南京で日本兵は何を見たのか (5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/16 22:25 投稿番号: [26027 / 41162]
第13師団歩兵第65聯隊第4中隊の宮本省吾少尉も、
同聯隊第8中隊の遠藤高明少尉も、いずれも 指揮官であったから、
自ら 直接手を下した、という人々ではない、と考えられる。
では、実際に 現場で捕虜殺害に携わった兵卒の日記を 見てみよう。
同じ第13師団で、この同じ事件を日記に残していた者が 他にもいる。
現場の下士官として兵隊を指揮する立場であった 山砲兵第19聯隊
第8中隊の伍長であった 近藤栄四郎という人物の陣中日記だ。
出典は、『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』325〜326頁所収
第13師団山砲兵第19聯隊第8中隊伍長・近藤栄四郎出征日記からの引用。
2月16日、「午前中給需伝票等を整理する」
「一ヶ月振りの整理の為、相当手間取る」
「午后南京城見学の許しが出たので、勇躍して行馬で行く」
「そして食料品店で洋酒各種を徴発して帰る」。
徴発というのは、代金を払って持ってきたというものではないようだ。
買ったのならば、購入して帰る と書くだろう。
たとえ 「徴発」であっても、本当は 代金を払わなければならない。
しかし 当時の日本軍の感覚では、勝手に持ってくることが習慣だった。
「丁度見本展の様だ。お陰で随分酩酊した」 と記している。
おそらく 随分たくさんの酒を 調達してきたのだろう。
「夕方、二万の捕虜が火災を警戒に行った中隊の兵の交代に行く」。
すこしばかり 文章が混乱しているようだが、
「二万の内三分の一、七千人を今日揚子江畔にて銃殺と決し護衛に行く」
「そして全部処分を終る。生き残りを銃剣にて刺殺する」 とあるので、
この人物は 実際に行って、生き残りの捕虜を 銃剣で刺殺したのだ。
「月は十四日、山の端にかかり皎々として青き影の処、断末魔の苦しみの
声は 全く惨しさこの上なし。戦場ならざれば見るを得ざるところなり」
「九時半頃帰る。一生忘るる事の出来ざる光景であった」
と言うのだから、戦場慣れしている 下士官でさえも、
あまりの痛ましさに、さすがに心を痛めていたことが 理解できる。
同じ光景に遭遇しても、このように 心を痛めている者もいたわけだ。
この人物は 実際に 「生き残りを銃剣にて刺殺す」とあるので、
そういう行為が行われていた まさに その現場に居た ということだ。
彼と同様に、南京で“一生忘るる事の出来ざる光景”を目の当たりにし
胸に刻んだ日本兵は 少なくなかっただろう と思う。
それは、とても「聖戦」などと呼べるものではない、残虐な戦争の実態を
示すものではあるが、絶対に 本国に伝えるわけにはいかない光景だった。
家族にさえも語ることを許されなかった真実は、永久に隠滅されたのだ。
同聯隊第8中隊の遠藤高明少尉も、いずれも 指揮官であったから、
自ら 直接手を下した、という人々ではない、と考えられる。
では、実際に 現場で捕虜殺害に携わった兵卒の日記を 見てみよう。
同じ第13師団で、この同じ事件を日記に残していた者が 他にもいる。
現場の下士官として兵隊を指揮する立場であった 山砲兵第19聯隊
第8中隊の伍長であった 近藤栄四郎という人物の陣中日記だ。
出典は、『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』325〜326頁所収
第13師団山砲兵第19聯隊第8中隊伍長・近藤栄四郎出征日記からの引用。
2月16日、「午前中給需伝票等を整理する」
「一ヶ月振りの整理の為、相当手間取る」
「午后南京城見学の許しが出たので、勇躍して行馬で行く」
「そして食料品店で洋酒各種を徴発して帰る」。
徴発というのは、代金を払って持ってきたというものではないようだ。
買ったのならば、購入して帰る と書くだろう。
たとえ 「徴発」であっても、本当は 代金を払わなければならない。
しかし 当時の日本軍の感覚では、勝手に持ってくることが習慣だった。
「丁度見本展の様だ。お陰で随分酩酊した」 と記している。
おそらく 随分たくさんの酒を 調達してきたのだろう。
「夕方、二万の捕虜が火災を警戒に行った中隊の兵の交代に行く」。
すこしばかり 文章が混乱しているようだが、
「二万の内三分の一、七千人を今日揚子江畔にて銃殺と決し護衛に行く」
「そして全部処分を終る。生き残りを銃剣にて刺殺する」 とあるので、
この人物は 実際に行って、生き残りの捕虜を 銃剣で刺殺したのだ。
「月は十四日、山の端にかかり皎々として青き影の処、断末魔の苦しみの
声は 全く惨しさこの上なし。戦場ならざれば見るを得ざるところなり」
「九時半頃帰る。一生忘るる事の出来ざる光景であった」
と言うのだから、戦場慣れしている 下士官でさえも、
あまりの痛ましさに、さすがに心を痛めていたことが 理解できる。
同じ光景に遭遇しても、このように 心を痛めている者もいたわけだ。
この人物は 実際に 「生き残りを銃剣にて刺殺す」とあるので、
そういう行為が行われていた まさに その現場に居た ということだ。
彼と同様に、南京で“一生忘るる事の出来ざる光景”を目の当たりにし
胸に刻んだ日本兵は 少なくなかっただろう と思う。
それは、とても「聖戦」などと呼べるものではない、残虐な戦争の実態を
示すものではあるが、絶対に 本国に伝えるわけにはいかない光景だった。
家族にさえも語ることを許されなかった真実は、永久に隠滅されたのだ。
これは メッセージ 26017 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.