Re: 中国が嫌われる七つの理由
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/03 00:21 投稿番号: [421 / 735]
自分以外は人間ではない
1.自己中心
「自己中心的であ」を略して「自(ジ)己(コ)中(チュー)」などと呼ぶが、
こういう人間が好かれることはまずない。
中国人はまさにジコチューが国民性といってよい。
そしてそれが国家規模に拡大され、自国中心主義になる。
「中国」という自称がその最たる証拠である。
客観的に見て、この丸い地球上に中心となる地点があるわけはない。
天下(世界)の中心を意味する「中国」は、地理上の中心点ではなく、
精神的な中心である。
ごく簡単に言えば、自分が世界の中心、文化の中心であるという強い思いこみだ。
この精神的な中心意識から生まれたのが、中国文明至上主義である。
中国文化が最も優れており、周辺に伝えて文明の恩恵を与えているという同心円的
な観念が中華思想の精神構造で、それは揺るぎない優越意識でかためられている。
中国人は古来、近隣国を蔑視してきた。
この蔑視観は、文化の違う人々を人間と見なさないほどまでに強い。
その優越意識はアパルトヘイト以上である。
その証拠に華人以外はみな禽獣として、
民族名称には獣へんや虫へんのついた漢字を用いて書いた。
盛唐時代の代表的な知識人である韓愈は、著書「原人」で、夷狄のことを
「半人半獣」とし、獣より進化したと評した。作家の魯迅は
「中国人は人間を人間とも思わない」と、中国人の国民性を批判している。
このような中国人の人種差別意識に対抗しようとしたため、
日本人は中国人からずいぷんと嫌われてきた。
一八九八年の戊戌維新のとき、伊藤博文は維新派の康有為らに政治顧問として
北京に招聘されたことがあった。明治維新の成果を清国維新派が評価して、
維新の秘訣を徴されたのである。そのとき伊藤はこう忠告している。
「まず、外国人を夷狄と呼ばないことだ」。
西欧諸国が清国に対して通商要求をするときに、どうしても耐えられ
なかったのはあの屈辱的な「三脆九叩」の礼をさせられることである。
アヘン戦争終結後の一八四二年、外国人を夷狄あつかいする清国に対し、
イギリスは南京条約第一七条でわざわざ英国を「英夷」と呼ばないように規定した。
それでも中国が守らないので、一八五八年、アロー号事件後の天津条約の
締結のさいに「夷狄」呼ばわりしないことを再度明文化させている。
清末に中国人と接した外国人のほとんどがその傲慢さに苛立ち、イギリス通商
特使として北京に派遣されたマカートニーは逆に中国人を「半野蛮人」と呼んだ。
イギリス公使兼香港総督J・F・デビスは中国文明を「半文明Lとみなし、
初代総税務司のN・レイに至っては「アジアの野蛮人」と呼んで軽蔑した。
こうなると、中国人とイギリス人のジコチューくらべである。
つづく
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1.自己中心
「自己中心的であ」を略して「自(ジ)己(コ)中(チュー)」などと呼ぶが、
こういう人間が好かれることはまずない。
中国人はまさにジコチューが国民性といってよい。
そしてそれが国家規模に拡大され、自国中心主義になる。
「中国」という自称がその最たる証拠である。
客観的に見て、この丸い地球上に中心となる地点があるわけはない。
天下(世界)の中心を意味する「中国」は、地理上の中心点ではなく、
精神的な中心である。
ごく簡単に言えば、自分が世界の中心、文化の中心であるという強い思いこみだ。
この精神的な中心意識から生まれたのが、中国文明至上主義である。
中国文化が最も優れており、周辺に伝えて文明の恩恵を与えているという同心円的
な観念が中華思想の精神構造で、それは揺るぎない優越意識でかためられている。
中国人は古来、近隣国を蔑視してきた。
この蔑視観は、文化の違う人々を人間と見なさないほどまでに強い。
その優越意識はアパルトヘイト以上である。
その証拠に華人以外はみな禽獣として、
民族名称には獣へんや虫へんのついた漢字を用いて書いた。
盛唐時代の代表的な知識人である韓愈は、著書「原人」で、夷狄のことを
「半人半獣」とし、獣より進化したと評した。作家の魯迅は
「中国人は人間を人間とも思わない」と、中国人の国民性を批判している。
このような中国人の人種差別意識に対抗しようとしたため、
日本人は中国人からずいぷんと嫌われてきた。
一八九八年の戊戌維新のとき、伊藤博文は維新派の康有為らに政治顧問として
北京に招聘されたことがあった。明治維新の成果を清国維新派が評価して、
維新の秘訣を徴されたのである。そのとき伊藤はこう忠告している。
「まず、外国人を夷狄と呼ばないことだ」。
西欧諸国が清国に対して通商要求をするときに、どうしても耐えられ
なかったのはあの屈辱的な「三脆九叩」の礼をさせられることである。
アヘン戦争終結後の一八四二年、外国人を夷狄あつかいする清国に対し、
イギリスは南京条約第一七条でわざわざ英国を「英夷」と呼ばないように規定した。
それでも中国が守らないので、一八五八年、アロー号事件後の天津条約の
締結のさいに「夷狄」呼ばわりしないことを再度明文化させている。
清末に中国人と接した外国人のほとんどがその傲慢さに苛立ち、イギリス通商
特使として北京に派遣されたマカートニーは逆に中国人を「半野蛮人」と呼んだ。
イギリス公使兼香港総督J・F・デビスは中国文明を「半文明Lとみなし、
初代総税務司のN・レイに至っては「アジアの野蛮人」と呼んで軽蔑した。
こうなると、中国人とイギリス人のジコチューくらべである。
つづく
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これは メッセージ 420 (ajisai110701 さん)への返信です.
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