読まなかったことを示します。
henchin_pokoider01さん(Nos.988, 1000)は、「松島ハ(略)蔚陵島ニ属スル于山ナリ」の記述より、彼が松島を「現竹嶼」と解釈していたことがわかる、と述べました。しかし、これは「我邦人ノ命セル名ニシテ」を略したからです。この文が入ると、その解釈では日本人は「現竹嶼」を松島と名付けたことになりますが、その様な証拠はありません。
田邉はさらに続けて、「蔚陵島ノ朝鮮ニ属スルハ旧政府ノ時一葛藤ヲ生シ文書往復ノ末永ク証テ我有トセサルヲ約シ載テ両国ノ史ニ在リ今故ナク人ヲ遣テコレヲ巡視セシム此ヲ他人ノ宝ヲ數フトイフ
--
松島断シテ開ク能ワス又開クベカラス其不能不可ヲ知テコレヲ巡視スル豈無益ナラサランヤ況ヤ後害ヲ醸サントスルオヤ」と巡視そのものに反対しました。
一方、記録局長渡邉洪基の意見の結びは次の様でした「- - 我邦人外国ノ船ニ搭シ韓地ニ至リシトテ韓政府ノ猜嫌ヲ増サントノ過愚ハナキニアラズトイヘトモ該島ニ在ル韓民(縦令官吏アルモ)邦人ト外国人トヲ区別スルノ眼晴モアルマジケレバ断然交隣ノ誼ニ於テハ妨碍ヲ生セサラン亊ヲ信ス」(第二十壱号)。全く田邉とは対照的です。
更に渡邉は、「
--
既ニ竹島日本人行キ葛藤ヲ生セシヲ見レハ其島ヨリ近キ松島ヘハ必ラス行キタル人ナシト云フベカラズ去レハ竹島ト別物ナラハ因隠石等之国ニ帰セサルヲ得ス去レハ是等ノ縣ニテハ知ルベキ筈ナレハ同縣等ニ問合セ松島之属否竹島松島ノ異同ヲ取調フベシ - - 現場ノ有様ト従来之模様トヲ合セテ其真ノボシションヲ定ムベキナリ」(第二十貳号)依然巡視に拘り続けました。これに対し田邉は、もはや敢えて反対はしませんでした。
田邉太一の人物像を「司馬遼太郎『翔ぶが如く』文藝春秋, 1976」から借ります。1874年大久保利通に随行して清国との交渉に臨んだ時のことです。
田辺太一は、号は蓮舟。『幕末外交談』の著者である。
この旧幕臣出身の男は、北京で談判をしている柳原前光以下のたれにくらべても、人物、力量、経験のいずれもがすぐれていたが、旧幕臣であるというだけで、公卿出身の柳原の下僚に甘んじていざるをえないのである。
(中略)
この当時の日本の外交技術者としては、この田辺太一の右に出る者はいなかったであろう。が、かれは旧幕臣という立場もあり、人柄の謙虚さということもあって、つねに派手立った行動をせず、そのためもあって、つねに功を藩閥出身者に譲った。
(中略)
漢文に長じ、仏語をよくし、外交交渉に習熟している上に、国際情勢にあかるい田辺太一の存在は珍重するに足るものであった。ただ、田辺は勇士ではなかった。外交に勇士というものが必要なのかどうかは別として、たとえば清国との交渉において開戦を決意するなどという粗暴さは田辺の持ち味ではない。
これは メッセージ 14897 (ararenotomo さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/29 06:03 投稿番号: [14931 / 18519]
結局、二つ以上の場合も含むことを強調するため [iii] に言い換えただけであり、内容自体は [ii] でも正しいということですね。従って、#14928 における次の記述は、明らかに適切さを欠いています。
>>>>>>
また間違いましたね。[i],[ii]のどちらでもありません。[iii]です。
<<<<<<
普通の感覚なら、shuku_remusさんの側からこの事について一言あって当然のところですが、shuku_remusさんは無視を決め込んでいます。今までの発言内容から考えて、このような反応は当然予想したので、私としては今更驚きも呆れもしませんが。
私は #14903 で「経済的な興味」の件を除き対話を打ち切りましたが、こちらの件についてもそろそろ潮時のようです。これで終わりにします。
最後に一つだけアドバイスしておきましょう。
shuku_remusさんの「17世紀半ばには、鬱陵島へ渡った日本人漁民が国境の緊張を感ずる程、朝鮮人漁民も鬱陵島近辺に進出していた」という主張は、竹島問題全体から考えた場合は、むしろ韓国側に都合の良い見解です。
shuku_remusさんが、今後もご自分の見解について考察を進められるならば、その点についても視野に入れておくべきでしょう。
これは メッセージ 14930 (shuku_remus さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/09/27 23:25 投稿番号: [14930 / 18519]
te2222000さん
te2222000さんが "二つ以上" を忘れないようにしました。さらに下記のように修正して
ダメ押ししたいと思います。
[iii] 「経済的な興味がある」とは、イ、ロ、ハ、ニ、…の【少なくとも一つ、又は二つ以上、
或いは全部】の気持ちがあることである。
te2222000さんは
[i] 「経済的な興味がある」とは、イ、ロ、ハ、ニ、…の【全て】の気持ちがあることである。
としています。te2222000さんのお考えでは、イ、ロ、ハ、ニ、…の一つでも抜けてしまうと
「経済的な興味がある」とは言えないことになります。何故そのように限定されましたか。
イ) 少なくとも現在の利益が継続されるようにしたい
ロ) より安心して経済活動ができるようにしたい
ハ) 竹島(現鬱陵島)に関するものを隠岐の産物として扱いたい
ニ) 中継拠点として資材を提供したい
ホ) …
shuku_remus
これは メッセージ 14929 (te2222000 さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/27 19:09 投稿番号: [14929 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
>[ii] 「経済的な興味がある」とは、イ、ロ、ハ、ニ、…の【少なくとも一つ】の気持ちがある
>ことである。
>
>とお考えのように見受けますが、この理解は正しいでしょうか。
また間違いましたね。[i],[ii]のどちらでもありません。[iii]です。
[iii] 「経済的な興味がある」とは、イ、ロ、ハ、ニ、…の【少なくとも一つ又は二つ以上】の
気持ちがあることである。
<<<<<<
すみません、私には [ii]
と [iii] が全く同じ意味に思えるのですが、両者はどう違うのでしょうか。もう少し具体的にご説明願えませんか。
これは メッセージ 14928 (shuku_remus さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14929.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/09/25 23:30 投稿番号: [14928 / 18519]
te2222000さん
>「経済的な興味」が
>
>イ) 少なくとも現在の利益が継続されるようにしたい
>ロ) より安心して経済活動ができるようにしたい
>ハ) 竹島(現鬱陵島)に関するものを隠岐の産物として扱いたい
>ニ) 中継拠点として資材を提供したい
>ホ) …
>
>などを含む場合に、私は
>
>[i] 「経済的な興味がある」とは、イ、ロ、ハ、ニ、…の【全て】の気持ちがあることである。
>
>と考えていました。お話を伺うとshuku_remusさんは、
>
>[ii] 「経済的な興味がある」とは、イ、ロ、ハ、ニ、…の【少なくとも一つ】の気持ちがある
>ことである。
>
>とお考えのように見受けますが、この理解は正しいでしょうか。
また間違いましたね。[i],[ii]のどちらでもありません。[iii]です。
[iii] 「経済的な興味がある」とは、イ、ロ、ハ、ニ、…の【少なくとも一つ又は二つ以上】の
気持ちがあることである。
竹島(現鬱陵島)に対する「経済的な興味」が イ、ロ、ハ、ニ、…などを "含む" とした場合、
斉藤豊仙は 竹島に対して「経済的な興味を持っている」ならば、斉藤豊仙は イ、ロ、ハ、ニ、…
の【少なくとも一つ又は二つ以上】の気持ちがあることになります。
例えば、斉藤豊仙にイとロの気持ちがあれば、斉藤豊仙は竹島に対して「経済的な興味を
持っている」ことになります。因みに、逆に、斉藤豊仙が竹島に対して「経済的な興味を持って
いる」としても、イとロの気持ちがあるとは限りません。ハとかニの気持ちかも知れないという
ことです。
shuku_remus
これは メッセージ 14927 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14928.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/25 06:15 投稿番号: [14927 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
「イ、ロの気持ち」は「経済的な興味」に含まれることに同意します。そうであれば
「イ、ロの気持ちが(どちらかでも)ある」と推測しているならば、斉藤豊仙は竹島
(現鬱陵島)に対して「経済的な興味を持っている」と推測していることになります。
<<<<<<
「経済的な興味」が
イ) 少なくとも現在の利益が継続されるようにしたい
ロ) より安心して経済活動ができるようにしたい
ハ) 竹島(現鬱陵島)に関するものを隠岐の産物として扱いたい
ニ) 中継拠点として資材を提供したい
ホ) …
などを含む場合に、私は
[i] 「経済的な興味がある」とは、イ、ロ、ハ、ニ、…の【全て】の気持ちがあることである。
と考えていました。お話を伺うとshuku_remusさんは、
[ii] 「経済的な興味がある」とは、イ、ロ、ハ、ニ、…の【少なくとも一つ】の気持ちがあることである。
とお考えのように見受けますが、この理解は正しいでしょうか。
これは メッセージ 14924 (shuku_remus さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14927.html
Re: 竹島ネットニュース3-1
投稿者: atsui4444 投稿日時: 2006/09/25 01:21 投稿番号: [14926 / 18519]
>【コメント】講演において、日本は元禄期の「竹島一件」以後、竹島=独島を版図外と宣言することはあっても、公的に領有意識をもったことは日露戦争中の「竹島編入」時点まで一度もなかったことを理解していただいたと思います。
ここの掲示板はロムをしていましたが、半月城さんのこの主張に対する
反論は既に出ており、半月城さんからは何も反論が無かったと思います
(間違っていたら失礼)。
ところが別所では何事も無かったように、延々とご自身の主張を
続けるのですか?
それって酷くないですか?
これは メッセージ 14921 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14926.html
Re: 竹島ネットニュース3-1
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/09/25 00:10 投稿番号: [14925 / 18519]
この「磯竹島略図」には、さほどの意味がないでしょう。すでに文章で書かれている部分だけで充分に竹島・松島が伺えるわけで、絵が出てきたところで理解に大きな進展があるわけでもなさそうです。
絵にどれほど正確に島を描いてあろうと、極端な話、地形が完全に一致していようと、別に意味はないということ。
なぜなら、太政官は竹島=アルゴノート島、松島=ダジュレー島と考えていた可能性がかなり高い。つまり、太政官が版図外としたのはたしかに竹島・松島であったにせよ、それは鬱陵島の放棄を意味するものに過ぎず、それ以上のものではないと。
むしろ、太政官が竹島=鬱陵島、松島=リアンクール岩と考えた可能性については何ら根拠はないのです。
これについてはすでに議論済み。14831参照。
この「磯竹島略図」がいかに正確であろうと、文章がいかに現在の竹島をうかがわせようと、結局は、太政官判断においては、松島=鬱陵島としかとりようがないことでしょう。
今の目から見て、この地図はまさに鬱陵島と独島である。だから、太政官はこの鬱陵島と独島を放棄したのである、というのは、さほど根拠ある議論でもないと思いますよ。
これは メッセージ 14921 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14925.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/09/24 22:49 投稿番号: [14924 / 18519]
te2222000さん
te2222000さん#14920
>とりあえず、shuku_remusさんが述べていらっしゃること自体は、私も賛成できます。
>
>shuku_remusさんがお使いの「経済的な興味」という言葉は、
>
>イ) 少なくとも現在の利益が継続されるようにしたい
>ロ) より安心して経済活動ができるようにしたい
>
>という気持ちを含むものだと思います。
>
>ただし、包含関係にありますから、逆は必ずしも真ではない、つまり、
>「イ、ロの気持ちがある」からといって「経済的な興味を持っている」とは言えない
>ことは、あらかじめ指摘しておきます。
???
"ただし" より後のご指摘はおかしいですね。
「イ、ロの気持ち」は「経済的な興味」に含まれることに同意します。そうであれば
「イ、ロの気持ちが(どちらかでも)ある」と推測しているならば、斉藤豊仙は竹島
(現鬱陵島)に対して「経済的な興味を持っている」と推測していることになります。
「AはBを含む」即ち「BはAに含まれる」であれば「BであればA」です。因みに
逆に「AであってもBとは限らない」です。
te2222000さん#14919
>特に、以前指摘した、隠州視聴合紀における経済問題への関心の薄さを考えると、
>竹島に関して経済的な関心を持っていたと推測することには慎重であるべきだと
>考えます。
>
>このような事情を考慮した時、私としては、aについては持っていたと推測して良い
>だろうが、b, c までも持っていたと推測することは適切さを欠くと判断します。
「興味(特別な関心)」は「関心」に含まれます。te2222000さん#14920では上記の
ように、斉藤豊仙は竹島(現鬱陵島)に「経済的な興味を持っている」と分かりました
ので、こと竹島に関しては「経済的な関心を持っている」ことになります。
私はa,b,cについてはどうとも言えません。te2222000さんのようにaまでと
受け止めることはあり得ると思います。しかし「経済的な興味」ですから、さらなる
利益(効率的な操業、漁獲高の拡大、新たな漁場等々)を追求することがあっても
自然と思います。その前に、ここで無理にa,b,cに分ける理由が分かりません。
shuku_remus
これは メッセージ 14920 (te2222000 さん)への返信です.
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竹島=独島問題ネットニュース3-3
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/09/24 22:04 投稿番号: [14923 / 18519]
これは メッセージ 14922 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14923.html
竹島=独島問題ネットニュース3-2
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/09/24 21:47 投稿番号: [14922 / 18519]
これは メッセージ 14921 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14922.html
竹島ネットニュース3-1
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/09/24 21:31 投稿番号: [14921 / 18519]
竹島=独島問題ネットニュース3
2006.9.24
1.半月城の講演会「竹島=独島の知られざる歴史〜日本の固有領土って本当?」
2.「独島は朝鮮領」明治政府文書発見
3.日韓共同調査:竹島=独島周辺海域で10月7日から
4.韓国の対日強硬姿勢に変化?
韓日共同で海洋調査実施へ
5.北東アジア歴史財団は日本を狙った組織
6.‘歴史戦争’に 200億ウォン支援…「北東アジア財団」来年予算策定
7.韓国領土学会「EEZの基点、独島は可・鳥島は不可」
8.日本、「独島は韓国領土」仏テレビ番組に放送取消求める
9.独島切手:北朝鮮が発行、韓国で予約販売開始
10.8月15日から独島で携帯電話の発着信が可能
11.大正期の「隠岐全図」に竹島
12.和田春樹教授「韓国、独島問題で焦る必要ない」
13.日本政府、在日外信記者団の独島訪問に抗議
14.中曽根元首相「独島、解決しないのも方法」
15.自民党外交部会が竹島問題で初会合
各記事の詳細
(著作権の関係上、新聞記事は一部のみ引用)
1.半月城の講演会「竹島=独島の知られざる歴史〜日本の固有領土って本当?」
朝日新聞(名古屋版)、2006.9.14
●不戦のつどい
17日午後1時半、名古屋市中区錦3の市教育館。不戦兵士・市民の会東海支部主催。(以下省略)
【コメント】講演において、日本は元禄期の「竹島一件」以後、竹島=独島を版図外と宣言することはあっても、公的に領有意識をもったことは日露戦争中の「竹島編入」時点まで一度もなかったことを理解していただいたと思います。
なお、参加者の竹島=独島問題への関心が高く、講演に続く質問は一時間以上も延々と続くほどでした。
2.「独島は朝鮮領」
日本政府文書発見
朝鮮日報、2006.9.14
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/14/20060914000011.html
1877年当時、日本の太政官(現在の首相室)が「独島(日本名竹島)は日本の領海ではない」と公式確認した文書に、鬱陵島と独島を表記した地図が添付されていたことが明らかになった。
環境部首都圏大気環境庁長の鮮于栄俊(ソンウ・ヨンジュン)氏は13日に「磯竹島略図」の内容を公開し、「この地図に現れた独島の存在は韓日の学者間で繰り広げられてきた論争を整理する意味がある」と語った。
【コメント】「磯竹島略図」は、日本では漆崎英之氏により今年6月に発見されている。くわしくは下記の「竹島=独島ネットニュース2,2006.7.1」<新資料発見か>を参照してください。
http://www.han.org/a/half-moon/hm121.html#No.911
また「磯竹島略図」は、すでに半月城が『「マンガ嫌韓流」のここがデタラメ』第2刷(2006.8.15、コモンズ発行)P206に引用済みです。
(つづく)
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/23 07:57 投稿番号: [14920 / 18519]
少し訂正します。
(shuku_remusさん #14918)>>>>>>
竹島(現鬱陵島)とその周辺から採れる産物に対する経済的な興味からくる
気持ちとしては、少なくとも現在の利益が継続されるよう、より安心して経済
活動ができるようにしたいとする気持ちと考えます。
<<<<<<
(te2222000 #14919)>>>>>>
とりあえず、shuku_remusさんが述べていらっしゃること自体は、私も賛成できます。
shuku_remusさんがお使いの「経済的な興味」という言葉は、現状を維持するだけでなく、もっと多くの利益を得たいという積極的なニュアンスを含むようなので、経済活動の安心についてもより確かなものを求める意識に結び付く言葉だと思います。
<<<<<<
読み返したら私のこのコメントはおかしいですね。shuku_remusさんはこの個所では「もっと多くの利益を得たい気持ち」について、何も言っていませんでした。
以下のように訂正します。
==============================================
=
とりあえず、shuku_remusさんが述べていらっしゃること自体は、私も賛成できます。
shuku_remusさんがお使いの「経済的な興味」という言葉は、
イ) 少なくとも現在の利益が継続されるようにしたい
ロ) より安心して経済活動ができるようにしたい
という気持ちを含むものだと思います。
ただし、包含関係にありますから、逆は必ずしも真ではない、つまり、「イ、ロの気持ちがある」からといって「経済的な興味を持っている」とは言えないことは、あらかじめ指摘しておきます。
==============================================
=
これは メッセージ 14919 (te2222000 さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/22 06:41 投稿番号: [14919 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
>shuku_remusさんが用いる「経済的な興味」という言葉は
>
>a. 現在得ている利益を失いたくない気持ち
>b. 現在得ている利益を拡大したい気持ち
>c. まだ得ていない利益を新たに得たい気持ち
>
>などを含んでいると私は理解しています。
竹島(現鬱陵島)とその周辺から採れる産物に対する経済的な興味からくる
気持ちとしては、少なくとも現在の利益が継続されるよう、より安心して経済
活動ができるようにしたいとする気持ちと考えます。
<<<<<<
すみません、これは私の述べたこととどういう関係にあるコメントでしょうか。
私の記述を否定しているのでしょうか。肯定した上で補足しているのでしょうか。
とりあえず、shuku_remusさんが述べていらっしゃること自体は、私も賛成できます。
shuku_remusさんがお使いの「経済的な興味」という言葉は、現状を維持するだけでなく、もっと多くの利益を得たいという積極的なニュアンスを含むようなので、経済活動の安心についてもより確かなものを求める意識に結び付く言葉だと思います。
>>>>>>
>私は、aについては、斎藤豊仙が持っていたとしても差し支えないと思います
>(持っていなかったとする理由は無いので、持っていたと推測して良いと思います)。
>b, cについては不明だと考えます。
b, cについても、これらを持っていなかったとする理由は見当たりません。
そもそも、a,b,cに分けても仕方ないと思いますが。
<<<<<<
持っていなかったとする理由が見当たらないことについては、私も同じ考えです。
しかし、持っていたとする理由も、郡代だからということしか、今のところはないので、その職務上持っていなければ不自然だと明らかに判断できる内容以外については、不明としておくのが穏当です。
特に、以前指摘した、隠州視聴合紀における経済問題への関心の薄さを考えると、竹島に関して経済的な関心を持っていたと推測することには慎重であるべきだと考えます。
このような事情を考慮した時、私としては、aについては持っていたと推測して良いだろうが、b, c までも持っていたと推測することは適切さを欠くと判断します。
これは メッセージ 14918 (shuku_remus さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/09/19 23:30 投稿番号: [14918 / 18519]
te2222000さん
>shuku_remusさんが用いる「経済的な興味」という言葉は
>
>a. 現在得ている利益を失いたくない気持ち
>b. 現在得ている利益を拡大したい気持ち
>c. まだ得ていない利益を新たに得たい気持ち
>
>などを含んでいると私は理解しています。
竹島(現鬱陵島)とその周辺から採れる産物に対する経済的な興味からくる
気持ちとしては、少なくとも現在の利益が継続されるよう、より安心して経済
活動ができるようにしたいとする気持ちと考えます。
>私は、aについては、斎藤豊仙が持っていたとしても差し支えないと思います
>(持っていなかったとする理由は無いので、持っていたと推測して良いと思います)。
>b, cについては不明だと考えます。
b, cについても、これらを持っていなかったとする理由は見当たりません。
そもそも、a,b,cに分けても仕方ないと思いますが。
shuku_remus
これは メッセージ 14917 (te2222000 さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/19 06:43 投稿番号: [14917 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
>私は、斎藤豊仙が「現在竹島から得ている経済的な利益を失うことになるのは
>望ましくない」という気持ちは持っていたとして良いと思います。
「竹島から得ている経済的な利益を失いたくない」という気持ちは、斉藤豊仙が
竹島の産物に経済的興味を感じているからに他なりません。
<<<<<<
shuku_remusさんが用いる「経済的な興味」という言葉は
a. 現在得ている利益を失いたくない気持ち
b. 現在得ている利益を拡大したい気持ち
c. まだ得ていない利益を新たに得たい気持ち
などを含んでいると私は理解しています。
私は、aについては、斎藤豊仙が持っていたとしても差し支えないと思います(持っていなかったとする理由は無いので、持っていたと推測して良いと思います)。b, cについては不明だと考えます。
これは メッセージ 14916 (shuku_remus さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14917.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/09/18 23:44 投稿番号: [14916 / 18519]
te2222000さん
>私は、斎藤豊仙が「現在竹島から得ている経済的な利益を失うことになるのは
>望ましくない」という気持ちは持っていたとして良いと思います。
「竹島から得ている経済的な利益を失いたくない」という気持ちは、斉藤豊仙が
竹島の産物に経済的興味を感じているからに他なりません。
また一歩前進ですね。
#14911と#14912にある他の論点については如何ですか。te2222000さんそれとも
投了でしょうか。
shuku_remus
これは メッセージ 14913 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14916.html
半月城で 遊ぼう
投稿者: junksai 投稿日時: 2006/09/18 15:51 投稿番号: [14915 / 18519]
これは メッセージ 14914 (husenoyaji さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14915.html
見えても意味はない。
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/09/18 12:42 投稿番号: [14914 / 18519]
鬱陵島から獨島は見えます。
見ようと思って見るなら、コツを覚えれば年間10回などという少ない回数ではないでしょう。
しかし、それは意味をもちません。
なぜなら、東國輿地勝覧には、単に見えるだけではなく、渚や木の枝まで見えると書いてあるのです。
獨島ではとうてい無理ですし、獨島にかつて木が生えていた痕跡は報告されていません。
そして、東國輿地勝覧は当時の結論的存在です。
世宗実録にも記述がありますが、編者は同一人物だそうで、世宗実録の記事を理解した上で
また数度にわたる探検のあとに書かれたものです。
そして、なにより地図をみれば、それらの古い文献を当時の人がどう解釈したかは明白です。
紛れもなくごく近い距離にあると解釈したのです。
于山島が獨島だというのは、それこそ先祖の知性を否定する天につばする暴論です。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14914.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/18 07:30 投稿番号: [14913 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
斉藤豊仙は「竹島および松島(における経済活動)をあきらめていない」ので
あれば、斉藤豊仙は竹島の産物に対して経済的な興味を感じていたことになります。
te2222000さんは、いつの間にか、当初の議論とは異なることを述べています。
<<<<<<
私は、斎藤豊仙が「現在竹島から得ている経済的な利益を失うことになるのは望ましくない」という気持ちは持っていたとして良いと思います。
しかし、shuku_remusさんは「経済的な興味」という言葉をもう少し広い意味でお使いなので、経済的興味を持っていたかどうかは不明と答えました。別に#14593での議論と異なってはおりません。
これは メッセージ 14911 (shuku_remus さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14913.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/09/17 22:15 投稿番号: [14912 / 18519]
(前の記事から続く)
>私は、地元漁民にも郡代にも不安は無かったと考えています。
>私の根拠は以下の事実です。
>
>「幕府が竹島渡海許可を出したこと」
→これは国内に通用する許可のことです。外国との関係ではありません。
>「竹島渡海事業の開始から40年以上経つが、その間、事業が朝鮮によって妨害
>された例はないこと」
→「事業が妨害された "記録" の例はありません」とするのが正しい表現です。
従って妨害を受けたとする根拠はありません。一方で "記録" がないことを
もって、妨害の事実もなかったと推測するのは極めて不確実です。
>「竹島に渡った船が暴風で朝鮮に漂着し、乗組員が朝鮮の保護を受けて戻ってきた
>例があること」
→このエピソードは知りませんが、それで日本人は竹島近海で魚を採ってもよい
とか、関係する感触なりが得られたのでしょうか。
従って、te2222000さんの示された根拠はいづれも、外国から妨害はあり得ない
と安心を感じるには不十分であるか、或いは根拠とするには不確実なものです。
>最初に「間接的な状況証拠」と「事実」を対立するものとして書いている時点で、
>論理的に考える能力が足りないことが分かります。
>そして、竹島から高麗を望むという記載が、隠岐地元漁民が緊張・不安を感じて
>いたことの直接的証拠だと述べた時点で、まともな判断力が無いことが分かります
>(shuku_remusさん自身は直接的証拠という言葉を使っていませんが、間接的な
>証拠ではないと述べているのですから同じことです)
ここではお互い間接的な状況証拠に基いて推測しています。間接的であるか
は議論になりません。te2222000さんは#14634で下記のように発言されました。
te2222000さん#14634
>緊張関係は全く無かったと思います。
>
>元禄の竹島一件以前に両国漁民が衝突したという記述を見たことがありません。
>朝鮮人の往来の有無は島の帰属を論ずる上で重要ですから、記録があるならば
>必ずどこかで取り上げられて、不勉強な私の目にも入ると思います。
事実の有無の不明なこと(衝突の有無)を取り上げるのではなく、事実として
あること(外国が間近に見えること)に基いて推測されるべきです。
私の推測については、#14654に述べた下記の状況設定もご参照ください。
#14654
|
記録に残るような衝突がなくとも、漁業協定がある訳でもない外国に近づく
|だけで、緊張・不安を感じるのは当り前です。
|
|
両国漁民とも竹島(鬱陵島)近海への出漁の経緯がそれまであったのですから、
|遭遇の機会もあり得ました。だから、後に「竹島一件」が起こりました。
shuku_remus
これは メッセージ 14911 (shuku_remus さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14912.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/09/17 22:15 投稿番号: [14911 / 18519]
te2222000さん
>"経済的興味" を感じていたかどうかは、不明だと思います。
>つまり感じていたとする根拠も、感じていなかったとする根拠も、無いと思います。。
>
>従って、割注「多竹魚海鹿」が "経済的興味" を示唆していると受け止めるのは
>深読みのし過ぎであり、単に竹島の産物を紹介したものと考えることが妥当だと
>思います。
ご回答ありがとうございました。当初の議論#14593で、te2222000さんは下記
のようにご発言されています。
te2222000さん#14593
>
私の考える隠州視聴合紀の領土認識は「隠岐までが日本の地である」
>「竹島、松島は日本の地ではないが、日本人だけが経済活動を行なっている土地である」
>というものです。そして、この解釈でも別に竹島および松島をあきらめているとは思わないので、
>(以下省略)
斉藤豊仙は「竹島および松島(における経済活動)をあきらめていない」ので
あれば、斉藤豊仙は竹島の産物に対して経済的な興味を感じていたことになります。
te2222000さんは、いつの間にか、当初の議論とは異なることを述べています。
>うーん、私が「想像の想像」という表現のニュアンスを再三尋ねている状況で、
>「想像の想像」という表現を説明抜きで使ったお答えをいただいてもねえ…。
|
斉藤豊仙の国境画定へのスタンスについては、分かっていることから、つまり
|国代記の冒頭の記述、隠岐郡代を務めたとの経歴、及び若干の時代背景から下記
|のように推測しています。このような推測を「想像の想像」と言いました。
この説明を「説明抜き」とは、te2222000さんはまともに読んでいないか、素直に
受け止めたくない何か理由があるのでしょうか。
>肯定する展開と否定する展開のどちらも無かった状況で、肯定されなかった事実は
>無視し、否定されなかったことだけに目を向けて「その分だけ妥当性が認められる
>ようになった」と結論する上の記述は、公平な目で物事を客観的に判断する能力が
>不足していることを示しています。
肯定と否定の両方に目を向けているので、否定されなかった分だけと限定して
います。両方あるけど半分までと言うことです。
>A.斎藤豊仙は自著の中で竹島が日本の国境だと論じている。
>B.斎藤豊仙は国境の画定を望んでいた。
>
>shuku_remusさんは、Bを根拠としてAを主張していた筈なのに、いつの間にか
>Aを根拠にBを主張していますね。ここにも論理的な思考力の欠如が見られます。
違います。逆を述べようとしているのではなく、te2222000さんの推測には矛盾の
あることを指摘しています。
「斉藤豊仙は国境の画定を望んでいなかった」とします。であれば「斉藤豊仙は
自著の中で国境を論ずることはない」はずです。ところが実際は「斉藤豊仙は国境を
論じている」のです。従って「斉藤豊仙は国境の画定を望んでいなかった」とする
推測は間違いであり、「斉藤豊仙は国境の画定を望んでいた」と推測されます。
(次の記事に続く)
これは メッセージ 14902 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14911.html
Re: 禹用鼎の鬱島記
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/09/16 11:20 投稿番号: [14910 / 18519]
下条氏の記述の追加
--------------------------------
-
視察官の禹用鼎は鬱陵島から出ていなかった。それは、禹用鼎自ら島民
との応酬で「少しも間際無く、且つ輪船、多日留泊すべからず。石炭乏
しきを次ぐ」と記すように、多忙を極め、輪船の燃料としての石炭が乏
しかったことによる。
(中略)
禹用鼎の鬱島記を見ても鬱陵島本島以外には言及していないからである。
--------------------------------
-
韓国人学者の「禹用鼎の鬱島記にアシカの記録が残っているnida。竹島
を実効支配してた証拠nida」という電波記事を見た記憶もあるので、鬱
島記は調査の詳細が書かれているのでしょうね。いつも、「新発見」、
「決定的証拠」と騒ぎ立てる韓国メディアが鬱島記に関してはこれしか
報道してないということは、「鬱陵島本島以外には言及していない」と
する下条氏の記述は正しいんだろうな〜。
この禹用鼎の鬱島記を激しく見てみたいんだけどね。
これは メッセージ 14907 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14910.html
Re: 石島は観音島ではない(続)
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/09/16 10:52 投稿番号: [14909 / 18519]
>それにしても、面白いサイトをご紹介いただきました(「古代人は鬱陵島
>から竹島を見たか」)。この中で出てくる画像で、視程20kmの画像(聖人
>峯から竹島)はよくできていました。これが現実に近いかなと。
そうでしょうね。韓国人がよく提示する鬱陵島から竹島を撮影した写真
(人間の後頭部が写ってないほう)は40日粘って、500mmレンズで撮影し
たものですからね。後頭部が写っているやつは、撮影者、機材も不明です
から評価しようがありませんな。
これは メッセージ 14906 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14909.html
Re: 于山島は石島となった
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/09/16 10:49 投稿番号: [14908 / 18519]
>当時の外務省交信局長田邊太一は「松島ハ我邦人ノ命ゼル名ニシテ其実ハ朝鮮蔚陵島ニ属スル于山ナリ」(北澤正誠『竹島考證』1881, 復刻エムティ出版, 1996)と認識していました。
これは外務省の中でいくつかあった議論の中の一つに過ぎないのであり、何の意図があるのか分かりませんが、これだけを取り出してあげるのはいいことではないと思いますよ。
私の認識は今でもこれと変わってはいません。
「李奎遠は102名の部下を従えており、7日間に渡って島を調査、船で二日間島の回りも調査したのです。その結論が鬱陵島と住民のいう「近傍」小島(松竹于山等の島:注)しかないというものだったのです。千里を見渡しても、離れた所には石一つ見えなかったというのです。(2790)」(注:もともとの書き込みの表現を変えました)
>しかし、当時の鬱陵島住民は不法滞在者です。たとえ独島の存在を知っていても、それを正直に官吏に知らせないでしょう。ただし、李奎遠は于山島なる島の存在は聞きました。
どうして不法滞在者だったら、島の調査者に独島のことを知らせないのでしょうか。また、そして島の存在だけは聞いたというのも妙な話しです。どうしてそういう物語を作って断言されるのでしょうか。半月城さんの話をそのまま持ってきたのでしょうか。
文献はそのまま読めばよろしいのではないでしょうか。于山島は近傍にある島として提示されたのであり、それ以上でもそれ以下でもないのです。
>そこで禹用鼎は于山島を鬱陵島民が呼んでいた石島という名に改めました。
なんでこのように断言なさるのか、さっぱり分かりません。半月城さんもこういう書き方をよくなさいますが、あまりいいことではないと思いますよ。
>この時期、鬱陵島と殆ど接する緑豊かな観音島や周辺の生木なき岩礁を、わざわざ石島として、管轄区域に含める必然性は無いでしょう。
観音島は確かに自生植物は多いですが「緑豊か」とするのは誤解が生じるでしょう。原則的には粗面岩の島です。石島と名前がついても何ら違和感がない島です。
全体的に、御説はほぼ半月城さんのサイトをそのままに受け入れられているような内容ですが、あのサイトを参考にして断言する前に、立ち止まっていろいろな見方を試みてみるのが望ましいと思います。
私が見るに、半月城さんの見方は、決して客観的でもありませんし、ところどころに首を傾げたくなるような「こじつけ」が見受けられます。どうも出発点が「独島はどこの領土か」ではなく「独島は韓国領である」にあるのかなと思います。
あのサイトを利用するにあたっては、注意が必要かと思いますよ。使い方によっては便利かつ有意義でもありますが、決して、その主張をそのまま受け取るべきものではないと。
これは メッセージ 14897 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14908.html
禹用鼎の鬱島記
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/09/16 10:47 投稿番号: [14907 / 18519]
>そこで禹用鼎は于山島を鬱陵島民が呼んでいた石島という名に改めました。
この該当する記録を提示して下さいな。高麗大学に禹用鼎の「鬱島記」なる
ものがあるそうなので、そこに書かれてるんですかね。ちなみに、下条氏は
以下のように書かれてますが。
「鬱島記」によると、視察は明治33年6月1日から6日にかけて行われていた。
鬱陵島内での調査は住民達からの事情聴取が中心で、島民からは鬱陵島での
生活実態が報告された。
これは メッセージ 14897 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14907.html
Re: 石島は観音島ではない(続)
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/09/16 10:46 投稿番号: [14906 / 18519]
私は今でも「基本的にはほとんど見えません。見える可能性があるのは年に数日程度ではないでしょうか。たしか鬱陵島独島展望台の関係者の人でさえ見たことがないということのようです(2783を参照)」というのが正しいと思っていますよ。
>基本的には見える、ということで決着したと思います。
基本的に見えるというのが何を仰っていらっしゃるのか分かりませんが、科学的に計算して見ることが可能であるということ、また、見えることもあることはある、というのは私は全く否定していませんよ。
もしかして、山に登ったらいつでも独島が見えると思っていらっしゃるのですか。あるいはちょっと天気がよければ見えるだろうとか。それは、間違いでしょう。
二つのサイトをご紹介いただきましたが、一つは空気や周辺状況、天気、あらゆる条件を除いて計算しただけ。それで「見える」として高麗史地理誌の記述を正しいとしているものですが、これはあまり意味がありません。
もう一つは、計算上見えることを確認しつつ、実際に見えたのは年に10日にも満たないだろうとしています。これは、私はかなり正確な認識であると思いますよ。事実に近いと思います。
鬱陵島から竹島(独島)を見るのは、相当の条件がないと、きわめて難しいのです。その認識に私は変化はありません。天気さえよければいつでも見えるという人の認識が間違っているのです。
私は前から、こう申し上げているのです。どうぞご確認なさっても結構です。
それにしても、面白いサイトをご紹介いただきました(「古代人は鬱陵島から竹島を見たか」)。この中で出てくる画像で、視程20kmの画像(聖人峯から竹島)はよくできていました。これが現実に近いかなと。
これを見て、韓国でよく引用される、あの鬱陵島から撮った竹島の写真を思い出しました。まさに、望遠でとればこうなる、というのを、画像は示していますね。
これは メッセージ 14896 (ararenotomo さん)への返信です.
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Re: 石島は観音島ではない
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/09/16 10:42 投稿番号: [14905 / 18519]
随分と昔の書き込みで私も忘れていたものですが、2781の①で「分かりやすい」としたのは、観音島が実際のところ文献資料になかなか出てこないので、それに伴う仮定の作りやすさという程度で書いたかと記憶しています。何ら深い意味はありません。
于山島が独島に該当するという根拠は、方言を無理やりこじつける以外には何らありません。
ararenotomoさんは『皇城新聞』で竹島よりも于山島のほうが先に名前が上がっているからこれは独島を指す、というご意見のようですが、私はたったそれだけではあまり根拠になるとは思えません。
于山の名は、それなりに重み・馴染のあるものでしょうから、先に上がったとしても何ら違和感はありません。それがどこを指すか、というのは、また別問題です。
これは メッセージ 14895 (ararenotomo さん)への返信です.
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Re: 于山島は石島となった
投稿者: netoran2002 投稿日時: 2006/09/16 08:58 投稿番号: [14904 / 18519]
>禹用鼎の報告を受けて1900年10月25日に公布された『勅令41号』は、管轄区
>域として竹島とともに、特に国境の石島を挙げました。これは、実を結ばな
>かったとはいえ、強い危機意識の表れでしょう。この時期、鬱陵島と殆ど接
>する緑豊かな観音島や周辺の生木なき岩礁を、わざわざ石島として、管轄区
>域に含める必然性は無いでしょう。従って、『皇城新聞』『勅令41号』から
>于山島=石島=獨島が最も理に適う、と愚考します。
強い危機感があるのなら、必ず実態調査をするだろうし、場合によっては日本に抗議するでしょう。現に、鬱陵島への日本人入島に対して朝鮮政府は抗議しているではありませんか。
また、「于山島」という名称があるのに、何でわざわざ「石島」などという新たな名前を付けなければならないのでしょうか。不思議ですね。
また、石島が竹島であろうとなかろうと、実効支配を伴わない形式的な領有宣言はおそらく法的には意味はありません。たとえなにがしかの意味を持っていたとしても、日本の領有宣言に対して朝鮮政府は全く抗議していないのだから、今となっては領有の根拠とはなり得ないのはお解りいただけると思います。
これは メッセージ 14897 (ararenotomo さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/16 02:21 投稿番号: [14903 / 18519]
(前の記事から続く)
>>>>>>
斉藤豊仙の国境画定へのスタンスについては、分かっていることから、つまり
国代記の冒頭の記述、隠岐郡代を務めたとの経歴、及び若干の時代背景から下記
のように推測しています。このような推測を「想像の想像」と言いました。
<<<<<<
うーん、私が「想像の想像」という表現のニュアンスを再三尋ねている状況で、「想像の想像」という表現を説明抜きで使ったお答えをいただいてもねえ…。
私とまともに対話をしようという意思が無いか、論理的な思考力が欠けているか、或いはその両方かと思えてきます。
>>>>>>
te2222000さんとの議論で、このような私の推測を肯定、或いは否定する新しい
展開を期待しましたが、te2222000さんから、そのような展開に役立つ情報ないし
議論はありませんでした。
従って自信がでたかどうかについて、否定されなかった分だけ、その妥当性が
認められるようになったと思っていますが、(後略)
<<<<<<
肯定する展開と否定する展開のどちらも無かった状況で、肯定されなかった事実は無視し、否定されなかったことだけに目を向けて「その分だけ妥当性が認められるようになった」と結論する上の記述は、公平な目で物事を客観的に判断する能力が不足していることを示しています。
>>>>>>
斉藤豊仙は「何もしない」どころか自著の中で国境を論じたのですから、そのような
(国境の画定は不要と判断するような)消極的な姿勢ではなかったと思います。
<<<<<<
A.斎藤豊仙は自著の中で竹島が日本の国境だと論じている。
B.斎藤豊仙は国境の画定を望んでいた。
shuku_remusさんは、Bを根拠としてAを主張していた筈なのに、いつの間にかAを根拠にBを主張していますね。ここにも論理的な思考力の欠如が見られます。
>>>>>>
またte2222000さんは、斉藤豊仙の述べる日本の国境は「竹島および松島」を
含まない「隠州」であると、解釈されました。
地元漁民の不安を認め、緊張感を知っていたとする元郡代が、「竹島および松島」は
日本ではないと、自著の中でわざわざ表明することもありそうにないことです。
<<<<<<
私は、地元漁民にも郡代にも不安は無かったと考えています。
私の根拠は以下の事実です。
「幕府が竹島渡海許可を出したこと」
「竹島渡海事業の開始から40年以上経つが、その間、事業が朝鮮によって妨害された例はないこと」
「竹島に渡った船が暴風で朝鮮に漂着し、乗組員が朝鮮の保護を受けて戻ってきた例があること」
それに対してshuku_remusさんの根拠は以下の事実です。
「竹島から朝鮮半島が見えること」
公平な目で客観的に判断すれば、どちらが説得力のある議論か分かりそうなものですが、shuku_remusさんにそれを望むのは無理なようです。
ちなみに以前「朝鮮半島が見えることから、漁民たちが緊張や不安を感じていたと結論するのは、間接的な状況証拠に基いた推測でしかない」と指摘した時、次のような反論をもらいました。
(#14654)>>>>>>
間接的な状況証拠ではなく、事実に基づいた推測です。
(事実)竹島(鬱陵島)から高麗(朝鮮)を望む
と記載されています。
(推測)その海域に出漁していた隠州地元漁民は、朝鮮を望むところで、緊張・
不安を感じていたことは当然と思われます。
<<<<<<
最初に「間接的な状況証拠」と「事実」を対立するものとして書いている時点で、論理的に考える能力が足りないことが分かります。
そして、竹島から高麗を望むという記載が、隠岐地元漁民が緊張・不安を感じていたことの直接的証拠だと述べた時点で、まともな判断力が無いことが分かります(shuku_remusさん自身は直接的証拠という言葉を使っていませんが、間接的な証拠ではないと述べているのですから同じことです)
私はこれを読んだ時に、この人と議論を通じて共通認識に至ることはまず無理だと判断し、「私はこう思う。しかしあなたが異なる考えであることは了解した」という結論で満足することにしました。
今回、少し違った観点から議論することによって、多少は歩み寄れるかもしれないと思ったのですが、私が甘かったようです。
なので、私の方から色々とお尋ねすることは、もう、やめにします。
前の記事で書いた「経済的興味」の話題は、shuku_remusさんからの質問が続いている状況ですので、聞かれる限りは答えていくつもりです。
これは メッセージ 14902 (te2222000 さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/16 02:18 投稿番号: [14902 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
斉藤豊仙は、竹島(現鬱陵島)の豊富な竹・魚・海鹿に "経済的興味" を感じて
いたかどうか、そして割注「多竹魚海鹿」はそのことを示唆していると受け止める
ことについて、te2222000さんのお考えをお聞きしています。
<<<<<<
詳しいご説明をありがとうございます。
"経済的興味" を感じていたかどうかは、不明だと思います。
つまり感じていたとする根拠も、感じていなかったとする根拠も、無いと思います。。
従って、割注「多竹魚海鹿」が "経済的興味" を示唆していると受け止めるのは深読みのし過ぎであり、単に竹島の産物を紹介したものと考えることが妥当だと思います。
(次の記事へ続く)
これは メッセージ 14891 (shuku_remus さん)への返信です.
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Re: 于山島は石島となった
投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2006/09/15 23:43 投稿番号: [14901 / 18519]
ペッ、また、ひょこりひょうたん島カヨ。
ポイ
これは メッセージ 14897 (ararenotomo さん)への返信です.
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