竹島

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新発見「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」1

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/07/18 20:47 投稿番号: [10182 / 18519]
   半月城です。

   韓国で英雄とされる安龍福は、竹島(鬱陵島)ではち合わせした村川家により元禄6(1693)年に米子へ連行されましたが、その三年後、今度はみずからの足で伯耆(ほうき)へやって来ました。
   その時の日本側記録はほとんどありません。これは、鳥取藩がルールにない過分な対応をしたため、意図的に記録を残さなかったとみられます。

   その時の核心の記録はなくても、その予備段階の公式記録が隠岐で発見されました。前回簡単にふれた「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」ですが、史料の空白を埋める貴重な発見でした。
   この資料を具体的に紹介する前に、安龍福が隠州から鳥取藩へ到着するまでの簡単な経過をみることにします。内藤正中氏はこう記しました。
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   五月二〇日に、朝鮮船一艘が隠岐に着岸する。代官所で取調べたところ、朝鮮から三二艘で竹島へ渡海、そのなかから一艘が伯耆州(鳥取藩主のこと)に訴えたいために来たことが明らかになり、その旨を隠岐の代官 後藤角右衛門の手代から鳥取藩に連絡があった。
   鳥取藩の『御在府日記』元禄九年六月十三日の条には、幕府の大久保加賀守への届出として、次のような鳥取藩の「口上書」がある。
  ・・・
   隠岐では鳥取藩からの回答が遅延しているといって朝鮮船を引き止めていたが、待ちきれなくなった安龍福ら一行は無断で出港して伯耆をめざし、六月四日に伯耆国赤崎灘に着岸する(注1,P98)。
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   今回、隠岐で発見された覚書は『御在府日記』の空白を一部埋めるものであり、安龍福の日本での足跡を知るうえで貴重な史料です。
   安龍福の行動としては、朝鮮の備辺司における安龍福の供述が『粛宗実録』などに載っているのですが、なにしろ安の供述は手柄話、自慢話のたぐいであり、そこから真実を知るのは容易ではありません。

   その点、今回発見された覚書は、隠岐の官吏が安龍福の言動を客観的に記録しているだけに資料価値が高い史料です。
   覚書には「伯耆守様へ訴訟在之参候」と書かれてあり、やはり鳥取藩主に対する訴訟が渡航目的であることが裏づけられました。さらに重要な要点を山陰中央新報(2005.5.17)はこう記しました。
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   覚書で安は江原道の鬱陵島は日本で言う竹島であり、所持した朝鮮八道の地図に記されていると説明。さらに松島(現・竹島)は同じく江原道の子山(そうさん)と呼ぶ島であり、これも地図に記されているとして、朝鮮領であるとの認識を示している。
   これまでの史料では、安の言う「子山」(または「于山島」)がどの島を指すのかあいまいだったが、「竹島と朝鮮之間三十里   竹島と松島之間五十里」と位置関係を説明している記述などから、現・竹島を指しているとみられる。
   覚書の末尾には京畿道など「朝鮮之八道」が記され、江原道には注釈として「此道ノ中ニ竹島松島有之」と書かれ、松島(現・竹島)も朝鮮領と認識していることがうかがえる。
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   この覚書について、下條正男氏は「領土問題については言及していない」と山陰中央新報(2005.5.17)に語りましたが、いつもながらの強弁にはあきれるばかりです。
(つづく)
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