竹島

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下條正男氏への批判、安龍福の于山島像(続)

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/07/10 22:39 投稿番号: [10123 / 18519]
   半月城です。

   Am_I_AHO_1stさん、Re:10053
>   下條さんの仮説は、もともと実証的な証拠に拠らずに、多くは仮定や推定で構成されたものに過ぎません。
>   また、新たに実証的な証拠が発掘されてからは、完全に葬られたと理解しています。

   そのとおりだと思います。しかも今回、下條氏の仮説を葬ったのは下條氏自身です。これは驚くにあたりません。これまでも下條正男氏は自説をしばしば覆してきました。今回、下條氏が安龍福の于山島像をいかに変えたのかを検証することにします。
   一年前、下條氏はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   安龍福が「ようやく二度、見た」という于山島はどの辺りにあったのだろうか。鬱陵島の「北東」にあると証言しているところからすると、この于山島は今日の竹島とは無縁である。今日 領有権が争われている竹島は、鬱陵島の東南に位置しているからだ
  ・・・
  (安龍福は)鬱陵島にいた際、于山島までは「大方、一日の道程」と目測していたが、明日は隠岐島に着くという直前の夕方、ほぼ「一日の道程」で、安龍福は「すこぶる大きな島」に遭遇したのである。
   安龍福はこの島を日本人が言うところの松島(今日の竹島)、朝鮮側で言う于山島と思いこんだのである。そして、鬱陵島から「一日の道程」にある「すこぶる大きな島」は、朝鮮領に違いないと思ったのであろう。
   しかし、鬱陵島から鳥取藩に至る間に、鬱陵島よりはるかに小さな島である。実際に船酔いで船中に臥せていた朴於屯も、鬱陵島の「前後、さらに他島なし」と証言している。おそらく安龍福は、隠岐島を于山島と誤認したのだろう(注1)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   このように下條氏は竹島=独島の方角などを十分に吟味せず、安龍福が「隠岐島を于山島と誤認したのだろう」と推測しました。しかし最近、下條氏は隠岐島で発見された新資料「元禄九(丙子)年 朝鮮舟着岸 一巻之覚書」にコメントをよせて、その中で自分自身の見解をこう変えました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
下條正男・拓殖大教授の話
   安龍福が、于山島が松島(竹島)であると確信的に思い込んで述べていたことがよく分かる文書。鳥取藩に対し、「御断之儀(おことわりのぎ=お願いごと)があるとしたのが供述内で最も大切な部分で、領土問題については言及していない」(注2)
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   下條氏はかつての見解とはちがって、安龍福の認識が「于山島=松島(竹島=独島)」であったことを認めました。一年もしないうちに自説の主張を大きく変えるとは、論証の杜撰さをさらけだしたも同然です。

   これは、同氏みずからがいう「我田引水的文献解釈」の結果に他ならないといえます。さらに下條氏は、資料は「領土問題に言及していない」と言い切りましたが、これも「我田引水的文献解釈」とみられます。
   資料を発掘した山陰中央新報は、その記事のイントロでこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   江戸中期の一六九六年、鳥取藩への渡航途中に隠岐島に寄港した朝鮮人・安龍福(アンヨンボク)が、日韓両国が領有権を主張し、島根県の「竹島の日」制定を機にクローズアップされる竹島(韓国名・独島)について、鬱陵島とともに朝鮮の領土であると主張していたことを示す古文書が、島根県海士町で見つかった(注2)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   明らかに下條氏の見解とは相容れません。どちらが正しいのか容易に想像がつきますが、その詳細はつぎの機会に書くことにします。

(注1)下條正男『竹島は日韓どちらのものか』文春新書、2004,P70
(注2)山陰中央新報「江戸中期、鳥取藩に渡航した安龍福」2005.5.17

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
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