新発見「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」4
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/07/18 20:51 投稿番号: [10185 / 18519]
古来、自慢話にはホラがつきものですが、備辺司における安龍福の供述は、話が微に入り細に入るほどますます信用ならないようです。しかし、供述に登場する「書契」の話だけは注目に値します。
安龍福は1693年に日本へ連行されたとき、鬱陵島と于山島が朝鮮領であることを認めさせた書契を江戸幕府からもらったが、対馬藩で没収されたと供述しました。これは韓国ではそのまま信じる人が多いのですが、日本では疑問視されていました。
その供述とどう関係するのか、今回発見された覚書では、安龍福が1693年に日本で受けとった「書付」を持参し、それを隠岐の官吏が写しとったと記録しました。これについて内藤氏はこう記しました。
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注目すべきは五月二十日の取り調べで、「癸酉十一月 日本にて下され候物共書付の帳壱冊出し申し候、則ち之を写し申し候」とある個所で、癸酉の年にあたる元禄六年に、竹島から米子に連行された時に日本でもらった書き付けを持ってきた、そしてその書き付けは在番所が写しとったと記してあることである。
その書き付けが発見されるとよいのであるが、日本でもらった書き付けは帰国時に対馬藩で没収されたと供述しているので、ここでの書き付けとはどのようなものであったかが気にかかる(注2)。
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書き付けのことが覚書に書かれているので、『実録』にいう「書契」は安龍福のまったくの作り話でもないようです。安龍福は、幕府でなくても鳥取藩あたりから何らかの重要な「書付」をもらっていた可能性が高くなりました。
もしそれが発見されたなら、日韓間で第一級の史料になりそうです。ひょっとしたら、隠岐のどこぞやの土蔵に眠っているかも知れません。
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○資料原文(〓は不明字)
元禄九丙子年 朝鮮舟 着岸一巻之覚書
朝鮮舟 着岸一巻之覚書
隠岐國嶋後
長 上口三丈 下口貳丈
一 朝鮮舟壱艘 幅中に而上口壱丈貳尺 深サ四尺貳寸
・・・
一 安龍福申候ハ竹嶋ヲ竹嶋と申候 朝鮮国江原道東莱府ノ内ニ鬱陵嶋と申嶋御座候 是ヲ竹ノ嶋と申由申候 則 八道ノ圖ニ記之 所持仕候
一 松嶋ハ右道之内 子山(ソウサン)と申嶋御座候 是ヲ松嶋と申由 是も八道之圖ニ記申候
(つづく)
安龍福は1693年に日本へ連行されたとき、鬱陵島と于山島が朝鮮領であることを認めさせた書契を江戸幕府からもらったが、対馬藩で没収されたと供述しました。これは韓国ではそのまま信じる人が多いのですが、日本では疑問視されていました。
その供述とどう関係するのか、今回発見された覚書では、安龍福が1693年に日本で受けとった「書付」を持参し、それを隠岐の官吏が写しとったと記録しました。これについて内藤氏はこう記しました。
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注目すべきは五月二十日の取り調べで、「癸酉十一月 日本にて下され候物共書付の帳壱冊出し申し候、則ち之を写し申し候」とある個所で、癸酉の年にあたる元禄六年に、竹島から米子に連行された時に日本でもらった書き付けを持ってきた、そしてその書き付けは在番所が写しとったと記してあることである。
その書き付けが発見されるとよいのであるが、日本でもらった書き付けは帰国時に対馬藩で没収されたと供述しているので、ここでの書き付けとはどのようなものであったかが気にかかる(注2)。
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書き付けのことが覚書に書かれているので、『実録』にいう「書契」は安龍福のまったくの作り話でもないようです。安龍福は、幕府でなくても鳥取藩あたりから何らかの重要な「書付」をもらっていた可能性が高くなりました。
もしそれが発見されたなら、日韓間で第一級の史料になりそうです。ひょっとしたら、隠岐のどこぞやの土蔵に眠っているかも知れません。
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○資料原文(〓は不明字)
元禄九丙子年 朝鮮舟 着岸一巻之覚書
朝鮮舟 着岸一巻之覚書
隠岐國嶋後
長 上口三丈 下口貳丈
一 朝鮮舟壱艘 幅中に而上口壱丈貳尺 深サ四尺貳寸
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一 安龍福申候ハ竹嶋ヲ竹嶋と申候 朝鮮国江原道東莱府ノ内ニ鬱陵嶋と申嶋御座候 是ヲ竹ノ嶋と申由申候 則 八道ノ圖ニ記之 所持仕候
一 松嶋ハ右道之内 子山(ソウサン)と申嶋御座候 是ヲ松嶋と申由 是も八道之圖ニ記申候
(つづく)
これは メッセージ 10184 (hangetsujoh さん)への返信です.
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