竹島

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石島は観音島ではない(続)

投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/09/15 22:11 投稿番号: [14896 / 18519]
私は「竹島(独島)は、鬱陵島の標高200m以上の所から、「風日清明」ならば望み見ることができます」と書きました(No.14726)。

これに対しahirutousagi2さんは「基本的にはほとんど見えません。見える可能性があるのは年に数日程度ではないでしょうか。たしか鬱陵島独島展望台の関係者の人でさえ見たことがないということのようです(2783を参照)」と答えられました(No.14731)。

鬱陵島から竹島(独島)が見えるか見えないかは本掲示板で何度も議論されました。No. 2783の他、mattouya さんのNos.2756, 3357, 8768, 8895、husenoyaji さんのNo.12253やkusuo1さんのNo.12254あたりで、基本的には見える、ということで決着したと思います。これについて対照的な2つのHPを紹介します。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/Ullundo/Ullun.htm
http://kts.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_9394.html

獨島は鬱陵島から基本的に見えるので、私は「視認できる島を附属とするのは自然でしょう」と書きました(No.14727)。

ここでは更に、見える可能性がほとんど無くても、附属の島とした例を示します。

「『大日本史』巻三百八、志三」は次のように記しました。「隱岐國、 -- 凡四島、分曰島前、島後、(割注:隱州視聽合記、隱岐國圖、○屬島一百七十九、總稱曰隱岐小島、)別有松島、竹島屬之、(割注:隱岐古記、隱岐紀行、 -- )」。この記述は、半月城さんがNo.9290で述べたように、『隠州視聴合記』では松島と竹島を隠岐国に入れず、『隠岐古記』を引用して松島竹島を隠岐国所属とした、ことを表しています。

『隠岐古記(集)』は『隠州視聴合記』を基に文政6(1823)年大西教保が増補したものです。池内敏氏が詳しく比較検討したように(「隠州視聴合記(紀)」の解釈をめぐって『大君外交と「武威」』名大出版会, 2006)、『隠岐古記集』には『隠州視聴合記』とほとんど同じ表現と新しく増補された記述があります。

その中の松島に関する記事を示します「亥の方四拾厘余にして松嶋あり周り凡壱厘程にして生木なき岩嶋なり -- 秋晴天北風の日に大満寺山の頂上より望免は松嶋は遥可に見ゆべしと言」(隠岐郷土研究会編『隠岐古記集』隠岐島史料近世編下, 1963)。前半は『隠州視聴合記』の「戌亥間行二日一夜有松島」を更に詳しく述べたもので、所属とは関係ありません。後半は『隠州視聴合記』には無く、『隠岐古記集』に於いて全く新しく増補された記述です。従って、大満寺山の頂上から松島が見えるということが、『大日本史』の編者をして松島を隠岐国所属とした根拠の一つになったと思われます。大満寺山(標高608m)から約170km離れた松島が見えるという文献資料は知りませんが、そのような伝承があるのかもしれません。

鬱陵島から竹島(独島)が見えるか見えないかに、最初に異常なほど拘ったのは川上健三氏です(『竹島の歴史地理学的研究』古今書院, 1966)。氏は、200メートル以上登れば鬱陵島から竹島を見ることができると認めながら、「鬱陵島は密林によっておおわれていたので、高所にのぼること自体に相当困難があったと思われるし、またたとえ高所にのぼることができたとしても、竹島が見渡せるように視界が開けていたかどうかも疑わしい」として、韓人は「竹島の存在を知る機会は乏しかったと思われる」と書きました。

「竹島の認知開発と自然環境」と題された章にある上記の箇所は、「歴史地理的事実をあくまでも学問的に究明することを意図した」この優れた古典的名著の中では極めて異質です。これは、川上健三氏の位置関係を重視する地理学者としての良識と外務省調査官としての立場の相克から生れた、と推察します。
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