南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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南京で日本兵は何を見たのか (7)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/17 06:56 投稿番号: [26041 / 41162]
南京虐殺と言うと、南京陥落後に   市街に突入した日本兵が、
勝手に行なった   という印象を持つ者も少なくないと思うが、
実際は、南京市の領域は広大であり、市街占拠後の虐殺は
全体の   ごく一部にすぎない   というのが事実だ。
捕虜や住民への残虐行為は、日本軍の進撃路上の各所で起こっていた。
第16師団歩兵第20連隊に所属した牧野信夫上等兵の残した日誌には、
南京への進撃路上の「掃討」の実態について   次のように綴られている。

  11月22日
   道路上には支那兵の死体、民衆および婦人の死体が見ずらい様子で
   のびていたのも可哀想である。
   橋の付近には5,6個の支那兵の死体がやかれたり、あるいは首を
   はねられて倒れている。話では砲兵隊の将校がためし切りをやった
   そうである。
  11月26日
   第2大隊は喚声を上げ勇ましく敵陣地に突進し、敵第一線を奪取。
   住民は家を焼かれ、逃げるに道なく、失心状態で右往左往しているも
   まったく可哀想だがしかたがない。午後6時、完全に占領する。
   7時、道路上に各隊集結を終わり、付近部落の掃討がおこなわれた。
   自分たちが集結している場所に4名の敗残兵がぼやっと現れたので
   早速捕らえようとしたが、1名は残念ながら逃がし、3名は捕らえた。
   兵士たちは早速2名をエンビや十字鍬で叩き殺し、1名は本部に連行、
   通訳が調べたのち銃殺した。
   8時半、宿舎に就く。3小隊はさっそく豚を殺していた。全くすばやく
   するのにはおそれ入った。
  11月27日
   支那人のメリケン粉を焼いて食う。休憩中に家に隠れていた敗残兵を
   なぐり殺す。支那人2名を連れて11時、出発す・・・・・・・・
   鉄道路線上を前進す。休憩中に5、6軒の藁ぶきの家を焼いた。
   炎は天高くもえあがり、気持ちがせいせいした。
  11月28日  
   午前11時、大隊長の命令により下野班長以下6名は小銃を持ち、
   残敵の掃討に行く。その前にある橋梁に来たとき、橋本与一は船で
   逃げる5、6名を発見、照準をつけ1名射殺。
   掃討はすでにこのときから始まったのである。
   自分たちが前進するにつれ支那人の若いのが先を競って逃げていく。
   何のために逃げるのかわからないが逃げる者は怪しいと見て射殺する。
   部落の12、3家に付火すると、たちまち火は全村を包み、全くの
   火の海である。老人が2、3人いて可哀想だったが、
   命令だから仕方がない。次、次と三部落を全焼さす。
   そのうえ5、6人を射殺する。意気揚々とあがる。
  11月29日
   武進は抗日・排日の根拠地であるため全町掃討し、老若男女をとわず
   全員銃殺す。敵は無錫の線で破れてより、まったく   浮き足だって
   戦意がないのか、あるいは後方の強固な陣地にたてこもるのか
   わからないが、全く見えない。
  12月1日  
   途中の部落を全部掃討し、また船で逃げる2名の敗残兵を射殺し、
   あるいは火を付けて部落を焼き払って前進する。
   呂城の集落に入ったおりすぐに徴発に一家屋に入ったところ3名の
   義勇兵らしきものを発見。2名はクリークに蹴落とし、射殺する。
   1名は大隊本部に連行し手渡す。
   (   「南京事件」笠原十九司   岩波新書530   P87-89より引用   )
 
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