南京で日本兵は何を見たのか (4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/16 20:59 投稿番号: [26017 / 41162]
もう一人、宮本少尉と同様に現場指揮官だった将校の日記を挙げておく。
以下に引用するのは、第13師団歩兵第65聯隊 第8中隊少尉であった
遠藤高明という人物の陣中日記であり、出典は 前述と同じく
『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店、1996年)
219〜220頁所収のものだ。
この日記にも、前述した宮本少尉の記述と同じ事件が 記録されている。
宮本少尉とは中隊が違うものの、同じ現場には居たことが判る。
12月16日、宮本少尉の日記でも火事があったことが記されていた日だ。
「定刻起床、午前九時三十分より一時間砲台見学に赴く」。
すでに 戦闘は終わっていることが分かる。
「午後零時三十分、捕虜収容所火災の為出動を命ぜられ、同三時帰還す」
「同所において、朝日記者横田氏に逢い、一般情勢を聴く」とある。
まさに 現場には 新聞記者もいたのだ。
「捕虜総数一万七千二十五名、夕刻より軍命令により捕虜の三分の一を
江岸に引出し、I(=第一大隊)において射殺す」。
この日記を見ると、軍の命令によって 捕虜の3分の1を射殺した
という事実を 記している。
火事が起こり、収容が困難になったということが出てきたが、このあとに
「一日二合宛給養するに百俵を要し、兵自身徴発により給養し居る今日、
到底不可能事にして軍より適当に処分すべしとの命令ありたりものの如し」
とある。
要するに、兵隊自身も自ら食べ物を徴発している状態だから、
ましてや 捕虜に与える食料などはない。
だから、「適当に処分すべし」という命令が出た、ということだ。
そして 12月17日、「幕府山頂警備の為、午前七時兵九名を差し出す」。
幕府山というのは 日本側が適当に付けて呼んでいた名前だと思われる。
命令されて、警備のために この中隊からも兵を出したということだ。
「南京入城式参加の為、十三Dを代表して、Rより兵を堵列せしめらる」
十三Dとは 第13師団のことで、Rとは 第65聯隊のことだ。
堵列というのは、銃剣を持って ずらっと並ぶことを 意味している。
「午前八時より小隊より兵十名と共に出発、和平門より入城」
「中央軍官学校前、国民政府道路上にて軍司令官松井閣下の閲兵を受く」
この遠藤少尉も 晴れやかな入城式に参加したわけだが、
「帰舎午後五時三十分、宿舎より式場間で三里あり、疲労す」。
宿舎に帰るのに時間がかかって疲れた と言っているのだ。
続いて 「夜、捕虜残余一万余処刑の為、兵五名差出す」 とある。
第8中隊からも 捕虜1万人を処刑するために 兵を出したのだ。
「本日、南京にて東日出張所を発見」
東日というのは、当時の東京日日新聞、現在の毎日新聞のことだ。
さっきは朝日新聞の記者が出てきたが、ここでは東日新聞の出張所を発見。
「竹節氏の消息をきくに、北支より在りて皇軍慰問中なりと。風出て寒し」
ここでも新聞関係の出張所があったということが証言されており、
同日に捕虜1万余を殺すために兵を差し出したということが書かれている。
以下に引用するのは、第13師団歩兵第65聯隊 第8中隊少尉であった
遠藤高明という人物の陣中日記であり、出典は 前述と同じく
『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店、1996年)
219〜220頁所収のものだ。
この日記にも、前述した宮本少尉の記述と同じ事件が 記録されている。
宮本少尉とは中隊が違うものの、同じ現場には居たことが判る。
12月16日、宮本少尉の日記でも火事があったことが記されていた日だ。
「定刻起床、午前九時三十分より一時間砲台見学に赴く」。
すでに 戦闘は終わっていることが分かる。
「午後零時三十分、捕虜収容所火災の為出動を命ぜられ、同三時帰還す」
「同所において、朝日記者横田氏に逢い、一般情勢を聴く」とある。
まさに 現場には 新聞記者もいたのだ。
「捕虜総数一万七千二十五名、夕刻より軍命令により捕虜の三分の一を
江岸に引出し、I(=第一大隊)において射殺す」。
この日記を見ると、軍の命令によって 捕虜の3分の1を射殺した
という事実を 記している。
火事が起こり、収容が困難になったということが出てきたが、このあとに
「一日二合宛給養するに百俵を要し、兵自身徴発により給養し居る今日、
到底不可能事にして軍より適当に処分すべしとの命令ありたりものの如し」
とある。
要するに、兵隊自身も自ら食べ物を徴発している状態だから、
ましてや 捕虜に与える食料などはない。
だから、「適当に処分すべし」という命令が出た、ということだ。
そして 12月17日、「幕府山頂警備の為、午前七時兵九名を差し出す」。
幕府山というのは 日本側が適当に付けて呼んでいた名前だと思われる。
命令されて、警備のために この中隊からも兵を出したということだ。
「南京入城式参加の為、十三Dを代表して、Rより兵を堵列せしめらる」
十三Dとは 第13師団のことで、Rとは 第65聯隊のことだ。
堵列というのは、銃剣を持って ずらっと並ぶことを 意味している。
「午前八時より小隊より兵十名と共に出発、和平門より入城」
「中央軍官学校前、国民政府道路上にて軍司令官松井閣下の閲兵を受く」
この遠藤少尉も 晴れやかな入城式に参加したわけだが、
「帰舎午後五時三十分、宿舎より式場間で三里あり、疲労す」。
宿舎に帰るのに時間がかかって疲れた と言っているのだ。
続いて 「夜、捕虜残余一万余処刑の為、兵五名差出す」 とある。
第8中隊からも 捕虜1万人を処刑するために 兵を出したのだ。
「本日、南京にて東日出張所を発見」
東日というのは、当時の東京日日新聞、現在の毎日新聞のことだ。
さっきは朝日新聞の記者が出てきたが、ここでは東日新聞の出張所を発見。
「竹節氏の消息をきくに、北支より在りて皇軍慰問中なりと。風出て寒し」
ここでも新聞関係の出張所があったということが証言されており、
同日に捕虜1万余を殺すために兵を差し出したということが書かれている。
これは メッセージ 26014 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.