Re: 両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/09/02 01:07 投稿番号: [416 / 735]
藤堂氏の考えかたは、文字というのは、その図柄(形)に意味があるのではなく、
その字があらわしている「ことば」に意味がある、そしてことばとは人の口から
出る音が意味を持ったものである、というにあった。
これを白川氏は、漢字は中国語の音をあらわしたものだという主張と
受けとったようである。こうある。
<文字にはいうまでもなく形・音・義がある。(・・・)もちろん漢字はその
形のうちに音・義を含むものであるから、文字はいわば三位一体のものと
してある。しかし成立期の文字には、その音を示すための方法は、あまり
考慮されていない。(・・・)すなわち文字は、音を示すために作られたもの
でなく、ことばの意味を示すために生まれたのである。形がある以上、
一定の音でよまれたことは当然であるが、表音よりも表意を主とした。>
ここで言っていることは、まったくその通りである。
漢字は、ことばの音を示すものとして、すなわち音標文字として生まれたもの
ではない。
ことばの意味を示すものとして生まれた。そのことを否定する者はいない。
しかしことばを示すものである以上、それは音をともなっている。
白川氏がここで、『漢字』には見えなかった「ことば」「音」について
のべているのは、藤堂氏の批判に触発されてのことであろう。
ただ、この先を見ると、どうも白川氏は、藤堂氏が、漢字はことばの音を
あらわしたもの、という考えかたに立っているように受けとったようである。
こうある。
<もし文字が、ことばの音をしるすだけの音表記として出発したもので
あるならば、これほど多数の文字を必要としなかったであろう。
単音節語である中国語は、もともと百数十の音をもつにすぎず、
文字もその数で十分であるはずだからである。
文字が「言葉を視覚に訴えて表わす道具にすぎない」のであるならば、
そういう発想からは、漢字にしても、他の正聖刻文字にしても、
多数の象形字が生まれてくるはずがない。
またヒエログリフがのち文字としてかなり整理されていったように、
漢字にもそういう展開があってよいはずである。
しかし漢字は、時代とともに増加した。
そしてその間に、字の基本形には大きな変化はなかったが、
時代音はかなりの変化をしている。
音から文字を解釈しようとする音義的な方法は、
十分な科学的根拠をもつものとはしがたいのである。>
藤堂氏にせよ、あるいは古くからある音義説にせよ、
漢字が、人の口から出る音を直接うつしとったものだとは言っていない。
白川氏がそう受けとったのだとしたらそれはまちがいである。
つづく
6162
その字があらわしている「ことば」に意味がある、そしてことばとは人の口から
出る音が意味を持ったものである、というにあった。
これを白川氏は、漢字は中国語の音をあらわしたものだという主張と
受けとったようである。こうある。
<文字にはいうまでもなく形・音・義がある。(・・・)もちろん漢字はその
形のうちに音・義を含むものであるから、文字はいわば三位一体のものと
してある。しかし成立期の文字には、その音を示すための方法は、あまり
考慮されていない。(・・・)すなわち文字は、音を示すために作られたもの
でなく、ことばの意味を示すために生まれたのである。形がある以上、
一定の音でよまれたことは当然であるが、表音よりも表意を主とした。>
ここで言っていることは、まったくその通りである。
漢字は、ことばの音を示すものとして、すなわち音標文字として生まれたもの
ではない。
ことばの意味を示すものとして生まれた。そのことを否定する者はいない。
しかしことばを示すものである以上、それは音をともなっている。
白川氏がここで、『漢字』には見えなかった「ことば」「音」について
のべているのは、藤堂氏の批判に触発されてのことであろう。
ただ、この先を見ると、どうも白川氏は、藤堂氏が、漢字はことばの音を
あらわしたもの、という考えかたに立っているように受けとったようである。
こうある。
<もし文字が、ことばの音をしるすだけの音表記として出発したもので
あるならば、これほど多数の文字を必要としなかったであろう。
単音節語である中国語は、もともと百数十の音をもつにすぎず、
文字もその数で十分であるはずだからである。
文字が「言葉を視覚に訴えて表わす道具にすぎない」のであるならば、
そういう発想からは、漢字にしても、他の正聖刻文字にしても、
多数の象形字が生まれてくるはずがない。
またヒエログリフがのち文字としてかなり整理されていったように、
漢字にもそういう展開があってよいはずである。
しかし漢字は、時代とともに増加した。
そしてその間に、字の基本形には大きな変化はなかったが、
時代音はかなりの変化をしている。
音から文字を解釈しようとする音義的な方法は、
十分な科学的根拠をもつものとはしがたいのである。>
藤堂氏にせよ、あるいは古くからある音義説にせよ、
漢字が、人の口から出る音を直接うつしとったものだとは言っていない。
白川氏がそう受けとったのだとしたらそれはまちがいである。
つづく
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これは メッセージ 415 (ajisai110701 さん)への返信です.
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