竹島

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>本朝地理志略と隠州視聴合紀の竹島

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/23 19:42 投稿番号: [10201 / 18519]
【引用開始】
齋藤勘介は、「戍亥間行二日一夜有松島又一日程有竹島俗言磯竹島多竹魚海鹿此二島無人之地見高麗如自雲州望隠岐」と「本朝地理志略」の簡を補い、竹島を詳述した。ところが最後で、「然則日本之乾地以齋藤勘介為限矣」と日本の西北境を隠州に後退させたのは何か不自然である。
【引用終わり】

後退させたと勝手読みするから、不自然なのだわ。
「然則日本之乾地以此州為限矣」は、此州(シマ)をもって「日本の西北のクニ境」とすると読めばよいのだわい。

「戍亥間行二日一夜有松島又一日程有竹島俗言磯竹島多竹魚海鹿此二島無人之地見高麗如自雲州望隠岐然則日本之乾地以此州為限矣」

隠岐の古紀などからの「隠岐三子島、凡四島、分曰、島前、島後、属島百七十九、総称曰隠岐小島、別有松島、竹島属之」に、齋藤勘介(豊仙)によって加えられた、上の文言の此州を隠州と無理読みしようとするから不自然なのださ。此二島を承けて此州(シマ)と読むべきなのじゃよ。解ったかい貴公子殿。

>>香炉峰雪撥簾看

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/23 18:51 投稿番号: [10200 / 18519]
kikousidayo さん

#10190 に対するお返事が無いので本当のところは分かりませんが、とりあえず私の考えについては正しく理解されているものとしてご返答します。

> (p)無人島であることは領域権原の妨げにならない。
> 松島発見にともない渡航許可申請が幕府に出され
> 承認されている(原初的権原の補強)。

> (q)朝鮮を見ることができる。(地理的近接性は
> 領域権原の根拠にならない)。他国の文書に高麗
> (香炉峰の喩え)とでていても自国に記載のある
> 古文書(原初的権原)がない。


このご説明と、#10169 における「斉藤豊仙は、当時必要とされる法理を知っていたことになる」という記述をあわせて考え、kikousidayo さんは次のように主張していらっしゃるものと理解しました。誤解があればご指摘ください。

----------------------------------------------------------------
斉藤豊仙は、「無人島であることは領域権原の妨げにならないこと」および「幕府が松島への渡航許可申請を承認したことで原初的権原が補強されていること」を知っていた。したがって、無人島であることを理由に竹島と松島が日本領ではないという主張を彼がする筈はない。

また、斉藤豊仙は、「地理的近接性が領域権原の根拠にならないこと」および「朝鮮の古文書には竹島と松島についての記載がなく、朝鮮には原初的権原がないこと」を知っていた。したがって、朝鮮が見える程度に近いことを理由に竹島と松島が日本領ではないという主張を彼がする筈はない。
----------------------------------------------------------------

一応、この理解に基づいて話を続けますが、近代の国際司法判断の積み重ねによって成立した法理を斉藤豊仙が知っていた可能性はゼロであると断言して良いと思います。また、竹島と松島に関する朝鮮の古文書の有無を斉藤豊仙がよく知っていたという主張も到底信じられません。

したがって、kikousidayo さんのご説明には全く説得力がありません。

重ねて申し上げますが、私の理解に誤りがありましたら、その旨ご指摘ください。
よろしくお願いします。

>本朝地理志略と隠州視聴合紀の竹島

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/23 14:02 投稿番号: [10199 / 18519]
>「戍亥間行二日一夜有松島又一日程有竹島俗言磯竹島多竹魚海鹿此二島無人之地見高麗如自雲州望隠岐」と「本朝地理志略」の簡を補い、竹島を詳述した。ところが最後で、「然則日本之乾地以此州為限矣」と日本の西北境を隠州に後退させたのは何か不自然である。彼は「島」と書きたかったのではないか?

そうですかねぇ(藁

>本朝地理志略と隠州視聴合紀の竹島

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/23 13:12 投稿番号: [10198 / 18519]
【引用開始】
後に、藩儒として相応の地位を得た黒澤弘忠は、師羅山の思いを齋藤勘介に託そうとした。「隠州視聴合紀」(寛文7(1667)年成立)は黒澤弘忠の出雲国地誌「懐橘談」(寛文元(1661)年完成)の影響があると云われる。齋藤勘介は、「戍亥間行二日一夜有松島又一日程有竹島俗言磯竹島多竹魚海鹿此二島無人之地見高麗如自雲州望隠岐」と「本朝地理志略」の簡を補い、竹島を詳述した。ところが最後で、「然則日本之乾地以此州為限矣」と日本の西北境を隠州に後退させたのは何か不自然である。彼は「島」と書きたかったのではないか?しかし松江藩首脳がこれを許さなかった。やむを得ず「州」としたが、後世、多くの人に「シマ」と読まれ、齋藤勘介はきっと満足していると思う。
【引用終了】

御意
   江戸時代の知識人には   「シマ」としか読めなかった・・・

本朝地理志略と隠州視聴合紀の竹島

投稿者: allarefriends2000 投稿日時: 2005/07/23 10:26 投稿番号: [10197 / 18519]
幕府儒官林羅山は「本朝地理志略」で竹島(鬱陵島)を隠岐國に所属させた。これは松江藩によって拒否されたが、「隠州視聴合紀」の竹島記事に影響した可能性を考える。

「本朝地理志略」(續々群書類従, 巻8所収)は林羅山が、寛永20(1643)年朝鮮國信使申竹堂の求めに応じて、日本國の地理を国別に略述したものである。羅山は、その中の隠岐國の最後に、「隠岐海上有竹嶋多竹多鰒味甚美海獣曰葦鹿」と記した。

林羅山は、慶長10(1605)年徳川家康に見えてから、その博識と文筆の才によって重用され、幕府文書の管理にも携っていた。従って、磯竹島を巡る対馬藩と朝鮮の交渉や大谷・村川両家の「竹島渡海免許」について充分承知しており、その上で羅山は、竹島を隠岐國の一部とし、しかもそれを朝鮮國信使に贈呈した日本國地理書中に明記したのである。

儒学のみならず地理歴史も本朝一と自負した羅山のこの考えは、しかしながら、隠岐國を預地として統治していた肝心の松江藩には通じなかったようである。正保2(1645)年頃幕命により作られた「出雲国絵図付隠岐国」には、神代以来の隠伎之三子島だけが描かれた。松江藩は、寛永18 (1641) 年羅山の推挙により儒官として黒澤弘忠を召抱えているから、羅山の意向を知らなかったとは思えない。しかし鳥取藩との関係もあり、敢えて無視したのであろう。

後に、藩儒として相応の地位を得た黒澤弘忠は、師羅山の思いを齋藤勘介に託そうとした。「隠州視聴合紀」(寛文7(1667)年成立)は黒澤弘忠の出雲国地誌「懐橘談」(寛文元(1661)年完成)の影響があると云われる。齋藤勘介は、「戍亥間行二日一夜有松島又一日程有竹島俗言磯竹島多竹魚海鹿此二島無人之地見高麗如自雲州望隠岐」と「本朝地理志略」の簡を補い、竹島を詳述した。ところが最後で、「然則日本之乾地以此州為限矣」と日本の西北境を隠州に後退させたのは何か不自然である。彼は「島」と書きたかったのではないか?しかし松江藩首脳がこれを許さなかった。やむを得ず「州」としたが、後世、多くの人に「シマ」と読まれ、齋藤勘介はきっと満足していると思う。

櫻井氏の国代記の説明

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/23 07:20 投稿番号: [10196 / 18519]
uyokujanaimon さんが #10139 で引用された櫻井氏の発言は、趙氏の指摘が国代記の誤読に起因するとしながら、自身もまた誤読に基いて論じていると思います。
「竹島=独島が韓国領だと国代記にはっきり書いてある」という趙氏の見解が間違いであることには賛成しますが、その批判は次のように行なうのが適切だと考えます。

−−−−−−−−−−−−−−−−
簡単に該当部分を現代語で引用します。

隠岐の国は北海の中にある
ここから南に三十五里で出雲の美保関。南東に四十里で伯耆の赤碕浦。南西に五十八里で石見の温泉津。北から東には何もない。北西に二日と一夜で松島(現在の竹島)。また一日で竹島(現在の鬱陵島)。
この二島は無人島で、出雲から隠岐を見るように高麗が見える。
そういうわけでこの国は日本の北西の境界線である。

これを素直に読むと、隠岐を中心に四周にある土地を順番に挙げ、西北には松島(現在の竹島)、竹島(現在の鬱陵島)があるが、この二島は無人島なのでどこの国のものでもなく、したがって隠岐が日本の北西限ですよ、と解説していることがわかります。韓国は、松島と竹島が無人島であることを無視し、日本でないから朝鮮だと主張するのですが、それはあまりにも牽強付会です。隠州視聴合紀は竹島(現在の鬱陵島)への渡海事業にも触れており、日本の領土とは言えないまでも、勢力圏とみなしていたことが窺えます。
−−−−−−−−−−−−−−−−

なお、櫻井氏の「国代記」の解説は、江戸時代の日本地図が竹島=独島を外国とみなしているという議論への反論も兼ねているようです。その詳しい論理は述べられていませんが、以下のようなことかと推測します。

1. 江戸時代の日本地図に「国代記」に基いた記述が書かれている。
2. 「国代記」は竹島と松島を日本とみなしている。
3. 従って、各地図も竹島と松島を(あるいは、少なくとも松島を)日本とみなしている。

上に書いた私の反論だと、この論理が危うくなるので、地図については別の反論を考えなければなりません。私は #10149 で次のように書きましたが、上の点からは uyokujanaimon さんの考えにも一理あると考え直しました。

> たとえ竹島と松島が朝鮮領とはみなされないという
> 主張であっても、「此州」が隠州を指すという主張で
> あれば韓国の立場をサポートすることになるというのが、
> uyokujanaimonさんのお考えなのですね。ちょっと賛成し
> がたいですが、まあ、お考えとしては了解しました。

>国代記地理部を段落に分けてみよう

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/22 07:19 投稿番号: [10195 / 18519]
>それぞれの段落はどこからどこまでか…については明日書きます。

私は以下のように分けました。

A. 隠州の地理に関する概説

(a) 隠州在北海中故隠岐嶋
(b) [按、倭訓海中言遠幾故名歟]
(c) 其在巽地言島前也
(d) 知夫郡・海部郡属焉
(e) 其位震地言島後
(f) 周吉郡・穏地郡属焉
(g) 其府者周吉郡南岸西郷豊崎也

B. 隠州から各方位にある土地の説明

(h) 従是南至雲州美穂関三十五里
(i) 辰巳至伯州赤碕浦四十里
(j) 未申至石州温泉津五十八里
(k) 自子至卯無可往地
(l) 戌亥間行二日一夜有松島
(m) 又一日程有竹島
(n) [俗言磯竹島]
(o) [多竹・魚・海鹿]

C. 日本の北西国境についての説明

(p) 此二島無人之地
(q) 見高麗如自雲州望隠岐
(r) 然則日本之乾地、以此州為限矣

何度も書いているように(例えば #10099)、「(p) 此二島無人之地」は、隠州が日本の北西国境である理由を説明する文だと考えるので段落C に入れます。

皆さんだったらどのように段落を分けますか?
(p)をどの段落に入れますか?

国代記地理部を段落に分けてみよう

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/21 07:30 投稿番号: [10194 / 18519]
ちょっと国語の問題をやってみましょう。

文章を読む時、段落に分けてその構成を把握する事は、読解の基本です。
そこで国代記の中の地理的特性を述べた部分を更に小さな段落に分けてみましょう。

--------------------------------
(a) 隠州在北海中故隠岐嶋
(b) [按、倭訓海中言遠幾故名歟]
(c) 其在巽地言島前也
(d) 知夫郡・海部郡属焉
(e) 其位震地言島後
(f) 周吉郡・穏地郡属焉
(g) 其府者周吉郡南岸西郷豊崎也
(h) 従是南至雲州美穂関三十五里
(i) 辰巳至伯州赤碕浦四十里
(j) 未申至石州温泉津五十八里
(k) 自子至卯無可往地
(l) 戌亥間行二日一夜有松島
(m) 又一日程有竹島
(n) [俗言磯竹島]
(o) [多竹・魚・海鹿]
(p) 此二島無人之地
(q) 見高麗如自雲州望隠岐
(r) 然則日本之乾地、以此州為限矣

(角括弧[ ]でくくった部分は割注)
--------------------------------

私は、以下の内容の三つの段落に分けるのが適切だと思います。

A. 隠州の地理に関する概説
B. 隠州から各方位にある土地の説明
C. 日本の北西国境についての説明

それぞれの段落はどこからどこまでか…については明日書きます。

皆さんだったらいくつの段落に分けますか?
それぞれの段落はどこからどこまでですか?
よろしければ考えてみてください。

> 確認なさったら

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/19 22:02 投稿番号: [10193 / 18519]
データありがとうございます。

ソウル大電子情報室はアクセス出来ませんね。

>   窓口は対馬なんですから、対馬に照会すれば足りることであり、日本に確認を取ったことになります。

いや、確認がとれたというのは、安龍福が朝鮮領だとみと
めさせたと、対馬藩が述べた場合だけです。
聞いただけでは、確認はとれたことになりません。

信号を見ただけでは、信号確認と言わないのです。色が何色
かを確認しなければ、、、

つまり、私が言ってるのは、信号の方をむいたところで何
色かわかる分けがあるまいということです。

裏付けがとれたならとっくの昔に掲示板の中に登場してるでしょうね。

>ナラサラン(愛国)無罪・・・

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/07/19 19:52 投稿番号: [10192 / 18519]
ナラサラン(愛国)無罪でしょう。使命感とでも云うべきかな。
愛国という言葉が使えない日本人からみれば病的に見えるかも。
その点では日本人の方が世界的には少数派でしょうね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

torezojpさんはサンフランシスコ条約で日本の竹島の領域権原が確定したと考えているから   あまり本気で領土論争には加わらないのですね。 kikousidayo さんも、とうとう本音を漏らしましたわね。あたしって馬鹿みたい。


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講和条約
第二条【領土権の放棄】
(a)
  日本国は、朝鮮の独立を承認して、斉州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
・・・・・
第二十一条【中国と朝鮮の受益権】
  この条約の第二十五条の規定にかかわらず、中国は、第十条及び第十四条(a)2の利益を受ける権利を有し、朝鮮は、この条約の第二条、第四条、第九条及び第十二条の利益を受ける権利を有する。

---------------- -

「竹島は日本領」
排他的経済水域(EEZ)の設定には隣国の許可が必要でありEEZの設定は単独では設定できない。周辺諸国との協議が必要である。日本は竹島を基点にして日本海にEEZの設定を行い、韓国は鬱陵を基点にEEZの設定を行った。

韓国政府の要請で竹島周辺の漁業権は、日韓漁業協定に基づいて、日本が韓国に貸している。韓国では、日韓漁業協定やEEZを国民に公開していなかったが、作年、朝鮮日報がこれを取り上げた。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/01/15/20040115000042.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

≫(p)が本文の理由

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/19 05:22 投稿番号: [10191 / 18519]
Am I AHOさん

>   いいえ、斉藤は隠州を所管する官僚ですから、
> 「此二島」が隠岐に含まれるのならば他の部分でも
> 自ら所管する隠岐の内として描写しなければなりませんが、
> 愚生の知る限りその様な描写はなく、附属の隠岐図にも
> ありませんし、「此二島」は隠岐とは別にあると
> 読まざるを得ません。

ここまではその通りだと思いますが、

>   従って「此州」を「隠州」と読んではいけないとするのが
> 愚生の結論です。

なぜ、「従って」なのでしょうか。
上で述べられたことが、「此州」を「隠州」と読んではいけない理由になるという論理が、さっぱり分かりません。

>>香炉峰雪撥簾看

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/19 05:06 投稿番号: [10190 / 18519]
どうも誤解があるような気がするのですが、私の #10099 の記事は、次のように解釈されることを意図しています。

(A) te2222000は『斉藤豊仙が「此二島無人之地」および「見高麗如自雲州望隠岐」を根拠に「竹島と松島は日本ではない」と主張した』と主張している。

一方、kikousidayo さんは、#10099 を次のように解釈して批判されているように思えます。

(B) te2222000は、斉藤豊仙が「此二島無人之地」および「見高麗如自雲州望隠岐」と記述したことを根拠に「当時竹島と松島は日本ではなかった」と主張している。


そこで、確認のためにいくつかお尋ねしたいと思います。

Q1. 上の(A)と(B)は意味が異なることをご理解いただけますか。

Q2. (Q1の答えがはいの場合)「kikousidayoさんは #10099 を(B)のように解釈している」という私の判断は正しいでしょうか。

Q3. (Q2の答えがはいの場合)#10099の意図は (A) であることを踏まえた上で、必要があればご意見を述べてください。

よろしくお願いします。

ナラサラン(愛国)無罪・・・

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/19 00:04 投稿番号: [10189 / 18519]
ナラサラン(愛国)無罪でしょう。使命感とでも云うべきかな。
愛国という言葉が使えない日本人からみれば病的に見えるかも。
その点では日本人の方が世界的には少数派でしょうね。

----------------------------------
「独島は<ウリ>(我ら)の地」という絶対的な命題自体を否定する言説は、韓国では公に成立し得ない。
それは神聖不可侵なる<民族理>なのであるゆえに。

韓国は一個の哲学である、小倉紀藏著より
http://toron.pepper.jp/jp/syndrome/nation/fuusa.html
---------------------------------- -

新発見「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」の嘘

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/07/18 23:36 投稿番号: [10188 / 18519]
kikousidayo さん

齋藤豊仙の 隠州視聴合紀「国代記」には、あれ程捏造、歪曲、曲解をしておいて、
地方紙の記事一つからあんな、ご託が並べられるなんて一種の才能ね。

安をみても解るとおり、作話症とでもいうべきでしょうか。それとも火病の病態の一っ
かしら。そういえば半島の方はこの点で、世界でも一目おかれているらしいわよ。

新発見「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/18 23:07 投稿番号: [10187 / 18519]
新発見「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」の虚偽もしくは誤謬。

重要な要点を山陰中央新報(2005.5.17)はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   覚書で安は江原道の鬱陵島は日本で言う竹島であり、所持した朝鮮八道の地図に記されていると説明。さらに松島(現・竹島)は同じく江原道の子山(そうさん)と呼ぶ島であり、これも地図に記されているとして、朝鮮領であるとの認識を示している。
   これまでの史料では、安の言う「子山」(または「于山島」)がどの島を指すのかあいまいだったが、「竹島と朝鮮之間三十里   竹島と松島之間五十里」と位置関係を説明している記述などから、現・竹島を指しているとみられる。
   覚書の末尾には京畿道など「朝鮮之八道」が記され、江原道には注釈として「此道ノ中ニ竹島松島有之」と書かれ、松島(現・竹島)も朝鮮領と認識していることがうかがえる。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

竹島(独島)への距離は、隠岐から157kmである。
朝鮮半島の蔚珍からは東方へ215kmの距離にある。鬱陵島、竹島(独島)間の距離92km。
鬱陵島からは、慶尚北道の海辺の町、蔚珍へは142kmの距離にある。

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
マツシマと云ったから、松島(現・竹島)そのものを知っていたことになるのかい。日本の船頭より小耳にはさんでそういったかもしれない。それでも松島(現・竹島)を朝鮮領と認識していたことになるのかい。

あれ程、記載も位置も明瞭な隠州視聴聞記にさえ、ケチを付けるお方らが呆れたAHO振りだな。
地理的に、彼の云う松島(現・竹島)は距離からいえば隠岐嶋4島のどれかを指すだろう。「竹島と朝鮮之間三十里   竹島と松島之間五十里」との記載が事実なら隠岐をみて作話している詐欺師だね。


”まさに韓国の場合は「独島は<ウリ(我ら)>の地か否か」という問いを掲げてそれを検証するのではない。独島は<ウリ(我ら)>の地という当為の<理>がア・プリオリ(前提)にあって、それを理屈付けしてゆくのである。だと言うことだ。”
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=10162

新発見「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」5

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/07/18 20:52 投稿番号: [10186 / 18519]
一 當子三月十八日朝鮮國朝飯後ニ出船   同日竹嶋ヘ着夕   夕飯給申候由候

一 舟数十三艘ニ人壱艘ニ 九人 十人 十壱人 十貳三人 十五人程宛乗リ竹嶋迄参候由 人数之〓(1)問候 而も一〓(2)不申候
  (〓(1)は高?、〓(2)は圓?、桶野俊晴さんの解読による))

一 右十三艘之内十貳艘ハ竹嶋ニ而 若布鮑ヲ取 竹ヲ伐リ申候   此事ヲ只今仕候   當年者鮑多も無之由申候

一 安龍福申候ハ私乗参候船ニハ拾壱人伯州江参取鳥(ママ)伯耆守様江御断之儀在之候越申候   順風惣布候而當地ヘ寄申候
順次第ニ伯州江渡海可仕候   五月十五日竹嶋出船 同日松嶋江着 同十六日松嶋ヲ出十八日之朝 隠岐嶋之内西村之磯ヘ着   同廿日ニ大久村江入津仕由申候
西村之磯ハあら磯ニ而御座候ニ付   同日中村江入津是〓湊初て故   翌十九日〓(3)所出候而同日晩ニ大久村之内かよい浦と申所ニ船懸リ仕   廿日ニ大久村江参懸リ居申候
  (〓(3)は波?、同上)

一 竹嶋と朝鮮之間三十里 竹嶋と松嶋之間五十里在之由申候

一 安龍福ととりべ貳人四年己前酉夏竹嶋ニ而伯州之舟ニ被連まいり候   其とりべも此度召連参竹嶋ニ残置申候

一 朝鮮出船之節 米五斗三升入〓十俵積参候得共 十三艘之者共給申候ニ付 只今者飯米貧ク成候由申候

一 伯州用事仕〓竹嶋江戻リ 十貳艘之舟ニ荷物ヲ積み改仕   六七月之此帰国仕リ殿江も運上ヲ上ケ申筈之由申候

一 竹嶋ハ江原道東莱府之内ニ而朝鮮國王之御名クモシ〓〓天下ノ名 主上(チュシャン)東莱府殿ノ名 一道方伯(イルトハンバイ)同所支配人之名 東莱府使ト申候由申候

一 同年以前癸酉十一月日本ニ而 被下候物共書付之帳   冊出シ申候 則写之申候
  ・・・
朝鮮之八道
  京畿道(キョクイドウ)
  江原(カンオン)道   此道ノ中ニ竹嶋松嶋有之
  全羅(チェンナ)道
  忠清(チ・・・)道
  平安(ペアン)道
  咸鏡(ハンギョン)道
  黄海(ハンバヘ)道
  慶尚(ケムシャン)道
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

(注1)内藤正中『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』多賀出版,2000
(注2)内藤正中「隠岐の安龍福ー村上家「覚書」を通じてー」山陰中央新報 2005.6.4

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

新発見「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」4

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/07/18 20:51 投稿番号: [10185 / 18519]
   古来、自慢話にはホラがつきものですが、備辺司における安龍福の供述は、話が微に入り細に入るほどますます信用ならないようです。しかし、供述に登場する「書契」の話だけは注目に値します。
   安龍福は1693年に日本へ連行されたとき、鬱陵島と于山島が朝鮮領であることを認めさせた書契を江戸幕府からもらったが、対馬藩で没収されたと供述しました。これは韓国ではそのまま信じる人が多いのですが、日本では疑問視されていました。

   その供述とどう関係するのか、今回発見された覚書では、安龍福が1693年に日本で受けとった「書付」を持参し、それを隠岐の官吏が写しとったと記録しました。これについて内藤氏はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   注目すべきは五月二十日の取り調べで、「癸酉十一月 日本にて下され候物共書付の帳壱冊出し申し候、則ち之を写し申し候」とある個所で、癸酉の年にあたる元禄六年に、竹島から米子に連行された時に日本でもらった書き付けを持ってきた、そしてその書き付けは在番所が写しとったと記してあることである。
   その書き付けが発見されるとよいのであるが、日本でもらった書き付けは帰国時に対馬藩で没収されたと供述しているので、ここでの書き付けとはどのようなものであったかが気にかかる(注2)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   書き付けのことが覚書に書かれているので、『実録』にいう「書契」は安龍福のまったくの作り話でもないようです。安龍福は、幕府でなくても鳥取藩あたりから何らかの重要な「書付」をもらっていた可能性が高くなりました。
   もしそれが発見されたなら、日韓間で第一級の史料になりそうです。ひょっとしたら、隠岐のどこぞやの土蔵に眠っているかも知れません。

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
○資料原文(〓は不明字)

元禄九丙子年 朝鮮舟 着岸一巻之覚書
朝鮮舟 着岸一巻之覚書
   隠岐國嶋後
   長   上口三丈   下口貳丈
一 朝鮮舟壱艘 幅中に而上口壱丈貳尺   深サ四尺貳寸
  ・・・
一 安龍福申候ハ竹嶋ヲ竹嶋と申候   朝鮮国江原道東莱府ノ内ニ鬱陵嶋と申嶋御座候   是ヲ竹ノ嶋と申由申候   則 八道ノ圖ニ記之 所持仕候

一 松嶋ハ右道之内 子山(ソウサン)と申嶋御座候   是ヲ松嶋と申由   是も八道之圖ニ記申候
(つづく)

新発見「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」3

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/07/18 20:49 投稿番号: [10184 / 18519]
朝鮮の八道
  京畿道
  江原道   この道に竹島、松島がある
  全羅道
  忠清道
  平安道
  咸鏡道
  黄海道
  慶尚道
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   この覚書をみると、安龍福は竹島(鬱陵島)や松島(竹島=独島)の位置をきちんと把握していたことがわかります。下條正男氏すら「安龍福が、于山島が松島(竹島)であると確信的に思いこんで述べていたことがよく分かる文書」と語り、それまでの自説を覆さざるを得なかったほどでした。
   その一方、安龍福は松島(竹島=独島)が江原道に所属するということを隠岐の官吏に力説していたようすがうかがえます。それを鳥取藩の伯耆守に訴えるのが安龍福の来日の主目的であったことが明らかです。
   また、隠岐国も鳥取藩にそのように伝えていたことが『御在府日記』から明らかです。それを意訳すると「隠岐国より申しきたるところによると、安龍福一行は竹島之義について御訴訟に参ったと申している」と書かれていました。

   ただし、『御在府日記』はここから先をとぼけて事件を記しました。『御在府日記』は「様子をみるように平井金左衛門に命じたところ、通訳もなく埒があかない」などと記しましたが、これはウソであることが判明しています。
   安龍福は、隠岐では官吏と十分に意思疎通ができたのに、鳥取藩の官吏と意思疎通ができないはずはありません。そもそも、かれは前回日本へ連行されたときは「和語訳者」とか「通詞」すなわち通訳として日本側の史料に記録されたくらいでしたので、日本語が通じないはずはありません。

   さらに『御在府日記』は「あんひちゃん(安龍福)たちは竹島訴訟のようにも聞こえないと金左衛門からうけたまっている」と記しましたが、ここにも鳥取藩の作為があるようです。そうした作為の背景を内藤正中氏はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   予め隠岐国代官から連絡があったように、「竹島の義に付 御訴訟に参り候」というのであれば、米子城主の荒尾大和が指示したといっているように、長崎奉行所に送ればよいのである。
   強制的に送還しないまでも、相手にしないで追い返すこともあったはずである。そのいずれもとらず、八日間も青谷に滞在させ、村民との交流を許したのは何故なのか。
   さらに城下鳥取に迎えて、後述のような厚遇を与えたのは何故なのかなど、鳥取藩がとった対応には疑問が多いのである。
   そこで考えられることは、安同知(安龍福)が「三品堂上」を名乗ったことに対して、鳥取藩は朝鮮からの外交使節として、最大限の敬意を払ったのではないかということである。
   したがって前述した米子城主 荒尾大和が、外国人からの訴訟は長崎でしか取りあげないと、伯耆 着船の当初に説諭したとかいわれている原則性は、鳥取藩では完全に忘れ去られていたというべきであろう(注1,P102)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   鳥取藩は、このようにイレギュラーな対応をしたので、その痕跡を史料に残さないようにして『御在府日記』が書かれたのではないかと思われます。

   一方、韓国の史料『粛宗実録』などに記された安龍福の供述は矛盾の多いことが前から指摘されていましたが、それが今回の史料で改めて浮き彫りになりました。内藤氏はそうした違いをこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『実録』供述との差異
  『実録』での供述との差異は、鳥取城下に入る時の服装でも見られる。安龍福がほか一人とともにかごに乗っていたのは事実であるが、青帖裏の官服を着て革の靴をはいていたというのは、事実ではないと思われる。
   隠岐での船内所有道具の調査では、そうした衣類を所持していたという記録はない。安龍福の服装は「冠ノヤウナル黒キ笠」「アサキ木綿の上着」で、腰に札をつけていた、とだけある。
   また安龍福は鬱陵島で日本人に出会った時、「鬱陵島は我が境域である。何故倭人が越境侵犯しているのか」と大声で怒鳴り、さらに松島へ行き「松島は子山島、そこもわが国のものだ」と称し、隠岐まで追いかけたと供述している。しかしこの一年は、一月に出された幕府の渡海禁止令のため、日本人は誰も渡海していなかったのであるから、この言動はすべて作り話となる(注2)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(つづく)

新発見「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」2

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/07/18 20:47 投稿番号: [10183 / 18519]
   余談はそこそこにして、覚書で核心になる部分を紹介します。原文は文末に記しますが、まずは現代語に仮訳してみました。

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「元禄九丙子年 朝鮮舟着岸一巻之覚書」
朝鮮船が着岸した一巻の覚書
  隠岐国、島後
   船の長さ、上口 5.4m, 下口 3.6m

1.朝鮮の舟一隻、幅は中ほどの上口で 2.4m, 深さ 1.26m
  ・・・
1.安龍福がいうには、竹島を竹島という。朝鮮の江原道 東莱府に鬱陵島という島があり、これを竹の島というとか言っている。すなわち、朝鮮八道の地図に記されているのを持っている。

1.松島は、江原道のうち子山という島があるが、これを松島というそうである。これも朝鮮八道の地図に記されているという。

1.今年3月18日、朝鮮国を朝食前に出港、同日の夕方竹島へ着いて夕食を食べたと言っている。

1.舟の数は13隻で、人数は1隻に9人、10人、11人、12-3人、15人ほど乗り、竹島まで来たとのこと。人数の総計を聞いたが、答えなかった。

1.13隻のうち、12隻は竹島にてワカメやアワビを採ったり竹を伐るという。今、こうしたことを行なっている。今年、アワビは多くないと言っている。

1.安龍福がいうには、自分が乗ってきた船の11人は伯耆へ来て、鳥取藩の伯耆守様へ「おことわりの儀」があってやって来たという。順風満帆で隠岐へ寄ったという。伯耆へ渡海する予定である。
   5月15日、竹島を出港、同じ日に松島へ着く。16日に松島を出て18日の朝、隠岐の西村の磯へ着く。20日、大久村へ入港という。
   西村の磯は荒磯なので、18日、中村へ入港。この〓湊は初めてなので、翌19日〓所を出て、その晩は大久村のかよい浦という所に船をつないだ。20日、大久村へ来たという。

1.竹島と朝鮮の間は 120km, 竹島と松島の間は200km あるとのこと。

1.安龍福とトリベの二人は、あしかけ4年前の1693年の夏、竹島で伯耆国の舟に連行されて来た。そのトリベは今回も連れてきたが、竹島に残したという。

1.朝鮮を出る時、米は五斗三升入〓十俵を積んできたが、13隻の者たちに給したので、今は飯米が乏しくなったとのこと。

1.伯耆国での用事が終わったら竹島へ戻り、12隻の舟に荷物を積み替え、6,7月ころ帰国し、殿に報告する予定とのこと。

1.竹島は江原道の東莱府にて、朝鮮国王の名はクモシ〓〓、天下の名前を主上、東莱府殿の名は一道方伯、同所の支配人の役職名は東莱府使というとのこと。

1.以前、すなわち 1693年11月に日本で受けとった書付を一冊出した。これを書き写した。
  ・・・
(つづく)

新発見「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」1

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/07/18 20:47 投稿番号: [10182 / 18519]
   半月城です。

   韓国で英雄とされる安龍福は、竹島(鬱陵島)ではち合わせした村川家により元禄6(1693)年に米子へ連行されましたが、その三年後、今度はみずからの足で伯耆(ほうき)へやって来ました。
   その時の日本側記録はほとんどありません。これは、鳥取藩がルールにない過分な対応をしたため、意図的に記録を残さなかったとみられます。

   その時の核心の記録はなくても、その予備段階の公式記録が隠岐で発見されました。前回簡単にふれた「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」ですが、史料の空白を埋める貴重な発見でした。
   この資料を具体的に紹介する前に、安龍福が隠州から鳥取藩へ到着するまでの簡単な経過をみることにします。内藤正中氏はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   五月二〇日に、朝鮮船一艘が隠岐に着岸する。代官所で取調べたところ、朝鮮から三二艘で竹島へ渡海、そのなかから一艘が伯耆州(鳥取藩主のこと)に訴えたいために来たことが明らかになり、その旨を隠岐の代官 後藤角右衛門の手代から鳥取藩に連絡があった。
   鳥取藩の『御在府日記』元禄九年六月十三日の条には、幕府の大久保加賀守への届出として、次のような鳥取藩の「口上書」がある。
  ・・・
   隠岐では鳥取藩からの回答が遅延しているといって朝鮮船を引き止めていたが、待ちきれなくなった安龍福ら一行は無断で出港して伯耆をめざし、六月四日に伯耆国赤崎灘に着岸する(注1,P98)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   今回、隠岐で発見された覚書は『御在府日記』の空白を一部埋めるものであり、安龍福の日本での足跡を知るうえで貴重な史料です。
   安龍福の行動としては、朝鮮の備辺司における安龍福の供述が『粛宗実録』などに載っているのですが、なにしろ安の供述は手柄話、自慢話のたぐいであり、そこから真実を知るのは容易ではありません。

   その点、今回発見された覚書は、隠岐の官吏が安龍福の言動を客観的に記録しているだけに資料価値が高い史料です。
   覚書には「伯耆守様へ訴訟在之参候」と書かれてあり、やはり鳥取藩主に対する訴訟が渡航目的であることが裏づけられました。さらに重要な要点を山陰中央新報(2005.5.17)はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   覚書で安は江原道の鬱陵島は日本で言う竹島であり、所持した朝鮮八道の地図に記されていると説明。さらに松島(現・竹島)は同じく江原道の子山(そうさん)と呼ぶ島であり、これも地図に記されているとして、朝鮮領であるとの認識を示している。
   これまでの史料では、安の言う「子山」(または「于山島」)がどの島を指すのかあいまいだったが、「竹島と朝鮮之間三十里   竹島と松島之間五十里」と位置関係を説明している記述などから、現・竹島を指しているとみられる。
   覚書の末尾には京畿道など「朝鮮之八道」が記され、江原道には注釈として「此道ノ中ニ竹島松島有之」と書かれ、松島(現・竹島)も朝鮮領と認識していることがうかがえる。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   この覚書について、下條正男氏は「領土問題については言及していない」と山陰中央新報(2005.5.17)に語りましたが、いつもながらの強弁にはあきれるばかりです。
(つづく)

>新釈「此二島無人之地

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/07/18 16:20 投稿番号: [10181 / 18519]
(新釈「此二島無人之地」(#10178)
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=10178

上記の文中の注−1.のURLに誤りがありましたので訂正させて頂きます。

【訂正】

【正】
注−1.   隠州視聴合紀「国代記」考 : torezojp (#10144)
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=10144

≫(p)が本文の理由

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/18 14:23 投稿番号: [10180 / 18519]
  te2222000さん、Am I AHOです。

>「此州」と「此二島」との関係が明白ではないこの文脈で、(p)が、後の(r)で出てくる「州」の内容を説明していると読むのは無理でしょう。

  いいえ、斉藤は隠州を所管する官僚ですから、「此二島」が隠岐に含まれるのならば他の部分でも自ら所管する隠岐の内として描写しなければなりませんが、愚生の知る限りその様な描写はなく、附属の隠岐図にもありませんし、「此二島」は隠岐とは別にあると読まざるを得ません。
  従って「此州」を「隠州」と読んではいけないとするのが愚生の結論です。
  この結論に拠った場合には、「此州」と「此二島」の関係は明白にならざるを得ないでしょう。即ち、「此州」は「此二島」と同一とするのが愚生の考えです。

>川上健三って

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/18 14:15 投稿番号: [10179 / 18519]
  大した問題じゃありません。
  日本の政府機関である外務省でさえ21世紀の今日も獨島の位置を正確に把握していない程ですから、19世紀の韓国が経度緯度正確に島の位置を示せなくて当然です。測量すらしていませんから当たり前ですが。

新釈「此二島無人之地」

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/07/18 11:18 投稿番号: [10178 / 18519]
【引用開始】

隠州在北海中故云隠岐島、従是、南至雲州美穂関三十五里、辰巳至泊州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯、無可往地、戍亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島、俗言磯竹島多竹魚海鹿、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、然則日本之乾地、以此州為限矣

【引用終り】

----------------------------
1−1.隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋
1−2.(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、
1−3.其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、
1−4.其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、
----------------------------

割注の部分は通常省略して読む場合が多いでしょう。
でも1−2.〜1−4.が今まで省略されてきたのは何故かしら。

te2222000さんのレスみている内にあたしまで穿鑿好きになったみたい。
領土問題を中心に論じる場足、隠州そのものの古典的記載は長くなり邪魔だからでしょうね。何方かが・・・で省略を示していたことがあったけど、普通に見るのは【引用文】の形でしょう。

torezojpさんは悪戯書きと云われたけど、1.(注−1)古典的記載の借文で特に斉藤豊仙の記載というほどでもない。2.以下(注−1)が斉藤豊仙により追加記載されたため、上の【引用文】の形で「隠州視聴合紀」巻一の『国代記』冒頭といった印象が強かったのでしょうか。

そうだとすれば、この新しく記載された部分こそが斉藤豊仙の提起した問題の主体でしょう。

「隠岐島は北海の中にある」「ここから南に35里で出雲の美保関。南東に40里で伯耆の赤崎浦。南西に58里で石見の温泉津。北から東には何もない。北西に2日と1夜で松島。また1日で竹島」「この2島は無人島で出雲から隠岐島が見えるように、この島から高麗が見える」「そういうわけでこの島は日本の北西の境界線である」(注−2)

此州は借文による「古典的記載の隠岐」を受けるのでなく、自ら記載した文書中の「この2島は無人島で出雲から隠岐島が見えるように、この島から高麗が見える」を承けて「そういうわけでこの島は日本の北西の境界線である」と素直に読める。1.(注−1)を承けるのなら全部自分の文章で書き直していてもよいでしょう。


注−1.   隠州視聴合紀「国代記」考 : torezojp
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835 396&mid=10144
注−2.桜井よしこ他 「竹島は絶対に我々の領土だ」文藝春秋8月号(2005年)、P.117〜118

>>香炉峰雪撥簾看

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/18 08:58 投稿番号: [10177 / 18519]
------------ -コピペ
(p)〜(r)は、隠州が地理的特性として「日本の北西国境」という性質を持つことを説明した段落である。隠州の日本における位置を端的に示して、国代記地理部を締めくくっている。

この段落は、(p)(q)で竹島と松島が日本と言えない理由を示し、それを受けて(r)で結論を下す構成になっている。すなわち、(p)松島と竹島は無人島であり、(q)雲州から隠岐を見るように朝鮮を見ることができる。[日本から二日航程以上離れていて、無人の、したがって日本人が住んでいない島を日本の領土とは言いがたい。
----------------
(p)無人島であることは領域権原の妨げにならない。松島発見にともない渡航許可申請が幕府に出され承認されている(原初的権原の補強)。

(q)朝鮮を見ることができる。(地理的近接性は領域権原の根拠にならない)。他国の文書に高麗(香炉峰の喩え)とでていても自国に記載のある古文書(原初的権原)がない。

時際法からみても、(p) (q) から隠州視聴合紀巻一の『国代記』の「無人之地」の記載他を理由に、”したがって日本人が住んでいない島を日本の領土とは言いがたい”というは論理の飛躍。

「此二島無人之地」・・・

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/07/18 08:05 投稿番号: [10176 / 18519]
----------------------
(2)割注が明示されていない以下の文章を読んでも、特におかしな点はありません。

戌亥間行二日一夜有松島
又一日程有竹島
俗言磯竹島
多竹魚海鹿
此二島無人之地
見高麗如自雲州望隠岐
然則日本之乾地、以此州為限矣
----------------------

可笑しくはないでしょう。割注なんてそういうものだから。

隠州在北海中故云隠岐島、従是、南至雲州美穂関三十五里、辰巳至泊州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯、無可往地、戍亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島、俗言磯竹島多竹魚海鹿、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、然則日本之乾地、以此州為限矣

で、これまで、議論がされてきたのでしょうね。割注は本文の補足。


そういえば、文芸春秋の桜井よしこさんが解りやすく現代文に読み砕いていましたわね。
下条正男著「竹島は日韓どちらのものか」;文芸新書のほうは、torezojpさん程でないけども
文章が堅いのは仕方がないのかも。

「此二島無人之地」が割注でない疑問

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/18 07:00 投稿番号: [10175 / 18519]
> 実際、私もひと月前までは今回の点について
> 特に疑問に思っていませんでした。

「此二島無人之地」が割注でないことについて、以前は疑問に思わなかった理由について少し考察してみました。

(1)割注を省いた以下の文章を読んでも、特におかしな点はありません。

戌亥間行二日一夜有松島
又一日程有竹島
此二島無人之地
見高麗如自雲州望隠岐
然則日本之乾地、以此州為限矣

この場合でも、「此二島無人之地」という文は、「島の特徴を注釈したもので、全体の話の流れには関係無い」ようです。しかし、特におかしく感じないのは、このような注釈的文を本文の一部として書くことは、ごく普通に行なわれているからでしょう。そもそも本文とは別に注を設けていない文章であれば、注釈的文も本文として書く訳です。

したがって、上の文章を読んだだけでおかしいと思う人がいたら、その人の感覚の方がおかしいでしょう。

(2)割注が明示されていない以下の文章を読んでも、特におかしな点はありません。

戌亥間行二日一夜有松島
又一日程有竹島
俗言磯竹島
多竹魚海鹿
此二島無人之地
見高麗如自雲州望隠岐
然則日本之乾地、以此州為限矣

理由は(1)と全く同じです。この文章を読んで変だと思う人がいたら、その感覚が変です。


(3)割注が明示されているテクストであっても、文章を漫然と読んで本文と割注の区別をそれほど意識しなければ、やはりおかしいとは思わないでしょう。

割注を読み飛ばして本文だけ見ても、おかしいとは思えません。この場合は(1)を読んでいるのと同じです。

本文と割注を通して読んでも、本文と割注の違いを意識しなければおかしいとは思えません。この場合は(2)を読んでいるのと同じです。

結局、以前の私はこのレベルの読み方をしていたのだと思います。

しかし、あらためて本文と割注の区別を意識して読んでみると、「俗言磯竹島」「多竹魚海鹿]のみが割注で書かれ、「此二島無人之地」が本文になっているというのは、何か変だと思えてきました。

ということで #10099 を書いたのですが、皆さんはそう思いませんか?

>>香炉峰雪撥簾看

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/18 05:59 投稿番号: [10174 / 18519]
> 「話題となっている島の領有権」−原初的権原または実効的占有に関係を持ちうる地誌記載
> 「香炉峰」 − 「高麗」 話にでる地名と領域権原の無関連性

すみませんが、これだけでは私の記事に対する #10151 の批判との関係が分かりません。

もっと具体的に、例えば「斉藤豊仙は法理として○○が××であるという認識を持っていた筈だが、te2222000 はそのことを全く認識していない」とか「te2222000 は□□が△△と書いているが、それは◇◇が▽▽であるという法理に反する」のように書いていただくことはできませんでしょうか。

kana_ikeuchi さん江

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/17 23:38 投稿番号: [10173 / 18519]
愚老の悪戯書きを、新しく再構成して下さったものを、わざわざ「傑作」とお褒め頂き恐縮ですわい。(苦笑)

それにねぇ、愚老がいくら老耄れでも、とれぞ〜はチョットひどくありませぬか。

ま、それはいいとして稚拙でも下のオリジナルが、愚老の味がすると愚按しておりますけどな、それにな、領土問題と関連させない方が「隠州視聴合記』の面白みに触れられるし、いろんな無責任な読み方ができて楽しめるのと違いますやろか。(苦笑)

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続・此州ー隠岐は本邦北西の果てか (#10044)   投稿者: torezojp
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=10044
隠州視聴合紀「国代記」考 (#10144)   投稿者: torezojp
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=10144

>隠州視聴合紀「国代記」考

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/17 17:38 投稿番号: [10172 / 18519]
【引用】
----------------------
  「昔変わり者の物好きが松島に雉がいないことを物足りなく思って、試みに出雲(国)から雌雄の雉を連れてきて松島に放したところ、一年後にはいなくなった。雉には羽が有ることを忘れていたところが、いかにも変わり者の物好きらしい。恐らく島後にでも移り棲んでその子孫を増やしたことだろうよ。」
---------------------- -
【引用終】

つばさの羽根を短く切っておけば良かったんですね。W

>>香炉峰雪撥簾看

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/17 17:29 投稿番号: [10171 / 18519]
-------------------- -
今話題となっている島の領有権に関することだけで結構ですから、簡単にご説明いただけませんか。
「香炉峰」の話は、現在の話題との関連が理解できません。
-------------------- -

「話題となっている島の領有権」−原初的権原または実効的占有に関係を持ちうる地誌記載
「香炉峰」 − 「高麗」 話にでる地名と領域権原の無関連性
以上

>香炉峰雪撥簾看

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/17 13:11 投稿番号: [10170 / 18519]
>斉藤豊仙は当時必要とされる法理を知っていたことになる。

それは具体的にどのような内容でしょうか。今話題となっている島の領有権に関することだけで結構ですから、簡単にご説明いただけませんか。


なお、「香炉峰」の話は、現在の話題との関連が理解できません。

香炉峰雪撥簾看

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/17 10:23 投稿番号: [10169 / 18519]
---------------------- -
「法理」という言葉でどういう内容を指していらっしゃるのでしょうか。斉藤豊仙が知る筈の無い内容を指して「法理」とおっしゃっているのであれば、今の議論には全く意味がないと思います。よろしかったら簡単にご説明ください。
------------------------

歴史的な、地誌の記載に新しい事実が書き加えられた。
斉藤豊仙は当時必要とされる法理を知っていたことになる。


「少納言よ、香炉峰の雪いかならむ。」
「白氏文集」−   「香炉峰下、新卜山居、草堂初成、偶〃題東壁」の詩
  遺愛寺鐘欹枕聴、香炉峰雪撥簾看


清少納言が簾をかかげたからといって   中国を語ることにならない。

>te2222000さんへ

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/17 07:32 投稿番号: [10168 / 18519]
uyokujanimonさん

> >★の解釈をする限り、この疑問は解決しません。
>
> そんなことはありません。「疑問」は、貴方自身が
> 貴方特有の読み方をする限りにおいて、あると
> 感じられているだけでしょう。私には、何の疑問も
> ありません。

ご説明ありがとうございます。

念のための確認ですが、「そんなことはありません」というのは「★の解釈をしても、この疑問は解決できる」という意味ではなく、「そもそも疑問として立てることが不適切で、どの解釈なら解決するとかしないとか論じること自体が無意味」ということですね。

おっしゃることは分かりますし、実際、私もひと月前までは今回の点について特に疑問に思っていませんでした。ただ、世の中には「考えてみると不思議だな」ということもあり、今の問題はそれに相当すると思っています。とはいえ、当然「考えてみたが、別に不思議ではない」という人がいてもおかしくはありません。

ただ、私の考えていることが伝わった上で「別に疑問と思わない」とされるのは仕方ありませんが、私の考えを誤解したままそのように思われると、ちょっと残念です。これまでのやり取りで、特に uyokujanaimon さんが私の意見を誤解しているとは思いませんが、掲示板を読んでいらっしゃる方々も含めて誤解の可能性を減らす意味で、少し表現を変えて再度私の論点を書いておきます。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「俗言磯竹島」「多竹魚海鹿」「此二島無人之地」の三つの文は、どれも竹島松島の話題が出たついでにそれらの島の特徴を注釈したもので、全体の話の流れには関係無いように思えます。

実際、「俗言磯竹島」「多竹魚海鹿」の二つは割注、つまり小さな文字の注として書かれています。

ところが、「此二島無人之地」は本文として書かれています。このことは、この文が全体の話の流れと関係を持ち、単なる注釈である前二文とは異なる役割をになっていると考える方が自然です。

ではその役割とは何でしょうか。(以下略。詳細については #10099)
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言っていることは同じなので、uyokujanaimon さんのご意見がこれを読んで変わるとは思っておりません。特に「前二文とは異なる役割をになっていると考える方が自然です」というところに賛成されないかもしれませんが、それはそれで各自の判断だと思います。


> 文章は、こねくり回すように読んでいては、
> 似非問題しか得られませんよ。そのように
> こねくり回すやり方を、私は「こじつけ」と
> 呼んだのです。

お考えは了解いたしました。ただ、新たな着眼点から文章を読むことで、気付かなかった意味が明らかになるということもあります。今回の私の論点が、「こじつけ」なのか、「有用な新しい着眼点」なのかは、最終的には掲示板の読者一人一人が判断することかと思います。

無人島の法理

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/17 07:26 投稿番号: [10167 / 18519]
> 相変わらず法理も知らずによく云うよな、アフォ。(爆笑)

「法理」という言葉でどういう内容を指していらっしゃるのでしょうか。斉藤豊仙が知る筈の無い内容を指して「法理」とおっしゃっているのであれば、今の議論には全く意味がないと思います。よろしかったら簡単にご説明ください。

よろしくお願いします。

>(p)が本文の理由

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/17 07:24 投稿番号: [10166 / 18519]
Am_I_AHO_1st さん

> (p) 此二島無人之地
> (q) 見高麗如自雲州望隠岐
> (r) 然則日本之乾地、以此州為限矣
>
> その仮説を元に、(p)〜(r)を解読すると、
> (p)は(r)で記した「州」には、「くに」の
> 要素はないことを明示することになるでしょう。

「此州」と「此二島」との関係が明白ではないこの文脈で、(p)が、後の(r)で出てくる「州」の内容を説明していると読むのは無理でしょう。

むしろ、(p)で二島に「くに」の要素が無いことを説明している結果、(r)の「此州」が「此二島」である可能性が更に低くなっているということになりませんか…。

>隠州視聴合紀「国代記」考

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/07/17 00:23 投稿番号: [10165 / 18519]
隠州視聴合紀「国代記」考

【転写開始】

【引用開始】
  其沖に松島あり、上に松生て樹聞に荒園あり、長事二町ばかり、昔好事者此州に雉の無事を愁て、試に雲州より雌雄を渡して此に放つ、一年を経て終に亡と云(『続々群書類従』第九、四六五頁下段)

「此州」の「此(この)』に対応すべき適当な固有名詞が存在しない。仮に「州」は「島」の意だとして、直近の「松島」が「此州」に該当するとしてみよう。「昔好事者」以下は、「昔ある好事家が、松島に雉がいないことを残念に思って、こころみに出雲国から雌雄の雉をつれてきて松島に放したところ、(繁殖に失敗し)一年後にはいなくなった」となる。しかしながら、島後周吉郡蛸木浦沖合いの松島に雄がいないからといって、隠岐国内の他所から連れてくるのではなく、わざわざ出雲国から雉を連れてくる、とする記述はいささか不自然な話である。「此州−にいないから「雲州(出雲国〉」より連れてきた、とする語の釣り合いからすれば、やはりここは「隠州(隠岐国)とするのが妥当だろう。「松島』が「此州」に該当するわけではない。この「州」は「島」の意とはならない。

財団法人韓国文化研究振興財団-青丘学術論集2005年3
月「前近代竹島の歴史学的 研究序説」−「隠州視聴合記』
の解釈をめぐって」池内敏(P152)
【引用終わり】

【torezojp】:
この「州」は「島」の意となるとすればなどと、時には発想を変えてみることも必要でなかろうか。

  「昔変わり者の物好きが松島に雉がいないことを物足りなく思って、試みに出雲(国)から雌雄の雉を連れてきて松島に放したところ、一年後にはいなくなった。雉には羽が有ることを忘れていたところが、いかにも変わり者の物好きらしい。恐らく島後にでも移り棲んでその子孫を増やしたことだろうよ。」

と読めないものかねぇ、そうすりゃ、愚老には裃を着た豊仙が「老子」のように思えるのだがサ。

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1.隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、
其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、
其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、

2.従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、

3.戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、

4.此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、

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1.は斉藤豊仙が従来の隠岐の古紀を借文したものである。江戸時代(現代も同じ)の方位より45度から60度弱位、時計回りにズレがあることから推論される。エビデンスとして隠州視聴合記の付属の隠岐の地図を見れば明らかであろう。付属の隠岐の地図の方位に問題はない。従って、2.〜3.で隠岐を基点にした方位は、ほぼ現在の方位と同様である。また江戸時代は卯辰巳等12支で方位を表したが古は震兌坎艮等が用いられた。ということは、斉藤豊仙に依り新たに加えられた文書は、2.以降の部分の記載であろう。

即ち、隠岐の地誌に斉藤豊仙が隠岐に関して記述したのは「従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、」ということになる。

このことより「然則」で齋藤豊仙が強調したのは「日本の北西の地はこの州をもって限りとす。」から、則ち、「日本の北西の地はこの嶋(竹島)をもって限りとす。」であるとの結論が自ずと導かれる。

【転写終わり】

とれぞ〜の傑作だと思うのだけど   粋であたしは好きよ。

害務省

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/07/16 19:17 投稿番号: [10164 / 18519]
竹島:外務省HPの位置   国土地理院地図と11キロズレ
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050716k0000e040067000c.html

国民の竹島への思いをよそに、害務省って何なのよ。相手
国だったら、きれて暴動が起こるわよ。

日本政府って本当にここまで平和ボケしているのね。日本
人も火病を起こさないとは限らないわよ。   ♪行政改革・・・♪

川上健三って

投稿者: mattouya 投稿日時: 2005/07/16 18:43 投稿番号: [10163 / 18519]
外務省は、竹島の位置を
11キロも日本に近づけていた。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/m20050716k0000e040067000c.html

寒流・神学論争と竹島

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/16 18:01 投稿番号: [10162 / 18519]
-------------------- 【引用開始】
ナラ(国)サラン(愛)、つまり愛国こそが、彼らの至上命令である。

ここには自由があるようで、ない。
政府を批判することはできるが、「国家自体」「民族自体」を否定することは決してできないのである。

例えば、竹島(独島)問題でも
「独島は<ウリ>(我ら)の地」という絶対的な命題自体を否定する言説は、韓国では公に成立し得ない。
それは神聖不可侵なる<民族理>なのであるゆえに。

日本人に「竹島は日本の地か?」と尋ねてみよ。
多様な答えが返ってくるであろうし、多くは無関心でもあるだろう。
また、竹島が日本の領土ではないと言うことを積極的に主張する日本人学者たちがおり、
その研究が韓国の主張の大きな論拠となっている。また盛んに引用もされる。

韓国の場合は「独島は<ウリ(我ら)>の地か否か」という問いを掲げてそれを検証するのではない。
独島は<ウリ(我ら)>の地という当為の<理>がア・プリオリ(前提)にあって、それを理屈付けしてゆくのである。

多様な言語の封鎖。
これが韓国を動かす原動力=<理>でもある。

結局、このような心性が、韓国を日本に従属させてしまうのである。
「竹島(独島)は日本のものではない」と主張する日本の学者の研究を使用して、自国の説を展開する韓国人。

全てを日本という存在に依存しつつ語る韓国知識人こそが、韓国の全ての問題を<日本化>しているのである。

日本なしで韓国を語れなくしている。

韓国は一個の哲学である、小倉紀藏著より
http://toron.pepper.jp/jp/syndrome/nation/fuusa.html
------------------ -【引用終わり】

朝鮮人の論理は、朝鮮人以外から見と極めて異常なものである。何故なら、命題の問いかけに、答え検証していくのでなくて、絶対命題のア・プリオリ(前提)に理由付けをしていく論理展開をとるからだ。

民族理とでもよぶ絶対命題を否定したり疑問を投げかける形の論理展開は拒否され、神学論争のようにすべては真である絶対命題を中心に展開され、これを偽とする論理は封鎖されているからだ。
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