Re: 石島は観音島ではない(続)
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/09/16 10:46 投稿番号: [14906 / 18519]
私は今でも「基本的にはほとんど見えません。見える可能性があるのは年に数日程度ではないでしょうか。たしか鬱陵島独島展望台の関係者の人でさえ見たことがないということのようです(2783を参照)」というのが正しいと思っていますよ。
>基本的には見える、ということで決着したと思います。
基本的に見えるというのが何を仰っていらっしゃるのか分かりませんが、科学的に計算して見ることが可能であるということ、また、見えることもあることはある、というのは私は全く否定していませんよ。
もしかして、山に登ったらいつでも独島が見えると思っていらっしゃるのですか。あるいはちょっと天気がよければ見えるだろうとか。それは、間違いでしょう。
二つのサイトをご紹介いただきましたが、一つは空気や周辺状況、天気、あらゆる条件を除いて計算しただけ。それで「見える」として高麗史地理誌の記述を正しいとしているものですが、これはあまり意味がありません。
もう一つは、計算上見えることを確認しつつ、実際に見えたのは年に10日にも満たないだろうとしています。これは、私はかなり正確な認識であると思いますよ。事実に近いと思います。
鬱陵島から竹島(独島)を見るのは、相当の条件がないと、きわめて難しいのです。その認識に私は変化はありません。天気さえよければいつでも見えるという人の認識が間違っているのです。
私は前から、こう申し上げているのです。どうぞご確認なさっても結構です。
それにしても、面白いサイトをご紹介いただきました(「古代人は鬱陵島から竹島を見たか」)。この中で出てくる画像で、視程20kmの画像(聖人峯から竹島)はよくできていました。これが現実に近いかなと。
これを見て、韓国でよく引用される、あの鬱陵島から撮った竹島の写真を思い出しました。まさに、望遠でとればこうなる、というのを、画像は示していますね。
これは メッセージ 14896 (ararenotomo さん)への返信です.
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