Re: 両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/01 01:46 投稿番号: [413 / 735]
ついで、白川氏の反論「文字学の方法」を見よう。
この文章はかなり長いもので、全体が「文字学の方法」と題され、
なかにまた「文字学の方法」という章もあるのだが、その肝腎の
「文字学の方法」について書いたところがない。
ただ一ヶ所、つぎのようなところがある。
<従来、口の形と考えられていた■形のものは、実は祝告の器である
戴書を示すものである。これは卜文・金文にみえる■形を含む全資料の
綿密な検討によってえられる結論である。>
【註】■は、Uの字に、上から少し入ったところに横棒をわたした図。
このあと、この■形についての記述が長くあってそのあとにこうある。
<このような文字の形態学的方法を確立するために、私はかつて幾編かの試論
を発表した。>
「方法について書いてあるのはこれだけである。してみると多分、白川氏の
「文字学の方法」は、「文字の形態学的方法」なのだと考えてよいのであろう。
白川氏の文章の大部分は、当然のことながら、藤堂氏への反論である。
その初めのほうにこうある。
<私にとって、いかなる場合にも、語源は興味ある課題ではない。
おそらく数十万年にも及ぶであろうことばの歴史を、わずか三千年前の
限られた資料で追跡しうると考えるのは、一の妄想である。>
これはまことにその通りである。
三千年前というとずいぶん昔だが、しかしことばの長い歴史とくらべれば、
ごく最近である。甲骨文や金文はその一時期のことばの様相を示すにすぎず、
それを研究すれば語源がわかるというものではない。
白川氏の文章にしばしば「音義説」という語が出てくる。
音義説というのは、ことばの類同や近縁を音の近似によって求めようという
考えかたで、二千年も前からあり、さきに引いた王安石の淺、賤、盞等も
それであるが、藤堂氏を現代における音義説の代表者とみなしてこれを
批判しているのである。
<『説文解字』はまた王について、「天下の帰往するところ」と王・往の
音の一致を以て説き、東・動の訓もまた音の関係から導かれている解釈
であるが、このような解釈法は音義説とよばれる。
音義的解釈法は『説文』に多くみえるのみならず、最も典型的には、同じく
後漢の劉煕がその『釈名』において、より徹底的に試みたものであった。
「日は実」「月は欠」という類の解釈法である。語源的な解釈法をとる
研究者は、原則的には今もなおこの方法によっているのである。>
つづく
6159
この文章はかなり長いもので、全体が「文字学の方法」と題され、
なかにまた「文字学の方法」という章もあるのだが、その肝腎の
「文字学の方法」について書いたところがない。
ただ一ヶ所、つぎのようなところがある。
<従来、口の形と考えられていた■形のものは、実は祝告の器である
戴書を示すものである。これは卜文・金文にみえる■形を含む全資料の
綿密な検討によってえられる結論である。>
【註】■は、Uの字に、上から少し入ったところに横棒をわたした図。
このあと、この■形についての記述が長くあってそのあとにこうある。
<このような文字の形態学的方法を確立するために、私はかつて幾編かの試論
を発表した。>
「方法について書いてあるのはこれだけである。してみると多分、白川氏の
「文字学の方法」は、「文字の形態学的方法」なのだと考えてよいのであろう。
白川氏の文章の大部分は、当然のことながら、藤堂氏への反論である。
その初めのほうにこうある。
<私にとって、いかなる場合にも、語源は興味ある課題ではない。
おそらく数十万年にも及ぶであろうことばの歴史を、わずか三千年前の
限られた資料で追跡しうると考えるのは、一の妄想である。>
これはまことにその通りである。
三千年前というとずいぶん昔だが、しかしことばの長い歴史とくらべれば、
ごく最近である。甲骨文や金文はその一時期のことばの様相を示すにすぎず、
それを研究すれば語源がわかるというものではない。
白川氏の文章にしばしば「音義説」という語が出てくる。
音義説というのは、ことばの類同や近縁を音の近似によって求めようという
考えかたで、二千年も前からあり、さきに引いた王安石の淺、賤、盞等も
それであるが、藤堂氏を現代における音義説の代表者とみなしてこれを
批判しているのである。
<『説文解字』はまた王について、「天下の帰往するところ」と王・往の
音の一致を以て説き、東・動の訓もまた音の関係から導かれている解釈
であるが、このような解釈法は音義説とよばれる。
音義的解釈法は『説文』に多くみえるのみならず、最も典型的には、同じく
後漢の劉煕がその『釈名』において、より徹底的に試みたものであった。
「日は実」「月は欠」という類の解釈法である。語源的な解釈法をとる
研究者は、原則的には今もなおこの方法によっているのである。>
つづく
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これは メッセージ 412 (ajisai110701 さん)への返信です.
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