Re: 竹島ネットニュース3-1
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/09/30 22:24 投稿番号: [14939 / 18519]
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【コメント】講演において、日本は元禄期の「竹島一件」以後、竹島=独島を版図外と宣言することはあっても、公的に領有意識をもったことは日露戦争中の「竹島編入」時点まで一度もなかったことを理解していただいたと思います。
ええ、そのとおりなのですが、太政官が版図外と指令するに至るまでには、日本国内に鬱陵諸島(日本では竹島と松島)を日本領ではないかとする俗信が蔓延していました。
その原因として考えられるのは、一般に日本地図として高い信頼を得ていた長久保赤水の『改正日本輿地路程全図』に或る変化があったことを重視したいと思います。
当初長久保赤水が著したオリジナルでは、鬱陵諸島は朝鮮と同様に無着色であると同時に諸島全体にまたがるようにして注記が印刷されていました。
ところが版を重ねた弘化三年版では、誤って鬱陵諸島を隠岐と同色に彩色すると同時に、注記もそれまでの諸島全体にではなく鬱陵島にのみかかるように間違って印刷されてしまいます。当時の日本国内では日本地図の決定版とも云える存在であった『改正日本輿地路程全図』が与える影響は絶大なものがあったと考えられます。
それ以降、太政官の指令が下されるまでの間には、混乱が拡大し、ついには文部省の作成した教科書にさえも鬱陵諸島を隠岐に含めて描くものが登場するほどになるわけです。
当時は、その様な背景、つまり鬱陵諸島は全て日本の領土だとする俗信が蔓延っていた背景の下で最終的な太政官指令が下されたわけですので、その当時に島々を日本の版図外と結論した意義は大きいでしょう。
これは メッセージ 14921 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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