竹島

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確認なさったら

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/16 16:57 投稿番号: [10161 / 18519]
  『承政院日記』中の安龍福に関係する記録は次のとおり。

粛宗(以下同じ)22年9月12日
22年9月27日
22年10月13日
22年10月23日
23年3月27日
23年閏3月3日
23年4月10日
23年4月11日
23年4月12日
23年4月13日
23年4月16日
37年2月21日

>二回目の島根でどのような供述をして、日本がどのような対応をしたかなどは対馬では確認できませんよ。

  それは日本の事情でしょう。
  窓口は対馬なんですから、対馬に照会すれば足りることであり、日本に確認を取ったことになります。

>uyokujanaimonさんへ

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/16 13:58 投稿番号: [10160 / 18519]
>ようするにデタラメを言っているわけですから、それを貴方のように「正確に知らないから言えた」と言い換えても、意味内容に本質的に変わらないでしょう。

そのとおりであります。
だから「少々」なんですが。
いきなりまぜかえされたようでご不審を抱かれたのは当然です。
突然ですみませんでした。

>それは大分違う

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/16 13:50 投稿番号: [10159 / 18519]
>『承政院日記』を見る限りは、その様な事実はありませんね。

当初、安龍福の証言に疑念を感じ、確認すべきだという話しになったことは、記憶しております。

しかし、
>府使なども通じて安龍福証言の真贋を慎重に確認しているようです。

二回目の島根でどのような供述をして、日本がどのような対応をした
かなどは対馬では確認できませんよ。
大事なのはそこですからね。
一回目の来訪についても同じです。
それに、対馬がどうだろうと、安龍福が鬱陵島と獨島の領有を認めさせたという事実は、ないんですよ。
日本でそう供述したとは私は認めますけどね。勝手に言っただけのことです。

また、確認して、その結果は安龍福の発言が真実であると報告があったのでしょうか。

確認をとるというのはそういう行為をすることでなく、真実であると確定出来る情報を得ることです。
確かめる努力はしたというだけでは、確認をとったとは言わないのです。

いかがですか、確認はとれたのですか?
確認できたのは、鬱陵島にわたらないようにしたということだけではないのですか。

今のところ登場する史料ではそのように判断しています。

それは大分違う

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/16 12:55 投稿番号: [10158 / 18519]
>朝鮮で安龍福の意見が認められる過程で日本側に確認をとらない姿勢。

  『承政院日記』を見る限りは、その様な事実はありませんね。
  『承政院日記』とは、朝鮮国王と重臣達の国家中枢での記録であり、壬申倭乱以前のものは消失したようですが、それ以降のものは残されています。

  帰国した安龍福一行が捕らえられ、京都(ソウル)へ護送されたことが報告されたのが粛宗22年(1696年)9月12日。
  主犯とされた安龍福には死刑、李仁成は従犯として一等減じ、他の者は放免する方針ですが、先年対馬が詐欺(原文にそう書いてある)鬱陵島を竹島と偽って騙し取ろうとしたことを勘案し、処刑は対馬に派遣する訳官の報告を待って行うことにしました。9月27日。
  この日以降も、対馬が働いた詐欺を国書にして直接幕府に確認しても良いのだと脅しあげるなどして、東莱府使なども通じて安龍福証言の真贋を慎重に確認しているようです。
  まあ、対馬に記録が無いのだとすれば、それは勝手に日本側が隠滅したことであって、朝鮮側を非難するのはお門違いというものです。

husenoyajiさんへ

投稿者: uyokujanaimon 投稿日時: 2005/07/15 18:39 投稿番号: [10157 / 18519]
>そちらは、安龍福が倭の松島を正確に知らないから于山島=倭の松島と言うはずがないという主張。

>私は、正確に知らないから言えた。
>という主張です。


まず、念の為に言っておきますが、私は


「于山島=松島(竹島)」と論じられるはずもない

と書いたのであって、単に、言ったとか言わないとかは関係ありません。日本にいる間にマツシマの名を耳にしたので朝鮮に帰ってから「于山島とは松島のこと」というようなことを「供述」をし、その「供述」が後の『粛宗実録』や『東国輿地勝覧』に掲載され、さらには半世紀以上後になって『東国文献備考』1770年、の「輿地志に云う、鬱陵、于山、皆于山国の地。于山は即ち倭の松島なり」という記述のもとになったということは下條正男氏の研究の通りです。

ところが、彼が「松島」と同一視した「于山島」について、「鬱陵島に比して頗る大」(『粛宗実録』)となっているなど、実際には松島(現竹島)を知らなかった証明になってしまっている。

であるので、私は、「「于山島=松島(竹島)」と論じられるはずもない」と書いたのです。

ようするにデタラメを言っているわけですから、それを貴方のように「正確に知らないから言えた」と言い換えても、意味内容に本質的に変わらないでしょう。

貴方のレスに疑問を感じたのは、そういう理由からです。

>アフォかしら?

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/15 18:39 投稿番号: [10156 / 18519]
領土は無人島だからとかは関係ないの、相変わらず
法理も知らず強弁するなよ。

日本の古文のことを云う前に朝鮮国に地図とか、古文書
でもあるのかい。領域権原以前の問題だよ。

te2222000さんへ

投稿者: uyokujanaimon 投稿日時: 2005/07/15 17:42 投稿番号: [10155 / 18519]
>★の解釈をする限り、この疑問は解決しません。


そんなことはありません。「疑問」は、貴方自身が貴方特有の読み方をする限りにおいて、あると感じられているだけでしょう。私には、何の疑問もありません。

私が「こじつけ」といったのは、つまりはそういうことです。

貴方は、「此州」が隠州を指すなら「疑問はない」が、指さないなら「疑問だ」と言っていますが、その対比は他人を理解させるものではありません。それほど「わかりにくい疑問」というのは、「疑問」ですらないのでして、「疑問」というなら、鮮明なロジックで単純明快に提示できるもののはずです。

文章は、こねくり回すように読んでいては、似非問題しか得られませんよ。そのようにこねくり回すやり方を、私は「こじつけ」と呼んだのです。

アフォかしら?

投稿者: kaebul 投稿日時: 2005/07/15 08:48 投稿番号: [10154 / 18519]
>相変わらず法理も知らずによく云うよな、アフォ。(爆笑)

あなたのおっしゃる「法理」っていうのは、「前近代」東アジア社会にも通用していたものなのですか?
あるいは、言い方を変えると、「前近代」の史料を「近代」以降の領域観を適用して読んでも構わないとお考えですか?
このあたりに鈍感なまま進められる議論(ないしは他者に対する批判の仕方)に、私はたいへん違和感を感じます。

 

投稿者: jaway 投稿日時: 2005/07/14 23:41 投稿番号: [10153 / 18519]
>どうして中国や北朝鮮には抗議するのに韓国には政府として抗議しないのか。

してるよ。ニュース見てないの?

鑑艇「独島」進水式

投稿者: panchitojp 投稿日時: 2005/07/14 22:07 投稿番号: [10152 / 18519]
韓国政府には呆れるが、日本政府も問題だ。名前の由来に対して、どうして中国や北朝鮮には抗議するのに韓国には政府として抗議しないのか。
抗議しているのは常に韓国ばかりではないか。歴史問題とは違う。主権に関わる問題だ。一度も抗議しないと世界は日本が認めていると見るだろう。抗議のアピールは常にしなければならない。後で、後悔しても遅いのだ。弱腰日本政府だ。

「此二島無人之地」が割注でない理由

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/14 21:06 投稿番号: [10151 / 18519]
------------ -コピペ
(p)〜(r)は、隠州が地理的特性として「日本の北西国境」という性質を持つことを説明した段落である。隠州の日本における位置を端的に示して、国代記地理部を締めくくっている。

この段落は、(p)(q)で竹島と松島が日本と言えない理由を示し、それを受けて(r)で結論を下す構成になっている。すなわち、(p)松島と竹島は無人島であり、(q)雲州から隠岐を見るように朝鮮を見ることができる。[日本から二日航程以上離れていて、無人の、したがって日本人が住んでいない島を日本の領土とは言いがたい。
----------------

日本で教育受けても日本語が満足に書けないアフォ。書いた文を   よく読みなさい。日本人が住んでなければ日本領でない?日本領に無人島は多いよ。相変わらず法理も知らずによく云うよな、アフォ。(爆笑)

逆に隠岐説から

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/14 09:45 投稿番号: [10150 / 18519]
いうと、然からばの意味もとれないことはないです。

此の二島は無人島だから(どこかの領土ではなく)したがって此州隠岐の島が人の住む果てであり、日本の果てである。

と考えたとも言えます。
この場合は、朝鮮領でもないことになります。

>隠州視聴合記国代記の誤読

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/14 09:19 投稿番号: [10149 / 18519]
>意図的に誤読して恥じるところがありません

安龍福の日本側の記録を確認もせずに于山島=獨島と言い続ける態度こそ強弁そのものですよ。

それはさておき、

>ところで、国代記・付図についての回答がまだ無いようですが

私は、国境について述べるなら明白に朝鮮領と言うはず。
無人島について領土という概念はなかったのだろうか。
という疑問を呈しただけです。

此州がどこを指すかについては、諸氏の意見を聞いているだけですよ。
私はどちらか結論を出しかねてますね。

然からばという語句の文脈的流れもなるほどと思わせます。

一つ指摘しておくと、隠岐の島から東西南北に何があるかを記しており、
松島竹島以外は明白に日本領だということです。

そして、高麗に関しては単に外国というだけです。

つまり、隠州にふくまないばあいでも、全体は日本領としての説明で
あるとするほうが趣旨としては整合性がとれます。
決定打にはなりませんがね。

続き

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/14 09:19 投稿番号: [10148 / 18519]
(p) 此二島無人之地
(q) 見高麗如自雲州望隠岐
(r) 然則日本之乾地、以此州為限矣

  その仮説を元に、(p)〜(r)を解読すると、(p)は(r)で記した「州」には、「くに」の要素はないことを明示することになるでしょう。
  また「此二島」「此州」と文章中に「此○○」が連続することから、「○○」は同等のものと解するのが相当でしょう。
  従って、(r)の「此州」は「此二島」と全く同じであり、松島竹島の二島と云うことになるでしょう。

隠州視聴合記国代記の誤読

投稿者: kaebul 投稿日時: 2005/07/14 08:36 投稿番号: [10147 / 18519]
>強弁と論証の区別がついてないですね。

下條正男流の読み方を評するのに、まさにピッタリですね。文春の議論も同様です。この人たちは、確信犯ですから、意図的に誤読して恥じるところがありませんね。客観的に読むとどのようになるか、などという発想が無いのだから仕方ありません。

ところで、国代記・付図についての回答がまだ無いようですが…回答しようがありませんよね、「此州」が「隠岐国」を指すことは明々白々な事実なのですから。

(p)が本文の理由

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/14 08:28 投稿番号: [10146 / 18519]
  一つの仮説としては、
  (h)や(i)に記された「州」は地理的概念であると同時に行政的概念である「くに」の性質も帯びているわけです。
  しかし「二島」はそれらの州とは異なり、地理的概念としては「州」だが、無人であるが故に「くに」としての性質は帯びず、そのことを明らかにする必要があったのでしょう。
  「此二島無人之地」には、その様な機能があると考えても良さそうです。

>「此二島無人之地」が割注でない理由

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/14 05:22 投稿番号: [10145 / 18519]
uyokujanaimonさん

> あれこれこじつけてでも「此州」が隠州を指すことにして、
> 韓国の捏造強弁の立場をサポートしたい、その方が韓国に
> とって都合がよい、ということですね。

なかなか手厳しい評ですね。

たとえ竹島と松島が朝鮮領とはみなされないという主張であっても、「此州」が隠州を指すという主張であれば韓国の立場をサポートすることになるというのが、uyokujanaimonさんのお考えなのですね。ちょっと賛成しがたいですが、まあ、お考えとしては了解しました。

さて、uyokujanaimonさんは、私の議論について内容に一切触れることなく「こじつけ」とおっしゃっています。こういう言い方をするのには、大きく次の二つの場合があります。

  1. 私の議論があまりにお粗末で、まともに議論するのが馬鹿馬鹿しい場合
  2. 内容について反論することが面倒臭い、またはできないので、「こじつけ」とレッテルを貼ることで否定しようとする場合

当然、私としては2であって欲しいのですが、私の願望と実際にどうかとは別の話なので、できればuyokujanaimonさんに「こじつけ」と判断した理由をもう少し詳しくお聞かせいただきたいところです。

ところで、文芸春秋からの引用は、直接私の議論とは関係無いようですね。しかし、私の #10099への返信として紹介されたものなので、その文脈で少しお返事を書きます。

ここでは、国代記の構成を以下のように説明しています。

「隠岐島を中心に四周にある日本の土地を順番に挙げ、西北には松島(現在の竹島)、竹島(現在の鬱陵島)があり、この二島が日本の北西限ですよ」   …   ★

では、★の構成の中で「この二島は無人島」という記述がどういう役割を持っているか考えてみてください。恐らく次のようになりませんか。

○この記述は、松島と竹島の話が出たついでに、その二島の性質をコメントしたものである。その後に続く文章とは直接つながりを持たない。


さて、文芸春秋の記事では省略されていますが、国代記には「この二島は無人島」の文の前に、以下の内容の注が挿入されています。

「(竹島は)別名磯竹島という。竹、魚、アシカが多い」

では、この記述が★の構成の中でどういう役割を持っているかも考えてみてください。次のようになりませんか。

○この記述は、竹島の話が出たついでに、その島の性質をコメントしたものである。その後に続く文章とは直接つながりを持たない。


お分かりのように、文章構成上の役割は「この二島は無人島」の記述と全く同じです。しかし、一方は注として書かれ、他方は本文として書かれています。なぜでしょうか。

★の解釈をする限り、この疑問は解決しません。#10099 の解釈をすると、全く問題なく説明できます。どちらが妥当な解釈だと思いますか。

隠州視聴合紀「国代記」考

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/13 23:18 投稿番号: [10144 / 18519]
隠州視聴合紀「国代記」

1667年8月、出雲松江藩の隠岐郡代・齋藤豊仙が、約2ヶ月を掛けて隠州を巡察した際、「視て」「聴いて」採録したものを記した近世隠岐の地誌である。

--------------------------------

1.隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、
其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、
其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、

2.従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、

3.戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、

4.此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、

-------------------------------- -

1.隠岐国は北海中にあるがゆえに(島名を)隠岐嶋という。   (割注)「按ずるに、倭訓に海中を遠幾(おき〉というゆえの名か。」   南東にあるものを島前というなり。知夫郡・海部郡これに属す。
東にくらいするを島後という。周吉郡・穏地郡これに属す。その府は周吉郡南岸西郷豊崎なり。

2.これより南は、出雲国美穂関に至ること三十五里、南東は、伯耆国赤碕浦に至ること四十里、南西は、石見国温泉津に至ること五十八里、北から東に至る往くべき地無し。

3.戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり、そこ(松島)からさらに一日ほどで竹島あり。   (割注)「(俗に磯竹島という。竹・魚・海鹿、多し。)(按ずるに、神書にいういわゆる五十猛か。)」

4.この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麗を見ること雲州より隠岐を望むが如し。そうであるならば、則ち、日本の北西の地はこの州をもって限りとす。

----------------------------------

1.隠岐国の(歴史的)構成について述べた部分
2.隠岐を基点に4方位に何があるかを述べた部分
3.隠岐を基点に乾の方位に(新規に)何があるかを述べた部分
4.1.〜3.を踏まえて日本(の本土)と、隣国(高麗)と隠岐の国の位置関係を述べた部分

---------------------------------- -

1.は斉藤豊仙が従来の隠岐の古紀を借文したものである。江戸時代(現代も同じ)の方位より45度から60度弱位、時計回りにズレがあることから推論される。エビデンスとして隠州視聴合記の付属の隠岐の地図を見れば明らかであろう。付属の隠岐の地図の方位に問題はない。従って、2.〜3.で隠岐を基点にした方位は、ほぼ現在の方位と同様である。また江戸時代は卯辰巳等12支で方位を表したが古は震兌坎艮等が用いられた。ということは、斉藤豊仙に依り新たに加えられた文書は、2.以降の部分の記載であろう。

即ち、隠岐の地誌に斉藤豊仙が隠岐に関して記述したのは「従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、」ということになる。

このことより「然則」で齋藤豊仙が強調したのは「日本の北西の地はこの州をもって限りとす。」から、則ち、「日本の北西の地はこの嶋(竹島)をもって限りとす。」であるとの結論が自ずと導かれる。

>石島、独島、観音島

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/13 22:52 投稿番号: [10143 / 18519]
>領土の主張をデッチアゲるプロセスが、一層見えてくるかもしれない。

これは、もう見えてますね。

石島は、勅令にのみ登場する。
獨島の字は日本人の記述が最初。
韓国がわの石島=獨島で吏読説は戦後に登場。
これは重要です。
なぜなら勅令を根拠にするなら吏読は前提条件だからです。
さらに、日本側の通告後の韓国世論のなかで勅令を根拠に反対した事実は、
これだけ史料発掘が進んでもまだありません。
今のところ戦前に勅令を根拠とした史料を見ていません。

石島=獨島なら反対世論の中に必ず根拠として上げられるはずです。

石島と獨島の両方の呼称をもつ島は珍しくないのは事実のようですが、
そうであっても、勅令の石島が獨島を指すなら、戦後に勅令根拠を言い始めるはずはないのです。

>それは少々ちがう。

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/13 22:37 投稿番号: [10142 / 18519]
>何がどう違うと言いたいんでしょうか?

あ、ごめんなさい、誤字がありましたね。これでは意味不明でした。

>私は「于山島=獨島」という主張そのものが、領有権を比定する根拠になると主張します。

比定でなく否定ですね。

そちらは、
安龍福が倭の松島を正確に知らないから于山島=倭の松島と言うはずがないという主張。

私は、正確に知らないから言えた。

という主張です。
倭の松島について正確に知っていれば、古代の于山島と同一であると主張できません。
安龍福が日本で「于山島=獨島」と言ったにしても、それは領有権を主張する根拠
にならないどころか逆だということです。

いまもってそう主張するのは、強弁の言い合いを議論だと思っているからでしょう。
朝鮮で安龍福の意見が認められる過程で日本側に確認をとらない姿勢。
それはいまも同じですね。

石島、独島、観音島

投稿者: uyokujanaimon 投稿日時: 2005/07/13 19:30 投稿番号: [10141 / 18519]
これらの名称がどのように韓国の地図や公式文書、その他の文献に登場してくるかを追跡すれば、韓国側が領土の主張をデッチアゲるプロセスが、一層見えてくるかもしれない。

鬱陵島のそばにある二つの主要な岩礁、「石島」と「竹嶋」のうち、「石島」のほうを、いつのまにか「観音島」と名称を入れ替え、「石島」を何にでも当てはめられるジョーカーにしておく。そうしておいて、韓国は、自分達の都合にあわせて、「独島」の別名にしたり、また、わが国の領土である竹島に、その記号を好き勝手に振り当てたりするというわけだ。

リアルの世界においてどの島を指すのか、明確でない多くの島の名(バーチャルな記号、あるいは、ジョーカー)をたくさん持ちたがるわけだ(笑)

>それは少々ちがう。

投稿者: uyokujanaimon 投稿日時: 2005/07/13 19:06 投稿番号: [10140 / 18519]
何がどう違うと言いたいんでしょうか?


>私は「于山島=獨島」という主張そのものが、領有権を比定する根拠になると主張します。

どうぞ。
ただし、分かりやすく明確であることが前提では?

>「此二島無人之地」が割注でない理由

投稿者: uyokujanaimon 投稿日時: 2005/07/13 18:56 投稿番号: [10139 / 18519]
あれこれこじつけてでも「此州」が隠州を指すことにして、韓国の捏造強弁の立場をサポートしたい、その方が韓国にとって都合がよい、ということですね。


その手の話も『文藝春秋』8月号に触れられています。

(以下、引用)

櫻井「趙さんが指摘した一連の証拠というのは、すべて『国代記』の意図的な誤読に起因します。ここで簡単に該当部分を現代語で引用します。

隠岐島は北海の中にある
ここから南に三十五里で出雲の美保関。南東に四十里で伯耆の赤碕浦。南西に五十八里で石見の温泉津。北から東には何もない。北西に二日と一夜で松島(現在の竹島)。また一日で竹島(現在の鬱陵島)。
この二島は無人島で、出雲から隠岐島が見えるように、この島からは高麗が見える。
そういうわけでこの島は日本の北西の境界線である。

これを素直に読むと、隠岐島を中心に四周にある日本の土地を順番に挙げ、西北には松島(現在の竹島)、竹島(現在の鬱陵島)があり、この二島が日本の北西限ですよ、と解説していることがわかります。韓国の主張では、最後の「この島」を無理やり隠岐島のことを指していると読むのですが、それはあまりにも牽強付会です。」(以上、引用:117−118ページ)



韓国人が、いくつかのネタにすがってデタラメな主張をする姿がよくわかります。

>もう読みました?文芸春秋8月号

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/13 10:50 投稿番号: [10138 / 18519]
強弁と論証の区別がついてないですね。

獨島が石島と呼ばれたことが何回もあるような言い方や、三峯島まで引き合いに出すに至っては、強弁でしかない。

それは少々ちがう。

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/13 09:17 投稿番号: [10137 / 18519]
>安龍福にとっては松島(現竹島)の存在すらわかっておらず「于山島=松島(竹島)」と論じられるはずもないのです。

知らないから論じられるのです。
名前だけ知っていれば十分なのです。
知らないから、安龍福の説を受け入れるのです。

だから、私は「于山島=獨島」という主張そのものが、領有権を比定する根拠になると主張します。

静岡県が、箱根とはわが県の富士山のことだから静岡県の物だと主張するのと同じ。

>下條正男氏の無理

投稿者: uyokujanaimon 投稿日時: 2005/07/13 01:52 投稿番号: [10136 / 18519]
>明らかに竹島松島(しかも、和名です)の二島を江原道に含めており、このことは覚書を記した日本人にも確実に伝わりました。

いろいろと曲解をして、鬱陵島の別名か架空の島にすぎない于山島を、松島(現竹島)に強引に結び付ける妄言を支持したいのでしょうか?

どうあがいても、事実は変わりません。安龍福事件の後、日本は鬱陵島へは渡海禁止とし、朝鮮との領土問題を解決しました。しかし、松島(現竹島)へは、それ以前と何の変更もなく日本の領土として利用しつづけるのであり、朝鮮との間で松島が領土紛争の対象になったことはまったくなかったのです。

それと、山陰中央新報の書き方は、たんに現在のイシューにひきつける形で読み替えている(注釈している)だけです。

問題の古文書のことは知りませんが、「此道ノ中ニ竹島松島有之」は「注釈」として書かれているんですから、妥当な推論としては、取り調べを行った係官が「おそらく竹島松島もそこに含まれていると言いたいのかも知れないな」といったつもりで注記した可能性が考えられますね。安龍福が于山島のことをしきりと口にし、江原道に属する島というのを聞かされた役人が、「竹島(当時の鬱陵島)のほかに主要な島としては松島(現竹島)があるが、もしかしたら安龍福がしきりと言及するその于山島というのは、わが邦の松島(現竹島)のことかもしれない」という注釈を書き記したもの、というぐらいに考えておくのがよいですよ。安龍福にとっては松島(現竹島)の存在すらわかっておらず「于山島=松島(竹島)」と論じられるはずもないのです。

もう読みました?文芸春秋8月号

投稿者: uyokujanaimon 投稿日時: 2005/07/13 01:15 投稿番号: [10135 / 18519]
「竹島は絶対に我々の領土だ」
櫻井よしこ・田久保忠衛 vs 趙・洪

趙=「韓国を代表するジャーナリスト」だって。

洪=元駐日公使、現在、早稲田の客員研究員



おぞましいデッチアゲの一例(何から何まで韓国の言うことはデッチアゲなんですが、笑)。

島根県が「竹島の日」を制定したのに対抗して、韓国では毎年10月を「独島の月」にするという条例が地方議会レベルで作られたんだけど、これは1900年10月の「勅令41号」で、独島を韓国の韓国の行政区域に組み入れた日にちなむものというのが韓国の理屈らしい。

しかし、「勅令41号」には独島のことは出て来ず、「鬱陵島の行政区域は鬱陵島全島と竹嶋(注:現在の竹島ではない)、石島である」としているだけ。ここに言う竹嶋とは、鬱陵島の東側のすぐ近くある小さな島(岩礁)であるが、もう一つの石島というのが問題で、韓国は、これが日本の竹島のことだとコジツケて、日本が1905年に竹島を編入するより5年も前に領土とした証拠と言い張っているのだ。

日本側の論者の一人、田久保氏は、「石島」というのは、やはり鬱陵島の東側のすぐ近くにある観音島ではないのかと糾す。

ところが、洪氏は、「勅令41号」が、鬱陵島から泳いでいけるようなそんな小さな岩礁を、わざわざ記すことはなく、わざわざ記述する以上、それは「独島以外に存在せず」と強弁。

しっかし韓国人というのは実に愚かしいね。だったら「竹嶋」(竹島とは別)も同じく「泳いでいける」ほど鬱陵島の近くにある岩礁なのに、そっちのほうが記述されていることは変だと思わずに、現に、鬱陵島に隣接する二つの岩礁の一方である「観音島」だけ「勅令41号」に言うところの「石島」ではない、などという屁理屈を平気で言い張るのか!(嘲笑)

「勅令41号」は、ただたんに鬱陵島とその近くにある岩礁を記述しただけのこと。そこから遠く離れた竹島のことなど意味しているわけがない。こうなると、「石島」を「観音島」と名称を変えて、「石島」=「独島」=竹島と、でっち上げていく捏造の歴史を調査してみるのもおもしろいだろう。

曲解でもデッチアゲでもいいから、何が何でも1900年に「大寒帝国」が「独島」(つまり竹島)を先に領土として公式文書に書き記したことにしなければならないというわけで、何が何でも「石島」は「観音島」であってはならないわけだ。


ほかにも、よく知られた17世紀の「ウソツキ安ちゃん」の話だとか、サンフランシスコ講和条約の前に韓国がダレス国務長官顧問のところに何度も駐米大使を行かせて執拗に竹島を日本領土から外すよう求めたが、「竹島が朝鮮の領土であったことは一度もない」とキッパリ拒絶されたこととか・・・おもしろい重要論点をめぐって議論が闘わされています。議論が戦わされているというよりも、韓国側は、日本側に一方的に論破されてああでもない・こうでもないと次々に話を替え、無関係なことに飛躍させたり、すりかえたりしながら逃げ回っている・・・これが韓国の屁理屈というものか、とあらためて認識させられた。

>息

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2005/07/12 18:27 投稿番号: [10134 / 18519]
>1息=12キロ程度ということになりましょうか。

鬱稜島、于山島は周囲84kmと96kmという認識ということですね。実際の鬱稜島の周囲は40km程度といったところでしょうか。

巨大化した鬱稜島が2つ描かれていることとも整合取れますな。東国輿地勝覧(1481年)
http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/47/43/enjoyjapan_13/50000/49764.jpg

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/07/12 15:52 投稿番号: [10133 / 18519]
1息は30里。朝鮮式の30里ですから日本式では3里、1息=12キロ程度ということになりましょうか。

于山島(流山国島)

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2005/07/12 14:04 投稿番号: [10132 / 18519]
・于山島(流山国島)は周囲8息<太宗 12年4月>
・鬱稜島(武陵島)は周囲7息<太宗 16年9月>

于山島は架空の鬱稜島だったんだろうね。ところで、1息って何mなのかな。

于山島=独島???

投稿者: exorcist_lll 投稿日時: 2005/07/12 11:45 投稿番号: [10131 / 18519]
http://mouse99.hp.infoseek.co.jp/hachidou01.htm


朝鮮人のあたまの仕組みは、私の理解を超えます。




問題は

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/12 10:22 投稿番号: [10130 / 18519]
下條氏が安龍福のいう松島がどこかを比定しようとしたのは無理があります。
統一的にあてはまる叙述をしていない以上は、証拠不採用にするだけですね。

安龍福の証言にもとずいて「于山島=獨島」を主張するのは、もっと無理があります。

偽証と偽称をかさねた人間の言うことを部分的に取り出して真に受けるなら、
確固たる真実の露見が必要です。
しいて言えば鬱陵島から1日の道程という部分が当たっているだけで、
そのほかの部分は上陸したと主張するわりには真実の露見がありません。
むしろ、信憑性を疑わせる叙述です。

一番大事なのは、彼が「于山島=獨島」と言ったかどうかではなく、
それが事実であるかどうかです。

隠州視聴合紀は隠州についての文書

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/11 23:27 投稿番号: [10129 / 18519]
国代記の「以此州為限矣」のくだりばかり読んでいると、隠州視聴合紀は国家的見地に立って日本の国境を考察した文書のように思えてきます。私自身、先日までそのような認識でいました。

しかし隠州視聴合紀を通読すると分かりますが、この全四巻、昭和44年刊の続々群書類従版で39ページに渡る書物には一貫して隠州のことだけが書かれています。隠州と関係無いことは一つとして載っていません。その全体の流れからすると、「以此州為限矣」のくだりだけが隠州と無関係に日本の国境を論じているというのは不自然です。この部分も他と同様、隠州について記述していると考える方が自然です。

もう少し詳しく書くと、「以此州為限矣」は、「隠州のことはさておき、日本の北西国境がどこであるか考察して記述した」のではなく、「隠州の地理的特性として特筆すべきことがあるか探したところ、日本の北西国境という特性があったので、それを紹介した」と考える方が、隠州視聴合紀全体の雰囲気に合致するのです。#10086 で lib1964_1982 さんが「どこか隠岐国のお国自慢を感じます」とおっしゃっていたのが、この雰囲気をうまく表現しています。別の言い方をすると、もしも日本の北西国境が竹島であり、したがって隠州ではなかった場合、それをわざわざ記述するのは、隠州視聴合紀の雰囲気に合わないと思うのです。

こう書くと次のような反論があるかもしれません。「隠州視聴合紀の書かれた当時、竹島と松島について記載した文献はほとんど無かった。また出雲藩の番所は竹島への渡航を管理する立場にあった。これらの事情を考慮すると、隠州についての報告をまとめるついでに、竹島と松島についての情報も記録しておくのは有意義なことである。したがって、竹島と松島の情報が例外的に詳しく記述されていても不思議はない」と。

一理ある意見ですが、それでは割注として書かれた「俗言磯竹島 多竹魚海鹿」の記述を考えてみてください。「俗言磯竹島 多竹魚海鹿」は竹島についての情報であり、隠州についての情報ではありません。それでも隠州視聴合紀に記載されているのは、まさに上の理由で例外的に詳しく記述されたと考えられます。そして例外的な記述である故に、本文ではなく、割注として書かれているのです。もし、「以此州為限矣」が上の理由で例外的に記されたのであれば、同じように割注として書かれるのではないでしょうか。

したがって私は現在、次のように考えてます。

−−−−−−−−−−
「以此州為限矣」は、隠州のことだけを扱った隠州視聴合紀という書物の中に本文として書かれている。したがって隠州について述べた文である可能性が非常に高い。
−−−−−−−−−−

>補足の補足

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/11 19:18 投稿番号: [10128 / 18519]
くだんの松島の記載された朝鮮国の地図
なんてこれまで見たことがない。

あるのは鬱陵他小六島だけ。あれば
出して見たら・・・。

補足の補足

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/11 19:09 投稿番号: [10127 / 18519]
>竹島(韓国名・独島)について、鬱陵島とともに朝鮮の領土であると主張していたことを示す古文書が、島根県海士町で見つかった。
>明らかに竹島松島(しかも、和名です)の二島を江原道に含めており、このことは覚書を記した日本人にも確実に伝わりました。

>卑俗な言い方をすれば、「おまえのものはおれのもの」と言っただけのことです。

ハンケツさん。   鴉がアホー、アホーと泣くよ。

http://toron.pepper.jp/jp/take/jpn/hakken.html
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jphoto/read.php?id=enjoyjapan_13&nid=27200&work=list&st=&sw=&cp=2

下條正男氏の無理

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/11 12:56 投稿番号: [10126 / 18519]
  Am I AHOです。

         −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
下條正男・拓殖大教授の話
   安龍福が、于山島が松島(竹島)であると確信的に思い込んで述べていたことがよく分かる文書。鳥取藩に対し、「御断之儀(おことわりのぎ=お願いごと)があるとしたのが供述内で最も大切な部分で、領土問題については言及していない」(注2)
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  「御断之儀」云々については、安龍福ではなく、覚書を記した日本人が書いたことに留意する必要がありますが、下條さんは、領土問題については言及していないと思いこみたいだけのようですが、それは全く無理と云うのもです。
  山陰中央新報の記事には、こう書いてあります。

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  覚書の末尾には京畿道など「朝鮮之八道」が記され、江原道には注釈として「此道ノ中ニ竹島松島有之」と書かれ、松島(現・竹島)も朝鮮領と認識していたことがうかがえる。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  明らかに竹島松島(しかも、和名です)の二島を江原道に含めており、このことは覚書を記した日本人にも確実に伝わりました。

補足

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/11 12:34 投稿番号: [10125 / 18519]
>安龍福の于山島像は

下條氏のではなく、私が知りうる資料の中では、です。

意味不明

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/11 10:12 投稿番号: [10124 / 18519]
あの、、、、半月城さんのこのコメントを読む限り。

下條氏は
「安龍福は1回めの渡航時にみた隠岐の島を于山島と思いこんだ」
と述べているだけで、安龍福が「于山島=倭の松島」という見解をもっていたことを否定していません。

著書「竹島はどちらのものか」でもそれはむしろ論理の土台のはずですが。

今回の半月城さんのコメントを誰が読んでも、見解を変えたことにはなりません。

安龍福の于山島像は、「倭の松島=于山島」という命題が
あるだけで、倭の松島についても于山島についても、どこ
かの島に比定しえる確実な知識が出てきません。

卑俗な言い方をすれば、「おまえのものはおれのもの」と言っただけのことです。

下條正男氏への批判、安龍福の于山島像(続)

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/07/10 22:39 投稿番号: [10123 / 18519]
   半月城です。

   Am_I_AHO_1stさん、Re:10053
>   下條さんの仮説は、もともと実証的な証拠に拠らずに、多くは仮定や推定で構成されたものに過ぎません。
>   また、新たに実証的な証拠が発掘されてからは、完全に葬られたと理解しています。

   そのとおりだと思います。しかも今回、下條氏の仮説を葬ったのは下條氏自身です。これは驚くにあたりません。これまでも下條正男氏は自説をしばしば覆してきました。今回、下條氏が安龍福の于山島像をいかに変えたのかを検証することにします。
   一年前、下條氏はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   安龍福が「ようやく二度、見た」という于山島はどの辺りにあったのだろうか。鬱陵島の「北東」にあると証言しているところからすると、この于山島は今日の竹島とは無縁である。今日 領有権が争われている竹島は、鬱陵島の東南に位置しているからだ
  ・・・
  (安龍福は)鬱陵島にいた際、于山島までは「大方、一日の道程」と目測していたが、明日は隠岐島に着くという直前の夕方、ほぼ「一日の道程」で、安龍福は「すこぶる大きな島」に遭遇したのである。
   安龍福はこの島を日本人が言うところの松島(今日の竹島)、朝鮮側で言う于山島と思いこんだのである。そして、鬱陵島から「一日の道程」にある「すこぶる大きな島」は、朝鮮領に違いないと思ったのであろう。
   しかし、鬱陵島から鳥取藩に至る間に、鬱陵島よりはるかに小さな島である。実際に船酔いで船中に臥せていた朴於屯も、鬱陵島の「前後、さらに他島なし」と証言している。おそらく安龍福は、隠岐島を于山島と誤認したのだろう(注1)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   このように下條氏は竹島=独島の方角などを十分に吟味せず、安龍福が「隠岐島を于山島と誤認したのだろう」と推測しました。しかし最近、下條氏は隠岐島で発見された新資料「元禄九(丙子)年 朝鮮舟着岸 一巻之覚書」にコメントをよせて、その中で自分自身の見解をこう変えました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
下條正男・拓殖大教授の話
   安龍福が、于山島が松島(竹島)であると確信的に思い込んで述べていたことがよく分かる文書。鳥取藩に対し、「御断之儀(おことわりのぎ=お願いごと)があるとしたのが供述内で最も大切な部分で、領土問題については言及していない」(注2)
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   下條氏はかつての見解とはちがって、安龍福の認識が「于山島=松島(竹島=独島)」であったことを認めました。一年もしないうちに自説の主張を大きく変えるとは、論証の杜撰さをさらけだしたも同然です。

   これは、同氏みずからがいう「我田引水的文献解釈」の結果に他ならないといえます。さらに下條氏は、資料は「領土問題に言及していない」と言い切りましたが、これも「我田引水的文献解釈」とみられます。
   資料を発掘した山陰中央新報は、その記事のイントロでこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   江戸中期の一六九六年、鳥取藩への渡航途中に隠岐島に寄港した朝鮮人・安龍福(アンヨンボク)が、日韓両国が領有権を主張し、島根県の「竹島の日」制定を機にクローズアップされる竹島(韓国名・独島)について、鬱陵島とともに朝鮮の領土であると主張していたことを示す古文書が、島根県海士町で見つかった(注2)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   明らかに下條氏の見解とは相容れません。どちらが正しいのか容易に想像がつきますが、その詳細はつぎの機会に書くことにします。

(注1)下條正男『竹島は日韓どちらのものか』文春新書、2004,P70
(注2)山陰中央新報「江戸中期、鳥取藩に渡航した安龍福」2005.5.17

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

隠州は島前と島後のみから構成される

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/10 00:02 投稿番号: [10122 / 18519]
私は以下の国代記冒頭部からは、方角に関する疑問は残るにせよ「隠州は島前と島後から構成され、他の構成要素はない」という解釈しかあり得ないと思っています。

a. 隠州在北海中故隠岐嶋
b. 其在巽地言島前也 知夫郡海部郡属焉
c. 其位震地言島後 周吉郡穏地郡属焉
d. 其府者周吉郡南岸西郷豊崎也

この部分は、隠州の地理的特性を記述するパートの初めに当たり、隠州の地理について概要を述べていると考えるのが妥当です。したがって、ここには隠州の構成要素が全て挙げられていると思ってよいでしょう。方角に関する疑問についてこれまで深く論じられてこなかったのも、また研究者で竹島が隠州に属すると主張する人がいないのも、この解釈がほとんど自明だからだと考えます。

仮にこの部分に隠州の構成要素が全て挙げられておらず、文章の後の方になって他の構成要素が出てくるとしたら、この国代記の文章は、構成のまずい、相当な悪文ということになりますね。隠州視聴合記を通読した印象としては、斉藤豊仙がそんな文章を書く筈がないと思っています。まあ、これは印象であって、客観的に証明するのは大変なのですが。
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