紫陽花亭日乗

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Re: 両雄倶には立たず――白川静と藤堂明保

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/31 00:39 投稿番号: [409 / 735]
わたしはこの想像を A さんに書き送り、あわせて、もし現在でも手に
入るなら、『文学』誌上の両人のコピーと、そのもとになった岩波新書の
『漢字』とを見せていただけまいか、とたのんでみた。

  A さんはすぐに送ってくださった。
思った通り、藤堂氏が書いたのは『文学』1970 年7 月号にのった「書評」である。
対する白川氏のものは、二号あとの同誌9 月号にのった「文字学の方法」という文章。
そして驚いたことに、白川氏の岩波新書『漢字――生い立ちとその情景』
は新品であった。奥付を見ると、2009 年4 月に出た第35 刷である。
40 年にわたって売れつづけているロングセラーなのであった。

  40 年前の両者の「論争」はなかなかおもしろかった。
しかし、おもしろかった、だけでおしまいにしては、これだけの手数を
かけてくださった A さんに申しわけないようである。
何か書かなくてはなるまい。と言ってもわたしは文字学の専門家でも何でもない。
ここは、論争の内容をあらまし紹介することで責めをふさぐこととしよう。


  まず両者応酬の対象となった白川氏の著書『漢字』。
これは、漢字そのものというより、甲骨文・金文から想像される古代中国の、
宗教、儀式、呪術等について書いたものであった。

  対する藤堂氏の書評。
これはなかなかわたしの想像したごとく「やんわりと」どころでなく、
ビシビシと容赦なくやっつけたものであった。

  右にも言ったように白川氏の本は、とりあげる一々の文字をみな
宗教や呪術にむすびつけたものである。
藤堂氏はそれをすべてこじつけとする。
そのきめつけた部分をところどころ引いてみよう。

  <このようなことば自体についての省察を加えることなしに、ただちに
  民俗学にかこつけて「稻魂」信仰などもち出すのは、まったくかってな
  推測にすぎない。>
  <いちいちの字について、このような推測をもちこまれたのでは、
  たまったものではない。>
  <私に言わせれば、むしろ白川さんの「厳粛な原理」こそがよけいな
  こじつけだと言わざるを得ない。>
  <またしても原始呪術をもち出さぬと気がすまぬらしい。>
  <一つ一つ神さまや家廟や、さては呪術にかこつけねば気がすまぬという、
強引なやり方が全書にわたって現われる。それは主観的であり、個別
ばらばらであって、そこには語学で用いるような方法論がない。>

そしておしまいの「まとめ」のところにこうある。

  <要するに白川さんのこの書は、「漢字のなりたち」を説いた書としては、
  どうもふさわしくない。(・・・)だから責任は、「漢字のなりたち」という
  企画を白川さんにおしつけた書店編集者にあるといってよい。
  「ことば」の問題といえばまず語学畑の者にきくべきであろう。>


つづく

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