見えても意味はない。
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/09/18 12:42 投稿番号: [14914 / 18519]
鬱陵島から獨島は見えます。
見ようと思って見るなら、コツを覚えれば年間10回などという少ない回数ではないでしょう。
しかし、それは意味をもちません。
なぜなら、東國輿地勝覧には、単に見えるだけではなく、渚や木の枝まで見えると書いてあるのです。
獨島ではとうてい無理ですし、獨島にかつて木が生えていた痕跡は報告されていません。
そして、東國輿地勝覧は当時の結論的存在です。
世宗実録にも記述がありますが、編者は同一人物だそうで、世宗実録の記事を理解した上で
また数度にわたる探検のあとに書かれたものです。
そして、なにより地図をみれば、それらの古い文献を当時の人がどう解釈したかは明白です。
紛れもなくごく近い距離にあると解釈したのです。
于山島が獨島だというのは、それこそ先祖の知性を否定する天につばする暴論です。
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