紫陽花亭日乗

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Re: ■誇りを持て、日本人!

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/06 01:30 投稿番号: [439 / 735]
◆蒋介石

\ラモウ・騰越を死守しある日本軍人精神は、東洋民族の誇りたるを学び、
範として我が国軍の名誉を失墜せざらんことを望む


◆ベルナール・ミロー(フランス   ジャーナリスト)

  これら日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて
教訓を与えてくれた。
彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに
忘れ去られてしまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。

(『神風』)


********************

引用・参考文献   『「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編、展転社』
おまけ・終戦直後の新聞記事より

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
国体を護持し得るか否かは、片々たる敵の保証(ポツダム宣言)に
かかるのではなく、実に日本国民の魂の持ち方如何にかかる。

特攻魂に端的に現れた七生報国の烈々たる気魄は、我々がこれを祖先より
うけついだものであるが、これは永劫に子孫に伝えねばならぬ。

日本国民が果たしていつの日に再生し得るかは、一に日本国民の魂が
この試によっていかに鍛えられるかによってきまるのである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


6179
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Re: ■誇りを持て、日本人!

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/06 01:28 投稿番号: [438 / 735]
◆ガザリー・シャフェー
(マレーシア、元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞)

日本の某代議士の「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑を
おかけして申し訳ありませんでした」という挨拶に対して、

「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。
あの大戦で日本はよくやったではないですか。
マレー人と同じ小さな躰の日本人が、
大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。
その結果、マレーシアは独立できたのです。
大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、
その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ」

さらに続けて、玉井顕治、名越二荒之助、中島慎三郎の三氏に対していわく。
「私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです。
日本はもっと大きくアジアに眼を開いてください。
現在、日本は南方の発展途上国に対する援助額はダントツです。
押しも押されぬアジアの経済大国ではありませんか。

『ルック・イースト』『日本に学べ』という呼びかけは、
シンガポールやマレーシアだけではありません。
口に出しては言わないけれど、アジアの国々のこれは本音なんですよ。
かって反日感情の強かった国々にも、次第に親日感情が起こりつつあります。

そうしたなかにあって、日本は欧米にばかり目を向けず、
アジアに対して責任を持つ国になって欲しいのです。
日本はかつてアジアに対して責任を感じ、
そのために、戦争であれだけの犠牲を払ったのです。

この尊い戦争の遺産を否定することは、
バックミラーばかり見ているようなものです。
自動車は前を見て運転しなければ、進路を間違えますよ」

(昭和六十三年七月十九日、於赤坂プリンスホテル)


◆朱   耀翰 {韓国   元国会議員   ゴーマニズム宣言第六巻p232}

「アメリカ大統領ルーズベルト君、君は口を開けば必ず正義と人道を
唱えるが、パリ講和条約の序文に人種差別撤廃文案を挿入しようと
したときこれに反対し削除したのはどこの国だ?

黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にも着かせず
アフリカ大陸で奴隷狩りをしたのはどこの国であったか?

しかし君らの悪運はもはや尽きた。
一億同胞なかんずく半島の二千四百万は渾然一体となって
大東亜聖戦勇士とならんことを誓っている!」


◆ニミッツ元帥(アメリカ   太平洋艦隊司令長官)

この島を訪れるもろもろの国の旅人達よ。故郷に帰ったら伝えてくれよ。
この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。
その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!


◆スリム中将(イギリス第十四軍司令官)

  たたかれ、弱められ、疲れても自身を脱出させる目的でなく
本来の攻撃の目的を以て、かかる猛烈な攻撃を行った日本の第三十三師団
の如きは、史上にその例を殆ど見ないであろう。

(「敗北から勝利へ」)

  かくの如き望みのない目的を追求する軍事上の分別を何と考えようとも、
この企図を行った日本軍人の最高の勇気と大胆不敵さは疑う余地がない。
私は彼等に比肩し得べき如何なる陸軍も知らない。

(同書)


つづく

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Re: ■誇りを持て、日本人!

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/06 01:26 投稿番号: [437 / 735]
◆グラバイ・デサイ(インド、インド弁護士会会長・法学博士)

このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。
しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。
殊に優秀な貴国国民においておやである。

私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。

インドは程なく独立する。
その独立の契機を与えたのは日本である。
インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。

これはインドだけではない。
インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。
インド四億の国民は深くこれを銘記している。

インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。
他の東亜諸民族も同様である。

(1946年デリーの軍事裁判に参考人として召還された
藤原岩市F機関長に対する挨拶)


◆ジャワハルラル・ネルー(インド、独立後の初代インド首相)

チャンドラ・ボーズが日本と協力してつくったインド国民軍《INA》
の裁判で、弁護士として法廷に立ち
「これら立派な若者達の主たる動機は、インド解放への愛情であった・・・
彼らの日本との協力は、インド解放を促進するための手段であった。
余はチャンドラ・ボーズ氏の独立への情熱を疑わない」と述べた。

(貝塚茂樹編『民族解放の星』講談社、253〜4頁)


◆アリフィン・ベイ
(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)

日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、
ある面では日本の軍事的南進という形をとり、
他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。

日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは
外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。

この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動に
とって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。
日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、
アジア諸国に高く評価されているのである。

その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。
  (中略)

(日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないか
ということを我々に教えたのであった。
この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。

(「魂を失った日本」未央社、57〜65ページ)


つづく

6177

Re: ■誇りを持て、日本人!

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/06 01:25 投稿番号: [436 / 735]
========================================

◆ダグラス・マッカーサー(アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥)

日本の潜在労働者は、量においても質においても、
私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。
しかし、彼らは労働力はあっても生産の基礎素材を持たない。
日本には蚕のほかに取りたてていうべきものは何もないのだ。

日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)
一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。
それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、
そのほとんどが、安全保障のためであった。

(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言)


◆ハミルトン・フィッシュ(政治家「悲劇的欺瞞」(TragicDeception1983))

ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を日本との戦争に
巻き込むことに成功した。そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させる
という彼の最終的な目的を達成させた。


◆ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)

大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、
各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。
その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。

日本の敗戦、それはもちろん
東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。
今や真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、
許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。

民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、
軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に対抗した。
そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せない
ところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって
思い知ることになるのである。

(中略)

さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。
日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、
その自信を裏付ける手段とが残ったのである。
東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を
身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。

(「東南アジアの開放と日本の遺産」秀英書房、256〜7ページ)


◆ロスロップ・スタッタード(アメリカ、歴史学者)

すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は
無限に継続するものと信ずるに至った。
1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような
思想は白人千人中の一人にも考えがおよばなかった。
(中略)
1900年は、四百年間みなぎりきった白人潮勢の頂点であった。
白人はその時、威名と実力の頂上に達したのである。

その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し、
旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。
その刹那に白人の退潮が始まった。

(長瀬鳳輔訳『有色人種の勃興』政教社、147,151頁)


つづく

6176

Re: ■誇りを持て、日本人!

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/06 01:05 投稿番号: [435 / 735]
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

  日本の敗戦から20年あまり後・・・

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

日本は早くも奇跡的な復興を遂げます。

明治維新以来、奇跡的な急成長を遂げてきた大日本帝国。
その国力は、敗戦でも衰えることがありませんでした。
敗戦により、急成長のスピードが一時的に少し低下したものの、
日本の国力は健在でした。
そして、日本復活を告げるイベントが催されました。
戦前開催できなかった、東京オリンピック です。

その後間もなく、日本復活と歩調をあわせるかのように、
東南アジアで、東南アジア諸国連合 (ASEAN) が結成 されました。

下は   東南アジア諸国連合 のロゴマークと旗です。


旗の縦横の比率は日本の国旗と同じです。  
また、四角と丸の比率も日本の国旗と同じです。
偶然ではまずありえないでしょう。

ASEAN のロゴマークは 赤い丸に白い縁取り です。
こういうマークは殆ど見かけません。

私の知っている範囲では、戦前から今日に至るまで、赤い丸に白い縁取り
というデザインで知名度のあるマークといえば、ただ1つです。


このロゴマークと旗は、東南アジアの国々から日本へのメッセージ
だったのだと思います。
一体何のメッセージだったのでしょうか?
考えてみてください。

ASEAN HP    http://www.aseansec.org/  
ASEANの旗    http://www.aseansec.org/7095.htm#ASEAN
ASEANのロゴ   http://www.aseansec.org/7095.htm


東南アジアには   もうひとつの日本があります。
多くの仲間がいます。
日本人はこのことを知っておかなければならないと思います。


つづく

6175

Re: ■誇りを持て、日本人!

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/06 01:03 投稿番号: [434 / 735]
■バ・モウ(ビルマ元首相   独立宣言より)・・ビルマは現在のミャンマー

約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、
英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。
英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器を使用せり。

  ・・・・・

ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的
資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い・・・
愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば
死そのものを甘受して突進して来れり、
これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。

ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を
待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。

ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を
永久に記録せんことを希望するものなり。

(一問に百答   日下公人   PHP研究所)


■モハマッド・ナチール   (インドネシア元首相)

大東亜戦争というものは、本来ならば私たちインドネシア人が
独立のために戦うべき戦争だったと思います。
もしあの時、私たちに軍事力があったなら、
私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争とはそういう戦いだったんです。


■アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)

第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争に
よって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。

その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった
大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、
アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられて
いたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。

(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)


英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、
特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。
それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。
なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、
この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、
西洋は無敵でないことを決定的に示した。
この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、
1967年のベトナムに明らかである。

(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)


つづく

6174

Re: ■誇りを持て、日本人!

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/04 23:33 投稿番号: [433 / 735]
■朴 鉄柱(韓国   平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所
  昭和四十二年十月)

「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。
北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。
日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。
それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」

「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、
そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。
平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。
それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。
最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。
『事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし』
というのが、開戦時の心境であった。

それは日本の武士道の発露であった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、
アジア諸国民の独立をもたらした。
この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」

「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろ
イギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、
というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、『聖なる戦争』であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、
こんなものはすぐに回復できたではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として
靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

( 昭和42年10月 )


■H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)

「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、
白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」


■ジョージ・S・カナヘレ
(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)

日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、
最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、
それに訓練を与えた事である。

(中略)

インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。
これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、
復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。

日本によって与えられたこのような機会がなかったならば、
戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。


つづく

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■誇りを持て、日本人!

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/04 23:32 投稿番号: [432 / 735]
■誇りを持て、日本人!
ブログ「ねずきちのひとりごと」より


■ククリックド・プラモード(タイ、元首相)

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、
産まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、
いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが
一身を賭して重大決意をされた日である。
我々はこの日を忘れてはならない。」

( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )


■ラグ・クリシュナン(インド、元大統領)

インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。
それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。
驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。

(昭和44年「日本経済新聞」)


■ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相)

我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して
何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。
インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、
独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。
日本が敗北したとき、
「これからの独立は自力で遂行しなければならない。
独力でやれば五十年はかかる」と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。



■ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)

要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史に
とどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、
日本の一七年間(昭和3〜20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と
烙印する事が目的であったにちがいない。

  ・・・・・  

私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。
この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。
それを私は判決文の中に綴った。
その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべき
アジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。

それなのに、あなた方は自分らの子弟に
「 日本は犯罪を犯したのだ 」
「 日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ 」を教えている。

満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、
どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、
卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。
あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。
あやまられた歴史は書き変えなければならない。

(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)


つづく

6172

「南京大虐殺」宣伝の裏に共産勢力

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/04 23:29 投稿番号: [431 / 735]
「南京大虐殺」宣伝の裏に共産勢力
2011.6.23 04:59 (1/2ページ)     産経新聞

  「『南京大虐殺』という戦時プロパガンダが行われた経緯を解明する
新たな糸口になるかもしれない」。
発売中の『別冊正論』15号(「中国共産党 野望と謀略の90年」)の
編集を終え、そんな期待が膨らんできました。

中国の国民党が主導したと考えられてきた「大虐殺」の宣伝に、
中国共産党またはソ連が大きく関与していた可能性が、
論文筆者たちの指摘で浮かび上がってきたのです。

  虚実不明の「南京大虐殺」を初めて世に紹介したのは、
英マンチェスター・ガーディアン紙特派員、ティンパーリーが1938
(昭和13)年に刊行した『戦争とは何か』です。

ティンパーリーは当時、国民党中央宣伝部顧問で、資金提供も受けていた
ことが北村稔・立命館大教授らの研究で判明しています。

同著の出版をはじめとする「大虐殺」宣伝は、
世界中で反日世論を高める戦時プロパガンダだったのです。

  『別冊正論』15号では、3人の筆者が、このプロパガンダへの
中国共産党またはソ連の関与を示す根拠を提示しています。

  (1)『戦争とは何か』中国版の序文を書いた有名文化人の郭沫若
(かくまつじゃく)は、日中戦争勃発にあわせ、亡命先の日本から
中国共産党やコミンテルン(戦前〜戦中の国際共産主義運動指導組織。
本部・モスクワ)の支援で極秘帰国し、戦時宣伝を担当した(
中西輝政・京大教授)

(2)同著の日本語版序文を書いた青山和夫こと黒田善治という人物は、
コミンテルン秘密工作員とともに中国で活動していた
(近現代史研究家、長塩守旦氏)

(3)「大虐殺」の証拠の一つとされた『ラーベ日記』筆者、
ジョン・ラーベは、ソ連の大物スパイ、ゾルゲの活動を上海で支援していた
赤軍諜報部員の友人だった(江崎道朗・日本会議専任研究員)−。


  『戦争とは何か』英語版にコミンテルンの影が見え隠れすることは、
北村教授も著書『「南京事件」の探究』で指摘しています。
「大虐殺」宣伝に国際共産主義勢力が積極的にかかわっていたとすれば、
相当の規模をもった対日宣伝戦だったことを意味します。

  アメリカでは近年、第二次世界大戦前後のルーズベルト政権内に
ソ連と通じた秘密共産党員が多数潜入して政策に影響を与えていたという
実証研究が進み、共産主義の世界革命戦略が当時の情勢分析に欠かせない
という見方が強まっています。

「大虐殺」宣伝もその中に位置づけられるとしたら…。

今後の検証が待たれます。(正論副編集長   小島新一)

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抗日事件描く映画、総統府前広場で上映会

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/04 23:23 投稿番号: [430 / 735]
抗日事件描く映画、総統府前広場で上映会   台湾
2011.9.4 22:08

クリックして拡大する

映画「セデック・バレ(真の人)」
の上映会で舞台あいさつする出演者ら=4日、台北(共同)

  【台北=吉村剛史】
1930年、台湾中部の先住民セデック族(当時はタイヤル族)が
日本人約140人を殺害した「霧社事件」を描く台湾映画
「賽●克・巴莱」(セデック・バレ)の上映会が4日夜、
総統府前広場で開催された。

  恋愛を通じて日台の絆を描き、台湾で記録的ット作となった
「海角七号」の魏徳聖監督が、7億台湾元(約19億円)を投じた
最新作で、前後編計5時間の前編「太陽旗」を約600人の招待者らが
鑑賞した。

  日本統治時代の最大規模の武装抗日暴動という重いテーマの表現が
注目されており、この日は来年1月の総統選で再選をめざす馬英九総統や、
政権奪還を目指す野党・民主進歩党の蔡英文主席も同席。
しばしの休戦となった。

●=徳の心の上に一

.

桃花谿     張旭

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/04 23:19 投稿番号: [429 / 735]
桃花谿            張旭(盛唐・生没年不詳)


隠隠飛橋隔野烟       隠隠たる飛橋   野烟を隔て
石磯西畔問漁船       石磯(セキキ)   西畔   漁船に問う
桃花盡日隨流水       桃花   盡日   流水に隨う
洞在芿溪何處邊       洞は芿溪の何處(いずこ)の邊に在りや

うららかな春の日、遠くにぼんやりと霞んで渓川にかかる飛橋が見える

石のごろごろしている河原の西のあたりで、
おりしも近くにやってきた漁船の釣りをする漁師にたずねてみた

ひねもす流れる桃の花

あの『桃花源記』に書いてある桃花源へ入る洞穴は、
この清らかな渓川のどこいらあたりにあるのかね


★張旭・・・
蘇州人、仕爲常熟尉。嗜酒、善草書、毎大醉、號呼狂走乃下筆、自視以爲神。

(張旭は) 蘇州の人。
仕えて常熟(蘇州の端にある蘇州常熟県)の尉と爲(な)る。
酒を嗜(この)み、草書を善(よ)くす。
大醉する毎に、號呼狂走して乃(すなわ)ち筆を下す。
自ら視(み)て以て神(シン)と爲(な)す。

大酒を飲んで酔っぱらうたびに、大声をあげて狂ったように走りまわり、
筆をはしらせた(だから必然的に草書になる)。
自分で自分の作品を見て、人間わざとは思えないと感心するのだった。

「尉」というのは、課長クラスの役職。酒が大好きで草書の達人だった。


★飛橋・・・高所にかかる橋。建物ならば飛閣というのと同じ。


★この詩は名作だといわれています。その理由は、

①陶淵明『桃花源記』を典故とした詩。
即ち、古典の教養をふまえて作られている。教養の滲出がみられる。

②詩の情景にに山水画のような奥行きがある。

③結句が特にシャレている。


★『唐詩三百首』より、訓読・解釈はトピ主です。


>張旭三杯草聖傅       張旭は三杯   草聖伝わる<

.

飲中八仙歌     杜甫

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/04 00:57 投稿番号: [428 / 735]
飲中八仙歌          杜甫(盛唐・712〜770)


知章騎馬似乗船       知章が馬に騎(の)るは船に乗るに似たり
眼花落井水底眠       眼(まなこ)花(くら)み井に落ちて水底に眠る
汝陽三斗始朝天       汝陽は三斗にして始めて天に朝す
道逢麹車口流涎       道に麹車に逢えば口に涎を流し
恨不移封向酒泉       恨むらくは封を移して酒泉に向かわざりしを
左相日興費萬錢       左相の日興 万銭を費す
飲如長鯨吸百川       飲むこと長鯨の百川を吸うが如く
銜杯楽聖稱避賢       杯を銜(ふく)み聖を楽しみ賢を避くと称す
宗之瀟洒美少年       宗之は瀟洒たる美少年
挙觴白眼望青天       觴(さかずき)を挙げ白眼にして青天を望めば
皎如玉樹臨風前       皎(きょう)として玉樹の風前に臨むが如し
蘇晋長斎繍佛前       蘇晋は長斎す   繍仏の前
酔中往往愛逃禅       酔中往往逃禅を愛す
李白一斗詩百篇       李白は一斗 詩百篇
長安市上酒家眠       長安市上酒家に眠る
天子呼来不上船       天子呼び来たれども船に上らず
自稱臣是酒中仙       自ら称す   臣は是れ酒中の仙と
張旭三杯草聖傅       張旭は三杯   草聖伝わる
脱帽露頂王公前       帽を脱ぎ頂を露(あらわ)す   王公の前
揮毫落紙如雲煙       毫を揮い紙に落とせば雲煙の如し
焦遂五斗方卓然       焦遂は五斗   方(はじ)めて卓然
高談雄弁驚四筵       高談雄弁   四筵を驚かす


知章が馬に乗る様子はゆらゆらしていて船に乗っているみたいだ
眼がちらついて井戸に落ちても彼なら水中で眠っているだろう

汝陽王は三斗の酒を飲んでから朝廷に出向いていく
道でこうじを乗せた酒の匂いのする車に出会えば涎をたらし
酒の泉が湧いたという酒泉に領地かえしてくれないことに不平をもらす始末

左相である李適之は毎日の楽しみに一万ものお金を使う
酒を飲む様は巨大な鯨が百の川の水を吸い込んでいくようだ
酒を飲んでは聖人の境地を楽しみ賢人にはなりたくないねなどと言う

宗之はさっぱりとした美少年だ
杯を挙げ世俗を見下しながら青い空を見上げる様子は
まるで宝玉の樹が風に吹かれているように白く輝いている

蘇晋は刺繍の仏像の前で断食し仏を礼拝しているが
酔っ払うとたまに坐禅から逃げようとする

李白は一斗飲めば百篇の詩を作る
長安の酒屋で酔いつぶれ天子である玄宗が彼を呼び出したとき
天子の乗っている船に乗ろうとしなかったとか
さらに自分で「私は酒の世界の仙人なのだよ」などと言う

張旭は三杯飲むと草聖と讃えられる名筆を後世に残す
彼は変っていて王公の前でも帽子を脱いで
頭のてっぺんをむきだしにして字を書く
だが筆を紙に下ろすと雲や霞が湧き上がるかのように
素晴らしい字が浮かんでくるのだ

焦遂は五斗を飲んでやっとしゃんとする
そして高尚な議論と雄弁さで周りの人々を驚かせるのだ

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Re: 中国が嫌われる七つの理由

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/04 00:38 投稿番号: [427 / 735]
7.危険な「友好」

  親善、好意を示す「友好」という言葉は、本来嫌われるはずがない。
だが、中国人との「友好」だけは別である。
新聞やテレビなどのマスコミは、米、英、仏、独と日本との大人のつきあいには
普通「親善」という言葉を用い、「友好」というキャッチフレーズを使うことは
あまり見られない。だが、中国に関するかぎり、なぜか「友好」という言葉が
使われ、日中交流の専門用語のようになっている。

  戦前、戦後を通して、日本と中国は「友好」と「非友好」に二分されていた。
一時、中国との関係はもっぱら「友好人士」や「友好商社」という、
中国からお墨付きをもらった一部の日本人に独占されていた。
一九七二年に日中国交正常化がなると、日中間の交流は「友好人士」の独壇場
でなくなり、やがて「子々孫々にいたるまで」という形容がつけられて
「友好」が強調されるようになった。
普段、人間不信の社会で生きているので、中国人は人間関係についてことさら
「友好」を強調しないと不安に襲われる。

  しかし、中国を相手にする側にとって、中国が強調する「友好」ほど
不安なものはない。なぜなのか。
その理由は「友好」の解釈権がもっぱら中国の側にあり、中国の規定する
「友好」におとなしくついていかなければならないからだ。
ことにしたたかさをあまり持ち合わせていない日本人は、
腹芸が下手でタヌキとキツネの化かし合いができない。
しかも日本人は外圧に弱く、中国流の「友好」パフォーマンスに
対抗するのがきわめて下手である。

  「友好」という言葉を額面どおり受け取っていると、
思わぬ落とし穴にはまることになる。
実は中国が「友好」を語るとき、ことに相思相愛を語るときが最も危険なのである。
それは歴史を振り返ればわかる。たとえば、中ソ、中印、中越戦争が起こったときは、
いずれも両国の「友好」関係が蜜月のピークに達した時期にあたり、
まさに老子のいう「物極まるときは必ず反(かえ)る」という結果になった。

  だいたい人間の歴史で、民族間、国家間に「子々孫々の友好」などあったためしがない。
中国との「友好」は、すなわち彼らの独善的な価値観を全面的に受け入れるこ
とでしかない。
日本人は中国がたたみかけてくる友好の嵐に翻弄され、身も心もくたくたになってしまう。
そして考えれば考えるほど嫌悪感を越えて怒りがこみあげ、
やがて「日中友好」の滑稽さに気づくことであろう

6196

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Re: 中国が嫌われる七つの理由

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/04 00:36 投稿番号: [426 / 735]
6.土匪国家

  この数年来の日本における中国人犯罪の急増はいまや常識といえる。
実際、外国人犯罪者の半数以上が中国人犯罪者で、新手のピッキング強盗と
なるとほとんどが中国人の手によるものである。
石原慎太郎都知事も、この類例を見ない凶悪犯罪を新聞で指摘しているし、
ある自衛隊関係者は、警察署に収容された中国人に提供する食事の
一食分の経費が、自衛官のそれよりも高いことをぼやく有様だ。

  日本ばかりではない。
世界の多くの大都市が中国人密入国者の問題に悩まされている。
シベリアヘの中国人密入国者は年間五十万人にのぼるという信じがたい
数字も出ている。
蛇頭の年間総収入は世界の麻薬密売の収入の数字をとうに超えている。

  中国人が海外流出すると、流出した先で社会が大きく変化する。
台湾の生活環境の変化は、その代表的な一例である。
台湾は戦時中、疎開して家を離れても物が盗まれることがなかった。
しかし、戦後、四十万の日本人が台湾から追放され、代わりに二百万の
中国人が大陸から流入すると、台湾はたちまち泥棒の国と化した。
泥棒の多さは高層ピルの上階でも窓に鉄格子がはまっていることが如実に
物語っている。あの特異な建築群の景観は、泥棒のせいなのである。
台湾では「中国人を見たら泥棒と思え」という教育を親がするようになった。

  九四年、中国の浙江省杭州の千島湖で、台湾入観光客二十四人を乗せた遊
覧船が湖上で強盗にあい、全員が船室で焼き殺された事件があった。
台湾では有名な事件である。
当時の中国政府はこの痛ましい事件が強盗殺人事件であったことをひた隠しに
していた。李登輝総統は激怒し、中国を「土匪国家」だと非難した。

  中国が「土匪国家」であることは、歴史的にも知られている。
清代の乾隆帝時代、英国の通商使マカートニーは、『奉使記』の中で沿道には
乞食と盗賊ばかり目立つと記している。
中華民国初期は、「賊のいない山はなく、匪のいない湖はない」と言われるほどで、
賊の数は推定二千万人、軍隊より多かった。
その当時、上海や満州の各都市では公共パスに武装兵士が最低二人同乗していた。
そうでなければ安全が確保できないのである。
現在でもいたるところで「車匪路覇」に注意を呼びかける看板がかけられ、
改革開放後の中国を特色づけている。
九〇年代、匪賊との銃撃戦で殉職した警官は毎年二千人あまりにものぼる。

  なぜそれほど匪賊が多いのか。結論を言えばそれが伝統文化なのである。
「天下は馬上で取る」「勝てば官軍、負ければ賊軍」という歴史の法則に基づき、
王朝末期には生活手段を失った民が賊に変身し、やがて易姓革命の原動力となった。
易姓革命は、盗賊を正当化する中国の歴史の原理といえる。
チペットに対しても、台湾に対しても、この強奪行為を正当化し、
周辺諸国との領土をめぐる紛争は絶えない。
増え続ける密入国者によって中国人犯罪が世界に広がり、かつて白人に
恐れられた黄禍が華禍となって、ますます嫌中感情が増幅されることだろう。


つづく

6195

Re: 中国が嫌われる七つの理由

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/04 00:33 投稿番号: [425 / 735]
二人で井戸をのぞくな

5.人間不信

  中国人は国家を信用していないばかりか、社会も人間も信用していない。
妻さえ住用しないのは、もともと他人だからとしても、血のつながった
親子や兄弟でさえ信用できないのである。

  毛沢東の極左政策の時代に、「父母よりも毛主席が親しい」と言う言葉が
流行り、当時は中国社会の砦とも言うべき家族まで階級の敵と目され、
子が父を告発することさえ頻発した。劉少奇や林彪は、政敵ではなく我が子
に密告され、一人は獄死し、一人は逃亡する途中で死亡したのである。

  中国のことわざに「一人で廟に入るな、二人で井戸をのぞくな」というものがある。
一人で廟に入ると、悪い坊主のカモにされ、
殺されて金品を奪われてしまうかもしれない。
二人で井戸をのぞくと、相棒に突き落とされる危険があるという意味である。
この人間不信社会で生き残り、競争に勝つために兵法が発達した。
孫子は「兵は脆道なり」と言った。つまり戦争は詐欺の道だというわけである。
中国人気質の最大の特色も「詐」にある。中国人は「詐の民」だという人もいる。
親は子に対して「人にだまされるな」と教育し、常日頃口うるさく教えている。

  戦後、日本人は中国人の詐欺ぶりを目の当たりにして驚愕した。
偽残留孤児、偽難民、偽装結婚、偽造パスポート、闇銀行、偽造卒業証書、
偽造プリペイドカード……。自分の利益のためにはどんな物でも平気で
偽造するし、どれをとってとも日本人の想像を絶するものばかりだ。

  世界中で今大きな問題になっているのは、中国の偽ブランド品である。
知的所有権の盗用は別としても、薬、タバコ、酒、食品など、人が健康を
害したり、悪くすれば命を落としたりしてもおかまいなしに、
どんどんコピーをつくってしまうク中国政府は「打仮運動」と称して
偽ブランドの追放キャンペーンを行っているが、効果はまったくない。
現在の中国は、公金横領、賄賂横行、汚職天下の国であり、偽物天国である。
今日も中国のどこかで偽プランド品が製造され、世界にばらまかれている。

  嘘でぬりかためられた人間不信の社会の中で、
中国人は上から下までだましあっている。

政府はマスコミを通じて民衆をだまし、
民衆は面従腹背で良民を装いながら国家を食い物にする。

中国人社会で詐欺師が暗躍し、偽物が氾濫するのは当然なのだ。


つづく

6194

Re: 中国が嫌われる七つの理由

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/03 00:24 投稿番号: [424 / 735]
4.責任転嫁

  「悪いのは全部他人で、成果は全部自分のおかげ」という責任転嫁と
絶対無謬の独善意識が中華思想の真骨頂である。

  私は台湾で生まれ育ったが、小中学校時代に、近代中国が貧困・落後
したのは列強の侵略と清朝の腐敗、軍閥内戦に原因がある、と教えられた。
中華人民共和国では、それがすっかり国民党政府の責任にされている。

  また、文革が終焉すると、「動乱の十年」の責任は全部四人組のせいにされた。
毛沢東の過ちに触れられることは決してなく、あれほどの社会的混乱の責任を
すべて四人の政治指導者に押しつけたのは、裏返せば、中国人の破廉恥な
無責任意識のなせるわざである。

改革開放になると、急激な経済開放のために強盗殺人、賭博、麻薬密売、
買売春、人身売買、詐欺、迷信など、「六害」「七害」と呼ばれる凶悪犯罪
が横行するようになった。これはある意味で当然の結果である。

こうした無秩序は中国本来の姿であり、百年変わらぬ国民性の復活にすぎない。
ところが中国はそれを認めず、資本主義の精神汚染だと決めつけ、今度は
「社会主義新文明を創造せよ」と呼びかけ、党大会のたびに決議などしている。
資本主義のモデルについていくだけで手一杯だというのに、
何主義だろうと新文明の創造などできようはずがない。

  西欧文明が東アジアに大きな影響をおよぼしたのちの中国人の不幸、
落後はすっかり西欧のせいにされてしまったのである。
近代中国の没落はアヘン戦争以後、すべて列強の侵略の結果に帰され、
中国自身にどんな問題があっても、それに目を向けることはない。

こうした責任転嫁は、中国文明の優越性に対する固執の表れともいえる。
自己の無謬性の過信によって独善的となり、ことに日本人のような自虐的な
国民に対しては、反省や謝罪を要求することをやめようとしない。
明末、異端の儒学者といわれた李卓吾は、その著書『蔵書』の中で、
中国人についてこう指摘している。
「いかに自己礼賛するかについては苦心惨憺するが、自己批判については
まったく関心を持たない」と。最近、中国駐在の日本人商社関係者が
中国人気質について調査をし、以下のような中国人像がまとめられたという。

  「絶対自分の非を認めない。それは中国人が責任感の意味を知らないと
いうよりも、失敗を他人のせいにする習性があるからだ。
もともと、中国は熾烈な競争社会であり、責任をとる段になったら、
なるべく自分の身にふりかからないようにしなければ生き残れないからだ」


つづく

6193

Re: 中国が嫌われる七つの理由

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/03 00:22 投稿番号: [423 / 735]
悪いのはすべて他人だ

3.独善

  仏教と儒教は中国から朝鮮を経由して日本に伝えられた。
宗教が共通なのだから、精神文化も共有しているように思えるが、
根本となる死生観がまったく異なっている。
日本人は「死ねば神」「死者悉皆成仏」といって、
死後にまで生前の利害や怨恨を問わない心を持っている。
だが、中国人には強烈な勧善懲悪の倫理意識があり、
自分の敵は死後もその墓を暴き、屍にむち打ち、魂まで食らおうとする。

人は死しても安らかに眠ることができないのである。
しかも信仰の自由はなく、国内で邪教とされた宗教は徹底弾圧し、
日本の総理の靖国神社参拝にまで政治的に干渉してくる。

  中国の内政干渉は靖国問題にとどまらない。
歴史教科書、政府高官の発言、南京事件の評価、日本の生存権問題に属する
日米安保、憲法改正論議、ダライ・ラマや李登輝前台湾総統の訪日、
航空会社の空港使用、ホテルでの国旗掲揚など、ありとあらゆることに
干渉し、外交問題にしようとする。

  かつてテレピ朝日の二ュースステーションで、キャスターの久米宏が
チベットに関して発言した内容に中国が圧力を加え、翌日の放送で中国に
対して謝罪した事件があった。
同じように、テレピ各社の中国特番で、中国政府と協力して制作されたもの
であるにもかかわらず、放送後、中国の一方的な抗議を受け、公開謝罪
させられたケースが何度もある。中国の独善的な思惑の押しつけは、
日本に対してだけではない。世界のいたるところにおよんでいるのである。

  たとえば、旧西ドイツやデンマークなどでチベットの人権侵害問題を
とりあげる議会に圧力をかけ、決議をしたら報復すると恫喝した。
また江沢民主席はかつてスイスでデモ隊に遭遇したときに、迎えに出たスイスの
首相に対し、自国の管理もできないのかなどと、いちじるしく礼を失する
発言をしたことがある。アメリカに対しでも同様の干渉を加える。

李登輝が総統の座にあったとき、卒業したコーネル大学の訪問のために
訪米を申し入れたことがあった。アメリカの上下両院が李氏の訪米を
受け入れる決定をしたにもかかわらず、中国はこの決議に関しても「誤った
決議」だとして反省を求めたのである。

  一党独裁、全体主義国家の中国は違うが、
アメリカ建国の理念は議会制民主主義である。
議会は民意を代表し、いかなる決議も民意の反映であることには変わりない。
議会の決定は大統領といえども無視することはできないことが、
江沢民にはわかっていない。
アメリカ議会に対する反省要求は、中華思想の露骨な表現であった。
日本ならばすぐに反省し、謝罪してしまうだろうが、
アメリカは相手にしなかつた。

つづく

6192

Re: 中国が嫌われる七つの理由

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/03 00:22 投稿番号: [422 / 735]
2.ご都合主義

  ジコチューは自分の都合に従って行動する。
したがってご都合主義が普遍化されるのである。
他人の都合や思惑は二の次、三の次というより、最初から考慮されていない。
政治の流れを見ても、一九五〇年代、「向蘇一辺倒」などといわれ、
ソ連と蜜月の関係を結んでいたにもかかわらず、六〇年に入って突然
「ソ連修正主義反対」、「ソ連社会帝国主義打倒」のスローガンを掲げて豹変した。
そして六〇年代、日米安保、アメリカ帝国主義反対を唱え、
旧日本社会党と共同声明まで出した中国は、七〇年代に入るやある日突然、
日米安保賛成、反ソ親米に急変した。

  このとき日本の旧社会党員は肩すかしを食らい、いわゆる進歩的文化人は
どれほど困惑したことだろうか。日本にかぎらない。
文化大革命を礼賛した世界の文化人たちは、文革収拾とともに、文化大革命
そのものが「動乱の十年」となって評価が逆転して、中国人の敵として振り
落とされていく。中国人のご都合主義についていくのはたいへんなことである。

  戦後、日本の世論は「中国人とは、原則を重視する民族」という神話を信じていた。
それは中国政府がいつも「平和五原則」「周恩来四原則」「日中三原則」と
原則ばかりを唱えていたので、つい幻惑されたためであろう。
実は、これは原則ではなかった。
偏執、強情、拘泥を「原則重視」に読み間違えたのである。
ジコチューの中国は、原則(建前)と本音を実にうまく使い分ける。
日本人はまったくこの点を読むことができない。

あまりに思いやりのある民族であるため、日本人は相手の意に添うこと
ばかりを考え、ときには迎合することさえある。
ジコチューの中国人と、相手の意に添うことの上手な日本人ならば、
これほど理想的な友好カップルはないはずだ。
だが、それはあくまで日本人がついていかれるならばの話である。
人治国家の中国では、法はあっても自分の都合で利用したり、
無視したりするのが通常である。
したがって、朝令暮改、契約反故などが頻繁に起こり、たいていの日本人は
中国人の独断にふりまわされ、最後にはノイローゼになってしまう人までいる。


つづく

6191

Re: 中国が嫌われる七つの理由

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/03 00:21 投稿番号: [421 / 735]
  自分以外は人間ではない

1.自己中心

  「自己中心的であ」を略して「自(ジ)己(コ)中(チュー)」などと呼ぶが、
こういう人間が好かれることはまずない。
中国人はまさにジコチューが国民性といってよい。
そしてそれが国家規模に拡大され、自国中心主義になる。
「中国」という自称がその最たる証拠である。

  客観的に見て、この丸い地球上に中心となる地点があるわけはない。
天下(世界)の中心を意味する「中国」は、地理上の中心点ではなく、
精神的な中心である。
ごく簡単に言えば、自分が世界の中心、文化の中心であるという強い思いこみだ。
この精神的な中心意識から生まれたのが、中国文明至上主義である。
中国文化が最も優れており、周辺に伝えて文明の恩恵を与えているという同心円的
な観念が中華思想の精神構造で、それは揺るぎない優越意識でかためられている。

  中国人は古来、近隣国を蔑視してきた。
この蔑視観は、文化の違う人々を人間と見なさないほどまでに強い。
その優越意識はアパルトヘイト以上である。
その証拠に華人以外はみな禽獣として、
民族名称には獣へんや虫へんのついた漢字を用いて書いた。

盛唐時代の代表的な知識人である韓愈は、著書「原人」で、夷狄のことを
「半人半獣」とし、獣より進化したと評した。作家の魯迅は
「中国人は人間を人間とも思わない」と、中国人の国民性を批判している。

  このような中国人の人種差別意識に対抗しようとしたため、
日本人は中国人からずいぷんと嫌われてきた。
一八九八年の戊戌維新のとき、伊藤博文は維新派の康有為らに政治顧問として
北京に招聘されたことがあった。明治維新の成果を清国維新派が評価して、
維新の秘訣を徴されたのである。そのとき伊藤はこう忠告している。
「まず、外国人を夷狄と呼ばないことだ」。

  西欧諸国が清国に対して通商要求をするときに、どうしても耐えられ
なかったのはあの屈辱的な「三脆九叩」の礼をさせられることである。
アヘン戦争終結後の一八四二年、外国人を夷狄あつかいする清国に対し、
イギリスは南京条約第一七条でわざわざ英国を「英夷」と呼ばないように規定した。
それでも中国が守らないので、一八五八年、アロー号事件後の天津条約の
締結のさいに「夷狄」呼ばわりしないことを再度明文化させている。
清末に中国人と接した外国人のほとんどがその傲慢さに苛立ち、イギリス通商
特使として北京に派遣されたマカートニーは逆に中国人を「半野蛮人」と呼んだ。
イギリス公使兼香港総督J・F・デビスは中国文明を「半文明Lとみなし、
初代総税務司のN・レイに至っては「アジアの野蛮人」と呼んで軽蔑した。
こうなると、中国人とイギリス人のジコチューくらべである。


つづく

6190

中国が嫌われる七つの理由

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/03 00:20 投稿番号: [420 / 735]
世界一ジコチュウー国家を台湾人学者が徹底解剖
中国が嫌われる七つの理由
拓植大学日本文化研究所客員教授   黄文雄

 
  隣国同士で非常に友好的な関係を結んでいるという国は案外と少ない。
善隣は実はむずかしいのである。
「呉越同舟」という中国故事があるが、これは、善隣を装わなくてはならない
悲哀をよく表している。
「遠交近攻」とは、善隣のむずかしさから生まれた国家存亡の戦略である。

  中国と韓国は嫌日感情が強い。
日本に反発し、日本ゆえにあなどろうとする感情は日常的に存在している。
逆に、日本でも、嫌中・嫌韓感情が生まれている。
いくら「友好」を強調しても、すればするだけ「善隣」のむずかしさが大きくなる。
実は中国は、日本ばかりでなく、他の近隣諸国からも嫌われている。
ベトナム人もインド人、ロシア人、チベット人も嫌中感情が強く、中国国内の
回族のようなイスラム教徒は歴史的にはげしい文化摩擦が生じていたので、
ほかの国より漢族に対する嫌悪感が強い。

隣国同士の反感は、国同士の利害に関わることばかりに原因があるわけではない。
こと中国に関するかぎり、この国の人々に共通している性格に起因することが
断然多い。およそ百年前、宣教師として中国の山東省で三十数年間伝道活動を続け、
つぶさに中国社会を見てきたA・H・スミスは不朽の名著『支那人の性格』を著した。
私は台湾に居住する中国文壇の最長老で、かつて『醜い中国人』を著して日本人の
中国人イメージをー新した柏楊氏に、スミスの分析とくらべて現在の中国人は
変わったかどうか、尋ねてみたことがある。

  柏楊氏の答えはノーであった。西欧文明の東漸による近代化の荒波を
うけても、中国人の国民性はほとんど不変であった。現在、世界の企業が
中国で事業を展開し、海外経験のある中国人も多数いる。
これほど対外的に開放されたにもかかわらず、中国人の保守的傾向はますます
強まっているといってよい。

中国が嫌われるのは、近隣相嫌うという隣国の原理というよりは、変わらぬ
国民性から来ることが多い。本論ではその国民性を徹底的に探ってみたい。


つづく

Re: 両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/02 01:13 投稿番号: [419 / 735]
  うーん、藤堂先生がそんなに思いあがった気持ちで書いたという感じは、
ぼくはしないのだが、外の人から見るとそう見えるのかもしれないなあ。

  白川氏が丁稚奉公をしたことも、独学であることも、
『漢字』が最初の著書であることも、ぼくは知らなかった。

  そのこともあり、また右のAさんの文章はなかなか気がきいていて、
仲間うちのメールだけにしておくのは惜しい気がするので御紹介しました。

  なお右文中に「私淑していた」とあるのは、Aさんは散歩会に比較的新しく
参加したメンバーで、それ以前からぼくの本を読んでいてくれていたからです。
言葉の意味をとりちがえているのではないので念のため。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★「私淑」とは、面識がなく直接の教授を受けていないが、
その人を一方的に尊敬して師と仰ぐことです。
もとは『孟子』にある言葉です。


★本文は以上で終わりです。
以下は、『お言葉ですが・・・』別巻③のあとがきにあったものです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   あとがき

  (・・・)うち、『ユリイカ』に書いたものの「両雄倶には立たず」
という題は、『ユリイカ』の編集者がつけたものである。
ぼくは、白川静氏も藤堂明保氏も別に「雄」とは思わないし、そもそも、
現存の人やごく最近の人を「何々の雄」と表現する発想がない。
なおこの原稿は、人にえこひいきと思われるのはイヤだから、白川・藤堂
両人の言い分を均等に紹介してぼく自信の評価はさしはさまなかったが、
率直に言って、白川氏の書いたものは二つともいたって程度の低いもので
あった。(・・・)


    ――了――

6165

.

Re: 両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/02 01:11 投稿番号: [418 / 735]
  白川氏と藤堂氏との考えかたのちがいはどこにあるのか。
白川氏は、一つ一つの漢字の持つ意味は、
その文字の図柄(形)が表現している意味なのだと考える。

  藤堂氏は、漢字があらわしているのはことば(一つ一つの単語)
なのであって、図柄(藤堂氏のことばを用いるならば漫画)は、
そのことばの意味の一例を図示したものにすぎない、と考える。

  藤堂氏と白川氏との論争はなかなか激烈ではあるが、
そのわりには噛み合っていない。
それはこの考えかたの差が埋まらなかったからであり、白川氏がその長い
反論においても藤堂氏の考えかたの本質を理解しなかったからであろう。
藤堂氏が「反論の反論」を書かなかったのも、自分の考えかたがとどいていない、
手のほどこしようがない、とあきらめたゆえであろうと思われる。(10,1)

<附記>
われわれの散歩会の一員であるAさんが右拙文を読んで、
散歩会の人たちにメールを送り、ぼくにも送ってくれた。
なかなかおもしろいので左に御紹介します。


  <散歩会各位
  あけましておめでとうございます。
  『ユリイカ』一月号(白川静特集)を開いたら、
高島先生がコメントを寄せられていたのでびっくりしました。
(白川静VS 藤堂明保論争)についてのコメントです。

  藤堂さんというのは東大文学部中国語学の元教授で漢字学の権威、
単語家族という考え方に基づいた漢字の字源に関する著作が多数あります。
(この学統を継いでいるのが茨城大学の加納善光さんです)。

  片や白川さんは丁稚奉公先で漢籍に接し、独学で中国古典を学び、
漢字の字源に興味をおぼえてこれも独学で研究した人です。
高校の教諭から戦後立命館大学の先生になって、自身の研究成果をガリ版で
刷って学会に配布し、それが岩波の編集者の目にとまって、
はじめて活字になったのが岩波新書の『漢字』という本でした。

その本に中央の権威である藤堂さんが噛みついた。
その争点と食いちがいについては、
高島先生がわかりやすくまとめてくださっています。

  ただ、僕は藤堂さんの白川批判を読んで、
「藤堂って人はなんて大人気ない人なんだ」と感じました。
批判のトーンが、いうなれば、「高校の教員上がりの分際が漢字の基礎も
知らずに、漢字の字形にばかり頼って漫画みたいなこというじゃねえよ」
「岩波ともあろう出版社が、権威であるわが輩をさしおいて、こんな
田舎教授に漢字の本を書かせたのか」という下品なものだったからです。

  高島先生は東大中国文学のご出身だから(また、単語か俗論に近い
漢字解釈をしていらっしゃるのをいくつか眼にしていたので)、
先のコメントでは藤堂さんを擁護されるんだろうとか、と思って読みました
が、きわめてニュートラルな立場でのご発言だったのでほっとしました。
高島先生にも白川さんにもともに私淑していた身として、『ユリイカ』の
先生のコメントを呼んだのを契機に、ちょこっとメールを思い立った次第。>

つづく

~~~~~~~~~~~~~~~~~

★Aさん・・・実名で出ていますが、ここではAさんとしました。

6164

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Re: 両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/02 01:08 投稿番号: [417 / 735]
ここに書いてあることが、メインでありまとめです。

結局、白川静は藤堂先生のおっしゃっておられることを理解することが
できなかった。

もう一度、「伏」の字について書かれたことを頭に浮かべてみてください。

藤堂先生は、それがわかって、「こりゃ、だめだ」と
論争を放棄されたわけです。

しかし、世間ではそうはみない。
白川静が勝った、とみるわけです。

高島先生のようなかたでなければ、
なかなか真相を見分けることができないわけです。

しかも、白川静には岩波や朝日がついている。


高島先生の書かれていることは、一見さりげなく、穏やかなようでは
ありますが、実はかなり辛辣です。

つづく

6163

Re: 両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/02 01:07 投稿番号: [416 / 735]
  藤堂氏の考えかたは、文字というのは、その図柄(形)に意味があるのではなく、
その字があらわしている「ことば」に意味がある、そしてことばとは人の口から
出る音が意味を持ったものである、というにあった。

  これを白川氏は、漢字は中国語の音をあらわしたものだという主張と
受けとったようである。こうある。

  <文字にはいうまでもなく形・音・義がある。(・・・)もちろん漢字はその
  形のうちに音・義を含むものであるから、文字はいわば三位一体のものと
してある。しかし成立期の文字には、その音を示すための方法は、あまり
考慮されていない。(・・・)すなわち文字は、音を示すために作られたもの
でなく、ことばの意味を示すために生まれたのである。形がある以上、
一定の音でよまれたことは当然であるが、表音よりも表意を主とした。>

ここで言っていることは、まったくその通りである。
漢字は、ことばの音を示すものとして、すなわち音標文字として生まれたもの
ではない。
ことばの意味を示すものとして生まれた。そのことを否定する者はいない。
しかしことばを示すものである以上、それは音をともなっている。

  白川氏がここで、『漢字』には見えなかった「ことば」「音」について
のべているのは、藤堂氏の批判に触発されてのことであろう。

  ただ、この先を見ると、どうも白川氏は、藤堂氏が、漢字はことばの音を
あらわしたもの、という考えかたに立っているように受けとったようである。
こうある。

  <もし文字が、ことばの音をしるすだけの音表記として出発したもので
あるならば、これほど多数の文字を必要としなかったであろう。
単音節語である中国語は、もともと百数十の音をもつにすぎず、
文字もその数で十分であるはずだからである。
文字が「言葉を視覚に訴えて表わす道具にすぎない」のであるならば、
そういう発想からは、漢字にしても、他の正聖刻文字にしても、
多数の象形字が生まれてくるはずがない。
またヒエログリフがのち文字としてかなり整理されていったように、
漢字にもそういう展開があってよいはずである。
しかし漢字は、時代とともに増加した。
そしてその間に、字の基本形には大きな変化はなかったが、
時代音はかなりの変化をしている。
音から文字を解釈しようとする音義的な方法は、
十分な科学的根拠をもつものとはしがたいのである。>

藤堂氏にせよ、あるいは古くからある音義説にせよ、
漢字が、人の口から出る音を直接うつしとったものだとは言っていない。
白川氏がそう受けとったのだとしたらそれはまちがいである。


つづく

6162

Re: 両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/02 01:04 投稿番号: [415 / 735]
右の「語源的な解釈法をとる研究者」が藤堂氏などを指している。
すぐつづけて、

  <このような時代思潮による解釈や音義的理解は、文字の形を無視する傾向が
  あるという点において、致命的な欠陥をもっている。>

対して自分は、文字の形を重視するというのである。ついで、

  <卜辞や金文など、文字成立当時の資料が豊富に用意されている今では、
王が鉞頭の形であり、東が&#27216;(ふくろ)の象形文字であり、
東方の意はその音を仮借した用法であることが、容易に知られる。
王の字形は、卜文・金文に数百に及ぶ資料がある。
しかし『漢字』に書評を寄せた藤堂氏によると、その字は「大と于とを
組み合わせた字」(漢字語源辞典、415頁)にみえるということである。
そして王とは、于にも大きいという意味があるので、そこからの派生義
であるという。卜文・金文には別に大も于もその字があるが、それを
どう組み合わせたら王という字になるのであろう。
もし卜文や金文を実際に見てその結論に達したものとすれば、
氏はどういうみ方をしているのかと思う。
氏の著書をみていると、氏が果たして卜文や金文について知識があるのか、
疑うべきところが甚だ多い。>

  これは、王の字と東の字について、『説文解字』の音義的解釈を訂正し、
あわせて藤堂氏に批判を加えたものである。
『漢字』にかかげられている甲骨文の写真を見ると、王の字はたしかに
鉞に見える。白川氏得意のところである(なお東の字が&#27216;〔たく〕〔ふくろの意〕
の音をかりたものであることは藤堂氏の本にもあり、こちらは問題ない)。

  また周の字について、藤堂氏はこれを田界のまわり、もしくはタネまきと
考えたのに対し、「雕楯の形であることは明らかである」としてこうのべる。

  <すべてこれらの字形は『漢字』にその原形を収めておいたから、
読者はその字形によって確かめて頂きたいと思う。
  このような字形に対する無頓着さは、資料の精査と検討が行われていない
証左である。こういう研究のしかたでは、十分な理解に達しがたいことは
いうまでもないが、氏のいう漢字の漫画的理解からいえば、字形などは
どうでもよいのでろう。
市井の物好きのいうことならば知らず、とにかくあきれた話である。>

なかなか負けてはいない。


================================================ =

★表示されない字は、「たく」と「ふくろ」で変換してみて
共通の「藁」に似た字です。

★現代漢語でも「東西」を「ドンシ」と発音すると「もの」の意味になります。
「ドンシー」と発音した場合には「トウザイ」の意味になります。

★>それをどう組み合わせたら王という字になるのであろう。<


“お言葉ですが・・・”(笑)

高島先生は書いておられませんが、
組み合わせるのではなく、重ねたらどうでしょうか。

「王」の字と「于」の字を重ねてみてください。

これは、わたしも『説文解字』中華所局影印本で確認しました。
重ねてありました。

『説文解字』では、昔は「王」の字は三畫で、その三つは天地人である、
と説明していますが、なぜ三畫なのかよくわかりません。
たぶん、横棒が上下二本だけだったのでしょう。

となりに「三」の項目があり、説明に「天地人之道也」とあります。

中国で買ってきた甲骨文の本では、
「王の字は、大の字の上下に横棒を引いて天地をあらわしたもの、」
「大の字は、人体の正面の形象」
と説明してあります。

『新字源』では、もと大きなおのの形で権力の象徴、といっています。
白川説ですね。

6161
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Re: 両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/01 01:48 投稿番号: [414 / 735]
ここに書かれている具体例、■「口」については、
わたしも恩師からうかがったことがあります。
具体的にはよく覚えていないのですが、
「白川さんは・・・と言っているけど、たしかな根拠は何もありません」
「・・・かもしれないが、。。。。。。かもしれないし、またーーーなのかもしれない」
といったような感じでした。


ここには、高島先生が白川静先生を揶揄している箇所が二箇所あります。
そのうちのひとつはかなり強烈です。
“yes, but ”「駄菓子菓子」の印象を受けるところです。
あとで出てきますが、他にもこういう記述はあります。

こういったところを読み取らないで、ぼけた反応をする人がいます。
実は、この高島先生の論評を読んで感想文を寄せてきた
高島先生のとりまきのかたがおられます。
最後に、その感想文全文も紹介してあるのですが、
これはちょっと書かれたかたにお気の毒のような気がしました。


6160

Re: 両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/01 01:46 投稿番号: [413 / 735]
ついで、白川氏の反論「文字学の方法」を見よう。

この文章はかなり長いもので、全体が「文字学の方法」と題され、
なかにまた「文字学の方法」という章もあるのだが、その肝腎の
「文字学の方法」について書いたところがない。

  ただ一ヶ所、つぎのようなところがある。

  <従来、口の形と考えられていた■形のものは、実は祝告の器である
戴書を示すものである。これは卜文・金文にみえる■形を含む全資料の
綿密な検討によってえられる結論である。>

【註】■は、Uの字に、上から少し入ったところに横棒をわたした図。

このあと、この■形についての記述が長くあってそのあとにこうある。

  <このような文字の形態学的方法を確立するために、私はかつて幾編かの試論
を発表した。>

「方法について書いてあるのはこれだけである。してみると多分、白川氏の
「文字学の方法」は、「文字の形態学的方法」なのだと考えてよいのであろう。

  白川氏の文章の大部分は、当然のことながら、藤堂氏への反論である。
  その初めのほうにこうある。

  <私にとって、いかなる場合にも、語源は興味ある課題ではない。
  おそらく数十万年にも及ぶであろうことばの歴史を、わずか三千年前の
限られた資料で追跡しうると考えるのは、一の妄想である。>

  これはまことにその通りである。
三千年前というとずいぶん昔だが、しかしことばの長い歴史とくらべれば、
ごく最近である。甲骨文や金文はその一時期のことばの様相を示すにすぎず、
それを研究すれば語源がわかるというものではない。

  白川氏の文章にしばしば「音義説」という語が出てくる。
音義説というのは、ことばの類同や近縁を音の近似によって求めようという
考えかたで、二千年も前からあり、さきに引いた王安石の淺、賤、盞等も
それであるが、藤堂氏を現代における音義説の代表者とみなしてこれを
批判しているのである。

<『説文解字』はまた王について、「天下の帰往するところ」と王・往の
音の一致を以て説き、東・動の訓もまた音の関係から導かれている解釈
であるが、このような解釈法は音義説とよばれる。
音義的解釈法は『説文』に多くみえるのみならず、最も典型的には、同じく
後漢の劉煕がその『釈名』において、より徹底的に試みたものであった。
「日は実」「月は欠」という類の解釈法である。語源的な解釈法をとる
研究者は、原則的には今もなおこの方法によっているのである。>


つづく

6159

Re: 両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/01 01:43 投稿番号: [412 / 735]
  藤堂氏はつづけて書く。

  <しかし「上古漢語音韻論」の発達にともなって、じっさいにこれらの語が
上古にどう発音されていたかが明らかになると、いまや確信をもって、
どれどれが同系のことばであると言いきることができる。>

たとえば、「半、伴、判」と「班、斑」は、文字の系統はちがうが、音が同じ、
もしくは似寄りであるから、同系の語であることがわかる。

  <このように、上古漢語における語形をとらえて、数多くの漢語を分類し
「帰納法」を用いてその基本義を明らかにしていくのが、古代語の言語学
的研究の正道なのである。
このさい、とくにおことわりしておくが、ことばの本質は「語音と特定の
意味との結びつき」という点にあるのであって、文字というのは、その
ことばを視覚に訴えて表わす道具にすぎない。(・・・)
とりわけ漢字は、表意文字だとはいっても、かなり漫画的なものであるから、
その表わす構図を過大に評価してはならない。>

この漫画的ということについて、藤堂氏はつづけて「伏」の字を例として
こう書いている。

  <たとえば、「伏」という字は「人+犬」を組み合わせて、飼主のそばに
飼犬がぴたりとくっついた姿を漫画化しただけで biok (伏)ということばは、
ぴったりとくっつくという基本義を含むにすぎない。>

つまり、「伏」という字は、この字だけを見れば「人のそばに犬がいる」
という意味をあらわしているかのようだが、そうではない。
何かのそばに何かが「ぴったりつく」というのが「ことば」の意味なのだから、
図(漫画)としては何のそばに何がついている絵をかいてもよい。
このばあいはたまたま人のそばに犬がついている絵をかいただけのこと、
というのである。

  このことについては、藤堂氏と同じ観点に立つ加納喜光さんがわかりやすく
説いてくれているので御紹介しよう。

  <漢字の「義」というと漢字に意味がありそうだが、実は漢字(一つの図形素
で表される)は記号素(意味のある最小単位の漢語)の代替記号であったから、
意味は記号素、つまり漢語の意味なのである。
ここがたいへん重要なところで、現代の文字学者も混乱している。
意味があたかも漢字にあると錯覚して漢字の形を分析して意味を
導こうとする。ここから間違いが起こる。>
(『漢字の成立ち辞典』東京堂出版)

漢字に意味があるのではなく、漢字があらわしている「ことば」に
意味があるのだ、というのである。
なお右文中の「現代の文字学者」はたぶん白川静氏を指している。


つづく

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★今回、書かれていることは非常に重要なポイントです。
学者ではなく、編集者とか一般の読者では自分では思考不可能なところ
であろうと思います。

6158

Re: 両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/01 01:40 投稿番号: [411 / 735]
  つまりこうだ。
この本は、部分的にまちがいや不適切な箇所があるというものではなく、
根本的に、まるっきりダメである。
著者には漢字のなりたちについての本を書く資格がない。
そんな人に書かせた出版社がまちがっている。
漢字は、中国語を書きあらわした文字である。
漢字の問題は中国語学の一部分である。
漢字のなりたちについての本を書いてもらいたいならば、中国語学の
研究者にたのむべきであった、――というのである。

  この全面否定書評について白川氏は、これにこたえた「文字学の方法」
の中でこう書いている。

  <この書評は、あらゆる点で書評としての節度を無視している。>

  白川氏の言うところは、常識的には、まことにもっともである。
よその国のことは知らないが、わが国では、書評というのは、文字の上では
「本の批評」だが、実際には本の推奨である。
不服があっても、おしまいにちょっと、こうすればなおよかった、
などとつけ加えるくらいのことだ。

  しかしこのばあいのように、雑誌がある本を指定して書評を依頼してきた
ときには、読んでみてその価値を認めることができなかったら、こんなふうに
はっきりと評者の評価をのべる書評も、あってもいいのではないかと思う。

  話がちょっと横道にそれかけた。
藤堂氏の書評にもどろう。それはこうはじまる。

  <むかし北宋の王安石がおもしろいことを指摘した。
  漢字「戔」で表される tsen という漢語があるが、それは「小さい、少ない」
という基本義を含んでいる。そこで「戔」という発音音符をもつ字で表される
ことばをあげてみると、すべてこの意味を共有している、というのである。>

そして、淺、賤、盞、殘の諸字をあげている。たしかにみな「小さい、少ない」
の意味を持っている。――なお右引用中に「漢語」という語が出てくるが、
これは中国語のことである。「漢語」と称するほうが正しいのだが、わたしの
文中では、現今の日本での慣用にしたがって「中国語」と言っておく。

  藤堂氏がこういうエピソードから話を始めたのは、白川氏の本が、
もっぱら漢字の図形ばかりに目を注いで、それが中国語という「ことば」を
書きあらわしたものであることに注意していないと認めたからである。


つづく

6157

Re: 両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/01 01:38 投稿番号: [410 / 735]
>   対する藤堂氏の書評。
これはなかなかわたしの想像したごとく「やんわりと」どころでなく、
ビシビシと容赦なくやっつけたものであった。<



わたしは以前の投稿で、白川靜の研究には価値がないと思っている学者が
なぜ大きな声をあげないか、その理由をふたつ書きました。

しかし、ほんとうに学者らしい真摯な態度とは、この藤堂先生のように
あるべきだと思います。

手加減をする、ということは、相手に対して実は失礼な態度であろうと
思います。



>それは主観的であり、個別
ばらばらであって、そこには語学で用いるような方法論がない<


上記、これにつきると思います。


6156

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Re: 両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/31 00:39 投稿番号: [409 / 735]
わたしはこの想像を A さんに書き送り、あわせて、もし現在でも手に
入るなら、『文学』誌上の両人のコピーと、そのもとになった岩波新書の
『漢字』とを見せていただけまいか、とたのんでみた。

  A さんはすぐに送ってくださった。
思った通り、藤堂氏が書いたのは『文学』1970 年7 月号にのった「書評」である。
対する白川氏のものは、二号あとの同誌9 月号にのった「文字学の方法」という文章。
そして驚いたことに、白川氏の岩波新書『漢字――生い立ちとその情景』
は新品であった。奥付を見ると、2009 年4 月に出た第35 刷である。
40 年にわたって売れつづけているロングセラーなのであった。

  40 年前の両者の「論争」はなかなかおもしろかった。
しかし、おもしろかった、だけでおしまいにしては、これだけの手数を
かけてくださった A さんに申しわけないようである。
何か書かなくてはなるまい。と言ってもわたしは文字学の専門家でも何でもない。
ここは、論争の内容をあらまし紹介することで責めをふさぐこととしよう。


  まず両者応酬の対象となった白川氏の著書『漢字』。
これは、漢字そのものというより、甲骨文・金文から想像される古代中国の、
宗教、儀式、呪術等について書いたものであった。

  対する藤堂氏の書評。
これはなかなかわたしの想像したごとく「やんわりと」どころでなく、
ビシビシと容赦なくやっつけたものであった。

  右にも言ったように白川氏の本は、とりあげる一々の文字をみな
宗教や呪術にむすびつけたものである。
藤堂氏はそれをすべてこじつけとする。
そのきめつけた部分をところどころ引いてみよう。

  <このようなことば自体についての省察を加えることなしに、ただちに
  民俗学にかこつけて「稻魂」信仰などもち出すのは、まったくかってな
  推測にすぎない。>
  <いちいちの字について、このような推測をもちこまれたのでは、
  たまったものではない。>
  <私に言わせれば、むしろ白川さんの「厳粛な原理」こそがよけいな
  こじつけだと言わざるを得ない。>
  <またしても原始呪術をもち出さぬと気がすまぬらしい。>
  <一つ一つ神さまや家廟や、さては呪術にかこつけねば気がすまぬという、
強引なやり方が全書にわたって現われる。それは主観的であり、個別
ばらばらであって、そこには語学で用いるような方法論がない。>

そしておしまいの「まとめ」のところにこうある。

  <要するに白川さんのこの書は、「漢字のなりたち」を説いた書としては、
  どうもふさわしくない。(・・・)だから責任は、「漢字のなりたち」という
  企画を白川さんにおしつけた書店編集者にあるといってよい。
  「ことば」の問題といえばまず語学畑の者にきくべきであろう。>


つづく

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両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/31 00:36 投稿番号: [408 / 735]
両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保の「論争」
高島俊男『お言葉ですが・・・』別巻③より

  雑誌『ユリイカ』の編集者 A さんからお手紙をちょうだいした。
「白川静特集」をやるから原稿を書け、とのおおせである。

  わたしは、白川氏のしごとに関してはまったく不案内である。
同封の「特集企画案」には、「今日、白川静の遺した『字訓』『字統』
『字通』の三冊を紐解かずに日本語 / 漢字を語源的に論ずることは困難だ。
それほどまでに白川静の遺した仕事は強大であり、超絶なものだ」とあるが、
その三冊を見たこともない。ほかにどんな著書があるのかも知らない。

  してみれば A さんがわたしに原稿の注文をくださったのは何かのまちがい
で、わたしには「白川静特集」に原稿を書く資格がそもそもないのである。

  ただ、A さんの手紙には左のようなくだりがあって、
それがわたしの感興をひいた。

<白川静の登場にとって、岩波新書『漢字』発売後の『文学』誌上での
藤堂明保との応酬は、学問的にも一般読者にとっても、印象的なものだった
と存知ますが、それから既に四○年が経とうとしており、私自身だけでなく、
現在の読者の多くはその論争が実質的にはどのような問題を取り扱って
いたのか、十分に把握していないのではないかと思われます。
それと同時に、藤堂明保が随分と簡単に論駁されてしまったという
イメージを持っている読者も少なくないのではないでしょうか。 >

  四十年前と言えば昭和四十年代の半ばである。
藤堂氏は東京大学文学部で中国語学を担当していた。

  当時わたしは藤堂氏にわりあい近いところにいたが、右のような白川氏
との「応酬」があったとは知らなかった。それで興味を持ったのである。

  A さんの文面から察するに、
それは左のようなことだったのではないかとわたしは想像した。

  ――白川氏が、岩波新書『漢字』という本を書いた。
岩波の雑誌『文学』が、東京大学の教授で漢字に関する著書も多い
藤堂氏に書評を依頼した。藤堂氏は、やんわりとながら、これは中国語学の
基本を心得ぬ者の書いた本だ、と批評した。白川氏がこれを見ておこって、
同誌に反論を書いた。藤堂氏はもう相手にしなかった。
したがって「論争」は、各一回きりで終ってしまった。
それが局外者の目には、藤堂氏が論駁されて黙ってしまったように見えた。・・・


============================================== =


>両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保の「論争」<


上記は、編集者が勝手につけたタイトルであり、
高島俊男先生は、決して「両雄」などとは認めておられません。


つづく

6154

Re: 漢字の「原型」知る楽しさ  /  白川

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/31 00:31 投稿番号: [407 / 735]
★これにはかなり問題があるように思います。

白川静の文字学が正しいこととして、子どもに教えこむことはやめたほうがいい。
教師はなぜ専門家の意見をきいて確かめることをしないのでしょうか。

★わたしはいまだかつて白川静を評価する学者に出遭ったことがありません。
わたしが講義を受けたすべての教授が、白川静の説について
「何の根拠もない」「あれはだめだ」「たいへん面白い本なので、
トイレで読んですぐ忘れます」「何の論拠にもならない」
「ただの思いつき」などとおっしゃっておられました。

本屋さんに行くと、白川静の大きく立派な値段の高そうな本が、
書棚の一番上に並べてあり圧倒されますが、
パッケージの豪華さは内容とは無関係です。

漢字や漢学について専門家でもないマスコミが必要以上にもちあげて
しまいました。
では、なぜ他の学者・研究者がきちんと異論を唱えないのか、
二つの理由をおっしゃっておられた先生がおられます。

ひとつは、マスコミにもてはやされている白川静に嫉妬していると
誤解されたくないこと。
もうひとつは、白川静の経歴を侮蔑していると誤解されたくないこと。

しかしながら、多くの場合、独学には限界があることも事実です。
「独学」の意味するところは、後文に出てきます。

漢字についての研究には、
藤堂明保、加藤常賢、白川静の三人の権威がおられる。
そのなかで、最もあてにならないのが白川静の説だと。

このことについて、高島俊男先生も書いておられます。
要点のみピックアップしてご紹介しようかと思ったのですが、
それで誤解が生じてもいけないと思い、少したいへんですが、
該当箇所の全文をご紹介したいと思います。


つづく

6146

漢字の「原型」知る楽しさ  /  白川靜

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/31 00:28 投稿番号: [406 / 735]
漢字の「原型」知る楽しさ

  福井県が今年度から、地元出身の漢字学者、白川静(しずか)博士
(1910〜2006)が打ち立てた「白川文字学」に基づく
漢字学習を全公立202小学校で始めた。

  白川文字学は、白川博士が漢字の源となった古代中国文字を研究し、
由来について新解釈を唱えた学説の総称だ。
漢字を機械的に書き写して覚えるだけでは、子どもたちの漢字への興味は失われがち。
このため、県は白川文字学を生かし、その由来や意味を積極的に教えることにした。

  県は独自に副読本を作成。全ページがカラーで、
マンガ風に描かれた「白川博士」が登場して解説する。
絵のような古代文字を見ながら、現代の漢字を推理して書き込むなど、
親しみやすくしてある。

  この副読本を用いて1〜4年で毎年10時間、5〜6年で5時間と計50時間教える。
教科書会社「光村図書出版」によると、全国の6割の小学校が使う同社の
国語教科書の場合、漢字の由来を学ぶのは約15時間にすぎないという。

  県は昨年度、6校をモデル校に選び、先行的に実施。
このうち福井市立宝永小では、2年生36人が「止」「出」など、足
跡に関連する漢字を習い、副読本や辞典から好きな一字を紙に書き写した。

  前川隼輝(しゅんき)君(8)が選んだのは「起」。
蛇が頭をもたげて進む姿を表した古代文字を色鉛筆で書き上げた。
「面白い。漢字がたくさん覚えられるようになった」とほほ笑む。

  県教委義務教育課は「モデル校では子どもが自発的に辞書を引き出すなど、
効果が見られた」と、全校展開に期待を込める。
先人が残した遺産が郷土の教育に生かされようとしている。
(福井支局   酒本友紀子)

(2011年4月14日 読売新聞)

つづく

6145

<訃報>白川静さん96歳

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/31 00:26 投稿番号: [405 / 735]
<訃報>白川静さん96歳

<訃報>白川静さん96歳=漢字研究の第一人者、中国文学者

  漢字の成り立ちを明らかにした辞書「字統」などを著した漢字研究の
第一人者で中国文学者の白川静(しらかわ・しずか)立命館大名誉教授が、
先月30日午前3時45分、多臓器不全のため亡くなっていたことが分かった。
96歳だった。葬儀は1日、近親者のみで行われた。自宅は公表されていない。
後日「お別れの会」が開かれる予定だが、日取り等は未定。

  福井市生まれ。
苦学して立命館大の夜間部に通い、在学中に文部省の教員検定試験に合格
して、立命館中学の教諭をしながら43年に法文学部漢文学科を卒業した。
同年、立命館大予科教授、54年から教授、81年名誉教授。
97年、文字文化研究所(京都市)の所長・理事長に就任し、
05年から同研究所最高顧問を務めていた。

  10代のころ、大阪で国会議員の秘書をしながら古事記、日本書紀、
万葉集などに親しみ、日本の古代王朝の成立過程に関心を持った。
古代の日本に大きな影響を与えた中国古代史に進み、中国最古の字書
「説文解字」や甲骨文、金文の研究に没頭。
84年、数十年にわたる研究の成果を盛り込んだ「字統」を刊行、
毎日出版文化賞特別賞を受けた。

  続いて87年に日本人が漢字をどう読んだかを集大成した「字訓」、
96年には独自の漢和辞典「字通」を出版、「字書三部作」を完成させた。

「字統」「字訓」の出版で91年に菊池寛賞を受賞、
三部作で97年朝日賞を受賞。98年文化功労者、
04年に文化勲章を受章した。

  また、中高生向けに常用漢字を解説した「常用字解」(03年)、
人名漢字の解説書「人名字解」(06年)など入門書も多数執筆。
晩年まで旺盛な研究、執筆意欲は衰えなかった。

  ◇スケールが違った  
  哲学者、梅原猛さんの話   一つ一つの漢字に対する深い愛情と思弁で、
字面からは分からない奥に隠れている精神的な世界にまで踏み込み、
なぜ漢字が生まれたかを教えてくれた。
儒教が生まれて以降の合理的な中国のはるか前の、神秘的な中国を、
漢字を科学的に実証的に研究することで明らかにした、
まったくスケールの違う学者だった。

  人柄は、曲がったことが大嫌いで、質素で、奥さんが大好きで、
孤立無援でも悠然としており、恩義を人一倍感じる人だった。

  ◇一徹な姿勢変えず
  一海(いっかい)知義・神戸大名誉教授(中国文学)の話  
遠くから高い山を見上げるような存在だった。
私学での研究はともすれば、官学の権威に屈することがないとはいえない
時代だった。そんな中で、白川先生は自らの研究を一筋に貫かれた。
その一徹な姿勢を変えることがなかったのは、長年積み上げた自らの学問、
研究へのひそやかな自信だったのではないか。
その意味で、日本の学者には珍しい人で尊敬すべき方だった。
(毎日新聞) - 11月1日22時30分更新 (2006年)

213

『中国の悲しい遺産』

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/29 21:07 投稿番号: [404 / 735]
『中国の悲しい遺産』
ベティ・パオ・ロード著・金美齢訳『中国の悲しい遺産』草思社
身の毛よだつ政治のおぞましさ―――――この四十年の検閲なき証言
初版刊行日 1992年11月10日

  著者は上海生まれの女性。八歳で国民党政府の外交官だった父の任地・
アメリカに移り、アメリカ人の外交官と結婚した。
そして1985年11月から三年半、駐中国大使となった夫とともに「里帰り」した。

  作家として名をなしていた著者は、滞在中に親族始め多くの中国人から、
この四十年間に起きたことを話してもらい、書き留めた。
文化大革命のときほどでは、今はもちろんないけれど、いつまた、
昔のたわいない言葉じりをとらえて「右派分子」や「反党分子」などと
告発されることになるか分からない―――
大部分の中国人はそう思っている。
それでも著者には心を開いてくれた人々がかなりいた。

  妻に密告された党幹部、父親が右派分子として拷問で殺された女優、
恋人にも本当のことが言えないジャーナリスト、いろいろな人が登場する。
しかし、やはり親類の人の話に迫真性がある。
教師をしていた叔母は教え子の紅衛兵につかまり、片側半分の髪をそられ、
学校の掃除用具入れに六ヶ月監禁されて毎日拷問された。
許可なしに口をきいたかどで何発もなぐられ、歯が折れた。
著者はそのとき紅衛兵の隊長だった青年と路上で会う。
彼は叔母にていねいにあいさつし、彼女も礼を返す。
叔母は「みんな歴史の犠牲」だったと笑うのだった。

  73年に著者が初めて里帰りしたとき、叔父たちの一家は豪勢な部屋に
住んでいた。しかし、それはアメリカの外交官夫人に見せるために
その日だけあてがわれた高級幹部のアパートだった。
それだけではない。
空港からそのアパートまでの「道沿いに住む何百人という人々に家の掃除と
ペンキ塗りが申し渡され」、著者が通るときには「一番いい服を着て
歩くよう命令が下された」のだ。

  著者はこれらの話を自らのなかの中国人である部分と
アメリカ人である部分との対話やかっとうをからめて書き進める。
そしてペンを執っている時期を、著者の帰国直前である胡耀邦総書記の
死去の日、89年4月15日から天安門事件の日、6月3〜5日までと設定して
叙述を重ね合わせる。
それらがこの本を単なる聞き書きではない奥行きのあるものに仕立てている。

  それにしても、政治のおぞましさに身の毛がよだつ。
ナチス・ドイツで、ソ連で、東欧で、、そして中国で、
二十世紀に入って繰り返されたこれら。
旧日本帝国も例外だったとはいえない権力の蛮行と民衆の迎合。

  読み終えて、あらためて表紙を見ると、
金色の獅子が自らの爪を噛んでいる塑像の写真である。
中国が負の歴史を恥じているとの寓意なのだろうか。
【新聞書評欄より、石川真澄】


4120

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中国人講師「中国の教科書、95%デタラメ」

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/29 20:50 投稿番号: [403 / 735]
◆中国人講師「中国の教科書、95%デタラメ」
投稿者 :
bpqcoxbuz

中国の人気講師「中国の教科書、95%デタラメ」と発言し波紋!

中国で人気の歴史講師がインターネットの動画講義で、
中国の学校で教えられている 歴史を否定する発言をし、波紋を呼んでいる。
この講師は中国の初代国家主席毛沢東を 痛烈に批判し、
中国の教科書はデタラメであると主張。
ネットユーザーからは 「反逆者、反人民的発言」と罵りを受け、
動画はすでに削除されている模様だ。

人民日報社が配信している『環球時報』によると、著名な歴史講師
イアン・ション・フェイ氏が 『中国文化革命』について扱った
110分の動画講義で問題発言をしていると報じている。
この動画はインターネット上に公開されていたもの。
イアン氏は動画の中で以下のように語っている。

「毛沢東主席に会いたいのならば、天安門広場の毛沢東記念館に行けばいい。
しかし、その場所は、数多くの人民を血に染めた虐殺者を敬拝する
『中国版靖国神社』であることを忘れるな」

「1949年以後で毛沢東主席が唯一うまくやったことは、死んだことである。
蒋介石は一党統治を行った独裁者だったが、毛沢東もやはり独裁者だ」

また、歴史教科書に関しても「日本の歴史教科書は中国の教科書より、
歴史の歪曲(わいきょく)が少ない。
中国の歴史教科書に記述されている内容は、
真実が5%程度で残りは純然たるデタラメだ」と教科書の内容を否定している。

さらに政府が敏感に扱うチベット問題にも触れ、
「チベットは中国建国以後、特定の独立状態を維持して来た。
チベットは国旗も持っている」 と国家であることを認め、
「ダライ・ラマ14世は中国の侵攻に対抗した功績で、 ノーベル平和賞を
与えられた」と述べた。

この動画の内容は、数多くのネットユーザーの間で広まり「反逆者」
「反革命分子」「反人民的発言」と 非難が相次いでいる。
政府もただちに動画を削除し、閲覧を禁止する措置を取った。
一部ではイアン氏が最近新刊を出版し、その本の販売を増やすために、
意図的にこのような過激な発言したのでは、と推測する声もある。
ちなみにイアン氏は、これまでに中国史に関する2冊の本を出版しており、
テレビ出演もしている人気講師だ。

中国では国に対して不利益をもたらす発言は、厳しく取り締まられている。
イアン氏の動画の内容は、中国政府の国策を批判するものだ。
そのため動画が広まることを懸念し、政府は対応したものと考えられている。
また、台湾に本社を置く『蘋果日報』はイアン氏へのコンタクトを
試みたが、 本人とは連絡のつかない状態とのことだ。

ソース:ロケットニュース24(β)   2010年5月9日


>この中で最大の問題は、天安門広場の毛沢東記念館を
「中国版靖国神社」だと言っている点だ。
人類史上最悪の大虐殺者である毛沢東と、日本国の為に戦地に散った
英霊たちを一緒にするのは、是非止めてもらいたいね。
しかしこうした歴史観が、どこまで浸透しているのか分からないが、
中共の思惑通りに人民が洗脳されているわけではないというのは、
確かなようだ。

4121

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Re: 映画「南京の真実」

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/29 20:40 投稿番号: [402 / 735]
もうひとつは、戦争準備である。

中国は、大きな経済発展と軍事力拡大の裏で、人権、環境、極端な経済格差
等の絶対的な国内矛盾が深刻に進んでいる。本年の中国経済は、
オリンピックをきっかけに大きく崩れるだろうと言われている。
その時に備えて、内部の矛盾を外部に転嫁しようとする準備が
「南京大虐殺」キャンペーンなのである。
中国国民に憎悪の対象たる「敵」を設定し、非道な一党独裁体制への
人民の怒りを日本に向けさせようとしているのである。
世界各国を巻き込んだその宣伝工作の成果は着々と増大している。


三点目は、日本に対して常に精神的優位に立つための決定的
「歴史カード」の設定である。

従軍慰安婦や遺棄兵器問題等に対するこれまでの日本政府と日本国民の
あやふやで腑抜けた臆病な対応を見て、七十年前の架空の出来事でも、
十分、金や技術が我が国から簒奪できると理解したのである。

つまり、南京大虐殺キャンペーンに反対の立場を表明することは、
単なる歴史的事実の論争や日本の名誉や誇りの問題だけでなく、
すぐれて日中間に戦争や紛争を起こさせないための安全保障の問題でもあるのだ。

言い換えれば、南京大虐殺キャンペーンを黙認することは、
平和を破壊する恐るべき行為なのでる。

中共政府は、かつてアメリカ政府が戦争を望まぬ国民に対して
「リメンバーパールハーバー」の戦争推進キャンペーンを為したと
同じことを現在、展開させているのである。

私たちの「反南京大虐殺」の映画製作運動は、日本の安全と平和を守る
「安全保障」の戦いでもあるのだ。

「南京大虐殺」なる「事件」を実証的に調べれば調べるほど、
そんなものが無かったとの確信が深まっていく。
そして、大虐殺を主張する中国政府や日本の人々の「論拠」を詳細に
調べれば調べるほど、証拠の無さ、嘘、政治的目的による歴史の
でっち上げという事実が浮かび上がってくる。

      おわり

★映画「南京の真実」パンフレットより。

★原文どおりですが、わたしは漢字と仮名の混ぜ書きが嫌いなので、
熟語には漢字が当ててあります。
〔例〕ねつ造   →   捏造     いん蔽   →   隠蔽

★以前、何かの雑誌で読んだ覚えなのですが、加瀬英明さんや高山正之さん
が南京大屠殺記念館へ行ったとき、係員に次々とインチキを指摘した
ところ、係員は何も答えることができず下を向いて困惑していたそうです。
ところが久米宏とか田原とか、そういうやつに限って何の知識の
持ちあわせもなく、ただ先方のご託宣を有り難がって拝聴し
恐縮して帰ってくるそうです。

★故東中野修道先生は、南京大屠殺紀念館にある写真を一枚一枚すべて
検証されましたが、そのすべてがニセモノであったそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%B8%AD%E9%87%8E%E4%BF%AE%E9%81%93

http://www.nankinnoshinjitsu.com/


重厚で、素で、格調高く、荘厳で、日本人であることの誇りが
ふつふつと胸にたぎった、すばらしい藝術作品でした。
役者さんたちが、本当にすばらしかった。
役になりきっていらっしゃいました。

DVD は、2000円で販売されています。
一人でも多くの方にご覧になっていただきたいと思います。


1864

映画「南京の真実」

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/29 20:15 投稿番号: [401 / 735]
いわゆる「南京大虐殺」は、広島・長崎に原爆を投下したアメリカが、
自国のしたことの印象を薄れさせるため、
あるいは日本軍の蛮行をことさらに言い立てて、
原爆投下という人類に対するとんでもない犯罪と相殺させ隠蔽するため、
中国としめしあわせ捏造したと考えることができます。

以下は、映画「南京の真実」のパンフレットよりの転載です。

================================================================== =

「それでも地球は回っている」
ガリレオ・ガリレイは、キリスト教会がそれまでに教えてきた天動説を
否定し、地球が太陽の周りを回っているとの地動説を唱えた。
その結果、異端審問の宗教裁判にかけられた。
冒頭の言葉は、その時の有名な言葉である。
今、私たちも次のように言いたい。

「それでも南京大虐殺はなかった、絶対に」
残念なことだが、「南京大虐殺三十万人」という誤った認識が、
日本国内ばかりか世界中に拡大している。
これまで数多くの海外メディアから取材を受けたが、
彼らが必ず聞いて来るのが
「なぜ南京大虐殺三十万人を否定する映画を作るのですか」
だった。まるで大虐殺が前提のように質問して来るのだ。

南京陥落から七十年、現在、中共政府は、国内だけでなく、世界各国で
大々的な「南京大虐殺」映画製作キャンペーンを推進している。
そのための資金額は、三百億円以上と言われ、この金額から見ても、
彼らの断固たる意思と戦略性を持った大規模な情報宣伝工作であるのが
理解できる。

映画だけではない。昨年、彼らは南京市にある「南京大屠殺記念館」を
四十億円を費やして大拡張し、これを世界遺産に登録させようとしている。
世界遺産のアウシュビッツやヒロシマは、現実にあった出来事だが、中共
政府は強引に「南京大虐殺」を既成事実化しようと躍起となっているのである。

一体、何が目的なのか。

考えられる主な理由を三点挙げる。

ひとつには、日本軍の「南京大虐殺」という歴史捏造によって、
中国共産党政権が成立以来繰り返してきた自国民に対する
「大虐殺」を隠蔽することである。

特に、天安門事件や文化大革命の人民大虐殺、
そしてチベット侵略における百二十万のチベット人大虐殺等を
彼らの血塗られた金現代史から消し去りたいのである。
事実として、天安門や文革、チベット侵略における人民虐殺の記述は、
彼らの歴史教科書から消され、その代わりに七十年前の中国国民がもう
ほとんど知らない「南京大虐殺」が大きく取り上げられ始めているのである。

建国以来、大虐殺を実際に繰り返し行い、現在もウイグル等で続けている
一党独裁の支配者たちが、でっちげの南京大虐殺を、今、自分たちの罪科を
ごまかすため宣伝工作を邁進させているのである。


血に汚れた彼らに「大虐殺」を非難したり、言い募る資格など全くない。


つづく


★大躍進と文化大革命によって殺された中国国民は、少なく見積もっても
六千万人にのぼると言われています。

このとき、自分の頭でものを考えることのできる知識人、教養人の殆んどが
粛清されました。

そのため、中国は第二次世界大戦の戦勝国でありながら、
敗戦国の日本と比較して数十年ものおくれをとったのです。


1863

Re: 南京 「雨花台烈士稜園」

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/29 20:10 投稿番号: [400 / 735]
例の奈良に梁思成の銅像を立てる話。

某政治団体から送ってきた機関紙に、

梁思成が奈良・京都を空爆から救ったなんて、

まったくそんな事実はなく、中国の捏造ヨタばなしだったそうです。

学者に確認したそうです。

中国は捏造でもなんでもして、日本のアタマを押さえつけたいのです。

奈良の日本会議のメンバーが、阻止にがんばっ
てくださいました。

http://mynippon.blog137.fc2.com/blog-entry-11.html

http://www.youtube.com/watch?v=AOTsAeN0CEQ



南京市の雨花台に、南京虐殺記念碑があります。
毛沢東が建てたものです。

そこには、「国民党政府殺了三十万共産党烈士」と書かれているそうです。
「国民党政府が、共産党烈士を三十万人虐殺した」


その毛沢東が、大躍進と文革で殺した中国人民の数は、
六千万人を下らないと言われています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★南京事件。

するってえと、南京で、国民党軍が30万人殺して、日本軍が30万人殺した、
ということになるんですよね。

合計60万人殺した。当時の南京の人口20万人。
逃げる人はさっさと逃げ、逃げ後れた人は安全区に保護されていた。

この殺されたという60万人はどこから涌いてきたのですか。

わたしは当時の南京のフィルムを見たことがありますが、
虐殺をしたという直後のお正月、日本軍は宿舎に門松をたて、
その前で日本軍の兵隊と支那人のこどもたちが和気藹々として遊んでいました。


中文専攻の学生は、中国で「3」という、数字の意味を学びますよね。

すなわち「たくさん」。

http://taiyou.bandoutadanobu.com/?eid=1202681

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