南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
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Re: wadatumi_voice21へ、まず確かめたい。
投稿者: todorigafuti 投稿日時: 2008/09/22 06:46 投稿番号: [26123 / 41162]
あ〜〜〜〜ほ〜〜〜(笑)
これは メッセージ 26092 (totoro_ootoro3 さん)への返信です.
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南京事件の背景(9)軍紀風紀の頽廃③
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/22 00:00 投稿番号: [26122 / 41162]
前述した回想録のなかに、同じ南京戦に関する記述で
「百鬼夜行の追撃戦と給養」と題して、住民の拉致、強制連行の状況が
描かれている。
兵は青壮年らしい者を見るや否や今迄気息奄々として落伍しそうな
者までが急に元気になってまるで運動会の旗取り競争そのままに
数人の選手が申し合はせた様に一斉に部隊から飛び出した。
何事が起つたかと見れば逃げ迷ふ者を包囲して捕へんと競争して居る
のである。
漸くして捕へられた土民は捕らへた者の所有物とされて背嚢を負わされ
雑嚢や水筒をかけられて一人前の兵のような姿で部隊と共に行動するの
光栄に浴する。兵は彼の後方から銃をかついで意気揚々として監視しな
がらついて行く。犬のひかれて行く者もある。
しかし食ふものが不足して居るので腹がへってくると次第に弱る。
そうすると鞭でたたいて督励する。
残酷のように思はれるが戦友が
惨殺されて居るのを目のあたり見れば徹底的にやつつけろと云ひたく
なる。斯くして夜になれば彼等は概ね逃ぐるか天国へ逃るのである。
このように、兵が住民を強制的して荷物を担がせ、逃げようとすれば
殺すという行為を
公然と続けていた様子を記している。
こうして住民を連行し、徴発した牛や驢馬などを従えて部隊が行軍する様は
「まるで百鬼夜行の行列であつた。石川五右衛門の物取りの帰りもかくや」
と思われた、とも述べている。
これは
第九師団の場合であり、常設師団でさえも
このような状況なのだ
から、後備兵主体の特設師団の場合や、後方から追走する補充員の集団の
状況も、同様か
あるいは
もっと酷いものであったと考えられる。
このような掠奪・暴行以上に、住民に対する犯罪として深刻だったのは
女性への性的暴行、強姦だった。
南京における強姦の多発が国際的に問題となったことは前述したが、
日本軍自身でも
それを認めていた。
たとえば
柳川部隊法務部「戦地ニ於ケル犯罪ノ予防ニ就テ』という
文書がある(『続現代史資料6
軍事警察』みすず書房、1982年)。
これについては、今後の投稿で引用してみたい。
これは メッセージ 26105 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京で日本兵は何を見たのか (13)
投稿者: piece_of_knowledge_g 投稿日時: 2008/09/21 23:24 投稿番号: [26121 / 41162]
wadatumi_voice21
>南京で日本兵は何を見たのか<
『南京市民三千数百人の旗行列を見た。』
http://members.at.infoseek.co.jp/jhistory/nanking/hata-gyoretsu.jpg南京自治委員会の準備会は、南京陥落後わずか10日目の12月23日に
開かれ、委員長に陶錫山が選出された。
陶委員長は即日声明を発表したが、それによると
①日本軍の入城により治安は回復した。
②我々は速やかな南京の復興と民生の安定を願う。
③そのためには抗日・容共の不良分子を一掃して、
日本との連繁の下に復興を図る、と述べている。
すなわち国際委員会の管理から離れて、南京を市民の
自治制の下におくことがその狙いだという。
自治委員会の結成式は1月3日である。
陥落から丁度3週間目だ。
安全区に避難していた三千余の市民が日の丸と五色旗を
かざしてそれを祝福したのである。
「五色旗」とは北支の糞東政権が採択した新しい支那の国旗である。
12月24日の読売新聞は、三面中央に5段ヌキ通し見出しで
『南京に自治委員会/明朗政権・近く成立式』と大書きし、
委員長および副委員長2名、委員8名の氏名と、陶委員長の
声明全文を報道し、南京の治安回復状態を伝えている。
さらに、1月3日の南京市民三千余名の旗行列を取材した
同盟通信によると、「祝成立南京自治委員会」の横断幕を先頭に、
市民は手に手に日の丸の旗や五色旗をかざして
「万歳!万歳!」
と連呼して、中山路の式典会場の鼓楼を取りまき、
子供たちは爆竹を鳴らして喜んだと、南京の全市民を
あげての歓喜・感動のもようを伝えている。
「南京虐殺」などなかった決定的な証拠である。
「平和甦る南京」の写真特集:田中正明
より抜粋
ttp://members.at.infoseek.co.jp/jhistory/nanking/peace.htmlwadatumi_voice21
妄想・空想・夢想ばかりの虚偽・虚言で
日本人に汚名をきせて、ネットで反日活動
一体何をやっているのかね。
君があったと思うのなら自分で中国に行って、
全財産を寄付でもして、勝手に謝罪でもなんでもしてきなさい。
関係ない日本人を巻き込んで、汚名をきせることが君の微意か。
情けない人間だ。
.
これは メッセージ 26074 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京で日本兵は何を見たのか (12)
投稿者: piece_of_knowledge_g 投稿日時: 2008/09/21 23:09 投稿番号: [26120 / 41162]
wadatumi_voice21
>南京で日本兵は何を見たのか<
『「中国人戦没者慰霊祭」を日中共同で厳修している情景を見た。』
http://members.at.infoseek.co.jp/jhistory/nanking/master.jpgこの写真は、南京悒江門近くの墓標で「中国人戦没者慰霊祭」を
日中共同で厳修している情景である。
上海派遣軍参謀副長上村利通大佐の陣中日誌(昭和13年2月8日)
には次のように記述されている。
(『南京戦史資料集』299貢)
「悒江門脇ニ於テ支那軍戦死者ノ慰霊祭ヲ取リ行フ
《敵ニハアレド亡キガラニ花ヲ手向ケタル武士道ノ情ケナリ》
自治委員会ノ一行、日支ノ僧侶参列ス。」
とある。
自治委員会というのは、南京陥落わずか3週間後の1月3日に
結成され、残留市民3千数百人が旗行列と爆竹で祝福した。
松井軍司令官は12月18日の戦没者慰霊祭に、中国軍の戦没者も・・・
と発案したが実現はされなかった。
帰還後もその念願消えず、熱海市伊豆山に観音堂建立を発願され、
日中両戦没者を祭祀して、自らその堂守となった。
観音像は、日中両軍が彼我の戦血に染まった大場鎮や南京の土を
取り寄せて、陶工、加藤春二氏(のち人間国宝)に依頼して観音像
を作り、興亜観音と名ずけた。堂宇も立派に建立した。
どうして罪とがもない女子供を虐殺するようなことがあろうか?
.
これは メッセージ 26066 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京で日本兵は何を見たのか (11)
投稿者: piece_of_knowledge_g 投稿日時: 2008/09/21 22:53 投稿番号: [26119 / 41162]
wadatumi_voice21
>南京で日本兵は何を見たのか<
『日本人による「中国無名戦士の墓」の墓標を書いている姿を見た。』
http://members.at.infoseek.co.jp/jhistory/nanking/unknown.jpg「無名戦士よ眠れ」
と題して
「抗日の世迷い言に乗せられたとは言え、敵兵も又、華と散ったのである、
戦野に亡骸を横たえ風雨にさらされた哀れな彼ら、が勇士達の目には
大和魂の涙が浮かぶ、無名戦士達よ眠れ!
白木にすべる筆の運びも彼らを思えばこそ暫し渋る優しき心の墓標だ。」
とある。
(朝日新聞・昭和12・12・24)
日露戦争の時、乃木将軍がロシア軍の戦没者将兵の墓をまず建立し、
日露両軍の慰霊祭を催行した逸話を想起し、武士道いまだ衰えずの感を
深くした。
日本兵はこうして敵の戦死者にも花を手向けたのだ。
.
これは メッセージ 26064 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京で日本兵は何を見たのか (10)
投稿者: piece_of_knowledge_g 投稿日時: 2008/09/21 22:38 投稿番号: [26118 / 41162]
wadatumi_voice21
>南京で日本兵は何を見たのか<
『南京復興の足取りを見た。』
『復興の南京では水道も復活した。
日支水道班が送水ポンプを動かしている様子を見た。』(右上)
『送水鉄管の出口を見た。』(右下)
『揚子江の水を引き、先づこの沈殿漕に入れて浄化する様子を見た。』(左上)
『露店街にも春景色を見た。』(左下)
http://members.at.infoseek.co.jp/jhistory/nanking/news5.jpg朝日新聞は1月3日付けの新春号に5段抜き凸版見出しで、
「南京・今ぞ明けた平和の朝」
と大書きし、
「建設のかどでを飾り/光と水のお年玉/万歳・電灯と水道蘇る」
と題した近藤特派員の一日発の電報を載せている。
そのリードの文は次の通りである。
「光と水の不足から苦しい喘ぎを続けていた首都南京も新春を
迎えて甦ったように力強い息を始めた。
大晦日の夕方5時から南京市内の主なる街々には思いがけない
電灯がつき、それと同時に水道まで景気良くほとばしり出たのである。」
とある。
つまり、唐生智軍が退却事に破壊していった水道源や変電所など電源を、
日本軍と中国の労務者が協力して、年末ぎりぎりに復興したのである
。
近藤記者によると、南京は12月10日から水道は止まり、電気はつかず、
水飢饉と暗黒の都市となった。
日本軍は入城と同時にこれの復活に着手した。
技術将校以下80名と中国人電工70名の班編成で、水道も同様に
150名の編成で、不眠不休、激烈な戦闘の疲れも忘れて取り組んだ
結果であるという。
近藤記者はこの文章の最後をこう締めくくっている。
「光と水のお年玉に南京市の屋根の下に寝る我が皇軍の勇士や
市民などは歓喜の万歳をあげた。
中山路の中島部隊が宿舎にしている中央飯店には、
赤青のネオンサインさへほの見えている。
ちょうど20日ぶりで、再び電灯の光りの輝きだした
南京の夜の何と賑やかさだ。22日には上海南京間には
日の丸列車が開通して南京市民の喜びの矢先、また降って
湧いたような贈り物だ。
3日に発会式を挙行する南京自治委員会の力強い誕生と相まち、
治安の基礎は全く確立して、明朗南京はいま新春の旭光に上がる
と共にさっそうとして建設の軌道をスタートした。」
写真は、全員汗と油にまみれて、日中の技術者が一体となって
水道と電気の復活に取り組んでいる姿である。
.
これは メッセージ 26058 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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wadatumi_voice21へー再再掲
投稿者: chinotabibito 投稿日時: 2008/09/21 22:26 投稿番号: [26117 / 41162]
>wadatumi_voice21の投稿が検証するのにふさわしいかどうか判断するので、次の質問に答えるように。
必ずレスするように。
1、「靖国神社参拝問題」というトピに全く同じ内容の投稿があるが、何故か?
2、南京に関する文章は自分で書いたものか?
3、文章中に他人の著作物が大量に引用されているが、著作権者の許諾は得たのか?
レスしない、できない理由はないと考えるが、どうか?
以上の趣旨に対してレスがない。従って、
wadatumi_voice21の全投稿は他人が書いたものの転載であり、
引用されている「他者の著作物」については、
著作権者の許諾は受けていないと断定する。
検証に値するものではないが、監視は続けるので、そのように。
これは メッセージ 26081 (chinotabibito さん)への返信です.
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Re: 南京で日本兵は何を見たのか (9)
投稿者: piece_of_knowledge_g 投稿日時: 2008/09/21 22:21 投稿番号: [26116 / 41162]
wadatumi_voice21
>南京で日本兵は何を見たのか<
『兵隊さんお正月用に靴の修繕致しましょう、という親善を見た。』(右)
『お乳が足らなきゃミルクをお上がり、
というヒゲの隊長温情を見た。』(真ん中上)
中国婦人のうれしそうな顔を見た。
『坊や、トラホームをいやさなきゃお正月は来ないよ
という軍衛生班の活動を見た。』(左上)
『新しいガーゼを取り替えて、いいお正月を迎えましょう
という軍医部の活動を見た。』(左下)
http://members.at.infoseek.co.jp/jhistory/nanking/news4.jpg12年30日の新聞掲載ゆえ、おそらく、28日頃の撮影
(占領16日目)である。
タイトルは「手を握り合って越年≪日に深む南京の日支親善≫」である。
この写真版には写真説明の他に、「南京の正月/お餅もOK」という
次のような記事が載っている。これ又和やかな駐屯地風景である。
各部隊の兵隊達は故国の正月をしのんで門松や鏡餅まで用意し、
中国の子供達にキャラメルなどを配っている。
歳末の雪の南京の街頭風景は文字通り”手を握り合っての越年”で、
平和さながらである。
南京城内に正月を迎える皇軍将兵に29日各部隊ごとに
鏡餅やのし餅などが配られた。
これは メッセージ 26056 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京で日本兵は何を見たのか (8)
投稿者: piece_of_knowledge_g 投稿日時: 2008/09/21 22:04 投稿番号: [26115 / 41162]
wadatumi_voice21
>南京で日本兵は何を見たのか<
玩具の戦車で子供達と遊ぶ兵隊さん(南京中山路にて)を見た(右上)
戦火収まれば壊れた馬車も子供達の
楽しい遊び場(南京住宅街にて)を見た(左上)
皇軍衛生班の活躍に結ばれて行く日支親善(難民避難区にて)を見た(右下)
平和の光をたたえて支那人教会の庭から
もれる賛美歌(南京寧海路にて)の様子を見た(左下)
http://members.at.infoseek.co.jp/jhistory/nanking/news3.jpg我らの兵隊さんは平和を楽しむ。
南京総攻撃であわてふためいて逃げたおもちゃ屋が
道路に捨てて行った子供の玩具を拾って来て支那の子供達と遊ぶ。
兵隊さんだけに戦車とか装甲自動車を選んでいるのもおもしろい。
支那人の子供の無心に遊ぶ様を眺めて、兵隊さんは国に待つ
わが愛しい子を偲んでいるのだ。
新聞記者どの、今夜手紙をたのみます。
と思い出したように国への便りを願うのである。
.
これは メッセージ 26043 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京で日本兵は何を見たのか (7)
投稿者: piece_of_knowledge_g 投稿日時: 2008/09/21 21:48 投稿番号: [26114 / 41162]
wadatumi_voice21
>南京で日本兵は何を見たのか<
『きのうの敵に温情を見た。』(写真右上)
「東京日々新聞」(のち毎日新聞)がスクープした某外人日記にも
「25日(11月)、戦死傷者の南京後送で、移転後の
政府機関はもちろん、私人の邸宅まで強制的に病室に当てられ、
全市医薬の匂いが蔓延し、傷病軍人の町と一変した・・・」
とある。
唐生智麾下の守城軍はこれらの傷病兵を置き去りにして、
我先と退却・逃亡したのである。この中国傷病兵を、
日本軍の軍医や衛生兵がねんごろに治療にあたっている写真である。
”昨日の敵は今日の友”殺害どころか治療し看病している姿、
これが真の日本軍の姿である。
『治療を受けている支那傷病兵温情を見た。』(写真左上)
『軍将兵の情に食欲を満たす投降兵温情を見た。』(写真真ん中)
『砲撃やんだ南京城内に描かれた親善風景温情を見た。』(写真右下)
『南京城内の親善風景温情を見た。』(写真左下)
手製の日の丸の腕章をつけた大勢の市民が、いかにもくつろいだ風情で、
道路いっぱいにひろがり交歓している様子がうかがえる。
http://members.at.infoseek.co.jp/jhistory/nanking/news2.jpg12月22日の新聞掲載ゆえ、20日ごろの河村特派員の撮影とみられる。
(占領8日目)タイトルは「きのうの敵に温情《南京城内の親善風景》」
これは メッセージ 26041 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京で日本兵は何を見たのか (6)
投稿者: piece_of_knowledge_g 投稿日時: 2008/09/21 21:33 投稿番号: [26113 / 41162]
これは メッセージ 26035 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京事件の背景(8)軍紀風紀の頽廃②
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2008/09/21 21:29 投稿番号: [26112 / 41162]
>こうした犯罪の中で、もっとも多いのが掠奪だった。
シナ人は略奪を日本人の所為に宣伝したんだなぁ〜。
で、敗戦により日本軍のトップ、日本政府の責任者は断罪されたんだが〜?
まだ、不足でっか〜?
何を好き好んで、日本軍が南京大虐殺を行ったから謝罪せよってか〜?
お前が、南京大虐殺の記念館へ行って謝罪してくれば良いだろう〜。
欺瞞の記念館に行ってな〜。このボケ!
これは メッセージ 26105 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京で日本兵は何を見たのか (5)
投稿者: piece_of_knowledge_g 投稿日時: 2008/09/21 21:12 投稿番号: [26111 / 41162]
これは メッセージ 26027 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京で日本兵は何を見たのか (4)
投稿者: piece_of_knowledge_g 投稿日時: 2008/09/21 20:55 投稿番号: [26110 / 41162]
これは メッセージ 26017 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京で日本兵は何を見たのか (3)
投稿者: piece_of_knowledge_g 投稿日時: 2008/09/21 20:38 投稿番号: [26109 / 41162]
これは メッセージ 26014 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京で日本兵は何を見たのか (2)
投稿者: piece_of_knowledge_g 投稿日時: 2008/09/21 20:23 投稿番号: [26108 / 41162]
これは メッセージ 26012 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26108.html
Re: 南京で日本兵は何を見たのか
投稿者: piece_of_knowledge_g 投稿日時: 2008/09/21 20:03 投稿番号: [26107 / 41162]
これは メッセージ 25997 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京の軍紀風紀の維持
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/21 19:31 投稿番号: [26106 / 41162]
顧みれば皇軍の奮闘は半歳に邇し其の行く所常に必ず赫赫たる戦果を収め我将兵の忠誠勇武は中外齋しく之を絶賛して止まず
皇軍の真価愈々加うるを知る然れ共一度深く軍内部の実相に及べば未だ瑕瑾の尠からざるものあるを認む
就中軍記風紀に於いて忌々しき事態の発生近時漸く繁を見之を信ぜざらんと欲するも尚疑わざるべからざるものあり
惟うに一人の失態も全隊の真価を左右し一隊の過誤も遂に全軍の聖業を傷つくるに至らん
須々各級指揮官は統率の本義に透徹し率先垂範信賞必罰以て軍記を厳正にし戦友相戒めて克く越軌粗暴を防ぎ各人を矯て全隊放縦を戒むべし特に向後戦局の推移と共に敵火を遠ざかりて警備駐留等の任に著くの團隊漸増するの情勢に處しては愈々心境の緊張と自省克已とを欠き易き人情を抑制し以て上下一貫左右実聊も皇軍の真価を害せざらんことを期すべし
斯くの如きは帝に皇軍の名誉と品位とを保続するに止まらずして実に敵軍及び第三国を威服すると共に敵地民衆の信望敬仰を繁持して以て出師の眞目的を貫徹し聖明に對へ奉る所以なり
遡って一般の情勢特に迅速なる作戦推移或いは部隊の実情等に考えを及ぶ時は森厳なる軍記節制ある風紀の維持等を困難ならしむる幾多の素因を認め得べし従って露見する主要の犯則不軌等を挙げて直ちに之を外征部隊の責に帰一すべからざるは克く此を知る
然れ共実際の不利不便愈々大なるに従って益々以て此が克服の努力を望まざるを得ず或いは沍寒に首しみ或いは櫛風沐雨の天苦を嘗めて日夜健闘しある外征将士の心労を深く偲びつつも断じて事変の完美なる成果を期せんが為茲に改めて軍記風紀の振作に関し切に要望す
本職の真意を諒せよ
昭和十三年一月四日
大本営陸軍幕僚長
載仁親王
中支方面軍司令官宛
↑全文を読めば単に注意をしただけと言うことが理解出来る。
和田罪の様に、はしょると意味が違ってくる、此が得意の戦法だな、和田罪作りと言われる所以だ。
これは メッセージ 26102 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件の背景(8)軍紀風紀の頽廃②
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/21 19:29 投稿番号: [26105 / 41162]
日中戦争開戦後のわずか2年間だけでも、日本軍の犯罪非違は
じつに
5,221件にものぼっており、このことから
日清・日露戦争と比べても、はるかに高率で発生したことが判る。
しかし、これは
憲兵隊が摘発したものだけであり、また
その後にも
中国各地で行なわれたであろう数々の犯罪行為は含まれていない
ということを
念頭におかねばならない。
こうした犯罪の中で、もっとも多いのが掠奪だった。
上海から南京への追撃戦は、補給を無視しての急進撃であったため、
給養は
すべて現地徴発に頼らざるを得なかった。
徴発
といっても、それは敵国領土でのことであり、
実態は
掠奪にほかならなかった。
日本軍兵士の日記には、ほとんど例外なく、毎日
中国人居住地から
何を徴発したかが書かれているが、それは無統制に、兵士が勝手に
行なう掠奪であったことを、きわめて具体的に示している。
徴発するにも
当時の国際ルールがあり、規則があった。
しかし
それが守られることは
ほとんどなく、全軍が掠奪の集団と
化したに均しいのが
実態だったのだ。
南京攻略戦のさいの第九師団経理部将侯の記述がある。
徴発品の代金の支払は如何にされて居つたか、
軍隊は強盗でも山賊でもない。
必ず代金を払って買はねばならないのである。(中略)
後日所有者が代金の請求が出来るようにして置かねばならない
故に徴発書はかねて印刷配付して所要の事項を記入すればよいように
して(中略)ある。しかるに後日所有者が代金の請求に持参したものを
見れば其記入が甚だ出鱈目である。
例へば○○部隊先鋒隊長加藤清正とか退却部隊長蒋介石と書いて
其品種数量を箱入丸升とか樽詰少量と云ふものや
全く何も記入してないもの
甚だしいものは単に馬鹿野郎と書いたものもある。
全く熱意も誠意もない。
でたらめな記入をした徴発書では、代金の支払いはできない。
中国の人々は、食糧などの物資を
だまし盗られたことになる。
国際法規も無視し、中国人民を侮蔑し
略奪の対象としか見なかったことが
南京での残虐行為の誘因となったと考えれば
その理由が理解できる。
これは メッセージ 26102 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: もうすぐ自民も 創価学会も潰れる?
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2008/09/21 19:18 投稿番号: [26104 / 41162]
>北方4島も同じ
ただ日本人の主張することが認められないってことね
形の上においてね(笑)
最初に言っておくが、わが国の「北方領土」とは、4島ではなく、【択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の北方四島】と【択捉島や国後島以外の千島列島】と【南樺太】だ。
日本政府は、このうち、北方4島を、一度も他の国の領土となったことがない領土という意味で、『固有の領土』と表現しているだけだ。
次に、「日本の主張することが認められない」というが、北方領土問題は1990〜92年の先進7カ国時代のサミットで毎年、議長声明や政治宣言に「法と正義の原則に基づき外交政策を展開するとのロシアの公約を歓迎する。(それが)領土問題の解決を通じた日露間の正常化の基礎となる」といった文言が盛り込まれていた。
また、2005年には欧州議会がロシアに北方領土の日本への返還を求める決議を採択した。
>ばかじゃないの?(笑)
国際条約ってのは
1年後まで有効なんて
ありゃしない(笑)
それは事務的なことで
そんなこと信じてることこそ
アホの見本じゃないの(笑)
それは、オマエの脳内妄想に過ぎない。
違うと言うなら、根拠を示せ。
>>>ワシントン講和条約には日本の領土は四島と書かれてるんじゃなかったか?
>>ワシントン講和条約って、何?
>>何年何月何日にどの国が調印したんだ?
>>で、そのワシントン講和条約の何条に「日本の領土は四島」と書かれてるんだ?
>>ん?
>>答えろよ!
>説破
ツマってんだね(笑)
やっぱ
つっこんできたね
ワシントン条約ってのは
国際保護動物の保護条約だったんじゃないの?
まずは、ワシントン講和条約って何かを答えろ!
>あのね、、大きな間違いね(笑)
>日本政府の主張は日中中間線なんだよ
その中国側で試掘
発掘生産してる天然ガスについて
文句言える立場にないんだよ(笑)
海洋法条約では、境界線に争いがある場合、一方的に資源開発をすることを禁じているんだよ!
相変わらず、何も分かっていないな。
これは メッセージ 26042 (todorigafuti さん)への返信です.
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Re: 南京事件の背景(7)軍紀風紀の頽廃
投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2008/09/21 18:03 投稿番号: [26103 / 41162]
それで軍紀がどうのと喚いているが、
「南京大虐殺」の実際の証明に全くなってないが(大笑)
直接の証拠がない時のその手の輩が使う「いつもの手」だな(嘲笑)
これは メッセージ 26102 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件の背景(7)軍紀風紀の頽廃
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/21 17:51 投稿番号: [26102 / 41162]
戦争の拡大と軍隊の大量動員が、軍の素質の低下をもたらしたことは
前述したとおりであるが、それにともなって、軍の規律がゆるみ、
軍紀風紀が乱れたことが、犯罪非行を続出させた原因となった。
大量虐殺は、軍の組織的行為である
捕虜の殺害や敗残兵の剔出が
原因であることはもちろんだが、軍紀風紀の乱れによる兵士個人による
行為によっておこった場合も多出したことが、いっそう事件を大きくした。
この点は
軍上層部でも認めており、南京虐殺事件が
国際的な非難を
浴びたのをうけて、南京占領直後の1937年1月4日付で、
参謀総長は
中支那方面軍に次のような要望を行なっている。
(引用:中支那方面軍参謀長「軍紀風紀ニ関スル件通牒」『昭和十二年
陸支密大日記』、防衛研究所図書館収蔵文書)
同じ内容の要望は、北支那方面軍にも出されているが、
これは
軍紀風紀の粛正が、日中戦争が拡大したこの時期の日本軍にとって
大きな問題であったことを示している。
顧ミレバ皇軍ノ奮闘ハ半歳ニ近シ
其行ク所常ニ赫々タル戦果ヲ収メ
我将兵ノ忠誠勇武ハ中外ニ斉シク之ヲ絶賛シテ止マズ皇軍ノ真価愈々
加ルヲ知ル
然レ共一度深ク軍内部ノ実相ニ及ベバ未ダ瑕瑾ノ尠カラザルモノアルヲ
認ム
就中軍紀風紀ニ於テ忌々シキ事態ノ発生近時漸ク繁ヲ見
之ヲ信ゼザラント欲スルモ尚疑ハザルベカラザルモノアリ
惟フニ一人ノ失態モ全隊ノ真価ヲ左右シ
一隊ノ過誤モ全軍ノ聖業ヲ
傷ツクルニ至ラン
(中略)
遡テ一般ノ情特ニ迅速ナル作戦ノ推移或ハ部隊ノ実情等ニ考ヘ及ブ時ハ
森厳ナル軍紀節制アル風紀ノ維持等ヲ困難ナラシムル幾多ノ素因ヲ認メ
得ベシ
従テ露見スル主要ノ犯則不軌等ヲ挙ゲテ直ニ之ヲ外征部隊ノ
責ニ帰一スベカラザルハ克ク此ヲ知ル
然レ共実際ノ不利不便愈々大ナルニ従テ益々以テ之ガ克服ノ努力ヲ
望マザルヲ得ズ
(中略)
断ジテ事変ノ完美ナル成果ヲ期センガ為茲ニ改メテ軍紀風紀ノ振作ニ
関シ切ニ要望ス
本職ノ真意ヲ諒セヨ
昭和十三年一月四日
大本営陸軍部幕僚長
載仁親王
参謀長の
このような要望がでたことは、まったく異例のことだった。
開戦後2年間の軍紀風紀に関する犯罪非違の調査によると、
日中戦争の戦地おける犯罪件数は、日清・日露戦争に比べ
はるかに高率で、たった2年間で5,221件にものぼっている。
この数は
しかし、憲兵隊が取り扱った件数に限られている。
(「無形戦力軍紀風紀資料第一号
支那事変ニ於ケル犯罪非違ヨリ視タル
軍紀風紀ノ実相竝ニ之ガ振粛対策」大本営陸軍部研究班昭和十五年十一月)
これは メッセージ 26100 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京での皇軍の素質の高さ
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/21 16:19 投稿番号: [26101 / 41162]
昭和十二年十一月四日
次官より丁集団参謀長宛
陸支密第一七七二号
交戦法規適用
一.現下の情勢に於いて日支両国は未だ国際法上の戦争状態に入あらざるを
以て「陸戦の法規慣例に関する條約其の他の交戦法規に関する諸条約」の
具体的事項を悉く適用して行動すること適当ならず
二.但し左の件を実施するは現下の情況に於いて当然の措置として差し支え
なし
1
自衛上必要の限度に於いて敵性を有する支那側動産不動産を押収没
収破壊し或いは処分(例えば危険性あるもの、長期の保存に絶えざる
もの押収後之が保管に多大の経費、労力を要するもの等を換価又は破
棄する等)すること
「但し土地建物等の不動産及び私有財産(市、区、町、村に属する財
産を含む)は之を軍に没収すること適当ならず」
2
自衛の為又は良民の福祉の為緊急已むを得ざる場合に於いて前項の
物件等を使用すること
三.右述の外日支兵干戈の間に相見ゆるの急迫せる事態に直面し全面戦争へ
の移行転移必ずしも明確に判別し難き現状に於いて自衛上前記條約に準拠
し実情に即し機を失せず所要の措置を採るに遺漏なきを期す
四.軍の本件に関する行動の準拠前述の如しと雖も帝国が常に人類の平和を
愛好し戦闘に伴う惨害を極力滅殺せんことを願念しあるものなるが故に之
等の目的に副う如く前述「陸戦の法規慣例に関する條約其の他交戦法規に
関する條約」中害敵手段の選用等に関し之が規程を努めて尊重すべく帝国
現下の国策は努めて日支全面戦争に陥るを避けんとするにあるを以て日支
全面戦を相手に先んじて決心せりと見らるるが如き言動(例えば戦利品、
俘虜等の名称の使用或いは軍自ら交戦法規を其の儘適用せりと公称しその
他必要已むを得ざるに非ざるに諸外国の神経を刺激するが如き言動)は努
めて之を避け又現地に於ける外国人の生命、財産の保護、駐屯外国軍隊に
対する応対に関しては努めて適法的に処理し以て第三国との紛争を避くる
のみならず皇軍に対して信頼を抱かしむる如くするものとす
五.地方の行政治安維持其の他官公署等の不動産の保護等に関しても軍政を
敷き或いは軍自ら進んで之に関与するを避け前述の趣旨に鑑み軍は必要な
る内面的援助を与え其の実を挙ぐるを可とす又支那側の神社仏閣等の保護
に就いて努めて注意あり度
六.右諸件の実施に方ては機を失せず之が具体的報告を提出するものとす
↑和田罪が大好きだと言う意味が良く分かるな、和田罪作りチョン。
之の中には和田罪作りが捏造したのとは反対のことが多く書かれている様だな、和田罪作りチョン。
防衛省防衛研究所所蔵「陸支密大日記昭和十三年」より抜粋。
お前も之には反論することはないだろうな、和田罪作りチョン。
これは メッセージ 26097 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件の背景(6)指揮官と幕僚の変質
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/21 15:31 投稿番号: [26100 / 41162]
南京大虐殺の中でも、捕虜の集団殺害と便衣兵の「処刑」は、
軍や師団の命令によっておこなわれたものだった。
そして
国際法を無視して、捕虜の殺害を命令したり、
裁判にもかけずに「便衣兵」の処刑を指示したことについて、
高級指揮官と
その幕僚が
責任を負わなければならない。
そもそも南京攻略戦そのものが、兵站や補給を無視し、敵国の首都への
一番乗りを争った猪突猛進主義の
無謀な作戦だった。
糧食はすべて徴発によるという
この作戦が、掠奪暴行の原因になった。
兵站、補給を軽視して戦力を失わせるという日本軍の悪弊は、この後も
東南アジアや太平洋での戦闘でも
改まることはなく、戦死者数よりも
餓死者や病死者のほうが多いという、とても近代軍とは思えないような
類例のない惨状を
生み出すことになってしまう。
大量の捕虜が発生したとき、給養の面で行き詰ったのは
当然だった。
予想以上の捕虜をかかえ
お手上げ状態となり、短絡的に「処分」に
走ったことも問題がある。そのとき、日本軍の指揮官や幕僚には、
国際法や人道という観念は、まったく
失っていたのだ。
積極果断をむねとし、合理的配慮を欠いた実行力をたっとび、
国際法や人道を無視する戦闘第一主義におちいった指揮官や幕僚が
なぜ生み出されたのだろうか、それは
日本陸軍における幹部補充制度と
その教育内容によるところが大きい。
前述したとおり、陸軍現役将校の補充は、基本的には
陸軍士官学校の
卒業生によったが、その数は大正中期から減少し、人事配置の面では
きわめてアンバランスな状態におちいっていた。
それに加えて、注目すべきは、陸軍幼年学校の存在だ。
幼年学校という名称は、明治維新直後から存在し、士官学校の予備教育
として語学教育を行なうことから始まったが、その後
将校養成教育として
軍のエリートを育てるための機関となり、実際、その出身者は
参謀や高級幹部にすすむことが
多くなっていった。
この幼年学校出身者は、少年時代から特殊なエリート教育の結果、
偏狭、独断で自尊心が強く、積極果断な実行力を信条とし、
それが軍を誤らせた・・・・ということを、
自身も幼年学校出身であった
松下芳男が「幼年学校の功罪」として
論じている。(『明治軍制史論
下巻』有斐閣
1956年、455頁)
また、「陸軍の反省」を著した加登川幸太郎も
この説に賛成しており、
日本軍の精神主義が
「陸軍のエリート将校たちの、唯我独尊、無軌道、
戦場での硬直した考え方の原動力」だった
としている。
日本軍の幕僚層の性格や国際感覚の実情を示すものとしては、
第十軍司令部が作成した意見書などがある。
これは、防衛研究所図書館に所蔵されている
昭和十三年陸支密受5267号「陸支密大日記」に含まれる丁集団参謀部
『南京ヲ急襲ニヨリ奪取シ得サル場合ノ攻略案』だが、そこでは
「本攻撃ニ於テハ徹底的ニ毒瓦斯ヲ使用スルコト極メテ肝要」と述べ、
毒ガスのイペリット弾を空爆に用いることを促しているのだ。
当時、すでに
毒ガスを含む化学兵器は、非人道的殺戮兵器として
国際的に使用が禁じられていたにも関わらず、それを市街地への攻撃に
使用する計画まで立てていたことになる。
こうした
日本軍幹部の
国際法にも人道にも無関心な態度が、
大虐殺の背景に存在していたといえるだろう。
これは メッセージ 26099 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件の背景(5)軍の素質の低下③
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/21 14:08 投稿番号: [26099 / 41162]
後備兵が多いということは、軍隊としての素質低下を招かざるを得ない。
年齢の高い者は30歳代後半になっており、体力の低下は
免れない。
軍事教育を受けているといっても、古い者は大正時代の徴集兵で、
兵器も戦法も過去のものだった。
多くは
妻があり、この時代であるから子供も
4人も5人もあって
一家をささえており、後顧の憂いの多い階層でもあった。
また
同じ隊の将校や下士官が、年下であったり、
現役時代の後輩であったりすることもあって、上官と部下の関係が
かならずしも額面どおりには
いかない場合もあり、
厳正な軍紀がたもちにくい面も多かったといえる。
兵の年齢の高齢化とともに大きな問題であったのは、
現役幹部の極端な不足だった。
このことが、軍の素質の低下に大きく影響している。
日本陸軍の現役将校の補充は、基本的には陸軍士官学校の卒業生に
よるもので、戦時においても西欧諸国のような自由な任用は
いっさい行なわない建て前だった。
このことが
戦時動員にさいしての、極端な幹部の不足を招いた。
日中戦争で大動員が行なわれると、常設師団でも現役の小、中隊長が
不足し、特設師団には
まったく充当されないという状態になった。
したがって、ほとんどは予備役将校をあてることになったのだ。
あまりにも幹部が老齢なので、なんとかならないか、と編制担当者が
陸軍省に訴えた書類も残っている。
この書類は
上海戦に投入された
第百一師団の動員にさいしての
第一師団参謀長の申請だ。
(昭和12年8月「特設(乙)師団要員ニ現役幹部ヲ配属セラレ度件」)
これでみると
特設師団の中隊長には
58歳もの高齢者があり、
小隊長の大部分は大正時代の1年志願兵出身で、
せめて
大隊の4人の中隊長のうちの1人、
小隊長のうちの1人は現役者を配当してくれ、という
悲痛な訴えを
動員担当者がしているのだ。
しかも
実際には、第百一師団は、教育訓練の猶予もないまま
上海戦に投入され、戦果のあがらぬうちに大損害を受けるという
悲惨な結果を招くことになってしまった。
第百一師団は、損害多出し戦力が極端に低下したため、
上海戦の後は
南京攻略戦には使われず、後方の警備に残された。
一部が山田支隊として南京戦に参加した第十三師団の場合は、
37年9月9日に動員が下令され、10月上旬から上海戦に加入し、
損害が続出したため4次にわたる補充を受け、本隊の南京到着と
第4次補充員が部隊に追いついたのが同時になるという状態だった。
第百十四師団は、第十軍に属して杭州湾に上陸するために動員された
特設師団で、激戦を経験しているわけではなかったが、
同じ徴募区の第十四師団が
さきに動員されていたため、
幹部の質の低下を免れなかったのだ。
これは メッセージ 26098 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件の背景(4)軍の素質の低下②
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/21 14:07 投稿番号: [26098 / 41162]
前述した1938年8月の陸軍省調査の対象となった10個師団の
総計を出してみると、
現役兵
41,198人、16.9%、
予備兵
69,857人、28.3%、
後備兵102,508人、41.5%、
補充兵
33,486人、13.5%
となっている。
当初の中国戦線の兵の大多数は
予後備兵、とりわけ年齢の高い
後備兵であったことを、この調査は示している。
なぜ中国へ送られた兵の主力が後備兵となったのか。
それは
当時の日本の兵役制度のあり方と、動員計画の考え方による
ものであり、また、対中国戦争が
思いもよらぬ規模に拡大したため、
急遽大兵力を必要とすることになった結果だった。
1927年4月に公布された兵役法は、それまでの徴兵令を大改正し、
満年齢17年から40年までの「帝国臣民タル男子」に兵役義務を課した。
当時の日本軍の兵役は、常備兵役(現役および予備役)のほかに、
後備兵役、補充兵役、国民兵役に分かれる。
成人した男子は、徴兵検査での体格や健康状態による合格分類で、
現役、第一・第二の補充兵役、第二国民兵役に振り分けられた。
現役として徴集された者は、2年間の現役としての在営が終ると、
さらに5年4月の予備役、その後
10年の後備役に服さねばならない。
また
補充兵役は、第一・第二とも12年4月で、後備役を終えた者、
第一補充役を終えた者の中で教育を受けた者は、さらに
その後に
40歳まで第一国民兵役に、その他の者は第二国民兵役に編入された。
なお、この兵役法は
39年と41年、さらに43年にも改正され、
そのたびに
兵役の期間や年齢上限などが延長されている。
常備兵力として平時に設置されている師団は、現役兵で構成されている。
戦時に
この常設師団に動員令がくだると、予備兵を召集して
平時編成の2.5倍ないし3倍の戦時定員を充足し、平時編成から
戦時編成に移行することになっていた。
さらに
動員計画では、この常設師団のほかに、後備兵を召集して
もうひとつ
別の師団を編成することが
計画されていた。
それが
特設師団だ。
開戦前の1936年の動員計画でみると、常設17個師団に対し、
特設13個師団、合計30個師団、総兵力148万人となっていた。
1920年代前半の軍縮により、現役兵の徴集数は減って、
毎年10万人程度であったから、これが
ぎりぎりの動員数だった。
満州事変直前の1930年をとってみると、
この年の適齢壮丁数は
631,883人だが猶予や忌避などがあり、
徴兵検査の受験者数は、595,505人だった。
この年
現役として徴集されたのは
100,771人、
補充兵は168,675人であるから、約60万人の適齢人口の中の
10万人、約6分の1、16.7%の現役徴集者だけが、
現役、予備役、後備役
あわせて17年4月間という
とりわけ重い負担を背負う制度であったといえるだろう。
(参考:陸軍省大日記昭和六年甲輯第二類「昭和五年度徴集兵員数」)
そのうえ常設師団も特設師団も、この現役体験者、つまり同年齢の
6分の1の既教育兵だけに依存する
という動員計画では、
戦時の大兵力動員が不可能なのは
当然だった。
それは
日本軍が、国民全体にたいする信頼感をもつことができず、
現役兵としてきびしい訓練を経た者にしか期待できないという
日本の特殊な条件でもあったのだ。
これは メッセージ 26097 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件の背景(3)軍の素質の低下
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/21 14:06 投稿番号: [26097 / 41162]
上海で苦戦し、南京で虐殺事件を引き起こした日本軍は、
山東出兵や満州事変のときのような
現役兵を中心とし、訓練も行き届いて
厳正な軍紀をたもった軍隊とは、すっかり異質なものにかわっていた。
日中戦争が思いもよらぬ大規模な全面戦争に拡大したこと、
しかも
一方で対ソ戦に備えなければならないという状況のもとで、
陸軍は
それまでに経験したことのない規模の戦時動員を行なった。
ところが
日本の戦時動員計画は、第一次大戦を画期としてはじまった
総力戦段階に適合するものには
なっていなかったのだ。
双方ともに千万人単位の大軍を動員した第一次大戦は、それまでの
常備軍中心の戦争とは
まったく異なる性質の戦争となっていた。
戦後の先進各国とも、その経験にもとづいて、
戦時には膨大な大衆軍を編成できるような準備を
すすめていた。
常備軍の性格は、戦時に編成する大衆軍の基幹部分を整備しておくものに
変わっていた。
それは
戦時にさいして、一般国民を大量に招集して軍隊を編成しても、
十分に有効であるという、国民にたいする信頼が前提になっていたからだ。
しかし
日本の軍部は、一般国民を有能な軍人として信頼できなかった。
というより、戦時に大衆軍を創出するという
総力戦の構想を、
十分に理解してはいなかった。
だから
第一次大戦後の戦時動員計画も、依然として日清・日露戦争の
時代と同じように、常備軍を主体とする考え方に立っていた。
大量動員の場合も、あくまで既教育兵を中心とするように計画してあった。
このため
動員部隊は、年齢の高い予後備兵が
主力を占めるものと
ならざるを得なかった。
また
陸軍は、日中戦争が拡大しても、対ソ戦第一主義を変えず、
ソ連戦に備えて
満州と朝鮮北部の常設師団はそのままにしておいた。
そのため中国戦線へは、近衛師団と北海道の第七師団をのぞく
すべての内地の常設師団を
動員のうえで派遣することになった。
ところが、華北の戦線の拡大、上海での苦戦など、
予想外の事態が進展したために、つぎつぎと
特設師団まで動員して、
これを第一線に投入せざるを得なくなったのだ。
開戦後1年を経た38年8月、陸軍省は動員部隊の
兵の役種区分調査をおこなっている。
その報告のうち、中国戦場にある常設5個師団、特設5個師団の分が、
陸軍省陸支密大日記に残されている。
(出典:昭和13年8月1日陸支密第2836号
動員部隊ニ属スル兵ノ
役種区分調査ノ件
『陸支密大日記』
防衛研究所図書館所蔵文書)
これによると、損耗の程度、補充の回数や
その他の理由によって、
各師団が
かならずしも同一ではない。
だが
大雑把にいえば、常設師団では現役兵3割、予備兵4割、
後備兵と補充兵をあわせて3割、つまり
予備兵がもっとも多く、
現役兵と予備兵とが
おもな割合となっている。
これに対して
特設師団の場合は、後備兵が5〜6割と圧倒的に多く、
これに予備兵と補充兵がくわわっている。
これは メッセージ 26084 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26097.html
中国の国民性で国民犠牲
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/21 14:00 投稿番号: [26096 / 41162]
■安全より金もうけ
発信源の中国では、患者数は62人を超え、死者は5人とされるが、今後、患者や死者の数は増加しそうだ。新華社通信(電子版)は、結石発症の可能性のある潜在患者数は3万人になるとの推計を報じている。逮捕者も少なくとも18人に上っている。
メラミンにはタンパク質の含有量の検査値をを多く見せる効果があり、問題の背景には安全よりも“金もうけ第一主義”の中国の業界体質がある。公安当局の取り調べに対し、業者の一人は「飲んだらどうなるか考えなかった。自分の家族には飲ませていない」と供述したという。
中国紙によると、河北省の楊崇勇副省長はメラミン混入は2005年4月から行われていたと指摘している。「業界内で“暗黙のルール”になっていた」(中国紙・新京報)可能性がある。
中国政府が五輪期間中に騒ぎが起きるのを避けるため、情報を隠蔽(いんぺい)した疑惑も浮上している。
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訂正:南京事件の背景は中国紅軍の残虐性
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/21 10:53 投稿番号: [26095 / 41162]
漢口事件解決方ニ関スル公文交換ノ件
19.南京兵変(損害賠償ヲ含ム) 自大正十三年十二月/2 大正14年8月20日から大正15年6月21日
21.邦人被害一般賠償問題/1 大正13年9月19日から大正15年8月19日
10.邦人損害一般/1 大正15年1月19日から〔大正15年4月9日〕
10.邦人損害一般/3 大正15年5月15日から大正15年10月15日
江浙並奉直紛擾関係/内外人保護被害関係
反奉天派紛擾事件/帝国ノ態度及在留邦人保護 第一巻
義和団事変清国償金授受一件 第十一巻
韓国暴徒ノ為本邦人被害関係雑件
京城領事館/(5)京畿道龍仁付近ニ於テ岩手県民遠藤松五郎及同人妻暴徒ノタメ被殺害一件
京城領事館/(7)京機道振威ニ於テ暴徒ノタメ福岡県民近藤栄造被殺害ノ件
濰県民軍動乱ニ依ル邦人被害調査報告
支那南北軍衝突ニヨル邦人被害雑件
在常徳邦商及邦人被害
在宝慶邦人被害
在成都邦人被害
海口在留邦人被害
両湖開戦ニヨル邦人被害ニ関スル件
九江事変ニヨル邦人被害
四川省動乱ニヨル邦人被害
漢口東孚洋行沙市出張員井上作一被害ニ関スル件
支那南北軍衝突ニヨル邦人被害雑件
日清汽船湘江丸蘆林潭ニ於テ支兵ノ為射撃セラレシ件
雲陽丸被害ニ関スル件
済南事件/在留邦人被害関係(安否取調ヲ含ム)
掏鹿/3 邦人被害申告書送付ノ件
満州事変ニ因ル在満邦人被害調査方ノ件
満州事変発生後排日ニ依ル邦人被害調
海州邦人被害報告ノ件
膠済沿線邦人被害要償方ニ関スル交渉資料調成ノ件
邦人榊原徳三ノ行方不明ニ関スル件
灘縣北方邦人被害の件
海西に於ける本邦人被害調査の件
丈嶺東北方に於ける邦人被害事件
↑数えればきりがないね、これを和田罪は無視している、中国の間諜だな、和田罪作り。
これは メッセージ 26094 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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南京事件の背景は中国皇軍の残虐性
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/21 10:31 投稿番号: [26094 / 41162]
漢口事件解決方ニ関スル公文交換ノ件
19.南京兵変(損害賠償ヲ含ム) 自大正十三年十二月/2 大正14年8月20日から大正15年6月21日
21.邦人被害一般賠償問題/1 大正13年9月19日から大正15年8月19日
10.邦人損害一般/1 大正15年1月19日から〔大正15年4月9日〕
10.邦人損害一般/3 大正15年5月15日から大正15年10月15日
江浙並奉直紛擾関係/内外人保護被害関係
反奉天派紛擾事件/帝国ノ態度及在留邦人保護 第一巻
義和団事変清国償金授受一件 第十一巻
韓国暴徒ノ為本邦人被害関係雑件
京城領事館/(5)京畿道龍仁付近ニ於テ岩手県民遠藤松五郎及同人妻暴徒ノタメ被殺害一件
京城領事館/(7)京機道振威ニ於テ暴徒ノタメ福岡県民近藤栄造被殺害ノ件
濰県民軍動乱ニ依ル邦人被害調査報告
支那南北軍衝突ニヨル邦人被害雑件
在常徳邦商及邦人被害
在宝慶邦人被害
在成都邦人被害
海口在留邦人被害
両湖開戦ニヨル邦人被害ニ関スル件
九江事変ニヨル邦人被害
四川省動乱ニヨル邦人被害
漢口東孚洋行沙市出張員井上作一被害ニ関スル件
支那南北軍衝突ニヨル邦人被害雑件
日清汽船湘江丸蘆林潭ニ於テ支兵ノ為射撃セラレシ件
雲陽丸被害ニ関スル件
済南事件/在留邦人被害関係(安否取調ヲ含ム)
掏鹿/3 邦人被害申告書送付ノ件
満州事変ニ因ル在満邦人被害調査方ノ件
満州事変発生後排日ニ依ル邦人被害調
海州邦人被害報告ノ件
膠済沿線邦人被害要償方ニ関スル交渉資料調成ノ件
邦人榊原徳三ノ行方不明ニ関スル件
灘縣北方邦人被害の件
海西に於ける本邦人被害調査の件
丈嶺東北方に於ける邦人被害事件
↑数えればきりがないね、これを和田罪は無視している、中国の間諜だな、和田罪作り。
これは メッセージ 26084 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: wadatumi_voice21へ、まず確かめたい。
投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2008/09/21 10:28 投稿番号: [26093 / 41162]
これは メッセージ 26092 (totoro_ootoro3 さん)への返信です.
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Re: wadatumi_voice21へ、まず確かめたい。
投稿者: totoro_ootoro3 投稿日時: 2008/09/21 09:22 投稿番号: [26092 / 41162]
これは メッセージ 26086 (todorigafuti さん)への返信です.
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南京事件の背景は中国軍の残忍性
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/21 08:46 投稿番号: [26090 / 41162]
漢口事件解決方ニ関スル公文交換ノ件
19.南京兵変(損害賠償ヲ含ム) 自大正十三年十二月/2 大正14年8月20日から大正15年6月21日
21.邦人被害一般賠償問題/1 大正13年9月19日から大正15年8月19日
10.邦人損害一般/1 大正15年1月19日から〔大正15年4月9日〕
10.邦人損害一般/3 大正15年5月15日から大正15年10月15日
これは メッセージ 26084 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: wadatumi_voice21へ、まず確かめたい。
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/21 08:41 投稿番号: [26089 / 41162]
>皇軍のことか?(笑)
↑中国共産党軍(紅軍)のことだ、暗奔丹。
>あははっはは、、君に興味はないよ(笑)
反論?
なんで
幼稚な戯言に
反論するような
ヤワな根性は持ち合わせていないよ(笑)
のぼせるなよ
ボケナス
↑遊ばせてやっているのが分からん様だな、暗奔丹。
これは メッセージ 26086 (todorigafuti さん)への返信です.
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Re: 弱虫のカラ元気は 脅威だね 怖いぜ”
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/21 08:39 投稿番号: [26088 / 41162]
>お前のような軍人が
虐殺事件を起こしたんじゃないの?
↑お前等の様な捏造野郎がやったんだろう、夢の中で。
>ほんで
悪賢く立ち回り
人を食って
帰国し
虐殺は無かったって
いいかげんな事
ほざいてる
国賊なんじゃないのかね(笑)
↑夢と現実の区別が付かなくなった、暗奔丹。
>お前のような考えで
日本を潰す奴は
許せんよ(笑)
↑許せんな、暗奔丹。
>腰抜け将校は
姑息な手段で
後方部隊から
命令を出すだけで
負け戦になると
退却とはいわず
転進だなんて
いいながら
逃げちゃうような腰抜けばかりだったんだよ。
↑中国の督戦隊のことを良く知っている様だな、自国軍を後ろから撃つという、暗奔丹。
>だから
宣戦布告も警告も無く
意味も無い
南京攻略戦をしかけ
多くの中国兵を捕虜としたが、いつ
襲われるか
その恐怖心から
中国人とみるや
兵士も民間人も
老若男女問わず
虐殺したってのが
歴史的事実だよ。
↑南京事件、通州事件、其の他諸々に関して事前通告を中国はしなかった、暗奔丹。
中国との紛争は戦争ではない、暗奔丹。
>腰抜けの指導者のやることは
アヘンの栽培と
製造販売
その利益で
中国大陸を侵略した
事実だな(笑)
腰抜け軍隊が日本軍なんだよ
↑腰が抜けているのはお前だろう、中国の意を汲んでな、暗奔丹。
阿片の収益の会計帳簿を見せてみな、暗奔丹。
>こわいねぇ〜〜
弱虫のカラ元気は
こわいよ〜〜(笑)
↑怖いはずだよ、妄想を描く阿片(中国のプロパガンダ)中毒者の考えは、暗奔丹。
これは メッセージ 26085 (todorigafuti さん)への返信です.
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南京事件の背景は中国軍の残忍性
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/21 08:31 投稿番号: [26087 / 41162]
南京事件は大正時代のことだよ。
捏造するな、和田罪は。
これは メッセージ 26084 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: wadatumi_voice21へ、まず確かめたい。
投稿者: todorigafuti 投稿日時: 2008/09/21 06:40 投稿番号: [26086 / 41162]
>自己中心的な解釈だそうだ(笑)
皇軍のことか?(笑)
>私のトピには太刀打ちできないのかな?(笑)
あははっはは、、君に興味はないよ(笑)
反論?
なんで
幼稚な戯言に
反論するような
ヤワな根性は持ち合わせていないよ(笑)
のぼせるなよ
ボケナス
これは メッセージ 26080 (totoro_ootoro3 さん)への返信です.
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弱虫のカラ元気は 脅威だね 怖いぜ””
投稿者: todorigafuti 投稿日時: 2008/09/21 06:37 投稿番号: [26085 / 41162]
お前のような軍人が
虐殺事件を起こしたんじゃないの?
ほんで
悪賢く立ち回り
人を食って
帰国し
虐殺は無かったって
いいかげんな事
ほざいてる
国賊なんじゃないのかね(笑)
お前のような考えで
日本を潰す奴は
許せんよ(笑)
腰抜け将校は
姑息な手段で
後方部隊から
命令を出すだけで
負け戦になると
退却とはいわず
転進だなんて
いいながら
逃げちゃうような腰抜けばかりだったんだよ。
だから
宣戦布告も警告も無く
意味も無い
南京攻略戦をしかけ
多くの中国兵を捕虜としたが、いつ
襲われるか
その恐怖心から
中国人とみるや
兵士も民間人も
老若男女問わず
虐殺したってのが
歴史的事実だよ。
腰抜けの指導者のやることは
アヘンの栽培と
製造販売
その利益で
中国大陸を侵略した
事実だな(笑)
腰抜け軍隊が日本軍なんだよ
こわいねぇ〜〜
弱虫のカラ元気は
こわいよ〜〜(笑)
これは メッセージ 26076 (numbergl さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26085.html
南京事件の背景(2)非合理的な精神主義
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/21 01:58 投稿番号: [26084 / 41162]
第二の日本軍隊の特徴は、非合理的な精神主義の強調にあった。
鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争では
農民を主体とした長州軍が、
古色蒼然たる武士の軍団を、各地で撃破し、壊滅に追い込んでいった。
「命を惜しむな名を惜しめ」という武士道にたいし、
危ないときはさっさと逃げよ、と命ずる
村医者出身の指揮官が率いる
近代軍が、完全勝利したのだ。
その指揮官こそ、合理主義が着物をきて歩くような人物、大村益次郎だ。
しかし、彼は
維新後まもなく
旧守派の「武士」によって暗殺される。
その後の日本の軍隊には、彼が叩き潰したはずの武士道が、受け継がれた。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」という死生観、死の覚悟に徹する
という武士道精神が
日本帝国軍人には
求められた。
兵士の生命は
鴻毛よりも軽いものだとの自覚が強要された。
“天皇の軍隊”という位置づけが
強まるにしたがって、
精神力がいっそう強調され、天皇のために死ぬことが、国民として、
軍人として、最高の美徳とされるようになっていった。
このことは、軍隊教育だけでなく、国民教育としても強調された。
こうした精神主義のいきつくところは、日本軍人は死ぬまでたたかうべきだ
として、捕虜となることは
最大の恥辱だとする思想を生みだした。
大村が
蔑み、排除したはずの、無意味な、というよりも
軍略上有害な
人命軽視の特攻精神、自己犠牲を崇高と讃える靖国精神の
発現となる。
この傾向は、昭和期になって
いっそう顕著になっていく。
それは
大正後半期以降の自由主義的風潮や社会運動の昂揚にともなって
兵士の「思想悪化」が懸念されるようになったこと、
中国の民族運動が高まり、日清・日露戦争で日本が獲得した大陸における
権益にたいする回収運動が高まったこと、国内からも軍縮の声が出たり、
一方では軍備の近代化が
はかばかしく進まないこと
などによって、
軍内部に危機意識が強くなったことにも
よるものだった。
そうした危機感から、精神主義は
ますます強調され、
天皇のために死ぬことが軍人の本分だということが、
神がかり的に
叫ばれるようになった。
「皇軍」「皇道」という言葉が
さかんに使われるようになるのも
この頃からだった。
死ぬことが立派で栄誉ならば、逆に
捕虜になって生きて還ることは
恥ずかしいこと、屈辱であり「おめおめと生き残った卑怯者」になる。
1932年
第一次上海事変で、重傷を負ったため中国側に収容された、
歩兵第七聯隊の少佐が、停戦後に送還された後に自殺した事件は、
捕虜になった将校は
必ず自決すべきという前例となった。
1939年のノモンハン事件で、捕虜交換で戻ってきた者も、
将校は自決を強要され、下士官以下は軍法会議にかけられたのだ。
精神主義と捕虜の否定は、太平洋戦争期になって
いっそう極端になった。
くり返された玉砕(=全滅)の悲劇は、その行き着いた先である。
また
自軍の捕虜を認めないぐらいだから、相手国の捕虜を侮蔑し、
処遇が苛酷なものとなったことは、必然だったと言えるだろう。
これは メッセージ 26082 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26084.html
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